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令和元年8月15日(木)「束の間の日常」日野可恋

 道場内にキャシーの気合いの籠もった声が響き渡る。

 ひとつひとつの技は荒削りで、初心者の域を脱していない。

 だが、180 cmを越える長身と手足の長さ、格闘家らしい絞られた筋肉から繰り出される拳や蹴りの破壊力は圧倒的だ。


 何も考えてなくて猪突猛進タイプに見えるキャシーだが、戦いの場では自分の身体能力を活かす術をよく自覚している。

 ルールの中では、そうした戦法は小手先のものとして軽く見られ、効果的な技とは評価されないが、実際の殴り合いでは非常に有効だ。

 空手の大会などのルールに則した戦い方と、実戦とで使い分けができればいいのだが、キャシーにそれを求めるのは難しい。


『キャシーはずっと空手を続ける気なの?』


『カレンを倒すまではね』


 キャシーはニヤリと笑って答えた。

 いかにも彼女が言いそうなセリフだ。

 空手を始めてまだ1ヶ月だというのに、驚異的な成長を見せている。

 レスリングなどの他の格闘技の経験が生きているのも確かだが、彼女の非凡な才能の一端でもある。

 基礎を完全に身に付けて、判断力などが高まれば私にとっても嫌な相手になる。


『なら、一生続けることになりそうね』と私は軽口を叩く。


 その言葉にキャシーはわずかにフォームを乱し、『こんなことじゃ、いつまで経っても試合に出られないわよ!』と私は指摘する。


 私の流派はコンタクト禁止だ。

 オリンピックなども同様だ。

 キャシーは今のままでは試合ができない。

 対戦相手が寸止めだと思って油断すれば、彼女の打撃で死にかねない。


 彼女はフルコンタクトの方が向いている。

 レスリング経験者だし、相手との接触を厭わないので、コンタクト禁止の空手だと彼女の能力を最大限には活かせない。

 レスリングやボクシングなら世界の頂点に立っても不思議ではないだけの素質がキャシーにはある。


 ただ、女子の格闘技は男子と比べて露出も稼ぎも雲泥の差というくらい少ない。

 サッカーで賞金の男女差が違いすぎると話題になったが、女子のアスリートがある程度稼げるのはテニスとゴルフくらいだ。

 今はアマチュアでもスポンサーをつけて稼げるが、そこでも男女の差は大きい。

 キャシーが男性ならバスケットボールやアメリカンフットボールのプロを目指すのが最適だろう。

 或いはプロボクシング。

 競争の厳しい世界だが、彼女はそこへの挑戦権、それだけの身体能力を持っているのだから。


『世界最強になりたいって言ってたけど、どんな形、競技で成し遂げようと思ってるの?』


『ストリートファイトでいいじゃん!』


 これだから。

 考えるだけ無駄だったと私はため息をつく。

 キャシーは良い子だけど、それだけでは宝の持ち腐れだ。

 彼女をうまくマネジメントできる存在がいれば、世界的に名の知れたトップアスリートになれそうなのに。

 そういえば、見学に行ったファッションショーの主催者の女性がキャシーをプロモートしたいと言っていたらしい。

 キャシーのホームステイも間もなく終わるし、そういう人に丸投げしてみるのもししかもしれない。




 キャシーの稽古が終わり、師範代に報告に行く。

 師範代は私の顔を見るなり、「決めた?」と聞いてくる。


「台風が直撃しそうですよ」


「困ったわね。でも、キャシーが行くってきかないのよ」と師範代はまったく困った様子もなく言った。


「わざわざ知らせたんでしょう?」と私は肩をすくめる。


 この週末、北海道で全中、全国中学生空手道選手権大会が開催される。

 師範代はそこに私を行かせたがっている。

 もちろん、選手としてではなく観客としてだ。

 先日知り合った神瀬こうのせ結さんが出場するので、応援に行ってくればと勧められた。

 返答を先延ばししていると、キャシーを利用して焚きつけてきた。

 こうした大会への関心が薄い私のことを気遣ってなのだろう。

 私としては余計なお世話と感じるが、元は善意からの提案なので断りづらかった。

 だんだんと押しつけがましくなってきて、さっさと断っていればと後悔している。


「北海道ですよ。飛行機が飛ぶかどうかも分かりませんし、いまからチケットを取るのも難しいんじゃないですか」


「はい」と封筒を手渡される。


「二人分あるからキャシーと行って来て。札幌にある知り合いの道場に宿泊できることになっているから問題ないわよ」


 キャシーを連れて行くというのは本気だったようだ。


「可恋ちゃんが出場するときのために前もって用意していたのよ」と師範代は空とぼけたことを言う。


「師範代は行かないんですか?」


「休みはもらったんだけど、折角の北海道なのにキャシー連れて台風来る中なんて行ってもリフレッシュできないでしょ? だったら、こっちで休暇をエンジョイした方がいいかなって」


 どこまで本音か判断がつかないが、もう行くしかなさそうだ。

 私はひとつため息をついてから、「分かりました。行きます」と引き受けた。


「ありがとうね。可恋ちゃんならそう言ってくれると思っていたわ。航空券のチケット代はこれまでキャシーの面倒を見てくれたお礼だと思ってね」


 お礼と言ったって、札幌で彼女の面倒を見るのは私だ。

 納得できない思いでキャシーの元へ向かう。

 旅行に行く準備が整っているか確認しなくては。

 キャシーのことだから、この後、買い物に付き合わされる未来しか見えない。




††††† 登場人物紹介 †††††


日野可恋・・・中学2年生。祖母が大阪に戻り、のんびりできると思っていたらこれだ……。


キャシー・フランクリン・・・14歳。26日から学校だって! 信じられない! 一生この道場で暮らしたいよ!


三谷早紀子・・・師範代。アメリカで空手の指導をしていた時はキャシーのようなガキの面倒をよくみていたものだが、今回は可恋がいて助かったと感じている。もう歳かしら……。

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