幕間 ある三白眼の独白と■■
過去一書くのに苦戦した結果大変ご無沙汰しております。
実験回です。ご注意ください。
『セス・ベッカロッシ』は侯爵家の第三子としてこの世に生を受けたものの、当の本人であるところの“俺”はおよそ貴族とは呼べないような雑っぽい振る舞いばかりを好んだ。
貴族。上流階級者。身分や家柄や血統に優れた尊い人間たちの群れ。
その“生き方”を、理解はしている。矜持の持ち合わせだってある―――――けれど、断じて、好みではなかった。肌に合っていなかったとも言う。個人の主観でしかないそれを他人に押し付けるつもりはないが、さして興味の惹かれないものに関心を向けることは難しい。長じたところでその認識は一切覆ることなどなく、むしろ自我が芽生えるにつれて悪化の一途を辿った気もする。
地位も財力も権力もそれに伴う責任も、貴い血を繋いでいく者としてかくあるべし、と周知されている大多数の見解を正しく認識した上で、しかしやはりその性質は貴族向きとは言い難いものだとの思いは日に日に増すばかりだった。
望まれる在り方と本質が、大多数の理想と性分が、自分自身というひとつの個とはどうしようもなく乖離している。それを不幸だとは思わない―――――親不孝ではあるかもしれない、と思ったことならあるけれど、だからと言って己を曲げて理想の“貴族”に成れる程、素直な子供でもなかったのだ。
折り合いをつける必要があった。割り切らないと立ち行かなかった。無意識下であれ意識的であれそういう模索を繰り返していた、いつかどこかのタイミング。
俺は、剣に興味を示した。
切っ掛けなんてものは覚えていない。だがなんとなく、昔から、身体を動かすことは好きだった―――――ただそれだけであったなら、別に剣に限定せずとも良かったものを、とは思う。例えば乗馬でも構わなかったし、それこそ狩猟に興じても良かった。健康的な生活を営む上で適度に身体を動かすことは貴賤を問わず推奨されていたし、趣味として公言したところでそのあたりなら誰も咎めなかっただろう。
けれども、選んだのは剣だったのだ。俺が選んで自分で決めた、熱中に値する何か。
しかしここでひとつ注意すべきことは、俺が選んだのはあくまでも『剣』という道具である、という事実である。
剣に興味を示しはしたが、断じて他大多数の人間たちと同じくそれを選んだ延長上にある『騎士』なる存在を目指しているわけではなかった。騎士道精神を見下すわけでも否定するわけでもないけれど、王家に仕える騎士を目指して志高く剣を選んだなんてエピソードを望まれても困る。
言ってしまえば俺はただ、身体を動かすのが好きだっただけだ。とりわけ『剣』という鋼の棒を振り回すのが性に合っていただけで、その先に何があるかなんてものは二の次でしかない些事だった。
ただ単純かつ極端な思考回路のガキだった―――――それだけだ、と今でも思う。やるからには全力で臨まねば気が済まず、生来負けず嫌いだったことも手伝って上達するのが早かった。
身体を動かすのが好きで、努力を厭わない性分で、才能に恵まれ吞み込みが早く、負けず嫌いで怠けもしない。そういう子供だったから、“貴族”で在るより向いていた。突き詰めてしまえば、ほんのそれだけ。
けれど多くの第三者は、それを情熱なのだと捉えた。他にはさして興味を示さず、理解を求めることもなく、心身ともに禁欲的に自身を鍛え続ける様は邪念がないからこそ真っ直ぐで、強さに貪欲なのもまた他人の目には眩しく映る。
幸いにもそれは好意的な意味で世間というものに受け入れられた。人は己の見たいものをいつだって眺めていたいらしい。否定はしない。分からないでもない感覚だとはかろうじて理解出来たから、敢えて否定したことはない。
だからだろうか。俺を知る大多数の人間は、『セス・ベッカロッシは将来優れた騎士になるであろう』と頭から信じて疑わない。そういう連中の思い込みを、わざわざ懇切丁寧に否定して正す義理もない―――――誰にも聞かれなかったから、流れに逆らいはしなかった。
それでよかったし、それがよかった。
