表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/37

28.そんな馬鹿なのオン・パレード

詰め込みまくって嵩張り過ぎて五万字を超えてしまったのでとうとう百万字に届いてしまったような気がして震えていますがここまで書き続けられたのも読者の皆様のお力添えがあってこそですありがとうございます。

(過去最高にアレな感じですがシャーッとしちゃって構わないので今回だけは最後まで読んでもらえると嬉しいナァ)

(本編を読む前に感想欄を覗くタイプの方は何とは言いませんがご注意ください)

場違いだな、と思う瞬間はそこそこ頻繁に訪れる。

此処は故郷の“北”ではない。自分が生まれ育った地とは異なることが多過ぎて、面食らうことは多くある。文化、風習、その他諸々、それらは違って当たり前。違うことは別に間違いではない。当たり前のように生じた差異は別に誤りでも過ちでもなく、彼らにとっての正解が私にとっては違うだけ。

それだけだ、と解釈している。そうやって受け止めたその上で、思うこと自体は止められない。

色鮮やかな景色を見たとき、たくさんの人間に囲まれたとき、知らないものに触れたとき、そして何ひとつ分からんままになんだか面倒臭そうな場に放り込まれたまさに今―――――いやこれ流石に場違い過ぎない? と私は現実から逃げたい気持ちでポップコーンを食べていた。塩とバターの味わいだけが唯一の救いと言えばそう。


「な、なにを………何を仰いますか、父上! どうやら誤解があるようです、我が声に耳をお貸しください! ヴィッテルスバッハ家の長にして誇り高き西方大公、老いてなお今も威光衰えぬ自慢の父が、偉大な父が、見事病苦に打ち克ったのだと今まさに息子として歓喜に震えるばかりの私がまさか貴方の死を願うなどとそのようなことある筈が」

「あるから毒など盛ったのだろう。今更足掻くな、見苦しい」


はあ、と露骨な溜め息交じりにおじいさんは吐き捨てた。切り捨てた、と言い換えてもいい。そこには一切の情がなかった。

どうにも高貴な身の上らしく立場的にも偉いらしいが詳しいことはよく知らない。分かっているのはただひとつ―――――私が今ぱくぱく食べているお手軽お菓子のおかわりを届けてくれたことだけである。なお、追加されていた結び目みたいな形状の物体(岩塩をまぶして焼き上げてある歯応えがっつり系のお菓子)はかなり好みの味だった。


『はじめまして。こんにちは、我らが招きし稀人よ。お会い出来て光栄だ。自己紹介も積もる話もひとまずのところ後にして………おあがりなさい、お嬢さん。用意した心ばかりの品が、貴女の口に合えば良いのだが』


そう言って物腰柔らかに賑やかしさが大爆発した見た目の容器を渡してくれたおじいさんの素性を私は知らない。知らないからこそ困ってしまった。

明らかに王子様が用意したわけじゃなさそうな上に知らない人から提供されたお菓子だけどもこれ大丈夫? 受け取って問題ない感じ? そんな逡巡で固まっていたら、なんと彼は“北の大公のばあちゃん”の古い知り合いできちんと許可も得ているという。念のためにばあちゃんの方へと視線を向ければしっかりとした首肯が返って来たので普通にいただくことにはしたが、言ってしまえばその程度の浅い情報しか持っていない。しかしお菓子にまつわらない個人情報とかどうでもいいかと気付いたのでどうでも良くなった。

そんなこんなでなんか知らんけどお菓子をくれてありがとう、知り合いの知り合いおじいさん。

雑でも感謝には違いない言葉を心の中で唱えつつ、なんやかんやでぼりばりと塩味を堪能しているわけだが―――――惰性で伸ばした指先が容器の底にぶつかって、私の思考は停止した。


「そんな! 私が父上に毒など盛る筈がないでしょう!? 何を根拠にそのような」

「黙れ。逃れられると思うな。お前がよりによって『微睡』を………古より伝わる西方大国秘伝の毒を用いたこと、既に明らかであると知れ」

「なっ………は!?」

「国王陛下、並びに諸侯。そこなる国賊めにひとつ、新たな罪状を付け加えたく………ヴィッテルスバッハ大公子、キルヒシュラーガー公ヴィンセント。かの者はおよそ二年前、父であるこの私の殺害及びヴィッテルスバッハ大公家の簒奪を目論み実行しました。ご覧の通り、私がこうして生きている以上は尊属殺人も御家簒奪も未遂に終われど、罪は罪―――――裁定を願い奉る」

「な、な、父上………ッ!?」


信じられない心境で見下ろした先には何もない。念のためにくるりと円を描いて容器の底を確認しても、指先には何も当たらなかった。ふわふわのポップコーンではない油と塩が染み込んだ固い穀物の欠片みたいなものさえ一切見当たらない。虚無。


「ちが、ちがいます、そんな、そのようなことはけしてあるはずが」

「黙れと言うに―――――何も、違わぬ。お前は私に、この父に、確かに毒を盛ったのだ。それを誰より知っているのは他でもないお前自身であろうよ。白を切るならその罪を詳らかにして黙らせるまで。どのみち必要なことゆえな………始めてしまってよろしいか」

「構わぬよ。なに、所詮は茶番だ。こんな機会などもうないのだから思うままやりきるが良い、若造」

「寛大ですなあ、オルロフ御大。ええ。言われずとも、そのように」


おかしいな、本当についさっきおかわりをもらったばかりだというのにそんなまさか爆速でなくなるなんてことあるはずが―――――あったわ。食べ尽くしてたわ。無心に近くて知覚するのが遅くなってたわ不覚の極み、などと言っている場合ではない。なんで食べるとなくなっちゃうんだ。食べればなくなる。それはそう。分かってて言った。悲しみ。


「事の起こりから語るとしよう。遡ること二年と少し前、南のプトレ大公家と東のラウトーイ大公家が世代交代を行った。ヘサーム殿とタイラン殿はそれぞれ嫡子に跡目を譲り、しかし私とオルロフ御大は故あって現役を退けず………我が愚息、ヴィンセント・キルヒシュラーガーにはそれが不満だったのだろう。他家は代替わりしたというのに、当主の父親が一向に引退する気がないせいで自分はいつまでも大公になれない。阻まれている、邪魔をされている。早くに引退した大公たちより年嵩の身でありながら、尚もその座にしがみつく目障りな老害のせいで―――――不平不満が高じた結果、愚息は安易で短絡的な実力行使に打って出た。有り体に申せば暗殺ですな。私が表に出られなくなった理由は病でも、ましてや老衰でもない。毒を盛られ著しく体調を損なったがゆえのこと」

「ち、違う、そんな、暗殺などと! 妄想も甚だしいのでは!? 知りません、私は、毒など知らぬ! まどろみ、など聞いたこともない!」

「だろうな。なにしろヴィッテルスバッハ家の長のみが口外を許される秘伝だ。お前が知らないのは道理だろうよ、なにしろ教えたことがない。そして教える予定もなかった………だが名称こそ知らずとも、アレが毒だと知った上でお前は私に使ったな? かつての西方大国においては『微睡』と呼ばれていたアレは、その名の通り穏やかな死を与える毒であったという。摂取してすぐに死ぬような即効性こそないものの、神経を鈍らせ臓腑を破壊し緩やかに、だが確実に、まるで眠りに誘うように対象を死へと近付ける―――――老衰と見せ掛けて殺すにはお誂え向きの秘中の秘。お前にとってはどこまでも都合の良い代物に思えたろうよ。しかし、しかしだ、ヴィンセント。さして詳しくない過去の遺物をあまり過信するものではない。この通り、仕損じるゆえな」


目の前で展開されている“王国民”劇場には興味がなかった。台詞のほとんどは記憶に残らずそもそも認識すら放棄している。思考を割くことはただひとつ、おかわりするか、このまま帰るか。選ぶなら間違いなく後者である。

だって私がこの場に留まる意味と理由が分からない。


「毒とは生物に有害なモノ。生命活動に悪影響を及ぼす物質の総称だ。それらは健康を損なわせ、時には命をも脅かす。毒の歴史は奥深く、人の歴史と切り離せない。生物、植物、鉱物、菌類、自然界のありとあらゆるところに存在するそれらが持つ毒を利用してきたのが人類だからだ。最初は狩りで労せず獲物を仕留める手段のひとつであった、とするのが専門家たちの通説らしいがそのあたりの講釈は省くとしよう、なにしろ大して詳しくない。私が知っていることは、時代が何時でも場所が何処でもこと権力者の暗殺において毒は便利ということだけだ。なにしろ、使えば容易く殺せる。そして痕跡が残り難く、人目につかないから気付かれない。四方大国時代でもそれより昔の混沌期でも、権力の椅子と毒物は密接に絡み合っていた。王と呼ばれる為政者たちは当たり前のような用心深さで毒見係を置く一方、検出されない毒物の研究に余念がなかったという。解毒などかなわないように、毒だと気付かれないように、より強く、より密やかに、確実に目的を成す毒を………そういった経緯で開発された人工毒が『微睡』だ。その名称と存在は知識として後世に伝わっていてもレシピそのものが残っておらず、製法どころか原料さえもが不明というまさに過去の遺物。であるがゆえ、解毒不能で盛られれば最後、どうしようもない」

「は、ははははは、突然何を言い出すかと思えばまさか有難いご高説とはいやはや恐れ入りました、しかし父上、お人が悪くていらっしゃる! 解毒不能な古の毒を私が用いたと仰せなら、今こうやって貴方がこの場に立っているのはおかしいでしょう! つまり! 父上は毒になど最初から侵されていなかったのだ! 体調を崩されていたのはやはりお年を召したがゆえのことでしょう、肉体の衰えを受け入れ難いのは誇り高き西方貴族の長として当然のことと理解出来ますがそれで息子に毒を盛られたなどと誤解なさるとはお労しい! これはいよいよ西方大公の重責を下ろすべき時が来たのではないかとこのヴィンセントは愚考いたします、ええ、お身体を思えば本格的に静養された方がよろしいでしょう! 今は小康状態だとしてもこれから悪化するかもしれない、いけません過信は禁物だ、そうでしょう違いますか父上! そうでしょう!? それとも、まさか………ええと、まどろみ、でしたでしょうか? 確か。そう、そのまどろみとやら、製造レシピが失われる前から解毒不可能の必殺毒として猛威を奮ったというそれの毒素を体外に排出することに成功したら大丈夫とでも? はは、それはないでしょう、なにしろ父上のお言葉を信じるなら摂取してしまったが最後どうしようもないという猛毒なのだからそのようなことある筈がない、世界の何処を探しても解毒の術など無いものにその身を蝕まれているというなら今この場に居られる筈もない………ああ、なんとお労しい! 偉大な西方大公であったルイトポルト・ヴィッテルスバッハが実の息子に毒を盛られたなどとあらぬ妄想にとりつかれるなど誰が予想出来たというのか、まこと時の流れというものは残酷であると嘆くことしか出来ない我が身が恨めしい!!! せめて父が背負う重責を少しでも軽くして差し上げることが孝行息子というものでしょう、ええ、そうでしょうとも!!!」

「ヴィンセントお前本当に………いや、もう指摘も面倒だな………」


退出の許可が下りないということはまだ何か用があるのだろうがやっていることはただの放置なのでこちらは身の置き場に困る。要点を完結に述べてほしい。聞きたいことがあるというならさっさと私に聞いてくれ。ていうかなんかよく分からんことになってるっぽいこの状況で“北の民”にわざわざ聞くこととかある? 本当に? 帰っていいよって言うの忘れてるとかそういうオチだったりしない?


「視野の狭さもさることながら、想像力の欠如が著しい………答えは目の前にあるというのに、どうして分からぬのだ。お前は」

「父上こそどうしてそのような妄言を口になさるのです。誇り高きヴィッテルスバッハ家の名を自ら貶めるおつもりか!」


そんな念を送ったところで偉い人たちには通用しない。彼らは何かを言い合っている。きっと大切なことなのだろうが“北の民”には関係がない。そうとしか思えなかったから、興味は持てないままだった。


「ごきげんよう、リューリ・ベルさん。お菓子はきちんと足りていて?」

「あれ。マルガレーテさんだ、こんにちは。食べ尽くしちゃったんで帰っていい?」

「まあ待ちなさいリューリ・ベル―――――ここに差し入れのチュロスがありますなんと大容量三十本入りバラエティーパックフレーバランダムただし王道のシナモン・チュロスはパウダー大奮発増量版で確定十本。はいどうぞ」

「ただでさえ粉がこぼれ落ちやすいと評判のチュロスの三分の一がシナモンパウダー増量版ってそのチョイスは正気なんですの!?」


堅苦しくも控えめな感じで声を掛けてきてくれた縦巻き髪のお嬢さんことマルガレーテ嬢が何処からともなくぬるっと現れた王子様に非難というか悲鳴を叩き付ける。それでも声量を抑えているあたり彼女なりの配慮があるようだった。ていうかこのタイミングで出て来るのがフローレン嬢じゃなくマルガレーテ嬢なのなんか新鮮かもしれない。どういう絵面? なんもわからん。


「はっはっは、リューリ・ベルならたぶんなんかこういい感じで完食しそうだからいいんだぞうそういう細かいことは。と、そういうキルヒシュラーガー公子は何を?」

「え? ああ、私は手土産にと持参した我が西方領発祥の焼き菓子プレッツェルにフレーバー・アレンジを施したものを………王城の厨房に依頼した関係で少々時間を要しましたが、流石にプロの仕事ですわね。キャラメル掛け、チーズソース、ソルトハニーにナッツペースト、各種チョコレートコーティング。定番の塩にブラックペッパー、いっぱい食べる妖精さんのために張り切って取り揃えましてよ!」

「あ、もらっていいやつなの? ありがとうございます。プレッツェルっていうんだなこれ。さっきあそこにいるおじいさんにもらった塩味のやつ美味しかったです。もしかしてマルガレーテさんの知り合い?」

「ええ。あちらの紳士こそこの私の祖父にしてヴィッテルスバッハ家が頭領、西方領土を統括し西部の貴族の頂点に立つヴィッテルスバッハ西方大公、ルイトポルトおじいさま―――――なのですけれど、ええと、そうね………とりあえず、北の大公様と同じでとにかくとっても偉い人、くらいの認識で問題なくてよ」

「分かった、知り合いの知り合いおじいさんはマルガレーテさんのおじいさん」

「知り合いの知り合いおじいさんってそれはどういう認識でして!?」


王子様が持っているでっかい容器から飛び出していた小分け用紙袋入りのチュロスを引っ掴んでもぐもぐしている私にマルガレーテ嬢からの質問が飛ぶが答えにはちょっと困ってしまう。どういう認識もなにも、そういう認識でしかないので。


「レディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガー、それは聞き方が悪いぞう。ていうかリューリ・ベルなんだからそのまんまの意味でしかないだろう、たぶんだけど“北の大公のばあちゃん”という知り合い枠のそのまた知り合い、くらいの認識だったとみた」

「解像度の高い補足をありがとうございますレオニール殿下。ところでどうして貴方がこちらに? 先程まであのあたりに立っていたでしょう」

「え、それ本気で聞いてる系? キルヒシュラーガー公子とリューリ・ベルだけじゃ展開によっては心配だから王子様わざわざチュロス片手にここまでアシストに来たんですけど?」

「チュロスを満載したお菓子ボックスを小脇に抱えて駆け付ける王子様ってなんですの? と、言いますか、この状況下でも私に対してはそういう態度ですのね貴方。別に構いませんけれど、ご心配いただかなくて結構でしてよ」

「あっはっはっは、そういう強がりは多少なりとも不意打ち耐性を上げてから言ってもらいたいものだなあ―――――今や私はただのガヤだが、そちらはそうじゃないだろう。茶番であっても大舞台、心中は察するに余りある。それでも敢えて助言しよう、レディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガー。この場においては馬鹿王子を相手に常時軽口を叩けるくらいの心構えがマストと思え、ヴィッテルスバッハ大公孫」

「ご厚情を賜りまして、まことにありがとうございます………相変わらず、私のような未熟者には測れない王子様ですこと。ひとつだけ申し上げますけれど、そこはエキストラとおっしゃって」

「敢えてのそこ? うーん、ピッタリだと思うんだけどなあ、この舞台上ではあるけれどメインの遣り取りの邪魔にならない端っこで背景に溶け込みつつなんか別の会話に興じる他人事感漂うガヤっぷり」

「何言ってんだこの王子様」

「こっちの話だリューリ・ベル。ところでそのチュロス色がヤバいな? え、よくそれ普通に齧………待って待って毒々し過ぎるなにそれホント何の味?」

「なんで持ってきた張本人がドン引きしてんだよ王子様。分かんないけどとにかく甘い」

「蛍光ピンクと紫のチュロスとかそんな配色初めて見ましたわ………え、本当に何味でして? ここまで漂ってくる香りは激甘のキャンディに近いですけれど」

「なんか小麦を押し退けてダイレクトに砂糖の甘さを感じた。がつんとブラックペッパー美味しい」

「チュロス一本爆速完食してすぐプレッツェル食べてるのだわ………育ち盛りなのはいいことだけれどお菓子ばかりでは栄養が偏りましてよ。レオニール殿下、この際お惣菜系の軽食デリバリーも検討なさっては?」

「うーん、舞台の進行速度とお菓子消費のバランスが釣り合ってないのがなんともなあ………こっちの都合でしかないんだけども本筋そっちのけになっちゃうだろうからあんまり主食系出したくなくて」

「ああ、なるほどそういう―――――いえ、リューリ・ベルさんを相手にそれはちょっとその………可哀想では?」

「言いたいことは分かるぞう、ヴィッテルスバッハ大公孫。私もコレ些か酷だよなあ、とは思ってるんだが如何せんメインが進まないことにはなんとも」


「ええいさっきから他人事ですと言わんばかりに何をしている気が散るだろうが未成年ど―――――あ? おまっ、マ、マルガレーテェッ! お前何故そ」


「あっはっはっはいやだなあ室内の平均年齢を下げることに貢献しているだけの幼気かつ無害な我々に裁定待ちの最低国賊が軽率に絡まないでいただきたいところで恫喝は脅迫罪強要罪威力業務妨害罪に問われる可能性がありますので覚えておいた方がよろしいですよまあもう手遅れでしょうけれども社会的にも人生的にも」

