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令和元年9月17日(火)「可恋の計画」日々木陽稲

 みんなの前では強気一辺倒な可恋も、わたしの前では弱気な顔を見せることがある。


「今回は完全に不覚だったわ」と可恋は気落ちしていた。


「陽子先生のこと?」と尋ねると、嫌そうな顔で可恋は頷いた。


 陽子先生は可恋のお母さんだ。

 連休中にクラスの女子を家に泊めた時、仕事で帰れないと話していた陽子先生が何食わぬ顔で帰って来た。

 可恋は騙されたことよりも、それを見抜けなかったことに意気消沈していた。


「須賀さんから聞いたよ。陽子先生からのお手紙には子どもたちの面倒をちゃんと見るって書かれていたって」とわたしが言うと、「私がそう書いてもらったから。実際にはいなくても困らないよ」と可恋は平然としている。


「バレたりしない?」と心配しても、「口裏合わせておけば平気でしょ。バレても急用ができたって言えば済む話」と可恋は動じない。


「誰かの親が電話してきたら?」と食い下がると、「電話なら誤魔化せるよ。母の真似は得意だから」とニヤリと笑った。


「もしかして、それを使って学校を休んだり……」とわたしが非難めいて言うと、「体質の問題があるから、そんな手を使わなくてもずる休みはできるから」と何でもないことのように言う。


「じゃあ、何に使ってるのよ?」と聞いても、「秘密」と教えてくれない。


 わたしはちょっとムッとして、「可恋がお母さんの行動を予測できなかったって珍しいね」と話を蒸し返す。


「予測できなかったっていうより、対策のし忘れって感じかな……」と可恋は渋い顔に戻った。


 それを見て、悪かったかなと思い、「可恋は忙しすぎだよ」と慰める。


「夕食会が終わって、ようやく一息つけるかな」と可恋はフーッと息を吐いた。


 土曜に行われた夕食会は思った以上の大イベントだった。

 可恋が最初に予定していたのはキャンプのような感じだったのに、それが晩餐会になってしまった。


「松田さんのご両親との交渉はいままで経験したことがない感じだったよ。勉強にはなったものの、あれは年の功や育ちの良さがないと真似はできないね。中学生相手にも非常に腰が低く丁寧に対応してくれて、それなのに交渉は一歩も引かない。格の違いを思い知らされたよ」


 可恋は完敗を認め、サバサバした表情を見せた。


「保護者への対応は十分に手が回らなかったしね……」


 可恋はそう言うが、夕食会は女子全員が参加できた。

 宿泊はふたりが親に反対されたが、わずか1週間の事前準備としてはこんなものかなと可恋は呟いた。


「運動会については笠井さん、須賀さんがよくやってくれてるね」


 創作ダンスは笠井さんがリーダーシップを発揮している。

 彼女のやる気がクラスの女子全体を動かしていると言ってもいいくらいだ。

 須賀さんも運動会の実行委員としてしっかり活動している。

 指名された当初は不安そうな雰囲気もあったのに、いまでは堂々としているように見える。


「天気だけが問題だけど、こればっかりはね……」


 明日の予行演習は雨の予報だが、本番も雨になりそうだ。

 創作ダンスは体育館で行うが、運動場での競技は中止になるし、何より折角の盛り上がりに水を差してしまう。


「学校へのスマホの持ち込みに関するアンケートは運動会のあとに実施できる目処が立った。フリージャーナリストの志水さんが関わることも認めてもらったわ。生徒会の一連の取り組みを何らかの形で発表できることは大きな成果ね」


 二学期に入って以降、可恋が力を入れていたのがこの件だ。

 来年度へのいちばん大きな布石なんだという。


「生徒、学校、市教委、PTAと多くの人が関わるし、全国的に関心の高い問題だから、これはモデルケースになり得るの。志水さん自身、メディアへの公表だけでなく、論文という形で発表したいと考えてるそうよ。母の影響もあって、大学院で勉強することも真剣に検討してるようだし」


 わたしが可恋の言葉にピンと来なくて首を傾げると、「社会人になってからでも学べる制度があるの。自分に足りないものを自覚した時に、素直に学び直して自分を更新しようという人は尊敬に値するわ。学ぶことに年齢は関係ないしね」と説明してくれた。


「これで、安藤さんのことに本腰を入れられるかしら」と可恋は純ちゃんに視線を向ける。


 今日も放課後にわたしと純ちゃんは可恋のマンションに寄り道している。

 おやつ代わりに出されたプロテインバーを食べ終えた純ちゃんは、話に加わらずにうとうとしている。

 その表情からは自分の記録の伸び悩みについてどう考えているのかうかがい知ることができない。


「コーチの練習メニューは完璧にこなしてる。止めなかったらやり過ぎるほど練習熱心。これでタイムが伸びないから、コーチも頭を抱えてるよ」


 可恋は純ちゃんのコーチと頻繁に連絡を取っている。

 コーチにとってもスイミングスクール外での純ちゃんの様子を伝えてくれる可恋を重宝しているそうだ。


「前にも言ったけど、意識を変えなくても些細なきっかけで記録が伸びるかもしれない。意識を変えたとしても記録が伸びないかもしれない。意識を変えるのはより高い可能性を求めてに過ぎない」


