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29.オン・ゴーイング・クライシス

諸事情あって短くなりました

(※当初の予定に比べれば、の意)


「や………や、宿屋の」

「チビちゃ―――――お、おま、オルロフ大公孫!?」


お前が!?!?!? みたいな驚愕を顔にべったり貼り付けたついでに顎を外しかねない勢いで慄いている国賊二名を眺める彼女は動じない。油断も驕りも隙もなく、背筋を伸ばして立っている。定位置のような当たり前さで“北の大公のばあちゃん”のすぐ傍らに在ったひと。

そこに居るのは紛れもなく、私の知っている“チビちゃん”だった。


「如何にも。エカチェリーナ・オルロフ・バーベリはヴァルフォロメイの三番目の子、我が孫にして腹心よ。何を驚くことがある? 北方大公家の直系にとって軍務に携わるは必定、健康上の理由を除き軍に属したことなくばオルロフと認められることはない不文律を知らぬわけもなし………とはいえ、実際には向き不向きの関係で頭脳労働や後方支援など本人の資質を考慮した上である程度の融通は利かせておるがな。幸いにしてエカチェリーナには武門の子としての才があったゆえ、実力で総督専任秘書兼護衛官の座を勝ち取りオルロフが持つ従属爵位がひとつ『バーベリ』を与えられるに至った。おかしなことなどあるまいて」


おかしな反応をするものよ、と言わんばかりの口調でしれっと補足を入れていく北の大公のばあちゃんだったがゴリ押しの気配を察知したらしい賢い部類の“王国民”たちは静観を決め込んで沈黙している。そんな周囲の空気も読まずに騒ぐやつはきっと賢くない。


「なるほど。ミロスラーヴァ卿の孫娘にして要人警護の心得もある現役のエリート女性軍人、同性であり大人でありついでに既婚者でもあるから間違いの起こりようがなく万が一を想定したその手の対策にも明るい―――――流石は“宿屋のチビちゃん”だ、国賓である“北の民”の世話係としてこれ以上の適任は居ないレベルで属性が爆盛り大渋滞」

「しれっと感心している場合じゃないと思うのですけれど!?」


しかし面の皮が厚過ぎて何を喋ってもしれっとしている疑惑さえある王子様に釣られたマルガレーテ嬢が慌てた様子で騒がしい系のツッコミを入れてしまった件については違和感が仕事をしなかった。学生さんだからと見逃されているわけではなくトップオブ馬鹿に対してのコメントとしてはまあ妥当だとの錯覚が浸透し過ぎるあまりにこの様、それでいいのか王国民。いいんだろうな。知らんけど。


「こればっかりは純粋に感心していい場面じゃない? だって北方大公孫にしてエリート軍人の女伯な上に人妻で面倒見が良くて元祖花畑特攻思考―――――なにより、あの『リューリ・ベル』に懐かれているというだけでその人柄となんていうかそのスピリット的な波長の程が窺えるというものだろう」

「スピリット的な波長の程ってどういう、どういうモノなんですの………そしてまったく分からないのにうっすらなんとなく納得させてくるこの力業は何事ですの“王子様”って本当に何なんですの何者ですの………!?」


マルガレーテ嬢の戦慄があまりにも「それな」過ぎてそれ。しかしそれはそれとして、厳かなばあちゃんの補足を受けて最強のイベント適性を誇るトップオブ馬鹿王子様と創作界隈でよく聞く悪役令嬢的な要素が満載系の縦ロール嬢が“学園”のノリで遣り取りしているのもまあまあどうなんだろうと思うし属性爆盛り大渋滞に至ってはもう完全に人のこと言えないやつだと思う。いや説明は出来ないけれども。強いて言うならただの勘。それ以上でも以下でもない。


「と、言いますか、レオニール殿下。あなた宿屋のおチビさんについてやっぱり知っていらしたの?」

「いや? むしろ逆だぞう、ヴィッテルスバッハ大公孫。積極的に知りたくないから断固として知ろうとしなかった。あのフローレンでさえ“宿屋のチビちゃん”については極力触れないようにしていたからな、綱渡り気味の人生であれ危ない橋を渡る趣味はない。国賓待遇の“北の民”を普通の宿屋に泊めるわけがないことを思えば“チビちゃん”はオルロフ家の縁者だろう、と当たりを付けるのは容易い話でもそれ以上を探るとなると確実にミロスラーヴァ卿の不興を買う。国賓と親しくしている時点で“宿屋のチビちゃん”なる人物の利用価値は計り知れないからな、今回のように誘拐を企む輩が湧くのを見越して徹底的に素性を隠すのは当然と言えば当然で、こういう場合は『知ろうとしない』ことこそ最善の自衛手段だ。オルロフ家に敵対したくないなら深入りなんぞしないに限る―――――まあそんなことにさえ気付くことなく誘拐しようとしたらしいのがあちらの国賊なわけなんだけども」

「左様ですわね、本当に………“学園”の生徒たちの大半というかあの天真爛漫のお手本みたいなメチェナーテ候子でさえガッツリと察していたという事実を思うとなんというかもう何も言うことがないと言いますか………」

「お、メチェナーテ侯子も順調に教育の成果が出ているようで学び舎を同じくする者としてはお世辞とか抜きで喜ばしいな。しかもうっすらとかじゃなくガッツリ気付いちゃってたの?」

「ええ、あの子、んん! 失礼。あの方、市井気分は抜け切らずとも素養そのものは悪くなくてよ。あのとおり素直な性分ですから吸収も伸びも早くって………『国の偉い人たちに招待された白い人の宿泊先の娘さんってもしかしなくてもとんでもないレベルのお嬢様だったりする気がするけど気軽かつ勝手に“宿屋のチビちゃん”とか俺たちが呼んでて大丈夫ですか』と顔面蒼白で聞かれた際には成長を感じて思わず購買でお菓子を買い与えてしまったわ」

「うんうん、貴族には最近なったばかりで市井育ちが長いがゆえに何かと苦労も多いだろうが頑張っているようで感心感心。それに比べて―――――ハァ」

「まあ。露骨な嘆息ですこと。およしになって、レオニール殿下―――――貴族の生まれに胡坐を掻いて増長した滑稽なボンクラどもと現在進行形で頑張っている同輩を比べないでくださいまし」


おほほほ、と可憐に笑う縦ロール嬢に悪意はなかった。この場には居ない馬鹿二号ことティトを卒なくフォローする様は高貴な身分に相応しく慈愛の精神に満ちている。王子様の方が露骨っぽいのはおそらくわざとなんだろう―――――学生っぽい雑談に興じながらも煽りスキルの火力が高いのは何なんだろうな、この二人。


「き、貴様らよくも、よくもっ………! このヴィクトール・ヘンスラーを揃って下に見る発言を………! おのれ、調子に乗りおって! 虎の威を借りた小娘と小僧が大層な口を叩くではないか!!! ふざけるな、こちらが黙って聞いていれば言いたい放題言ってくれたが誰がどう見てもおかしいだろう、そんなことにも気付けない貴様らの方が滑稽だ―――――そこのオルロフ大公孫が“北の民”の言う『宿屋のチビちゃん』だと!? なんとつまらぬ戯言だ! 紛らわしいにも程ある! 騙し討ちとて限度がある! こんなものはただの詐欺でしかない!!! 百歩譲って王国外に住む蛮族の感性を考慮したとしてもまったく意味が分からない、リューリ・ベルとやらの視力と神経を疑ってしまうのも無理からぬこと! そう! だってそうでしょう!? おかしいでしょうオルロフ大公孫! 親しみを込めて、という意味合いならまあ一応の理解は出来ますがそれにしたって何故ゆえに幼女を彷彿とさせるような『チビちゃん』なる名を採用したので!? よりにもよって妙齢の武闘派女性軍人をチビちゃん呼ばわりしているなどと誰が予想出来ましょう、正直なところ呼ぶ方もそれを許している方もおかしいと言わざるを得ませんが!? ハッ! まったく“王国”の外側に棲まう蛮族というモノはこれだから! あんなゴリゴリの武官でございます、と全身で主張しているかのような現役軍人が『チビちゃん』扱いするなどと本当にどういうセンスをし」

「黙れ。貴様如きの主観に基づく感想に何の価値がある。我らを呼ぶ際に北の子が紡ぐ音の意味がなんであれ、外野には何の関係もない。それを言うなら『おかしい』のはまず間違いなく貴様であろう―――――次に我らが隣人を“蛮族”などと呼んでみろ、まるで見る目のない眼球ごと神経を抉り出してくれる」


ひえ、と震え上がったのは国賊だけではなかった気がする。国王様とかぷるぷるしていた。マルガレーテ嬢とそのおじいさんの顔色はどう見てもよろしくないし宰相さんあたりの目は死んでるし警備の皆さんに至っては無の境地で置物と化している。王子様に至ってはこの場には居ませんモードだった。存在感の出し入れが本当に自由過ぎるなこいつ。

