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令和元年9月21日(土)「ハレの服」神瀬結

「緊急事態が起きたの!」


 わたしはそう言って今日の稽古を休んだ。

 まさに緊急事態だった。

 昨日、日野さんから連絡があった。

 キャシーさんの付き添いとして、日野さんの学校の運動会に来て欲しいと。

 天にも昇る心地とはこのことかと思うほど喜んだ。

 これを緊急事態と言わずして何と言えよう。


 稽古は強引に休むことができたけど、困ったのは着ていく服のことだ。

 夏休みに日野さんがうちの道場を訪問してくれた時も困り果てた。

 その反省を生かして、準備はしていた。

 クラスのチャラチャラした女子に頭を下げ、買い物に付き合ってもらい、わたしでも可愛く見える服を選んでもらった。

 でも、それは明日の日曜日に着るつもりなのだ。


 明日は家族で外食の予定だ。

 ささやかながら身内だけで姉の優勝を祝おうと企画された。

 優勝を祝う席は他にもいろいろと用意され、姉は引っ張りだことなっている。

 ますます忙しくなった姉だが、わたしが熱く語った日野さんのことに興味を持ち、会ってみたいと言い出した。

 日野さんも忙しいようでなかなか日程の調整が難しく、この家族の食事に招くことで姉の希望を叶えることになった。

 わたしは日野さんとの再会を待ちわびていたが、思わぬ形で一日早く会うことになった。


 二日続けて同じ服を着る訳にはいかない。

 学校の制服は無難だけど、オシャレとは言えない。

 ジャージなんて論外だ。

 明日の服のことは明日考えようとわたしは決心し、今日着ていくことにした。


 朝、無事にキャシーさんと合流し、なんとか時間通りに日野さんの学校までたどり着いた。

 キャシーさんも運動会に興味津々だから言うことを聞いてくれていたが、運動会が始まったら彼女を口だけで止められるか不安に感じた。

 着慣れないロングスカートは普通に歩くだけでも戸惑ってしまう。

 運動場に案内され、日野さんから借りたシートに座って待つ。

 しかし、始まるまでが長い。

 準備が遅れているようだ。

 すぐに退屈し始めたキャシーさんがうろうろしようとする。

 わたしの英語はカタコトより少しマシな程度なので、言葉で言い聞かせるのも大変だ。

 歳上と思う必要はないと日野さんは言うが、上下関係に厳しい世界で育ったからそう簡単に切り替えられるものではない。


『キャシーさん、お願いします。いま学んでいる空手を見せてもらえますか?』


 キャシーさんの気を引くには空手の話をするしかないが、この服装だと一緒に身体を動かすことはできない。

 キャシーさんはひとり真夏のようなTシャツに短パンルックだ。

 周りの保護者たちから奇異の目で見られるのは承知の上で、彼女に空手の形をやってもらい、わたしが指導することにした。

 見本を見せることができないので、この服にしたことを後悔してしまう。


 幸い、保護者席の一角で身体を動かしていても注意しようという人は現れなかった。

 180 cmを越える黒人女性に邪魔だなんて言える日本人はそう多くない。

 キャシーさんが形だけだと飽きてきた頃にようやく生徒が入場してきた。

 慌ててキャシーさんを座らせたが、最前列に陣取る彼女は生徒たちからも注目を浴びている。


 生徒の中に日野さんがいないかとキョロキョロしていると、わたしの横から『カレン!』という叫び声が聞こえた。

 キャシーさんは大きく手を振っている。

 生徒たちの中に駆け出して行きそうなキャシーさんをどうやって止めようか悩んでいると、ひとりの生徒がこちらに歩いてきた。

 日野さんだ。

 大声で早口の英語をまくし立てる。

 わたしでは聞き取れない。

 キャシーさんも楽しそうに大声で話している。

 わたしは体操着姿の日野さんに見とれていた。


「大変な仕事を押しつけてごめんね。言いつけに背いたら明日呼ばないって言ったから、それでなんとか脅迫して」と日野さんはわたしに微笑んだ。


「一命にかえても守ってみせます」と真剣に答えると、わたしの肩をポンと叩いて「結さんも楽しんでね」と言ってくれた。


