令和元年12月6日(金)「少女が大人になる瞬間」日野可恋
午後、うちにやって来たひぃなはいつも以上にめかし込んでいた。
とても温かそうなファーコートを脱ぐと、色鮮やかな民族衣装風の装いが現れた。
「サラファンなの」とひぃなが教えてくれる。
レースがふんだんに入った白いブラウスの上に着たそれは、赤を基調に手の込んだ様々な刺繍が施されている。
上半分はボディスになっていて、下はふんわりとしたスカートだ。
「ロシアの民族衣装なのよ!」
ひぃなは私に見せびらかすようにスカートの裾を手で持ち、踊るように一回転した。
今日の髪型は、二つ結びの三つ編み以外は刺繍が入った白い大きなスカーフですっぽり覆われている。
その三つ編みが彼女の動きに合わせて跳ね、感情の高ぶりを表しているように見えた。
「よく似合ってるね」と褒めると、ふふふとひぃなは上品に微笑んだ。
彼女はロシア系の血を引き、それが容姿に濃く出ている。
「ロシアの民族衣装か……。確かにマトリョーシカっぽさがあるね」
マトリョーシカはロシアの民芸品で入れ子構造として有名だ。
民族衣装を着た女性が描かれたものが多く、鮮やかな色合いは今日のひぃなの衣装にも通じるものがある。
ただマトリョーシカは入れ子にするため丸みを帯びて作られている。
ひぃなは幼さは残るが、顔が小さくて頭身があるので、人形に譬えるならフィギュアの方がいいかもしれない。
「中からは何も出て来ないわよ」とひぃなが笑う。
「そうだね。ひぃなは最後の小さな人形っぽいよね」と言うと、ひぃなは頬を膨らませて拗ねてみせた。
でも、周囲の人たちから手厚く守られていて、あながち間違った印象でもない。
「赤いサラファンって、昔は結婚式の時に着られていたのよ」と気を取り直してひぃなが語った。
まだ小学生に見えるひぃなが結婚という言葉を使っても、背伸びして大人ぶっているように私の目に映ってしまうが、つんと澄ました表情には歳相応の色気があった。
私は彼女の前に片膝をついてひざまずき、彼女の右手を取る。
その甲に口づけして見上げると、ひぃなは驚きで固まっていた。
「いついかなる時も、私、日野可恋は日々木陽稲を守り、幸せにすると誓います」
彼女の頬は見る見るうちに紅潮し、見開かれた鳶色の瞳に私が映っているのが見えた。
やり過ぎて失神しちゃうんじゃないかと焦り、私は慌てて立ち上がる。
ひぃなを抱き寄せ、耳元で「大丈夫?」と囁くが反応がない。
お姫様抱っこでソファまで運び、そこに寝かせた。
何か飲み物でもと思い、離れようとしたが、彼女は私のスウェットをギュッとつかんだままだ。
「ごめん、やり過ぎたね」とひぃなの顔を覗き込みながら言うと、彼女は首を横に振った。
彼女が落ち着くまでしばらくその姿勢を保つ。
ようやくひぃなが絞り出すように言葉を漏らした。
「幸せすぎて怖いくらい……」
私は彼女の横で膝立ちになり、微笑みながらその顔を撫でる。
彼女の言葉は私の想いでもある。
いまこの瞬間に世界が終わっても私は幸せだ。
しかし、この至福の時を終わらせたのは私だ。
永遠を夢見ない現実主義者である私は「飲み物を取って来るね」と言って立ち上がった。
ひぃなは名残惜しそうに私のスウェットから手を離す。
その幼い指先を見て、心が痛んだ。
それでも私はキッチンに向かう。
この幸せに浸るのではなく、この幸せを一秒でも長く保ち続ける環境を作ることが私の役目だった。
紅茶を淹れて戻って来た時にはひぃなは起き上がりソファに腰掛けていた。
まだちょっとボーッとしているように見える。
今日はロシア風にジャムを何種類か添えて持って来たが、ひぃなは無造作にいちごジャムをスプーンに取り、ドバッと紅茶に突っ込んだ。
それをかき混ぜ、口を付けると、「甘っ」と叫ぶ。
「入れすぎだよ」と私は笑い、席を立ってマグカップとホットミルクを取りに行く。
ティー・オレのジャム風味ましましという感じになり、普通に飲めるようになったと思う。
ひぃなはそれを一口飲み、「ごめんね、ありがとう」と小声で言った。
そして、何かを決意した表情で、ソファの自分の隣りをポンポンと叩いて、「こっちに来てくれる?」と私を呼び寄せた。
私がひぃなの隣りに腰掛けると、彼女はその小さな両手で私の手を取った。
包み込むように握ると、私を見上げる。
「わたしも、わたしも誓うから。わたしはずっと可恋の側にいるからね」
そう語ったひぃなは大人びていた。
人は覚悟をすることで大人になるのなら、いまこの時が彼女が大人になった瞬間なのかもしれない。
「ありがとう」
彼女は私が庇護するだけの存在ではない。
私とともに歩む者だ。
私にはないものをたくさん持っていて、時に私を凌駕する力を振るう。
……それが私を困らせる方向に行くこともあるけどね。
ひぃなはとろんとした眼差しで、顔も赤く染まったままだ。
気になっておでこに手を当てると少し熱っぽかった。
「風邪かも」と私が口にすると、「大丈夫だよぉ」と甘えた声で反論する。
「言うことを聞かないと家に送り返すよ」と言うと、おとなしく従うようになった。
今日から二泊の予定で意気揚々とお父さんに連れられて来たから、この言葉は効いたようだ。
熱を測り、ソファにまた寝かせて毛布を掛ける。
熱は微熱があるかどうかという程度で、単に興奮しすぎたせいかもしれない。
「いまから夕食の準備をするから、その間は横になってて。食べたあとも体調が悪いようならおうちに連絡するからね」
私がそう言うと、「可恋がドキドキさせるから」だとか「せっかく良いムードだったのに」だとか、ひぃなはぶつぶつと不平を零した。
普段の子どもっぽさが蘇り、惜しいようなホッとするような複雑な気分になる。
私の方が覚悟が足りてないのかもしれない。
形は大人のようでも、まだまだこういった部分は経験不足で未熟だと自覚する。
……ひぃなに置いて行かれないようにしないとね。
私は優しくひぃなの手を握りながらそう思った。




