令和2年4月1日(水)「激動の一年」日々木陽稲
ちょうど1年前。
平成31年4月1日に「令和」という新しい元号が発表された。
わたしはそれを北関東にある父方の祖父”じいじ”の家で見ていた。
1年が経ち、耳馴染みがなかった「令和」の響きにもすっかり慣れた。
そして、この1年間はわたしにとってまさに”激動”だった。
昨年4月、わたしは出逢いと別れを経験した。
凛とした黒髪ショートヘアの美少女日野可恋。
1年生の3学期に関西から転校してきた彼女は2年生になって同じクラスになった。
転校直後の3学期は休みがちで、病弱なイメージがついていた。
しかし、彼女は聡明で、運動能力も高く、何より格好良かった。
席が前後ろだったこともあって一気に仲良くなりそうだったのに、わたしの前に試練が立ち塞がった。
ひとつがおたふく風邪の感染だ。
これによって新学期早々に1週間以上休むことになってしまった。
さらに、ようやく登校した矢先に北海道に住むお母さんのお母さん――わたしのお祖母ちゃん――が交通事故で亡くなった。
あまりに突然のことで悲しみよりも茫然とするばかりだった。
可恋とは連絡先の交換もできないままに長い長いゴールデンウィークに突入した。
ただ彼女に借りたノートのお蔭でわたしは休んだ分の遅れを取り返すことができた。
ゴールデンウィークが明けて、わたしはそれまでの鬱憤を晴らすかのように可恋に接近した。
お泊まりをしたり買い物に行ったりして彼女のことを知った。
その結果、ますます彼女に惹きつけられるようになった。
可恋は生まれつき免疫力が極度に低い体質で、入退院を繰り返し、小学生の頃は満足に学校に通えなかったらしい。
歌すら体力がなくて歌えなかった少女が空手を通して少しずつ体力をつけ、人一倍の努力で人並み以上の能力を身に付けた。
気難しかったり、計算高かったりもするけど、本当に必死で生きている女の子だ。
学級委員だった可恋がクラスの中で存在感を見せつけたのが野外学習である6月のキャンプの時だった。
盗撮事件が発生し、それを予期していた可恋が事前に対策をして事を公にした。
それにより背後にいた人物は逮捕され、関わった生徒は被害者として救済されることになった。
クラスメイトの誰もが可恋の力を認めるようになり、彼女の発言力は増大した。
それを背景として、10月の文化祭に行うクラスの出し物にファッションショーを決定した。
合唱ばかりの文化祭のあり方を変えたい校長先生の要望を受け入れる形で可恋が出した提案だが、わたしの夢がファッションデザイナーであることを知った彼女の計らいでもあった。
夏休みに入る前から準備を始め、女子に筋トレを義務付けるなど可恋は成功のために次々に手を打っていった。
夏休みに入って少しはのんびりできるかと思っていたら、アメリカからキャシーが来日した。
わたしと同じ年齢でありながら180 cmを越える長身と運動神経抜群の身体能力を持つ黒人の少女。
彼女は空手を学ぶために可恋の通う道場にホームステイし、オープンな性格ですぐにわたしたちと打ち解けた。
ただ日本語を覚えようとせず、子どもっぽい言動で可恋を振り回してもいた。
彼女がいたからわたしと可恋は懸命に英語を覚え、いまでは英会話に不自由することがなくなった。
可恋が武道館で演武をするのを見たり、北海道で中学生の空手の全国大会を観戦したりとそれまでの人生とはかけ離れた体験をした。
一方で、わたしの家族と可恋の家族合同でTDLに行ったり、クラス全員でファッションショーの見学をしたりと楽しいイベントもあった。
また、長期休暇には必ず行く”じいじ”の家に可恋にも来てもらい、そこで”じいじ”からわたしたちが進学予定の高校の話を聞いたりもした。
そんな慌ただしい夏休みが終わると学校は2学期に入る。
わたしたちの学校では運動会の花にクラス対抗のダンスがあり、みんなが一丸となってそれに取り組んだ。
みんなのやる気を引き出すために、わたしがご褒美デートを提案したのもこの時だ。