煩わしくない。面倒臭くない。快適とまでは言えずとも、常に重く圧し掛かるような息苦しさが和らぐ生き方。それを実践した結果が今だ。己で選んで自ら歩んだ『セス・ベッカロッシ』の人生そのもの。過去と地続きの現実が示す自分自身の現在地。約束された未来へとただ真っ直ぐに伸びている、ゴールではない通過点。
思うところは、なにもない。
粗野で粗暴で貴族らしくない言動の数々が目に余る、およそ剣にしか興味がないけれどその磨き抜かれた強さにおいては誰にも文句を言わせない男。自分にも他人にも厳しくて、挑まれたとあらば一歩も引かず、己を曲げない独自の美学で我が道をひた走るような、騎士家系でも軍閥貴族でもないベッカロッシ候家に生まれ落ちた才能の塊じみた異端。強さ、という目には見えないものに人一倍以上こだわりのある孤高の存在―――――お綺麗にまとめられた評価の中で、泳がされている子供。なんだっていい。どうだっていい。
どうせ“今”をどう過ごしたところで既に大筋は決まっているのだ。それを逸脱しない限りはある程度の自由が保障される―――――本当の意味で謳歌出来る自由などそれこそ“貴族”には幻想だろう。どれほどこの目に映ったところで幻は幻でしかない。それくらいの分別は、流石の俺も持ち合わせていた。
その筈、だったのだけれど。
「なあ、“王国”の動物たちには警戒心ってモンがないのか?」
まったく色がないようで、不思議と鮮やかに響く音。呆れている、というよりも、危惧しているような声で彼女は言う。
一点だけを見詰める目には何の感情も窺えず、その横顔は精悍だったがどこか作り物じみていた。視線どころか意識さえ、もしかしたらこちらには向いていない―――――けれど、その問い掛けの体を成す言葉は他でもない“俺”へと投げられたもので、そうと分かる程度には付き合いのある仲だったから、ただ思うままに答えを返す。あまり深くは考えず、抑揚もなく淡々と。
「さあな。でもまァ、少なくとも―――――“北”の狩猟民族に狙われた経験はねえだろうよ」
だろうな、と短く呟いた白い塊はそこでようやく視線を上げて、同時に手元を動かした。彼女が平然と持ち上げたのは処理を終えた肉の塊で、つい先刻まで悠々と空を飛んでいたそれを仕留めた狩人は憐れむでもなくぽつりと言う。
「好奇心で聞くけどこの鳥さん、割と簡単に獲れるやつ?」
「王都近郊の山林ではまあ割とポピュラーな獲物ではある―――――つっても罠を使ったり地上や木の枝に留まってるところを弓やら銃やらで狙うのが主流で、リューリがさらっとやって見せた『飛んでる鳥に石ぶち当てて撃ち落とす』なんて芸当はよっぽど出来やしねえんだが」
そういう意味合いにおいてなら簡単に獲れる部類ではない、と重ねて強調してみたものの、実際簡単に鳥を仕留めた狩人は携帯用の浄水器に通した川の水で肉の塊を洗う作業に没頭していたために反応はまあなんとも鈍い。ぞんざいと言っても差し支えなかった。好奇心とやらで聞いてきた割には至極どうでもよさそうで、しかし会話に応じるように「ふうん」と気のない相槌を打つ程度の社交性らしきものはある。
適応力の高さについては言わずもがな、といったところだが、気になったことをそのまま正直に口にする気質は変わることなく、あまり興味の湧かないことには関心を示すことさえ稀で、本心を隠そうとしないどころかまったく自己を偽らない―――――“学園”の外で接したところでリューリ・ベルには変化などない。
何処に居ようが、誰と居ようが、きっと彼女は変わらない。そんな俺の確信が正しかったと証明されても別段心は晴れないが、新たな気付きや未知への遭遇には好奇心を擽られる。表にこそあまり出さないし、そういう教育を施された上でそういった生き方をしてきたけれど―――――大したモンだ、と感じ入ったものには素直な自分でいたかった。
「テメェがいつも手首に巻いてたこれ、てっきり民族的な装飾品の類かなんかと思ってたんだが………投石器とはな。気付かなかった」
称賛混じりにそう告げてから、観察のために借り受けていた彼女の得物を振り回す。動物の毛で編まれたと思しき細くても頑丈なロープに似たそれの使い方についてはこれといってレクチャーされていないが、今さっき持ち主が実践したことを真似れば近いことが出来る気がした。なお、コレを預かった際に使っても良いとの許可はきちんと取っているので無断使用には当たらない。
