令和元年11月29日(金)「寒さ」日々木陽稲
「その姿で授業を受けるつもり?」
久しぶりに登校してきた可恋にわたしは尋ねた。
「そうよ」
口を開くのも億劫そうに可恋は答えた。
マスクでその口元は見えなかったけど。
この時期マスクをしている生徒は多いので、それは分かる。
しかし、ニット帽に耳当て付きネックウォーマー、制服のブレザーの下は明らかに着ぶくれ状態で、分厚い膝掛けの下はスカートの中から防寒用のレギンスがのぞいていた。
厚手の手袋もしたままだし、これから授業を受けるようには到底見えなかった。
これが可恋でなければ折角の可愛らしさが台無しだとケチをつけるところだが、誰よりも体調管理が必要な彼女には何も言えない。
今朝も寒かったから、むしろ学校に来たことに驚いたほどだ。
「寒いのによく来たよねって褒めた方が良い?」
「小鳩さんの尻を叩きに来たのよ」
可恋は無表情でそう口にした。
小鳩ちゃんからは一昨日可恋に連絡したいとLINEで聞かれた。
文面からだけでは分からないが、いつもの堅苦しい言葉ではなかったのでかなり慌てていたのだろう。
「何かあったの?」と尋ねると「ここではね」と可恋は言葉を濁した。
詳しい事情を聞いたのはお昼休みの生徒会室の中でだった。
生徒会室に出入りするのは可恋ひとりの時が多く、わたしが付き添うことは少ない。
小鳩ちゃん以外の生徒会役員はかろうじて面識があるという程度だ。
それでもだいたいの人間関係は把握している。
「教師の動向には注意していても足下の生徒会役員たちの関係には気付かなかったなんてね……」と可恋は大げさに肩を落として小鳩ちゃんを責める。
「……可恋」と諫めようとすると、「まあ、小鳩さんがこうなのは分かっていたんだから、前生徒会長には自分の任期中にけりをつけておいて欲しかったわね」と言って可恋は溜息をついた。
今日の可恋はいつもよりイライラした感情が表に出ている。
「終わったことを言っても仕方ないじゃない」とわたしが言うと、可恋は肩をすくめた。
「どちらを選ぶかなんて考えるまでもないことだし、時間を掛けたところで改善の余地はないわ」
可恋の言葉にも小鳩ちゃんは押し黙ったままだ。
新しい生徒会長になり、その決断の重さが小さな身体にのし掛かっているように見える。
「小鳩ちゃんが言いにくいのなら、わたしが言ってあげるから」と助け船を出すと、「それは私の役目」と可恋がキッパリと言う。
「でも……、私が……」と自信を失くした様子の小鳩ちゃんが口を開くが、「トップの仕事は適宜決断すること。それ以外は得意な人に任せなさい」と可恋は冷たく言い放った。
生徒会長の椅子に座る小鳩ちゃんに可恋がにじり寄り、プレッシャーを掛ける。
ついに根負けするように小鳩ちゃんがうなだれ、「……彼に言って来てもらえますか」と可恋に託した。
決断することの難しさ。
特に今回は他人の進退についてだ。
2年生の彼は自分の気持ちを告白しただけで何も悪いことはしていない。
だが、今後の生徒会活動のためには、彼に辞めてもらうことで丸く収まる。
悩むよね。
ましてや生徒会長になったばかりだ。
いきなりこんな決断を迫られて可哀想だと思う。
可恋が愚痴を零したくなる気持ちは理解できる。
可恋が言ったように時間を掛けて悩んだところで良い解決法が浮かぶという問題ではないだろう。
だったら早く決断させてこの苦悩から解放させてあげようという可恋の思いが、今日の彼女の態度に繋がっていた。
わたしを連れて来たのも小鳩ちゃんのこのあとの精神的なフォローをして欲しいからだろう。
ただ最近積極的にヒール役を引き受ける可恋へのフォローも必要だとわたしは感じていた。
可恋は通告の役目を引き受けると、「来春に次の1年生役員が入ってくるまでという期間限定だけど、うちのクラスの千草さんに生徒会の仕事を手伝って欲しいと要請してる。大きな仕事は卒業式と入学式くらいだろうし、引き受けてもらえるんじゃないかな。塾通いがあるからそこは考慮してあげてね」と小鳩ちゃんに告げてから出て行った。
1日で生徒会の問題を解決した可恋と一緒に彼女のマンションに行く。
学校の正門前にあるそこにわたしは毎日のように立ち寄っている。
遠隔操作でエアコンが稼働しているこの部屋はいつ来ても快適だ。
部屋から出ることを嫌がる可恋の気持ちは分かる。
「お疲れ様」とわたしが声を掛けると、可恋もようやくホッとするような表情を見せた。
休んでばかりだった可恋と違って、真面目に登校していたわたしにとっては待望の週末だ。
なんと言っても明日はキャシーの家で感謝祭のパーティが開かれる。
この日をどれだけ待ち望んでいたことか。
「可恋は明日どんなドレスを着ていくの?」とわたしがにこやかに尋ねると、「明日も寒そうだね」と答えになっていない答えを返した。
「ダメだよ! パーティは屋内なんだから」とわたしが言っても、「移動は電車なんでしょ」と可恋は乗り気ではない。
お姉ちゃんやその友だちも参加するので、電車を利用することになっている。
「大丈夫だよ。コートを上から着れば」と可恋を説得していると、可恋のスマホに着信があった。
『どうしたの?』と可恋は英語で電話に出る。
キャシーからだろう。
可恋はすぐにスピーカーに切り替え、キャシーの声がわたしにも伝わった。
『大変なの! どうしよう! 助けて、カレン! 助けて、神様!』
こんなに焦ったキャシーの声は初めて聞いた。
いったい何が起きたのだろう。
『落ち着きなさい。何があったのか話してくれないと助けることはできないわ』
『明日、信じられないくらい多くのクラスメイトがやって来るんだ!』
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・中学2年生。コミュニケーション能力が高く、人の感情を読み取ることが得意。いや、でも、あれはみんな気付くでしょ……。
日野可恋・・・中学2年生。生徒会を便利使いしている。本人曰く、生徒のための組織なんだから当然でしょ。
山田小鳩・・・中学2年生。新生徒会長。就任早々に1年生役員の退任騒動が発生した。頭が良く、事務能力は高いがコミュ力は低い。
キャシー・フランクリン・・・14歳。G8。7月に来日した黒人の少女。日本で空手を学び始めた。




