場内 疾走! オン・ワード
諸事情により王子様のターンまさかの続行でお送りします(いざとなったらシャーッを推奨)
馬鹿馬鹿しい、と思っていても、やらねばならないことはある。疎かにしてはいけないことが、怠るなどあってはならないことが、面倒臭いの一言で片付けられない面倒事がどうして世の中には多いのか。
分からない。分かりたくもない。けれど投げ出せず逃げ出せず、片付けなければ片付かない―――――だったら、せめて面白おかしく更地にするくらいのノリでよくない?
“王子様”でありながら今はまだ観客のひとりに過ぎない私の内心を知ってか知らずか、茶番劇の幕は無情にも既に上がってしまっている。
「ふざけるな! 私は知らぬ! 庶子による公爵家の乗っ取りなど企てるわけがなかろうが、言い掛かりだ! 冤罪だ! ええい、昨日からどいつもこいつも………このキルヒシュラーガー公ヴィンセントをそうまでして虚仮にしたいか、貴様ら!」
「静粛に、キルヒシュラーガー公。高位貴族の端くれであれば有事の作法はご存じの筈………非公式であったとしても此処は貴公を判ずる場、潔白を主張するのであれば相応の根拠を示されよ」
「根拠だと!? は、まったく、辣腕で知られた宰相殿とは思えませんな! 聞いて呆れる! 気付いていないとは! そんなことも教えてやらねば分からんというのか!? とんだ無能だ!」
いやそういうのはいいから言われたとおりに根拠とやらをさっさと述べろ。
はい、代弁してくれてありがとう脳内観覧席にお招きしている特別ゲストのリューリ・ベル。お前を心に召喚しておくとメンタルが安定し易くていいな、それはそれとしてポップコーンの山盛りバケツが似合うフェアリーランキング堂々一位の貫禄は私の勝手なイメージであっても揺るぎないったらないよねホント。
「ははははははは。さっきから根拠を述べよ述べよと再三にわたって伝え続けているにもかかわらず一向に根拠たり得るものを口にしない輩がほざくじゃないのよいい加減にしろ立場はお分かり? ふざけるなってこっちの台詞なんだが?」
「陛下。陛下。時場所場合」
「非公式ならいいんだ宰相」
「開き直っていらっしゃる!?」
公ではない閉ざされた場所に事情を知っている内輪の集まり、という状況も相俟って“国王陛下”の仮面を彼方に投げ捨てているらしい実父の発言の端々に感じてしまうシンパシー。何とは言わないけど“王子様”である他の誰でもない私自身も遺伝の可能性が高いよね、とはうっすら思っていたりする。
(とは言え、こんな非公式の舞台で肩肘張る方が馬鹿馬鹿しいって開き直る気持ちも分かるんだよなあ)
胸中でひとりごちたところでそれを表に出すことはなく、また表情は崩さない。舞台の外側の観客席から無感動に見下ろす先ではちっぽけな男が吠えていた。整えられていた身なりは乱れ、表情には疲労の色が濃い。困惑と不安を塗り潰すように憎悪を滾らせた双眸だけは怪しい光を灯していたが、厳重な警備体制を敷かれたこの場で無暗に暴れる短慮を控えるだけの理性は未だに残っている模様。
それは昨日までキルヒシュラーガー公爵を名乗っていた暫定国賊であり、短い間に随分とまあ草臥れた風貌になったものだと浮かぶ感想に情はなかった。
「おのれ、飾りの分際で国王までもがふざけおって………! ふん、だが今は堪えてやろう。それよりも先に無礼千万な宰相に引導を渡してくれる!」
「キルヒシュラーガー公の邸にはもしや鏡がおありでない?」
「鏡があったとてこの様子では終ぞ気付きますまいよ」
「うっはっはっは! それはそう!」
温厚篤実な人格者と評判の宰相おじいちゃんの辛辣なコメントを受けて近年稀に見る大はしゃぎっぷりを披露している気がする“国王陛下”を咎める声は不思議と何処からも上がらない。確かに、わかる、みたいな空気さえ漂っている無言の状況は異質であると同時に異常だ。公式の場ではあり得ない―――――まあコレ再三言っている通り完全に非公式なんだけども。
(そうとも。非公式であれ、どれだけ馬鹿馬鹿しいことであれ―――――体裁は整えなきゃなんだよなあ)
お約束、というものがある。踏まねばならない手順がある。最低限であれ通さねばならない筋のようなものはある。馬鹿王子との自認はあってもそのあたりのことは理解していた。
しかしこの場で唯一それを理解していない輩は今も元気に吠えている。
「この、い、言わせておけば………! は、だが、まあ許そう。なにしろ、かつては有能であった宰相殿はつい先刻! 己が語るに落ちたことさえ分からぬほどに耄碌したと気付いていないご様子ゆえな―――――非公式に私を判ずる場だと? 馬鹿め! 何故このヴィンセントを非公式な場に立たせているのだ! 裁くのであれば法に則り公に行うのが筋というもの! しかし現実にはどうだ? 正式に裁判が始まるどころかあるべき取り調べすらもない! こんなもの、ヴィッテルスバッハ大公代理である私という貴人を『庶子による公爵位の簒奪』などというありもしない罪をでっちあげることで秘密裏に処さんとしているのだと白状しているも同じであろう!!!」
自信たっぷりに勝ち誇っている国賊公爵の言い分は残念なことに間違ってはない。やたらとくどくて仰々しい物言いが大いに鼻につくものの、あちらは公爵の地位を戴く西方大公家の直系である。そんな身分にある者が犯罪に手を染めたなら、入念に綿密な調査を重ねて慎重かつ確実に裏を取り、証拠を完璧に固めた上で裁きの場を設けて法に則り公明正大な沙汰を下すのが本来であれば正しい処置だ。そこについては否定出来ない。事が明るみに出た昨日の今日で非公式裁判緊急開廷というのはいくらなんでも暴挙が過ぎる。アグレッシブが極まっていると流石に言い訳のしようもない―――――のだけれども、それはそれとして。
(恐ろしいことに非公式であっても体裁だけは最低限きっちり整ってるんだよなあ)
他人事のように恐ろしいと感じながらも危機感を一切抱いていないのは、ひとえにそれを成した人物が己の味方であるからだ。そしてただそこに居るだけで勝率を跳ね上げる最強の老女は発言を投下するに最適なタイミングというものを間違えない。生来の勘か年の功かは判別に迷うところである。
「はしゃぐな。小僧。見苦しい」
「ぐっ………! だ、黙れこのっ………ぉ、オルロフの、老害めが!」
「聞こえなんだか―――――黙れ」
怒鳴るわけでもないそれは、静かで硬くてなにより重い。感情の一切が透けない声には純粋で厳かな圧力があった。“王子様”が得意とする演説トークとはまた違った質の通り方をするその音はまるで地の底を這うようで、なのに頭が上がらない力強さに満ちている。
そんな声の持ち主を、私は一人しか知らない。
「威勢はさておき、なんたる無様。見苦しい。時間の無駄でしかない。最後に悔い改める機会すら貴様は自ら手放すか。度し難きことよ………嘆かわしい。であれば、ヴィンセント・キルヒシュラーガー。貴様は口を開かずとも良い。冗長な語りは聞き飽きた」
一言一句が刃物のように鋭く鼓膜を裂いていく。当事者でなくとも耳にした者すべてを震え上がらせる眼光は大貴族の長に相応しい。凍土に吹き荒ぶ風よりも厳しく容赦のない温度の無さで、北方大公ミロスラーヴァ・オルロフはしっかりとした言葉を紡いだ。
「確かに非公式の場ではある。それは私とて否定せぬ。だがな、西方大公子、キルヒシュラーガー公ヴィンセント………この場に揃いし顔触れを、今一度、しかとその目で見よ。非公式、と銘打てど―――――このミロスラーヴァのみならず、南と東の先代までもが揃う重みを知るがいい」
「無理ではないですかな、それは」
「遺憾ながら、同感にて―――――ルイトポルト殿のご心痛、察するにあまりある次第」
「いやはや、まったくです。友よ―――――我々は後継に恵まれましたね」
「嫌味が過ぎよう。ヘサーム殿」
「事実でしょう? タイラン殿」
重厚感たっぷりの老女の言葉に軽やかな声が水を差し、堅苦しい声が同意を示す。片や軟派、片や硬派と真逆の性質のお手本じみた調子で遣り取りをしているふたりの態度はあくまで気安い。それこそ近所の御隠居さん、みたいな距離感で放り投げられる会話には適度な慣れと余裕があった。
南のプトレ大公家の先代であるヘサーム・プトレは上品に慇懃な笑みを湛え、対する東のラウトーイ大公家の先代タイラン・ラウトーイは苦々しさを御しきれていない難しい渋面を拵えている。どちらもミロスラーヴァ卿より若くして早々と現役を退いた身だが、お察しの通り侮ることなど許されない類のビッグネームだ。その影響力、発言力においては文字通り格が違う。そんな彼らを前にして、憐れな暫定国賊の男は気圧されたように口を噤んだ。
現役の北方大公に続いて先代の大公ふたりが同時に舞台に上がったことで引き絞られる緊張の糸に自然と余人は息を潜める。始まった、との暗黙の了解で誰も彼もが舞台役者たちに焦点を当てるのは当然だった。それは国王や宰相の地位にある者も例外ではない。そうでなくては。
(ミロスラーヴァ卿からのさりげないパスを見逃さないどころかついで感覚でさらっと相手を刺していくことも忘れない、か―――――既に退いたとはいっても流石は先代の大公たちだな。どちらも衰えてはいないらしい)
これは私の所感だが、様子を窺う限りでは攻勢寄りの初動である。しかも手を緩める気配がない。つまり―――――慈悲の心はなさげ。端的に申し上げるなら過剰戦力。ヒュゥ! 怖いね! 三大巨頭!
