令和2年1月11日(土)「お見舞い」須賀彩花
ダンス部の練習が終わったあと、わたしは綾乃と日野さんのお見舞いに行った。
年が明け、3学期が始まったが、日野さんは一度も登校していない。
日々木さんによると、ずっと微熱が続いているらしい。
ダンス部のことなどで日頃お世話になっているし、一度お見舞いに行こうと優奈たちと話し合った。
大勢で押しかけるのは迷惑だし、優奈はわたしの方が適任だと言ったので、わたしとマネージャーの綾乃のふたりで行くことにした。
日野さんのマンションには日々木さんがいて、わたしたちを出迎えてくれた。
玄関ではエアダスターで服に付いたほこりを払われ、家に上がると真っ先に洗面台に案内されて石鹸でしっかり手洗いするように促された。
渡されたマスクを着用してようやく日野さんの部屋に入ることを許された。
久しぶりに会った日野さんは思ったより元気そうだった。
「ひぃなが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるから」と彼女は笑う。
「まるで夫婦みたいだね」とわたしもつられて笑うと、「ふたりもそんな感じじゃないの?」と日野さんがニヤニヤする。
「えー、そんなことないよ、ねぇ」と綾乃に確認するが、綾乃は顔を赤らめていた。
「困った時に助けてくれる人がいると、これほどありがたいものはないよ」と少し真剣な表情になって日野さんが言った。
その声に実感が籠もっていて、わたしはこれまで綾乃に助けてもらった数々のことに思いを馳せ、照れた綾乃を見ながら「そうだね」と答えた。
ダンス部の近況についてはLINEなどで逐一報告している。
特に、15日に行う予定のチーム分けについては優奈が日野さんにかなり相談したようだ。
日野さんはそれを発表したあとの部員たちの様子を知りたがった。
「2年生は早也佳が発破を掛けて、表面上はみんな真面目に取り組んでいるみたい。何人かはBチームに落ちることになると思うから、優奈も心配しているけど……」
優奈はわたしが当落の基準だと言った。
わたしより上手ければAチーム、わたしより下はBチームだと。
わたしの実力は自主練に付き合ってもらっているから優奈はよく知っているので、わたしが本番で手を抜いても当落の基準が変わる訳ではない。
見た感じ、当落線上の部員は多く、本番の出来で結果が決まりそうだった。
日野さんは無言で続きを促したので、「1年生は半数くらいが自主練を頑張っているので、その子たちは昇格しそうかな。辻さんと秋田さんのリーダーシップが凄く良い感じになっているよ」と伝えた。
秋田さんは目に見えて変わった。
ズケズケ上から目線でダメ出ししていたのが、言葉を選ぶようになった。
困った時は辻さんに助けてもらっている。
ふたりの信頼関係の強さは傍で見ていてもよく分かる。
このまま行けば、次の部長と副部長は決まりだろう。
「上手くいってる時こそ注意してね。どちらかが甘えを見せると関係は一瞬で崩壊することもあるから」
日野さんの言葉にわたしは背筋を正して頷く。
これは1年生のふたりのことだけでなく、わたし自身にとっても耳を傾けるべき言葉だろう。
2年生になった直後と比べ、美咲や優奈、綾乃との距離はかなり縮まった。
しかし、調子に乗ってしまうとこの関係がダメになってしまうかもしれない。
わたしは相手の気持ちを敏感に感じ取れる方じゃないから、常に気を付けていないといけない。
「チーム分けをする以上、部員のケア――降格した人だけじゃなく、昇格した人、昇格できなかった人、降格しなかった人も含めて――は、こまめに心を配っておく必要があるわ」
部長の優奈はその大変さを知った上であえて茨の道を選んだ。
そして、わたしたちは優奈を支えると決めた。
部の運営はこれからが正念場だという覚悟を改めて噛み締めた。
「上がブレなきゃ、みんなついて来てくれるんじゃない」と日野さんは軽い感じで話す。
なるべく日野さんの手を煩わせたくはないが、何でも見通すような彼女の存在はわたしたちを勇気づけてくれる。
「それで、ちょっと相談があるのだけど……」といきなり日野さんの力を借りてしまう。
視線だけで続きを促され、「藤谷さんのことなんだけど……」とわたしは口にする。
それだけで日野さんは相談の意図を悟ったようだった。
これまで藤谷さんは日野さんや顧問の岡部先生の助言に従いAチームに”隔離”していた。
同じ1年生と一緒にしない方が良いという判断だった。
その後、特にトラブルもなくここまで来た。
だが、新たなチーム分けが終われば彼女を他の1年生と引き離したままという訳にはいかなくなる。
「問題の本質は不公平感だと思う」
「不公平感?」とわたしは日野さんの言葉をオウム返しする。