「き、き、き、貴様馬鹿王子ィィィィイィイイィィッ!!!」


雑談に興じている私たちに向けられた五月蠅い大人の難癖をノータイムで迎撃するトップオブ馬鹿は笑顔ですらすら喋っているのに声のトーンが珍しくあんまり面白そうじゃないしきっと楽しんでもいない。す、と静かに目を細めてそれでも口元に笑みを刷いたまま彼は淡々と囁いた。


「ほらな。私が居て良かっただろう―――――デコイとヘイト管理はこうやる」

「じ、実践に迷いがない………! 仮にも『王子様』なのに………!?」


マルガレーテ嬢が感嘆だか戦慄だかよく分からない面持ちで身を震わせていたけれども私には何も分からなかったのでもしゃもしゃとチュロスを齧るしかない。なんだか柑橘系のような酸味あるフレーバー生地にも当然のように付着していたパウダーをうっかりこぼしてしまわないよう細心の注意を払っているため無言になっているだけとも言う。自分のペースで食べたかったのでお菓子ボックスごと受け取って次から次へと消費しているのだけれども我ながら真面目な雰囲気で話し合っている大人たちを横目に自由が過ぎるな。まあ詳しいこと知らんけど。


「畏れながら西方大公閣下。お取込み中のところまことに恐縮ではありますが、忌憚なき意見を申し上げますとゲストが早くも飽きております―――――お菓子が足りなくなりそうなんで大胆に巻いてもらえません?」

「怖いものなしか馬鹿息子………」

「いっそ傑物ですなあれは………」


ある意味で私よりフリーダム路線を突き進んでいる気がする王子様の発言に続いた投げやり気味なコメントがこの場における大多数の心中を物語っている。あいつまじかよ、みたいな空気が漂っているのは間違いなかった。セスがこの場に居合わせていたら絶対に声に出している。クソ度胸、というコメントが何故だか脳裏を過っていった。


「おお、それはよろしくないな。であれば巻こう。早急に―――――と、言うわけで結論から言うが“北の民”の族長殿に便宜を図っていただいたことにより『微睡』の解毒に成功したので私は死なんぞ、ヴィンセント」


休む間もなくもぐもぐとチュロスを消費し続けてとうとう食べ終わってしまったこちらの姿を認識したらしい人が、やけに明るくあっさりと言う。雑音でしかなかったそこには聞き逃せない単語があった。

空っぽになったお菓子のボックスを係の人に回収してもらいつつ、意識と興味を向けた先では西方大公閣下と呼ばれた知り合いの知り合いおじいさん改めマルガレーテ嬢のおじいさんが平然とした顔で立っている。


「え………は? そ、そっ………そんな馬鹿な! あ、ああ、ある筈がない、まさか、解毒に成功しただと!? そんな馬鹿な………そんな、そんな、ありえない! レシピは既に失われているどころかその製法が明らかであった頃でさえ解毒薬など開発不能だと匙を投げられていた代物だと、そういう触れ込みの毒であると、それを、そんな、どうやって、解毒の術などありはしないと西方大国が秘め隠してきた神秘の雫を打ち消せるモノなど世界中の何処を探しても見付からな―――――あ、あ?」


なにやら五月蠅く喚いていた大人が言葉と顔色を同時に失くして何故だかこちらに視線を向けた。その目に映っているものは当たり前だがこの私だろう。

目が合った、と思ったところで状況には何の変化もない。

なんなんだ、と問い掛けるような親切心も湧かなくて、他にも自分に集まる視線も含めてスルーを決め込んだ。こういう場合は反応しないに限ると経験が言っている。


「北の民―――――“北”の、民」


事実の指摘でしかない言葉には特に関心を抱けない。それがどうした、と受け止めた先から聞き流してしまえばそれで済む。

しかし相手には違ったらしく、繰り返されたその発音は妙に掠れて罅割れていた。こちらを凝視する眼差しには絶望感さえ漂っている。それはそれとして存在しないものを見てしまいましたと言わんばかりの表情なに? いやさっきからなんなのまじで、いい加減説明しろ本気で。


「世界はひとつの大陸であり、すなわち我らが王国である………その認識は、常識だ」


老齢の紳士は静かに謳う。当たり前を説くフレーズは、別段心に響かなかった。なにしろ常識の前提が違う。つまりは他人事でしかない。

ただひとり喋り続ける人がどんな表情をしているのかは、この位置からでは分からなかった。分からないままであったとしても勝手に話は進んでいるからどうでもいいのかもしれない。


「我ら王国民にとって“世界”と“王国”は同じもの。だが“北”の地は“王国”ではない。王国の外に位置する異郷だ。ゆえに―――――“世界”の外、ゆえに。無い筈のものがあったのだ」


分からないことばかりの中で、私にも分かる音を拾った。故郷を示すこちらの言葉。かの人は“北”を“外”なのだと言う。王国の外、という意味で、それは分かり易かった。


「世界中、この王国内の何処を探しても無かった希望が、世界の外側に住み暮らす隣人たちのもとにはあった」


まるで演劇のような、祝福にも似た独り言。歓喜の震えを堪えるように、幸運を噛み締めるように、きっと理性を総動員して紡がれる声は穏やかだった。

ゆっくりとこちらに向き直り、真正面から真っ直ぐに、品の良いおじいさんは言う。


「あなたに感謝を、レディ・リューリ・ベル。族長殿に遣わされたあなたが“北”より持参してくれた手土産は、あの可憐な花は、私の身体を蝕んでいた毒素を排斥する薬になった。本当に、どうもありがとう。そして私は大恩ある“北の民”に伏して詫びねばならない。客人にして恩人よ、あなたに告げねばならぬことがある―――――今からおよそ一年前、事もあろうに不可侵領域たる“北”の地を踏み荒らした罪人は其処で呆けている私の身内だ」


無条件に柔らかい声と態度と表情に御しきれない曇りを滲ませて、まことに面目次第もない、と彼はおもむろに頭を下げた。お礼を言われたと思ったら話の流れで謝罪もされたけどなにこれどうすればいいの。

答えは出ない。誰もくれない。


「………うん?」


首を傾げてみたところで状況は何ひとつ好転しないし瞬きしても景色は変わらない。マルガレーテ嬢のおじいさんはたぶんおそらく偉い人なのに躊躇いもなく深々と、文字通り伏して詫びている―――――えっ? 待って? どういう流れ?

反応に困る突然のぶっこみとか止めてもらっていいですか? 何がどうしてどこに繋がってこの状況に至ったの?


というかぶっちゃけ散らかり過ぎててこっちは何も分からんのだけど?


そんな状態で懇切丁寧なごめんなさいをされても困る。何ひとつとして咀嚼が出来ない。丸呑みするのもちょっと無理。筋張り過ぎてて歯が立たない肉より消化に困ってしまう。気合いと根性とフィジカルでどうにも出来ないっぽいことはどうすりゃいいんだと考えたところで当然の如く答えは出ない。出たら笑顔で帰ってた。


「うん。あー………うん?」


何の意味も意図もない、相槌にすらなれない音はその場凌ぎにもなりはしない。ていうか言い訳をさせてもらうと聞きたいことがあるから呼んだけど質問に正直に答えるだけでいいみたいな感じだったから今の今まで完全に単なる他人事感覚だった。聞こえてはいたので聞いてはいたけど普通に聞き流していた―――――わけだけれども、もしかして、族長の話題が飛び出した時点でもしかして、とは思っていたがもしかしてもしかしなくてもこれ他人事じゃない感じ?

あくまでなんとなくだけど、ひょっとしてこれ最初から私にも関係あったりする? え、嘘だろそんなことある?

気のせいであれ、との願いを込めて確認のために口を開いた。分からないことはそのままにせずその場で聞いた方が良い。


「私ひょっとして当事者枠か?」

「まさかそこからなんですのこの子!?」


誰よりも早い反応速度で驚愕の意を表明したのは縦ロールのお嬢様である。実はおじいさんと一緒のタイミングで神妙に頭を下げていた彼女は学園のノリそのままに突っ込みを叫びながら勢い良く顔を跳ね上げたことに気付くなり硬直してしまった。余談ではあるが己の失態を瞬時に悟って身を強張らせても手に持ったプレッツェル満載の器を落とさなかったのは素直にすごい。うっかりさんなのにうっかりで糧を無駄にしたりはしないところは称賛に値する。なので感心はとても滑らかに私の口から飛び出した。


「ナイスキープだマルガレーテさん。プレッツェルもっともらっていい?」

「お褒めに与り光栄でしてよどうぞ好きなだけお召しになってってだからそれどころじゃないでしょうにこの子は―――――ッ!」


卒なく誉め言葉を受け取りつつゲストへの心配りも忘れない細やかさを披露した直後に素で叫んでしまったらしいアドリブよわよわマルガレーテ嬢の顔からさあっと血の気が失せていく。完全にやってしまったのだわ、と小さく震える彼女はそれでも手に持ったお菓子の器を落とさなかった。根性がある。

それはそれとしてそろそろ危ない気もしてきたので器ごともらっておきますねプレッツェルありがとうございます、と一時停止中のご令嬢からお菓子を回収したその矢先。

私たちのすぐ近くから、割ととんでもない音が鳴る。


ぱあん!!!!!


と、空気を破裂させたそれはトップオブ馬鹿の両手から生まれた。手を打ち合わせて爆音を出す訓練とかしてんのかよお前、と思わず聞きたくなる程度には常軌を逸した不意打ちによって奇妙な停滞は打ち砕かれる。たったの一手というか両手であっさりとリセットを成し遂げる偉業は鮮やかの一言に尽きた。しかしそれだけでは終わらない―――――この“王子様”は、止まらない。


「カットカット! 駄目だわコレ、一旦インターバル挟みます!!!」


被せるような大声に、なんて? と呟く暇もなかった。

爆音によって強制的にぶっ飛ばされた思考では彼の初速に追い付けない。誰にも文句を言わせないどころか突っ込みさえも置き去りにする速度と強さと緊迫感が王子様を鋭く尖らせている。ただの休憩宣言なのに。


「どうもテンポが悪いなあとはうっすら思っていましたけれどもコレあれですね、完全にアレ、リューリ・ベルが想定以上に何ひとつとして分かってない! なんも知らない状態で『ご存じでしょうが改めて』みたいなノリで謝られたところで何にも響かない意味が分からないそりゃそうだろうな知らないんだもの茶番に付き合う以前の問題、確認不足と伝達ミス! 経験則で断言しますがこの流れはもう駄目ですね、多少強引にぶった切ってでもリセットした方が早く済む―――――ので“王子様”ちょっと出しゃばりまァす! 関係者各位ご留意ください!!!」

「うそうそマジで怖いものなしじゃんそんな冷静とヤケクソの狭間みたいなテンションで堂々と出しゃばってくることある?」

「ありましたなあ。今まさに」


疾走感だけで生きているようなトップオブ馬鹿の発言にきちんとコメントを差し込んでいく大人たちには慣れがある。呆れて恐れて慄いて、疲れ果てたらしく『スンッ』としていた。もはや何を言っても無駄、みたいな達観さえもが醸されている。やべーやつなんだな王子様。知ってた。あまりにも今更過ぎる。

そんなことを思考しながら現実逃避を続ける私は、実のところ近距離で立て続けに大きな音を浴びたことにより心の底からげっそりしていた。五月蠅いどころの騒ぎではない。これ以上のダメージは御免被る。

なお、似た距離で被害を受けたマルガレーテ嬢もげっそりしていたが咄嗟に耳を塞いだことによりダメージの軽減には成功したらしくなんとかその場に立ち続けていた。お菓子の器をあのタイミングで回収しておいたことにより彼女の鼓膜が守られたのならそれは良かったのだと思う。

しかしまあそれはそれとして、防御姿勢をとったところで被害を皆無には出来ていないっぽいあたりがもはや騒音公害生物として認定されてもおかしくないぞなんなんだこのバカうるせぇ馬鹿。お前ふざけんなよ王子様、とじっとりした目を突き刺してみても効果は薄い。なんなら気付いているかも怪しく彼はこちらを見ていなかった。もっと別の何かを見ていた。


「な、ば、馬鹿王子風情が! なにをでしゃば」

「お黙り馬鹿以下国賊風情ッ!!! この際ハッキリ言わせてもらうがこのグッダグダな展開の八割くらいは貴様らのせいだ、なにしろとにかく話がつまらん! 長いしくどいし装飾過多! 台詞量に対して進みが遅い! 察しが悪い! テンポが悪い! なんとなく感覚で調子が狂って噛み合わなさが半端ない、大御所のフォローも無意味なレベルで全体の進行が滞る! これが演劇だったなら冗長な流れに飽きた観客がブーイング起こして帰っているぞうこの段階まで付き合い続けてくれるような奇特なギャラリーはまず間違いなく常連客だ私だったら序盤で見切って脚本家に殴り込んでいる!!! と、いうわけで遅れ馳せながら今になって殴り込みました! 梃入れのお時間です傾聴ォ!!!!!」


ここが“学園”だったならギャラリー各位がノリノリの歓声を上げて傾聴姿勢をとるタイミングだがしかしここは学園ではない。その上で王子様は“王子様”だった。要するに馬鹿で、馬鹿だった。

そしてそんな馬鹿に噛み付こうとした別の馬鹿(大人)は普通に押し負けて、唖然としたまま黙り込むという間抜け面を周囲に披露している―――――勢いだけでテンション任せにトップオブ馬鹿の器と格を見せ付けて圧勝していく無敵の馬鹿を相手に誰が何を言えるというのか。

誰も口を挟めない、ということは王子様の独壇場である。

仮に誰かが何かを言っても敢えて無視する可能性すらある馬鹿野郎はよく通る声を朗々と張って単身で舞台の上に躍り出るなり爆速で舌を回し始めた。滑舌と肺活量がやばい。


「の、前に、ヘイ警備! まずはそこの国賊公爵を縄でぐるぐるに巻いておこう! インターバル中に突っ掛かられて無駄な労力割きたくないからしっかり口布も噛ませておいてくれあっといけないもう一人の方も黙らせておくに越したことはない口布については国賊伯爵の方にも改めてよろしく頼む! ついでに監視と制止も兼ねて今から二名くらい常駐させとこ、人員配置の差配については現場に一任する方向で―――――騎士団長! ほら呆けてないで陣頭指揮は任せたぞう、各員可及的速やかに己が職務をまっとうされたし! はい次! キャストのお歴々! お気付きでしょうが本件に関してはゲストへの根回し不足です、具体的に言うなら情報共有を著しく失敗しているというかリューリ・ベルなんにも分かっていません! 彼女の今の心境は『何も知らんし意味分からんしお腹空いたしそろそろ帰りたいお菓子食べたら帰っていいかなとりあえずプレッツェル美味しい』以外に無いです“王子様”の未来をオールイン!!!」


一気に慌ただしくなった室内の喧騒もなんのその、自他共に認めるトップオブ馬鹿は弾ける笑顔で言い切った。疑念など差し挟む余地もない確固とした口調の強い断定。そこにあるのは確信である。実際なにも間違っていないので私は口を挟まない―――――視界の端っこで大人が縄でぐるぐる巻きにされているとか床に転がされた芋虫状態の大人が口に布を宛がわれそうになってびったんびったん暴れているとかそういう混沌も視界に入れない。

何この状況。プレッツェルおいし。


「いや、賭けにもなるまいて。あいすまぬ王子、許されよ。これは完全にこちらの手落ち………今しがたになって気付くとは、私もいよいよ耄碌したか。考えてみればハーシア殿が、あの御仁が“王国”側の事情をわざわざ北の子に話した上でこちらに送り出しているなどと思う方がどうかしていた―――――すまぬな、リューリ。訳の分からぬ話ばかりでさぞや困惑したであろう。この賠償は近く、必ずや。だが今は先に我らが不手際とどうしようもない非礼を詫びよう。重ね重ね、本当にすまなんだ」

「ああうん、なんとなくだけどこの状況はうちの族長が原因の一端な気もしてきたな。ごめんばあちゃん、とりあえず他人事じゃなさげなことは分かったから聞いた方がいい話ならそのつもりで聞くぞ。真面目に聞く」

「おお、それはありがたきこと。そなたは心優しき子だな。つまらん話で申し訳ないが、どうか付き合ってやっておくれ」

「つまんないのはどうかと思うけどいいよ、ばあちゃん。聞くだけ聞くわ―――――てことでいいんだよな王子様」

「あらヤダどうしちゃったのこの子、話が早くて助かっちゃう―――――と、いうわけで意志の疎通に成功したので仕切り直します! 台本は各自で随時修正! お歴々! 準備はよろしいか! あ、そうそう、ついで感覚でいいので自己紹介挟んでもらえます? リューリ・ベルには誰が誰だか分かってないだろうし念のため」

「もう完全に好き放題するじゃんホント自由だなレオニール―――――こちら王子様のパパ国王。開き直ったのでいつでもいいぞう」

「ノリに感化され易いのは完全にお血筋ですな陛下!? ああ、失礼。宰相です。同じくいつでも始めてください」

「騎士団長以下、近衛騎士団特務班並びに北方軍属臨時警備隊。我らはあくまで警護が任務ゆえあまりお気になされませんよう―――――総員、配置につきました」

「私については省略でよかろう。ミロスラーヴァ・オルロフ、いつでも」

「マルガレーテの祖父、西方大公ルイトポルト。委細承知、把握いたした」

「おっと、簡略さが肝と見ました。南の方のご隠居は既に準備万端ですとも」

「東の隠居老人である。心構えは十分にて」


とんでもなく雑な頼みごとをもののついでみたいな感覚でその場にいた面々にぶん投げた王子様には躊躇というものが一切なかったが次々と応える大人たちにも目立った動揺は見られない。流れるように寄越される雑な自己紹介もといなんともふわっとした情報。緩い。あまりにも緩い。なにこの謎の一体感。駆け抜けてくじゃん全員で。


「ハイご協力ありがとうございます今回の主要メンバーの紹介はだいたいこんなところだぞう。あとは私とマルガレーテ嬢―――――そしてあちらで転がされている愉快な芋虫さんスタイルの二名だが若く見える方が国賊伯爵でもう一方が国賊公爵だ。ちなみに区別がつかないときはざっくり『国賊』でまとめておきなさいどうせどっちもどっちだから」

