令和元年9月9日(月)「合宿のこと」高木すみれ
「そういう訳で、保護者から同意書を書いてもらってきてください」
放課後、クラスの女子全員を集め、日野さんが週末に行う予定の合宿の説明をしたあとに紙を配った。
運動会の創作ダンスで主力となるメンバーだけでなく、他の女子にまで参加を要請するなんて去年にはなかったことだ。
あたしの知る限り、今年もこんなことをやっているクラスはない。
どこのクラスも中心メンバーの数人だけが気合いを入れて取り組み、他の子は体育の授業中に行う全体パートの練習だけで辟易している。
うちのクラスは女子の約半数がAチームに選ばれたが、それ以外のメンバーに練習参加の義務はない。
ただし、月水金と一部の女子に筋トレの課題が日野さんから出ていて、それに付き合う形で女子全員が放課後に残っている。
あたしは同じ美術部でグループも一緒の結愛さんと楓さんが筋トレ組なので仕方なく教室にいる。
同じ筋トレ組の田辺さんを見守る松田さんは、友だちのためなのだから当然という顔をしている。
日々木さんはAチームの練習がある日野さんに代わって筋トレ組の様子を見ている。
千草さんはBチームとCチームのリーダー役なので、責任感で残っている感じだ。
三島さんだけは特に残る理由がないのですぐに帰ろうとするが、千草さんに引き留められて渋々付き合っている。
創作ダンスの全体パートは、あたしの不格好なダンスでも許される程度だし、クラスパートだってBチームは刺身のつま程度の役割でしかない。
本当は美術部に行きたいところだが、あたしひとり抜け出す勇気なんてない。
そんな状況で、次の週末が練習で潰れるなんて言われれば、誰だってうんざりした気持ちになるよね?
「あ、そうそう。Bチームのクラスパートのダンスを見直すことにしたから。週末までにオーディションでやった規定のダンスを踊れるようにしておいてね」
日野さんが何でもないことのように言う。
しかし、それはあたしにとっては大問題だ。
規定のダンスだって?
無理にもほどがある。
わたしがあんな難しいダンスを踊れるようになるには百年はかかる。
驚きのあまり反論すらできないあたしに代わって、三島さんが「無理でしょ」と声を上げてくれた。
「練習もしないで無理だなんて言うものじゃないわ」と日野さんがニッコリと微笑む。
いや、正論だけどさ。
無理なものは無理だって。
でも、日野さんの笑顔が怖くて言えない。
「筋トレを見ているだけじゃヒマでしょ? 三島さん、千草さん、高木さん、Cチームだけど松田さんの4人にお願いするわ」
恐ろしいことにあたしも人数に入れられていた。
分かってはいたけど。
千草さんと松田さんはやる気を見せている。
真面目だし、オーディションの時もそれほど酷い出来ではなかったと思う。
三島さんだって嫌な顔はしているが、体力は意外とあるので、やればできそうな雰囲気だ。
つまり、どう転んでもできないのはあたしだけだ。
「あたしも筋トレ組に入れてくれませんか?」と日野さんに泣きつくと、「高木さんならできるよ」と気休めを言われてあっさり流された。
きっと、あたしが合宿を嫌だと思ったのを見抜かれたのだ。
顔に出さないように気を付けていたのに。
日野さんは怖い。
あたしはガックリと肩を落とした。
今日は台風の影響で10時半から学校が始まった。
台風が過ぎ去り、晴れたのはいいけど、気温がどんどん上昇している。
真夏並みの暑さになり、この中でダンスの練習をするのかと思うとため息しか出て来ない。
運動場が使用できないので、Aチームは廊下で個人練習をすることになった。
日野さんが「水分補給はこまめにね。少しでも気分が悪かったらすぐに休むように」と注意している。
あたしの気分の悪さは暑さが原因ではなく、日野さんによる無茶な要求によるものだから、休ませてもらえないに違いない。
