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令和元年9月22日(日)「勝負」日野可恋

「思ったよりたいしたことなさそうね」


「ご期待に添えず申し訳ありません」と私は深々と頭を下げた。


 初めて対面した神瀬こうのせ舞さんが私をじっと見つめ、最初にかけた言葉がそれだった。

 舞さんは現在世界ランキング2位の空手選手。

 東京オリンピックではメダルが確実視されている。


 先日東京で行われた世界大会で優勝したお祝いの席に呼んでいただいた。

 家族だけの気安い場だからと言われ、キャシーとひぃなを連れて来た。

 実際、舞さんはジャージ姿だし、私、キャシー、妹の結さんはジャケットにスラックスという比較的ラフな格好で、女の子らしく着飾っているのはひぃなだけだった。


 いきなりの発言によって空気が一瞬で凍り付いた。

 すぐに彼女の両親が取りなしてくれたが、「言い過ぎたわ。今日は楽しんでいってね」と舞さんは気にも留めずに平然と言った。

 結さんは「舞姉……」と悲愴な顔で呟き、ひぃなは目付きがわずかに険しくなっている。


「ありがとうございます。そうさせていただきます」


 私は何ごともなかったかのように微笑んだ。


 食事は和やかとはほど遠いムードで始まったが、キャシーのお蔭で雰囲気を変えることができた。


『マイ、お前の組み手の試合を見たぞ。私と戦え』


 誰彼構わず戦いたがるキャシーの真骨頂が出た。


『結や、そっちの彼女に勝てるようになったらね』と舞さんが軽くあしらう。


『世界チャンピオンだろ? どんな挑戦でも受けて立て!』とキャシーは無茶を言って食い下がる。


『私は世界チャンピオンじゃないし、たとえそうでも弱い人とは戦いたくないわ』


 ウザいと思っている気持ちを顔に出して舞さんが言い放った。


『ワタシは弱くないぞ!』


『だったら結果を示しなさい』


『ユイ、いますぐ戦え。ワタシはこの前よりも強くなったぞ!』


 話を振られた結さんはいい迷惑だ。

 北海道では相手にならなかったが、1ヶ月経って果たしてキャシーがどれほど強くなったのかには興味があった。

 結さんは助けを求めて私を見ている。

 彼女の家族は全員面白がって眺めているだけだし、どこからも救いの手が届けられなかった。


『無理です。だいたいどこで戦うんですか。お店の中ですよ!』


 至極まっとうな意見だが、熱くなったキャシーには通じない。


『表に出ろ!』とキャシーは立ち上がった。


 まるで映画の主人公にでもなった気分なのだろう。


『キャシーはもう食べないのね』と私が言うと、キャシーは慌てて椅子に座った。


 私としては舞さんの話が聞きたかった。

 しかし、舞さんは結さんに話を振り、結さんは私のことを熱く熱く語る時間が続いた。

 空手のことならまだしも、昨日見たダンスの話をされてもみんな困るだろうに。


 結さんは周りの空気に気付かず、思いの丈を喋り尽くしてすっきりした表情をしている。

 この微妙な間を埋めようと、ひぃなが「空手とダンスって似ていたりするんですか?」と質問した。


「まったく関係ない」と舞さんが素っ気なく答えた。


「当たり前だけど、関係は深いよ」と私が舞さんの返答を無視してひぃなに答えた。


 自分の何気ない発言が新たな対立の火種となったことに、ひぃなはギョッとした顔になった。

 そんなひぃなに悪いなと思いながらも、私は言葉を続ける。


「ダンスも空手の形も自分の身体をいかにコントロールするかに特化した競技だからね」


 どちらも相手がいてリアクションが求められる競技ではない。

 空手の形は戦いを想定して作られているが、あくまで決められた動きが求められる。


「わたしもあまり関係がないと思っていたんですが、昨日の日野さんのダンスを見て、考えを改めました」と結さんが昨日のダンスを思い出して陶酔しながら言った。


 自己の身体をコントロールする系統の競技は、体操などのようにより極限の難度を目指すものやダンスなどのように表現力を競うものといった方向性の違いがある。

 空手の形も力強さなどの表現力と、技の精度といった技術力の両方を求められる。

 技術力の求められ方が体操のような限界の難しさに挑むというより、決められた動きの中での緻密さを要求される点でダンス的だという話を私は繰り広げた。


「でも、日野さんは組み手の稽古もしていますよね? その考えだと組み手はまったく別の競技になりますよね?」


 結さんが真剣な眼差しで質問してきた。

 さすがに空手のことになると彼女も貪欲だ。


「そうだね。組み手は自分じゃなく相手をコントロールすることを目指すからね」と私は頷いた。


「組み手と形は空手の両輪だと思うから私は両方に取り組んでいるけど、それが相互に効果を与えるのかどうかは分からない。初心者のうちはもちろん影響するでしょう。でも、舞さんクラスになると、組み手に時間を割く価値があるかどうかは疑問だと思う」