本当に実力行使する前に忠告してやるあたりが優しい“北の大公のばあちゃん”に向けられる恐怖と畏怖の視線を他人事のように眺め遣り、私はとりあえず当事者として言っておくべき台詞を吐いた。


「そんなことしなくていいぞ、ばあちゃん。見せしめならまあ止めないけども―――――ていうか今更なんだけどチビちゃんを『チビちゃん』呼びって変なの?」

「バッ、止めるならきちんと止めんか貴様ァッ!!! そもそも私が威圧されたのは誰のせいだと思っているんだ今更何を馬鹿げたことを、変に決まっているだろう! パッと見でも“北の民”と身長同じぐらいあるしなんなら体格がしっかりしている分バーベリ伯の方が屈強そうなのにアレを『宿屋のチビちゃん』だとか正気の沙汰とは思えない! むしろよくあのビジュアルの女人を平然と『チビちゃん』扱い出来るな本当にどういう神経なのか高貴な私には理解しかねるよ分かりたいとも思わんが!!! おっと! 失礼、取り乱しました、しかしそのあたりに関してはもちろん納得のいくりゆ」


「構わんもう処せバーベリ伯」

「御意。閣下の仰せのままに」

「ピャギャアァァァァアアアアァッ!?!?!?」


青筋浮かべたばあちゃんが言って青筋浮かべたチビちゃんが頷き顔面蒼白の国賊伯爵がなんか奇怪な悲鳴を上げたが他人事のようにそれを見ていた私はふとこのタイミングで気になったことをただ赴くまま口にする。そりゃそうなるわ、みたいな雰囲気で見守られていた混沌の中、こちらが何気なく紡いだ疑問は思ったよりも大きく響いた。


「ところでどうしてチビちゃんが直接言い返さないんだ?」


うん? と王子様が首を傾げる。周りの反応も似たようなもので、唯一見詰めた先に居る本人と大公のばあちゃんだけが理解を示して微笑んでいたが私は敢えてそのまま続けた。


「あの五月蠅いの、なんかいろいろごちゃごちゃ言ってばあちゃんに怒られる前はたぶんチビちゃん個人に向けてぎゃあぎゃあ言ってたっぽい気がするけど―――――大人しく聞きに徹してるとかチビちゃんらしくないじゃん。どしたの?」

「ふん、ば………世間知らずのお嬢さんが何を言い出すかと思えば! そんなもの、この私に痛いところを突かれて碌な反論も浮かばなかったがゆえにオルロフ大公が慌てて助け舟を出したに決ま」


「私語を慎んでたってだけで聞きに徹してたわけじゃあないよ。プライベートなら開幕三秒で黙らせること請け合いだがね、非公式だろうが茶番だろうが仕事中の護衛が勝手に受け答えなんかするもんか。他はどうだか知らないが、オルロフ大公家出身の総督護衛官ともなると面子の問題があるんだよ―――――とはいえ、リューリに面と向かって名指しされたなら話は別だ」


え、と五月蠅いのが静かになって、大多数の人間の視線が彼女に集中する。なんか堅苦しい言葉遣いで喋っているなあとは思っていたが、悪戯っぽく笑うチビちゃんはやっぱり見慣れたチビちゃんだった。直立不動の姿勢はそのまま、私に向ける視線は優しい。

北境の町で過ごした期間、世話係という名目で、彼女は大抵側に居た。知らないことを教えてくれたし聞けばいつでも答えてくれた。だから私は躊躇うことなくチビちゃんに聞きたいことを聞ける。


「そういうもんなの?」

「そういうもんだよ。護衛ってのは警護対象を守るために侍ってるんだ、求められたら応えはするけど基本『お喋り』は仕事じゃない。だけど仕事の範疇にある『お喋り』だったら当然仕事だ。私には応える義務がある―――――端的に言えば五月蠅いだけの虫の羽音は聞き流せても“国賓”は無視出来ないんだよ。ま、仕事の話とか抜きにしてもリューリのことを蔑ろにする気はないからただの贔屓と言えばそうだね。ところで小腹が空いてる顔だな? 厨房にペリメニでも頼もうか?」

「食べます!!! ありがとうチビちゃん!!!!!!」


糧に関する感謝の表明はいつだって全力な私の全開声が鼓膜と室内を揺らしたけれどもチビちゃんとばあちゃんは動じなかったしなんなら満足そうだった。元気でよろしい、みたいな感じに笑って近くに居た警備っぽい人にさっさと指示を出している。ありがとうございます本当に。

そんな流れで元気を思い出した私の明るい視界の端ではトップオブ馬鹿が訳知り顔でなにやら神妙に頷いていた。


「ああうんなるほど。これは懐くわ」

「うすうす察してはいましたけれども率直に申し上げてもう完全に遊びに行く度に構ってくれる『面倒見が良くて楽しい親戚のお姉さん』と『外孫を可愛がるおばあさん』の構図ですわね」

「ふ、ふん! そんな虚勢に塗れた聞き苦しい身内ムーヴ如きで誤魔化せるなどとはおも」

「存在しない縁戚関係がここでも成立しているのぶっちゃけ個人的に面白いから今からちょっと深掘りするな!!!!!」


納得顔でしみじみしているマルガレーテ嬢の後ろでなんか五月蠅いのが囀り出したがそれに全力で被せる勢いで好奇心を隠しきれない王子様がいつものお馬鹿を爆音発動。当然のように話題と視線と主導権その他を掻っ攫っていく手腕に手段を選べと思ったがそれはそれとして本筋と何処までも関係がないことを敢えてぶっ込むからよろしくみたいな気配を漂わせるんじゃない。


「お、思わぬことだな!!! まったくもって嘆かわ」

「ヘイ!!! リューリ・ベル、ちょっといい? 聞きたいんだけども“宿屋のチビちゃん”以外で他にもそういうおもしろ―――――違うな。ごめん、私の聞き方が悪かった。お前ってノルズグラートに居た頃“宿屋のチビちゃん”のご家族のことなんて呼んでたか教えてくんない?」

「あ? チビちゃんのご家族のこと? チビちゃんのおじさんとかおばさんとか?」

「まったくもって! 嘆かわしい!!! オルロフ大公孫ともあろう者がなんたる浅は―――――は? おじさ」

「お待ちになってそれはもしやオルロフ大公子夫妻のことでして!?」


王子様が遮る前に素で驚いたらしいマルガレーテ嬢の声が挟まれたことにより自然とキャンセルされる雑音、そしてそれに自然なかたちで合わせて頷くトップオブ馬鹿はただ騒ぐだけが取り柄の馬鹿ではない。彼は適度に落ち着いた声でそれっぽい相槌を入れていく。そうすることでこの場の流れがどうなるのかを知っているかのように。


「もしかしなくてもそうだろうなあ。なんていうか親戚感がすごい」

「ええい、だか」

「それはそれとしてミロスラーヴァ卿のことは“北の大公のばあちゃん”呼びなのにご子息であるオルロフ大公子及びその配偶者についてはあくまで“チビちゃん”がベースなあたり味わい深いと思わない? 実際問題発音する分には“北の大公のばあちゃんの息子さん”よりも“チビちゃんのおじさん”呼びの方が楽だから的なアレだろうなっていうリアル事情は置いといて」

「同感でしてよ、レオニール殿下。結果的に親しみやすさが全面に押し出されていますもの。ニュアンスって大切ですのね」

「だからァ!!!!! そんなくだらな」

「イエス! そうとも! そのとおり! そこに気付くとは流石だな、縦巻き髪のお嬢さん改めヴィッテルスバッハ大公孫!!!」

「え、ちょっ、なにこのバッ―――――どういう意図で突然にそれをおっしゃいましたの貴方!?」

「あっはっはっはまだまだ甘いなヴィッテルスバッハ大公孫。フローレンなら取り乱すことなく『お黙りになってトップオブ馬鹿、今それ言う必要ありまして?』くらいは笑顔で言ってのけるぞう。次期王妃がそんな感じなんだからそちらも大公位者継承者として何事も鋭角に対応してこ」

「どういう発想!? いえそうではなく流石に尖り過ぎではなくて!?!?!?」


「いい加減にしろ未成年どもさっきから私を無視するなァアアアアァッッッ!!!!!」


絶叫しながらびちびちと跳ねる縄ぐるぐる巻き成人男性を同時に見遣るマルガレーテ嬢と王子様の視線は冷たい。ぜえはあと荒く息を吐く姿を無感情に眺めている二人を睨み上げながら、五月蠅い輩は懲りることなく己の主張を振り翳す。