 可恋は自覚を持った方が良いと考えている。

 言われるだけの練習ではなく、自分で考え、自分で判断する必要性を説いている。

 それが純ちゃんにとってとても高いハードルだと分かっていても。


「要は、本人に変わる意思があるかどうか。周りができるのは、アドバイスやきっかけを与えることだけ。それで無理ならあとは洗脳くらいかな」


 可恋の口から飛び出した言葉に、わたしはギョッとした。

 それに気付いた可恋は苦笑しながら「洗脳は相手を精神的肉体的に追い詰め、正常な判断力を失わせる行為だね。昔のスポ根の世界なんてまさにそれだよね」と言った。


「そうなの?」と尋ねると、「練習の量を求めることはいまも残る悪習だね。合理性ではなく過去の成功体験に基づいたやり方を正しいと信じ込ませることも洗脳の一種だよ」と可恋は答えた。


「最近、定期テストや宿題を廃止した公立中学が話題になったけど、こうした常識や当たり前と思うことの多くは根拠がなかったり、時代とともに効果が薄れたりしてる。教育や躾だって洗脳と明確に区別するのは難しいわ」


「でも、正しいことを正しいと教え込むことも大事じゃないの?」


「そうね。でも、正しさって時代、地域、環境、宗教などで変わるものなのよ。ひとつの正しさを信じ込ませることが良いのかどうか分からないわ」


「人を殺しちゃいけないみたいな……」と例を挙げても、「正当防衛というのもあるし、安楽死の問題もある。死刑制度もあるし、胎児を人と見なせば中絶のこともある。海外ならもっと命は軽いしね……」と簡単に反論された。


 そこから可恋の独演会が始まった。

 可恋は日本の教育のあり方について細かな数字まで使ってスラスラ語る。

 純ちゃんは完全に居眠りしている。

 わたしも可恋の話が高度すぎてついていけない。

 それでも、なんとか頑張って話を聞き続ける。

 これも可恋なりのストレス発散なのだろう。


「ご褒美を目の前にぶら下げる飴か、動かないならお尻を叩く鞭かの二択になりがちなんだ。教育ではそれ以外のやり方を提示すべきなんだよ。私だって、クラスメイトのやる気を引き出すためにファッションショーの見学を企画した。ああいう気付きが大切なんだ。ただ前向きになってくれたのは数人で、苦労の割に効率は悪い。いまの学校現場が疲弊しているせいで飴と鞭に頼るのも理解できなくはないね」


 ファッションショーの見学は事前の準備が大変だった。

 主催者の方や学校と連絡を取り合い、保護者の協力を得て、参加に消極的なクラスメイトを説き伏せてようやく実現した。

 わたしはとても感動したし、参加者の多くが楽しんでくれたと思うものの、可恋にとって労力に見合ったかどうかは分からない。


「安藤さんの場合は……、飴と鞭以外の選択肢がほとんどないからね……」


 わたしが純ちゃんを動かす時の方法も、食事などのご褒美と練習禁止などの罰で脅すくらいだ。

 頼んだことはたいていやってくれるので、飴や鞭は試験勉強の時くらいしか使わないけど。


「憧れの選手と話すとかはどう?」と思い付いたことを提案する。


「そんな選手がいるなら協力してもらうんだけど……」


 わたしにも心当たりがない。

 わたしと可恋の視線がまだ眠っている純ちゃんに向かう。


「話は変わるけど、神瀬こうのせさんから食事に誘われてるんだ。結さん経由で優勝のお祝いを伝えてもらったら、舞さんから一度お会いしたいって言われてね。来週末で調整してるけど、ひぃなも来る?」


 神瀬こうのせ選手は先日東京で開催された空手の世界大会で優勝した。

 可恋は妹の結さんとこの夏知り合いになった。

 舞選手は可恋の憧れの選手だと聞いている。


「わたしが行ってもいいの?」


「キャシーも呼ぶから」


「じゃあ、行く!」とわたしは喜んだ。


 空手とは無縁のわたしが行ってもと気は引けるが、キャシーが同席するのならキャシーの世話係として付き添うことができる。

 可恋の気遣いに感謝だ。


「それはそうと、キャシーに運動会のことを話したのはひぃなだよね?」


「それは……」と口籠もる。


 別に言ってはいけないと禁止されていた訳ではないが、言えばどうなるかくらいは分かる。


「キャシーが運動会に来るって宣言したわ」


 そうなるよね。


「ごめんなさい、学校のことを話しているうちにダンスとかそういう話になっちゃって」と言い訳する。


 キャシーは可恋だけでなくわたしにも頻繁に連絡してくる。

 わたしとキャシーだと話題はお互いの日常生活のことになる。

 最近は放課後にダンスの練習があって、嘘のつけないわたしは誤魔化せなかった。


「それで、どうするの?」と責任を感じて殊勝に尋ねた。


 運動会は保護者しか入れない。

 文化祭は一般の人も入場できるけど。


「母に押しつけた」


「えっ?」


「英語ができる人じゃないとキャシーの相手が務まらない。師範代はこの学校とは縁がない。という訳で、母しかいなかった。私を騙したことを盾にとって、キャシーの面倒を見てもらうことにした」


 わたしは不安になって「大丈夫?」と尋ねる。

 可恋にとって制御が難しいふたりを組み合わせて大丈夫なのだろうか。


「今度は私が勝つよ」と可恋は何かを企むような黒い笑みを浮かべた。


 運動会を利用して親子の勝負をするなんてと思うが、累が及ばない限りわたしは特等席でこの勝負を楽しむことにした。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学2年生。可恋の助けになりたいと思うものの、余計な仕事を増やしている側面も。


日野可恋・・・中学2年生。このほか、文化祭の進捗を管理し、ご褒美デートの成り行きに頭を悩ませている。


安藤純・・・中学2年生。可恋からは練習のし過ぎを注意されることが多い。


日野陽子・・・可恋の母。大学教授。可恋は運動会を見に来てもらいたいのね、まだまだ子どもねと言いふらしている。

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