 私は結さんの質問に答えながら舞さんをチラッと見た。


「組み手の試合で演武をしようとするのはやり過ぎよね。空手の精神に反しているし」と言葉を続けると、その意図を察した結さんの表情が強張った。


「あれは、若気の至り」と舞さんが私の視線を受けて呟く。


 私は勝ったかのような気分でいた。

 そこに冷水を浴びせたのはキャシーだった。


『カレン、間違ってるぞ!』


 どうやらひぃながずっと通訳していたようだ。


『形だって相手との勝負だ。勝たなきゃ意味がないだろ!』


 そんな話はしていなかった。

 誤解だと言えば済んだのに、私は手を誤った。


『私の空手の形は相手に勝つためにやってる訳じゃないから』


『どこがだよ。勝ちたいという気持ちが伝わってくるぞ! 相手に勝とうとするのが空手じゃないのか?』


 キャシーにはっきりと指摘されて、私は押し黙る。

 ぐうの音も出ないとはこのことだ。


「勝負あったんじゃない?」と舞さんが愉快そうに笑う。


「そうですね」と答えた私は、『そうね、キャシーが正しいわ。私は勝負にこだわっているし、それを誤魔化すのは相手に失礼だったわ』と反省の弁を述べた。


 それを聞いていい気になったキャシーは、『ところで、カレンとマイは組み手ならどっちが強いんだ?』と聞いた。


『『私よ』』とふたりの声がハモった。


「中学生が勝てると思っているの? バカなこと言わないで」と舞さんが鼻で笑えば、「組み手の稽古をしてない人には負けません」と私は胸を張った。


 一触即発という空気は、ふたりが同時に笑い出したことで霧散した。


『仲が良いな』とキャシーが笑うと、舞さんは顔をしかめたが、私は『光栄だわ』と笑顔を見せた。


『食事が終わったら、わたしはキャシーさんと戦うから、舞姉も日野さんと戦ってよ!』とさっき誰も助けてくれなかったことを根に持っていた結さんが、あえて英語で発言した。


 キャシーは歓喜している。


『私は戦うとは言ってないよ』と私が否定すると、舞さんが『いいよ、戦ってあげる』となぜか勝ち誇った顔をした。


「あとで困りますよ」と忠告したが、無視されてしまった。


 食事が終わると、キャシーはやる気満々だ。

 結さんも覚悟を決めた表情をしている。

 みんな動きやすい服装とはいえ、路上ファイトはさすがにまずい。

 話し合いの末、神瀬こうのせ家の道場に行くことになった。


 結さんとキャシーの勝負は結さんの完勝だった。

 キャシーはこの1ヶ月の成長を示したが、組み手の稽古も熱心に取り組んでいるという結さんの敵ではなかった。


『次はフルコンタクトの異種格闘技戦で』とキャシーはリクエストしたが、『一撃で沈められるよ』と私は彼女を諭す。


 彼女はまだ本当の打撃系の怖さを理解していない節がある。

 一度、フルコンタクト空手を経験させた方がいいかもしれない。


 そんなことを考えていた私に舞さんが「どうする?」と声を掛けた。


「やります」と即答する。


 こんな機会は二度と訪れるか分からない。

 舞さんは、嫌そうな、それでいて楽しそうな、なんとも微妙な表情を浮かべた。

 空手着を借りて準備運動を始める。

 その時間を利用して戦い方を考える。

 実力差は相当あるが、やるからには勝ちたい。

 口ではどう言ったところで、私は根っからの負けず嫌いだ。


 舞さんの組み手の試合の映像を見たが、何年も前のもので参考にならない。

 しかも、さっきも指摘した通り、本気の戦いではなかった。

 今日は力の差を見せつけるために最初から一気に来るはず。

 ……と思わせておいて、私が先手必勝に来るところを待ち構えているかもしれない。


 戦いは消耗戦になった。

 互いに有効打はなく、防御を重視した戦いとなった。

 私は舞さんの動きをじっくり見て戦おうと考えた。

 向こうも同じ考えだったようだ。

 実力はやはり向こうが上だ。

 本気で来られたら、勝てる見込みは少ない。

 それでもカウンターならチャンスはある。

 それが分かっているから相手も動けないのか、それとも私が焦れるのを待っているのか……。


 一瞬でも気を抜けば勝負が付く。

 それではつまらないので、少しでも粘るために私は神経を研ぎ澄ませる。

 フェイントをかけたり、わざと隙を見せたりするが、相手も警戒して無理をしてこない。

 動きの量は少ないのに、試合の重圧でスタミナが減るのが速い。

 呼吸は苦しくなり、汗が噴き出る。

 スタミナ勝負なら相手が上だ。

 それでも私は勝機をうかがい、じっくりと戦い続ける。


 精神がすり減れば、一か八かに打って出たくなる。

 そんな気持ちに耐えていると、ついに舞さんが攻勢を仕掛けてきた。

 ……ように見えた。

 誘いなのか、本気なのか。

 瞬時に決断しなければならない。

 私は防御を選び、試合に敗北した。


「少し見直したわ」と舞さんに声を掛けられた。


「ありがとうございます」と私は深々と頭を下げた。


 私の背後では、キャシーが懲りずに『ワタシと戦え』と吠えている。

 結さんは複雑そうな表情でこちらを見ていた。

 ひぃなは心配そうだ。

 私は振り向くとひぃなに微笑みかけて、大きく息を吐いた。




††††† 登場人物紹介 †††††


日野可恋・・・中学2年生。空手・形の選手。大会への出場には興味がない。


日々木陽稲・・・中学2年生。キャシーの通訳兼付き添いという感じで参加した。でも、スポーツには疎いので通訳に悪戦苦闘した。


キャシー・フランクリン・・・14歳。G8。空手・組み手の選手。空手歴はまだ2ヶ月。アメリカでレスリング経験あり。


神瀬こうのせ舞・・・大学生。空手・形の選手。日本のエース。両親も空手家で道場やスポーツジムを運営している。現在は独り暮らし。


神瀬こうのせ結・・・中学1年生。空手・形の選手。舞の実妹。歳の離れた姉とは一緒に過ごす時間があまりない。全中の準優勝者。

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