「事ある毎に遮りおってなんだ! 喋らせないつもりか!? そんなにもこのヴィクトールの舌鋒を恐れているのか貴様ら!!! ふ、ははは、ははははは! そうか、それは無理もない、ならば致し方ないがしかし!!! この私の心を折ろうとするなど無駄なことだと知るがいい!!! 追及の手を休めることなどない! さあ! オルロフ大公孫を“チビちゃん”などと偽った件についての説明を出来るものならしてみるがいい!!!!!」

「え? 説明とか要る感じ? わざわざ? マジで? お察しでない? オルロフ大公孫の名乗りにあった『チヴィディーニ子爵夫人』あたりがおそらくは『チビちゃん』の由来だろうなとは欠片も思わなかった系? ああ、なるほど、はいはいはい。聞こえていなかったパターンか、それならうっかり気付かないのも無理はないのでドンマイ国賊!」

「貴様は人を虚仮にするのも大概にしろ馬鹿王子ィィィイィィッ!!!」


話がつまらないだけでなく無駄に長くなりがちな男の長台詞を遮る際にも煽りを忘れず励ましを装った軽過ぎるノリで他人の神経を逆撫でしていく王子様の手並みが鮮やかな件。秒で頭に血が上ったらしい国賊が騒ぐのは当然だったが、彼はちっとも動じなかった。動じないどころか図太い神経はいっそ不動の構えである。

王子様はにこやかにチビちゃんとばあちゃんの方を見た。


「すみませんがミロスラーヴァ卿、リューリ・ベルが口にしている『宿屋のチビちゃん』の由来について、手っ取り早く答え合わせをお願いしてもよろしいでしょうか? 可能であれば“チビちゃん”本人………お仕事中に無理を承知で、そちらにいらっしゃるバーベリ伯からご回答をいただけますと幸いです」

「承った。バーベリ伯、これよりしばらく自己判断による応答のすべてを私が許す。職務は未だ継続中だが発言は好きに砕いて構わん。リューリにはその方が易しかろうて」

「御意。オルロフ大公孫バーベリ伯、エカチェリーナが申し上げる………なんて畏まったこういうところ、要するにコレが原因ですよ」


初手を大いに間違えたのです、と大真面目な顔でチビちゃんは言う。単刀直入にも程がある堂々としたスタイルには恥じらいどころか後悔もないが、しかし確かな反省があった。すべてを真摯に受け止める眼差しをした彼女は続ける。それはそれは滑らかに、言い慣れた言葉を順序良く。


「“北の民”の良き隣人であれ。誠意をもって敬意を払え。物理的な壁に阻まれようが言語の壁で隔たれようが、終生それを忘れるなかれ。私たちオルロフの人間にとってその家訓は絶対であり至極当然だったから、初めての“国賓”を迎えるにあたっての加減がまったくわからなかった。つまり、張り切り過ぎまして―――――逆に配慮を欠きました」


誠意をもって敬意を払って接することは大切であれ、伝わらなければ意味はない。相手が受け取れなかったものに価値はないのだと彼女は言う。


「大前提、我々“王国”に住まう人間と“北の民”は言語が異なります。が、ご存じのとおり、意志の疎通は不可能ではない。それは古より北部の民と彼らが今に至るまで続けてきた交流の歴史の積み重ね………と、言いたいところではありますが、正直なところオルロフ家でさえ彼らの言語はよく分かりません―――――ぶっちゃけリューリの来訪で“北”関連の研究がかなり進展したのはいいけどそれまでは『たぶんかつての北部域のめっちゃくちゃ古い大昔の言葉にちょっと似てる部分ある気がする』とかいう分析結果と勘を信じて一種の賭けじみた試行錯誤でなんやかんや遣り取りしてたっぽくて」

「チビちゃん途中でどうした。飽きた?」

「リューリがつまんなそうだったから砕こうかなって。戻そうか?」

「お気遣いありがとうございます。そのままのチビちゃんでいてください」


でも可能なら砕いたままでなるべくちゃちゃっと巻いてくれ、とお願いしたらあっさりいいよと快諾してくれるチビちゃんの頼もしさが留まるところを知らないな。なお王子様とマルガレーテ嬢が何故だかほっこりした眼差しで私を見ていたが触れないぞ。おかげさまでスルーにも慣れてきた気がする今日この頃。


「国賓の希望があったので口調は砕いたまま失礼………長々前置きしてはいるけど肩肘張らず無駄に構えず最初からこういう感じで臨めば彼女が私を『チビちゃん』と認識することはなかっただろうな。オルロフ大公孫にしてオルロフ大公子が第三子、軍務卿がひとりバーベリ伯にしてこの身はチヴィディーニ子爵夫人、エカチェリーナ・オルロフ・バーベリ・チヴィディーニ。さっきは敢えて略したものの、現代の王国様式で私が正式に名乗りを上げればまあまあ長ったらしいわけで………それだけならまだしも止せばいいのに“北の民”をお迎えするなら最初の自己紹介が肝心だろって彼らの言語に近いとされる『北方古語よりさらに古い言葉』で挨拶文を構築しようとかなんで名案みたいなノリで実行に移してしまったのやら高熱にでも浮かされて正常な判断が出来なかったのかと今の自分で過去の自分を殴り倒してでも止めたくなる罠」

「ああ。努力が迷走パターン」

「はい王子様が大正解」


チビちゃんがやる気のない拍手を送る。どこか遠い目をした彼女は、かつてを思い出すかのように透明な目をして先を続けた。


「わたくしはオルロフ大公家が家長ミロスラーヴァの孫にしてその息子ヴァルフォロメイが三番目の娘、オルロフ大公孫にしてオルロフ大公子バーベリ伯、或いはチヴィディーニ子爵夫人、エカチェリーナ・ヴァルフォロメエヴナ・オルロヴァ・チヴィディーニ。本日この瞬間からあなたに寄り添い世話をする者。誠心誠意もてなすがゆえ、何卒よしなに願い奉る―――――なんて、自分でもこれ気取り過ぎではと頭の片隅で思いつつやるからには徹底してやらねばならぬと古式ゆかしい挨拶かました相手の記念すべき第一声が大いに戸惑った『チビチャン?』だった当時の私の心境よ」


心境は流石に分からないけれどその時のことはよく覚えている。厳密に言えばあの時の私が口にしたのは「ン? チビチャ?」であってダイレクトにチビチャンではなかったのだがぽかんとした次の瞬間に“チビちゃん”は大いに爆笑していた。今となっては懐かしい。懐かしい、と思えるだけの時間が経っていることに、私は少しだけ驚いた。

彼女の話はまだ続く。


「思い返せば無理もない当然の反応なんですよ。だって受け取る側である“北の民”からしてみればいろいろ無理しかないでしょう? 全体的に詰め込み過ぎだし何より口上そのものが長く情報量が多いあまりに何が何だか分からない。なんて? みたいな反応されてもそれはそうとしか言いようがない。現に今、この場にて我が挨拶文を耳にした“王国民”の諸侯らとて大いに困惑されたでしょう。名乗りに際して父称と呼ばれる『ヴァルフォロメエヴナ』を挟むのも、性別によって語尾を変えオルロフを『オルロヴァ』と言い表すのも今の“王国”にはない文化ゆえ、耳慣れないのは無理も無きこと。だというのに、相手は“王国民”ではなく“北”からの客人であるからと私は敢えてやってしまった。冷静に考えるまでもなく迷走の極み。シンプルに愚行。だいたい狩猟民族の“北の民”に爵位の概念とかあるわけないのに大公孫だの子爵夫人だの言ったって通じるわけがないんだからそもそも省いたって問題なかったというのにあの時はもう、ホントにもう………あちら側にない言葉であっても伝える努力は怠るまい、と誠心誠意配慮したつもりで北方古語より更に古い言葉をチョイスして述べた口上は、やはり無理があったのでしょう。どうも“北の民”的には『子爵夫人』が『小さい女の子』に変換されてしまったらしく―――――まさかそれが『チヴィディーニ』の家名と巻き込み事故を起こした挙句発音のしにくさから『チビチャン』なんていう出力結果になるなんて思わなかったけど面白かったからそのまま採用して『チビちゃんです』って名乗り直したのがすべての始まりというわけです我ながらあれはファインプレー」

「さてはオルロフ大公孫思考がロックンロールだな?」


思わず真顔で純度百パーセントらしい本音をお出ししてしまった様子の王子様だが思考がロックンロールってどういうことなの何その単語。知らない。知らない筈だよな。知らんと思うけどとりあえず、腹を抱えて笑い転げて咳き込んでしばらくげほげほしたあとで気を取り直してキリッとした顔で「はじめまして。よろしく。チビちゃんです」と爽やかに簡潔な挨拶でやり直してくる鋼のメンタルの持ち主だったことは間違いないんだよな宿屋のチビちゃん。