「ああ、後継と言えば、ミロスラーヴァ様。愚息とプトレの今代が只今そちらの領土内で会談を開いておりますが、アレは何か粗相をしておりませんか」
「おっと、それを聞いてしまってはこちらも他人事ではいられない。よそ様の領地で若者たちが調子に乗っていないことを祈るばかりではありますが………さてはて、我らの息子たちは御身の威光の膝元でどれほどの価値を示せているやら」
「保護者面談気分か、そなたら。心配せずとも若輩なりに努めていると聞いている………私も倅から報告されたことしか今のところは知らぬよ」
突然始まる井戸端会議だが肩透かしを食らうにはまだ早い。ミロスラーヴァ卿ひとりだけでも手に負えないくらい別格で怖いのに南と東の先代大公まで雁首揃終えてお喋りタイム、なんて事態に突入してしまったことに気付いた国王陛下と宰相閣下から血の気が引いた。自分たちがさっきまで非公式をエンジョイしていたことなど完全に忘れた顔をしている。
ちなみにこれは余談だが、権力者がまさかの一極集中しているこの非公式の空間で最初から最後まで究極的な緊張を強いられてしまっているのは警備を担う騎士団の皆さんと統括の騎士団長だ。流石に手が足りない(というか非公式で人が動かせない)のでミロスラーヴァ卿及び先代大公たちの護衛要員には北方軍の精鋭をこっそりとお借りしているわけだがそれが彼の心理的負担を増やす一助になっているのは明白である。ワァ、大人って大変ね。王子様これについては他人事。
「しかしな、そなたら。これは老骨の見立てだが、南と東の今代はふたりとも身体の鍛え方が少々甘いように思うぞ。聞けば意見が衝突し喧嘩腰で掴み合ったというのに双方あまりにも非力が過ぎて一分と続かなんだとか………護身術さえ危ういのでは、とヴァルフォロメイが案じていたのは流石に杞憂であってほしいが、実際そのあたりどうなっている?」
「野ネズミ程度のしぶとさは有しているものと考えております。おそらくですが窮すれば猫に噛み付く気概はありましょう」
「うちのダフィータもそちらのカジャ殿も噛み付くだけで終わりそうなのがなんとも情けない話ですがね、ご心配には及びませんよ。プトレ大公家を守れる程度には舌も知恵も回せる息子です。ラウトーイにしたってそうでしょう?」
「如何にも、家門を守るに不足なしと判じて跡目を任せましたゆえ。自衛能力に関して言えばご指摘通り不安はあれど、そこはオルロフの次代たるヴァルフォロメイ殿に絶対の信を置いておりますのでな。かの御仁の庇護下にあるなら滅多なことなどありますまい」
「というか南と東の今代、北の次代に懐き過ぎなんでむしろすみませんねミロスラーヴァ様」
「ああ、当家のカジャにしろそちらのダフィータ殿にしろ、昔からヴァルフォロメイ殿のあとをやたらと付いて回りたがってしまいには取り合っていましたなあ………思い返せばあの頃からずっとミジンコ同士の諍いで………いい歳をして情けない………」
喋っているうちに耐えきれなくなったのか頭を抱えるタイラン卿だが突如始まった新旧大公のぶっちゃけ全開保護者トークに口を挟めやしない現場はとにかく混乱の一途を極めた。だってさっきから話題になってるの南と東の現役大公だもの。それをミジンコとか言われたところで拾う側はコメントに困る―――――この雑談に詰め込まれた情報を上手く漉し取れない輩などおそらく一握りしか居ないので察しの良い者ほど対処に困る。
(お年寄りの身内自慢みたいなノリであっさりと結託を示してくれちゃって………というか、プトレの先代め。ミロスラーヴァ卿の意向を汲みながらラウトーイの先代を誘導したな。相変わらず食えない爺様だ―――――さっさと引退してくれて良かった)
心の中で吐いた本音が表に漏れ出ることはない。井戸端会議に興じていようが現役と隠居が混ざっていようが相手は“大公”たちである。侮り難く御し難く、そしてなにより度し難い。自分が王の座に据えられる際に彼らが揃い踏みしていたらと思うと頼もしさより先に胃痛が勝った。今は四方大公家の最長老たる北方大公ミロスラーヴァ・オルロフが味方になってくれているというアドバンテージが効いているのでいくらか冷静でいられるが、これで南のプトレ家と東のラウトーイ家の立ち位置がまったくの不明であったらと思うとシンプルに頭痛と吐き気がしてくる。
(北と南と東の三家は実質的にほぼ一枚岩―――――助かった。本当に運が良かった。勝ち札しかないこの状況でなければ流石にここまでの茶番は出来ない)
だからこそ、安心して見守れるのだ。周囲の困惑など意に介さない堅牢たる女傑は悠然と構えて事も無げに話を進めてくれるため“王子様”は何もすることがない。暇かも、なんて思ってないぞう。ホントに。嘘じゃないってば。
「左様であったな。懐かしきことよ。しかし仮にも己が後継、大公の責を背負う若者をプランクトン扱いとは謙遜が過ぎる。まあ食物連鎖的になくてはならぬ存在であるゆえそういう意味では間違ってもおらんが………やはり好ましくはないな、タイラン。足らぬ身の至らぬ者であれ、大公の座を譲り渡すに相応しいと判じたのはそなたであろう。ヘサームも少々戯れが過ぎる。そう気を回さずとも彼らは上手く立ち回ってくれるだろうよ。あくまで私の独り言だが―――――案ずるな。たとえ代が替われども、オルロフの中立は永世揺るがぬ。護国の誓いある限り、プトレとラウトーイに他意はない。無論、ヴィッテルスバッハにも」
「これは、したり。失礼をば………同列だとは思われたくないばかりに要らぬことを申しました」
「おっと、それ言っちゃいます貴方? そういうところですよタイラン殿。現役時代から今に至ってもホント腹芸向いてないんだから………でもまあ、お気持ちは分かりますとも。ミジンコ呼ばわりは受け入れられても同列扱いは御免被る―――――ええ、私も、同感ですよ。なにしろミロスラーヴァ様が仰る通り、心底見苦しいのでね」
おっとブッ込みやがったなプトレの先代この野郎、みたいな驚愕を瞬時に浮かべたのは表情豊かな国王陛下であって意外なことに私ではない。しかしそんなことはどうでも良かった。五十代であってもどこか若々しさを感じさせる顔に露悪的な嘲笑を張り付けたヘサーム・プトレの睥睨に室内の空気が凍り付く。
「少なくともプトレとラウトーイの者はオルロフ大公家のミロスラーヴァ様を指して『老害』とは宣いますまいよ。そんな虚勢は許されない。何も成していない分際で、長らく導の務めを担いし偉大なる先達を貶めるなどいよいよ以て恥を知れ―――――愚物」
それはあまりにも直接的に吹っ掛けられた喧嘩だった。まさかいきなりそんなことになるとは誰も予想していない。言われたヴィンセント・キルヒシュラーガーはいきなりの攻撃にぽかんと口を開いているし、あのミロスラーヴァ卿でさえ、ほんの少しだけではあるが眉間に皺を寄せていた。
「おお、先を越されるとは………珍しいな、ヘサーム殿」
「なに、腹に据えかねたのでね。タイラン殿が言ってくれないものだから私が言ってしまったよ」
「面目ない。タイミングを計りかねてな」
「そんなことだろうと思ったとも、友よ」
まるで共通の趣味の話題に興じるような気安さで、殺伐とした空気などものともしない先代ふたりは仲良く盛り上がっている。おじいちゃんトークみたいなノリで、ひどく和やかに穏やかに。温度差で風邪を引きそうだった。不思議とお前が言うな的な幻聴を聞いた気もしたが、幻聴なだけに気のせいだろう。
「は、は、恥を知れ、だと………!? ふざけるな、ふざけるな、見苦しいとはこちらの台詞だ揃いも揃ってこの老害どもッ!!! そうまでして私を貶めたいか!?」
絶叫が鼓膜を引っ掻いて五月蠅い。許されない虚勢を尚も張り続ける様はいっそ憐れですらある。格上であるご老人方を忌々し気に睨み上げ、ヴィンセント・キルヒシュラーガーは憤懣やるかたないといった様子で引き攣った悲鳴を張り上げた。
「ふん、どいつもこいつも必死だな? 分かるとも。ああ、そして甘い。南のプトレ大公家と東のラウトーイ大公家の先代まで引っ張り出してくるとはなんと愚かな! 何故気付かぬ! 引退した先代の大公といえば領地で過ごす隠居たちだろう、根回しもなしに王都まで呼び付けられる筈があるまい! すなわち! 彼らが今此処に揃っている事実こそこの場が仕組まれた作為的なものであるという証拠に他ならぬ! ふふ、はは、ふはははは! 残念だったな、このヴィンセントを侮るからこのように無様な」
「話が長くてつまらんな。五点」
「おや、点数をくれてやるとは優しいね? タイラン殿。ところで百点満点方式?」
「無量大数方式である」
「東部で一番大きい数の単位をお出しされるとは恐れ入ったねえ。それじゃあ私は不可説不可説転方式で五点ということにしておこう」
「ヘサーム殿、まことにすまぬ。自分で言い出しておいて何だがもはや何が何やら分からぬ………ミロスラーヴァ様はどうお考えで?」
「そも採点に値せぬ―――――にしても、そなたら、そこまで飽いたか。無理もないが気を引き締めよ。肝要なのは此処から先ぞ」
「無論のこと」
「承知しておりますとも」
ここまで露骨に相手にされていないと逆に清々しいな、と初めて暫定国賊公爵に同情票が集った。穏やかな新旧大公方が切れ味抜群で怖過ぎる。しかし誰も何も言わない。国王陛下も宰相閣下も現場警備の騎士団員各位も私もその他数名も、キルヒシュラーガー公爵でさえ本当に誰も何も言わない。
それはそうだ。この状況で平素と変わらず発言出来る輩が居たらそいつの心臓は鋼鉄製だし神経は極太に違いない―――――とはいえ。
「さて、些か脱線したな。待たせた。王子よ、出番が来たぞ。備えは如何に」
「万全です―――――のでとっとと始めちゃいますねヘイ警備! 被疑者を追加して!」
主導権を握るためには効率的に目立つが得策、直前までは観客席で他人事のように眺めていようが出番が来たなら話は別だ。生憎と鋼鉄製ではないが生身のままでもなんとかなると信じて堂々エントリー、口を開いた瞬間に光り輝くんじゃねえよというか喧しさだけでその場のすべてを掻っ攫っていくんじゃない、とげんなりした顔でポップコーンをむしゃむしゃしている脳内妖精をウインクひとつで致命的なまでにげんなりげっそりどんよりさせて、私は舞台に躍り出る。
レジェンドたちが幅を利かせ過ぎ? 何名か非公式にはしゃぎ過ぎ? 敵役の格が低過ぎる割にこっちの戦力過剰の極み? あっはっは、なんとでもおっしゃい!
(ここで主役を張れないようじゃあ“王子様”の名折れなんだよなあ!!!)
虚勢は張らずに胸を張る。身振りは少々大袈裟に、勢いに乗せて声を通す。注意を引くのはこの一瞬、今はまだこの瞬間だけでいい。ここから先の音頭を取るのが誰であるのか示せれば、それだけで事は運ぶのだと“私”は感覚で知っていた。
というか、ぶっちゃけた話。
「入場申請、被疑者入ります!」
「もごごごごもがもごもごもごもががーッ!!!」
「なになになになに何それちょっと!?」
「被疑者ですけど?」
「芋虫ではなく!?」
「あっはっはっはこんなでっかい芋虫いたら嫌でしょ陛下!」
「それはそうなんだけどさあ!」
ヤケクソじみた大声と共に大扉が音を立てて開かれる。場の状態がどうであれテンションとパッションで加速は可能だ。脊髄反射的な超速でコミュニケーションを成立させろ。第三者が聞けば時場所場合を弁えていない愉快な親子の会話でしかない遣り取りであっても問題はない、肩書きを思えば不安しかないが咎める声は上がらない―――――でしょうね! それはホントにそう!
(まあそれこそ芋虫よろしく過剰に縄でぐるぐる巻きにされた人間がびったんびったん大暴れしながら数人掛かりで担ぎ込まれて来ようものなら大抵の意識はそっちに向くので当然と言えば当然なんだけども!)
しょうがない。これはしょうがない。何しろインパクトが強過ぎる。胸の高さから膝下ぐらいまでを縄でぐるぐるに巻かれた状態の成人男性が屈強なメンズたちに黙々と運搬されている絵面を想像していただければお分かりだろうか。そうです、とっても視覚の暴力。プロデュースした王子様でも笑いを堪えるレベルでな!
「ふがふがが! ごんごがむぐももががもご!」
そして駄目押しと言わんばかりに聴覚的な意味でもとにかく五月蠅い。かなり悪い意味で目立っているのは狙い通りのご愛敬、口を布で覆われているせいで発言の内容はさっぱりだったがそれでも結構な騒音吐いてるくらいのことは見れば分かった。そんなザマで水揚げされたお魚さんよろしくびったんびったんと跳ねているあたりにシュールレアリズムの最先端を感じずにはいられない今日この頃だが三人掛かりで運搬してきた警備担当の苦労を思えばご苦労様ですとしか言えない。いやまあ頼んだの私だし被疑者席にその状態のまま立たせちゃっていいよって許可を出したのも私だけども。
「んなっ………ヴィ、ヴィクトール!? そんな!? どうしてお前が此処に!?」
「も、ももぐご!? んもももぐごがぐももごが!!!」
そういうわけで無理矢理演出したキルヒシュラーガー公とヘンスラー伯の再会シーンだが絵面がとっても酷いのでコメントは差し控えるとしよう。その代わり、と言うのもアレだがこの場に居合わせた他の面々の反応くらいは実況しとこ―――――それでは近場から順番に。
ハイ、真顔を保とうとして無になっている宰相おじいちゃんとその横で「事前に茶番とは聞いていたけれども開幕からして割ととんでもねえレベルの茶番ブッ込むじゃん正気?」みたいな目を私に突き刺す国王陛下。要人警護以外の思考を一旦放棄することで辛うじて意識を保っているらしい騎士団長とその配下に対してヘルプで警備に入ってくれている北方軍人の方々の表情はまったく微動だにしておらず、自分たちに直接の関わりはありませんから職務に支障などきたしませんとの態度がなんとも頼もしい。ああ、実はずっと同席していたけれども面子がアレ過ぎて空気と化していた法務大臣と一等書記官その他が小さくなって震えているのを見るのは純粋に心が痛むな。ごめんなさいねこんな魑魅魍魎蠢く最奥の魔境に呼んじゃって。
「おっと。そういう趣向で攻めます?」
「ゴリ押しですなあ。若くて結構」
そして南と東の先代はこんなふざけた状況を前に大らかにも笑っていたりする。大御所主役級の貫禄をこれでもかと醸しておきながら、気分はすっかり観劇を楽しむ仲良しの御隠居さんだった。なお、ミロスラーヴァ卿に至っては何も言わずに冷徹な目で平等にすべてを見定めている。彼女の不興を買ってしまうのが何より一番恐ろしいのだが司会進行がビビッていては笑い話にもなりはしないのでせいぜい頑張って振る舞おう―――――“王子様”らしく在るように。
わらう。笑う。嗤って笑う。優雅な獣の威嚇のように。攻撃的な防衛手段を用いて優位に立ち回れ。