とりあえず手首を何度か回して握り込んでいた紐の両端のうち片方だけを手放せば、遠心力を乗せた小さな石があらぬ方向へと吹っ飛んでいく。とぽん、と間抜けな音が聞こえたが近くを流れる川の何処かで魚が跳ねでもしたのだろう―――――あっという間にあっさりと行方不明になってしまった石の所在を探す気にもなれない俺の鼓膜をリューリの無情な声が叩いた。
「下手だな」
「うるせえ」
「どんまい」
「ほっとけ」
ぶっきらぼうに吐き捨てたところで拗ねた態度は拭えない。初めて使用する道具を上手く使い熟せないのは当たり前だが、好奇心に負けてリューリから借りてしまった手前この結果はかなり不本意だった。
せめて狙った方向にくらい飛ばしてみたかったと思う―――――ドンマイ、とか適当極まる雑な慰めを投げてくる彼女には適度に雑な返しが出来るのに投石器ひとつまともに扱えない自分自身が許せない。
「リューリ。これ買い取っていいか。無理言って悪ィが譲ってほしい、代金はもちろん言い値で払う」
「この三白眼超大真面目に練習する気満々で笑う。ホントに負けず嫌いだなお前………うーん。でもそれ、私が自分用に作ったやつだからたぶん他人には扱い難いぞ? 初心者には尚更おすすめしない」
「一理あるな………あ? 待て。自分用に作ったっつった? 自作なのかよこの投石器」
「そうだぞ。私たち“北の民”にとってはそういうの必須技能だからな。狩った獲物の素材を加工して武器や道具をこしらえるのは小さい頃からやってたよ。気付いた時には自分で作ったおもちゃみたいな感覚で思いっ切り振り回して遊んでた―――――まあ、作るのが得意なやつがその扱いも上手いとは限らない、ってパターンがもちろんあるにはあるんだけども」
事も無げにそう語って聞かせるリューリ自身は間違いなく、道具作りもその扱いも達者な側だったに違いない―――――あの鳥はシンプルに丸焼きが美味い、と遥か頭上を飛び去ろうとしていた野鳥を指して雑談感覚でそうコメントする俺の隣で即座に足元の石を蹴り上げた彼女の動きに迷いはなかった。山道では特に珍しくもないありふれたそれを掴み取り紐状の道具を振り回し、狙い違わぬ投石で即座に獲物を撃ち落してみせた技量は達人の証明に足る。
無理だろ、なんて俺の口から言わせる暇も与えない、本当に見事な“狩り”だった。時間にして僅か十数秒の間に起きた出来事が鮮烈過ぎる。正直に白状してしまえば実に効率的な狩猟だったと舌を巻くより他になかった。駆け引きなど無く、スリルもなく、命の遣り取りにしては一方的で、驚く程に原始的かつシンプルにシンプルを極めた技は高度過ぎて―――――意味が分からん。
「つぅか冷静に思い返せば初手で石を蹴り上げたアレも割と意味分かんねえ芸当だったな………普通に足元にあった石を予備動作もなく真上に蹴って掴んで即投擲ってなんだお前、カッコいいじゃねえかよ」
「おっとストレートにカッコいいとか褒める三白眼珍しいじゃん―――――心配しなくてもこのお肉はちゃんとセスにも分けてやるからお世辞とか要らないぞ。安心してくれ。断じて独り占めにはしない」
「テメェは俺が鳥肉目当てで世辞言うと思ってんのかリューリ」
「ぶっちゃけ全然思ってないけど信じ難い現実に直面してつい」
「分からんでもないし俺でもそう思う」
「真顔で同意されるの笑う。適当か?」
「おう。通じるからつい」
「だから真顔の同意笑う」
でもまあそれはホントそう、とリューリは真顔で頷き返す。適当だった。本当に。特に深く考えもせず浮かぶ言葉を投げ合っているだけの関係性はひどく気楽で、会話そのものに中身などなくてもコミュニケーションは成立している。
そしてそうした雑談の最中にも彼女は作業の手を休めず、今は洗い終えた肉の表面の水分を丁寧に拭き取っていた。そのあと持ち込んだ塩と胡椒を豪快にぶっかけて揉み込んだ挙句そのあたりで採取した香草類を惜しみなく内側に投入していたがその点については敢えて触れない。味付けはしっかりしている方が好みだ、くらいの感覚である。食えればなんでも構わない―――――が、それはそれとして。
「そういや食堂のスタッフからなんかすげえ調味料もらった気ィする」
