令和元年5月26日(日)「初潮」日々木陽稲
昨日はいつものように可恋の家に泊まる予定だった。
でも、可恋に自宅まで送ってもらった。
連絡は入れておいたけど、お姉ちゃんは心配そうな顔をしていた。
お母さんは明るい顔で迎えてくれた。
可恋は「明日、顔を見に来るよ」と言って帰って行った。
お姉ちゃんはわたしの部屋までついて来てくれた。
わたしは心も、身体も、どんよりと重く、着替えるのも億劫でベッドに倒れ込んだ。
お姉ちゃんが「お母さんは赤飯作りたがると思う」と言うので、わたしが嫌な顔をすると、「止めてくる」と笑って出て行った。
なんとか起き上がり、着替えてからベッドに横になる。
暑いと思うのに、身体の芯は冷えているように感じた。
食欲がないと言うと、お母さんがヨーグルトやゼリーを持ってきてくれた。
わたしが上体を起こしてそれを食べていると、お母さんが横に来て寄り添うように座った。
そして女の子の身体のことや生理用品の使い方なんかを改めて丁寧に教えてくれた。
何年か前に純ちゃんに初潮が来た時、わたしは彼女に色々と説明した。
聞きかじった知識をお姉さんぶって。
今にして思うと、なんて恥ずかしいことをしたんだと布団の中に潜り込みたくなる。
朝のジョギングを休むことは前夜のうちに伝えていたけど、軽めの朝食を摂っていると純ちゃんがやって来た。
病気じゃなくて、生理が来ただけだからと説明すると安心してくれた。
午後には可恋が来た。
七分袖のストライプ入りのシャツに白スキニー、つばの狭い麦わら帽をかぶっている。
見た目はもう夏といった感じだ。
可恋と対面すると昨日の記憶が蘇る。
あの場では裸でいることが当たり前のようになっていたけど、いま振り返ればなんてことをしていたんだろうと思ってしまう。
それでも脳裏に浮かぶのは可恋の美しい姿だった。
みずみずしい肌に、均整の取れた体型。
贅肉なんてひとかけらもなく、出るところは出て、引っ込んでいるところは引っ込んでいる。
特に、あの胸。
わたしのあるかないか分からない胸は論外としても、純ちゃんよりも大きいんじゃないか。
形も重力に逆らうようにグッと形良くまとまり、彫刻のようだった。
高木さんの指示でその胸に顔をうずめたのだ。
張りがあるのに柔らかくて、何と例えたらいいか分からない。
独特の感触が心地よかった。
そこに可恋の汗の匂いが加わって、わたしはとろけ落ちた。
それ以降のことは頭がぼーっとしてあんまりよく覚えてない。
気付いたらぐったりと疲れていて、トイレに行ったらパニックになってしまった。
「昨日は本当にありがとうね」
わたしは赤面して感謝の言葉を述べる。
「気にすることないよ。困った時はお互い様だから」
可恋には生理用ショーツを、高木さんにはナプキンをもらった。
鞄には万一に備えて入れておいたのに、その鞄を可恋の家に置いてきていた。
年齢的にいつ来てもおかしくないと思っていたのに、まだどこか自分には縁のないものという意識があったのかもしれない。
「ナーバスになるのは分かるけど、これからのことを考えよう」と可恋がわたしのおでこに手を当てる。
「私は軽い方だけど、生理痛やPMSはきつい人は大変みたい。体質の問題もあるけど、ストレスを減らし、規則正しい生活をして、適度な運動と適切な食事を心がけていこう」と可恋がにっこりと笑う。
可恋自身、免疫力が極度に低いというハンディキャップを持っている。
医療や健康の情報は相当調べているらしい。
そして、極端な健康法やお手軽な情報を信じず、基本に忠実がベストだという結論に達したそうだ。
「お昼、ちゃんと食べた?」と聞かれ、「少しだけ」と答えると、困った顔で「少し甘やかし過ぎだよね」と言って部屋を出て行った。
待ちくたびれていると、30分ほどしてトレイを抱えて戻って来た。
「鳥のささみの炒め物、作ってきた」とトレイを私の前に差し出す。
あんまり食欲ないなあと思っていると、「食べさせてあげるね」と可恋がベッドに腰掛ける。
自分の膝の上にトレイを置き、箸でわたしの口にささみを運ぶ。
仕方なく食べると、可恋が微笑む。
親鳥がヒナにせっせと餌を与えるように、可恋が箸を動かす。
皿が空になった時には、わたしのお腹は限界に近かった。
「ひぃなって、太ることを怖がってるでしょ?」
突然、問われて、何も答えられなかった。
「ダイエットじゃなくて、太りたくないって気持ちが強いみたいね」
図星だ。
「私はひぃなが心配なの」
わたしの目を真っ直ぐに見て可恋が言った。
「ロシア系の女性って年を取るとぶくぶく太るイメージがあるじゃない?」とわたしは言い訳する。
実際にはロシア系の血はほんのわずかしか流れていないはずだけど、外見はロシア系に見られることが多い。
「私は自分の心や身体をコントロールすることが使命のように感じているの」と可恋が目を細めてわたしを見つめながら言った。
その言葉は何度か聞いたことがある。
「ひぃなにも、やってもらうね」
「む、む、無理だって!」
わたしは即答した。可恋の真似なんてできるはずがない。
「私と同じようにとは言わない。ひぃなのできる範囲で構わない」
「……それなら」と可恋の真剣な表情にわたしは同意してしまう。
「基礎体温や体重、消費カロリー、食事の内容を全て記録すること。筋トレも十分にできていないようだから、メニューを組みましょう。食事については先ほどひぃなのお姉さんやお母さんに話してきたから、出されたものはちゃんと完食すること」
「できる範囲って……」と反論するが、「ここまでは最小限ね。これ以上はできる範囲で考えていきましょう」と可恋は意に介さない。
「……鬼」
「ひぃなのためなら鬼にだって悪魔にだってなるわよ」と笑う。
こういう時の可恋はまさに悪魔だ。
「でも、そうね。ちゃんとできたらご褒美あげるわよ」と可恋が続ける。
「ご褒美?」
「うーん、5月はもう終わりだから、6月から始めて1ヶ月続いたらご褒美に1回何でも言うことを聞いてあげる」
「やる」
わたしは即答してしまう。可恋はしてやったりの表情だ。
「可恋は記録とかつけてるの?」とわたしが尋ねると、「うん。病気と付き合う上では大切だから」と何でもないことのように話す。
「そっか」とわたしが同情するように相づちをうつと、そんな同情を吹き飛ばすように、「じゃあ、できなかったら罰ゲームね。ひぃなになんでも言うことを聞いてもらうから」と可恋は宣言する。
「えー」とわたしは頬を膨らませて抗議する。
でも、大丈夫。
ご褒美のためなら絶対に頑張れるはずだ。
明日は可恋視点の予定です。