「むがむがむごごごむがご―――――ッ!!!!!」

「ふがが! ふんがふがふがが!!!!!」


容赦なく雑に煽り散らかしつつざっくりまとめる王子様に成人男性(愉快な芋虫さんの姿)たちから抗議の声らしき絶叫が迸っているのだが口に巻かれた布が邪魔をして内容はさっぱり分からない。ただとりあえずトップオブ馬鹿に腹を立てていることは分かった。びったんびったんと跳ねている様は冗談を通り越していっそ怖い。


「あれ。王子様、あっちの人たちは? さっき『古語をなめるな』とか叫んでた人がいるあのへん、まとめて仲間外れにしちゃっていいのか?」

「あっはっはっは関係者ではあるんだけれどもあのあたりに固まっているのは主に裏方の皆さんなので優しい心でスルーしてあげると彼らの胃壁が助かるぞう―――――おっと、国賓に認識されてしまった古語管理官の顔色ヤバめ。ヘイ警備、あちらに胃薬を」

「錠剤、顆粒、漢方薬、各種ご用意しておりますので御入用の方はお申し付けください。水だけでなく服薬補助用の可食シートも備えてございます」

「手厚いな………」

「織り込み済みですな………」


国王様と宰相の人のコメントがなんともしみじみしている。優しい心でスルーすべく他人事と割り切って聞き流し、警備の人たちとは別に部屋の隅で大人しく震えていた数名が青い顔で胃薬を流し込んでいる光景から私はそっと目を背けて速やかに見なかったことにした。

何処に目を向けていいか分からないからとりあえず王子様に視線を戻す。彼はいつもと変わらなかった。それはそれで怖いものがある。


「よし、インターバルはこれくらいにしてそろそろ本筋に戻すとしよう。それはそれとしてリューリ・ベル、再確認するけどお前自分がこっちに来ることになった経緯とか族長さんから聞いてない系?」

「うん? ああ、聞いてはいるぞ。ただ詳しくは知らないだけだ。せいぜい“北”に不法侵入した“王国民”が原因で山が突然水浸し………ええと、なんだっけ、ヤマツナミ? とかいう現象が起きたっぽいってことくらいしか把握してない。で、なんやかんやあって迷惑をかけたお詫び的な感じで北の大公のばあちゃんがいろいろと融通を利かせてくれることになって『衣食住の面倒見てくれるらしいからせっかくだし勉強しに行っておいで』みたいなノリで族長に言われて一人でこっちに来たわけだけど―――――マルガレーテさんのおじいさんの命の恩人とか言われてもぶっちゃけ何のことだか分からん」

「なるほど分かった。そこからかあ………この様子だと時系列もよく分かってないだろうから………仕方がないのでちょっと今から麦農家さんの話をします」

「真面目に何言ってんだお前」


耳を疑う発言も大概にしろ王子様。意味不明過ぎてほぼノータイムで本音が飛び出しただろうが。

ていうかどうして麦農家さん。関係あるのか麦農家さん。誰も予測出来やしねえよそんな突然の麦農家さん。マルガレーテ嬢とか王様その他とか唖然としちゃって置き去りだよもうお前のひとり舞台だよ。


「何、って梃入れの一環ですけど? 堅苦しくて小難しい説明ダラダラ連ねるよりもお前相手ならこっちの方が早いし確実に伝わると“王子様”の勘が告げている………そういうわけで、諸侯の耳をほんの数分間拝借したい。主役はとある麦農家さんだがただの農家と侮るなかれ、小麦、大麦、ライ麦、燕麦、その他『麦』と呼ばれる穀物を栽培している数多の農家、それらの元締めとでも呼ぶべき麦農家さん方の頂点に立つ『ボス麦農家』さんのお話だ―――――質問の類は後回しにしてまずは最後まで聞いてくれ」


己に向けられた困惑その他など綺麗に無視して彼は続けた。当たり前のような口振りで、憎々しい程に平然と、朗読のように堂々と。誰にも口を挟ませないまま自分のペースで勝手に始めて止まることなくただ進む。聞いてほしいとお願いしながら実際には強制イベントだった。

つまり、誰にも止められない。この“王子様”は止まらない。


「引っ張ったってオチに変わりはないのでダイジェストをダイレクトにお届けしよう。麦栽培農家の頂点に立つカリスマ『ボス麦農家』さんはとても仕事に熱心で大変誠実な人だったんだがその一人息子はボンクラだった。ボス麦農家さん唯一の実子、本来であれば跡取り筆頭、そう遠からず麦栽培は彼が牽引していくのだと農業界全体に目されていた一人息子はだがしかし繰り返すがボンクラだった。忌憚のない意見を述べて良いなら己を有能だと信じ込んでいる根拠のない自信に溢れた無能とかいう上司にしたくないタイプの上位で付き合わされる側からしてみれば心底左遷されてしてほしい的なド迷惑の塊だった、と敢えてボロクソに言っておこう。この厄介さんの時代の到来を誰より先んじて危ぶんでいたのは他でもない実の父親ことボス麦農家さんその人だ。この馬鹿息子に跡目を譲っては他の麦農家が苦労するだけだし業界全体が衰退しかねないし事と次第によっては最悪“王国”さえも傾けかねない、何が何でもなんとかせねば………己が社会的役割と担う重責を理解していたボス麦農家さんはそういう経緯でボンクラ以外の後継者を定めて育て上げるその日まで引退するわけにはいかなくなった。歴史あるボス麦農家としての矜持と意地と名に懸けて、麦栽培の伝統と傘下の家々は守らねばならない。出来得る限り早急に、そして何より秘密裏に、世代交代プロジェクトの詳細を詰める必要がある―――――なのでボス麦農家さんは業界仲間にして頼れる先達、トップオブお芋農家さんへと即座にヘルプを出しました」


んぶっふ、と音がした。次いで「トップオブお芋農家さん」と誰かが小さく震える声で復唱したのを耳が拾う。なにがそんなに面白いのかは分からないのでわからない―――――が、トップオブ馬鹿王子様の存在に慣れているからこそ分かったような気にさせられてしまうフィーリングのようなものはある。

しかしそれはそれとして、なにそれ感は拭えない。


「うん。なにそれ、みたいな顔をしているリューリ・ベルの気持ちは分かるがトップオブ馬鹿王子様とは比べるのもドドドドド失礼レベルですっごい偉い人なんだとの理解が及べば十分だ。なにしろ彼女に助力を求めたら長老お米農家さんと親玉コーン農家さんにもあっという間に話が通って協力体制が整うからな、そのスピード感を言語化するならもう秒を超えて瞬の域。まあ今回はダイジェスト版なのでそのあたりのことは割愛して雑に話を進めるけれども―――――とりあえず、四大主食農家さんの筆頭たちが頭を捻ってなんやかんやでボス麦農家さんの後継者問題はなんとかなりそうだったらしい」


ふわっと雑かつぼやっと適当。ワードのチョイスが一から十までフルスロットル馬鹿センス。梃入れのための謎説明で説明責任を投げ出すという蛮行に頓着する気ゼロ。

本能任せに言いたい気持ちを噛み殺して沈黙を貫く私の眉間にちょっとだけちょっとした皺が寄る。だがトップオブ馬鹿は馬鹿なので平然とした様子で先を続けた。

ところがだ、との前置きに、若干の気怠さを込めて。


「ストーリーの流れとしては、そんな事情を知りもしないどころか理解も出来ないボンクラがいつまでも跡目を譲ろうとしない高齢の父親に腹を立てて安易に毒とか盛っちゃったワケだが―――――そういうところだぞ本当に、と語り部の“王子様”は思うワケ」


それはそう、みたいな納得が無言のままに醸される。抗議の声を上げて喧しいのは芋虫スタイルの二人だけだったが他の面子は概ね同意と理解を示すだけだった。

ダイジェスト版で聞く限りボス麦農家さん及びその他農家の方々の気苦労の源が更なる面倒を起こしてクソ、みたいな話の運びだが、しかしまだまだ続くらしい。とりあえず気になることがあっても最後まで聞いてからにして、と最初に王子様が言っていたので大人しく従うことにしていた私は引き続き黙って傾聴する。


「何が一番間抜けって、殺害対象に初手で何もかも気取られる時点で粗末の極みだ。誕生日の贈り物として届いた酒が毒入りである、と一口で気付いたボス麦農家さんは幸いにも体調を崩す程度で死には至らなかったものの高齢の身には堪えただろう。事実、一度損なってしまった健康はもう完全には取り戻せない。微量とはいえ摂取してしまった毒物は体内に残っているし、容態の急変こそないもののじわじわと身体は蝕まれていく……既に調べがついていたならこの段階でボンクラ息子を切り捨てればいいと思っただろう? 私だってそう思うのだもの、誰だって考えるだろうとも。だけど、そうはしなかった。出来ない理由があったから、都合もタイミングも悪かったから―――――浅はかなボンクラ息子でも退場にはまだ早かったから、温情ではなく打算ありきで渋々泳がせておくしかなかった」

「ええ、遺憾なことながら」


自嘲の笑みを刷いている老紳士の目は仄暗い。独り言には意味がなく、毒を吐くにはもう遅いとの悔恨ばかりが込められている。聞き取れたのは偶然だった。私以外には誰一人として届かなかったらしい小さな声は、誰もが耳を傾けている王子様のトークに埋没していく。


「さて、ここで視点を変えよう。急報を受け取った他の三家の筆頭農家さんたちもこの事態には頭痛がしたが、後悔はいつだって先に立たないし起こってしまったものは仕方ない。彼らは各々最善を尽くすべく密やかに東奔西走し、そしてトップオブお芋農家さんはそんな日々の中で突然に予期せぬトラブルに見舞われた――――――ぶっちゃけご近所住まいのベテラン猟師さんに『山津波でめちゃくちゃになったウチの敷地内で暫定不審者らしき物体がゴロゴロ転がってたんだけどなんか知ってる?』的な意訳でドストレートにスプラッタ展開ブッ込まれるなんて心中察するに余りあるよねホント心臓に悪いったらない」


更に登場人物が増えたけれどもなんだろう、ご近所住まいのベテラン猟師さんとやらで何故だか族長が脳裏に浮かんだ。どういうことなのと思いつつ、おそらく間違ってはいない。

というかこのあたりでうっすら察した。殊勝な面構えのトップオブ馬鹿が神妙な声音で結んだ言葉に頷いて同意を示している大人たちの重々しさがやけに気になるところではある。


「ベテラン猟師さんのお住まいは狩猟特区の不可侵領域。トップオブお芋農家さんは隣人としてその境界を守る立場にあったわけだが己の管理不行き届きを向こう側からお知らせされて肝が冷えたしキレ散らかした。農業界の未来のために多忙を極めていた自覚はあれどもそれにしたってありえないミス、己が怠慢への自罰はさておきまずは状況の把握が急務、にしてもそれはそれとして何処の馬鹿だこの大馬鹿者どもッ!!! と、原因究明にも熱が入って事態はすぐさま解明され―――――結論から言えばボス麦農家さんのボンクラ息子とその私生児がベテラン猟師さんのお住まいに手勢を集団不法侵入させた挙句人為的に起こしたと思われる山津波に巻き込まれて実行犯ども全員死亡、とかいうオチに辿り着いたからトップオブお芋農家さんはガチ切れしたしボス麦農家さんもバチ切れした。こんなことなら後先考えずあの場で手打ちにしておくべきだった、とのコメントの切実さったらない」

「切実なのは伝わるんだけどシンプルに今更だと思う」

「ぐうの音も出ない正論はもうちょっと待ってリューリ・ベル、この話まだ続くから。もうちょっとだけ聞いてダイジェスト。ハイ、不可侵領域に実害をもたらしてしまったからにはすべての事情を説明し真摯に詫びて許しを請わねば。もちろん損害賠償もせねば、と対外折衝を一手に担うトップオブお芋農家さんが真面目に誠意をお見せしたところベテラン猟師さんは寛大な心で許したついでに雑談感覚で『へえ、友達が毒飲んじゃって具合悪いの? 毒消し要る?』みたいな軽さでゆっるい提案をしてくれたらしく駄目元でご好意に甘えてみたらなんとその毒消し効きました―――――そう、つまりはそういうことだ」


どういうことだもクソもなく、本当に『そういうこと』なのだろう。現場を見ていたわけでもないのに光景が目に浮かぶようだった。

王子様はただ私を見ている。伝わっていると信じている目で、ただ真っ直ぐに、逸らさずに。


「以上、ベテラン猟師さんこと“北の民”の族長さんが“王国”に送り出したリューリ・ベルに手土産として持たせた植物、それがボス麦農家さんことルイトポルト卿を蝕んでいた謎毒を見事無効化したのでお前たちは彼にとっての命の恩人枠って話! 総括! 『リューリ・ベル』は当事者です!!!」

「なるほど、そういう―――――え、手土産の草がやたらと喜ばれたのってそういう理由だったのばあちゃん!? “王国”には自生してないっぽい草だから土産になるんじゃないかなくらいの軽いノリで持たされたんだけど!?」

「ああ、やはり同族から見てもそういう御仁なのだな彼は………すまぬ、北の子。知らされているものだとばかり………確かに王子の語った通り、馬鹿馬鹿しくも大いに込み入った複雑な事情があったのだ。まったくトップオブお芋農家の長として不甲斐ない我が身が悔やまれる」


神妙な顔で大真面目に“北の大公のばあちゃん”が自らをトップオブお芋農家と呼んだことにより国王様と宰相さんとご隠居さんたちの顔面が崩れた。王子様が散々連呼していた単語ではあるがご本人の口から飛び出すと違和感と破壊力が半端ない。お芋農家さんを悪し様に言う気は一切ないけれど、北の大公のばあちゃんの見た目と口調と雰囲気は農家さんのそれではないと思う。偏見でしかないけれど。


「徒に世を騒がせるゆえ。不要な混乱を招くゆえ。事は“王国”の情勢に多大な影響を与えることゆえ、未来を担う若者たちに負わせる荷はせめて軽くしたいと計らったつもりがこの様よ。ヴィッテルスバッハの御家騒動がよもや“北”にまで波及するとは、かの“北の民”の族長殿が前触れもなくノルズグラートを訪う事態が己の代で起こるとは思いも寄らなんだが………『なんか落ちてたから返しに来たけどそっちの“お肉”あんまり持ち込まないでね』としか翻訳出来なかった言い回しで“王国民”のモノとしか思えぬバラバラに千切れたパーツその他を提出されたあの衝撃。我がオルロフが担い続けてきた責務が何者かに土足で踏み躙られたのだと突き付けられた、あの屈辱。老い先短い我が身であれど、終生忘れぬ。忘れるものか。なればこそ、貴様らも覚えておけよ、国賊ヴィンセント・キルヒシュラーガー並びに国賊ヴィクトール・ヘンスラー。今貴様らの息があるのはひとえに運が良かっただけだと自覚せよ―――――大馬鹿者どもがッ!!!!!」


圧縮された激情は、耳を劈く咆哮だった。鼓膜だけでなく場の空気をもびりびりと震わせる一喝に身を竦めたのは愉快な芋虫スタイルで床に転がっている二人だ。怯えの色が濃い眼差しで北の大公の肩書を持つ老女を見上げる姿は随分とまあちっぽけで、しかし憐れみの類は湧かない。

静まり返った室内に、ぽつりと呑気に落っことされた声は王子様のものだった。


「ああっとおヤバいこっちの想像以上におこじゃんミロスラーヴァ卿」


さっさと語り部ポジションから下りて一般人の通りすがりですみたいな雰囲気を纏いつつ怖い物知らずを地で突き進む馬鹿の正気を疑うところ。すごいなお前。存在感の出し入れ自由か自由だな。神経極太じゃん。

まあそれなりに意識して潜めた声でも私に聞かせる前提で口にしているっぽいあたり考えがあるのかもしれないが、しかし北の大公のばあちゃんが頂点捕食者の更に頂点みたいな貫禄で吠えた関係で室内の空気は死んでいる。

まじでどうするんだこれ、と心配したところで気付いてしまった―――――開示されたばあちゃんの心痛お察し案件というか、微妙にぐだついたこの展開の原因たぶん私と族長。ていうかこれ私がもうちょっと諸事情的なものを知らされていればスムーズに話が進んだのでは?