「なんかすげえ調味料ってなんかすごい雑にすごそうだけどなにそれ」
「知らん。とりあえず塗るタイプらしい」
「そうか。とりあえず大胆に塗っちゃえ」
俺が荷物から取り出した瓶の中身の液体を大して疑いも確認もせず、無防備ともいえる警戒心のなさでリューリはそれを塗り始める。持って来た料理用の刷毛を使って均一にむらなくまんべんなく、口にしたとおり大胆なまでにたっぷりと丁寧に塗り広げていくその行動に疑心の類などまるでない。食堂スタッフに寄せる全幅の信頼もさることながら、俺が嘘を吐いている可能性など微塵も考えていないのが手に取るようによく分かる―――――いいのかよ、そんなんで。
誰にともなく吐き捨てたくなった衝動は喉の奥で潰れた。代わりに、別の言葉がこぼれる。
「それある程度焼いてから二度塗りした方が美味いって話だぞ」
「なるほど焼いてから二度塗りなっておいそれ早く言え三白眼」
使い切る勢いで塗っちゃっただろ! と支柱にぶっ刺した肉の塊を手に吠えるリューリの顔立ちはむやみやたらに整っているが、俺の目には普通に食い意地の張った人間にしか見えなくて少し笑えた。二度塗り用の瓶を時間差で出したらあっという間に機嫌を直してならいいや、と切り替えるなり俺が用意した焚火の上に肉の塊を固定し始めるあたりも食欲優先でまったくブレない。
「ところでこのサイズのお肉丸焼きにするとなるとどう足掻いても時間がかかるな………そのへんの小動物適当に仕留めて炙っておやつにしてもいい? あれとか食用? ほら、あそこの枝にいるなんか小さくて茶色っぽいふわふわ」
「小腹を満たす感覚でそのへんの栗鼠食う気かリューリ………そんな食えるところの少ねえモンをわざわざ獲ってくるよりもローストビーフをたっぷり挟んだ採算度外視肉好き垂涎特製バゲットサンドがあるからそっちにしとけ」
「しれっと美味しそうなモン出すじゃん。すぐに食べられるサンドイッチをわざわざ用意しといてくれてありがとうお気遣いの三白眼」
「礼なら害虫騒動でクソ忙しい最中に日持ちしねえ食材の在庫処分も兼ねていろいろ作って持たせてくれた食堂スタッフに言ってやれ」
「食堂のおばちゃんたちありがとう………! ちなみにリスさんって美味しいの?」
「俺は食ったことがねぇから美味いかどうかは分からんが鳥肉より柔らかいらしい」
そんな当たり障りのないコメントを至極真面目に返しつつ、内心では小さくてふわふわした可愛らしい系の小動物を食用目線でしか見ていないリューリにすっかり感心する俺だ。
愛玩用として好まれる要素を持った生き物をマジでただの肉としか捉えていないその精神、過酷と評判の“北”の大地で他生物を狩って得た糧で生存競争を生き抜いてきた狩猟民族の判断基準がシンプルに『食えるかどうか』なのはある意味で真っ当だと思う―――――飛んでいた鳥を撃ち落とし、羽を毟って内臓を掻き出し余分な脂肪を取り去るという一連の下処理を当たり前のように熟していた時点でうっすらと予想はしていたが、彼女は糧となる命に真摯に向き合うことはあっても『生き物としてそのまま愛でる』という発想を持ち合わせていないらしい。世に言う愛玩の概念そのものが“北の民”には存在しないのだと言わんばかりの清々しさで、あっけらかんとこちらを見遣るリューリの表情は明るかった。
「なんだ、セスも食べたことないのか。せっかくだし挑戦してみるのもいいなあ、故郷じゃ見ない生き物だからどんな味がするのか気になる」
「食欲と好奇心の塊か? まあテメェが食いてぇっつぅなら止めねぇが持ち込んだ食いモンは他にもあるから俺はいいわ。ミートパイ食う」
「は? ずるくない? 私の分は?」
「普通にあるわ。ずるとかしねぇよ」
「それはそう。セスはずるとかしない。失言だった、普通にごめん」
「許した。そこまで気にせんでいい。安心しろちゃんと二人分ある」
「うん。抜かりのない三白眼ありがとう。それならリスさんはいいや、食糧不足でもない状況で不必要に命を取るのはよくない―――――見るからに食べるとこ少ないから本気でただの味見にしかならないっぽいしな、あのふわふわ」