「お待たせしました、各々方。これよりキルヒシュラーガー公とその庶子ヘンスラー伯の不祥事にまつわるエトセトラを詳らかにしてまいります。司会進行を務めますは不肖ながらこのレオニール―――――では、役者が揃いましたので、始めさせていただきます」
「貴様ふざけるなよ王子ィ!!! 不祥事を詳らかにすると言いながら正式な裁判の舞台ですらない、終始一貫ふざけてばかりで正気の沙汰とも思えん始末! こんな無法を受け入れるなど揃いも揃って気が知れぬ! 私は大公家の直系にしてキルヒシュラーガー公爵なのだぞ! こんなふざけた断罪の場があって堪るか、なんとか言え!!!」
「ちちう………いいえ、キルヒシュラーガー公爵閣下の仰る通りでございます! これは間違いなく陰謀だ! 碌に事情も説明されぬまま問答無用で我が居城から連れ出されたかと思えば今や縄に縛られて訳も分からずこの始末! 若輩とはいえど伯爵位を戴く身なればこのヴィクトール・ヘンスラー、王子殿下の横暴と抗議せざるを得ませんが!?」
おっと、縄は解けないまでも口布だけは国賊公爵になんとかしてもらったヘンスラー伯が五月蠅い実父に追従するかたちで小難しく騒ぎ始めたけれどこれは予想の範囲内なので特に対処は必要ない。大いに失言してもらいたいので逆に願ったり叶ったりだった。しかしこのふたり親子だな、言い回しがくどくてなんか腹立つ。
でも残念―――――そんなことで動揺するような神経の“王子様”ではない。よって表情は崩れない。快活に、一切の懸念なく、なんなら面白がるような挑発をのせる余裕もおまけして笑い飛ばして差し上げよう。
「あっはっはっは頼む前からフライング自己紹介ありがとう手間が省けて助かっちゃうな! そういうわけで、ハイ、お歴々。ご覧の通り、あちらにて縄でぐるぐる巻きにされている御仁がヘンスラー伯ヴィクトール………そう、彼こそが大それた簒奪計画を目論んだヴィンセント・キルヒシュラーガーの庶子にして―――――王太子の婚約者であるフローレン・ノルンスノゥク公爵令嬢の誘拐未遂という余罪まで明らかになった国賊です」
わあダサい! みたいなノリから一転して淡々と冷静に。面白がった響きを消したついでにデフォルトの笑みも消しておく。口走った台詞がとんでもない割にさしてざわめきが広がらないのは既に知らせてあったからという単純な理由に他ならないが、そんなことにさえ気付いていないであろう親子はふたりして絶句していた。反応はあっても反論がないので私のターンは終わらない。
「この場におわす選ばれし方々には既に周知の事実でしょうが、念のためご説明させていただきたく………さて。ヴィッテルスバッハ大公ルイトポルト卿からの告発文により露見しました現キルヒシュラーガー公爵とその庶子による大それた簒奪計画ですが、まずはそちらの全容を明らかにしてまいりましょう。ヴィッテルスバッハ大公子キルヒシュラーガー公ヴィンセント。殊更に古く貴い血を先祖たちから受け継ぎながら、こともあろうにかの者は己の庶子であるヘンスラー伯に―――――」
「ま、待て! それは違う! 私は知らぬ、思ったこともない! 御家簒奪など事実無根だ! 断じてキルヒシュラーガー公爵家をヴィクトールに継がせようなどとは」
遅い、遅い、もう遅い。なにもかもがもう遅過ぎる。舞台は既に整っていて、役者は配置についている。予想通りに足掻いて喚く目障りな公爵を遮って、私は正々堂々と。
「玉座を与えようと目論見ました」
真正面から、不意打った。
ひどく、冷めた面持ちで。
「王位簒奪、国家転覆は誰の目にも明らかな大罪にて―――――『国賊』の謗りは免れぬものと」
「如何にも」
「異議なし」
「当然にて」
え、と小さく零れ落ちたキルヒシュラーガー公爵の呟きはすかさず三方から寄せられた重厚な声に掻き消される。真っ先に断定口調で同意を示す言葉を吐いたミロスラーヴァ卿とそれに続いた南と東の先代の表情は硬い。たった今この瞬間をもって正式に国賊認定された愚か者ふたりに注がれる三者の眼差しには何の感情も浮かんでおらず、いっそ無機質にすら思えた。
「え、な………なぜ、どうして………ッ!?」
大罪人と成り果てたキルヒシュラーガー公爵の発言は細切れで聞き苦しい。水揚げされた魚のように空気を求めて喘ぐ口からかろうじて絞り出されたそれは困惑と混乱に彩られている。
なぜ真実を知っているのか、どうして王位の簒奪を公爵家のお家騒動などと大々的に偽ったのか。答え合わせの必要性は、愚か者のためにあるわけではない。
(そうとも。これは『茶番劇』だ)
断罪劇には程遠い。趣旨を理解した上で、演目に沿って流れを変える―――――“王子様”として逸脱しない程度の梃入れはするけれど、今は必要なさそうだからと敢えての無言を貫くのもまた戦略的な選択なのだ。喋らなくていいタイミングでは無理して余計なこと喋らない。生きていく上で案外重要だったりするんだよなあ、こういうの。
「何故、と聞くか。愚問だな。王子が先程述べたであろうよ。ルイトポルトの告発文だ。それにすべてが記してあった………事ここに至っても気付けぬか。さもありなん―――――さもありなん。ヴィンセント・キルヒシュラーガーよ、貴様は見限られたのだ」
地を抉りながら這うように、それでいて噛み締めるように言の葉を紡ぐ老女の声音に一瞬だけ混じった苦いものがなんであったかは分からない。憐憫に似て、排斥とは違い、かと言って断絶とも異なる何か―――――彼女が積み重ねた分厚い歴史の中でこそ培われたそれを向けられたキルヒシュラーガー公爵が血相を変えて吠え立てるのは、ある意味では当然の流れに思えた。
「そんな、そんな筈はない! 貴様は嘘を言っている!!! そうでなければ、そうでなければおかしいではないか、筋が通らぬ―――――我が父ルイトポルトが告発したのは『庶子によるキルヒシュラーガー公爵家の簒奪』であったと昨日声高に公にしたのは他でもないオルロフ大公であろう!!!!!」
「然り。であるが、嘘ではない。貴様は見限られている。そして御家の簒奪であるとしたのは単なる方便だ―――――ああ、いかんな。口が滑った。大人しく王子の親切心を尊重するつもりだったのだがな………台詞を横からさらうとは、なんともすまぬことをした」
「おっと、北方大公閣下。どうかお気になさいませんよう、ミロスラーヴァ卿さえよろしければそのまま続けていただいても私は一向に構いませんとも!」
「この老骨を茶化すか、王子よ。豪胆にして横着なことよ。であれば、区切りの良いところまではこのまま続けてしまうとしよう………さて、結論から述べようか。ヴィッテルスバッハ大公子が国家の簒奪を目論んだ、などと、国営を担う重鎮たちが犇めくあの場で明るみに出せば要らぬ不和の種を撒くに等しい。最悪“王国”そのものが敢え無く傾いでもおかしくなかった。そのような事態は許せぬ、許されぬ。なればこそ、方便を用いたまでよ。王位だろうが公爵家だろうが簒奪未遂には違いあるまい、罪の重さの違いこそあれ―――――貴様らが罪を犯した事実は消えぬ。消せぬ。覆らぬ」
己の行動をまるで恥じず、そして同時に誇らない。ミロスラーヴァ卿に動揺はなく、あるのは信念だけだった。変わらぬ安寧と平穏を掲げて“王国”守護の武力を担う北方大公は気迫が違う。己があの場で演じたものはただの芝居に過ぎなかったと明言した女傑は笑いもしない。愚かであると、馬鹿げていると、嘲ることすらしなかった。
淡々とした言葉は続く。
「我らはそれを知っている。意味が分かるか? 理解せよ。この場に集いし者たちには嘘も方便も必要がない。そのために調えられた場だ。分かるか、ヴィンセント・キルヒシュラーガー。そしてヴィクトール・ヘンスラー。貴様らの過ちは白日の下に晒すには不都合が多過ぎる。ゆえ、秘密裏に、容赦なく、このようにして暴かれる―――――こんなところでどうだ、王子よ」
「心得ました、ミロスラーヴァ卿。花を持たせていただきます」
最恐のカードを一手目で切ったメリットは計り知れない。主に心の余裕的な意味でいろんな無茶がやり放題と言っても過言ではないだろう。主導権を受け取るだけなら愛嬌は特に重要ではないが微笑みの武装は必要なのだ。それは器を大きく見せるための細工であって処世術、勢い任せ一辺倒では芸がないにも程がある。手抜きと緩急を使い熟してこそのエンターテイナーじゃない?
「それでは不肖わたくしレオニール、僭越ながらキルヒシュラーガー公ヴィンセントとヘンスラー伯ヴィクトールが企んだ国家簒奪未遂にまつわるエトセトラをダイジェスト版でお送りします」
飾り物に相応しく、人形然と美しく、しかし同時に馬鹿っぽく、大多数が抱く“王子様”のイメージを損なわない節度を保ちつつ私は朗らかに台本を読む。頭の中にしかないそれを、アドリブで随時改稿しながら。
「まずヘンスラー伯が“王子様”の婚約者であるノルンスノゥク公爵令嬢を誘拐拉致監禁、次代の王妃としては致命的な瑕疵を彼女に負わせることで『優秀な婚約者を失った王子に王位を継がせていいものか』と諸侯の不安を煽り立て、ゆくゆくは自他共に認める馬鹿王子もとい“私”ことレオニールを排斥。一連のどさくさに紛れてキルヒシュラーガー公がこっそりとヴィッテルスバッハ大公位を継承、空いた次期国王の座に誰を据えるかの話が出たところで満を持してヘンスラー伯の存在と出生の秘密を明かし王位を継ぐに相応しいと推挙。ダメ押しで『実は早くにこちらで救出し身柄を保護していたノルンスノゥク公爵令嬢』を献身的に支え心の傷を癒した末に真実の愛を確かめ合ったことでめでたく結ばれることになった運命の恋人みたいな流れを公表して世論の支持を得る―――――という流れの計画を立てていたようですが聞けば聞くほど『いやそれ無理では?』と思わざるを得ない展開なので諸々のご指摘を頂戴する前にこちらから補足をさせてください。まずひとつ、次期王位継承者の婚約者としての資質と覚悟を十分に備えたフローレン・ノルンスノゥクがそう易々と誘拐されるわけがない」
それはそう、と頷く大人たちの反応は概ね予想したとおりで“私”は笑いたくなった。しかし今はそのときではない。国賊親子と北方大公閣下以外の全員が示した肯定の意を確認し、次なる補足という布石を打つ。
「ふたつ。仮に婚約者がかどわかしの憂き目に遭ったとしても次期王位継承者たる“王子様”を排斥するというのは口で言うほど簡単ではないし到底現実的ではない。みっつ、次期王妃に内定しているとはいえ貴族令嬢ひとりを誘拐したどさくさに紛れた程度で大公位を継げるわけがない………いいえ、タイミングを考えるならまず確実に不可能でしょうし、そもそもほとんど形骸化しているとはいえども大公位の継承には国王だけでなく他の三家の大公たちの承認が必要不可欠なので―――――参考までに、ミロスラーヴァ卿。仮にすべてがキルヒシュラーガー公爵の思惑通りに運んだとして、その状況でヴィッテルスバッハ大公家を継がせる可能性は如何程でしょう?」
「ない。考えるまでもない。皆無である。そもそもの話、キルヒシュラーガー公ヴィンセントは現大公であるルイトポルトから後継者に指名されておらんのだ………継げるわけが、なかろうよ」
仕掛け人仲間であるミロスラーヴァ卿のアシストが的確かつ手厚い。侮蔑を交えず噛んで含めるような物言いはきっと優しさからだが、届きはしないし理解もされないと分かっている諦めの響きがあった。嘆いているのかもしれない―――――随分とわかりにくいけれど。
「貴重なご意見、感謝します………さて、次なるよっつめですが、こちらについては後程詳しく取り上げることになると思うのでざっくりと簡潔に述べるに留めるとヘンスラー伯の設定をどう捏ね回しても王位は無理です」
「な、貴様ァ! 何を根拠に!」
「お黙り『後にしろ』っつったじゃん貴族的言い回しってご存じ!?」
繕っていた真面目な雰囲気をかなぐり捨てて声を大にする。面食らったらしいヘンスラー伯が大袈裟に身を竦ませていたので出鼻は無事に挫けたらしい。吠える口実を与えようとも吠えさせなければいいだけの話で“私”にはそれが出来るので、焦りも憤りも湧かないままに平常心で舌を回した。
「失礼、取り乱しました。では最後に、これだけは完全なる私情になってしまい大変恐縮ですけれども―――――そこの国賊その一、その二。あまり『フローレン』を見縊るな。真実の愛とか運命の恋とか脳内花畑も大概にしろ、アレはそういうくっだらない妄想の類を全力で忌避するタイプだぞ。私の婚約者ぶっちゃけた話そんな甘い女じゃないんだよ」
キルヒシュラーガー公とヘンスラー伯を二人まとめて見下ろして、控えめながらも「わかってないな」と分かるように鼻で笑う。だって解像度が低い。腹立たしいほど何も、なにひとつ、わかっていない。舐めている。舐め腐っている。王位を簒奪するというならもっと綿密に計画を練れ。脚本が悪い。ていうか稚拙。
そんな気持ちを多分に込めて、隠すことなく表出させる―――――『お前が言うな』と噛み付く分には絶好の餌をご用意しました。毒をまぶすのも忘れずに。
「私からの補足は以上です。ああ、ちなみに余談になりますが『茶番には茶番が相応しかろう』とこのような運びとなりました―――――ご静聴ありがとうございます」
「な、んなっ………貴様ァァァァ!!!!!」
にっこり笑って狙いを定めて無邪気に煽ればぐるぐるにお縄を頂戴しているヘンスラー伯が即激昂した。若さの分だけキルヒシュラーガー公より反応速度が早い。プライドの高さは父親譲りか或いはそれを遥かに凌ぐか、馬鹿王子だと見下している相手に『フローレン』のことでマウントを取られたことも腹に据えかねていたのだろう彼の選択は応戦しかない。ありえない。
(ああ、ホント、予想通りがここまで過ぎるといっそのこと逆に怖い怖い)
内心冗談めかしてみても怖いくらいに事態は進む。恐れることなど何もない―――――ここは佳境ですらないと、知っていればこそ立てる舞台。
「黙って聞いていればぬけぬけと………! は、随分と惚気てくれたがなあ、貴様の自慢の婚約者とやらはそこまでの器ではなかったぞ。なにしろ! 彼女はこのヘンスラー伯ヴィクトールの策にまんまと嵌めら」
「あ、そうそう、私の婚約者であるノルンスノゥク公爵令嬢の誘拐計画は当然ながら失敗に終わっていますが初手から盛大に躓くなんて歴史に名を刻む失敗談だなあコレ非公式だから記録に残んないけど!!! おっと、ついでに申し上げるならフローレンの誘拐計画は失敗したというより正確には未遂に終わりました―――――ぶっちゃけヴィクトール・ヘンスラーが作成した稚拙極まる脅迫文的なモノを受け取ったフローレン本人が普通に無視して取り合わなかったので未遂というよりむしろ不発、と表現した方が正しいレベル」
「貴様ァ! 言うに事欠いてこの私が書いた知性とウィットに溢れた『招待状』を稚拙極まる脅迫文呼ばわ」