 キャシーさんは明日の食事に日野さんと一緒に来ることになっている。

 日々木さんもキャシーさんの暴走を止めるためについて来るそうだ。

 もし、今日の運動会でキャシーさんが日野さんの言いつけを守れなかったら、明日来るのは日野さんだけかなと一瞬頭をよぎった。

 でも、キャシーさんを止められなければわたしも同罪だ。

 わたしは頭を振ってその考えを追い払った。


 他校の運動会を見学するのは初めてで、少し不思議な感じがした。

 体育会系の部活に所属する生徒にとって運動会は晴れの舞台だ。

 当然わたしも運動会はワクワクするし、活躍して当然だと思っている。

 見ているだけというのは物足りない。

 キャシーさんじゃないけど飛び入り参加できる競技があればいいのにと思ってしまう。


 開始が遅れたせいか、いくつかの競技は中止になったようだ。

 進行もバタバタした印象だ。

 そんな中で1年生の創作ダンスが始まった。

 大人数で踊るので見映えは良いが、よく見るとバラバラな感じで質は高くない。

 途中で数人のグループが前方に出て来て踊った。

 上手いことは上手いが、このくらいならわたしでもすぐにできそうだ。

 キャシーさんはちゃんと座ってはいたけど、音楽に合わせて身体を左右に動かしていた。

 わたしはダンスよりもキャシーさんの動きが気になった。


 昨日は、雨が降るから創作ダンスだけが実施されるだろうと言っていたので、日野さんがどの競技に出場するのか聞き忘れた。

 プログラムも日野さんからもらったが、その通りには進行していないようだ。

 日野さんを見逃す訳にはいかないと思っていたら、キャシーさんが『カレン! ヒーナ!』と名前を呼んだ。

 大集団が運動場に現れた。

 どうやら2年生の創作ダンスが始まるようだ。


 キャシーさんの視線を追って、日野さんの姿を見つけた。

 音楽が流れ出す。

 集団が一斉に踊り始める。

 1年生とは比べものにならないほどのダンスだ。

 そして、数人が前に出る。

 そのダンスも先ほどの1年生とは次元が違った。

 わたしはつられるように身体を動かした。

 キャシーさんは隣りで立ち上がり、踊り始めている。

 後ろの人に迷惑が掛かると思い振り向くと、誰もいなかった。

 正面の良い席なのに、こうなることを予測していたのか、みんな彼女の後ろを避けて座っている。


 最初のグループのダンスが終わると、また全体で少し踊り、次に出て来たのは日野さんたちだった。

 最初のグループは4人だったのに、今度は7人もいる。


 ……日野さん、センターじゃないんだ。


 そんな不満を吹き飛ばすほど、みんな上手い。

 前に踊った4人はとても上手いと感じたが、それよりも確実に動きが良く、初めてこれは簡単には真似できないと思った。

 観客席からもどよめきが起きる。

 特に真ん中の三人はプロかと思うくらいにキレキレだ。

 もちろん、日野さんもその三人に負けていない。


 空手の形とダンスは似ているところも少しはあるが、ほとんど別物だと思っている。

 形も団体なら息を合わせるので似てくるけど……。

 日野さんのダンスを見ていると、もう少し本質的な部分で似たものがあるのかもしれないと思った。


 日野さんのグループはメインは7人だが、何度か他にも加わり10人くらいになったかと思うとまた抜けるみたいに動きがあって面白い。

 抜きん出た4人に比べれば他は見劣りするとはいえ、公立中学のひとつのクラスでこれだけのダンスが見せられることにびっくりした。

 それに……なんなの? って思ってしまうくらいに可愛い子が多い。

 グループダンスのフィニッシュが決まり、割れんばかりの拍手が巻き起こった。

 日野さんを注視していたわたしは、フィニッシュのあとに目配せした相手が日々木さんひとりだったことを確認し、少し安堵した。


 このあとに踊るのは大変だろうなという予想に反して、次々と登場したグループはしっかりと踊り切った。

 さすが2年生と言うべきか。

 レベルは若干見劣りしたが、意外とみんな精神的に強いなと感じた。


 自分のクラスだったら、このレベルのダンスができるかどうかと想像してしまう。