「ええと………その、なんかごめん」

「そなたが詫びることはない………見苦しいものを晒したな。まったく、私としたことが、賓客である北の子に気を遣わせてしまうとはオルロフ総代の名折れであった―――――すまぬ。私情で騒がせた。王子よ、続きを頼めるか」

「あれ、まだ私の出番あります? リューリ・ベルに当事者意識を芽生えさせた時点でお役御免では? 勢い任せに出しゃばりましたがこれ以上のアドリブは雑音でしょう、ミロスラーヴァ卿かルイトポルト卿に主導権をお返しした方が良い頃合いだと愚考しますが」

「はは、好き勝手に爆走しながら止まり方も引き際も弁えたものよ。だが謙遜だ、次代の王よ。今のでよくよく身に沁みた。そなたが進行を担った方が諸々都合良く進む………北の子にとって、リューリにとって、我らは迂遠に過ぎるのだ。そなたが差配しておくれ。でなくばいつまで経っても終わらぬ―――――ただでさえ茶番劇なのだ。駄作の謗りは免れずとも、演出で多少は補えよう」


そう言って、北の大公のばあちゃんは明らかに肩の力を抜いた。テーブルに頬杖をついたと思えば挑戦的に目を眇め、完全に観劇体勢である。


「これでようやっとスタート地点。ここまで時間を使っておきながら未だスタート地点とは、呵々、なんたる笑い話か。前置きが長いにも程がある。どうせ脚本家に殴り込むならいっそ此処から先すべてそなた好みに変えるも一興、遠慮は要らぬ。こちらが合わせる。望む筋書きで進めて構わん。次代の王の手並みを拝見しよう。その方がリューリにも易しかろうて―――――存分に奮い揮われよ」

「あっはっはっはウッソでしょ!!!!!」


こんな馬鹿に丸投げしちゃうとか信じらんないこの老女! と言わんばかりに馬鹿が笑う。心底愉快そうだった。その発言とは裏腹に完全に面白がっていた。


「要望承りました。ミロスラーヴァ卿のお墨付き、そういうことならフルスロットルで取り仕切らせていただきますとも皆様この際諦めてどうぞお付き合いの程を! 適度に雑に、適当に、包み隠さず嚙んで砕いて詳らかにして差し上げましょう! 文句を言うなら北方大公閣下に直接お願いしまァす!!!!!」

「ここぞとばかりに調子に乗って張り切り出したぞ馬鹿息子!?」


この流れマジで大丈夫!? と心配しきりの国王様をご機嫌な笑顔で振り切って王子様はいきなり加速する。停滞していた何もかも置き去りにして立ち止まらない男はその場でくるりと回った。髪の一筋、指先ひとつ、翻った服の裾さえ計算され尽くしているが如くに美しく優雅な一回転に誰もが反射で目を奪われたその先でぴたりと静止して、彼は朗々と声を張る。


「はいじゃあ時間も押してることだしコンパクトかつコンスタントに走り切るとしましょうか―――――そのために必要不可欠な下準備として雑談入れます。ヘイ! 注目! リューリ・ベル!」

「なんだ呼んだか王子様」

「呼んだよ! 用があるから呼んだ、そして頼みたいことがあるからこうして改めて口にしている―――――招待学生、リューリ・ベル。今から大事な話をするから、どうか最後まで聞いてほしい。関係者として居てほしい。他人事であっても知ってほしい。ひとりの“北の民”として、族長に代わりこの地を訪れた客人として、使者として、結末を見届けてほしい。そうしてもらわなければならない。これは国賓リューリ・ベルの衣食住の保障と学ぶ権利に付随するお前の義務である………なーんて、小難しいこと並べ立てるだけ時間の無駄だから暴露しちゃうけどぶっちゃけ大人と国の都合だ。悪いけど拒否権ないから聞いて? なるべくダッシュで終わらせるから―――――王国民がめんどくさくて毎度のことながらごめんなさいね!」

「そういうとこだぞ王子様」

「ベタ褒めじゃないのリューリ・ベル。承諾ってことでよろしくて?」

「うっせえ分かってんならさっさと始めて終われやクソ王子」

「流石にこの場でセス構文の使用は控えてもらっていい!?」


勝った。たぶんだけれど勝った。血相を変えるトップオブ馬鹿を眺めているとこいつのペースに乗せられ続けた溜飲がほんの少しは下がる。イラッとしたら自然と浮かんだ三白眼の台詞に感謝。本人は知りもしないだろうけどたぶん怒られるときは一緒だ。そこのところシンプルにごめんなさい。

脳内三白眼に心の中で巻き込み事故を詫びつつも表面上はしれっとした表情を崩しもしない私にジト目を二秒程突き刺した後で気を取り直したらしい彼は続けた。


「んもー! 真正の怖い物知らずってコレだから油断も隙も無い………まあいっかとりあえず準備出来たんで此処からがようやく本番だぞう、振り落とされないようご注意ください置いて行かれてしまった場合は各自で勝手に追い付いて!!!」


ぱんぱん、と手早く二回。打ち鳴らされる手は楽器のようで、刻んだリズムは踊りの合図ではなく切り替えだったらしい。或いは警告だったのか。


「一応気を遣って濁していたんだがお手並み拝見と言われたからには存分にご覧いただくしかない、さあさあとっ散らかっている茶番劇の根元に切り込むぞう! 実はコレとある秘匿事項をひとつ開示すると話が進む。驚く程にスムーズに、馬鹿馬鹿しいくらいすべてが片付く。と、いうわけで、カミングアウトだ―――――西方大公家直系の血筋は既に絶えている」

「………………ふぁ?」

「ふが?」


引っ張ることなく、溜めることなく、王子様は初手からぶっ飛ばした。それはもう朗らかに急加速してとんでもない茶番の先陣を切る。

あまりにも明るく言い放たれたカミングアウトなるものは私にはよく分からなかったが、しかし周りの面々が息を呑んでいるのは分かったし芋虫スタイルで転がされている二人が呆けているのも見えた。その程度には衝撃的な事実の開示だったのだろう。老齢に見える大人たちは比較的落ち着いている様子だったが、無を貼り付けた表情からは内心など窺える筈もない。


「なにをっ………なにを、馬鹿なことを!!!!!」


大暴れしてどうにか口布をずらしたらしい大人が叫ぶ。髪は乱れて汗ばんで、お貴族様らしい優雅さなんて見る影もない有様で、警護に抑え付けられながらも王子様を睨み上げている国賊の怒りは止まらない。


「貴様、言うに事欠いて………ッ! 四方大国時代から続く我らが西方大公家を、誇り高きヴィッテルスバッハを一体何だと心得る! 誰よりも祖先の血を尊び伝統とともに高貴な青い血を守り続けて来た我が一族へのなんたる侮辱、王家に生まれただけの道化が吐いて許される戯言ではない! オルロフ、プトレ、ラウトーイ、そして栄えあるヴィッテルスバッハ! “王国”を支える四つの柱、四方大公家の一族はかつての四つの各大国を治めた王家の末裔である! 中でもヴィッテルスバッハは他の三家より血筋を重んじその保全こそを命題として血を濃く繋いだ大貴族!!! その直系が既に途絶えているなどよくもそんな妄言を」

「妄言ではない。ただの事実だ―――――見苦しいゆえ、騒ぐな。愚息」


溜め息交じりに落とされた肯定の声はただただ重く、疲労にまみれて倦んでいる。ずれた口布はそのままにぽかんと間抜けに口を開け、国賊とやらは信じられないものを見る目を自分の父親へと向けていた。


「ちちうえ? そんな、あなたまで、なにを」

「血を濃く繋いだ大貴族、か………そうさな。ああ、その通りだとも。誇りを重んじる西方貴族には血統主義もまた伝統だった。己に流れる貴き血を尊び執着するあまり、その血脈をより濃く保つことに躍起になっていた。当然の流れで先祖代々、近親婚を繰り返し―――――とうとう、不具合を起こしてしまった。血を濃くし過ぎて先細った末にはもう断絶しかないというのに」


老紳士から紡がれる台詞は淡々として、どこか暗い。ぞっとするようなものではなかったが這い寄ってくる静けさがあった。区切られる言葉のひとつひとつにはどうしようもない重みがあって、聞き入ることしか許されていないような気分にさせられる。


「ふ、不具合………断絶………?」

「近親交配云々についての説明は敢えて省くがな、我ら西方貴族の歴史を追っていけば容易に弊害が知れる………子が生まれ難くなったのだ。生まれたとて長くは生きられぬ虚弱な体質の者が増え、運良く成人まで生き残っても子を成せるとは限らない。最初の綻びの程度はどうあれ跡取りに難儀する家が増えても『より濃く血を保つ』という固定観念は根強いまま意識の改革などなく、生まれながらに病を持つ者、身体的な異常がある者、見た目にはそうと分からずとも著しく知能を欠いた者などは減るどころか増え行く一方で………駄目だと気付いた頃にはもう、手遅れになってしまっていた。ゆえに―――――私が、此処に在る」


針にも似た真っ直ぐな立ち姿のおじいさんは静かに顔を上げ、鋭い眼光でただ告げた。厳かに、容赦なく、背負う者としての貫禄で。


「今、此処に在る『ルイトポルト』という名前の男は元を辿れば子爵家の出だ。貴族の血筋には間違いないが、本来であればヴィッテルスバッハ大公を名乗れる器ではない。実のところ、最初に私を養子に迎えたキルヒシュラーガー公爵家にさえ相応しくはない身の上だろう。これもまた秘匿事項ゆえ、既に失われた生家の名を含め知らぬ者がほとんどではあるが………高位の貴族ほど子に恵まれない暗黒のような時代においては仕方がなかったと聞いている。人格者であったベネディクト義兄上が健康なお身体であったなら、こんなことにはならなんだ。嗚呼、当時のヴィッテルスバッハ大公子がもう少し思慮深くあったなら、近親交配を避けて結ばれたご令嬢との縁を厭うて軽率に出奔した先であっさり事故死などせねば―――――西方大公家を継ぐに値する誇り高き同胞たちでは未来が望めないのだと、元は子爵家の倅に過ぎぬこの身であればこそ次代に繋げる可能性があるのだと、そんな恐ろしい現実は知らぬまま生きていけたのに」


そうはならなかったから、彼は覚悟を決めたのだろう。想定していた人生設計を大いに狂わされた人。最近よく似た話を聞いた。同じではなく似ているだけで、近しいからこそ差異が目立つ―――――部外者である“北の民”には分かったふりしか出来ないけれど、なんとなく分かることはある。

違うな。分からなくたって、知ってはいるのだ、もう既に。

私は既に知っている。たったひとりではあるけれど。


「知られてはならぬことだった。一族の保身のためではない、この“王国”の支柱のひとつが失われるなどあってはならぬ。西方大公家を継ぐ者が誰も居ないなどあってはならぬ、途絶えさせるなど許されぬ………キルヒシュラーガー公爵家と、ヴィッテルスバッハ大公家。優先すべきは言うに及ばず、貴族として生を受けた以上は守るべきものもまた変わらぬ」


逃げ出すことを良しとせず、戦った人がそこにいた。私が知らない歴史を歩んで、理解出来ない矜持を持って、未だ戦い続ける人が、舞台の中心に立っていた。

皮肉のように笑いながらも口調だけは穏やかに、おじいさんの台詞はまだ続く。


「王子殿下の見立ては正しい。ひとたびコレを明示してしまえば躊躇いなど最早あってなきもの。そして事情の説明ついでに貴様のくだらぬ思い違いを叩き折れる利点は計り知れぬわ………なあ、ヴィンセント・キルヒシュラーガー。気付いたか? 気付いていないのであれば教えてやろう、理解せよ。貴様は根本から間違えている。ヴィンセントという人間は大公家を継ぐ器ではない。ヴィッテルスバッハの栄誉も威光も貴様のものにはならぬしさせぬ。現大公であるこのルイトポルトの実子だからなんだというのだ、そもそもこの身がヴィッテルスバッハを名乗るに相応しき身ではないのに、そんな男の息子だからと息巻いて何の証明になる? 本音を言えばベネディクト義兄上からお預かりしたキルヒシュラーガーを名乗ることさえ今の貴様には分不相応だ、公爵家の名に泥を塗りおって―――――種馬としての価値はあるからと、目晦ましには使えるからと、生かしておいたのが間違いであった」

「た、は? はぁ!? あ、あんまりでございます! その言い草はあまりにも、ましてや西方大公がそのような低俗な暴言を………わたっ、私が、そうだ、私が、このヴィンセントが相応しくないとおっしゃるのならヴィッテルスバッハはどうなるのです!? 父上の子は私だけ、このヴィンセントただ一人! それゆえ西方大公家を継げるのは私だけ、私しかいない、つい今しがた西方大公家を継ぐ者が誰も居ないなどあってはならぬと申し述べたのはご自身でしょうにもうお忘れになったというのか! 私に継がせぬと啖呵を切ったところで他に適格者がいるわけでもなし、駄々を捏ねたとて今更どうにもなりますまいに―――――父上、今なら間に合います。どうか賢明なご判断を。ここで私が引き継がねば、ヴィッテルスバッハはどうなりましょう。四方大公家の一角を、己の代で絶えさせるおつもりか!?」


「マルガレーテさんが継げばいいじゃん」


沈黙は唐突に訪れる。主に私のせいだった。

話が長くて面倒臭いなと思っていたら思っていたことをついつい口に出していた的なよくあるうっかりパターンである。嘘だよわざとだ今回は。ぶっちゃけ出演者の話というか台詞そのものがやたらと長い。勘弁してくれ圧縮してくれもっと雑に噛み砕いてくれ要するになんていうかもう全員“王子様”見習って。

トップオブ馬鹿が梃入れしまくっても結局長くなりがちならもう巻き込まれ側のこっちとしては開き直るしかなくなるだろうが。


「ていうかそういうオチだろコレ。ごめんなんだけどおじいさんにしろそっちの国賊とやらにしろやたらめったら話が長いんでもうちょっといい感じに端折れない?」

「言ったァァァァァァァ申し訳程度に申し訳ないとは思っているけどそれはそれとして話が長いとついに恐れていた指摘! だからあれほど適度に雑に進めて行けって言ったのに本質的には何ひとつとして理解は出来ていなかったのだとオーディエンスのぎょっとした顔と態度がすべてを物語る!!! 全員意識をアップデートしろ“王子様”もう知りませんからね自力で勝手に追い付きなさいよ社会人の気合いに乞うご期待ッ!!!!! そういうわけだヘイ! リューリ・ベル!!!」

「テンションどうしたトップオブ馬鹿」

「意図的な暴走状態だぞう。と、そんなことはどうでもいいんだよそれよりヴィッテルスバッハ大公孫が継げばいいじゃんっていうかそういうオチだろコレとの発想に至った経緯についてこの場でさらっと説明出来そ? ちょっといい加減こっちの主導で話を進めた方が楽だから思ったことじゃんじゃん口にしてくれ大人ってめんどくさくてヤぁね!!!」


自己申告は冷静なのに爆裂スマイルを搭載したまま構うことなく爆走し続ける“王子様”ってなんなんだろう。分からない。あまり分かりたくない。どさくさに紛れて大人をまとめてめんどくせえとか言い放っている豪胆さだけは割とすごいが一番面倒なのはお前だ。

そんなめんどくさいやつにこのテンションで絡まれるとか言うまでもなくめんどくさいので私は面倒臭がりつつも聞かれたことに答えるのである。


「説明も何も見りゃ分かるだろ、普通に此処に居るじゃん本人。逆に聞くけどマルガレーテさんが大公家とやらを継ぐから以外の理由でこの場に居ることある?」


むしろこんな関係者以外立ち入り禁止感満載のめんどくさい有識者会議みたいなところに未成年のお嬢さんが同席させられる理由って他になにがあるってんだよ、と続けたところで返って来たのは小馬鹿にしたような嘲笑だった。


「はン! これだから知能の足りない蛮族は! 随分と思考が柔軟なようだ、マルガレーテがこの場に居るだけでそのように突飛な発想に至れるとはいやはやまったく恐れ入る!!! 馬鹿め! よぅく考えるがいい、マルガレーテは我が娘、そして西方大公たる父上の孫でもあるのだぞ! 血縁として、関係者として、この場に呼ばれていたとて不思議は」

「あと王子様の呼び方が『キルヒシュラーガー公子』から『ヴィッテルスバッハ大公孫』に変わったからそういう意味だろ的な」

「鋭い! 賢い! 大正解! やだこの子全部言ってくれる!!! 話が早いなリューリ・ベル! 何処かの誰かと大違いだからもう助かっちゃう本当に!!!」

「貴様ら最後まで話を聞けェェェェェェェェェェェェイ!!!!!」


叩き売られている喧嘩をぺしっと跳ね除ける要領であっさり遮ってしまったのが王子様的には良かったらしい。にっこりにこにこしながらも吐き出す嫌味がストレート。しかしめげない国賊ナントカ。


「ええい発言を遮りおってこの凡愚どもが馬鹿を言うな! そんなことあるわけないだろう、父親である私を差し置き孫とはいえまだ小娘でしかないマルガレーテを後継にするなどそんなこと許される筈が」

「ですってよミロスラーヴァ卿ォ! 許されますよね!!!」

「ははははは! 許されるとも。なにしろ我らが許したゆえな」


童話出身の王子様みたいな外見を裏切るお元気一杯大音声に応えるばあちゃんの返しは明るい。観客参加型のイベントはこうでなくてはと言わんばかりに悪戯っぽく言葉は続いた。


「形骸化して久しいとはいえ、大公家の世代交代は他の大公家からの承認を要す。愚息にはヴィッテルスバッハを託せぬ、と早くに悟ったルイトポルトが我ら三家に提案してきたのは一代飛ばし………息子ではなく、孫への爵位譲渡であった。我らも予想はしていたのだよ。血を濃くし過ぎた西方貴族の事情は既に知っていたゆえ。ルイトポルト・ヴィッテルスバッハが、この若造が大公として見事身を立てたその日から、己が一族の先を見据えて備えていたことを知るがゆえ。北のオルロフ、南のプトレ、そして東のラウトーイ。私と、ヘサームと、タイラン。孫を後継者に据える、と打診されたその当時に“大公”であった我らはそれを認めた。証人は此処に揃っている。承認は既に成されている。ヴィッテルスバッハの後継はとうに決まっていたのだよ―――――貴様には知らされておらなんだだけで」

「まっ、とうに決まって、いただと………!? ふざけるな、そんな、知らぬ、私は知らぬ! そのような嫌がらせがいつ決まっ」

「孫たちが生まれる前からだ」


しん、と落ちた沈黙は、おじいさんがもたらしたものだった。その表情には乱れがない。淡々と続く言葉には何の熱も籠っていない。覆らない事柄を語って聞かせるだけの口調は平坦だった。どこまでも。何処まで行っても、揺らがない。


「ヴィンセント。ヴィンセント・キルヒシュラーガー。私がヴィッテルスバッハの後継と定められたのはお前が生まれた後だった。むしろお前という存在が一番の決め手になったのだろう。キルヒシュラーガー公爵家の後継として生まれたお前は奇跡的なことに健康だった。私に『もしも』があったとて、最悪お前にヴィッテルスバッハを継いでもらえば時間が稼げる。そう思った時期もあるにはあったが、すぐに改めさせられたとも。お前は確かに健康だった。生殖能力に問題はなく、大した怪我も病気もせず、すくすくと丈夫によく育ったが人の上に立つ資格がなかった。怠惰で傲慢、プライドばかりが高く立派なのは口先ばかりかと思えば恐ろしく話がつまらぬ。諫めても聞かず、諭しても無駄で、挙句の果てには義務である西方古語の習得を疎かにするどころか投げ出す始末………ふざけるな、ふざけるなよ貴様。我こそはヴィッテルスバッハ大公子であると驕り高ぶっておきながら、一体何を考えている。本当にふざけるなよこの愚息―――――西方古語を! 扱えぬ者が! ヴィッテルスバッハの名を継ぐことなど許される筈なかろうがッッッ!!!」 

「ぴえっ」


淡々と喋っていたかと思えば突然のブチ切れおじいさんだが豹変具合が凄まじいあまり素でびっくりしたどうしたどうした。さっきも古語がどうこう言ってキレてた人がいたけれどもそこまで怒り狂うことある? ばあちゃんたちもばあちゃんたちで「それな」みたいな訳知り顔で遠くを見てるのホント何? あと馬鹿王子様がこっそりと「古語管理官が解釈一致と言わんばかりに頷いてるの控えめに言って超面白い」とか真顔で呟いてるのもなんなのそれを私に聞かせたところでコメントとか特に返せませんけど?


