表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
142/745

令和元年8月27日(火)「願いをなんでも聞いてくれる券」日々木陽稲

 先週の水曜日。

 担任の小野田先生が可恋のマンションを訪問した。

 わたしと純ちゃんも同席する中、いくつかの情報共有が行われた。

 そこで出たのが保護者からの苦情の話だった。


 誰の保護者かは教えられないと言われたが、夏休み中に連日学校に来ていた男子の親なのは間違いないだろう。

 勉強そっちのけで文化祭の準備作業に当たっていたようだ。

 親から問いただされ、その生徒はファッションショーのことを話した。

 それを聞いて、学校に苦情を寄せた。

 中学校の文化祭でファッションショーを行うことの是非や、勉強を疎かにしていたことについては小野田先生がその保護者と話してある程度納得してもらったらしい。

 ただ、女子ばかりが目立ち、男子には見せ場がないのはどうかという意見も出されたと先生は可恋に告げた。


 可恋は「少数意見は尊重しますが、それによって多数意見が封殺されるようなことがあれば大きな問題です」と怖い顔で笑っていた。

 苦情への対策のひとつとして、急遽パンフレットを作成し、今日の終わりのホームルームでそれをクラスの全員に配布することにした。


「モデルが女子だけになったのは更衣室の都合です。男子の更衣室を準備するお金を全額出してくれる人がいれば解決すると、文句を言う人には伝えてください」


 可恋は笑顔でそう言ってパンフレットを配った。

 目元が笑っていないから、みんな怖がっているよ。


 今日はふたりとも午後から教育相談があるので、教室に残る。

 席に戻って来た可恋に「これで大丈夫?」と尋ねると、「生徒会を通してPTAには過度な苦情は慎んでもらえるようお願いしてる。市教委の方も校長先生が根回ししてくれているようだし、余程のことがない限りは大丈夫だと思う」と少し疲れた顔で答えた。


 更に、「余程のことが起きた時は、ひぃなを押し立ててこんな天使のような子が頑張っている文化祭を潰そうとする大人がいると世間に訴えるから、みんな味方についてくれるよ」と可恋は皮肉めいた表情でのたまった。


 わたしが口をポカンと開けて呆然としていると、「だから、世間受けするファッションショーにしてね」とわたしにまで釘を刺す。


 わたしは頭を振って、「余程のこと~」以降の話は聞かなかったことにする。

 暑さのせいにするのは無理があるので、お腹が減ったせいにしておく。

 お姉ちゃんに作ってもらった三人分のお弁当を取り出す。

 純ちゃんも加えて、三人でお昼ご飯だ。

 食べながら、先ほど配られたパンフレットを見る。


 画用紙くらいの厚さの紙が二つ折りになっている。

 表紙には2年1組文化祭ファッションショーの文字が躍っている。

 こういうものを見ると、少しずつ形になりつつあるとワクワクしてくる。

 表紙の真ん中に高木さんのイラストが掲載され、わたしと可恋が手を繋ぐ姿が描かれている。

 顔は見えないので、知らない人には特定できないが、髪型や体形で分かる人にはすぐに分かるだろう。


 パンフレットを開くと、たくさんの写真が目に飛び込んできた。

 すべて男子の準備作業中のものだ。

 カラフルでかわいい手書きの文字が添えられている。


「凄いね」とわたしが言うと、「怪我の功名だね。裏方の仕事を評価したいと思っていたけど、こういう形にできたのは苦情のお蔭だったよ」と可恋が苦笑した。


 この写真から男子の頑張りが伝わって来るだけに、「もう少し報いるような何かがあるといいね」とわたしが口にすると、「ショーの最後に男子も舞台に上げるつもりではあるんだけどね。サプライズは他にも……」と言いかけて可恋は口を閉ざす。