そんなことを思っていると日野さんに名前を呼ばれた。
また心を読まれたのかと焦るが、そうではないようだ。
日野さんのところに、結愛さん、楓さん、日々木さん、松田さんと集められていた。
日野さんはあたしが来たのを確認すると、結愛さんと楓さんに話し掛けた。
「ふたりが筋トレを真面目に頑張ってくれていることは嬉しく思っています。創作ダンスではふたりの実力に見合ったものを踊ってもらうつもりです」
ふたりは黙って聞いている。
「合宿の話ですが、さきほども説明した通り、土日の練習は用事がない限り参加して欲しいと思っています。土曜の夕食会も是非参加して欲しいですね。宿泊は本人の希望と保護者の同意が必要ですので強制ではありません」
日野さんはそこで一度言葉を句切り、ふたりをじっと見た。
「ふたりのお考えを聞かせてもらっていいですか?」
あたしには予期できたことだったけど、ふたりは沈黙したままだ。
雑談ならともかく、真面目な話になるとこのふたりは黙り込んでしまう。
これまで何度体験したことか。
「話しにくいようなら、こちらに書いてもらえますか?」と日野さんが二枚の紙を出した。
土曜と日曜の練習、夕食会、宿泊と大きく書かれ、それぞれに参加する・参加しないと項目がある。
丸をつけるだけで意思表示ができる用紙だった。
他には名前を書く欄があるだけで、いたってシンプルだ。
日野さんはその紙をふたりに渡すと、「私たちが見ていると書きにくいだろうから、あとは高木さんに任せるね」と穏やかな声で言った。
しかし、去り際に「ふたりの気持ちを知りたいので、ふたりで相談して決めるのではなく、自分の意思を書いてください」と日野さんは付け加えた。
日野さんと松田さんは千草さんや三島さんのところへ行き、日々木さんは田辺さんと合流した。
その様子をしばらく見ていたが、結愛さんも楓さんも動く気配がない。
「とりあえず名前書きなよ」とあたしはふたりを促した。
ようやくふたりは自分の鞄から筆記用具を取り出した。
やる気がまったく見えない。
ダンスの練習よりはマシかと思いながら、あたしはふたりに付き合う。
嫌々といった態度でふたりは名前を書いた。
いつもならヒソヒソと、うぜーだのなんだの言い合うんだろうな。
相談禁止と言われているので、こっそりと話すことはしないけど、そんな気持ちなんだろうとあたしは決めつけていた。
ふたりは手を止め、黙り込んでいる。
このまま時間切れまで粘るつもりなのだろうと思っていたら、楓さんから「すみれさんは行くよね?」と聞かれた。
あたしとの相談は禁止されていなかったよね、確か。
「うん。練習はサボりたいけど、夕食会や合宿は楽しみ」と答える。
夕食会は松田さんの家でするそうだ。
女子全員15人が参加しても大丈夫な部屋があるのだろう。
それだけで凄いと思う。
さすがに泊まる場所は松田さん家と日野さんのマンションに別れることになった。
Aチーム以外は松田さんのあの家なので、ワクワクしてしまう。
そんな気持ちが溢れて、あたしはつい語り出してしまった。
「日野さんのマンションはリビングとダイニングが一体で、オープンキッチンもあって、とにかく広いの。この教室より広々とした感じ。ものが少ないし、ごちゃごちゃ飾ってないせいね。そのシンプルな広さが贅沢な印象で、ドラマなんかに出て来そう。一方、松田さんの家は、パッと見は少し広めって感じだけど、とにかく中のものひとつひとつがお金が掛かっていそうで、本物のお金持ちってこうなんだって思ったよ。マンガやアニメに出て来るような豪邸じゃないけど、現実のお金持ち感っていうのか、言葉で説明しにくい感じがあるのよね。あれを二次元でどうやったら表現できるのか、ずっと考えているんだけど……」
一度火が点いたら止まらないオタクの性が出てしまった。