「だって『チビチャン』ですよチビちゃん、自分と同じ背丈くらいの成人女性を前にして、それこそ銀嶺の擬人化じみた“北の民”の若者が“チビちゃん”とか呼んでくれるんです―――――せっかく恵まれた愛称チャンス、超面白いの引き当てといて逃すわけがないでしょう」

「わかる。し、なんなら積極的に自ら名乗るのも分かる」


しみじみしながら理解を示す王子様とチビちゃんの間で何かが通じ合ったらしい。ふたりは淡白に視線を交わし、そしてしっかり頷いた。


「ちなみにこれは完全にただの余談で雑談ですが、私が“チビちゃん”と呼ばれていることを羨ましがった姉上たちがリューリと交渉した結果、彼女たちは『大ねえちゃん』と『小ねえちゃん』に落ち着きました」

「え、やだ、こわいこわいこわい北方大公軍の参謀総長と衛生兵長を大小姉ちゃんで呼び分けてるってマジでどういうことなのこの子オルロフ大公家に対するノリがマジで完全に親戚のそれじゃんもう怖いもの無さ過ぎじゃん?」

「ドン引きトーンでガチコメントは何卒お控えください陛下ッ! 経験則ですがそろそろ失言ギリギリの気配が漂っております!」

「逆に今のがギリ失言じゃない判定で済むのはどういうことなの!?」


怖いよォ! と震えている国王様を横目で見遣る王子様の顔がなんとも言えない。血縁者に向ける眼差しにしてはあまりにもなんていうかこう、駄目だ“王国民”でもない私には上手い言い回しが思い付かないのでこの件については忘れよう。違うな。覚えないでおこう。


「流石はオルロフ大公家、ロックなフレキシブル対応」

「なあ王子様。もしかしてお前適当なこと言ってない?」

「鋭いじゃないのリューリ・ベル。でもまあ“宿屋のチビちゃん”が爆誕した経緯と理由については適当でも理解しているぞう―――――ついでに言うならお前の認識しているところの『宿屋』がたぶんおそらく間違いなくオルロフ大公家の邸宅だというオチにも“王子様”は既に気付いています」

「ご明察です、レオニール殿下。ノルズグラート滞在中にリューリが泊まっていたところ、つまりはオルロフ家の本邸ですが、王国語的に一番簡単な表現が“宿屋”だったので『ここは私の実家で宿屋』とリューリにはそう説明しました」

「そんなこんなで分かり易さを重視するあまり何ひとつ間違ってはいないけれども第三者からすればかなり嘘、みたいな“宿屋のチビちゃん”が出来上がったというワケですねオルロフ大公孫」

「如何にも、殿下の仰る通り。嘘は吐いていないにしてもまあ混乱はするだろうなあ、という懸念については“宿屋のチビちゃん”の語呂の良さを思えばどうでもいいかな的な気分になってしまいましたので気にしない方向で可決しました―――――その方が都合も良かったのでね」

「そうですね―――――いやホントに」


含みもたっぷりに頷いて、やんわりした微笑みを湛えたチビちゃんと王子様が示し合わせたかのように視線を向けた先には開いた口が塞がらないらしいお間抜けな芋虫さんの姿。


「チヴィディーニ子爵夫人が『チビちゃん』でオルロフ大公家の邸宅がよりにもよって『宿屋』扱い? ば、馬鹿な、いやそんな―――――普通そうはならないだろうが!?!?」

「なってるからこうなってんでしょうがッ!!!!!」


焦った抗議もなんのその、王子様がすかさず声を張る。しかし言葉そのものはシンプルに雑だし適当だった。しかし間違ってはいない。そうなってるからこうなってる―――――誰が何と言おうとも、私にとっての“宿屋のチビちゃん”はそこに居る彼女だけなので。


「ていうかぶっちゃけそんなこと『どうだっていい』って話なんだが―――――もしや時間稼ぎですらなく本当に気付いてない感じ?」


呆れを通り越してめんどくさそうに言ってのける王子様の声には一切の配慮とやる気がなかった。表情管理さえも適当で、もはや薄笑いと真顔の中間じみた奇妙な中途半端さを隠す努力さえしていない。もしかしたら敢えて意図的にそうしているだけかもしれないが、お祭り騒ぎが似合う馬鹿には似合わない気怠さで彼は言う。


「どういう流れに持って行く気かと思えば何のことはない、そこまで足りていないとなると即興劇には向いていないな。いや、まあ、知ってたけども」

「ハッ、馬鹿王子が何を言うかとお」

「もう終わりだっつってんでしょうがこういう大人にはなりたくないな、ヘイ警備。黙秘権行使して」

「もがごっ!?!?」


王子様の淡々とした指示を受けた警備の人たちが五月蠅い輩の口の中に布を突っ込んで黙らせた。なにかがいろいろ違う気がしたがおそらく私の気のせいだろう。


「なんか違くない? みたいな顔をしているリューリ・ベルにレクチャーすると、今件に限りこの場合においては黙秘権と書いて実力と読む」

「つまり物理的に黙れってこと?」

「話が早くて助かっちゃうなあ!」


こちらに向けて頷く姿は誰がどう見てもご機嫌であり先程までとは態度がまるで違うからこそ底知れない。ぱ、と両手を広げる姿は堂に入った役者のようで、しかし彼は生まれながらの“王子様”という生き物だ。


「幕を引き損なったとしてもこの茶番劇に続きはないし、こちらとしては続ける意思も意味もないから止めるだけ―――――の、つもりだったが事情が変わった。終わりたくても終われやしない、苦し紛れに掘った墓穴が深過ぎるって話をしよう」


ぱん、と打ち合わされた手から響いた音は大きくない。なのに効果は絶大で、一瞬の静寂が場に満ちた。口の中に布を詰め詰めされてびったんびったん元気に暴れていた芋虫姿の国賊も何事かと構えて大人しくなる。

すべては掌の内側にある、と思わせるだけの何かがあった。何かはまったく分からない上に終生知りたくないけれど。


「先延ばしにする理由も無ければ時間もないので本題だ。さっきから五月蠅かったので進行上の都合で発言の一切を封じられた国賊伯、ヴィクトール・ヘンスラーに告ぐ。お前は見当違いをしている。着眼点が間違っている。確かに好奇心をくすぐられたのでこれ幸いとばかりに聞いたが、実のところこの場に集った我々にとってはオルロフ大公孫が『宿屋のチビちゃん』と呼ばれている理由なんてものはなんでもいいし明け透けに言うとどうでもいい―――――こちらにとっては『宿屋のチビちゃん』と『オルロフ大公孫バーベリ伯エカチェリーナ・オルロフ・バーベリ』が同一人物であるというその事実だけが重要であり問題だからだ。愛称の由来はどうでもいい。その意味お分かり? お分かりでない。なるほど? 思い知ってはいたけれども本当に頭がよろしくなさげ」


だから喋るに値しない、と淡白な声が切り捨てる。まるで温度のない声だった。なのに、口元に刷かれた笑みは朗らかで何より品がある。騒ぐ阿呆を見下ろすことはあれども存在は眼中にない。そんな佇まいで冷静に、この上もなくにこやかに、何の苦もなくあっさりと、傍目には片手間感覚で―――――トップオブ馬鹿はなんとも優雅に馬鹿馬鹿しそうに遠慮容赦なく思うがままに言い放つ。


「未だに気付いていないらしいから教えてやろう、ヴィクトール・ヘンスラー。純然たるひとつの事実として、お前が誘拐しようとしたのは平民の小さなお嬢さんではなくそちらの『オルロフ大公孫』だ―――――要するに北方大公家の直系である伯爵位の貴族を攫おうとしましたって超勝ち誇ったドヤ顔で盛大な自白ぶちかましちゃったお前に助かる道はない」

「ファッ!?!?! も、ふもがふぁががっ! ふごごふんごふ―――――」

「言い訳を聞くのも時間の無駄なので先に黙らせておいたわけだが『そんな馬鹿な』みたいな反応のあとで『誤解なのです』っぽい感じの嘆き方をしてみせたところで話がくだらない挙句につまらんボンクラには弁明の機会どころか発言権さえ与えられないってそろそろ理解してくんない? なにしろミロスラーヴァ卿が締めの口上を述べているところに無理矢理割り入っての現状だからな、とっくに尺は使い切ってるし観客各位の気分的にはすっかりエンディングの終盤だ―――――見なさい、リューリ・ベルだってニッコニコで主食系を食べている」

「ふぁんふぇ!?!?」


なんで!? のリズムで叫ばれたところで何言ってるかまったくわからん。しかしそんなことはどうでもいいので私はフォークを動かして先端に突き刺さったぷにぷにつやつやの塊を口の中へと押し込む。

主体はお肉。がっつりお肉。しゃりしゃりとした食感の推定お野菜的な何かの存在を噛み締めた歯が感じたところでそれを上回るお肉とお肉がはち切れんばかりの贅沢さで小麦粉の皮に包まれているインパクトには敵わない。弾力強めの噛み応えに加えて滑らかな食感は喉越しが良く、しかしぎっしり詰まったお肉とスパイスの味わいは咀嚼の度にほろほろほどけ―――――お菓子もいいけどやっぱりお肉は食べ応えと満足感が違うな。というかいくらでも食べられちゃうからこれって実質もうお菓子では?


