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令和2年8月18日(火)「夏」久藤亜砂美

 夏休み最後の1日もゾッとするような暑さだ。

 それでも昨年までのことを思えば遥かにマシだった。

 エアコンのないボロアパートでは、どこからか拾ってきた扇風機だけが頼りだった。

 暑くて眠れなくて冷蔵庫の中に頭を突っ込んだこともある。

 あの女は自分が飲むためのアルコールしか買ってこないのだから、帰ってくるまで冷蔵庫を全開にしておくこともよくあった。


 夏休み中は近藤さんの自宅――つまり、この家によく連れて来てもらった。

 冷房の利きが悪いと渋い顔をする近藤さんだったが、私にとっては天国のような場所だった。

 ほかにも図書館などに連れて行かれた。

 近藤さんに用事がある日はハルカに助けを求めた。

 男と遊び歩いていたハルカだが、そんな時はいつも私を優先してくれた。


 あれから1年が経ち、私は近藤家にご厄介になっている。

 風通しの良い木造建築とはいえこの暑さにはひとたまりもない。

 お祖父様お祖母様の部屋と近藤さんの部屋では冷房をつけて暑さを凌いでいる。

 老人ふたりは冷房を使うことに抵抗があったようだが、小学生時代の近藤さんが説得に説得を重ねて猛暑の日は冷房を義務付けたらしい。


 今日から近藤さんの高校は夏期講習があり、暑い中を出掛けていった。

 私は彼女の部屋で机を借りて勉強していた。

 私の部屋にもエアコンはあるが、型が古いのでできるだけこちらを使うようにと言われている。

 近藤さんは「電気代なんてそんなに変わらないのにね。要するに吝嗇なのよ」とお祖母様を誹る。


 彼女は何かにつけてお祖母様を貶さずにいられない。

 その気持ちは分からなくもない。

 私にとってはどん底から救い出されたようなものだが、ここでの暮らしは普通とは呼べないだろう。

 近藤さんは受験生になるまで家事の手伝いを担わされた。

 この古く大きな家ではその量はかなりのものとなる。

 いま私がそれを引き継いでいるが、毎日同じ事の繰り返しにはこの家と共に朽ちていってしまうんじゃないかと感じることもあった。


 また、自由に外出できないこともそれまでの奔放な暮らしからするとなかなか慣れないことだった。

 冷蔵庫代わりにコンビニを利用していた私からすると、ちょっとコンビニまで行くのがダメというのは理解しづらい。

 必要なものはお祖母様と買い物に行くか、近藤さんと買い物に行くかして購入しなければならない。

 お祖母様相手にあれを買ってなどとねだれないので、近藤さんにお願いすることになってしまう。

 休校中は外出自粛が求められていたので仕方ないと諦めていたが、非常事態宣言が解除されても自由に出歩けないことは苦痛だった。


 もっとも辛いのは学校外で親友のハルカと会う時間が作れないことだ。

 彼女は私の事情を知っているが、とはいえ外見も中身も不良のハルカを近藤家に呼ぶ訳にもいかない。

 近藤さんの妙案で生徒会入りしたことは、この夏休みに外出する目的ができたという点で渡りに舟だった。


「お帰りなさい」


 鍵の掛からない扉をノックもなしに開けて近藤さんが入ってくる。

 廊下を歩く音で気づいていた私は立ち上がって部屋の主を出迎えた。


 近藤さんは鞄をベッドの脇に置くと、スカートをストンと落とした。

 その顔は暑さでウンザリしているようで、口も聞きたくないようだ。

 私が彼女の白いブラウスのボタンを外していく。

 ブラウスの前を開けると、熱っぽい汗臭さが周囲に拡散した。

 襟を持って脱がすのを手伝う。

 彼女は下着姿になると、タンスからタオルを取り出して顔を拭った。

 私は汗まみれのブラウスを畳んで洗濯物用の籠に入れ、スカートをハンガーに掛ける。

 彼女はベッドに浅く腰掛けたので、私は近づいて靴下を脱がせた。


 元気な時ならこのあと色々と言ってきそうだが、今日は本当に疲れ果ててしまったようだ。

 私は「何か冷たいものを持って来ます」と立ち上がると、彼女は「お願い」とだけ呟いた。


 両親が離婚でバタバタしていた頃、私は急激に背が伸びた。

 母が持って来た子供服は着れる物が少なく、学校に行く服以外は母のものを着せられた。

 地味な服もあったが、その後買う服はどれも派手だった。

 そのお金で私の服も買ってとせがんだが聞き入れてもらえなかった。

 できる限り制服や部屋着だけで過ごすようにしていたが、どうしてもほかの服が必要な時がある。

 近藤さんが面白がって母の服を着せることもあった。

 私にとって着飾ることは人形――自分の望む姿ではなく借り物の私になる行為だった。