ふたりは興味があるのかないのか分からない表情で黙って聞いていた。
「ごめん。暴走した。まあ泊まるのは無理でも夕食会は来た方がいいよ。松田さんの家での夕食会なんて一生の思い出になってもおかしくないもの」と少し大げさにあたしは推してみた。
「泊まるのって絶対親が反対しそう」とようやく普段に近い雰囲気で結愛さんが言った。
「うちは変わってるから、そんな滅多にない機会なら無理をしてでも行ってこいって言う親なんだよね。普通は女の子の外泊には厳しいよね」とあたしは苦笑する。
「うちは普通より厳しいと思う。門限厳しいし、夕食会も無理そう」
「うちは毒親だから……。機嫌悪いとマジにヤバいし……」
ふたりはあたしの言葉を羨ましがり、自分の家の事情を告白した。
これまでこんな話をしたことがなかった。
意外と苦労しているんだ。
「参加したいのなら、あたしじゃ碌に力になれないけど、日野さんに相談してみたら? あの人なら大人相手でもどうにかしちゃうよ」
あたしはそう言ったが、ふたりは疑わしそうに聞いている。
ただの中学生が解決できると思えなくても当然だ。
「最近さ、リアルでもチートキャラっていると思うようになったのよ。日々木さんの外見なんてまさにチートでしょ? 松田さんのお金持ち具合もチートだし。まあ、大金持ちって完全にチートだよね。つまり、チートって二次元だけの存在じゃないのよ。日野さんって壊れキャラレベルの優秀さだから、あたしたちの常識が通用しないのよ」
あたしは最近考えていた持論を展開する。
「それでさ、チートのない一般人は、羨ましがって終わりにするんじゃなくて、チーターのおこぼれをもらうって言うと語弊があるけど、少しくらい助けてもらってもいいのかなって思うの。チートの所有者は持てる者の余裕かもしれないけど、みんな優しいし、お願いしたら意外と望みを叶えてくれるものよ」
あたしは望みを叶えてもらった。
望外の喜びだった。
ただし、見返りとしていろいろなお願いを聞かなきゃいけなくなった。
そこは黙っておく。
「日野さんはやるべきことをサボると厳しいけど、本人の努力と関係ない親のことなら力を貸してくれると思うんだ。もちろん、日野さんの力でどれだけ変わるかは分からないけどね」
珍しく、ふたりの視線から興味を持っているように感じる。
「ダメ元でどうかな? まさか友だちに話したら虐待されるとか?」
「うちは厳しいだけで、そこまでじゃないよ」
「うちはなあ……話ができないから、微妙。まあ暴力はないけど」
それって日野さんどころか、先生に相談した方が良いレベルじゃ……と口にしかけたが、まずはふたりの気持ちを確認することを優先した。
「日野さんに相談するだけでもしてみようよ」
あたしはそう口にしたあとで、ふたりが日野さんに厳しくこき使われているイメージが浮かんだ。
毒親と日野さんとどっちがマシだろうと一瞬頭をよぎったが、決めるのはあたしじゃない。
あたしは、頷くふたりを他人事のように見ていた。
††††† 登場人物紹介 †††††
高木すみれ・・・2年1組。美術部。自称コミュ力のあるオタク。オタク以外には敬語で話すが、オタク同士だとタメ語を使う。かなりの腕の絵師。
森尾結愛・・・2年1組。美術部。たまにイラスト風の絵を描くが、他人に見せるのは恥ずかしい。
伊東楓・・・2年1組。美術部。結愛とは1年から同じクラス。二次元以外は興味なし。
日野可恋・・・2年1組。小学生の頃はマンガやゲームにも関心があったが、いまは専ら読書のみ。
日々木陽稲・・・2年1組。ファッションがテーマのマンガは持っている。好きなのは実写映画。
松田美咲・・・2年1組。マンガ・アニメ・ゲームには興味なし。友だちとの話題についていくためにテレビのバラエティなどは視聴する。