「ヴィクトールッ!!!」
「………あっ」
遮り方が露骨だろうが話の運びが強引だろうがエンタメ大好き王子様にかかればざっとこんなもんですよ、と自慢するのも憚られるチョロさで墓穴掘るじゃんコイツ。誘拐に限らず犯罪全般向いてないなこの感じだと。何とは言わんが親子だな、と言い渡されてしまう組み合わせが自分と父の他にもいるとはちょっと思ってなかったですね。宰相閣下の視線が痛い。
しかしそこはしれっと躱してみせるのが安定の“王子様”クオリティ。
「もう既に証拠は挙がっているので今更必要ないんですけど自供をどうも、ヘンスラー伯」
「おのれ馬鹿王子の分際でこの私を虚仮にするなどと………! ふざけるな何が誘拐未遂だ、その時点でもう間違っていると気付かぬ度し難き暗愚めが! 誤魔化そうとしたところで無駄だぞ、いいか、よく聞くがいい! フローレン・ノルンスノゥク公爵令嬢の身は確かに一度我が手に堕ちたのだ! はは、ははは、ははははは!!! 現に彼女の足取りは昨日の早朝から掴めておらず行方は未だに分からないだろう? その事実は覆りようがない!!!」
なんだか開き直ったらしい輩がフローレンを誘拐したとか声高に暴露しているが縄でぐるぐる縛られた状態で胸を張られても反応に困る。勝ち誇られても悔しくないし本来であれば「なんだって!?」みたいな緊迫に満ちた場面の筈が何処まで行っても微妙で奇妙。
(うーん。仕向けたのは私だが………敵役が露骨に無能だとやっぱり盛り上がりに欠けるなあ。最悪食傷待ったなし、は大変宜しくないので困る)
しーん、と誰一人言葉を発しない気まずげな静寂を数えて三秒、私は真顔で切り出した。
「小芝居に付き合ってやれなくて大変申し訳ないんだけれども純然たるただの事実としてフローレンなら昨日は朝から文化祭延期に伴う諸々を処理してレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーと一緒にブルカウクスを訪問して雑事をこなしつつキルヒシュラーガー公爵家の別邸に一泊して昼前には王都に帰って来たけど?」
「ははははは………あ!? なに!? なんだって!?」
「なんだもなにもないんだよなあ。なんならこっちに戻ってくるなり休む暇もなく“学園”に赴いて進捗確認だの調整だのに追われて絶賛多忙を極めているぞう―――――お疑いならいくらでも証拠をご用意できますけども?」
皆さんご存じの通りですけど、みたいな顔で宣えば、あながち嘘にも聞こえない。実際には虚実が織り交ぜられてとんでもないことになっていようが都合が良ければそれでいいのだ。
「ああ、王子よ。それには及ばぬ。そこなる国賊がかどわかしたと偽証せしノルンスノゥク公爵令嬢の昨日の足跡はキルヒシュラーガー公爵令嬢によりしかと保証されている………今更この場で懇切丁寧に証拠を示す必要などない」
「同感です。ミロスラーヴァ様が仰る通り、ここは巻いていきましょう………しかしあれですな、レディ・フローレン。文化祭を無事に執り行うために膨大な仕事を捌いた上でブルカウクスにまで足を伸ばし、たったの一晩ですべてを片付け本日正午前には恙無く馬車で王都に戻って来た、というのに今もまだ働いているというのは流石にオーバーワークでは? タイラン殿もそう思いません?」
「ヘサーム殿。聞かれるまでもない。まあ少なくとも誘拐されている最中の者がこなせるような仕事量ではないことだけは確かゆえ………第三者が疑う余地もない公的な記録がここまで揃っている以上、戯言は戯言と切り捨てて進めてしまうがよろしかろう」
本当のところがどうであれ、大御所たちが口を開けば時短ルートの舗装は完璧。彼らが白だと言いさえすれば腹黒だろうが潔白なのだ。言い訳なんて並べ立てる暇さえ与えないスムーズ進行にご協力ありがとうございます。
(レディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーが昨日ブルカウクスに赴いたこと。そこでキルヒシュラーガー公家の別邸にフローレンと一緒に泊まったこと。そして『レディ・フローレン・ノルンスノゥクがブルカウクスから王都へとキルヒシュラーガー公爵家所有の馬車で本日正午前に帰還した』と公的に残された記録があることに加えて今現在フローレンが“学園”内で文化祭案件に携わっている事実―――――これらは紛れもない真実だから堂々としていればいい)
なにしろ証拠も証言も掃いて捨てる程にある。だから何も心配要らない、実際にはレディ・マルガレーテひとりでブルカウクスに行ってもらって現地でフローレンと合流した上で一泊した事実をこさえたわけだがそんな裏事情をおいそれと外部に漏らすわけがないじゃないのよ。しれっとした顔で平然としていればそれだけで誘拐犯側が勝手に取り乱して自滅の道を爆走するとかいう愉快な仕組みだぞうコレは。
「はあ!? そ、そんな馬鹿な!!!」
「そんな馬鹿な、ってそれは本気でこっちの台詞なんだよなあ………どんなに妄想を極めたところで私の婚約者が誘拐されたなんて事実は『ない』んだよ。なにしろ所在も行動もこの上なく明らかなんだもの。お分かりかな? ヴィクトール・ヘンスラー。フローレンには誘拐されている暇などなければ瑕もない―――――お前如きが、彼女の人生に刻めるものなど何もない。あるわけないだろう、そんなもの」
普通に嘘を重ねながらも続けた言葉は嘘ではなかった。こんな重要人物だらけの魔境に私が存在を許されているのは『フローレン』を守るためというその一点に他ならない。
だから持ち得るすべてを使って誘拐の事実そのものを全力でなかったことにした。
ミロスラーヴァ卿を味方に付けて、リューリ・ベルを巻き込んで、国王陛下を筆頭に要職を担う重鎮たちを片っ端から欺いて―――――誘拐犯をとびっきりの道化に仕立てて落ちてもらう。というか、落とす。
そのためだけにこんなところで“王子様”をやっているのだ。負ける気ゼロだし八つ当たりついでにおちょくり倒すから覚悟しておけ。
「妄想ではないッ! 私は確かに、彼女を我が城に」
「ああ、はいはい。招こうとして『招待状』を装った稚拙極まる脅迫文………と、表現するのも烏滸がましいような誤字脱字にまみれた残念な手紙を届けたことはフローレンから聞いているとも。それに大人しく従った彼女を首尾良く攫って手元に置いた、的な妄想に浸るのは勝手だけれども私はともかくこの場に集ったお歴々は何かとお忙しいんだよ。省けるところは省く方針でくどい台詞はキャンセルしてこ」
「殿下、殿下、レオニール殿下。我々への配慮は大変ありがたく存じますが、そのように雑っぽいノリでお気軽キャンセルを発動されるとますます茶番感が増しますぞ。体裁は取り繕いなされ。仮にも陛下と大公方の御前なのです、お忘れなきよう………建前は、あって然るべきかと」
気の良いおじいちゃんみたいな砕け方を演出しながらも仕事が出来る宰相閣下は大変誘導が上手い。忠告をありがたく受け取るかたちで仰る通りと頷いて、私は次なる台詞を紡ぐ。
「では、少々お時間を頂戴したく。ご説明させていただきます………時系列的には一昨日のこと、こともあろうに“学園”内でフローレンは差出人不明の不審な手紙を受け取りました。その内容は『招待状』を装った誘拐をほのめかす拙い脅迫―――――言うまでもないことですが、そんなものに馬鹿正直に従う筈がありません」
念押しなどするまでもなく、この場に集う人間の大半が無言で頷いて同意を示した。それを観察しながらも、語りを途切れさせることはない。
「しかしながら、今回ばかりは少々タイミングが悪かった。北方大公閣下肝煎りである“国事”の開催がいよいよ翌日にと迫っている状況では裏取りをして然るべき報告を上げる暇もなく………結果として、思いも寄らない突発的なアクシデントの発生により急ぎ文化祭の延期対応に追われた彼女は『取るに足らない一件』としてその脅迫文もとい招待状とやらの報告優先度を最下層レベルにまで下げたそうです。仮にも次期王妃の誘拐をほのめかす脅迫文を放置するなどフローレンらしからぬミスですが、こればっかりはしょうがなかったと私は声を大にしたい。だって方々、ご存じでしょう? 我が婚約者の仕事量」
まさか知らないとは言わせませんけど? と言わんばかりの“王子様”の台詞に異を唱える者は居なかった。大人たちをげっそりさせる物量の仕事をこなしたのは他でもないこの私だって看破される気配が未だにないの、笑いを堪えるのが大変。
(ぶっちゃけ協力を仰いだミロスラーヴァ卿以外にはフローレンが誘拐されたことを一切伝えていないから誘拐犯だけでなくこの場に集めたほぼ全員を騙し通すしかないわけだけどなんとかなりそうな気がしてるから我ながら疑っちゃうよね正気)
或いは既に狂気の沙汰だが気にしたところで意味はない。じゃあもう突っ走るだけなんだよなあ。
口上が途切れるタイミングを見計らっていたらしい元気で五月蠅い国賊その一こと父親の方の公爵がここぞとばかりに騒ぎ出す。
「異議あり! はは、はははは! 馬鹿め、早くも墓穴を掘ったな! 王子よ! 我が耳は誤魔化せませんぞ! ヴィクトールがノルンスノゥク公爵令嬢に宛てた脅迫文を作成したと厚顔にも欺瞞を宣いながら、先程あなたはこうおっしゃった―――――『差出人不明の』不審な手紙と! つまり、フローレン・ノルンスノゥクに届いたとかいう脅迫文とやらを書いたのがヴィクトールであるとは限らない、と貴様は自ら証明したのだ!!!」
「ええ、せっかちさんに話の腰を折られたので結論から言いますと手紙の差出人は確かに不明でしたが『それがノルンスノゥク公爵令嬢の手元に渡るように画策した』のはヘンスラー伯と判明しているついでにほぼ確定で『ヴィクトール・ヘンスラーが書いた文章である』との鑑定結果が出ております」
「は? は!? 何故だ、どうして私が彼女に『招待状』を出したことがバレている!? というか待てあれを鑑定しただと!? プ、ププププライバシーの侵害だッ!?!?」
「そ、んな馬鹿なこじつけがあって堪るか! 証拠を出せ証拠を!!!」
雑に結論を投げたところで大人しくなる国賊ではない。しかし騒ぎ方が三流っぽいなもうちょっとラスボス感出せない? というか誘拐目的で脅迫文なんてモン出しといてプライバシーの侵害とか吠えるじゃないのよ呆れてゴソッと肩の力が抜けちゃいそう。
そんな気持ちで進行しているこちらの無気力さはさておき、うるせえやつらが騒いでんなあと言わんばかりの顔をして頬杖を付いたのはまさかの国王陛下である。眉間に刻まれた皺が深いね父上。もしかして欠伸我慢してない?
そんな息子の胸中コメントなど知らないであろう本人は、権力者らしさなど消え失せた気のない声でぶん投げた。
「うーん、五月蠅い。しかもつまらん。レオニール、さっさと証拠でも何でも出してあちらさん黙らせてやんなさい。具体的にはフローレン嬢が受け取った動かぬ物証の脅迫文とその鑑定の結果的なもの」
「ああそれないです」
「ないんだ。なんてェ!?」
あっさり答えた“王子様”に反射でツッコミを打ち返す国王陛下のスピード感がどうにも笑いを誘う件。自分で言うのもどうかと思うが波長が合うのかノリが近いのか他の面子は誰一人として会話に割り込めない疾走感だな、と感心している場合ではない。なにしろ油断は禁物なので。
「ハッ! たとえ庶子であったとしても伯爵位を継いでいる我が息子が事もあろうに公爵令嬢の誘拐を目論む脅迫文を書いたなどと言い掛かりをつけておきながら、肝心の証拠そのものを紛失したなどと誰が信じる! そもそも当事者である筈のレディ・フローレン・ノルンスノゥクがどうしてこの場に立っていないのです!? 疚しいことがないのであれば姿を現して然るべきでしょう!!!」
「あっはっはっは何を言い出すかと思ったらおふざけあそばせ国賊が、自分の婚約者を付け狙った挙句誘拐まで企んだストーキング国賊と本人を対面させるだなんていくら私が馬鹿王子でも認めるわけがないでしょう馬鹿にしないでいただきたい馬鹿なんですか好意どころか面識も接点も無いないない尽くしの異性から一方的に粘着される女性側の精神的苦痛と負担を軽く考えるんじゃない―――――おっと、もしやキルヒシュラーガー公はコンプライアンスをご存じない? でしたらご子息のヘンスラー伯がご存じでないのも頷けますね、高位貴族の自覚がおありなら把握しておくべきであったと思いますけど最新のコンプライアンス」
「馬鹿王子にコンプラを諭された………! 馬鹿王子にコンプラを諭された!?」
「おのれ馬鹿王子の分際でコンプライアンスなど知ったふうな口を………!」
心外、と言わんばかりに騒ぎ出す国賊親子だがどの面下げて憤慨しているのか頭の中身を覗いてみたい。嘘だ、全然見たくない。案の定ここぞとばかりに騒ぎ立ててきた輩が完全に勢い付くその前に淡々とコンプライアンスを持ち出すことで隙を作り出す王子様、控えめに申し上げて話術にかけては負ける気ゼロなので強気の構え。
さあて釣り針が引っ掛かっている今のうちにゴリ押すぞう、と私は真剣な顔をつくって殊更に朗々と声を張る。
「国王陛下、並びに諸侯に恥を忍んで申し上げます。我が婚約者が受け取ったという問題の脅迫文ですが、あろうことか紛失した上に未だ回収出来ておりません………いくら突発的に発生したアクシデントによりやむを得ず延期することになった文化祭を無事に開催するための膨大なタスクを休む暇もなく捌き続けていたとはいえど、確かに所持していた筈の物証をいつの間にか失くしていたとは弁明のしようもない有様。これはひとえにノルンスノゥク公爵令嬢に多くの負担を強いる采配を揮った私の不徳の致すところです、まことに申し訳ございません。処罰は如何様にもご随意に。このレオニール、己が不手際を心よりお詫び申し上げます―――――ですが、ご安心いただきたい」
必要があれば最上の角度で腰を折ることも頭を下げることも一切躊躇わないエンタメ属性のトークスキル持ちは本当にこういう場面に強い。朗らかながらも力強い声を通す“王子様”の顔面には曇りも憂いもない筈だった。そう見えるように魅せている。その筈だからその筈だ。
(安心しろ、とか宣いながらここから先はギャンブルだぞう)
勝利を確信していたところで上手く運ぶかは分からない。それでも言葉に嘘はなく、振る舞いには綻びがない。あるのは眩しいばかりの美貌と舞台の主役たる華だ。私を見ろ、と命じなくとも視線は自然と集まるもので、それを案じたことはない。誰も彼もが目で追って、声に耳を傾ける。他に意識を向けさせない。逸らせないし、逸らさせない。
話の主導権どころかいっそこの場における覇権を掴んで握り締めるが如く―――――陽気な馬鹿として今日も今日とて堂々と我が道を行くしかないなら脇目も振らずに全力で駆け抜けて優勝するしかなくない?