「獲り過ぎ厳禁的な狩猟民族ルール遵守精神かと思ったら全然そんなことなくて笑った。テメェそれただ他にメシがあんなら食い出がなさそうな小動物の肉わざわざ狩らなくてもまあいいか、って物臭全開なだけじゃねぇかリューリ」
「それもあるけどお前が微妙に殺すの嫌がってるっぽいやつ無理して獲らなくてもいいかなって」
「別に嫌がってるわけじゃねぇけどもうそれでいいわ面倒臭ェ、ところでバゲットサンド食う?」
雑に転がる雑な会話を適当なノリで切り上げて、みっしりとローストビーフが詰まったバゲットサンドの包みを取り出す。ボリューム溢れるその一品を目にした彼女はもう完全に栗鼠にまつわるなんやかんやを綺麗さっぱり忘れたらしく、にこにこと緩んだ表情で炙り肉の薄切りを食んでいた。そんなリューリの単純さが、今の俺にはありがたい―――――如何せん、図星だったので。
興味本位の味見感覚で狩られる未来を免れた野生の小動物どもは食堂スタッフ各位の献身に心の底から感謝しろ、と心の中で唱えつつ、ぶっちゃけ誰よりも謝意を述べたいのは他でもない自分自身だったりする。見透かされた上に配慮までされては何というか立つ瀬がないので強引に誤魔化してしまったけれども、俺だって野生の栗鼠を獲って剥いて塩を振って焼いてワイルドにそのままむしゃむしゃ食ってたなんて報告は流石にしたくないのだ。
だって絶対面倒臭い。面倒臭ェに決まってンだろ面倒臭い気配しかしねぇだろ特にフローレンとその他女子。
これはほとんど確信に近いが、遠い北の果てに伝わる御伽噺から抜け出たような妖精じみた容貌の美形がふわふわの愛らしい小動物に石ぶち当てて殺した挙句に皮剥いで焼いて塩振って齧り始めたらお育ちのよろしいご令嬢方は高確率で卒倒する。パーティーなどで供される鳥の丸焼きには耐性があっても栗鼠の姿焼きは受け入れられない。
それはそうだろ、と思う反面、俺は納得していなかった。理解は出来ても同意はしかねる。
大前提として『リューリ・ベル』は最初から“狩猟民族”なのだ。むしろこういった在り方こそが彼女本来の姿に近い。それでも度を超した極寒地である辺境の“北”に居た頃と比べればあらゆる意味で温いだろうが、箱庭のような学園の中で“王国民”に混ざって過ごすよりよっぽどのびのびしている気がする。あくまでちっぽけな俺個人によるただの主観でしかないけれど―――――まあ、何にせよ、納得がいかない。
そんな思考に浸っていたのが落ち度というか、まあ油断だった。
「うーん………なんかしっくりこないな。三白眼、ちょっと聞いてもいい?」
唐突と言えば唐突に、横から声が飛んでくる。食事中に彼女の方から話し掛けてくるのは珍しい。だから反応が一拍遅れた。ひとりランチを楽しむ姿勢を常に崩さないリューリ・ベルが、自主的に俺に話し掛けてくるというイレギュラーに対応出来ず、脊髄反射の雑応答で態勢を整える暇もない。
例えるとすれば無防備な胴体に手痛い一撃を食らったような、そんな感覚に襲われながら、その真っ白い生き物の不思議そうな声を聞く。
「なあ、“王国民”にとっての“狩り”ってなんていうか、こんな感じなの?」
抽象的な問い掛けと、真っ直ぐに突き刺さる視線。ローストビーフをもっしゃもっしゃと堪能する合間に尋ねるリューリは存外真面目な顔をして、俺の答えを待っていた。
“学園”でなくとも、ふたりっきりでも、彼女の態度に変化はない。そんなものある筈がなかった。それでもそこに居る生き物は、俺がちゃんとした答えを返すと疑わない目で待っている。はぐらかされるだの謀られるだのそんな懸念など一切なく、気になったことを馬鹿正直に口にする気質もそのままに、気に入らないものは気に入らないと隠さない姿で堂々と。
俺が思うに、この生き物は―――――あまりにも、真っ直ぐ過ぎるのだ。
思考も立ち方も生き様さえも、直線的で曲がらずブレない。何処に居ようが誰と居ようが一貫して自己を保っている。付け入る隙がまるでない。人間としての強度が違う。抜き身の刃にも似ているくせにこれで言葉は通じるのだからつくづく不思議な感覚で、けれど嫌だと思ったことはただの一度たりともなかった。
だからだろうか。選ばなくても、言葉が勝手に浮かぶのは。
「俺の所感だが、たぶん、違ェよ」
「お前が言うなら違うんだろうな」