「お菓子美味しい」

「あっはっはっは、ペリメニはお菓子じゃないぞうリューリ・ベル。ポップコーンと同じスピードでひょいぱくもぐもぐしてるからって実質これはお菓子ですみたいなトンデモ判定するんじゃないの」

「ううん、茶番が終わってガッツリ系の差し入れが解禁されたのは喜ばしいので水を差したくはないのだけれど、山盛りペリメニお鍋丸ごとデリバリースタイルを気軽につまめるお菓子扱いはやっぱりこの子の教育上よろしくないのではなくて………? いえ教育とはまったく関係なくどちらかというと個人的にはすぐにでも食べ終わってしまってしょんぼり肩を落とすお姿が目に浮かんで心が苦しいのだけど………」

「もがががもがふががふががががが!!!!!」

「おっと、墓穴を掘った阿呆が何やら騒いでいる様子―――――なんだけれども懇切丁寧に付き合ってやる義理はない。ミロスラーヴァ卿、並びに諸侯。そういうわけで後はよろしくどうぞ」


王子様がどこまでも雑な感じで丸投げしていく。未成年には決められないから決定権のある大人に委ねる選択そのものは間違いではない。言い方や態度に問題はあれどもそこだけは揺るぎないせいか、大人たちは首肯を返してばあちゃんを主軸に会話を始めた。


「さて。当初の予定通り、彼奴等の身柄は軍で預かる―――――北方大公家の誇りに懸けて我らオルロフが始末を付けよう。異論はなきかや。各々方」

「あ、ないです。あるわけないです。煮るなり焼くなりお好みでなんとでもしてくれちゃってどうぞ」

「あまりにもナチュラルに返答が雑! せめてあともう少しくらいは取り繕う努力をなさいませ陛下ッ! 失礼、国家としましては何ひとつ異論ございません。事前の取り決めに従って速やかに対処する所存です」


とてつもなく濃い血の繋がりを感じさせる口振りであっさりどうぞとか言っちゃう王様に宰相さんが勢いのある忠言的なものをぶつけたあと秒で理知的な回答を述べている絵面が傍目から見てもシュールな件。すごい。情熱と冷静の切り替えがあまりにも熟練者のそれですごい。私が今ひたすら食べている糧の肉汁の旨味もすごい。


「こちらもそれで構いませんよ。方針も同じく変わりません、キルヒシュラーガー公の病没とヴィッテルスバッハの継承の報せをただ粛々と受け入れるのみ………ええ、我々は国賊の処遇には一切関わりませんとも。大人しく静観させていただく。興味がない。旨味はもっとない。むしろ厄ネタでしかない。ミロスラーヴァ様の不興を買ってそんなものを抱え込もうだなんて物好きを通り越した気狂いでしょう。そこの国賊でもあるまいに、そんな愚をわざわざ犯すつもりなど我らには毛頭ございませんとも! でしょう? 我が友、タイラン殿」

「同感にて、ヘサーム殿。もとより今回に関してはラウトーイもプトレも出番がない。公的には死んだことになる国賊どもの身柄を得たとて我らに何の利がありましょう。最も害を被ったオルロフの気が済むように差配するのが妥当とあらば、異論など唱える筈もなく………仮に唱えられるとすれば王家かヴィッテルスバッハでしょうが、その意思はないとお見受けいたす。如何ですかな、ルイトポルト殿」

「然り。異論などある筈がなく、すべてオルロフ御大の良きに計らっていただければ。かの“北”の地を侵したばかりか、次期王妃となるご令嬢に加えて北方大公家の直系までもをかどわかさんとした愚か者ども………我が身内ながら万死に値する。如何様にも、お気に召すままに」

「あいわかった。任せよ―――――禍根など後世には残さぬ」


欠片ひとつとて残させぬ、と力強く言い切ったばあちゃんの圧に震える現場と目に見えて大いに怯える国賊。緊迫した空気に動じることなくぷにぷにしたつやつやの塊に遠慮なくフォークを突き刺す私。


「こうしていとも簡単に決められる国賊どもの末路―――――“王国”渾身の茶番劇、これにて一件落着だぞう」


王子様のそのコメントは、たぶん私に向けられていた。めでたしめでたし、みたいな拍手も賞賛の声も上がらない。すとん、と幕を下ろしただけの何とも間抜けな締め口上。そんなものを披露しておきながら、トップオブ馬鹿は薄く微笑む。


「リューリ・ベル。だいたい分かってもらえた?」

「くだらない上につまらない話だったってことだけ分かった」

「それだけ分かっているなら上々」


珍しく頑張った甲斐もある、と陽気なお馬鹿は呑気に謳った。なんてことのない口振りで。恩着せがましいこともなく。当事者として在りながら、どこまでも他人事のように。それでいいのか、と思わせる程に極めて明るく馬鹿っぽく―――――だから、ついつい聞いてしまった。偉い人たちに囲まれた場で、感覚的に、なんとなく。


「そんなんでいいのか。王子様」

「問題ないぞう。リューリ・ベル―――――だってお前、興味ないだろう」


それがすべて、と言わんばかりに“王子様”は言い切った。大きく張ったわけでもないのに不思議とよく通るその声で。


「この“王国”の内部事情なんてモノにお前は興味がない。メッセンジャーとしての役割を果たすために話を聞いていただけ、事の経緯と顛末を演目として見せられただけで内容そのものへの関心は薄く、誰が何の目的でどんなことをした挙句どういう末路を辿ったかなど『リューリ・ベル』自身にはどうだっていい。共感なんかしようがないから同調なんてしようもないし、自他の線引きが明確だからスタンスは常に一貫している―――――ぶっちゃけこの茶番もうちょっと別件というか補足云々で長引く予定だったんだけどたぶんお前には心の底からマジでどうでもいいだろうなあと思って諸々キャンセルしといたぞう。アドリブが利く現場ってこういうところが楽でいいよね、とにもかくにもミロスラーヴァ卿を味方にしておく根回しがまるっとすべてを解決しました」

「王子様って普段馬鹿だけどイベントだとホントに有能なんだな」

「あらやだ手放しで褒めるじゃん? 照れちゃう! なあんてふざけてはみたものの実際問題こちらとしてもやりたくなくなったというか………想像以上に国賊親子、特に国賊伯爵の方の話がつまらなさ過ぎてなんていうかもう全部が全部とにかく面倒になっちゃって」

「もががふがががふがふぉばばぶぉぼが―――――ッ!!!!!」


アイツがつまらんのが悪い、と“王子様”に指し示された先で国賊の若い方がキレ散らかした。北の大公のばあちゃんの発言に怯えていようが形勢不利だろうがそんなことをすべて覆す程にトップオブ馬鹿王子様からの煽りには耐えられない様子。


「なんか騒いでるぞあれ」

「うん。見れば分かるぞう。何言ってるかは分かんないけど自分の愚行を正当化しようと薄くてくだらなくて実のない話を頑張って捏ね回して嵩増しした挙句回りくどいことこの上ない感じで装飾過多気味に語ってるっぽいけど間違いなく聞いても面白くないと“王子様”の勘が告げている」

「へえ。心底興味ない。ところでこの料理おかわりあります?」

「お寛ぎのところ失礼します。“北”より招きし客人への差し入れをお持ちいたしました」

「タイミングが良過ぎるありがとうございます」


聞いたことがあるような、ないような声が割り込んで、すっとさりげなくお出しされたお鍋に視線を固定しながら息継ぎなしで感謝を述べれば軍服を着た配達人さんは目礼だけで応えてその場で蓋を開けた。ふわ、とくゆるほこほこの湯気が広がった端から消えていく。


「こちら、スープ仕立てにつき少々お熱くなっております。先程のものと同じように鍋ごと抱えて召し上がれるよう断熱布で覆ってはありますが、火傷にはご注意くださいますよう」

「なるほど。ありがとう、気を付けます。ご親切に丁寧な説明どうも」


客人への配慮を胸に刻みつつ熱々のお鍋を受け取ってしっかりとひとつ頷けば、相手はほかほかした鍋蓋を手に無言のまま軽やかな一礼をしてそのまま速やかに背を向けた。すっかり空っぽになっていた前のお鍋も回収してくれてどうもありがとうございます。登場から撤収までの間に一切の無駄を差し挟まないプロフェッショナルってすごいなホントに。