「彼女は発達障害の疑いがあり、ダンス部内で他の子よりも手厚くサポートされている。他の子たちからすれば、ズルいと思うよね?」
わたしは戸惑いながら頷く。
「例えば、片手を切断した子がいて、ダンスをやりたいと入部した。その子を他の子より手厚くサポートするのはどう感じるだろう?」
「たぶん、藤谷さんよりズルいと思う人は少ないと思う」
わたしの回答に日野さんが頷いた。
「じゃあ、聴覚障害や発声障害だったら?」
「その中間くらい?」
「でも、サポートの必要性って、そのズルさの感覚とちゃんと比例しているのかな?」
藤谷さん以外は想像になるので分からないというのが正直なところだ。
ただ日野さんが伝えようとしていることはなんとなく感じられた。
「別の角度から聞くよ。藤谷さんと秋田さんと辻さんの三人、須賀さんなら誰がいちばん大事?」
「え! そんな……、誰がなんて順番はつけられないよ」
わたしがそう抗議すると、日野さんは素敵な笑顔を見せた。
「そうだよね。笠井さんや須賀さんは贔屓せずにみんなに気を配ってる。私はそれを知ってる。でも、実際の行動としては藤谷さんにいちばん多くの時間を掛けていて、次に秋田さんという風に見えるよね」
「それはそうだけど……」
「ここで、あの人ばかり構ってもらえてズルいと考えるか、自分に問題が起きた時も真剣に構ってもらえると考えるかで大きな違いが出る」
わたしは口をポカンと開けて言葉を失った。
「自分は大丈夫と思ってしまう正常性バイアスがあるから難しいことだけど、誰だって苦しい状態に陥ることはあるんだ。そして、サポートを必要としている人を助けるということは、自分が窮地に追い詰められた時にサポートしてもらえる可能性を高める行為なんだ」
日野さんは声を荒らげることなくいつものように淡々と話す。
「私がダンス部を助けるのもいつか私を助けてもらうためよ」と日野さんは微笑み、「情けは人のためならずの言葉通りよ。他人を助けることを偽善だと言う人がいるかもしれないけど、何もしないより遥かにマシよ」と言葉を続けた。
「部員にしっかり伝えなさい」と言われ、わたしは頷くことしかできなかった。
日野さんの自宅をお暇し、わたしは綾乃と帰途につく。
青空が広がり、日差しもあるので寒さは和らいでいる。
気が抜けたようにフラフラ歩くわたしを小柄な綾乃が支えてくれている。
「綾乃は日野さんの話を聞いてどう思った?」
わたしはいままで漠然としか考えていなかったことを明確に突きつけられて、頭をガツンと殴られたような気分だった。
頭が良い綾乃なら違った感想を持つかもしれないと思い、わたしは尋ねた。
「私は最後の話が気になった」と綾乃はわたしをじっと見た。
「ごめん、最後の方はちゃんと聞いていなかった」と謝ると、綾乃はわたしの顔を見たまま教えてくれた。
「人との出会いは”運”だから、それに恵まれた者はそうでない人に何かを分け与えた方がいいんじゃないかって」
「そんなこと言ってたんだ。なんだか日野さんらしくないね」とわたしは感想を漏らす。
「自分の力だけでは及ばないことはたくさんあって、それを乗り越える方法のひとつが他人の力を借りることなんだろうね」
そう言われると日野さんらしい。
考えてみればあと三ヶ月でこのクラスも終わりだ。
ダンス部の繋がりは残るが、一日の大部分を過ごす教室での立ち位置は変わるだろうし、今のクラスが最高だっただけに新しいクラスには期待より不安が大きい。
出会いは”運”という言葉はわたしも身をもって分かった。
新たな幸運をつかむ明確な方法がない以上、素敵なご縁がありますようにと神頼みに走りたくなるのは当然だろう。
でも、日野さんが言うように他人に親切にすることで新たな幸運が舞い込むと考える方が神頼みより良いかもしれない。
「綾乃とは3年でも同じクラスになれたらいいよね。わたしにできることは少ないけど、前向きな気持ちをみんなに伝えられたら”運”がやって来てくれるかな?」
わたしが綾乃に微笑みかけると、彼女は「私も頑張る」と気合を入れた。
しがみつくように抱き付く綾乃の温もりを感じ、わたしは心からこの願いが叶うといいなと思った。
††††† 登場人物紹介 †††††
須賀彩花・・・中学2年生。ダンス部副部長。ごく普通の女の子だが、このクラスでの様々な出会いと経験により本人が実感するほど成長できた。
田辺綾乃・・・中学2年生。ダンス部マネージャー。彩花に惹かれている美少女。話し上手ではないが聞き上手。
日野可恋・・・中学2年生。英語の勉強をしているうちに欧米的な価値観が身に付いたのではと母から指摘された。
日々木陽稲・・・中学2年生。もう夫婦みたいと言われて照れるような浅い関係じゃないから。