“王国”での狩りとはこういうもので、何も間違ってはいない。本来であれば“王国民”としての模範解答を提出しなければいけない場面で真逆の答えを吐いている。こんなもんだろ、とはぐらかすことも可能だった筈なのに、驚く程の馬鹿正直さで言葉は口を衝いて出た。後悔はまったくなかったけれど。
ただの“俺”の感想として大多数の人間が望むものとは違う台詞を吐き出したってリューリはこちらを咎めない。どういう意味かと聞くことさえなく、そうなんだろうな、みたいな態度で呑気にあっさりと受け入れていた。
落胆はない。怒りもない。雑談のノリで受け止めるだけのリューリに向けて、俺は言う。
「レジャーグッズ担いで軽食用意して近場の山でメシ食うだけのこれを“狩り”だなんてテメェに言えるかよ。少なくとも、俺は言いたくない。口が裂けても言えやしねぇ。そもそも貴族が嗜む“狩り”は正直なところただの遊びだ。日々の糧や貴重な素材を得ようと命懸けでやるモンじゃねえ。場所も獲物もお膳立てされた上で楽しむ娯楽の一種であって、感覚的にはスポーツに近い………ぶっちゃけついでに白状するが、上のお偉いさん方はテメェを適当に遊ばせておけば満足するだろうと思ってやがった。弓や猟銃が手元になければいくら狩猟民族と言えども狩りなんて出来ねぇだろ、ってな―――――実際は投石器と小石ひとつであっさり鳥仕留めて丸焼きにしてるんで見縊るにも限度があるわボケ浅慮過ぎて流石に引く、ってレベルの笑い話なんだが笑い事じゃねぇんでまず謝っとく。真面目にすまん」
「言いたいことはまあいろいろあるけどお前が謝ることじゃなくない? ていうか前にも別件で思ったんだけどこの“王国”の偉い人たちもしかしなくてもちょっとあれ?」
「ノーコメントで」
「察しちゃったな」
「敢えての黙秘」
「ある意味正直」
ミートパイ全部食べて良いから元気を思い出せ三白眼、と雑な慰めを寄越す程度には他者を気遣える白い生き物を横目に飄々と肩を竦めた俺は、ありがとよ、と小さく返して遠慮なくミートパイを独り占めした。真面目な話をしていたところで着地点は結局こうなる。真面目なんだか不真面目なんだか、気付いたときにはどうでもよかった。
俺と彼女の会話なんてものはほとんどが雑談でしかなく、中身などあってもなくてもいい。気にしない、気にならない、煩わしくない、面倒臭くない、感覚という曖昧なものの方向性がたぶん近い―――――自然体のまま生きているリューリに釣られてこちらも素が出る。
「俺だってテメェがちゃんとした“狩り”してるとこ拝んでみたかったよ」
愚痴を吐いても、気分は晴れない。お膳立てされて、調えられて、ああしろこうしろと指示された上で送り出されて此処に居る。どんな方便を並べたところで弁当持参のピクニックがいいところなこの現状で、彼女がこぼした願望ひとつさえこの国では碌に叶わない。
儘ならねぇな、と不快感を噛み潰したところでそんな俺の心境など知らないリューリは呆れた顔をするだけだったけれど。
「ええ………『ちゃんとした狩り』とか何言ってんだお前………こっちの人たちがどういう認識なのかはあんまり詳しくないけどさあ、私たち“北の民”の大多数にとっては生きていく上で必要不可欠な糧を調達する手段が“狩り”だぞ? 野生動物を仕留めて捌いて食材や物資を獲得する行為にちゃんとしてるもしてないもなくない? お前にはあっけなく思えたとしても大して労を割くことなく糧が手に入って腹が満たせるなら上々の成果だしそういう意味で私がやったのは誰がどう見てもちゃんとした“狩り”じゃん。そもそもセスの言う『ちゃんとした狩り』って具体的に何? どういうやつ?」
「ぱっと思い付いたのが逃げる側俺で追う側リューリの大自然活用型ガチ逃走バトルだけどこれ完全に“狩り”の意味が違ェわ」
「極めて雑に隠すことなく誤魔化してくるそういうところ図太くてホント嫌いじゃない。ところでお前が逃げる側でいいのか?」
「捕まえるまで終わらない系の遊びでテメェを逃げる側にしようモンなら一生終わらなくなるだろうがよ」
「さては一切負けを認める気がないなこの三白眼。終わらないのはちょっと困るので時間制限ありにしよ」