 運動部には力を入れている私立中学なので、身体能力の高い生徒は多い。

 ダンスができるかどうかも問題だが、見た目の問題もある。

 ゴリラが踊っても……と自分を棚に上げて思ってしまう。

 それに、お山の大将みたいな子が多いので、それをまとめられるかどうかも大いに疑問だ。


 そんなことを考えているうちに昼食休憩になった。

 日野さんがわたしとキャシーさんのお弁当を持って来てくれた。

 日野さんの手作り弁当というだけでわたしはテンションがマックスになる。

 もったいなくて食べられない思いだったが、そういう訳にもいかず美味しくいただいた。

 ああ、もう、いつ死んでもいいと思うくらいの気分だ。


 午後の競技では、3年生の創作ダンスを見た。

 3年生は2年生とあまり変わらず、全体を通して見ても日野さんのグループがナンバーワンだと思う。

 おそらく異論を挟む人はいないだろう。

 本当に感動した。


 最後に学年別のクラス対抗リレーが行われ、日野さんがアンカーとして登場した。

 日野さんの華麗な走りに狂喜したけど、彼女よりも速い女の子がいて驚かされた。

 あとで聞くと、陸上部のエースで県でトップクラスの子らしい。

 走り終えたあと、悔しそうな表情を見せず、相手を称え、タオルで汗を拭う凜々しい姿に見惚れてしまう。


 リレーに興奮してワタシも走ると言い出したキャシーさんに、『閉会式の間、トラックを走っていていいよ』と言う日野さんも日野さんだが、本当に走るキャシーさんには開いた口が塞がらなかった。


 運動会が終わってから、日野さんの自宅に招待された。

 学校の正門の目の前にあるマンションで、広々としたリビングがあり、高級なトレーニングマシーンも設置してあった。

 わたしはついはしゃいでしまい、キャシーさんと交互にトレーニングマシーンを使わせてもらった。

 服のことに気付いたのはしわくちゃになったのを見てからだ。

 日野さんがお茶の支度をしてくれている間の出来事で、「トレーニングウェアを貸せばよかったね」と言われて、「わたしの不注意ですから」とうなだれた。


「明日返してくれればいいから、帰りの服を用意するよ」と日野さんは優しく言ってくれる。


「ご迷惑ですから……」と恐縮していると、それまで黙って見ていた日々木さんが「選んできてあげる」と近くの部屋に入っていった。


 しばらくして戻って来た彼女は「これを着てみて」と服を手渡してくれた。

 受け取ったもののどうしていいか分からないわたしは、すがるように日野さんを見た。

 日野さんは別の部屋に案内して、ここで着替えてと言った。

 躊躇っていると、「遅くなっちゃうよ」と言って日野さんは部屋を出た。

 もう腹を決めて、急いで着替えることにする。

 ワイシャツにデニムのズボン、厚みのある茶系のジャケットを着て、みんなの元に戻った。


「よく似合っているよ」と日々木さんはにっこりと微笑んでくれる。


 そして、わたしが着ていた服を手に取り、綺麗にたたみ始めた。

 キャシーさんは「ナイスガイ!」と笑顔で言い、日野さんは「こういうのもありだけど、可愛い系も捨てがたいと思うよ」と頬に手を当てて言ってくれる。


 なんだか気恥ずかしくなって、顔が真っ赤になるのが分かる。

 姿見で全身像を見せてもらうと、かなり男性っぽい感じになっていた。

 似合うかどうかはともかく、女の子っぽい服装よりもこっちの方が落ち着く。

 それに、日野さんとお揃いって感じだし。

 よし、この服を参考に明日の食事の前に服を買おうとわたしは心に決めた。




††††† 登場人物紹介 †††††


神瀬こうのせ結・・・中学1年生。姉は美人空手家として評判だし、容姿は姉に見劣りすることはない。


日野可恋・・・中学2年生。陽稲の企みには気付いたが、結さんがそれでいいのなら、まあいいかという立場。


キャシー・フランクリン・・・14歳。G8。このあと可恋に『ワタシもダンスがやりたい』と当然のように言った。


日々木陽稲・・・中学2年生。服装の持つ意味を誰よりもよく知る。将来の夢はファッションデザイナー。

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