選択肢なんて限られている。可能性は無数にあるようで、その実、あんまり選べやしない。それでも掴み取りたいものがあるなら手を伸ばさないと嘘だろう。
(なんとかなってくれるといいなァ!!!)
笑い出したい心境で、祈った先には神などいない。思いを馳せた先に居るのはそんな神々しいモノではなく―――――けれど、ファンタジーではあった。
「動かぬ物証と遜色ない、むしろそれ以上に有力な証言者を本日は召喚しております! それではご入場いただきましょう、知らない人でも一目見ただけで誰だか分かる特別ゲスト! 後ろ盾は北方大公閣下! お待たせしました“北の民”―――――招待学生、リューリ・ベル!!!!!」
「え」
「は?」
「なんてレオニール? 嘘でしょちょっと待ちなさいそれもしかしなくても“国賓”の子―――――」
「お邪魔しますこのお菓子なんて名前?」
「ポップコーン片手に来ることある!?!?」
国王陛下の威厳のすべてをかなぐり捨てた全身全霊の脳直ツッコミが炸裂した瞬間にいきなり始まる強制腹筋崩壊タイム。腹筋と顔面の崩壊に抗いなんとか尊厳を保とうと頑張る大人たちを他人事感覚で眺める私はひとりで満面の笑みを浮かべた。こればっかりは普段のキャラ付けと慣れの成せる業である。
(ていうか流石だ。リューリ・ベル)
こんな場所に召喚されながら提供されたお菓子の名前にしか興味を示していない姿勢に加え、一応の礼儀として「お邪魔します」と口にしたあたりは偉いが見慣れた“王子様”の姿を発見するなり普通のノリで流れるように平然と話し掛けてくるメンタル鋼鉄製っぷりを披露するとは自由過ぎて無理でしょこれはの境地で笑いを堪えるしかない。
意図しない国王陛下の一言がとんでもない刺さり方をしたのもあるがそれにしたって奇跡的だった。最高だよフェアリー。優勝おめでとう。ところでこっちが予想していた以上に似合うね馬鹿でかポップコーンバケツ。一番大きくて陽気にカラフルなタイプを選んで正解だった、妖精然とした真っ白い神秘的な容姿が小道具ひとつを持たせただけではちゃめちゃにコミカルな仕上がりになる。
要するに存在そのものが現実離れしてて最早ギャグ。
「ポップコーン………ふ、ポップコーンて………!」
「この状況で………がっつり大容量バケツ………!」
南と東の先代大公が思いの外素直に笑っている件。場に居合わせた大半の者が必死に笑いを堪えている中、当の本人はしらっとした顔でひょいぱくとお菓子を食べていた。この状況で食欲を優先させるあたり本物である。知ってた。期待を裏切らない。これぞまさしくリューリ・ベル。誰の目から見ても明らかなフリーダムの擬人化みたいな存在。
「ポップコーンっていうのかこれ。塩味おいしい」
「それは良かった。ちなみに二層目はキャラメル味だぞう」
「違う味あるの? じゃあ掘るわ」
ひょいぱくもぐもぐがっさがっさ。いつものノリでしれっと放った私のコメントを受け取った有言実行フェアリーは素直にポップコーンの山を器用に掘削し始める。こぼれやすい、と評判のお菓子なのにひとかけらたりとも落とさないところに食料ガチ勢の貫禄を見た。ちなみのただの余談だが、茶番とは言っても錚々たる面子が集った裁きの場でこんなふざけた真似をして許されるのかと問われればはっきり言って許される。なにしろ彼女の後見はあのミロスラーヴァ・オルロフなので。
「うむ。息災であるな、北の子よ。なによりである」
「あれ、ばあちゃん? こんにちは。こっちに来てたんだな。元気? ポップコーンいる?」
「ふはは、見ての通りだとも。嘘偽りなく健勝である。ゆえ、老骨に余計な気など遣わず菓子はそなたがお食べ………いや、むしろそれだけでは北の子には到底足りぬであろう。遠慮は要らぬ、肉をおあがり。すぐに用意させるとしよう」
「あ、ここお肉食べても良いんだ。ありがとうばあちゃん。牛さんがいいです」
「すみませんミロスラーヴァ卿、お肉はちょっと待ってもらって―――――実はまだコレ終わってないので」
「そうであったな。すまぬ王子よ。すっかりと夕餉の気分であった」
晩餐ではなく夕餉と表現するあたりがもう身内の扱い。しれっと言っているミロスラーヴァ卿だがそのせいで先程まで腹筋崩壊と戦っていた大人たちが今度は恐怖と戦慄により胃痛に苛まれて轟沈していた。完全に理解の埒外にあるものを見てしまった人類の顔だが絵面的には孫(概念)を可愛がるめっちゃ強面の老女でしかない。しかし彼らの気持ちは分かる。かく言う“王子様”も内心ではちょっと気後れしているというかいざ目にするとインパクトすごいな“北の大公のばあちゃん”とリューリ・ベルのハートフル交流会。
「ところでばあちゃんたちどうしたの?」
「なに、野暮用というやつよ。すまんが北の子―――――リューリ。そなたの話を聞かねばならぬ事態がゆえに呼び立てた。この場はあくまで非公式なれば、そなたはそなたの好きに振る舞い思うまま口を開いて構わぬ。不敬と咎めることはない。このミロスラーヴァ・オルロフが家名に懸けそれを保証しよう。ただ、こちらの質問にだけは正直に答えてくれると嬉しい………“王国”の外より招き入れし稀人にして客人よ。ただの『リューリ・ベル』として、しばし我らに付き合っておくれ」
「え、いいけど。どうしたばあちゃん。そんなに気を遣ってもらわなくてもなるべく大人しくしてた方がいいならちゃんと大人しく出来るぞ? ていうか『ちょっと頼みがあるから悪いんだけどもツラ貸して』ってお菓子と一緒に伝言くれたの“王子様”じゃなくてばあちゃんだったの?」
「北の子よ、そなたまさかと思うがそんなノリで呼び付けられたのか………? 私としては証言者として“北の民”を召喚することを許して欲しいという王子の要請を後見人として承諾した、くらいの認識であったが………伝言で、しかもツラを貸せ、と………?」
「あ。ごめんばあちゃん、聞き方が悪かった。そのあたりのことはどうでも良かった―――――結局このお菓子くれたの誰?」
「ああ、そういうことであったか。そなたの機嫌を保つためにポップコーンを用意しよう、と言い出したのは王子の方よ―――――ちなみに費用は私持ちゆえ遠慮などせずどんどんお食べ。追加なら好きなだけ用意させよう………肉はしばらくお預け、となれば菓子で繋ぐしかなかろうて」
「わーい、ばあちゃんありがとう。知ってはいたけどびっくりするほど気前が良くて最高だ。ポップコーンを食べた分はきっちり付き合うから安心してくれ、私は糧に嘘は吐かない」
「ふはは、流石は“北の民”よな。その意気や良し、ありがたきこと。彼方、遠き果てより招きし我らの親愛なる隣人へ最上の感謝と敬意を捧ぐ………すまぬな。本当に、助かる」
「そこまで? 大袈裟だなばあちゃん―――――で? 聞きたいことって何」
何事? みたいなノリで小首を傾げているリューリ・ベルだがその対応はどこまで行こうが自然体であり無駄がなかった。大袈裟だな、とこぼしながらも早速本題に切り込んでくる。その根底にあるものは無関心とは少し異なる徹底とした線引きだった。言ってしまえば無責任にして他人事感覚の究極系―――――国王陛下でさえ顔色を窺わねばならない“北の大公”相手だろうがそのスタンスには変化がない。
ミロスラーヴァ・オルロフは、どういう理由かその在り方を肯定しているらしかった。むしろ好意的に受け止めていると傍目にもわかる柔らかさで、あろうことか笑みさえ湛えた穏やかに緩やかな顔で言う。
「さて、此度の進行役は王子殿下のお役目ゆえな。すまぬがあちらに聞いておくれ」
「そうか。それじゃ王子様、改めて聞くけど用件なに?」
さっさと言え、と言わんばかりにそんな問い掛けを投げてきた“北の民”の目は真っ直ぐだった。尊敬に値する程に、媚びず、臆さず、動じない。強烈にして鮮烈な個性でポップコーンをつまみながら、他人事だからどうでもいいけど聞かれたことには答えてやるよと態度で示してそこに在る。
完璧だった。完璧に、完膚なきまでに、“王国民”が培ってきた常識の外側の存在として完成されたものがそこに居る。
(まったくもって、おそろしい)
自然と胸に浮かんだ本音は胸にしまっておくべきものだ。何がどう恐ろしいかだなんてわざわざ考える気も起きない。
(分からないまま気付かないフリで都合良く生きていけるなら、それに越したことはない)
だって彼女はいつだって、ただあるがまま生きている。何処に居ようが、誰と居ようが、繕わず、また飾らない。他に迎合する必要性をまったく持ち得ない生き物―――――私たちと同じカタチをした、けれど交わらないファンタジー。
そんな存在を思うがままに動かせる、なんて驕りはなかった。思ってもいないし思えやしない。相手は単体で盤面を叩き割りゲームそのものを無効化するようなイレギュラーの塊であって、自他共に認める馬鹿王子如きが好きに動かせる駒ではない―――――だから今は割と気紛れな妖精さんの機嫌を損なわないよう過剰なくらいに配慮して、最善の言葉を選んで並べて最速で本題に入るのだ。
「うん。それなんだけども、リューリ・ベル―――――覚えてる? 昨日“王子様”が聞かせてもらった『変な文字の手紙もらった』云々について」
「昨日? ああ、そういえばそんなことを王子様に聞かれた気もするな」
ポップコーンをひょいぱくしながら記憶を手繰り寄せているらしい彼女の顔色に変化はない。山の中でピクニックに興じていたリューリ・ベルとセスを迎えに行った際に投げたこちらの問い掛けそのものはきちんと覚えていたらしく、なんかそんなこともあったな程度の絶妙に雑っぽい反応だった。
(分かってはいたがフローレンが誘拐されたとか私に助けを求められたからサクッと応じてやったとかそのあたりの話題は一切出さずに聞かれたことだけを答える姿勢、そういうところだぞうリューリ・ベル)
都合が良過ぎて助かっちゃうな! とは思っても言わないのが華だ。兎にも角にも想定していた通りの反応どうもありがとう。これからそういう一点賭けみたいなこと続けなきゃならないわけだけど、お前のそういうところを信じて突き進めばいいだけだからこっちとしては気が楽だよ。思わず笑っちゃうくらい。
「わーい、覚えてて偉い! じゃあアレもう一回、同じのよろしく!」
「いいけど。ポップコーンおかわりください」
「いいともヘイ警備、急ぎで諸々用意して!」
妖精さんのおかわり要請を快諾直後に即オーダー。馬鹿がノリだけで生きている。面白おかしく生きている。ぱんぱん! と場違いなまでに陽気な手拍子を響かせて、大袈裟な身振りで指示を飛ばす姿はまさしく絵に描いた道化のそれだ。
そしてそんな道化の戯れを許せない輩は良く釣れる。こんなに餌が分かり易いのになんで釣れちゃうんだろうなあ。
「なっ、ばっ………蛮族の分際で馬鹿にしおっていい加減にしろこの状況でポップコーンをおかわりするなあああぁぁあぁァッ!!!」
あらやだ嘘でしょ矛先がよりにもよってあっちに向いた。
からっぽになってしまったでっかいポップコーンバケツを名残惜しそうに眺めていたおかわり待ちのリューリ・ベルを睨み付けながら飛び跳ねるように暴れているお縄ぐるぐる国賊伯爵がなんか吠えているが視覚的にも聴覚的にも五月蠅いだけで中身がない。あちらにしてみれば己の人生を左右する重要な局面で召喚された証人とやらが事の次第よりポップコーンを気にしているのが許せなかったのだろうが率直に言ってただの愚行だ―――――いや視覚的には奇行の類だけどそういうこと言ってるんじゃないんだよ。北方大公閣下直々にその言動を保証されている『リューリ・ベル』に絡むとか馬鹿な真似はしないでほしい。素人はこれだから困る。
だが“王子様”は慌てない。咄嗟の行動に出る前に、リューリ・ベルのリアクションを待つ。敢えての後手に回ることが吉と出るか凶と出るかの緊張に満ちた僅かな時間、彼女は騒音の源に面倒臭そうな一瞥を向け―――――それが縄でぐるぐる巻きにされた状態で愉快な大暴れを披露している成人男性だと認識するなり賢くもすっと視線を逸らした。絵面から滲み出ているヤバさに関わり合うのを拒否したらしい。気持ちは分かる。だって見るからに面倒臭そうなんだもの、お前ならスルーすると思った。
それはそれとしてポップコーン効果により比較的良好に保たれていたフリーダムの権化のテンションが一瞬で下降した気配を察知した私はすかさず口を開く。
「静粛に。現段階で被疑者の発言は一切認めておりません―――――ていうかちょいちょい口挟んでくるけどその芋虫ルック見ると笑っちゃうから目立ちたがり屋は控えてくんない?」
「この馬鹿王子言うに事欠いてッ! こんな馬鹿みたいに執拗な拘束を指示したのは他でもない貴様だろうが!!!」
「ヘンスラー伯の抵抗と罵詈雑言が著しいのでやむにやまれず対処した、との現場の判断を尊重しましたがそれに何か問題が? ああ、『国王陛下とか大公閣下も同席する場だしどうせなら縄増量して全身ぐるぐる巻きみたいにしといた方が安心じゃない?』とは確かに提案してみたけれども―――――うん、礼には及ばないぞう! 見るからに国賊感出てる! 若干コミカル寄りだけど個性的でいい感じ!」
「ばッ、ば、こンンンの馬鹿王子ィィィィィィィィイイィアァァ!!!」
善意の証人としてお招きしている第三者にして国賓でもある“北の民”に鬱陶しく絡む国賊を野放しにはしておくのはまずいので秒でヘイトを掻っ攫うことで事無きを得る王子様の煽りスキルを侮るなかれ。プライド肥大型お花畑の冷静さを奪う台詞なんていくらでも提供可能だし、頭に血が上った奇声と引き換えならウインクのひとつもサービスしちゃう。擬音はバチコーン! あたりが好み。