「亜砂美のモデル姿は見てみたいな」


 冷えたペットボトルをラッパ飲みしながら近藤さんが言う。

 お祖母様に見つかるとはしたないと厳しく怒られそうだが、彼女はあえてこういう行儀の悪い振る舞いをすることがある。

 私は初めて指摘された時は何がいけないのかまったく分かっていなかった。

 グラスに注ぐ一手間を掛けるなんて周りは誰もやっていなかったからだ。


 昨日、10月の文化祭で開催予定のファッションショーに関する会議があった。

 その報告は生徒会長だけでなく近藤さんに対しても行った。

 その時は日野先輩が欠席したことを残念がっていたが、1日経って生徒会メンバーをモデルに起用するという提案に興味を抱いたようだ。


「今年は部外者は立ち入り禁止になると思います」


「昨年は動画に撮ったって言うじゃない。どうにかしなさい」


 無茶振りをされて私は眉をひそめた。

 動画を残すことになれば生徒会役員の私にもアクセス権がありそうだ。

 生徒会長にお願いすれば近藤さんに見せるくらいは許可してもらえるだろう。


「会長に相談します」と私は答えて、まだ下着姿の近藤さんを見た。


 私はベッド脇に畳んであった部屋着を差し出すが、彼女は手に取らない。

 日焼け止めは使っていたのに、近藤さんの腕はかなり赤く焼けている。

 下着姿だと肌の白さとのコントラストが艶めかしかった。


「亜砂美の美しさは武器なのに、生徒会長も日野も女だから通用しないのがもったいないわ」


 相手が男だったら色仕掛けをしろということか。

 近藤さんが私の生徒会入りで果たしたかった目的はふたつあった。

 ひとつは生徒会長の勉強法を知ること。

 これは簡単に聞き出すことができたが、授業を聞くや教科書を読むといった基本的なことしかなかった。

 それだけで学年トップを維持できているのだとしたら相当地頭が良いのだろう。


 もうひとつが日野先輩の情報を得ることだった。

 こちらは生徒会長の口が堅く、いまのところ有益な情報が得られていない。

 ハルカの方がよく知っているくらいだ。

 彼女はこの春から空手道場の練習に参加しているそうで、そこに時々日野先輩が訪れるらしい。

 直接話すことはほとんどないと言うが、道場内での噂話などを教えてもらった。

 尾ひれがついていそうで信憑性は乏しいが、ほかにめぼしい情報がないのでそれを近藤さんに伝えている。


 このままでは私が役立たずに思われてしまうという危機感を抱いていた時にファッションショーの会議の話を聞いた。

 ファッションショー自体には一切興味がなかったが、中心メンバーが原田さんだと聞いて日野先輩が関与するのではないかと予想した。

 さりげなく担当を希望していると匂わせ、会長から指名してもらった。

 昨日は日野先輩は欠席だったが、そのうち接触できそうだ。


「亜砂美は私にだけ従順であればいいわ」


 もの思いにふけっていた私はハッとして近藤さんを見る。

 ひざまずくと彼女は顔を寄せてきた。

 私は自然と瞼を閉じる。

 唇を重ねるとなんとなく夏っぽい味がした。




††††† 登場人物紹介 †††††


久藤亜砂美・・・中学2年生。小学生高学年の時に両親が離婚し母親に引き取られた。ボロアパートで貧乏暮らしを始め、生活は破綻していた。今年2月に男を連れ込まないという約束を母親が破り、身の危険を感じた亜砂美は未来に助けを求め、近藤家に引き取られることになった。中学では未来から教わったノウハウを使ってクラスのヒエラルキーの頂点に立っている。


近藤未来・・・高校1年生。両親が離婚し小学生低学年の時に母方の祖父母に引き取られた。厳しい躾けに反発した母親はいまも実家に寄りつかず、未来も祖父母への反発から大学進学を機に家を出ることを望んでいる。県下一の進学校に通う。祖母と亜砂美の母が知り合いだったことから亜砂美の面倒を見ることになり、似た境遇ということで色々と教える一方でストレスのはけ口にするという複雑な感情を抱いている。


小西遥・・・中学2年生。不良として知られている。誰とでも寝る、ムカついたら誰であれボコるという性格。アサミは彼女にとって唯一対等な存在。


山田小鳩・・・中学3年生。生徒会長。前生徒会長の工藤悠里を信頼していて、その友人の未来から卒業式に亜砂美のことを頼まれた。


日野可恋・・・中学3年生。未来は前生徒会長の悠里から可恋の話を聞いて興味を持った。”魔王”と呼ばれ様々な噂が飛び交う謎の中学生。


原田朱雀・・・中学2年生。手芸部部長。1年の時に亜砂美と同じクラスだった。

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