「まったくもって度し難い。そんなことにさえ気付けぬ有様で平然と大公を名乗らんとするその愚かしさ、万死に値する。ゆえに貴様を見限った。見限られたと気付くことさえなかった貴様に任せられるものなど何ひとつとしてありはせぬ。ヴィッテルスバッハ大公家も、キルヒシュラーガー公爵家も、貴様ではなく貴様の子らに―――――我が最愛の孫たちであるマルガレーテとマンフレートに託し委ねることにした」

「むぐ、む、っお待ちを! お待ちください御爺様、ルイトポルト御爺様! その御決断は如何なものかと苦言を呈させていただきたく! マンフレートは身体が弱く、マルガレーテは女の身にて、どちらも大公の重責を担わせるには些か不安がございましょう!? そもそもがまだ未成年、後見を必要とする年齢の者らに託すことでもございますまい、父の子であればいいのであればこのヴィクトール・ヘンスラーがおりま」

「黙れ国賊。囀るな。貴様は私の孫ではない。愚息が産ませた私生児に過ぎぬ。その分際で我が孫たちの名を呼び捨てるとは何事だ………身の程知らずが。弁えよ」

「何故です父上! 何故そのように頑なにヴィクトールを拒まれるのですか! この子は私の最愛の子、紛れもなく父上の最初の孫です!!! 西方貴族に子が生まれにくい話が真であるならば、私生児であれヴィッテルスバッハを継ぐ資格のある血を持つこの子の存在は諸手を挙げて歓迎するべきでしょう!? しかもヴィクトールはイルメンガルドの、そう、そうですとも! 父上、父上であれば当然ご存じの『王家のストック』の血をも汲む」


「と、思い込んでいるだけの狂人の話は結構でしてよ。控えてくださる? まったくもって時間の無駄だわ、ただでさえ長ったらしい話にこちらはもう飽き飽きしているの―――――お黙りなさいな、ボンクラども」


割り入った声は華やかで、若々しさと棘がある。黙れと言われたボンクラどもがぽかんと視線を投げる先で、縦巻き髪のお嬢さんは自身の父親を見下ろしていた。笑っているのに笑っていない、酷く冷めた眼差しで。


「きっ、さま、マルガレーテェッ! よくもこの父をボンクラなどと!!!」

「あら、発言を遮るだなんて淑女としてはしたなかったかしら? ごめんあそばせ、国賊公。ですがボンクラはどう頑張ってもボンクラとしか評せませんわ。ねえ? だって、そうでしょう―――――愛人ではなく正妻こそが他でもない『王家のストック』なのだと未だに理解が及ばない男など誰がどう言おうがボンクラでしてよ」

「………は? は、ははは、馬鹿げたことを! 正妻? エリザベスのことか? お前の母が『王家のストック』であると? イルメンガルドではなくアイツが? ははははは、いや驚いた、まさかお前にこのような冗談の才があったとはなあ!」


激昂も忘れて笑い転げる父親からすっと視線を外して、彼女は“王子様”を見た。美人の真顔は迫力がある。アドリブに弱くて取り乱したり馬鹿二号もといティトを叱ったりする際とはまるで別人の面差しで、マルガレーテ嬢はこの場における最適解を選択した。


「畏れながらレオニール殿下、所謂『王家のストック』についてご教授いただいてもよろしくて?」

「いいとも! 王子様がお答えしよう、ヴィッテルスバッハ大公孫。かつての四方大国の血を平等に混ぜ合わせることで興った王家が万が一にも途絶えぬようにひっそりと管理され続ける有事の際の予備の予備、俗称『王家のストック』だが………ぶっちゃけどちらかと言うとコレ『大公家のストック』なんだよなあ。だって東西南北の尊い血筋の寄せ集めだもの、しかも記録が残っているから代によって何処の地方の血が濃いかとかも分かるっていうご都合主義展開完備だぞう」

「なるほど。つまり―――――例えばの話、何処かの大公家の血筋が極端に細り弱くなってしまった場合は密やかに駆り出される可能性があると」

「話が早いな。その解釈で間違いないとも、ヴィッテルスバッハ大公孫。ああ、ちなみにだが『王家のストック』はたったひとつの例外を除いて己の出自を知らされないし終生に亘って監視が付くので騙りの類はすぐにバレる。バレたらあとはお察しだ―――――まあ自分は現王の異母妹だ、と声高に吹聴していたらしい前ヘンスラー伯爵夫人が儚くなった原因が産褥熱だったことについては疑いようがないけれども」

「左様でしたか、なんと痛ましい。妊娠と出産はいつの世であれ命懸けの偉業ですものね、私の母も産後の肥立ちが悪くて苦労したと聞いております………そのあたりについてはさて置くとして、たったひとつの例外とやらもついでにご開示いただけまして?」

「脇目も振らず本題消化一本に絞るその意気や良し、宣誓! 今から私の口は大盤振る舞い的に滑る―――――己が『王家のストック』であると知らされる限られた例外は、その身に至上の命題を背負って生まれた者たちだ。そのためだけに生まれた命を正しくその目的のために使えと徹底的に教え込まれる。大義と矜持を第一に、倫理や道徳は二の次に、その血の重さと同等の責務と共に歩めと言われる。最初から他に道はなく、そこから逃れる術もない………程度の差はあれこの“王国”、そういうのばっかりなんだよなあ」


表沙汰になってないだけで、と嘯く王子様はしんみりしている。わらっちゃうよねと笑う姿はなんとなくだが寂しげで、どことなく物悲しくさえあった。ノリノリではしゃぎ倒していたと思えばいきなり落差が酷い。

その緩急に付き合いきれずに生じたらしい沈黙の中で、冷酷なまでの静謐さを湛えたご令嬢だけが止まらなかった。目玉の奥に押し込められた激情を燃やして煮詰めながら、それでも品性を損なうことなく美しいままに立っている。真っ直ぐに、鋭い針のように。


「大変勉強になりました、ご教授ありがとうございます―――――まあ、僥倖。血の気の失せたそのお顔、ボンクラであれなけなし程度の理解力は残っていたようでなによりですわね。国賊公」

「だ、そ………そんな馬鹿な、そんなっ!? 馬鹿な!!!」


とっくに見切りを付けていたからもはや肉親を父とも呼ばない。華やかに毒吐くマルガレーテ嬢に噛み付く国賊に威厳はなかった。もともとなかったかもしれない。私には知りようもないけれど。


「騒ぐな。馬鹿は貴様だと言うに………嗚呼、情けない、情けない。エリザベスに申し訳が立たぬ。あの子には選択肢などなかった。私と違い、貴様と違い、あの子は我ら西方一門が積み重ね続けた負債の清算を生まれながらにして押し付けられた。違うな、生まれる前からだ―――――その出生から! 将来まで! 何ひとつ選ばせてはもらえなんだ子だ! 文字通りの意味で人生すべてが周囲の思惑に縛られていた! 仕方なきことと定められ、そのためだけに産み落とされてそう在るべしと育てられ、逃げるどころか弱音のひとつも許されないまま貴様に嫁いだ! 何をどう言い聞かせたところでヴィッテルスバッハ大公子の立場に胡坐を掻き続けるしか能のない甘ったれの貴様にだ! 愛人に子供を生ませたと聞いて呆れるより先に『旦那様がきちんと御子を成せる身体でようございました』と笑ってのけたエリザベスは貴様より大公の器であった、その血に恥じぬ矜持と覚悟を背負ったひとかどの人物だった。自慢の嫁であり自慢の義娘だ。エリザベス・キルヒシュラーガーは宛がわれた夫がボンクラだろうが嘆かず腐らず逃げ出さず見事に責務を果たしてみせた………はっきり告げよう、ヴィンセント。貴様の血は大公家を継ぐには足りず、そこの私生児も同様である。足りず至らぬ血だけではヴィッテルスバッハを名乗るに能わず、貴様も貴様の私生児も大公家には相応しくない。相応しいのは、必要なのは、貴様ではなくエリザベスの血だ。望まれているのは彼女の子でありそこの私生児など眼中にない―――――ゆえに、ヴィッテルスバッハの次代を担うのはマルガレーテだ。この決定、最早覆らぬ」

「な、なんと………なんという………私ではなくエリザベスの血の方が重要視されているなどと………いえ、だとしても、だとしても! 何故、どうしてマルガレーテに!!! マンフレートならまだ理解は出来ます、しかし何故マルガレーテなのですか!? 女に、それもこんな小娘にヴィッテルスバッハを譲るおつもりとは正気なのですか、父上!!!!!」


「正気だからこそミロスラーヴァ卿に残留してもらってるんだけどそこに思い至らないってマジでヤバいぞ国賊公爵悪いこと言わないからもう黙ろ? 流石にここまでお馬鹿が過ぎると見ている側も疲れて白ける領域に突入しちゃうんで演出どうこうでどうにか出来るレベルじゃなくなりそうな気配」

「貴様はさっきから本当に何なんだふざけるな黙れ馬鹿王子ッ!!!!!」


お話が長くなりがちなおじいさんと国賊の会話の隙間をぬるっと突くのが異様に上手い煽りスキル全振り王子様、心の底からこのイベントの進行を危ぶんでの発言なのに土台が茶番劇だから何をどう頑張ったところで悪ふざけの究極系にしかならない。けれどそれならそれでもうなんとかしちゃうのがトップオブ馬鹿、黙れと言われて貴様が黙れと言い返してきた国賊公爵には一切反応を示すことなく何故だかこちらの方を向く。


「ゲストのための補足コーナー、大公家各位の対応編。前提として、西方大公家はヴィッテルスバッハ大公孫であるマルガレーテ嬢が継ぐのだけれどもそれにはいくつかの問題というか馬鹿馬鹿しくしょうもない障害がある。ぶっちゃけ西方一門は男尊女卑の傾向が強く身内にさえそんな有様なので、血筋と格は確かであっても『女性である』というその一点だけで彼女が大公家の後継であることに難色を示すであろう輩が多い。そんな連中を黙らせるのはどうにも骨が折れそうだ―――――それはさておき現役でぶっちぎりの最強を張り続けている大公閣下がいらっしゃるんだがなんとその御仁は女性でな。彼女に向かって『女のくせに』と宣える輩は存在しない。軽口でさえも許されない。誰だって自分の命は惜しい。ここまで言えばあとはお分かり?」

「分かった。つまり“北の大公のばあちゃん”が怖いから新しく大公になるっていうマルガレーテさんに失礼なこと言う命知らずは居ないってことでいいんだな?」

「正解! ミロスラーヴァ・オルロフ北方大公が現役を張り続けている限り『女のくせに大公などと』なんて発言は聞こえてこない! 万が一にも聞こえた場合は―――――どうしましょうね、ミロスラーヴァ卿」

「どうもせぬ。ただこの老骨が自ら打って出るのみよ―――――肉体そのものが衰えようと、磨き上げた己の武術は錆付かせてなどおらぬゆえ」

「は、ミロスラーヴァ様が出るまでもありませぬ。御身がご出陣される前に私が始末を付けましょう」

「血の気が多いなあ、タイラン殿。まあ憧れの先輩を前に張り切る気持ちは理解しますとも、私だって万が一の場合は御家断絶三歩手前くらいまでの経済制裁を加える用意があります。なので抜け駆けは無しですよ、一緒に遊びましょう? 友よ」

「相変わらず軽やかに悪辣であるな。乗ったぞ我が友、ヘサーム殿」

「んふふふふ、そうこなくては!」


若者みたいなノリでご隠居さんたちがキャッキャウフフしているというか空気も読まずにイエーイ! している。その場を動かず隣同士で向かい合って元気にハイタッチしている姿は誰がどう見ても仲良しさんだがそれを見上げる王子様の目はかなり分かり易く死んでいた。


「我が一門の問題が、オルロフだけでなくプトレとラウトーイにも要らぬ負担を強いてしまった。タイラン殿もヘサーム殿も、異例の早さで大公の座を降りる予定ではなかったろうに………オルロフ御大の強火ファンであった貴公らには本当に申し訳ない。この場を借り、改めてお詫び申し上げる」

「ああ、いいんですよルイトポルト殿。この一件がなかったら今頃ミロスラーヴァ様はご子息にさっさと跡目を譲って隠遁なさっていたことでしょう。むしろ北方大公で居てくださる期間が延びたので我々としてはご褒美ご褒美」

「左様、ルイトポルト殿。その件はお気になさいますな。事は国の一大事、最年少となる年若い身の西方大公を迎え入れるなら老いた我らは早くに退き倅どもに多くの経験を―――――最長老たる北方大公閣下の背を見せ“大公”としての研鑽を積ませることこそ望ましい。どれだけ入念に準備したとてレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーが西方大公を継ぐと明かせば世情は多少乱れましょう、それを治める手腕を磨く時間はあるだけ好都合。これぞ最善の決断である、と誇ることはあれ悔いたことなどないのですよ。本当に」


「なあ、あそこのおじいさんたちって揃ってばあちゃんの強火ファンなの? ファンクラブとかあったりする系? “王国民”ってもしかしなくても世代問わずそういう国民性?」

「あっはっはっは何の話?」


王子様なんもわかんない! と言わんばかりの弾ける笑顔でその件に関しては触れてくれるなと言外に主張してくるあたり、お祭り馬鹿でも扱い難い話題というのはあるらしい。

しかしそれはそれとして、利用出来るものはとことん利用して話を無理矢理進めていくのがこの王子様のすごいところ。


「まあなんていうかほらアレだ、私が言うまでもなくなっちゃったけど東と南の大公家が今回の件で取った対応っていうのが早めの世代交代な。理屈についてはあちらさんが言ってくれたことがすべてなんで割愛するけど説明いりそ? いらないなら進めちゃうけども」

「いらない。進めちゃってくれ。出来るならなるべく巻いてほしい」

「いいともめちゃくちゃ巻き上げちゃうぞう! 各大公家の対応編については以上で終了だ、続きまして誰もが思う『なんでもっと早くボンクラをどうにかしておかなかったんだよ』問題についての解答編だが―――――端的に言うと目晦ましです」

「めくらまし」

「あっと、いまいち分かってない時のトーンだなコレは。じゃあ訂正! あのボンクラは! ただの囮だ!!!!!」


声高に叫ぶ王子様。自分に注意を向けさせる、という意味合いにおいての囮適正が誰よりも高い存在がボンクラのことを囮と言い切るこの状況ってちょっと謎だなと思わなくもない私である。これ以上の面倒事はめんどくさいので口は挟まず大人しく聞く姿勢を保つけれども。


「と、実はリューリ・ベルには既に答えを言っていたりするので覚えてれば大幅なショートカットが見込めるんだけどそのへんどう?」

「え、なにそれ知らん知らん」

「そっかー。レディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーには実は双子の兄君がいて、順当にいけばその兄君が次期大公家の跡取りとして、マルガレーテ嬢本人はキルヒシュラーガー公爵家の次期当主としてそれぞれの道を邁進していく筈だった………的な情報伝えたことがあるんだけれどもそのあたり覚えてない感じ? 具体的にはワクワクいっぱい王国ケーキの男子会」

「あ、そういえば聞いた気がするお城の壁美味しかったです」

「よーし、覚えてるな偉い偉い! ショートカットのチャンス到来思い出して記憶力オバケ!!!」


誰が記憶力オバケだこら。ていうか聞いた気はするけれども何処が必要な情報なのかいまいち分かってない状態ではショートカットのしようがなくない? 


