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23.それはそれとして突っ走る所存

大変ご無沙汰しております。

七万字近くなりました。なんなら超えたので削りました。

なんていうかもうすみません。


「さあ、お集まりの皆々様! 『理想の殿方コンテスト』、いよいよ本番戦でしてよ―――――けれども、それに相応しい大きな舞台を調えるための時間を少々頂戴したいの。先程からステージの外側で慌ただしく動き回っているスタッフ各位の姿が見えて? 彼らの仕事は確かですのでどうか心を楽にして、ごゆるりとお待ちくださいましね。そうお時間は取らせませんわ………とは言え、審査員席等を爆速で設営した時のような突貫作業では流石に賄えない大掛かりかつ本格的な舞台セットを用意しているのもまた事実。なので、先にこれからの展開についての説明をしてしまいましょう。つまりは理想の殿方コンテストの審査項目にして実地試験―――――を、行うために今からこの場にお洒落なレストランを建てます!!!」


なんて? みたいな観客席の困惑を置き去りにするマルガレーテ嬢のお顔の楽しそうなこと、彼女の言葉に呼応するよう大道具班の第一陣が闘技場の隅でこっそりと組み立てていた舞台セットの一部を抱えて堂々と中央部へ進み出る。そしてそんな彼らの先頭に立ってでっかい扉を肩に担ぎつつすたすた歩いていた私は、舞台セット設置ポイント付近で屯って唖然とこちらを見詰める参加者男子の集団に危ないぞとのんびり声を掛けた―――――ていうか、おい。


「おい。おーい、そこの参加者各位。審査員団のお嬢さん方がちゃんと誘導のための声掛けしてくれてるのに何をぼーっと突っ立ってんだよ危ないっつってんだろが移動してくれぶっちゃけそこ邪魔」

「じゃっ、邪魔とはなんだリューリ・ベル貴様美化委員長とかいう意味の分からんポジションの癖に参加者の我々に無礼な口を!!!」

「ハァイ! 突然だがここで王子様から突発クイズのお時間だ! ご覧の通り大道具班のお手伝いをしてくれているパワーが自慢のリューリ・ベルが軽々肩に担いでたりする重厚感漂うあの扉、製作担当の建築学科生が凝りに凝っちゃった関係で実はめちゃくちゃ重たいんだが本来はあれを運ぶのに『男子生徒が最低何人』必要か答えてもらおう私と目が合った幸運な参加者番号六番のキミ!」

「え。えっ!? そんなこと急に言われても………あ! ええと、殿下のおっしゃる『男子生徒』の所属学科はどちらでしょうか!?」

「よしよし合格いい感じだぞうよくぞそこに気が付いた! ちなみに男子生徒たちは全員剣術科生とする! 余談だが割と屈強な面子!!!」

「そういうことならいくら強靭な“狩猟の民”といえど女性のリューリ・ベル嬢が肩に担いで平然と歩ける程度の重さなので三人もいれば十分なのでは? どうです、流石に正解でしょう!?」

「はっはっはっはそう思うじゃん? 残念! 正解は最低五人だ!!! 扉のサイズが大きめな関係で最低でも五人掛かりでないと安全に持ち上げられなかったし安定して運べなかったんだよなあ―――――そういうわけで、参加者各位。その場を可及的速やかに離れて安全圏のこちらまで退避することをオススメしよう。安全には万全を期しているが、それでも『万が一』がないとは限らない世の中だからなあ」


危ないぞう、と爽やかな笑顔に淡白な避難勧告を混ぜた王子様が言い終わる頃には行動の遅い参加者たちがその場から一斉に駆け出したというかあれはたぶん“私”から逃げた。舞台の端に集まっていた主催及び審査員の皆さんのところ目掛けて五人の参加者が揃いも揃って全員仲良く全力疾走、どこか鬼気迫るその後ろ姿は誰がどう見ても逃亡の域だがそのあたりはまあどうでもいい。

危ない、との伝え方が雑だったせいか穏便に退いてもらえなかったのはこちらの落ち度になるだろうからそこのところは反省しつつ、しかし今日の王子様はさりげなくいい仕事をしている。イベント無双トップオブ馬鹿の話術にかかれば厄介なお花畑の連中の激情その他など無いも同然、有耶無耶のうちに相手を動かし自主的な退避を促す手腕はちょっとフローレン嬢にも似ていた。

いやまあ知性よりその場のノリでなんとかしてる感すごいけども。


「ふう。大道具班の活躍を間近で見たい、との好奇心を抑えきれない殿方たちはきっと普段から在りし日の童心を大切にしておいでなのね………と、そんな参加者の皆様の安全確保も済んだことですし、普段はあまり見られない現場作業員たちによる舞台設営を背景に、筆頭審査員を務めます私からいくつかアナウンスを………先程申し上げました通り、只今彼らが用意しているのは所謂『レストラン』の内装です。演劇用の舞台セットの応用、とでも言えば分かり易いかしら? あら、たかが演劇用セット、だなんて侮らない方がよろしくてよ。我が学園が誇る建築科生と芸術科生が本気を出した本文化祭用の“作品”なのですもの、仕上がりについての心配なんてするだけ無駄というものだわ。まさに理想の殿方を見極める場に相応しい―――――今回は、その疑似『レストラン』にて“本番”を想定した参加者の皆様の『エスコート』を拝見したく存じます!」