「もぁ? がっ! ふがが! ふぉがーふぇふふぉ!!!!!」


おそらくは警備の人員だろうに給仕の心得さえ備えている後ろ姿を見送って、がっつりと握り締めたフォークをお鍋の中のスープの海に浸かるペリメニにぶっすり刺した私は何やら一層騒ぎ出して五月蠅い輩をうるっせえなとげんなり見遣る。熱い。煮込まれたスープの旨味が大変素晴らしい仕事をしていた。暴れる芋虫国賊に手を焼いている名前も知らない警備員さんもお仕事頑張っていただきたい。


「もが! ふぉがががが! もががもがもが! ふぉががふぉごがァッ!!!」

「王子様なんか騒いでるぞあれ」

「アレが世に言う『構ってちゃん』だ、目を合わせると目を付けられてめんどくさいのでスルーしていこ」

「もがががもががもがもふぁがふぉぶ―――――おヴェッ」

「あ」


騒がしいのが静かになって、王子様が何かに気付く。次に異常を察知したのは目敏いばあちゃんたちだった。


「む。今のは嘔吐反射か? あの状態で騒げば無理もな―――――警備! 直ちにヘンスラー伯の口の中に詰めた布を除去、同時に気道も確保せよ! 吐瀉物で窒息せんとも限らん、可能な範囲で回復体位! 拘束を緩める必要はないが建前としては人命優先、沙汰はどうあれそやつをこの場で死なせるわけにもいくまいて!」

「古語管理官殿の対応に回した関係で医療関係者の手が足りないので急ぎ人員の手配を願います。非公式設定で都合がつかない? なるほど、では移送班と一緒に待機させている我が軍の衛生兵を呼び寄せますので諸々の許可をいただきたく………聞こえたな伝令! 走れ!」

「はっ!」


判断が早ければ決断も早い。ばあちゃんが声を張る横で冷静に医療関係者の追加人員を手配するチビちゃんに抜かりはなかったが彼女は持ち場を離れないので結果的に指示を受けた周囲の方が慌ただしくなる。己が職務はあくまでも北の大公のばあちゃんの護衛であって便利屋ではない、との割り切りと線引きが明確なので貫禄とか風格とか武闘派の圧が凄まじいことになってるな。そしてそれは彼女だけに限った話ではないようで、短い応えと敬礼を残して室内を飛び出していった伝令さん―――いやなんとなくでお見送りしたけどよく見たらあれペリメニスープを届けてくれたさっきの人だなありがとうお世話になりましたお仕事頑張ってください―――を除いて己の持ち場を離れることなく取り乱す素振りさえ見せない軍服を着た人たちについてはなんかもうそういう彫像っぽい。


「ああもうただでさえアレな有様ですのに自分で騒いで暴れた挙句喉に布を詰まらせて死に掛けるって馬鹿なんですの………!?」


うっかりと耳が拾ってしまったマルガレーテ嬢のお気持ち表明がなんていうかとんでもなく悲痛。聞かなかったことにしてやるのが人の情けというやつだぞう、みたいな顔した王子様が慈愛に満ちた眼差しで首を横に振っているあたりが痛々しさを助長させていた。トップオブ馬鹿に慮られるレベルと当人が知ってしまったらいよいよ心に消えない傷を刻まれそうなので黙っておこう。プレッツェル美味しかったです。今食べてるのペリメニだけど。


「ぅ、げ、あ、げふげほごほ………ふぐっ、こっォンの………! おのれ、おのれ! そういうことか! げほァっ! クソ! どいつもこいつも! 仕えぬ無能の分際で、ぜえ、揃いも揃って、謀り、おって―――――ハン! そこまでしてこの私を排除したがっていたとはなあ! なんという念の入れようだ、余程恐れていたとみえる!!!」

「なんか元気に囀り出したけどここまで行くともはや怖くない?」

「同感です父上じゃなくて陛下。危機は脱したなよし警備、口の中に布詰め直そう。本音を言えばもう意識とか刈り取る方向で黙らせたいけど流石にそれは駄目なんだよなあ。人道的に―――――ふふ。残念」


トップオブ馬鹿王子様が不穏極まる独り言を隠す気もなく堂々と明るく穏やかに言い放っているがこれは煽りの類ではないと私の勘が告げている。冗談めかしてはいるものの、本人が敢えて口にした通りそれは彼にとっての本音だ。


「はは、ははははは、ははははは! ああ、そうだな残念だ! 認めよう、私は及ばなかった! だがしかし今ここで我が口を塞いだところで事実は消えぬ―――――フローレン・ノルンスノゥクは確かに一度我が手に堕ちたのだ! そうとも、ただその一点だけにおいては嘘も偽りもない! 貴様らがどう繕ったとてそれを成した私は知っている! 隠し通すことなど出来はしないとせいぜい思い知るがいい!!!」

「ヘイ警備、仕事してもらっていい? え? 人命優先令が出てる状況でもう一回口の中に布を詰めるのは危ないから実行しかねる判定? それはそう。無茶言ってごめんなさいね―――――ところで口を塞ぐ感じで布を巻き付けるならどう?」


五月蠅いだけの雑音なんて“王子様”は歯牙にもかけない。舞台の幕は下りたと聞いたが未だに続いている何かがあって、私はそれを、ただ見ている。


「ハッ、必死だな? レオニール。事実をどう捻じ曲げたとて貴様自身が知っているから私を黙らせたいのだろう? くそ、止めろ! 無礼者! ああ! 本当は貴様もこの場に集った連中もみな知っているのだ! それを突き付けられるのが煩わしいから躍起になって私を喋らせまいとする―――――あの娘が、フローレン・ノルンスノゥクが! かどわかされて次期王妃になどなれぬ身になったと知っていながらそれを隠したいばかりになあ!!!」

「いい加減にしろ手元が狂うから暴れるなああもう一人じゃ無理だコレすみません応援お願いします固定係を大至急!!!」


必死なやつほど黙らない。喚き声は止まらない。わちゃわちゃしながら五月蠅い輩の口に布を巻こうと奮闘していた警備の人が悲鳴を上げた。正当な要請なのは見れば分かるのですぐに近場から一人が向かったがこれに関してはもっと早めに応援を頼んだ方が良かった気がする。ここまで往生際が悪いとは流石に予想もしていませんでしたと言われればそれまでだけれども。


「   」


吐息にも似た呟きは、私の耳でも聞き取れなかった。確かに何かを聞いたのに、それが何かが分からない。あの“王子様”のものとは思えない小さく潜められた声。騒がしい場で誰よりも騒がしく振る舞える筈なのに、今はやけに大人しくしているからまったく目立たない。隣に居るのに遠かった。違う。こいつは最初から、きっと近くには居なかった。

なんとなく―――――なんとなく、薄氷を踏む音がする。幻聴でしかないけれど。


「貴様らがどう誤魔化したとて無かったことになどなるものか! そんなこと、うぐっ、出来るわけがない! 最終的に敗れこそしたが私は確かにそれだけは成した、類稀なるこの頭脳が生み出した奇策が見事にはまりフローレン・ノルンスノゥクはあの日我がし」


「あっはっは! その奇策ってもしかしなくても食堂の害虫騒動のこと?」


暴れないように抑えられながら口に布を宛がわれていた国賊の悪足掻きを遮った“王子様”の台詞は明るい。明るくて、何より大きくて、だからこそよくその場に響いた。つまり、誰の耳にも届く。たぶんそのための大きさだった。確実に聞かせるための音。それを保ったまま言葉は続く。

何故それを、と驚く輩を憐れむでもなく淡々と。


「文化祭の開催に伴って食材搬入量そのものが爆増していたとはいえど、それにしたってあのタイミングで害虫騒ぎが起きたとなれば作為や悪意の類は当然真っ先に疑うべきだろう。余罪がひとつ増えたというわけだ。要するに―――――『黒光りさん』を用いて“学園”にあった食材の悉くを台無しにしたのは貴様だな、ボンクラ国賊ヴィクトール・ヘンスラー」


断定であり確認だった。王子様は容赦をしない。端的に、ただ慈悲なく告げる。私はそれを聞いていた。

聞いて、遅れて理解して―――――は?