余りに盛り上がり、笠井さんたちはダンス部を作るまでに至った。
その立ち上げにも可恋は協力していた。
文化祭のファッションショーは台風が来て大変だったものの、無事に成功することができた。
見学に行ったファッションショーで知り合った本職のモデルの方やデザイナーの方にも見ていただいた。
大好きだったファッションのことがますます好きになり、それまで夢だと思っていたデザイナーという職業が少しだけ現実の重みを持つようになった。
文化祭が終わると冬が足音を立てて近づいてきた。
可恋はF-SASというNPOを立ち上げた。
今日、4月1日に法人化したそのNPOは女子学生アスリートを支援する組織だ。
健康、トレーニング、ハラスメント対策などをウェブとリアルでの勉強会を通じて伝えていくそうだ。
可恋はその共同代表に就任した。
それは冬になり学校に登校できなくなることを見越してのものでもあった。
可恋はインフルエンザに罹っただけで即入院が必要なほどリスクが高い。
少しでも体調不良を感じたら無理をせずに家で安静にするという判断を下す。
それをずる休みのように感じることもあったけど、実際に可恋が入院するとどれほど心配に思ったことか……。
わたしも感染症対策に熱心に取り組むようになり、そんなわたしを家族も協力してくれた。
可恋は母子家庭で、母親の陽子先生は大学教授をしていて非常に忙しい。
ひとりでいることが多い可恋をわたしの両親やお姉ちゃんは家族のように接してくれる。
クリスマス、お正月を可恋と過ごし、このまま平穏な日々が続いていくと信じていた。
可恋がなかなか学校に来れなくても、暖かくなれば、春になれば、いつもの日常が戻って来ると思っていた。
そこに激震が走ったのが2月下旬の一斉休校の要請だった。
遠い外国の出来事、豪華クルーズ船の中だけの出来事だと思っていた新型コロナウイルスの影響が突如身近なものとなった。
陽子先生は困窮した人たちの援助のために走り回り、家にウイルスを持ち込まないために可恋と離れて暮らすようになった。
休校中はそんな可恋とふたりで過ごしていた。
可恋は勉強と仕事で忙しくて甘々な生活とはいかなかったが、世の中がこんな時にわたしは幸せを感じていた。
問題は今後だ。
学校が再開されても可恋は登校を見合わせると話している。
わたしが登校すれば、わたしから可恋に移す危険がある。
それは絶対に避けなくてはならない。
「ひぃなは私につき合う必要はないよ」と可恋は言う。
「……でも」
「私は大丈夫だから」と可恋は微笑む。
わたしはまだ子どもだから学校が再開されれば親の判断に従うことになる。
とても優しく、わたしのことを想ってくれている両親だ。
それを理解しているからこそ、わたしはその判断に抗えない。
「長い戦いになるから、目の前のことをひとつひとつクリアしていこう」
可恋の言葉にわたしは頷く。
可恋はこんな戦いを生まれてからずっと続けてきたのかもしれない。
感染症は命取りになるから、少しでもそれを避けようとしてきた。
少しでも体力をつけ、少しでも抵抗力を高めようとしてきた。
早寝早起きはもちろん、体調管理や食事管理を徹底している。
それでも罹ってしまうのが感染症だ。
無菌室に一生籠もっていれば生存のリスクは高まるが、可恋は自分らしく生きたいと強く願っている。
そのバランスを常に考えている可恋にとってはいまも日常の続きなのかもしれない。
もっと強くならないと。
可恋の隣りで生きるということはそれを受け入れることだ。
可恋と出逢ってわたしの世界は広がった。
それなのに、まだ何も返せてはいない。
わたしは可恋に気付かれないようにぐっと奥歯を噛み締めた。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・今日から中学3年生。ロシア系の血を引き天使や妖精に例えられる美貌の持ち主。
日野可恋・・・今日から中学3年生。すでに高校レベルの勉強を独学で行っているが、一部科目は大学生レベルに達している。