「やる気になってくれてるとこ悪ィが冷静に考えたら焚火放置して遊ぶのはちょっと」
「正論。今やることじゃない。遊ぶのは食事の後にしよう。他に暇潰しの候補ある?」
「ねぇなあ」
「だよなあ」
どうしたものか。手詰まりだ、と口にはしないままどちらともなく天を仰いで、焚火の爆ぜる音を聞く。このまま中身のない遣り取りで無為に時間を浪費していいならたぶんそれでもいいのだろう。俺はそれでも構わなかった。
けれども、それでは困るのだ、と宣うであろう連中が居る。無視出来ない声の大きさで、抗えない規模の存在感で、『お前がそんなことでは困る』と幻聴がなんとも喧しい。
五月蠅ェな、と思っても、あくまで思うだけだった。思うだけなら許される。禁じられもせず罰もない。胸中のそれをどうしたものかと悩んだところで答えは出ない。そんな意味のない無駄の果て。
「ないなら無いでしょうがない―――――で? セス。何がしたいんだ?」
それまでと変わらないノリで、リューリは俺にそう聞いた。暇潰しの候補が浮かばないから困ったものだと互いに黙った直後にぶん投げられたそれは、言葉通りの意味しかないのにやけに鋭くて答えに困る。なんとなく、で通じ合う雰囲気任せの意思疎通で楽をしてきたツケが回ってきたらしい。
用があるならさっさと言えよ、と何よりも雄弁に語り掛けてくる色素の薄い双眸は、遠い昔に何処かで目にした寒々しい冬の湖に似ていた。
「用があるのか話があるのかなんなのかまでは分かんないけど、とりあえず何かあるなら言えよ。今日のお前、なんかしっくりこない。なんかよく分からんけど微妙。どうした。何かあるなら聞くぞ」
「テメェも大概フワッとしてんな。なんかってなんだ」
「説明出来ない」
だから聞いてる、との言葉を最後に会話らしいものはぱったり途絶え、後には沈黙だけが残る。不思議と居心地の悪さはなかった。かといって言葉も浮かばない。
そうかよ、と返すのが今の俺には精々だった。フィーリングだけで喋っているようでそれなりに理性の持ち合わせがある生粋系の野生児を相手に何をどう切り出せばいいのか分からない―――――なんて、尻込む時点で逃げている。我ながらその事実が気に入らなくて、意地だけで口を開くに至った。
「お察しの通り、なんかはある。ただその何かを説明するのはこっちとしても難しい―――――違ェな。したくねぇだけだ」
するりと素直に滑った口が、要らない本音を吐いている。好みじゃない、向いてない、気が乗らないにも程がある―――――そんな愚痴をこぼしたところでどうにもならない状況なのに、この後に及んで足掻く自分の諦めの悪さは笑えもしない。
「正直なんもしたくねぇ。余計なことは抜きにしてテメェとピクニックしてりゃいいだけならもっと気楽だったんだ………まァ、なんだ。要するに、ぶっちゃけなんもしない方向でやり過ごせねぇかなと思ってたんだが」
「そうか。でもそれ無理だと思うぞ」
らしくない言い訳を並べてしまったと気付いたときにはもう遅かったが、それなりに気を遣った俺の台詞に対する彼女の返答は予想に反してまあ軽い。無理だと思う、ってなんだそれ。テメェどういう意味だよ白いの。
こちらの言い分を聞いた上で至極あっさり否定して、かといって追究する様子はなく、快も不快も示さない彼女に注ぐ俺の視線がほんのすこしだけ尖る。
「なんだそれ。どういう意味だ白いの」
「どうもこうもそのままの意味しかないぞ、三白眼」
聞かれたから、ただ答える。まさしくそんな声と態度で。
「だってセス、負けず嫌いじゃん。向いてなくても、好きじゃなくても、お前絶対逃げないだろ」
茶化しもせず、心底真面目に、本当に当たり前でしかないと思っているだけの口振りで、リューリは断言してみせる。根拠なんて何もないのに、彼女にとってはただそのひとつが真実なのだと言わんばかりに臆面もなく堂々と。
『セス・ベッカロッシ』との付き合いなんてさして長くもないくせに、“俺”という個人が気乗りしなくともやりたくなくても自らがそれを敗北であると捉えるような真似は絶対にする筈がないと確信に満ちた顔をして。
