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令和2年11月11日(水)「ロールモデル」野上月

 夜の横浜の人通りはマスクの着用率の高さを除けば1年前とさほど変わっていないような気がする。

 多くの人々はこの新しい生活様式に慣れ、普通に暮らしているように見える。


「目に見えることと現実は案外違っていたりするものよ~」


 わたしの目の前に座る女性がそう口にした。

 こざっぱりした身なりはカジュアルながら清楚な雰囲気を醸し出している。

 キッチリしていながらどこか隙のある感じはこの女子大生の計算だろう。

 見た目の印象からだけでは分からない頭の切れがこの女性の特徴だ。


「就活はいかがですか?」とわたしは話題を変える。


 彼女は現在大学3年生で大手の広告代理店への就職を目指している。

 その最大手、インターネット上ではどちらかと言うと悪役として名指しされる企業が第一志望だそうだ。


「準備は滞りなく進んでいるわよ。むしろ大学生の間にやっておきたいことがありすぎて時間がないわね~」


「いまのうちに遊んでおきたいとかですか?」と質問すると彼女は破顔した。


 ひとしきり笑ったあと、「ブラックで有名になっちゃったからそう思うのも分かるけど、そうじゃないわよ~」と彼女は否定した。

 そして、真剣な顔をして「勉強よ。社会人になってからはまとまった時間が取りにくいと思うから」とサラリと言った。


 わたしは「さすが、意識が高いですね」と感心する。

 多くの大学生の知り合いがいるが、ここまで自分を高めることに貪欲な人を知らなかった。


「そうじゃないわよ~。意識が高いというのは私のように自分のやりたいことばかり追い求めるんじゃなくて、他人や社会のために考えて行動する人のことを指すのよ~」


 確かに俗に言われる意識高い系はそんな人種だ。

 主として揶揄する目的で使われる言葉だ。

 だが、彼女の発言にそんな響きは感じられなかった。


「意識が高いって褒め言葉として使うのは適していませんでしたね。すみません」と謝ると、「そういう問題ではないの」と彼女は諭すようにわたしに言った。


「日本では斜に構えている人が多くて、社会の問題に真剣に取り組んでいる人たちのことをそう言ってバカにすることがあるでしょ。でも、現実は行動を起こさなければ変わらない。口先だけじゃあダメなのよ~」