縦ロール嬢の宣言に、会場内が色めき立つ。てきぱきと無駄のない動きで作業を進める大道具班に注視していた観客たちの意識が向いた瞬間を見逃すことなどない王子様が、そのタイミングで畳み掛けるよう良く通る声を張り上げた。


「これぞまさしく本番戦、女性陣が気にするであろう人間性の測りどころ! 審査内容はエスコート―――――それは紳士の嗜みにして習得必須の対人スキル! これを卒なく熟せる人間は男女を問わず人気が高いのは言わずもがなといったところだがレストランの舞台セットまで用意して実地試験を催すと決めたレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーの本気度はこれまでと一線を画す熱意に裏打ちされていると見て間違いない!!!」

「一説によれば、『護衛の意味から転じてデート等の際に男性が女性を守るため、心地好く相手が過ごせるようにリードする』等のニュアンスで使われるようになったとも言われている言葉ですけれど………エスコート、と簡単に言葉ひとつで表そうとしても本当のところは難しいもの。時と場合と状況のみならず相手によっても異なるエスコートをその都度求められる以上、数式のように明確な正解などはありません………あるのは、ただの最適解。まさにエスコートされる側当人にとっての理想のみ―――――さて、コンテストを勝ち抜いてきた真なる五人の勇士の皆様は、どのような素晴らしいエスコートを私どもに披露してくださるのでしょうね?」


マルガレーテ嬢と実況解説の流れるような説明もといお上品な煽りを他人事感覚で聞き流しつつ、大道具班のお手伝いとして力仕事を担う私は案外充実した気分で肉体労働に勤しんでいる。重たいものを運ぶとかしっかり支えて固定する、みたいな単純作業にしか向かない自分が役に立つのかとは思ったが、闘技場には持ち込めない建設用の大型道具類と似たようなことを腕力ひとつでこなせる“北の民”は建築科の皆さんから歓迎された。


「おおすごい………なんて重さを感じさせない軽やかな歩調と涼しいお顔………!」

「剣術科生に悲鳴を上げさせた我らの力作『乙女レストランの守護ライオンちゃん』も北の大地の妖精さんにお姫様が如く運んでもらえて心なしかちょっと嬉しそう………!」

「お姫様って正気かアレどう見ても荷物運びっていうかなんか普通に小脇に抱え………えっ? 嘘でしょ片手? ライオンちゃん総重量何キロだっけ?」

「バッキャロウェイ彫像だとしても女の子の体重は部外秘じゃい! 荷物運びだろうが俵担ぎだろうが顔面偏差値伝説級の妖精さんに片手で軽々持ち歩かれてみろアタシなら全部どうでも良くなる―――――けれども同じフレームには入っちゃいけないんだ解釈違いだから」

「わかる。というか妖精さんもだけど殿下といいフローレン様といいベッカロッシ侯子といいキルヒシュラーガー公子といいあのあたりの方々の圧倒的な美に僕如きでは耐えきれない。生涯費やしても表現出来ない芸術に触れちゃったありがとう神よ!!!」

「そういや絵画専攻の先輩が『本物は! もっと! 神々しいッ!』ってキレ散らかしながら筆折ってたけどあの人締め切り間に合ったんかな」

「あれ? 絵画専攻の人なのに筆を折るっておかしくないか? それって確か『文筆活動を止める』って意味じゃなかったっけ?」

「お前妖精さんみたいなこと言う~。先輩の場合物理で絵筆を折った」

「物に当たるのはよろしくないけど気持ちは分かる~。俺でも折るわ」


現場は非常に和気藹々としながらも作業をする手は一切止まらない不思議空間と化しているが幻覚を見ている場合じゃないんで一部のスタッフさんたちは正気を取り戻してくれ。

これどこに置けばいいんだよ。あと『乙女レストランの守護ライオンちゃん』ってもしかしてそれ作品名か? この寝そべってるでっかい生き物の彫像そんなネーミングだったのっていうかその口振りだと今私たちが組み立ててるのが『乙女レストラン』ってことになるんだがそんな店名だったのこれ? 王都中央部のトレンドは知らんけど宿屋のチビちゃんが聞いたら最後名付け親のセンスが疑われそう、百歩譲っても雑の極みとコメント待ったなし案件。 

内心だけで怒涛の如くにそんなツッコミを走らせながら、現実の私は安全第一を信条にゆっくりとした足取りで移動していた。最初に持っていた扉は既に施工係さんたちに託していたので、今抱えているのは存在感のある動物を模した石の置物である。

つくったはいいけど運ぶ時のことをまったく考えていなかった、という扉といいこの彫像といい、私がひょいっと顔色ひとつ変えることなく持ち上げただけでものすごい喝采を浴びたので相当困っていたのだとは思うが制作者さんたちはもう少し後先を考えた方がいい。良い作品を完成させたい、という一心で己が仕事に取り組む姿勢は大変立派だし尊敬するが、その場の勢いで爆走しちゃった感が平素の王子様に匹敵しそうなのはまじで省みた方がいいレベル。