「ああああああ馬鹿だ馬鹿だと聞いてはいたがよもやこれほどまでとはな!!! こんな男が『王子様』だと? ふざけている、どういうことだ、吐き気を催す愚かしさを撒き散らすしか能がない、こんな口先ばかりの道化にどうして誰も何も言わない!!! それともこの場に居る全員脳に虫でも湧いているのか! 明らかにおかしいと分かる王子の愚かしく穴だらけな言い掛かりに欠片も疑問を抱いていないと言うなら貴様ら全員揃って無能の烙印は免れまい―――――人を国賊と決め付けたと思えば物証とやらは紛失し、代わりに呼んだ証言者とやらはたかがちっぽけな蛮族ひとり! 馬鹿にしているにも程がある! そもそもそこの“北の民”の証言に何の価値があるというのか是非とも教えていただきたい、一体如何なる根拠があっての発言なのです、プリンス・レオニール! ハッ、馬鹿馬鹿しい、とんだ茶番だ、“王国民”ですらない蛮族如きがこのヴィクトール・ヘンスラーの罪とやらを本当に証明出来るというならしてみたまえよ、出来るならなあ!!!」
ははははははははは!!! と、響く高笑いは耳に五月蠅く、そしてなによりつまらない。不快指数を跳ね上げるだけのそれをさっさと止めるべく、私は冷めた面持ちで慌てず騒がずしれっと言った。騒音の中にあってさえ、聞き逃しようのない声で。
「それが普通に出来るんだよなあ」
「はははははは――――――は?」
ぴた、と止まった哄笑のあとに敢えて挟んだ沈黙は二秒。視線の悉くを自分に集める時間としてそれを消費して、脚本通りの台詞をなぞる“王子様”は一歩前に出た。
「面倒なので巻いていこう。ひとつ、我が婚約者であるフローレン・ノルンスノゥクが受け取ったと言った脅迫文………差出人不明の不審な手紙の宛先は実のところ彼女ではなく『リューリ・ベル』になっていた。これは“北の民”へ宛てた手紙を一度すべてフローレンに集めて検閲する、という“学園”での特例を利用したなんとも遠回りな手口だ。しかしこの方法なら秘密裏に、かつ確実にフローレンだけが手紙の中身を読むことになる」
何故それを、と言葉に詰まる国賊伯爵を見下ろしたところで何の感慨も浮かびはしない。だから気にせず先を続ける。淡々と、淡々と、ただの確認作業のように。
「設置場所が限られているとはいえ、リューリ・ベル宛ての手紙回収箱に封筒を放り込めばいいだけというお手軽さも魅力的なメリットだろうな。投函に際して誰か適当な人間を顎で使うにしてもリスクは低い方がいい………だというのに、ヴィクトール・ヘンスラー。お前はわざわざ『リューリ・ベル』本人に手紙が渡るよう指示を出したな?」
それがミスであったのだ、と分かり易く指摘する声で、神経を逆撫でする音で。掌握した空気をぎりぎりと少しずつ締め上げる感覚で、言い訳も吐けない三流役者を睥睨しながら台詞を紡ぐ。サービス精神で嘲笑オプションでも付けておこうかと思ったが、ここは呆れた調子の方がきっとプライドが傷付くだろうなとアドリブを利かせるのも忘れずに。
「学園の保健教諭という立場を見込まれてその密命を託されたヤスミーン・ディッペル女史が嘆いていたぞう………ノルンスノゥク公爵令嬢に確実に手紙を読ませるため、とかいう念には念を入れて系の理由ならまだしも、まさか『北の蛮族に熱を上げる有象無象の書き殴った手紙とこの私直筆の招待状が混ぜられるなど我慢ならない』なんて馬鹿げた理由でリューリ・ベル本人の荷物にこっそりと忍ばせる方向で無駄に難易度をバカ上げされるとは正直思っていなかっただろうから流石にちょっと同情したよね。まあやったことは許されませんけども」
それはそれとして可哀想、という態度そのものは見せ掛けではない。こればっかりは本当に“王子様”心から思っているとも、だって理由があまりにも馬鹿。自分の手紙が他大多数の手紙に埋もれちゃうのが嫌って何処の拗らせ野郎の心理だそんな捩じれた繊細メンタルでリューリ・ベル宛てのファンレターシステムを利用しようとするんじゃない。
まあそのおかげでこうやって、分かり易く切り崩せるワケだけど。
「キルヒシュラーガー公が便宜を図るヘンスラー伯の頼みとあっては西方貴族の一員として断れず手を貸すしかなかった、という彼女の一連の供述については既に裏取りまで済ませてある。先程『脅迫文がノルンスノゥク公爵令嬢の手元に渡るように画策したのはヘンスラー伯と判明している』と私が言った根拠はこれだ。さて、ヴィクトール・ヘンスラー。一応聞こう―――――諦めは付いたか?」
「は………ははっ、何を愚かな! それだけで勝ったつもりとは、やはり馬鹿王子であらせられる! 諦めるなどと笑止千万、このヴィクトールを貴様程度の知能で欺けるとは思わぬことだ、恨むなら己の詰めの甘さを恨みたまえよレオニール―――――ヤスミーン・ディッペルが何をどう証言したところで肝心の脅迫文そのものが無いならそこに書かれていた内容など最早誰にも分かるまい! つまり! 先程から話題になっている“北の民”宛てと偽造された手紙とやらが本当に誘拐をほのめかす脅迫文であったとはどう足掻いても証明出来ず! よって! 私がレディ・フローレン・ノルンスノゥクを誘拐しようと企んだなどとは言い掛りの域を」
「おーい王子様。出来たぞ、例の変なやつ」
それはどんな状況にあってもよく響き、よく通る声だった。大して張り上げてもいないのに、はっきりと、そしてしっかりと、高くも低くもない中性的な音程が耳に届いて脳に残る。己が舞台と主張する熱さで回りくどく叫んでいた国賊伯爵のことなどガン無視で普通に声を掛けてきたリューリ・ベルのそれを合図に“私”は咄嗟の判断で最大音量を選択した。
「はいありがとうリューリ・ベル! ナイスタイミング愛してるゥッ!!!」
ぱぁん!!!!!
手と手を力の限りに打ち合わせて鳴らした空砲は、場に静寂をもたらした。嘘です最大音量のぶちかましの方が轟音だった我ながら意図せず最高記録を更新した気がしないでもない。ちなみにこれは余談でしかないが勢い任せに吐いた台詞は愛の告白とは言い難いノリの産物でしかなく、受け取り拒否がデフォルトの妖精さんは「うるっせぇなこいつホントに人類?」みたいな割と形容し難い顔を“王子様”へと向けている―――――ぺろん、とポップコーンではなく、一枚の紙を抓みながら。
「あ、がっ………お、おのれ貴様ァ! 今いいところだったのに私の話を遮るな!!! 分が悪いからと大声で喚けばこちらが黙るとでも思っ………いや待て例の変なやつが出来たとはなんだそこのばん」
「喋るな国賊。耳に障る」
かの北方大公閣下を意識して腹の底から響かせた声で放ったものは応答ではない。発言権を奪い取るために選んだ音の羅列であり、会話も議論もする気はないと叩き付けるための一言だった。耳を劈く声量に面食らっていたヘンスラー伯が再び囀り始めたところで得をする人間はこの場に居ない。だから“私”が黙らせる。
「第一、騒ぐ程のことでもない。貴様が出した脅迫文、その写しが仕上がったというだけだ―――――実物を見ているリューリ・ベルにとっては難しい話じゃない」
会話をする気は毛頭ない。軌道はこちらで指定する。余所見などさせてなるものか。
興味を引くこと。聞き入らせること。何を言っているんだろう、と思えば人は続きを待つのだ。
そうして生まれた隙間を縫って、当たり前の事実をまず述べる。
「大前提、彼女は手紙の中身を見ている。宛名に自分の名前が書かれた手紙であれば当然だ。受取人が手紙を確認する。封を切って、その内容を自らの目で確かめる。そこには何の不自然もない」
「ふっ………調子に乗った馬鹿王子様が一体何を言い出すかと思えば。ああ、そうだろう、それは当然だとも。よくよく考えてみれば確かに取り乱す程のことではなかった。それについては謝罪しよう、いやはやお耳汚しを失礼………で? 蛮族………おっと、間違えた。私としたことが重ね重ねなんともとんだ失礼を。ええと、そう、“北の民”殿が件の手紙とやらに目を通していたとてそれは何の不自然もない………それで? それが一体何だと言うのかね?」
そうして、先を促させるのだ。言い回しのくどさに辟易しようが心底鬱陶しかろうが期待通りの方向へ。急下降する奈落の底へ。
「ふふ、はは、まさか彼女が手紙の文面を一言一句正確に覚えているとでも言うのかな―――――ハッ! 面白い冗談だ! 王国語の読み書きがまるで出来ない“北の民”にはそもそも何が書いてあったのかすら理解出来ま」
「いや、普通に覚えてるけど」
「い―――――は?」
ぴらぴら、と抓んだ紙を気のない顔で振りながら、平然とリューリ・ベルが言う。縄ぐるぐる巻き状態のまま勢い付いてカッコ付けて喋っていた国賊伯爵がぽかんと口を開いた状態で硬直する姿は間が抜けていた。
まさか、と呻いたヴィクトール・ヘンスラーが弾かれたように視線を動かす。その先に居る“北の民”が抓んでいる紙を凝視して、そしてみるみる顔色を変えた。
「ど、どどどどどどどういうことだ!? 馬鹿を言え、読み書きも出来ない低能の分際で手紙の写しを作成したと!? ふざけるな、分からないくせに! 何故、何故だ、どうしてそんな芸当が辺境の狩人如きに出来る!? おのれ、王子や大公の威を借りてこの私を貶めようなどとはいくらなんでも許し難い、恥を知れ、この無知蒙昧な卑しい蛮族風情が!!!」
「だから読めなくても覚えてるっつってんだろなんだお前さっきから五月蠅ェな」
不審者とは関わり合いたくはない、と思っていてもここまで鬱陶しく絡まれてしまえば面倒臭がりのリューリ・ベルだって応戦に転じるのも無理はない。さっきまでは思わず口を出してしまっただけ、といった様子で不審者(縄芋虫の姿)のことなどなるべく視界にも入れようとしていなかったのに今は完全に尖った眼差しを遠慮容赦なく向けている。怪しい人とは口をきかない、なるべく視線を合わせない、という正当極まる防衛本能から狩猟民族として真っ当極まる闘争本能への切り替えの早さは流石の一言に尽きた。
大容量のポップコーンバケツを持たせることでギャグ方面に中和して人畜無害な妖精さんを装っていた異郷の美貌の実態を目の当たりにした大人の誰かが息を呑んだ気がしたが、射殺さんばかりの目で凄まれた挙句見た目を裏切る粗雑な口調で面と向かって五月蠅ェなとか叩き付けられた国賊伯爵の脳はあえなく処理落ちしたらしい。外見はどうあれその妖精は生まれながらにワイルド路線を突き進んできた生え抜きであると理解していない素人には無理もない話だった。
だが『リューリ・ベル』はそんな事情など知っちゃこっちゃねえ、と言わんばかりの態度で己の言いたいことを迷わず口にするタイプなのでまあ案の定言っちゃうのである。
「手紙だの文字だの読めなくたって形そのものは覚えてるんだからただそれ書けばいいだけだろうがうだうだうだうだ何言ってんだなんでそんなとにかく五月蠅いの?」
「待ってなんかすっごいさらっとすごいこと言った気がするその子!!!」
学生時代を思い出したのか挙手をしてまで割り込んでくる父上もとい国王陛下の反射神経尊敬しちゃった。
冗談はさておきこれに関しては仕掛け人である自分が担うべきだろう、とも思う楽しい種明かしの瞬間なので、むしろ積極的にやらせていただきますねの気持ちでハイ“王子様”張り切っちゃうぞう。
「あっはっは、国賓が元気いっぱいでオチが先に出てしまいましたので遅れ馳せながら今から私がご説明させていただきます。と、いうわけで皆々様、何卒お付き合いの程を」
シリアスに決めるべき場面だろうが茶化さなければやってられない的なテンションを敢えて採用したのは『リューリ・ベル』への配慮である。なんといってもあのフェアリー、こっちのノリの方が慣れてるからな。無理矢理付き合ってもらってるんだから安心感くらいは提供しないと保護者の方にカチ込まれちゃう。具体的に言うとミロスラーヴァ卿だけは敵に回したくない。
沈黙を以て私の筋書きに任せてくれている協力者筆頭格もとい頼れる共演者のままでいてください、とのなんとも切実なる願いを込めて、馬鹿は馬鹿らしくやるしかないのでアドリブ十割の台詞を吐いた。
「とりあえず全員頭の中で『アルファベット』をご想像ください」
え? 説明するんじゃないの? なんでいきなりアルファベットを? みたいな空気感をものともしない精神力でAから始まりZで終わる二十六文字を例題に出す。言語学的な話をする気はないので本当にとりあえずの感覚でAからZまでを脳裏に浮かべてくれればそれで構わない、くらいの態度で押し通しながら素知らぬ顔で先を続けた。
「大文字と小文字の違いはあれども基本的には二十六文字。これらを組み合わせることにより単語、言葉が作れます。そもそも文字とは『言語を書き記すための記号』を指しているわけで、ぶっちゃけ『リューリ・ベル』が“王国語”の読み書きを不得手としているというのはつまり知識と経験の不足によって記号と意味の組み合わせを成立させられていない状態ですね」
例えば『ランチ』と文字にしたくともその書き方が分からない。ひとつひとつの記号は言えてもその組み合わせが分からない。言葉の意味を知った上で平然と口にしていても、分からないものは書き表せない。当然、読み取れもしない。音を覚えてなんとなくで会話する分には支障がなくとも、文字として覚えているわけではないから記号同士のパズルと意味が頭の中で結び付かない―――――極端に言えばそういうことだ。