「何を思い出せばいいのか分からん。でもとりあえずマルガレーテさんの婚約者が決まってないせいで花畑が湧くからそいつらを駆逐する労働しない? ってお前に言われた記憶はあるぞ。逆クレープ包みが食べたいです」

「澄んだ目で食べ物要求してくる。ごめんだけどもうちょっと付き合って………ん? んん!? 待って待って違うそうじゃないそれそれそれよリューリ・ベルさりげに答えに辿り着いてるそれです! 婚約者云々の件!!!」


慌てふためく王子様曰く、マルガレーテ嬢が西方大公を継ぐと分かればその配偶者の座を狙う連中がお花畑の頂上決戦をあちらこちらで勃発させかねずいよいよ収拾がつかなくなるので『年齢的に大公孫より先に役割が回ってくるであろう大公子のキルヒシュラーガー公』を目晦ましに使っていたらしい。

なにやってんだ? いや本当に、何やってんだ、王国民。


「手っ取り早くボンクラ息子にはご退場願って孫娘のマルガレーテ嬢が大公家の跡取りになるんでよろしく! って大々的に周知しても問題なければそうしたんだけど生憎と問題しかなかったんだよだってそもそもの発端が西方大公家直系の血が絶えてるってことなんだもの、王家のストックで補強したところで次の組み合わせも考えなければ一時凌ぎで終わってしまう。大前提は血を繋ぐことだがただ単純に子供が生まれればそれでいいというわけでもない………明け透けに言ってしまうなら、マルガレーテ嬢の配偶者になれる人間は限られている。人選には吟味が必要で、なのに真実は公表出来ない。そんな状況で事情を知らない連中が浮かれて騒ごうものなら“学園”の混乱の比ではない。だからキルヒシュラーガー公の存在をそのまま置いておくことで、大した権限もない名ばかりの“大公代理”という肩書きを与えて時間を稼いでいる間に彼女の婚約者を見繕い何もかも恙無く整えた上で万難を排し公表する―――――というのが偉い人たちの計画だったらしいんだけど現実はもうぐっちゃぐちゃだしご覧の通りの有様なワケだよリューリ・ベル、なんかコメントある?」

「何か分からんけどこれ美味しい」

「なんでブリート食べてんの!?」


王子様それ知りませんけど!? みたいなテンションで叫びながらもきっちり知っている答えを寄越すトップオブ馬鹿王子様。おかげでとりあえず今もぐもぐと私が齧っている円柱状の物体の名前は判明した。じっくりと火を通した牛さんのお肉とか豆類とか野菜とか何かのソース煮とかチーズとか謎の揚げ物系とかとにかくいろんな具材をぎゅうぎゅう詰め込めるだけ搔き集めて薄焼きパンでぐるぐる巻いたっぽいこちらの素敵な一品はどうやらブリートというらしい。大口開けてがふがふ食べられるしっちゃかめっちゃか宝箱みたいで楽しくなっちゃうな提供してくれた縦巻き髪のお嬢さんありがとうございます。


「ブリート美味しい。マルガレーテさん、食べ物ありがとうございます。黒胡椒あったりしませんか」

「ごめんなさいね、予定にないオーダーを捻じ込ませてもらったからそのあたりはシェフのお任せでちょっと融通が利かないの。無茶振りとは承知していたけれど、ありあわせだろうが手早くボリュームたっぷりのブリートで対応してくれるだなんて王城の厨房スタッフもなかなか練度が高くてよ―――――ああ、調味料の追加及びおかわり可能かどうかについては現在確認中ですので、お時間をいただいてよろしくて?」

「おお。それでは我々が北の子のためにと用意しておいた食材を使ってもらって構わぬよ、ヴィッテルスバッハ大公孫」

「まあ、ありがとうございます。オルロフ北方大公閣下」

「なに、北の子の胃におさまるのであれば結果としては変わらぬゆえな。良い良い。むしろよくぞ動いた、年若いながら気の利くことよ。一時はどうなることかと思ったが、そなたであればヴィッテルスバッハは薄氷の上とて持ち直そうぞ」

「恐悦至極に存じます、オルロフ北方大公閣下。未熟者には過分なお言葉………ですが、ご期待に添えるべく励むとこの場にて誓いましょう。なにぶん若輩ではございますが、今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます」


アドリブに弱いと評判のお嬢さんがにこやかな笑顔で北の大公のばあちゃんとなんとも和やかに遣り取りしている。そこには自負と貫禄があった。自信ではない。あくまで自負だ。背負うと決めたもの特有の覚悟が雰囲気に現れている―――――だから、彼女は突然に怒鳴られたって揺らがなかった。


「マルガレーテ! お前、お前っ! よくも、よくもよくもよくもよくも! 重鎮たちを味方に付け北の蛮族を丸め込み父を虚仮にして満足か!!!」

「お黙り国賊。ふざけたことを聞かないで。満足ですって? いいえ。いいえ、大いに不満よ。不愉快よ。心底いい加減にして―――――貴方の話は! つまらないって! 何ッ回言わせれば気が済みますの!!!!! リューリ・ベルさんがげんなりしてるのが見て分かりませんの馬鹿なんですの緊急回避の突発ブリートでギリギリご機嫌取ってるんだからこれ以上ぐだついた展開を長引かせないでくださらない!? というか虚仮にし倒して一気に全部を片付けなければやってられない気分でしてよこんなくだらないクセに洒落にもならない茶番劇ッ!!!!!」


揺らぎはしないがキレっぷりに関しての勢いは若さが勝る。最早やってしまったわみたいな悔恨さえも置き去りにしてマルガレーテ嬢は実の父親を堂々と正面から扱き下ろした。この時点で見守り態勢だったらしいご隠居さん二名は若者の勢いに爆笑していたしマルガレーテ嬢のおじいさんは孫娘の啖呵に成長を感じて目元にそっと手を当てていたし国王様に至っては「この状況で声が張れるとは精神構造為政者向きじゃん?」と何目線かもわからないコメントを残していたりする。すごいな“王国”の茶番劇。全力じゃんよ何もかも。


「そもそも貴方がちゃんとしていればこんなことにはなっていないわ! おじいさまはちゃんと引退出来たしお母様だって苦労しなかったし私やお兄様だって振り回されずに済みました!!! 貴方さえしっかりしていれば! そこの国賊伯爵にだって違う道があったでしょうよ! 分不相応な夢を見て国家に反逆した挙句こんな茶番劇の端役で消費されて終わる国賊の血を自分が引いているのだと思うと、本当に―――――やるせないったら」

「う、うるさいうるさい親に向かって何だその物言いは黙れ黙れ! そ、そんな軟弱な精神でヴィッテルスバッハ大公という重責を担うつもりとは思い上がるなよ小娘が!!! お前に出来る筈はない、不可能だ、無理に決まっている! ノルンスノゥク公爵令嬢に劣るお前が大公だと? たかが馬鹿王子の婚約者にさえ選ばれなかった至らぬお前が、未だノルンスノゥクの娘にも勝てぬお前如きが西方貴族の頭領になるだと? そんなもの! それこそがまさに分不相応な夢だということが何故分からんのだ!!! 考え直せ、冷静になれ、煽てられていい気になっていられるのはどうせ今だけだ、こんなはずではなかったと泣き付く前に大人しくこの父を頼り縋るがいい!!! 幸いにも私は寛大だ、今なら許して」


「出来る出来ないじゃなくて『やる』のよ!!!!!」


叩き付ける音は誰より強くて逃げない者の覚悟があった。身勝手な言葉を遮るために吊り上げられた瞳は険しく、けれど彼女は怒っていない。

私よりも小さい背丈で、けれど大きい存在感で、今はまだ公爵令嬢でしかない筈のお嬢さんは声を張る。自分の胸に手を当てて、己は此処だと誇示するように、すべての視線を集めながらも堂々とした風格で。


「甘ったれるのも大概におし、国賊ヴィンセント・キルヒシュラーガー。ヴィッテルスバッハ大公は護国のための人柱、それを出来る出来ないの次元で語るのは烏滸がましいわ。やるしかないの、いつだって。そうやってずっと続けてきたの。祖先が負債を積み重ねたとて沈めるわけにはいかないからとおじいさまが守ってくださったのよ、絶えさせるわけにはいかないからとお母様が繋いでくださったのよ、そうして私の順番が来たの。お身体が丈夫だったなら、お兄様こそが次の大公に相応しかったのでしょうけれど………そうはならなかったから。出来なくたって、不可能だって、無理でも何でもやるしかないのよ。そう在れと育ててもらったの。だから私が守るのよ、だから私が繋ぐのよ、貴族の責務を果たすのよ―――――貴方では駄目だったから、私がおじいさまの跡を継ぐ。ヴィッテルスバッハの後継に相応しいとされたのは、貴方でも貴方の私生児でもなくこの私、マルガレーテ・キルヒシュラーガー。たったそれだけの話でしてよ。簡単でしょう? お父様」


悪意や皮肉がなくたって、事実の指摘には痛みが伴う。含むところなど何もない。突き放した冷たさが鋭利に何かを切り裂いて、マルガレーテ嬢は淑やかと強かの狭間で微笑んだ。

顔を歪めてそんな馬鹿なと言い募る国賊のプライドは見るからに粉砕されていたが、それでも何かに縋る目の光は未だ消えていない。


「嘘だ、嘘だ、お前ではない、マルガレーテなどではない、仮に私ではなかったとしても、マルガレーテ、お前ではない、何故なら―――――何故なら、そう! あのおばあ様がお認めになっていたのはマルガレーテではなくヴィクトールゆえに! そうとも、偉大なるおばあ様、アンネリーゼ・ヴィッテルスバッハ! 父上でさえ頭の上がらぬヴィッテルスバッハの真なる支配者! あの方は父上にではなくこの私に至高の宝を託した! ヴィッテルスバッハを継ぐそなたの子に、と大公家の秘宝をくださったのだ!!! 険しい道を往かねばならぬであろう可愛い曾孫にと、父親としてそなたの手から渡しておやりとおっしゃって! おお、慈悲深きおばあ様! 真実の愛に育まれながら私生児という立場から苦労するであろうヴィクトールのことを思ってくださっているのだと私は感動に胸がふるえ」


「それは!!! マルガレーテのことだ!!!!!」


長台詞を強制的にぶった切ってくれたのはマルガレーテ嬢のおじいさんであり全力で声を振り絞ったらしい彼は酸欠とは別の要因で息遣いを荒いものにしていた。控えめに申し上げて激怒している。具体的に言うと品のある老紳士の概念の瀬戸際を攻める形相で握り締めたステッキの柄を圧し折るレベルで物理的にみしみし軋ませてるのでおじいさん無理はよくないぞ。ていうか血圧大丈夫? あまりの気迫にマルガレーテ嬢がぎょっとしてあわあわしちゃってますけど。


「お、おじいさま、落ち着いてくださいまし!」

「止めてくれるな、マルガレーテ。ああ、おのれ、馬鹿馬鹿しい、どういうことかと聞いていればそういう理屈か馬鹿馬鹿しい―――――あの義母上が、生まれながらの大貴族たるアンネリーゼ様が地方貴族の腹から生まれた私生児如きを気に掛けるわけがなかろうが!!! 少しは考えてものを言え、これ以上つまらん妄言を嵩増ししながら吐き散らかすな頭が痛くなってくる! いいか!? よく聞けボンクラ愚息、その秘宝とやらを託されるべきは私生児ではなくマルガレーテだ!!! マンフレートは身体が弱く大公家の後継には向かぬ、必然的にヴィッテルスバッハはマルガレーテに委ねられよう。しかし我ら西方貴族は女性を軽んじる傾向にある。アンネリーゼ様は誰よりもその現実をご存じであった。若く、女の身で大公として立たねばならぬマルガレーテの往く道は厳しく険しいものになる―――――常識的に考えたら普通にそういう文脈だろうが何をどうトチ狂ったら私生児のことを慮って秘宝を託すなんて発想に至るのかまったく分からん分かりたくもないボンクラも大概にせよボンクラァッ!!!!!」

「ち、父上!?!? なにを馬鹿なことを!!! そのような戯言を誰がしん」

「黙れ!!!!! アンネリーゼ様は西方大公家最後の直系であらせられるぞ、誰よりも血筋を重んじながら御家を途絶えさせてはならぬと子爵家の倅に過ぎぬ私を養子に迎え作法を仕込んだ高潔にして生粋の貴人、振る舞いも矜持も心構えもあの御方より授かったもの、ヴィッテルスバッハの存続に誰より心を砕いていたあの義母上が地方貴族の愛人に生ませた私生児の跡取りなど許す筈がなかろうが………というか、貴様、秘宝とは何だ。あの方より何を賜った。ヴィッテルスバッハに伝わる宝物はすべてが管理されている。それらが動いた形跡はない、ヴィッテルスバッハの秘宝と呼ばれる品が貴様の手に渡った記録はない。アンネリーゼ様とて貴様にそれを渡す愚を犯す筈がない、種馬としての使い道しかないと分かっている者にマルガレーテのためとはいえど宝を預けてやるような迂闊な真似はなさらぬお人だ。ゆえに、断ずる。秘宝ではない。ヴィッテルスバッハの宝ではない。しかしマルガレーテのためにとあの方が選んだ品であるならおそらくはアンネリーゼ様の私物で、我が孫娘にとっては形見だ。言え、吐け、ヴィンセント。貴様はあの子から何を奪った」


要するに配達人の勝手な思い込みでプレゼントの宛先が変更されてしまうという悲しい事故が起こっていたらしくマルガレーテ嬢のおじいさんは静か過ぎる声でキレていた。研ぎ澄まされた怒気がもう殺意の域に達している。さっきまでみしみし軋ませていたステッキの持ち方がもう完全に標的目掛けて振り下ろす感じになってる件についてはきっと皆が気付いていたが誰も何も突っ込んだりしなかった。まだ慌てるにはちょっと早い。なにしろ両者には距離があるので。


「おおおおおお落ち着いてください父上そんな誤解ですだって違いますそんな馬鹿なことあるわけがないではないですかだっておばあさまがくださったのはヴィッテルスバッハのひほ」

「いいからさっさと品が何か言え『秘宝』だけでは答えにならん!!!!!!」

「答えですよもうだって秘宝は秘宝に決まっているでしょう!? なにしろおばあさまがくださったのは“北”の民たちが秘匿していた神秘の結晶、『幻獣』封じの宝玉とそれにまつわる禁書だったのです! 次期大公と目されし子孫へと託すに相応しい歴史と格を備えた品々、これを秘宝と言わずして何がヴィッテルスバッハの宝か!!!!!」


いや芋虫さんスタイル国賊お前なんでこの状況で自慢げな―――――ん? んん?


「タイム!!!!!!!!!!」


ほぼ全員の心が「なんて?」で統一されたであろう刹那、ただひとりだけ状況の方を鋭い宣言で停止させたのは安定の王子様である。圧倒的にアドリブに強い馬鹿はたった一言で困惑の空気感をぶち壊し、まるで最初から分かっていたような迷いのなさで“私”の方を見た。


「突然のファンタジー設定に思考を手放してる場合じゃないので一時停止して即再開! とりあえず初手で確認しておくがヘイ! “北の民”のリューリ・ベル! ゲンジュウフウジノホウギョクとかいうアイテムについて何か知ってる!?」

「知らんよ。逆になんだそれ。私が知りたい。まじで何?」

「だろうな! 予想通りの反応! 続きましてルイトポルト卿、それらしいものについての記録はヴィッテルスバッハ家に伝わってます!?」

「あ、ありませぬ。そのようなモノ―――――“北”にまつわる秘宝と禁書? あり得ぬ、まず来歴が知れぬ。古よりかの地と交流を続けてきたオルロフ家ならいざ知らず、ヴィッテルスバッハにそんな馬鹿げた代物が所蔵されているわけが………」

「でしょうね! それはホントにそう! と、いうワケでミロスラーヴァ卿―――――オルロフ家にはそれっぽい感じの何かがあったりしたりしません?」

「ゲンジュウフウジノホウギョクとやらとそれにまつわる禁書なるモノは我がオルロフにも存在せんな………言い回しから察するに形状は玉と書物であろうが『ゲンジュウフウジ』がまず分からん………ん? ゲンジュウ………幻獣………?」


必要な情報を的確に集めるのが早い王子様、聞きたいことを聞くべき相手に振るスピードが爆速過ぎて付いていくのが精一杯だが北の大公のばあちゃんには何かが引っ掛かったらしい。彼女はしばらく考え込んで、それから転がる国賊を見た。


「ヴィンセント・キルヒシュラーガーよ、アンネリーゼ殿よりその品々を預かる際に何を聞いた。ヴィッテルスバッハを背負って立つ若者にとって益となるものを彼女は選んで託した筈だ。それが“北”の秘宝と禁書というのがどうにも腑に落ちぬ。そんなものを未来の後継に託して何の得になる―――――アンネリーゼ・ヴィッテルスバッハはそのような無意味なことはせぬ。申せ、ヴィンセント・キルヒシュラーガー。彼女は貴様に何と言ってそれらの品を預けたのだ」

「ふん、オルロフの老害めが知ったふうな口を利く! 己の知らぬ“北”の秘宝の存在がそんな」

「御託は要らぬ。問いに答えよ。どうやら微温湯が過ぎたらしい………御前ではあるが指でも折るか。バーベリ伯、遂行せよ」

「御意」

「まっ、待て待て待て待て止めろ動くな貴様動くなあああああああおのれオルロフ大公めがそこまで聞きたいと言うのであれば教えてやろうではないか何しろ私は寛大だからな! いいか、ようく聞くがいい! おばあ様は『これがあれば必ずや西方大公家の助けになる』と秘宝を預けてくださった―――――まあ、実際にはお年を召していたせいか発音がはっきりしておらず聞き取りに難儀させられたのだが、預かった宝の詳細については未来の西方大公へ宛てた手紙にまとめてあったので問題ない! 曰く! ふたつの宝玉は“北の民”と北方大公家が結託して秘匿していた神秘の結晶! そこには世にも珍しい『幻獣』なる未知の存在が封じられているらしく、その扱いにはくれぐれも気を付けるべしとの念が押されていた………まあそのせいで肝心の『幻獣』がどんなモノなのか確認出来ず、というか使い方も分からなかったゆえ一緒に渡された幻獣図鑑とも呼ぶべき禁書は完全にただの娯楽本の類だったが………ともあれ“北”の連中が秘匿していた『幻獣』を封じている恐るべき宝玉なのだ、そこの老害はそのようなもの何の益にもなりはしないと殊更強がっているようだが残念だったなあヴィッテルスバッハはオルロフの武も及ばぬような未知の力を手に入れたのだよ!!! 現にその力で“北”の大地に甚大な被害をもたら」


「話の途中でごめんなんだけど最悪の可能性に気付いてしまったのでもう“王子様”言っちゃうな―――――もしかしてそのお手紙とやら、西方古語で書かれてたりした?」

「話の腰を折るな馬鹿王子! 西方古語だったがそれがどうした!!!!!」


真顔で小さく挙手をしている王子様に返されたのは憤りに満ちた肯定である。私を除いたほぼ全員に絶望的な一体感もとい確信が生まれた瞬間だった。ある者は頭上を振り仰ぎ、ある者は勢い良く肩を落とす。マルガレーテ嬢とそのおじいさんは固く目を閉じて頭痛を堪え、北の大公のばあちゃんはゆっくりと眉間を揉んでいた。


「察しちゃったな………」

「左様ですな………」


もうこれ以上疲れたくない、と表情だけで主張している国王様と宰相さんのコメントに頷く面々の心がひとつになっている。私は棒立ちでそれを見ていた。立ち合い人として他人事のように当事者っぽい顔をして。


「つまりどういうオチなんだ? 解説してくれ王子様」

「端的に言うと西方古語で書かれた手紙を読み間違えてとんでもない勘違いが出力された可能性がめっちゃ高い。しかし何処をどう間違えたんだ………? うーん、そんなものがあるとは知らなかったとはいえ押収し損ねたのが痛いな、現物があればもう少し話がスムーズだったんだが………ちなみにだけどリューリ・ベル、お前『幻獣』って何か知ってる?」