「やり過ごす、の方向性にも結構好みがあったりするだろ。お前自身が嫌がってても、例えば言わなきゃならない何かから逃げてなかったことにしておこうなんてきっとセスには出来ないよ。戦略的撤退は選べても敵前逃亡とかしそうにないじゃん。勝てるまで続ければ負けてない、なんてスタイルで我を通して来たやつがらしくないこと口走るくらい嫌なら別にいいけどさあ、それはそれで後々ちょっと引っ掛かったりしてイラッとしない? お気遣い出来て面倒見いいけど自分には厳しいからなお前。そんな思いするくらいなら、ぶっちゃけついでに言っちゃえよ。耳くらいなら貸してやるぞ。まあ聞き流すかもだけど」
無責任かつ軽やかに彼女は適当なことを言う。聞くだけ聞くがあとは知らん、とは自分勝手も甚だしいが、コイツらしいと言い換えてしまえば文句のひとつも浮かばなかった。
「テメェいいのかよ。そんなんで」
「いいだろ別に。こんなんで」
だって誰も困らない、とリューリはからから笑っている。例え自身がどうであろうが己も俺も困りはしないと他人事よろしく笑い飛ばして、何ひとつ気負う様を見せないフリーダムさを眺めているとこちらが抱える事情のすべてが何だか酷く馬鹿馬鹿しい。
そう考えたら、力が抜けた。
「ああ、そうかよ―――――いいなら、いいか」
言い聞かせるように呟いて、自然な動作で立ち上がる。山の中でもそれなりに視界の開けた平地には俺たち以外に誰も居ない。川の程近くに陣取ったのは水の確保が目的だったが、頭を冷やすにはちょうどいいかと開き直れば早かった。
「おう。リューリ。ちょっとツラ貸せ。石投げのコツ教えろや」
「え、なに? お前すんごい真面目な顔してそんなこと聞くの躊躇ってた系………? 負けず嫌いのガチ勢過ぎる。笑った。いいぞ、教えてやる」
度し難いものを目撃した顔から一転して愉快そうに口の端を持ち上げて立ち上がった彼女の髪が、淡く光を反射している。白いな、とぼんやり思った。雪景色には紛れるだろうが山の中だと浮いている。妖精さん、と形容されがちな容姿を裏切る言葉遣いでこちらに歩み寄ってくる姿はどこまでも人間じみているのに、その色合いはなにひとつとして俺の視界に溶け込まない。
「常識の範囲内で拍子抜けした」
「テメェは何を想定してたんだ」
「もっとなんていうか、こう………私もセスも困る感じのなんとも言い難いなにか?」
曖昧なものを口にしながら、じゃり、と土を踏み締めてリューリが俺の隣に立つ。そこまでの高さがないとはいえ、あと一歩でも足を踏み出せば川に落ちるという場所に。警戒心などまるでなかった。
手を伸ばせば普通に届く距離は掴むことも突き飛ばすことも容易に可能だというのに、彼女は肩肘を張らずのんびりとただ自然体でそこに在る。
「リューリ」
いつもの調子で声を掛けて、預かっていた紐状の道具を返却すべく差し出した。遠い遠い極北の地に生きて死んだ獣の素材を使って編まれた投石器は、俺なんかより元の持ち主の手にあってこそ相応しい。
当たり前のことを再確認して、投石器を受け取ったリューリの手首を明確な意図を以て掴む。がっしりと、固定するように、少々大袈裟に力を込めて。
「―――――貴女も私も困るなにか、というその表現は的を射ている」
真面目くさった表情で、『セス・ベッカロッシ』として切り出した。貴族の子弟としてかくあるべし、と刷り込まれながらも馴染めなかった俺自身は、それでも己に課された義務を投げ捨てるなんて真似が出来ない。
逃げるなんざまっぴらだ、と吹っ切れた脳が叫んでいる。
「うん?」
突然の事態に当然ながらリューリは戸惑った声を上げたが、しっかりと手首を掴んでいる手を振り払おうとはしなかった。代わりに何事かとこちらを見上げる透明な眼差しを受け止めて、他の誰でもない“俺”は感情を御した真顔で言う。
「リューリ・ベル嬢。不躾ながら単刀直入に申し上げる―――――テメェこのままこの王国で、俺と一緒に『夫婦』って括りで子供つくって暮らせるか白いの」
言葉にするとやっぱり陳腐で、クソほど馬鹿馬鹿しいと思った。
お前はなんだってそんなに書き難いんだと書いては消してを繰り返していたらいつまで経っても更新出来ない気配がしたのでとてもコンパクトな仕上がりに着地しました。
なんじゃこりゃ、と見捨てることなくこの後書きまでご覧いただきまことにありがとうございます。