 そこまで言ったところで注文した料理が運ばれてきた。

 今日は彼女、茂木もぎ愛羅あいらさんと夕食を摂る約束をしていた。

 横浜のレストランの情報を知り尽くしているのではないかというくらい詳しい彼女に案内されたロシア料理の店で、わたしたちは向かい合って座っている。


「コース料理もあるけど、私はボルシチさえ食べられたら満足だから」と愛羅さんはスプーンを手に微笑んだ。


「ボルシチならカナが作るものも最高ですよ」とわたしは料理の話に乗った。


 カナの妹のヒナちゃんはロシア系の美少女という容姿をしている。

 ところが、カナの外見はいたって普通の日本人だ。

 そんなカナの得意料理のひとつがロシア料理だった。

 レシピが家に伝わっているのか聞いてみたところ、特にそういうものはないらしい。

 ただヒナちゃんがロシアとの繋がりを感じるものが食べたいと言ったので、ボルシチやピロシキをよく作ったそうだ。


 しばらくロシアにまつわるトピックに触れながら味を堪能する。

 そして、食事が一段落したところで愛梨さんが「あなたのお友だち、テレビに出ていたじゃない」と新たな話題を持ち出した。


「ご覧になりましたか。わたしも放映の直前に聞いてびっくりしました」


「全国ネットでしょ。凄いわねぇ。彼女のような子が社会を変えていくんでしょうねぇ」と先ほどの話へと愛羅さんは繋げた。


「彼女――可恋ちゃんは、親の七光りや中学生で代表を務めているという話題性を利用しただけと話していました」


 可恋ちゃんが代表を務めるNPO法人が女性アスリートへの性的な意図を持った撮影問題を受けて緊急声明を発表し、更に彼女が全国ネットのニュース番組に出演した。

 愛梨さんにファッションショー開催の協力を要請した時に可恋ちゃんのことは話したが、その後はほとんど話題にしていなかったのによく覚えていたものだ。


「私、気になった人の名前は忘れないの。彼女がNPOを立ち上げてニュースになった時にゆえちゃんが言っていた子かって思ってチェックしていたの~」


 わたしは意図的にふたりを引き合わせなかった。

 ふたりの間に入ることでわたしの価値を高めようとしたのだ。

 そんなわたしの考えはとうに見透かされていたのだろう。


「彼女のNPO法人には私が入社希望の広告代理店も関わっているの。もしかしたら一緒に仕事をすることになるかもしれないわねぇ」


 愛羅さんはからかうような表情をしたあと、黙り込むわたしに「心配しなくてもいいわよ~。あなたの価値は認めているから」と言ってくれた。

 その言葉に強張っていた頬が緩む。


 わたしにとって愛羅さんは可恋ちゃんと並ぶ重要な人脈だ。

 人脈作りを趣味とするわたしは量より質へと見直すようになったが、いまだこのふたりを超える人脈を築けていない。

 一方、愛羅さんにとってわたしはワンオブゼムと言ってよく、こうして時間を割いてもらえるだけでわたしはラッキーだった。


「私自身は自分のことしか考えられない性質たちだけど、それだからこそ社会をよりよくしようと頑張っている人の力になりたいと思っているのよ~」


 愛羅さんに言わせると、現代の広告代理店はそういう思いと社会とを繋ぐ役割なのだそうだ。

 時に悪の親玉のように語られることもあるが、広告代理店の仕事が広く世間に知られていないせいだと力説していた。


 いちばん身近にいる大人が自由人であるオヤジなせいか、わたしはまだ就職を意識することはなかった。

 とりあえず大学へ行き、就職するとしてもそれからだ。

 あと5年以上時間がある。

 だが、愛羅さんが語った仕事への思い入れは非常に刺激的な内容だった。

 彼女は「お姉さんぶってしまってごめんねぇ」と謝っていたが、歳下のわたし相手だったから自分の気持ちを素直に言葉にできたのかもしれない。


 そんな楽しい会食が終わる頃、わたしのスマホに電話が掛かってきた。

 それは普段使っているスマホではなく、緊急連絡用のものだった。

 家族や親しい友人しか番号を知らないし、緊急時のみ使うように念を押している。

 このスマホに電話が掛かってきたのも初めてのことだった。


 愛羅さんに断ってスマホを手に取ると、着信表示には「アケミ」の文字があった。

 2ヶ月近く話していない相手からの電話にわたしはゴクリと唾を飲み込む。

 それから『アケミ、どうしたの?』と固い声で電話に出た。


『……ゆえ、どうしよう。どうしたらいいの?』


『アケミ、落ち着いて。いったい何があったの?』


『……警察に。でも……、ああ……』


 小声で思い悩むように呟くアケミに、わたしは叫ぶように『いまどこ? すぐに行くから!』と声を掛けた。




††††† 登場人物紹介 †††††


野上(ゆえ)・・・高校2年生。人脈作りが趣味と話す女子高生。他校の高校生や大学生と繋がりを持っている。


茂木もぎ愛羅あいら・・・大学3年生。横浜にキャンパスを持つ超有名私大に通う女子大生。幅広い交友関係を持ち、大手広告代理店就職を目指している。同性愛者という噂も。


日々木華菜・・・高校2年生。ゆえの親友。本人の前では態度に出さないが極度のシスコンで、妹を喜ばせるためにせっせと料理を作っていた。


日野可恋・・・中学3年生。NPO法人"F-SAS"共同代表を務める。これは女子学生アスリートの支援を目的にしたもので、競技面だけでなくセクハラなどの法律サポートも行っている。なお、地上波のテレビに出ても学校内での反響はほとんどなかったらしい。


矢野朱美・・・高校2年生。ゆえたちと仲が良かったがとある事件をきっかけに距離を置いていた。

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