「ああ、その王国語ならきちんと教えてもらったぞ。あれだろ『幻獣』―――――絶滅危惧種。それか学名不明個体」

「思ってたのと違うヤツ来たなあ!!!!!」


これこれ! みたいな笑顔になるなよ何なんだ怖いよ王子様。テンションの上がり方が“学園”でのそれ。国賊については固まっていた。このノリに付いていけないらしい。


「王子よ、それについてはこの老骨の口から簡単に説明しよう。知っての通り、北の子が暮らす“北”の地はその大部分が常軌を逸した極寒帯だ。東西南北で異なる気候を有する“王国”とは根本的に生物の在り方が異なっている………要するにだな、我々“王国民”にとって“北”の生物のほとんどは未知の珍しい『幻獣』なのだよ。こちらでは既に絶滅した種が向こうで生き延びた場合もあるゆえ一括りには出来ぬであろうが、基本的にあちらの生物はこちらとはまったくの別物である。名称がないのは不便ゆえ、我らオルロフの祖先たちは結局のところ絶滅危惧種や学名を持たぬ未確認個体の意味で分かり易く『幻獣』という表現を採用することにしたらしい。異邦の地でしか見られない幻のような生き物たち―――――我が祖にしては浪漫が過ぎるが、そういう意味で『幻獣』なるものは確かに“北”に存在している。しかしそこにファンタジー的な要素などは微塵も込めておらん」

「ハッ、オルロフ北方大公閣下ともあろう御方が見え透いた嘘を!!! ひい御婆様が私にくださった幻獣図鑑に載っていたのはそのようなモノではありません、学名不明個体というより未確認生命体と呼ぶべき摩訶不思議で面妖なモノばかり! 霜の巨人、火喰い狼、稲妻と駆ける八足馬、湖の底の双頭竜―――――どれもこれもが人智の及ばぬ力を有した怪物たち! 挿絵でさえもそのおぞましさは」


「失礼、それってもしかしなくても『グリゴリーの幻想図鑑』では?」


またもや小さく挙手をしながら出しゃばる突然の王子様。ずっと黙っていた国賊その二こと国賊伯爵が久々に口を開いたタイミングで容赦なく割り込んでおきながら、しかしその顔はスンッとしていた。


「は? グレゴリー? 誰だそ」

「グレゴリーじゃなくてグリゴリーだぞう、北方ではほぼ知らない者は居ないレベルの有名人だ。彼が生み出した幻想生物はけして多くはないものの、民間伝承や神話を下地に独自の解釈を展開しながらその生態や怪物性を文章と絵で余すところなく綴りまくって最終的には書籍化までした。実は私も持っている。それが『グリゴリーの幻想図鑑』―――――羽搏きで地を揺らす鷲、世界樹の根を齧る蛇、島を乗せて泳ぐ魚に殺せば死ぬが老いない蝙蝠。想像上の生き物たちの魅力がたっぷり綴られた読み物はいつしか王国全土に広まり多くの人々に愛された。禁書も何もフツーに売ってるゴリゴリの娯楽本ではあるが、ヴィッテルスバッハ大公孫の曾祖母君が彼女に遺した本というのはもしかしなくてもコレのことでは?」

「は? は!? し、市販品だと!? 馬鹿な、そんな筈がない、市販品である筈がない、だって表紙にはなにもなかった!!! タイトルどころか著作者名もない古びた革張りの装丁はまさしく禁書と呼ぶに相応しい歴史と格を備えていたのだ、そもそも文章から挿絵に至るまですべてが手書きだったのだから市販品であるはずなかろうがふははははははそう! そうだとも! 間違っているのは貴様らの方だ、勘違いも大概にせよ! いい加減に現実を受けれ入れるが良い!!!!!」

「ヘイ! ミロスラーヴァ卿! オルロフ家の方が“北”関連の禁書を記すなら何語で書きます?」

「北方古語だな。まず間違いない。絶対に王国語では書かん―――――つかぬことを聞くが国賊どもよ。貴様ら北方古語が読めるのか? 西方古語さえ満足に扱えぬ有様だというに」

「黙れ黙れ黙れ老害が! 誇り高きヴィッテルスバッハ大公家の血を引くこの私が北方古語などわざわざ記憶に留める筈がなかろうが! 禁書が王国語で記されていようがそんなことは些末も些末、おばあ様は確かにあれを禁じられた書であると………! そうおっしゃっていたのだから禁書は禁書なのだ! 間違いなど無い!!!」


王子様と北の大公のばあちゃんの煽りを正面から浴びてそんな馬鹿なと叫び散らす国賊公爵とやらの指は今度こそ遠慮容赦なく折られるのかな、と思って見守っていたのがだがそれは実現しなかった。他でもない発案者のばあちゃん自身がさせなかったからである。彼女は数秒考えて、それからぽつりと口を開いた。


「ひとつ聞く。国賊ども。貴様らの言う禁書の中で述べられていたオオカミは『火喰い狼』だけだったか?」

「あ? オオカミだと? そんなもの………確か係累に太陽と月を追い掛ける兄弟の狼が載っていたが………? はっ、それが一体どうしたと」

「あい分かった。すべて理解した、禁書は『禁断の書』などではなくただの『閲覧禁止図書』だ。結論から言えばその本は『グリゴリーの幻想図鑑』ではない―――――その草案にして原案である、著者グリゴリーのネタ帳だ」

「………ハァ!?!?」


マニア垂涎のお宝ではある、と大真面目に断言するばあちゃんだったが求められていたのはたぶんそういう意外性ではない。ネタ帳、という衝撃ワードに顎が外れんばかりの勢いで言葉を失くす国賊たちに彼女は無情な真実を告げる。


「初版本まで遡ったとて『グリゴリーの幻想図鑑』に『火喰い狼』なる獣は登場しない。だがしかし、『陽と月を追う二頭の狼』の親なるモノなら載っている―――――『神を丸呑みする巨狼』としてな。己の幻想を書物にまとめて世に発表する段になって著者グリゴリーは取捨選択やいくつかの改変を余儀なくされたが、彼が最初に抱いた構想をそのまま書き留めたネタ帳は後援者にして親友でもあった者の娘に贈られたと聞く………これは老骨の憶測に過ぎぬが、政略にて西方一門へと輿入れした娘の所持品としてかの地に持ち込まれたそれが巡り巡ってアンネリーゼ殿の手に渡ったと考えるのが妥当であろうな。当時の情勢を考えれば“禁書”扱いも無理からぬこと。今でこそ落ち着いてはいるが、北方領と西方領の関係はおよそ良好とは言い難かった。大公たちの気質があまりにも合わなかったのが原因だろう、政略婚でいくつかの縁を結べど焼け石に水、両者の仲は拗れに拗れ、時のヴィッテルスバッハ家当主はとうとう北方産の品を買うことも持つことも罷りならんと触れを出して排斥を強行した。グリゴリーの幻想図鑑然り、その原案であるネタ帳然り、おそらくそういうことだろう―――――己で言っていて頭が痛いが」


言い終えてから眉間を揉む北の大公のばあちゃんにお労しや的な視線が向くのを横目に私は王子様に言葉を投げた。大胆かつ雑にコミカルに。


「ヘイ王子様。要約して」

「なんやかんやいろいろ揉めてた頃は持っていることすら許されない、とか偉い人に言われてた本だけど今となっては読んでもいいしマニア垂涎のお宝グッズで超絶貴重品だから大切に扱って頂戴ね、っていう贈り主からのお願いを盛大に聞き取り失敗した結果『これは禁書だ! 禁忌の秘宝だ!』と騒いでいたボンクラがあちらになります―――――よし禁書の方は片が付いたな。次! 宝玉の件について! 賭けてもいいけどきっとこっちもしょーもねえな系のオチ!!!」


意地でも止まらないトップオブ馬鹿王子様、ヤケクソ感を隠す気ゼロでその潔さがもう立派。立派か? 私の脳味噌もだんだん疲れてきてるなこれは。


「ああ、そちらの方についても思い至ったことがある………国賊ども。コレに見覚えはあるか」


そう言ってばあちゃんが掲げて見せたのはなんと己の右腕である。目線の高さに持ち上げて、袖口を軽く引き下げて、その手首にひっそりと存在していた装飾品を示す彼女の顔からは一切の表情が抜け落ちていた。恐怖よりもまず先に異常さの方が際立っている。王子様さえ守りに入って気配を消したあたり相当だろうが、しかし示された装飾品にばかり目が行っているらしい国賊二名はそこにまったく気付いていないのでこいつら狩人には向いていない。


「そっ、それは! おのれオルロフ、知らぬ存ぜぬと言いながら貴様やはり宝玉を知っ」


雑音には誰も取り合わなかった。

無言無表情のばあちゃんの手が目の前の机に叩き付けられる。どん! と響いた音に重なってばきんと何かが割れた音。それは紛れもなく“北の大公”の所有物である装飾品から出た音だった。透明な玉をいくつも連ねただけのシンプルな腕飾りである。腕を振り上げたその一瞬、彼女は勢いを利用することで手首から抜けかけたそれを握り込み机へと叩き付けたらしい。いくつかの玉は割れ砕け、形を保っている残りの玉も大部分に罅が入ってしまった。己の行動の結果をなんとも淡白な目で見下ろして、北の大公のばあちゃんはさしたる後悔もなく呟く。


「分かってはいたが、やはり脆い………老いた肌より弱いとは」

「ぎっ、ぎゃぁあああぁぁぁぁあああ!?!?」

「なん、なんてことするんだおい北方大公ふざけるなそんなことをして中の幻獣が外に出―――――何も………起こらない………? いや、というかあの腕輪、もしや宝玉に穴をあけている………? どういうことだ!? おのれ、もしや我らを貶めるために宝玉の偽物を」


「貴様らの言う宝玉は“北”で採れる『その辺によくある石』だ」


ばあちゃんの無慈悲な声が響いた。

しーん、とした場に流れて消えた。

私としては知ってる話題が出て来てちょっと興味が湧いたがしかし他の人々は真面目になろうとして失敗しましたみたいな顔で固まっている。


「そのへんに」

「よくある石」

「いかにも。その辺に転がっている我らで言うところの路傍の石よ。そこにあるからそこにある。特に気に留めるまでもない。それが何であるのか知らなくても生きてはいけるゆえ別に考えたこともない―――――正式名称があるかないかも定かではない、ただの無機物。北の民らにとってはすなわち『その辺によくある石』である」


だいぶ間抜けな表情で復唱している国賊ふたりに対して一切の容赦がないばあちゃん。語り口は淡々としてそこには怒りも憤りもない。なんだそれ、と何処からともなく聞こえた疑問の言葉に私は反射で口を挟んだ。


「ああ、『その辺によくある石』なら実際その辺によくある石だぞ。凍ってる石とか氷モドキとか人によっていろいろ違うけど正式名称がたぶんないから故郷じゃ好き勝手に呼んでるし大体通じるから問題ない」

「ひい御婆様から賜った秘宝がまさかの路傍の石扱いだと!?!?」

「そんな馬鹿な!? 扱いにはくれぐれも気を付けろとかなりの念を押されたのだぞ、幻獣が封じられているから以外の理由であそこまで執拗に釘を刺す筈が」

「単純に割れ易いからであろうよ。今しがた私が叩き割ったコレより『その辺によくある石』は脆いのだ。すぐ割れ、すぐ欠け、瑕が絶えぬ。その名が表しているように希少性などないに等しく脆過ぎるがゆえ加工に向かぬ。たとえ本物だとしても、それそのものに大した価値はない」

「黙れ、嘘だ、信じるものか! ヴィッテルスバッハの直系の、本物の西方大公家のお血筋の方が後継にと託した品に価値がないワケが―――――」

「石そのものに価値はなくとも、アンネリーゼ殿が託した品が無価値であるとは言っておらん」


被せるようにそう告げて、北の大公のばあちゃんは机の上に落ちていた欠片のひとつをつまみ上げた。彼女が装飾品として手首につけていたときは確かに球体だったのに、今は四角い箱を斜めに潰したような形になっている。


「最初にひとつ断っておくが、私が割って砕いたコレは『その辺によくある石』ではない。我が領土内で採掘された方解石と呼ばれる石だ。北方だけでなく王国内でも広く産出される石ゆえ、知っている者も多かろう。この方解石は『その辺によくある石』と極めて成分が近いらしい。強度面での違いはあれど、その構造もよく似ている。我が北方の職人たちは“北の民”の族長殿が加工を施した石を手本により頑丈な方解石で研鑽を積んでいるわけだが………話を戻そう。着目すべきはその特徴だ、ひとつは所謂ダブリング………二重像現象と呼ばれるものだがこちらについては敢えて触れぬ、今はあまり関係がない。重要なのはもうひとつ、一定方向からの衝撃で必ず同じ形状に割れる劈開性を持つことだ。つまりどれだけ小さく割れようが自然とこういうカタチになる―――――逆に言えば加工を施さぬ限り絶対に球状の玉にはならぬ」


北の大公のばあちゃんは、そこで一度言葉を区切った。位置関係や視力の都合で見えない人もいるのだろうが、私の目にははっきりとその指先がつまみ上げている尖った欠片が見えている。四角を斜めに潰した形状。故郷ではその辺でよく見たカタチ。言ってしまえば主に尖った状態で転がっているという割ととんでもない石ではあるが、慣れ親しんでしまっているから今更思うところはない。

ばあちゃんの目が私に向いた。きっと私を通した向こうに別の誰かの姿を見ている。


「リューリや。そなたの故郷たる“北”で採れる『その辺によくある石』を、そなたは丸く加工出来るか?」

「出来ないな、普通に割れる。試したことは何度かあるけど力加減が難し過ぎて私に加工は無理だった。ていうかあれはみんな無理だぞ。大昔から族長以外は誰も真ん丸に出来ないとかいう伝説のなんとも弱石だ」

「なんともよわいし、って言い方ちょっと可愛い気がしてほっこりしちゃった。ちなみにだけどリューリ・ベル、その石を真ん丸に加工し始めた理由とかメリットとかあるの?」

「理由とかメリットとか聞かれてもなあ、嘘かホントかは分かんないけど族長としては『気が紛れるかな』って程度の感覚で始めたらしい。あのひと亡くした連れ合いのことを思い出しては落ち込みまくるから気付くとその辺に転がってる石をひたすらごりごりしててこわ………あー、その件についてはめんどくさいから誰も何もそれ以上聞いたことない」

「触れない方が良いことだけが分かっちゃったな! なにそれこわい! しかしそれはそれとして―――――なるほど、加工が施されている球体状の『なんか弱石』は“北の民”の歴代族長手ずからの工芸品と言って差し支えないと。それなら確かに無価値じゃない」


喋り出すなり核心をしれっと拾い上げる王子様。あ、と気付いた顔をする大人たちの皆さんとマルガレーテ嬢。そしてどういうことなんだと言わんばかりの顔をしている国賊どもだがこいつらと私の疑問点が同じでないことを願いたい。


「なんでうちの族長がごりごりしたその辺によくある石が工芸品になっちゃうんだよ。王国民がありがたがるような価値とかそういうの絶対ないだろ」

「そうでもないぞう、リューリ・ベル。石そのものには価値がなくても技術の方に価値がある。しかも“北の民”の族長にしか作れないという希少性―――――ぶっちゃけ“北”との交渉を一手に担っているオルロフ家を通さないことには絶対に手に入らない類の品だ。それが本当に“北”で採れる『その辺によくある石』を素材に作られていればの話だが」


含みを持たせた物言いで、王子様が意味ありげな視線を送る。相手は国賊たちではなく北の大公のばあちゃんだった。


「実物がこの場に無い以上、国賊たちの主張する西方大公家の宝玉とやらがミロスラーヴァ卿もお持ちであった方解石の加工品である可能性は捨てきれない。彼らの主張する宝玉が『その辺によくある石』であり“北の民”の族長の手によって加工された品である、との証明は難しそうですが―――――これまでの口振りから察するに、貴女であれば可能なのでは?」

「可能であるとも、聡き次代よ。私であれば証明出来る。国賊どもがヴィッテルスバッハ大公孫から掠め取った上に私物化したアンネリーゼ殿の遺品、それが『その辺によくある石』を加工した二対一組の玉であったと私であれば証言出来る」

「掠め取ったなどと人聞きの悪い! あれはおばあ様がヴィクトールにくださった………待て、待て、オルロフ大公。どうして貴様が知っている―――――宝玉が二対一組であったと、我らしか知らぬことを知っている!?!?」


慌てふためく国賊であるがおそらくこいつは少し前に自分でふたつの宝玉が云々と喋っていたことを忘れている。気付いた上で覚えている側からしてみれば知ってて当たり前だろうがよ、としか言えない馬鹿馬鹿しさだったが、しかしばあちゃんの答えは違った。


「私が贈ったものだからだ」


その情報はたぶん本当に、誰も知らなかったと思う。やっぱりか、と呟けたのは、たぶん王子様だけだった。

ばあちゃんは彼を見ていない。芋虫のように転がって呆けている国賊たちを見ている。ただ見下ろして、淡々と、過去にあったことを突き付けた。紛れもない当時を知る者として、当事者として、逃げもせず。


「貴様らの言う宝玉をアンネリーゼ・ヴィッテルスバッハに贈ったのはこの私である。今より数十年も昔のことで公的な記録など残っておらぬし、入手困難な“北”由来の品とはいえそれそのものには大した価値もないただの無色透明の石を彼女がいつまでも己の手元に残しておくとは思わなんだが―――――そうか。あの方は捨てることなく、持っていてくださったのか」

「良質な花の香りがしました」

「鎮まれ口を噤めヘサーム殿。あとで話そう」

「止めてくれてありがとうもちろんです友よ」


しみじみとしているばあちゃんに隠れて固い握手を交わしているらしいご隠居たちを一瞥する王子様の目がなんとも言えないし私からは特に何にも言えない。そういうわけでとりあえず、何か分かってるっぽいやつに聞いてみようと思います。