「だから音として喋ることは出来ても『なんて書いてあるのか』分からない。仮に単語が理解出来ても意味を知らなければ同じことです。文字の羅列と意味の引き出しが一致しないから分からない。言葉としては理解出来ない。書かれた文字の意味が分からず、手紙の内容は読み取れない。そんな状態の“北の民”に『お前が読んだ手紙の内容を教えてくれ』などと頼んだところでそれはどうしようもない」
「は、あははははは! そうだろう、だから!」
遮ろうとする声を、敢えて平然と遮って。私は明るく言い切った。
「ですがそれは率直に言って『頼み方が悪い』のです」
或いは聞き方が間違っている。確かに彼女は手紙が読めない。書いてある文字の意味が分からない。けれど、それはそれとして。
(文字、単語、言葉、文章。紙面に書かれたそれらがどんな言語系統だったとしても、意味がまるで分からなかったとしても―――――ぶっちゃけ、まったく関係ない)
「は? 何を言っている?」
怪訝な声には取り合わない。付き合ってやる義理がない。そうとも、だって関係ない。関係ないのだ、本当に。
「簡単なことです。たとえ手紙が読めなくとも、書かれた文字が分からなくとも、それが脅迫文であったと気付けず知らないままであっても、自分が目にした内容そのものを覚えていられないわけじゃない。読み取れない手紙の内容なんかひとつも分からなくたって―――――文字の形を『模様』として、文字ではなく絵を描く要領で、正確に再現出来るとしたら?」
「………え」
「え?」
「そうとも! 絵!」
国賊たちから罅割れたような声がこぼれ落ちるのを、他人事のように聞いている。実際ただの他人事なので憐憫の情など湧きもしない。お分かりいただけて嬉しいですよと全身全霊で表現したのは私なりの皮肉というやつで、気付いてくれた? みたいな気分で自然と浮かんだ笑顔はきっと、慈愛の皮を被った下で無様だなあと嗤うそれ。
「まあアレです、要するに『お前が受け取った手紙にあった変な文字ってどんな形?』って聞いた上で記憶の限りを紙に描いてもらったモノがあちらになります。偽証を疑われるのも面倒なのでわざわざリューリ・ベル本人を呼び立てて皆様のまさに目の前で実演してもらったわけですが………なんとびっくり、彼女が目にした『変な文字』というのがどう見ても西方古語でして。説明するまでもないことでしょうが、大抵の“王国民”にとって古語は東西南北の如何に関わらず滅多に目にする機会がない極めて特殊な言語です。当然、リューリ・ベルにとっては王国語以上に見慣れない未知なる変な文字ですが―――――期待以上に記憶が正確でとんでもない量の文字の形を覚えていてくれたものだから、結果的にすごい精度で模写が出来ちゃったとかいうオチだよヤバいね“北の民”の記憶力!!!!!」
「そ………そっ、馬鹿な!?!?!?」
「ししししし信じられるかそんな話!!!」
「だろうな! だから検証してやろうヘイ警備、リューリ・ベルが持ってる紙をあちらの古語管理官にパス!!!」
我に返った連中がなにやら大騒ぎしているが、そんなことは折り込み済みなので王子様は堂々と警備に必要な指示を飛ばす。動いたのはまさかの騎士団長だったがおそらく“国賓”への配慮だろう、リューリ・ベルから一枚の紙を礼儀正しく受け取った彼はきびきびとした足取りで古語管理官―――――今、このときこの瞬間のためだけにこんな魔境の茶番劇に同席させられて部屋の隅っこで法務大臣たちと仲良く存在感を消しながらぷるぷるしていた老齢の言語学者へと差し出した。
古語管理官なるちょっと珍しい肩書きを持っている彼は、幼少期の私もお世話になったその筋では有名なベテランである。担当は言わずもがな西方言語でフローレンともども大変厳しく熱意あるご指導を賜りました。王族に言語を指導する立場上西方貴族の出身であっても中立の誓いを立てているので同門筆頭公爵家の長たるヴィンセント・キルヒシュラーガーにおもねることはないだろう。
さて、かつて私とフローレンにやたらと難解な言い回しが多い西方古語を根気強く指導してくれた老人は、自分に集まる数多の視線におっかなびっくりといった様子で騎士団長が手渡してきた紙を受け取って無言のまま目線を落とし―――――カッと目玉をひん剥いた。
「な、なっ、なんですこれは!? 幼児の習作よりおかし………え、西方古語を齧った輩が作った暗号文………は? は!? あ、ありえない、なんなんだこの拙さは、読み難いなんてレベルですらないああここも、こっちも、これも違う―――――不出来! 不格好! 古語への冒涜!!! ああああああ駄目だ見ていて許せんなんだこれはひど、酷過ぎる耐えられん祖先より受け継ぎし美しい言葉たちがこのような辱めを受けるなどこの道四十年の矜持が許せんどなたか赤インクをお貸し願いたいッ!!!!!」
「わあ。西方古語の専門家が血相変えてキレ散らかすレベル………」
「そんなに酷いことあります………?」
唖然とした国王陛下の実況に心からのコメントを寄越した宰相閣下が自前らしき赤インクの瓶とペンをそっと近場の警備に託しているあたりに同情の程が窺える。加齢から生じる震えとは明らかに別の力強さで手にした紙を握り込みつつ息を荒げる古語管理官の血圧をほんのちょっとだけ心配しつつ、なんとも言えない空気の中で“王子様”は朗々と演目を続けた。
「はい、というわけで、かの文面に用いられたのは王国語ではなく西方古語だと専門家の確認が取れました。わざわざ古語を使用したのは万が一の保険だったのでしょう。どんな言語で書いたところでリューリ・ベルには読み取れませんが、次期王妃として古語を修めたフローレンであれば容易に読める。それ以外の第三者には古語が読めないから分からない。西方古語、ヤスミーン・ディッペルの証言、そして紛失した脅迫文の写し―――――ヴィクトール・ヘンスラーがノルンスノゥク公爵令嬢の誘拐を企んだ主犯である、との証明は以上で十分かと愚考します」
「ま、待たれよ! 待たれよ王子、それはその………そう! そこの、そこの“北の民”が作成した写しとやらにどれほどの正確性があるというのです!? 古語管理官殿の様子を見るに彼女の書いた写しとやらの西方古語は随分と酷いものらしい、しかし! ようく聞きたまえ、我が子ヴィクトール・ヘンスラーにはこの西方大公子ヴィンセント・キルヒシュラーガーが手頭から古語を教えたのだぞ! 大公家にて正統な古語教育を受けた私自らが丁寧に教えを授けているのだ、そんなヴィクトールが書いた文章が専門家たる古語管理官をあそこまで発狂させる筈がない! すなわち! それこそ“北の民”が作成した写しの信憑性の低さを物語っている証左に他ならず! ハッタリかどうかは知らないが記憶力に優れているという彼女に王子が適当に覚えさせた西方古語を書かせたという拙い証拠の捏造を示唆しているとは思わないかね!?」
「古語を舐めるなッッッ!!!!!!!!!!!!」
ドヤ顔で自論を展開してきた国賊公爵を一喝したのはまさかの古語管理官本人でそんな声量出せたんですねと我々は驚愕するしかない。思わぬところから上がった声に誰もが何も言えない場面で、額にくっきりと青筋を浮かべて片手に紙を、片手にペンを持ったご老人は間髪入れずに絶叫した。おそらく自分の立場も忘れて魔境の中心でキレていた。
「失礼を承知で申し上げるが、どう繕っても、どう偽っても、文章には自我が出るものです。四方古語で最も難解とされてきた西方古語であればなおのこと、綴る言葉には個性が滲む。殿下が適当に覚えさせた西方古語? 馬鹿をおっしゃい! 王子殿下の指導を担った古語管理官のひとりとして命を懸けて証言しましょう、彼が少しでも関わっているならこのような稚拙なものにはなりません、誓ってなりようがない。まずもって単語の綴りを間違えている時点であり得る筈がないのです、文書というかたちで証拠を残す以上は些細なミスひとつ許されないのだと殿下はご存じでいらっしゃる。なのにこれは文法が違う、言い回しもおかしい、言葉選びが全体的にくどくしつこくバランスが悪く散らかっていて読み難い―――――殿下はこんなつまらない真似などしないしむしろ出来ません! 不思議とどのような課題を出しても面白おかしく纏める方でした、この写しとやらの文面からは彼の持つセンスが感じられない、キルヒシュラーガー公の言い分は殿下への言い掛かりでしかない! 王族の方々に言語を指導する我ら古語管理官の仕事を見縊らないでいただきたい!!!」
「ご、誤解だ、見縊ってなどおらん! 長らく古語に親しんできた貴殿を侮る意図はない! そうだな、王子のせいではなかろう、おそらく“北の民”が記憶を頼りに書き記した際に間違えたとか」
「王国語さえまともに操れない“北の民”のお嬢さんが適当に書き間違えたってこんなことにはならないんですよまったく知らない古語見たことない何ひとつとして分からない状態の素人が勘で書き殴ったとしてもこの間違い方は出来ないんですよ西方古語を少しでも学んでいるからこそ仕出かすようなミスが散見されてるんですよ基礎を知っているからこそ捻った言い回しをしようとして無様に失敗してるんですヨォッ! 繰り返します! こんなもの! 殿下にも“北の民”にも書けません! 古語管理官として断言させていただきます、これは『半端に古語を齧った人間』が書いた手紙に相違ありません、それを“北の民”のお嬢さんが記憶力に任せて丸写ししたというのは真実でしょうにしても誰だこれを書いたのは名乗り出ろ指導してくれるッッッ!!!」
「分かりました、分かりましたから落ち着いてくださいパーゼマン氏! 御前ですよ!」
「ご乱心! ご乱心!」
「もおおおおおこれだから学者先生はぁああぁぁぁ」
なんかすごいことになっている。近場に居た法務大臣と一級書記官と警備のひとを巻き込んでちょっとした混沌と化している。西方古語を扱う者たちは総じてミスを嫌うので古語管理官クラスともなれば発狂するかもしれないなあとは思っていたが予想以上だ、あまりのキレ散らかしぶりに国賊どもの顔面がちょっと青くなっていた。専門家からボロクソに貶されたことが堪えたらしい。
あまりの事態に唖然としていた面々が口を噤む中、ぽつりと言葉を発したのは安心のミロスラーヴァ卿。
「そこの。パーゼマンとやら」
「はっ! なんでございましょう、オルロフ北方大公閣下!」
すごい。キレ散らかしていた古語管理官があっという間に大人しくなったというか知性ある者としての尊厳を取り戻して粛々と頭を下げている。もうこのばあちゃんの一人勝ちでいいんじゃないかなと思いつつ、そういうわけにもいかない展開がこの後に控えているわけなのでこちらとしては進行の手助けをありがたく受け入れる所存。
「専門家としてのそなたの意見、今一度聞かせてもらおうか―――――我が客人、北の民の子に、国賊ヴィンセント・キルヒシュラーガーが主張するような偽証の類は可能であろうか。述べよ」
「はい。一個人の見解ではありますが、あり得ぬことかと存じます。西方古語より王国語の方が圧倒的に簡単ですので、それが出来るなら彼女はもっと王国語に明るくなければおかしい………いえ、一度見ただけの西方古語をあの精度で書き写すことが可能なほど記憶力に優れているなら、むしろ下手な王国民より―――――申し訳ございません、出過ぎたことを」
「構わぬよ。そして明察である。愚か者どもが調子付かぬようそなたの懸念に答えるが、端的に言って『リューリ・ベル』が必要以上に王国語の読み書きを覚えることはない。なにしろあの子は客人ゆえな。遠からず故郷に帰る身で、そんな些末事に記憶容量を割かせるわけにはいくまいて。こと“王国語”に関して言えば必要なことしか覚えずとも良く、また忘れても良いことは記憶に残さずとも構わぬと北の子に告げたのは私である―――――なにか不都合でも?」
そんなストロングスタイルでゴリ押ししてくる最強の老女に「あります」とか言えるヤツいるわけないよね。リューリ・ベルなら言えるだろうけど“王国民”側は無理でしょこんなの。王子様だってちょっと無理だなと思うレベルで流石に言えない。なので沈黙は肯定だった。不都合などあるわけないないない。
「ああ、忘れるところであった。パーゼマンよ。専門家としてもうひとつ、この老骨の問いに答えてもらおう―――――『リューリ・ベル』がこの場で書いたそれが西方古語で記された件の脅迫文の丸写しとして、そなたは書き手をどう見立てる」
「は、西方古語専攻、古語管理官がひとり、パーゼマンが申し上げます。少なくとも、レオニール王子殿下やノルンスノゥク公爵令嬢の手によるものではありません。筆跡は“北の民”のお嬢さんのものなので見慣れないのは当たり前として、丸写しだという文体の癖にも同じく覚えがないためです。私の教え子にはこのようなくど、いえ、特徴的な言い回しを好む者はいなかった、と記憶しておりますれば………恐らく、ではありますが、独学で西方古語を学んだ可能性が高いかと。多少の覚えこそあるようなものの、まともな指導者にきちんとした教えを授けられたとは到底思えない有様にて―――――畏れながら、西方古語の必修を義務付けられたヴィッテルスバッハ大公家ご出身のキルヒシュラーガー公に教えを請うたというヘンスラー伯が書いたもの、とするにはあまりにも………出来映えが………その、粗末に、過ぎるかと………」