「サプライズ!?」とつい大声で反応してしまう。


 可恋は笑いながら自分の唇に人差し指を当て、わたしに黙るように指示した。

 他にも何人か生徒が教室に残っていたので、ここで騒ぐ訳にはいかない。

 わたしはコクコクと頷き、「あとで教えてね」と小声で囁く。

 可恋は頬に手を当て、「ひぃなはすぐに顔に出るからなあ」と首を傾げる。

 わたしが「えー」という感じでむくれてみせると、仕方がないなあという感じで可恋は「そのうちね」と言った。


「それにしても、絵には絵の、写真には写真の良さがあるね」と可恋もパンフレットを眺めながら感心する。


 可恋の様子を見て「何か思い付いたの?」と聞いてみると、「ちょっとね」と答えた。

 わたしが気になって「何?」と聞いても、「まだ思い付きだから」と教えてくれない。


「可恋のいじわる」と拗ねてみせても、「今頃気付いたの?」と取り合ってくれない。


 可恋の秘密主義はいまに始まったことじゃない。

 必要なことはちゃんと話してくれるし、わたしが聞いても可恋の力になれないことばかりだと思う。

 それでも、寂しいといった負の感情は湧いてしまうことがある。


 それを解決する切り札をわたしは持っている。

 これまで、筋トレなど可恋の課題をクリアした時に「わたしの願いをなんでも可恋が聞いてくれる券」というものをもらった。

 子どもっぽいものだけど、可恋は真面目な顔で、「ひぃなの願いであること、その時に叶えられることであればなんでも全力で挑むから」と言ってくれた。

 そんな券を容易く使える訳がないじゃない。

 わたしが使い惜しみすることを見越してなのか、可恋はかなりその券を乱発している。

 一昨日の模試でも成績が良ければもらえることになっている。


 だから、いまだって使おうと思えば使える。

 使わないけど。

 いつでも使えると思うことで心に余裕が生まれ、負の感情が湧いても許してしまえるのかもしれない。

 可恋のことだから、そこまで考えてこの券を渡しているのだろう。


 わたしがぼんやりと考えごとをしている間に、可恋は食事を済ませてフーッと大きく息を吐いた。

 帰って寝ていた方が良いんじゃないと言いたくなるほど疲れているように見える。

 昨日の朝に可恋と会った時に、母の手伝いで精神的に疲れたと言っていたが、それがまだ抜けていない感じだ。

 今日の言動だっていつもの可恋らしくない。

 可恋は気付かれたくないことは気付かせないし、わたしが気付く時は可恋が気付かせたい時がほとんどだ。

 それができていないほど自分をコントロールできていない。

 可恋は自分をコントロールすることを何よりも大切にしているのに。


「今晩泊まろうか?」と提案すると、可恋はこちらを向いて考え込んだ。


 いつもならわたしが言い出すことを予想して即答しそうなものだが、こういうところにも可恋が万全でないことを感じてしまう。


「夕食はひぃなの家に行くよ。明日は病院だから、泊まるのは明日の夜がいいな」


 わたしは頷き、大丈夫? と聞く代わりに「わたしは券がなくても可恋の願いを聞くからね」と言った。

 可恋は優しく微笑んでくれた。


「言いたくなければ言わなくていいけど、大学で何かあった?」とわたしは尋ねた。


 昨日は聞くタイミングがなかった。

 大変だったけど、論文は間に合ったとだけ聞いた。


「私が感じたのは凄絶さかな。想像していた以上に現場はピリピリしてて、その院生にとっては人生の岐路を左右する瞬間だっただけに鬼気迫るものがあった」


「うまく行ったんだよね?」


「うーん、間に合って、なんとかスタートラインに着いたってところかな。何かを得た訳じゃなくて、脱落しなくて済んだってだけで。そういう世界があると分かっていても、身を削ってでも上を目指してギラギラと野望に突き進むような人と接したのは初めてで、中学生には荷が重く感じた」


 可恋がそう言うのなら、わたしには想像すらできない世界だ。


「大人って大変なんだね」と感嘆すると、「いや、普通の大人はぬるま湯につかって満足してるから」と可恋は吐き捨てた。


「一部の人間だけだよ、成功だけを信じて死に物狂いの努力を続けているのは。アカデミックの世界だけに限らない。スポーツでもビジネスでも同じことだよ」


 可恋はそう言うと、目を細めわたしをじっと見つめた。

 まるで睨んでいるような厳しい目だった。


「私はそこに行くのを諦めた人間だから。でも、ひぃなや安藤さんは……」


 可恋は首を振ると、小声で「私はひぃなのために何ができるだろう」と呟いた。


 ……長生きしてくれれば十分だよ。


 わたしはその言葉を飲み込む。

 わたしは可恋の体質について怖くて聞けないことがある。

 可恋は先天的に免疫力が低く、二十歳まで生きられないだろうと告げられたこともあると聞いた。

 暖かい時期は良いが、冬場は学校を休むことが多い。

 人一倍健康や食事に気を付け、可恋は自分を律して生きている。

 でも、空手は……。

 怪我が元で感染症に罹ったりすることがあるんじゃないか。

 料理は、学校生活は、と心配しだしたら切りがない。

 無菌の部屋に閉じ込めて、何もさせずにただ長生きだけして欲しいと願うのがわたしのエゴだというのは分かっている。

 可恋と一緒にいろんな体験をしたいという思い、可恋に可恋らしく生きて欲しいという思いと、可恋に長生きして欲しいという願いは相容れないのだろうか。


 可恋がくれるこの券を何枚集めたら、わたしの願いは叶うのだろう。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・2年1組。夢はファッションデザイナー。特技は他人の感情を読み取ること。


日野可恋・・・2年1組。夢はひぃなの夢を叶えること。最近の特技は陰謀を張り巡らせること。


安藤純・・・2年1組。夢は競泳でオリンピックに出て金メダルを獲ること。特技は速く泳げること。


小野田真由美・・・2年1組担任。教師生活の最後にこんなおもしろい子たちを担任できて良かったわ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