「はン、馬鹿王子の分際でそこに気付くとは小癪なものだな? しかしそれがなんだというのだ! たかが虫を放ったくらいで余罪だなんだと大袈裟な、そんなこ」


「お前か」


遮ったあとの音が消える。そうして耳に残ったものは、私の低い声だけだった。質問ではなく確認のそれ。そうか、と咀嚼する予備動作。

いつの間にか間近にあった五月蠅い輩の顔が引き攣る。見開いた目も固まる挙動も、ひえ、と声にならないままに震えた喉の微かな動きも今はすっかり良く見えた。

視点は固定しているが、視野は広く在るべきなので周囲の観察も怠らない。一瞬で移動してきた私の存在に驚いたのか、暴れる馬鹿に対応していた警備の人たちは硬直している。置き去りにした後ろの景色は流石に分からないけれど、何ひとつ動く気配はなかった。息が詰まるような静寂の中では不自然にも時間が止まっている。

そんな錯覚は一秒後にでも吹っ飛んで行ってしまったが。


「お前か!!!!!!!!!!」


さながら爆発にも似た音が弾けて大気を揺らす。被害は鼓膜に留まらない。大きさだけで物理的にその場を震撼させたのは私自身の声だったけれどそんなことはどうでも良かった。あちこちで悲鳴が上がったようだが取り合っている暇はない。突然の怒声に驚いたであろう面々が我に返った頃には既に状況は大きく動いている。


「………うえっ?」


具体的に言えば国賊がひとり、ぶらんと宙吊りになっていた。やっているのは私である。ちなみに片手で事足りた。ペリメニを抱えていない方の手で適当に顔面をわしっと掴んで強引に持ち上げたらなんとかなった―――――腕力的には余裕でも今の私には余裕がないので力加減を間違えていたらごきゃっとなるところだった危ない。


「え、あ? ゥボアアアアアアァァアアアア!?」


自分の身体が一瞬のうちに宙に浮いてしまっている、と遅れて気付いた大馬鹿野郎の口から悲鳴が迸る。まあ当然の反応だった。立つべき地面がないのは怖い。抗えない力で冗談よろしく宙吊りにされている上に掴まれた顔はみしみしと軋み今にも握り潰されそう―――――そんな状態で怯えるなと言う方が無理な話だろう。理解はしていた。それはそう。

冷静に考える一方で、芽生えた怒りの火が消えない。抑えきれない衝動に突き動かされている自覚がある。止めるつもりはないけれど。


「全員動くな! 特に警備、北の子の持つペリメニ鍋には間違っても指一本触れてはならぬ! 断じて刺激するでない、各自その場に待機せよ! 『リューリ・ベル』に膂力で敵うと思うな―――――我ら北方軍一の力自慢であったとてアームレスリング開始一秒で敗北を喫し地に伏したゆえそなたらではまず相手にならぬ! 北の子は成獣の熊より強い! 北方熊鍋は好評であった!」

「嘘でしょ!? とも言い切れない光景なんだよなあまさに!!!」


北の大公のばあちゃんと国王様の声がして、しかし意識はそちらに向かない。誰にも止められないのをいいことに私の凶行は止まらなかった。凶行である。自覚はあった。それでも止まれないものがある。腹の底から絞った声も地を這う低さの恨み言も溢れ出て来て止められなかった。


「お前か。ふざけるなよお前。お前のせいでどうなったと思う。信じられないくらいの糧が台無しになったんだぞお前のせいで。クロビカリサンとやらのせいで食材が駄目になったのはしょうがない話だって聞いたがお前がなんか妙なことした結果がそれなら話は別だ、余計なことして食べられるものを食べられないものにしたんならそれは何ひとつしょうがなくないお前のせいでお前のせいだふざけるな馬鹿も大概にしろお前一人の我儘で糧を粗末にしていいわけないだろ食堂のおばちゃんや学生さんたちがたくさん頑張ってくれたおかげで全廃棄だけは免れたけどそれでもお前が馬鹿なことしなけりゃそんなことにはならなかったんだ食べ物はちゃんと食べ物として私たちの糧になったんだ聞いてんのかおい『助けて』ってなんだ命を繋ぐ糧を粗末にしといてテメェの命は惜しいとかそんなん通るわけねえだろうがよ!!!!!」

「ぎ、い、い、あがっ!?!?」


激情に任せて力を込めた指先を伝って掌にまで広がる嫌に鈍い音。このままでは砕くだけでなくきっと潰してしまうだろう。それでも私はこの生き物を放してやろうとは思えなかった。

だってとにかく気に食わない。


「バーベリ伯。止められそうか」

「止められる気がいたしませぬ。糧と矜持を踏み躙られた“北の民”を止める術などこの“王国”にはございますまい―――――無論、ご用命あらば潔く身を賭す所存にて」


糧を台無しにする輩とは根本的に相容れないのだ。許せないし許す道理がない。

今まで長々と聞いていた“王国民”同士のごたごたよりも食材を大量に駄目にしたというその一点が腹立たしい。


「こっちに来てからいろいろあったがこんなにもどうしようもない馬鹿を見たのは初めてだ。ランチやお菓子を無下に扱う馬鹿を見たことは何度かあったがそれでもお前程じゃない。分かってんのか。分かってないだろ。一食分、一人分どころの話じゃないんだ、文化祭のために用意してあった食材の備蓄のほとんどが駄目になったんだぞお前のせいで! お前が余計なことしなければ普通に美味しく食べられたのに! それだけあれば大勢がお腹いっぱいになれたのに!!!」


胸が痛む。頭が痛い。言葉に出して突き付けた事実は私の心も抉った。なんてひどい話だろう。糧が粗末にされたこと。それが悔しくて悲しい。理由の類は関係なかった。だってそんなものはどうだっていい―――――命をありがたくいただけない究極の大馬鹿野郎だという事実は覆りようがない。

燻って消えないこの激情がもうどうしようもないように。


「もう謝ったって容赦しないけどお前は反省する気配もないな。自分自身が可愛いだけだ。あらゆるものに生かしてもらってる自覚がなければ感謝もない―――――命の糧を粗末に扱うことがどれだけ許されないか、お前も粗末に扱われてみれば少しは分かるだろ」


思考がいよいよ冴えていく。身体の芯が冷えていく。体内を巡る血だけが熱い。私をつくり私を生かしたすべてに誓って止まれない。


「その意気や良し。であるが、不要だ。その身を賭して何かがあれば北の子の方が気に病もう―――――やむなし。諸侯、予定が狂った。各自で即座に覚悟を決めよ。婦女子は急ぎ退室されたし。このミロスラーヴァ・オルロフが大公として、後見として、責任を持って見届けよう。バーベリ伯、供をせよ」

「御意。幸甚の極みなれば」

「待って待ってオルロフ大公に匙投げられちゃったら終わりなんだけど!? 諦めないで宿屋のチビちゃぁん! 王様目の前で人死には嫌ァッ!!!」


感情が沸騰したついでに理性の方は蒸発しかけて残ったのはもう殺意くらいだが周りの音を拾えるくらいの余裕も存在していたらしい。王様の声はよく響いた。王子様によく似た勢いで王子様以上に情けない感じの泣き事を堂々と吐いている。肩書的には一番偉い立場の人がチビちゃんのことをチビちゃんと呼ぶのがなんだかおかしくて、だけど笑う気分じゃないから無言のままもう暴れ騒ぐ気力さえない馬鹿の顔を掴む手に一思いに力を込めようと


「ヘイ、リューリ・ベル。筋違いだぞう」


したところで、声がした。


驚く程の陽気さで、同時に能天気さもある。場違いレベルで明るいそれは、私の眉間に皺を刻んだ。

あ? と言葉にならないままに呼び掛けられた方を向く。あくまで顔を向けただけだが状況の把握には十分で、そこには“王子様”が立っていた。

いつもどおりのバカ面で、気負うことなく、平然と。


「バッ………おまっ―――――強靭メンタルそこまでいくと最早狂人だぞ息子ォ!!!」


即座にそんなコメントを寄越す王様のメンタルも狂人説ある。しかし今は敢えて触れない。それより気にするべきことがあったからそちらに思考を割く。はて? すじちがい―――――筋違い?


「どういう意味だよ王子様」

「読んで字の如くそのままの意味でしかないとも、リューリ・ベル。なに、食べ物を粗末にされたお前の怒りはごもっともだしこちらも一切否定はしないさ、むしろ“王子様”だっていろいろと思うところがある。だがその上で敢えて言おう。筋違いだぞう、リューリ・ベル。だってそうじゃん? よく見なさいよ―――――そのお馬鹿さんが真っ先に詫びて然るべき相手は誰で、そいつが駄目にした糧の落とし前を付けさせるべき相手は誰だ?」


言われて、素直に考えて、答えは案外すぐに出た。


「ああ、うん。そうか。そうだな」


激情と衝動が消え失せる。あとに残ったのは納得だった。そして私はあっさりと馬鹿を掴んでいた手を放す。実質的には腕一本の力で宙吊りにされていた男はぐき、と足首から床に落ち、どしゃ、と更に膝から崩れ、最終的にはばったり倒れてぴくりとも動かなくなった。しかし仕留めてはいないのでまだちゃんと生きて息がある。食材台無しクソ馬鹿野郎から王子様へと視線を戻して私は神妙に答えを述べた。