めちゃくちゃ気まずそうにしているがめちゃくちゃ渋い顔をしながらも古語管理官は言い切った。自分の職歴に誇りを持つ以上そこは譲れなかったのだろう。ありがとうパーゼマン先生。控えめに申し上げてそれトドメ―――――だったら良かったのになあ。
「ふっ、ふははは、ふはははは―――――話は終わりでよろしいかな?」
余裕たっぷりの表情でそんな台詞を吐いたのは誰あろうヘンスラー伯である。この状況でこの態度はもう異常者と言って差し支えない。貫き通せば芸風として確立されることもある、と一種の感心すら芽生えたが、これはそういう錯覚で片付けてはいけない類のものだ。往生際が悪いなんてものじゃない。
(ああこれ理解してないな)
直感がそう囁いている。この男は理解していないのだ。相手の言葉を額面通りに受け止めるどころか都合良く解釈したそれを寸毫たりとも疑わない。最初から認める気がないのだろう。曲解と改竄に抵抗がない。不都合な理屈は考えず、整合性など度外視している。
頭が悪い。頭痛がする程。いっそ憐れみさえ催したところで救えるものではないけれど―――――足を掬う準備は万端なので。
胸に去来する虚無感が、面倒だな、と訴えて耳を塞ぎたがっている。けれどつまらない台詞ばかりが億劫なことに続くのだ。
「流石は古語管理官殿。造詣が深くていらっしゃる。素晴らしい観察眼にして非の打ち所がない鑑定結果だと言わざるを得ない、そうでしょう? 皆々様。そう、そう! そうだとも! このヴィクトール・ヘンスラーが、キルヒシュラーガー公を父に持つ西方大公孫たるこの私が、そのように拙い西方古語を綴るなどある筈がない! いやはや失礼、誤解しておりました、てっきり私のしたためた『招待状』が手違いで“北の民”の彼女に届いて云々という話だとばかり………ふふ、なるほど? ああ、なるほど、話が噛み合わないわけです。しかしながらもうお分かりでしょう? 酷評されていた手紙の内容が何であったかは存じ上げないしこの私にはまったく関係ないにせよ、馬鹿王子、ンン! いや失礼、プリンス・レオニールが自信満々に語っていらっしゃった専門家の鑑定結果とやらが―――――ほぼ確定でヘンスラー伯が書いた文章とかいう戯言がたった今“北の民”の証言により覆されたわけですから! 茶番茶番とは聞き飽きましたがさあこのおふざけの落とし前、いったいどうするおつも」
「盛り上がってるところ悪いけど鑑定結果は覆ってない―――――だって鑑定者は別人だからな。古語管理官のコメントについてはあくまで参考でしかないぞう」
そもそも鑑定に使用したのはリューリ・ベルが書いた最初の写し―――――ピクニック送迎のタイミングでお願いした方の一枚であって既にこちらの手元にはなく古語管理官はそちらを一度も目にしてないので無関係に決まってるじゃないの。気持ち良く喋っていたところに水を差された国賊伯爵の眉間に深い皺が寄る。こいつ正気か? 頭悪くない? みたいな周囲の目線の冷たさに一切頓着することなく私を睨んでくるところにヘイトの高さが窺えた。注意力が散漫だと思う。
おっと、視界の端っこでリューリ・ベルが二回目のおかわりで提供されたポップコーンバケツの中に入っていたらしいプレッツェルを嬉々としてごりごりもぐもぐしてるな。表情を見るに気に入ったらしい。やはり塩味。塩味はすべてのリューリ・ベルを満足させる。我ながら何を言っているのかちょっとわかんないですね―――――いや待って、待って、お待ちになって何アレ流石に存じ上げない。
「は? 何を言っている? 王子殿下ともあろう御方がなんと往生際の悪い………ふん、くだらない言い訳であれ、構わないから聞かせてみたまえ。しかし、しかしだ、プリンス・レオニール。貴様の言う鑑定者とやらがたとえそこの古語管理官でなかったとしても私にとっては同じこと、結果も同じだ。当然だろう?」
冒頭から今に至るまで芋虫よろしく縛られっぱなしの男はこの期に及んでも己の優位を疑わない。どうしてそんなに自信があるのか、どうしてそこまでご都合主義を信じられるのか分からない“王子様”はしかしそんなことより視界の端で捉えてしまった知らない展開の方が気になって一旦思考を放棄した。
気付いていないヘンスラー伯が、命知らずな啖呵を切る。
「さあ! ヴィッテルスバッハ大公子たるキルヒシュラーガー公を父に持つ、このヴィクトール・ヘンスラーに在らぬ罪を被せようとした大罪人の名を述べるがいい! 馬鹿王子の言葉に踊らされこのような茶番に手を貸した愚か者が何処の誰なのかをな!!!!!」
「黙れ、痴れ者。煩わしい」
命令とともに落とされたのは、重厚なステッキの一撃だった。ドン、と無骨に響いた音の前に聞こえた静かな声は、ミロスラーヴァ卿ほどの圧はないにせよ十分な風格を備えている。
発生源は当然部屋の中。私にとってはつい先刻まで視界の端っこでしかなかったそこへと緊張しながら顔を向ければ、そこには見慣れたリューリ・ベルと―――――老いた紳士が立っていた。
誰あろう、西方大公閣下、ルイトポルト・ヴィッテルスバッハが。
(ご登場の予定は組んでましたが出番のお時間まだでしたよね!?)
いや、ぐだぐださせ過ぎてタイムオーバーしたかこれ、と反省しきりの王子様、アドリブにはアドリブで応えねばなので脚本については修正しますけどそれにしたって時間は欲しいのでとりあえず場繋ぎ感覚であちら国賊席の狂乱をどうぞ。
「ホァッ!? ちっ、ちちちちち、父上ェ!? 何故、どうして貴方が此方にッ!?」」
「えッ、父上!? 父上の父上………ということはルイトポルト御爺様!?」
「重ねて黙れ、痴れ者ども」
ダン、と先程よりも強めにステッキの先が床を打つ。実の息子と孫に向けるには凍え過ぎた眼光で無感情に彼らを一瞥しつつ、何の情も含まれない声で老大公は吐き捨てた。
「弁えよ、西方一門の面汚しめが。己が血に誇りを持つのであれば、これ以上の醜態を晒すでない―――――何故、どうして、此処に居るかだと? 決まっていようが。理由はどうあれ愚かな者どもを野放しにした過ちを清算せずしてなんとする」
年齢的にはミロスラーヴァ卿よりいくらか若い筈なのに、見た目ではそうと分からないのは苦労の質か、病の名残か、それでも大公の重責を担うだけのことはある貫禄で、ルイトポルト・ヴィッテルスバッハは低く重たい声で語る。そこに含まれた嘲りは、きっと自身に向いていた。
「そのために足を運んだゆえな、今この瞬間に必要であれば喜んで証言しようとも―――――ああ、そうだ。例の稚拙な西方古語で書かれていたという手紙の写し、大恩ある“北”からの客人が記憶力を頼りに作成したというそれの鑑定をしたのは私だ。大罪人は一体誰かと喚いていたな、国賊が。答えてやろう。それは私だ。他でもないこの西方大公、ルイトポルト・ヴィッテルスバッハである」
「な………なんですと!? 何故です父上、どうして貴方がご自分の孫を売るような真似をなさるのです! いや、そもそもヴィクトールが書いた手紙かどうかなど貴方に分かる筈もないというのに、何故そのような非道なことを!!!」
「世迷言もここまで来るともう失笑さえ贅沢か………会ったことがなかろうが、それは大した問題ではない。なにしろ私の判断材料はヘンスラー伯などではなく、お前だからな、ヴィンセント」
「………は? 私?」
キルヒシュラーガー公爵が実父の言に首を傾げる。対する西方大公閣下は、そんな察しの悪い様を見て自嘲気味に口角を引き上げた。完璧なシルエットを描き出す品の良い正装に身を包み、さりげない装飾をあしらいながらも実用性に重点を置いた黒檀と銀のステッキを手に直立する姿は針に似ている。少々痩せてしまったような印象を受ける頬の曲線はしかし衰えを感じさせず、しっかりと見開かれた双眸はただただ冷徹に前を見据えて仄暗い光を灯していた。
「ヴィンセント。お前は昔から、勉強が得意な性質ではなかった。特に必修と義務付けられた西方古語との相性は最悪だったと言っていい。教師が手を替え品を替え、何度根気良く教え続けても同じところで躓いて、しまいにはそれを正しいものだと間違ったままに記憶した………最終的な及第点さえ情けをかけられていたというのに、思えばその頃からずっとお前は何も変わっていない。己の信じていたものが、中途半端に学んだそれが、もっともらしく修めた気になっていただけの無様な古語モドキでしかないと指摘されるまで気付かんとはな。嘆かわしい。ヘンスラー伯とやらのことは孫と認めておらんがな、我が子のことを思うのであればちゃんとした西方古語の教師をつけてやれば良かったものを―――――私が言えた義理ではないが、ああ、本当に、情けない」
不出来な身内を語る言葉には親としての悔恨がある。それ以上の憤怒に燃える声の温度はとにかく低く恐ろしく、聞く者の身体を底冷えさせた。
病に伏せって余命幾許、と囁かれていた筈の身体でルイトポルト卿は礼を執る。
「慙愧の念に堪えぬあまり礼を失しておりました、何卒お許し願いたい。国王陛下、並びに諸侯。ご挨拶が遅くなり申した。手前の愚息とその私生児が重大なる過失をおかしましたこと、西方大公家が長として伏してお詫び申し上げる。本来であれば速やかにこの首を差し出し贖うべきを、今日に至るまで遅らせたのはすべてこの身の不徳の致すところ―――――ルイトポルト・ヴィッテルスバッハ、臣下の責を果たすべく、畏れながら罷り越しました」
「ご無沙汰しております、ルイトポルト殿。再びお会い出来て光栄ですよ、安堵こそすれ貴殿を責める言葉を私は持ちません………本当に、ご無事で何よりです」
「左様、まずは貴殿のご回復を心よりお慶び申し上げる。しかしながら病み上がりには違いありますまい、ルイトポルト殿。どうかご無理はなさいますな。見届けるためではありますが、我らがこの場に赴いたのは貴殿のお力になりたいがゆえ。責める気持ちなどないのです」
「おお、ヘサーム殿にタイラン殿。気遣いまこと痛み入る………このような仕儀に立ち至り、まったく面目次第もない」
「それでも責を果たしに来たのはヴィッテルスバッハの矜持であろう。面を上げよ、ルイトポルト。なに、こちらも先達として骨を折ってやろうと思ったが、蓋を開ければ私の出る幕など半分もあったかどうか分からぬ。まったくもって可愛げのない後進どもに育ったものだ―――――よくぞ堪えたな。若造」
「御大には世話を掛けましたな」
「なんの。老婆心というやつよ」
呵々、と笑うミロスラーヴァ卿の恐ろしさ漂う雄々しさを、私を始めとする一同は観客席で見ていることしか出来ないというか軽率に突っ込んだり出来ない何この空気感。笑っていいところかどうか微妙に分かんないなコレ、と国王陛下の達観顔が個人的には少し笑えた。外野は呑気なものである。現実逃避しているともいう。
「何故………どうして父上が………」
「父上、父上! 呆けていないで御爺様にお声を掛けてください! お会いするのは初めてですが血の繋がった身内なのです、直に目を見て言葉を交わせば不毛な誤解などす………父上?」
「そんな筈はない、そんな筈は………偽物だ、そうに違いない、違う、だって、父上が、あのひとが、今更あんなふうに動けるはずが―――――」
「なんだ、私が死なずにいるのがそんなに不思議か。ヴィンセント」
なんてことでもないように、最近まで病に伏していたという西方大公閣下が言う。その顔に貼り付けられた微笑は年季の入った貴族の仮面だ。実の息子に向けるような親愛の情など微塵もない、どころかこれから叩き潰す羽虫に抱く気紛れな憐れみの類さえも一切含まれない無から来る笑み。
(あ、これとっくに第二幕だった)
誰よりも加速しているつもりでいつの間にか失速していたらしい。やはり大御所クラスには敵わないなと思う傍ら、己の台本が既に不要と悟って“私”は一歩下がる。土台は成した。場面も繋いだ。あとは“王子様”という役に徹して埋没すればいい。
ルイトポルト・ヴィッテルスバッハは今や舞台の中央で、登場するなり誰よりも主役として輝いていた。
「そうだろうな。お前には………お前たちには何も、なにひとつ、理解出来てはいないのだろうよ。何もかもが馬鹿げた茶番だ。しかしその茶番に付き合わされた方は堪ったものではない。ゆえに、償え。理解しろ。茶番は何処まで行っても茶番だ。血の繋がった実の父親に毒を盛った些末事も、公爵令嬢の誘拐未遂も、国家簒奪計画も、結果としてただの茶番に終わった―――――たったひとつのイレギュラーが未来を変えてくれたのだ。だから私は死なぬまま、こうして生き永らえている」
そしてたったひとりだけ、とんでもなく図太い神経で我関せずを貫いているイレギュラーの塊は、これまだ終わんないのかなあとでも言いたげな顔で黙々とプレッツェルを噛み砕いている。
書いても書いても終わらないどころか先に全然進めないのでちょっと分割して勢いに任せる力業で何とかするしかなくなるいつものヤツですお疲れ様です四万字も使ってわちゃつくんじゃないよと作者は自分で自分にキレたし消した文字数はもう忘れた。
そんな有様な本文を読み倒してこの後書きに辿り着いてくださった猛者各位、いつもお世話になっております。読んでくださって大感謝、適宜シャーッとして最後まで付き合ってくれた方にも同じく感謝、見捨てないでいてくれて本当にありがとうございます。なんとかゴールまで駆け抜けたい。
ところでこの先どう足掻いても嵩張る予感しかしない件。説明上手になりたいナァ!