「王子様、つまりどういうこと」

「うーん、終始一貫散らかり放題で何処から何処までまとめたら適切かもう分かんないなコレ。十秒だけ待って概要をまとめたついでに時短する、までもなかったな馬鹿馬鹿しい! マルガレーテ嬢のひいおばあさんとしては『若かりし頃にミロスラーヴァ卿から個人的に貰ったプレゼント』を曾孫に託すことでミロスラーヴァ卿からの協力を取り付けやすくしたかったんだと思うんだけど国賊どもがありとあらゆる勘違いその他を発動した結果そのプレゼントは国賊どもが勝手に自分のものにしちゃいましたっていうだけの話とかどういうことなの! 禁書だの宝玉だの意味不明ワードをお出しされたことで大いに脱線させられたが結論はなにひとつ変わらない、ヴィッテルスバッハの後継はマルガレーテ嬢だし国賊その一その二のふたりに明るい未来はありません―――――茶番に付き合わせてごめんなさいね! これ以上はもう面白く出来そうもないので進行ストップ! 王子様の出番はおしまいですので大人たちあとはよろしくどうぞ!!!」


そんなぶん投げが許されるのか、と思ったがどうやら許されるらしい。王子様が放り投げるとかもうよっぽどだな。救いようがない。そんな気持ちになりながら、終わるなら早く終わってほしいと私は無言で場を見守る。だってそれしかすることがない。


「ふざっ、ふざけるなよ馬鹿王子めが!!! こんなことがあって堪るか、こんな、そんな馬鹿な話が、こんな馬鹿げた幕引きなどがあっていい筈なかろうが!!!!!」

「え? あってもいいと思うぞう―――――なにしろすべては『無かったこと』だ」


だからどんなオチでもいい、と慈愛に満ちた声色で王子様が雑なことを言う。転がりながら唖然としている国賊たちに向ける顔には作られたとわかる優しさが丁寧に貼り付けられていて、なのに不思議と嘘がなかった。


「情状酌量の余地はない。反省を促すつもりもない。この茶番劇はただ『リューリ・ベル』を通して“北の民”たちに事の経緯と顛末を示すためだけのもの、紐解いてみれば馬鹿馬鹿しかろうがこういう経緯でそちら様まで巻き込んでしまって申し訳ないと説明するための大掛かりなお詫びの舞台でしかない。そして何度でも言うが、コレはあくまで“非公式”であり『公の筋書き』とは異なる。国営視点で都合が悪いことは自国民各位に伏せるけれども、実際に犯した貴様らの罪もそれに伴う罰も消えない。だから幕引きはどうでもいいんだ―――――ていうか咄嗟に遮っちゃったけど幻獣封じの宝玉って何だ貴様らふざけるな、未知の力で他所様の土地に甚大な被害云々とかそんな突然の雑ファンタジーを見て来たかのように語るんじゃない、どうせ現場の人間が普通に爆薬その他を持ち込んで破壊工作しやがりましたってオチでしょうがよこのパターン! そもそも人間の意のままに操れる未知の生命体とかそんなファンタジーあるわけないじゃん―――――念のため聞くけどリューリ・ベル、お前の故郷ってそういう人間に都合の良い幻獣とか居たりする?」

「ンなワケねぇだろそんな人間に都合の良いモン何処にも居ねえよ」

「ですよね知ってたありがとう! そういうことで! オチどうぞ!!!」


終わりです感を醸しながらも笑顔で王子様がぶん投げた先に居たのは国王様―――――ではなく、大公のばあちゃんだった。彼女は鷹揚に頷いて、心得たように口を開く。


「国賊、ヴィンセント・キルヒシュラーガー。並びにヴィクトール・ヘンスラー。貴様らの罪は明らかであり、もはや弁明の余地はない。領土侵犯、反逆罪、実父の尊属殺人未遂に公爵令嬢誘拐未遂。アンネリーゼ殿の形見については横領というより窃盗であろうな。余罪については省略しよう、王位を簒奪せんとした愚か者には処刑が妥当ゆえ。しかし混乱を避けるべく、その方らは病没と公表される。貴様らには過ぎた温情であるが、死後の尊厳と家名の名誉だけは辛うじて守られよう」


きっとこれは裁判ではない。何処まで行っても本当に茶番劇でしかないのだろう。脱線しようがぐだぐだしようが終着はなにひとつ変わらない。変えられないし、変えさせない。こうと決められた筋書きの、結末をなぞるだけの舞台。


「ルイトポルト・ヴィッテルスバッハ。そなたの嫡子は病で死んだ。天命であろう。お悔み申す。しかしそなたは西方大公、後継と定めた孫に跡目を譲って任せるその日まで、ゆめゆめ責務を忘れるなかれ」


王様のようにばあちゃんは言う。国王様を差し置いて、けれど誰も文句は言わない。むしろ国王様本人は己がこの役目でなくて良かったと安堵しているような気がした。

マルガレーテ嬢とそのおじいさんが揃って頭を垂れている。下されるべき沙汰はなく、あるのは激励だけだった。彼らに向けられる視線は優しい。労りがあって温もりがある。あるべきところにおさまった、という達成感がそこにはあった。

国賊ふたりを置き去りにして。


「レディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガー。ヴィッテルスバッハの新たな次代よ。そなたの道行きはおそらく険しい。だが恐れるな、臆するな。どうか揺らぐことなかれ。大公家の名に相応しく………かのアンネリーゼ殿がそうだったように、願わくば気高く在らんことを。北方大公家オルロフが長、ミロスラーヴァはそなたが我らと並び立つ日を待っている」

「はい、北方大公閣下。おじいさまとその家名に懸けて―――――このマルガレーテ、必ずや」


面を上げたマルガレーテ嬢は真っ直ぐに前を向いていた。しっかりと自分の足で立ち、言葉少なに決意を込めて述べる口上に迷いはない。輝いて見えるぞ縦ロール嬢。力なく項垂れる国賊公爵と俯いている国賊伯爵とは雲泥の差。比べようもない。同じ血が流れているって本当なんですか案件レベルだが敗者どもは既に用済みなのか誰もあちらを見ていなかった。

ふ、と空気が弛緩する。ばあちゃんが笑ったからだった。


「さて、長引かせてしまったが、つまらぬ茶番はこれにて終いだ。北の子よ、付き合わせてすまな」


「お待ちください。異議がございます」


緩んだ空気が凍り付く。舞台の幕はまだ下りない。下ろさせなかった国賊の若い方が顔を上げていた。


「王位の簒奪を目論んだ者が死を賜るのは当然でしょう。しかしながら北方大公、私ヴィクトール・ヘンスラーはそれに加担しておりません。領土侵犯も反逆罪も、尊属殺人未遂についても私は加担しておりません」

「は?」

「うわ」

「やりおった」


にこやかに自分の父親を実行犯として切り捨てていくスタイルを披露する国賊伯爵。今更何? と目を剥く国王様の隣でドン引く宰相さんの後ろでとうとう職務に没頭していた騎士団長までもが呟く事態。

よくもぬけぬけと言えたなそれ、と呆れる気配にじわじわと混ざるいい加減にしろ的な怒りが爆発する前に、空気を読まず読めない男は面の皮が分厚過ぎる芋虫さん姿で尚も喋る。


「え。ま、ヴィクトー、ル?」

「アンネリーゼひい御婆様の遺品を『私に宛てたものだ』と嘘を吐いて授けたこと。ルイトポルトおじい様に単独で毒を盛ったこと。かの“北”の地に侵攻すべく私兵を手配し差し向けたこと。御家と王位の簒奪を目論みフローレン・ノルンスノゥク嬢を誘拐せんと動いたこと。これらはすべては我が父が、ヴィンセント・キルヒシュラーガーが企て実行に移したものにて私は加担しておりません。確かに聞かされてはおりましたが冗談と聞き流していたのです、まさかそのように大それた野望を抱いているものとは露知らず、ええ、本当に、本気であるとは夢にも………嗚呼、ですが、そうでしょうとも。無罪であるとは言えますまい。ヴィッテルスバッハ大公子にしてキルヒシュラーガー公である父の意向を知りながら諫めなかった罪はございましょうとも! しかし、庶子であるがゆえ流されるしか出来ぬ身の上でついでのように死罪というのは如何なものでございましょう―――――どうか寛大な御心と御温情を賜りたく」

「こ、っの! 往生際ァッ!!!!!」


マルガレーテ嬢が絶叫した。土壇場を通り越した終幕後にようやく保身を図った結果最悪の泥試合を確定させた国賊の往生際の悪さに怒りを覚えた彼女は何も悪くない。私もちょっとイラッとした。めんどくさ過ぎてもう勘弁。


「王子様これ延長戦か?」

「ない。これはない。流石に無い」


真顔でめちゃくちゃ言い重ねてくる王子様の顔がすごく虚無。だよな流石に、と返す私も恐らく似たようなものだろう。もうこれ物理で排除でよくない? みたいな気配をひしひし感じるが、どうも警備の人たちは勝手に制圧とかしてはいけない決まりらしくて今か今かと偉い人の指示を待っていた。

めんどくせえな。私がやろうか。おじいさんその杖借りて良い? 素手のが強いけど素手で触りたくない気分なんでそれ貸して。


「国賊公にすべての罪を擦り付けて自分一人だけ助かろうなどとよくもまあそんな浅ましい真似を………どうしようもない愚か者であれ息子に向けた愛情だけは確かに本物でしたのに。私はお前のような手合いが一番嫌いよ、ヴィクトール・ヘンスラー。今まで散々自爆しておきながら今更無関係を装ったところでそんな稚拙な言い訳が通るわけがないでしょう、馬鹿も大概になさいまし」


すぅ、と深呼吸を挟んだことで脊髄反射のキレ散らかしから淑女然とした対応に切り替えたマルガレーテ嬢の努力は立派。しかし相手は馬鹿なので、理性的で在ろうとした腹違いの妹の発言を別の意味で捉えたらしい。


「ああ、そうとも、そうだろうとも、君が拗ねるのも仕方がない。私は父に愛されていた。君やマンフレートとは違って確かに父に愛されていた。けれどもよくよく考えてくれ、愛する息子に王位をやろう、なんて親馬鹿の発言を本気で信じる大人がいるかい? 未成年ならいざ知らず、僕はもう伯爵位を継承した成人なんだよ? 信じる筈がない。すべては僕を愛するが故のリップサービスだと思っていたのさ、内容はどうあれ家族に示す愛情表現は自由だからね、まさか本気で考えて実行に移すとはとてもとても………ああ、そうそう、父に言われてノルンスノゥク公爵令嬢宛てに晩餐会の招待状を綴ったことは認めます。ええ、父に言われましたので。父から教わった西方古語を用いて礼を尽くした招待状をしたためたつもりだったのですが、まさかそれが間違っていて『脅迫状』のような文面になっていたとはまったく思いませんでした、なんという悲劇! これは確かに我が身の罪と言われてしまえば罪ですね、いたずらにレディを惑わせてしまった責任を取るのは当然です―――――謹慎、ないし罰金刑あたりが下されても文句は言えますま」


「西方古語を舐めるなよ若造ォォォォオオオォッッッ!!!!!」

「パーゼマン氏またですか落ち着いてェ!?!?」

「気持ちは分かりますが何卒! 何卒ォ!!!」


場外から轟くとんでもねえ怒声とそれを宥める誰それの声。ぎょっと目を剥いてそちらを見遣る国賊その二の顔が忘れていたことを思い出したように一瞬にして強張った。


「あくまで“北の民”のお嬢さんが見たままを描いた写しでしかないと分かった上で黙ってはおれん、それでも見れば分かるのだ、誤字と脱字にまみれていようが文法や言い回しがおかしかろうがそれでもこれは『書こうと思って』書かれたものに間違いないと! 古語管理官パーゼマン、この首を懸けて申し奉る! ヘンスラー伯がしたためたというこの手紙の本質は脅迫文です! 何故なら!!! 『あなたにお越しいただけないと、北境の町の宿からお招きした小さなレディが悲しみのあまり涙に暮れて世を儚んでしまいかねず』とか書いてあるんですよこんな文章逆にどこをどう間違えたら出力されるのだ答えろ若造おいコラどうした目を逸らすんじゃない本当はどういう文章を書きたかったのか言ってみろ言えぇ!!!!!」

「えっ、いやそれはその………はは、古語管理官殿であれ間違いのひとつやふた」

「私が間違っているのだということにしたいなら原文を言え本当はどういう言葉を綴りたかったのかをこの場で答えろさっさと答えろ絶対に添削してくれる!!! 古語を辱めた罪を知れッッッ!!!!!」

「駄目だコレもう目がアレだわコレすいません警備! 手伝って警備!!!」

「大丈夫ですよパーゼマン氏なにも心配は要りませんからねまずは息を吸いましょうねハイ大丈夫ですよ深呼吸―――――おっと、酸素マスクがあります? なんで? まあいいや一刻を争うどうも!」


突然彼方で展開される謎の修羅場の緊迫感からひとまずそっと目を逸らし、聞こえてしまった内容を自分なりに考えて私は王子様を見る。王子様も私を見ていた。不思議と流れる沈黙を、先に破ったのはこちらの方。


「なあ、気のせいか、王子様。北境の町の宿からお招きした小さなレディがどうとか聞こえた」

「気のせいじゃないぞう、リューリ・ベル。私にもそう聞こえたし、実際アレにはそう書いてあった」

「そうか。で、どういう意味?」

「明け透けに言えば『お前が大人しく来なければ北境の町から誘拐してきた宿屋のチビちゃんが死ぬけどいいの?』みたいな意味だな。この場合」

「そうか―――――で、それ書いたのお前であってる?」

「ひ」


視線を向けただけなのに、転がる芋虫は大袈裟だった。私は怒っても笑ってもいない。何にも思うところがないから一番楽な表情筋の動かし方をしているだけで、そこに大した意味はない。相手がそれ見て何を思うかも私にとってはどうでもいい。


「お前、チビちゃんになんかしたの?」


疑問はただの疑問であって、気になったから聞いたに過ぎない。確認作業の一環に怒りも焦りもないだろう。淡々とした私の態度にしばしの怯えを見せた相手は、やがて失態を誤魔化すように芋虫のままで虚勢を張った。


「ふ、はは、ははは、愚問だな、そうだなあ、教えて差し上げよう! バレてしまっては仕方がないが今となってはもう遅い! 残念だったな、手遅れだとも! 私は根っからの紳士なのでね、相手が招待に応じてくれるよう心を配るのは当然のこと、レディ・フローレンが無視出来ない相手、すなわち招待学生で“北の民”たる君が懇意にしていたというノルズグラートの宿屋の娘を我が居城に招待してあげようとわざわざ人員を割いてやったのだ!!! 平民の小娘ひとりを相手に随分と仰々しくはなったが、なあに、私は太っ腹だからね、何も遠慮することはない。まあ実際にはせっかく迎えをやったというのに使いの者どもが無能だったのか晩餐会には間に合わなかったが連れて来ている最中だったことは間違いない筈だ、入れ違いになっただけだろう、まさか向こうが断るわけがない、なんといっても平民風情が伯爵家の城の晩餐会に招かれるのだから感謝こそされども文句を言われる筋合いはないのだからねえ。我ら貴族の都合に平民が合わせるのは当たり前だろう? 仮に問題が起きたとして―――――伯爵であるこの私が、このヴィクトール・ヘンスラーが、たかが平民の小娘ひとりを攫ったとて大した罪にはならない。この“王国”における平民の扱いなどそんなモノだよ、北の民」


思うがままに捲し立てた国賊伯爵がにやりと笑う。嗜虐的ではあったのだろうが如何せん縄でぐるぐる縛られた芋虫スタイルのままだったのでいまいち迫力に欠けていた。してやったり、みたいな顔が私には何ひとつ分からない。煽られたところで悔しくはないし別段怒りも湧いてこない。

というか、そもそもの話―――――こいつさっきから何言ってんだろ。


「ん? んんん? どうしたのかね? 蛮族の自分と仲良くしたせいで小さなご友人がトラブルに巻き込まれたのが堪えたのかな? はははははははは! ざまあみろ」


勝ち誇って高笑いする国賊伯を三秒眺めて、考えたって分からないから私は直接聞くことにした。


「え、チビちゃんて誘拐されたの?」

「いいや? そんな記憶はないが」


ぴた、と。

すべてが静止した。五月蠅いだけの馬鹿げた笑いも、人の動きも何もかも。

構うことなく私は頷く。


「だよなあ」


だってさっきから、彼女はずっとそこに居た。

くつくつと声が転がって、それはすぐさま大笑に変わる。堪え切れないと全身で表現すること数えて五秒、すべての視線をひとり占めにした北の大公のばあちゃんは悪戯が成功したお子様よろしくにんまり笑ってこう言った。


「小休止を許す―――――名乗っておやり」

「御意」


応えはなんとも堅苦しくて、短く鋭く遊びがない。彼女は一歩前に出て、呆然とする人々が突き刺す視線をものともせずに堂々と胸と声を張る。

それは久し振りに聞く、懐かしい人の口上だった。


「あくまで職務中につき、オルロフ大公孫バーベリ伯、或いはチヴィディーニ子爵夫人が略式にてご挨拶申し上げる。我が名はエカチェリーナ・オルロフ・バーベリ。北方大公軍総督の専任秘書兼護衛官―――――そこのリューリ嬢の認識上では通称“宿屋のチビちゃん”にて、何卒お見知りおきの程を」



ここまで来たなあ、来れたなあ、という純粋な感動を抱えつつ、ここまで付き合ってくださった方々に心からの感謝を申し上げます。

詰め込みまくったあれそれとラストの彼女の口上をきちんと書けるところまで続けられるとは正直思っていなかったので嬉しいなあ。

長年付き合ってくださっている方々も最近読み始めてくださった方々も、こんなところまで根気よく付き合い続けてくれて本当にありがとうございます。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
初期からの登場人物であるチビちゃん。 小さな女の子という認識でしたが、確かにご夫人なら辛辣なセリフだしアレコレを知っていて当然と思いました。 鮮やかな大どんでん返しを喰らわされて気分は最高の最高で最高…
国賊の話はつまらんが収束されたようなオチがまたwww とりあえず食い物に例えたら知らない土地で初めて岩塩を見つけて、新種の宝石と勘違いしたままそれにファンタジー要素ぶち込んだようなものか。 あと宇宙…
やったー!!更新ありがとうございます!!わーい!! めっちゃ楽しくて感想長くなりすぎるので一応控えめにしてみたつもりです! 西方大公のおじいちゃんがポップコーンくれたんです!?優しい! 私のスマホ画…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