「王子様の言うとおりだった。確かに私じゃ筋が違う。この馬鹿を吊るすのも怒るのも、私じゃなくて食堂のおばちゃんたちが先だった。クロビカリサンの悪戯で食材のほとんどを駄目にされて一番大変だったのは対応した食堂のおばちゃんたちで、次に迷惑を被ったのは文化祭を台無しにされた“学園”の学生さんたちだ。謝罪を受け取るべき相手が居ないこの場で“北の民”が暴れたところで私がちょっとすっきりするだけであとはなんにもならないな。ごめん王子様。私が悪かった。気付かせてくれてありがとう―――――ところでこれってもしかしなくても暴行罪とかいうやつだよな? よく分からんけど大人しく裁判とやらに出ればいい?」

「謝罪と感謝の表明に迷いがなくてとっても偉い! 国賊どもはこの潔さを見習ってほしい切実に………あー、元公爵閣下の方はあまりの事態に放心してるしボンクラはガチで意識がないので見習いようもない感じ? いいや、そいつらは置いといて現実的な話をしよう。すみませんミロスラーヴァ卿、『リューリ・ベル』の後見としてはどのくらいまで下がれます?」

「うむ………ううむ、よく場を治めた王子への賞賛も兼ね、そうさなあ………よし。北の子には『治外法権』があるゆえ責のすべてはオルロフが負う。それが道理というものよ。リューリ自身に咎はない。国賊どもの身は予定の通りに北方軍で預かるが、ヴィクトール・ヘンスラーが負った不幸な怪我の治療については万事任せよ。放置していたずらに苦しまるような道理に悖る真似はせぬ、犯した罪は罪であれ、与えられる罰は行いに応じたものでなければな―――――慈悲を垂れるわけではないが、北の子の暴走の清算として待遇を考え直すとしよう」

「え。なんかごめんな、ばあちゃん。ホントにありがとうございます」

「よいよい、若者が気にするでない。元はと言えばこの状況は“王国”の失態が招いたことゆえ北の子には何の責もないのだ。大恩ある“北”に報いるためなら例え国賊相手であったとて気前よく我が北方領自慢の蒸し風呂を思う存分に馳走してやる―――――そういうことで良きかや、諸侯」

「ええ、ええ! いいですねえ! 良いと思いますよ、蒸し風呂」

「どうしたヘサーム殿蒸し風呂好きか? む。蒸し風呂………確かに、良いかと」

「国賊には過ぎた贅沢ですが………オルロフ御大のご随意に」

「ううん、リューリ・ベルさんが怒るのはまあ当然だから仕方がないけれど非公式とはいえ御前での暴挙の落とし所としては国賊に少々優しいのでは………いえ、短い余生をせめて良い思い出で彩ってやろうという北方大公閣下のお慈悲には文句などあろうはずもないのだけれど………」

「ヴィッテルスバッハ大公孫。ヒント、リューリ・ベル激怒の理由」

「え? なんですレオニール殿下、リューリ・ベルさんが怒った理由ってあのお馬鹿さんが食べ物を粗末に………………え、むしぶろ………?」


大人たちが難しいことを話し合っているのには混ざれないのでなんとなく王子様とマルガレーテ嬢の側に立ちながらペリメニをもぐもぐしていたのだけれど蒸し風呂はあれだぞ、別名サウナ。北境の町のみならず北部では大変有名らしいがとにもかくにも熱そうだったので私は体験していない。冷水に浸かるのはなんとかなっても前段階の蒸される時間がなんとなく嫌。どうにも苦手。ちなみにノルズグラートでは焼くよりも蒸したり茹でたりの調理方法がポピュラーらしくて提供される食べ物全般ほっかほか通り越してあっつあつだがそういうのは笑顔で大歓迎。


「ペリメニ食べ終わっちゃった………へい、お喋りな王子様。がっつりお肉はまだですか」

「食欲衰え知らずなの? 知ってた! すみませんがお歴々、今度こそ終わったようなので若輩者たちは一足先に退室してもよろしくてェ!?」

「このお歴々を前にしてそのテンションで退室申請出来るってどういう神経ですの!?」

「見ての通りこういう感じですけど? そういうわけでお疲れ様でしたァッ!!! さあてそれじゃあ撤収だぞう、これ以上この場に我々がいても出来ることは何もない。あとは大人にまるっと投げて若者たちはしれっと出よう―――――あ、ちなみに文化祭は明後日開催するからな。大人の事情はまあ片付いたしここから先は学生さんの青春タイムだ輝いていけ、それはそれとして明日は明日でやることげんなりする程あるから今日はしっかり食事を摂ってたっぷり寝なさいねふたりとも!」

「え、ちょ、レオニールでん………俊足な上に無駄のないコーナリングが上手過ぎる! お待ちなさいまし今日このあとに文化祭についての打ち合わせを予定していたのは貴方でしょうにお忘れでして!? ああもう! 本当に仕方がありませんわねあのエンタメ全振り王子様ッ!!! そういうわけでリューリ・ベルさん申し訳ありませんけれど私は急ぎますのでこれで! ごきげんよう! また後日!!!」


退室の許可を得るところから外の通路に出るまでを一方的に喋り倒した“王子様”はそう結ぶなり関係者各位を追い立ててくると宣いながら走って行った。なんなの今日の王子様は基本的に動いてないと死ぬの? そんなトップオブ馬鹿のフルスロットル具合にしばし唖然としていた様子のマルガレーテ嬢もはっとするなり何処かへと足早に移動していったので、結果的に私はひとり、空っぽのお鍋と取り残される。


「あれ。これ私どうすりゃいいんだ?」

「失礼いたします、リューリ・ベル様。お待たせしてしまい申し訳ございません。北方大公閣下より、お客様をお食事会場までご案内するよう申し付かっております」

「あ、ペリメニスープのひと! ご苦労様ですお願います!」


かしこまりましてございます、と友好的に微笑んで、空っぽのお鍋を回収ついでに先導までしてくれるというさっきも見た軍服を着ている人。どうやら警備でも配達でもなく外との連絡役だったらしい彼は既に与えられた任務を終えてこちらに戻って来ていたらしい。仕事が早いな、と感心しながら後ろを付いて歩く最中、ふとした引っ掛かりを覚えて私はちょっと首を傾げた。


「なあ、案内の軍人さん。ノルズグラートで会ったことある?」

「いいえ。そちらで貴女のお目に掛かったことはございません」


返された答えは淀みなく、前を行く人は立ち止まらない。口調も歩調と同じくらい、穏やかに落ち着いたものだった。嘘はない。そう思う。直感したから納得した。


「そうか。気のせいだった。ごめん」

「いえ、お気になさいませんよう―――――到着いたしました、こちらでございます。北方大公閣下は少々用事があって遅れるとのこと、先に食事を始めてほしいとの言付けを頂戴しておりますが料理をお持ちしてよろしいでしょうか」

「ありがとうございますお願いします!!!」

「なお『おかわりは自由』とのこと、心行くまでご賞味ください」

「わーい気が利き過ぎてる最高!!!!!」


案内された部屋の中、用意された席に座って美味しい料理を楽しむ私の機嫌と気分が上を向く。こんがり焼けたお肉の塊をたっぷり頬張る蛮行は誰にも止められなかったから、本日直面した諸々のめんどくさいことに関してはとりあえず族長に伝えればいいかと深く考えずに結論付けた。当事者枠であったとしても主役ではない“北の民”にはきっとそれがちょうどいい。

結局その程度の認識で、こちら側に来る切っ掛けになったらしい馬鹿げた話を私は消化したのである。


作中の王子様の暴露がすべて(説明責任の大胆放棄)

主人公の視点だとどう足掻いても描写しきれんというか彼女あまりにも(王国民のゴタゴタに)興味がなさ過ぎて駄目だコレ、となったのが一番の理由なのですがそれでも書きたいこと書いたら二万字超えてていつもの味ィ~~~!


そんなこんなで今回もここまで辿り着いくださった方々に感謝の表明ですいつもいつも本当にありがとうございます。


キャンセルされた部分については書けるものなら何とか書きたいと思っておりますがどうしたものか、主人公を抜きにしてやりたい放題すればなんとか出来ないこともない気はするけどそれをやるとラスボス嬢とセスの出番が後回されるので悩ましいところでございます……エッ 仕事が繁忙期? ソンナァ!

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― 新着の感想 ―
わーーい更新ありがとうございます!! 楽しいところウケた文なにそれあり!?ってなったところたくさんありましたけど書ききれないです!! なので同率1位をお伝えさせてください! >そしてまったく分からな…
比較的短い……確かにと納得しかけたけどスクロールバーを見て宇宙猫になりましたね…… やっと薄っぺらいプライドミルフィーユさんたちの出番が終わったんですね! ならそろそろ懐かしの三白眼さんとかの出番が…
朝出勤途中に更新されてるのに気付いちゃってついつい読み始めたけどやっぱり読み終わらなかった( ゜д゜)!全然短くないw!最高!! 続きが気になって気になってたけど仕事中も気がそぞろに…… あったことが…
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