そして現場が粛々と『乙女レストラン』なる舞台セットを組み立てて調えている間にも、マルガレーテ嬢と主催の二人による説明タイムは続行中だ。


「レディ・フローレンから寄せられる期待値の高さを感じ取ったところでルール説明へと参りましょう。お聞き逃しのないように、皆様ご注意くださいまし―――――と言っても、ルールは単純明快。参加者の皆様には一人ずつ、こちらが用意した“お相手役”の方と疑似的なデートをしていただくだけ。レストランへの入店から食事を経て解散に至るまで、一連の流れを一発勝負の通しで行っていただきます。ね、シンプルで分かり易いでしょう? イベント性を鑑みて敢えて俗な表現をするなら『古今東西エスコート対決』と言い換えてもいいのですけれど………ただ漫然と同じ状況下で各参加者の差異を眺めるだけ、というのも芸、というか、華がありません。『理想の殿方』に相応しいのは臨機応変さを備えた御方、どのような状況下にあっても最適解を選び続ける知性と教養とバランス感覚を身に付けた人物が望ましい、と審査員の見解は一致しました。よって、それらを測るべく、かつ公平性を欠くことなく、名乗りを上げてくださった真なる勇士の方々に実力を発揮していただけるよう私どもは知恵を絞り………ひとつの天啓を得たのです。突然ですが、皆々様―――――運も実力のうち、という言葉を耳にしたことはありまして?」


え、と困惑一色に染まった周囲の反応なんのその、マルガレーテ嬢が指を鳴らせば審査員であるお嬢さん方がすすすすっと彼女の横に立つ。等間隔で並んだ三人が厳粛な様子で捧げ持っているのは正方形の箱だった。サイズは同じだが色が違うので横並びになるとカラフルである。どこから持って来たんですか? というツッコミは抱くだけ無駄に終わるので口外しない方がいいだろう―――――何処からともなく持って来たに決まってるだろ、で片が付くので。


「審査員番号一番から三番の彼女たちが持っている箱にご注目ください。一番の赤い箱にはお相手役の方が『婚約者』なのかそうでない別の間柄なのかが記された紙が入っています。次いで二番が持つ青い箱、こちらはお相手方の立場、『公爵令嬢』や『男爵家庶子』や『商家の跡取り』といった女性側の情報を記した紙が。そして最後に三番、黄色の箱の中に入っているのが―――――参加者の方に実演していただく『理想の殿方』のバックグラウンド等についてでしてよ」

「ん?」

「んん?」

「申し訳ありません、キルヒシュラーガー様。黄色い箱について、今、なんと?」

「なんか、あの………参加者の………僕たち? のバックグラウンド云々って聞こえたような言ってたような………?」

「理想の殿方のバックグラウンドがどうこうって俺もそう聞こえた………」


乙女レストラン建設現場、守護ライオンちゃんなる置物を玄関横にセッティングされた台座に下ろして角度調整をしている私の視界の端で、不穏な気配を察知したのか顔を引き攣らせた参加者たちが恐る恐るといった様子でマルガレーテ嬢に質問している。きっちり気合も十分に巻かれた縦ロールをぶわっと優雅に手で払いつつ、彼女は強気に微笑んだ。


「あら、皆様どうなさいまして? そんなに心配なさらなくともあなた方の聴覚は正常でしてよ。私は確かにたった今、あちらの黄色い箱の中には参加者の皆様に実演していただく『理想の殿方』についてのバックグラウンドを記した紙が入っていると申し上げました………なにかしら、その呆けたお顔は。驚くことがありまして? 考えるまでもなく当然でしょう? だって、当コンテストにおいては参加者の持つ身分や家柄など何の意味もないのですもの。己の“個”だけで覇を競っていただくべく番号呼びで統一します、と最初に明言した通り、参加者の皆様はただの一個人としてこの場に立っていらっしゃる―――――けれども、ある程度の『設定』がないと本領を発揮出来ない方も中にはいるのではないか、との意見もありましたので念のため………『伯爵家三男』、『伯爵家次男』、『侯爵家縁者の子爵家次男』、『伯爵家から養子に出された次期男爵家当主候補』、『分家筋の従弟に跡目の座を奪われるかもしれないと噂の伯爵家嫡男』の五種類を用意しておきました」


後半やたらと具体的、と思った人の直感は正しい。

今回の私は運営側なので諸々の裏側を知っている。勘の鋭い観客たちも、もしかしたら五人の参加者たちも、とっくにお気付きかもしれないが―――――ぶっちゃけ他でもない参加者本人の情報が書いてあるだけだ。あの黄色い箱に関しては本人に合致する情報が飛び出すものだと決まっている。要約するとただの仕込みである。

ピンポイント過ぎるその内容に、運営側の真意はさておき花畑もとい参加者たちも自分たちのことだと気付いたのだろう。一体どういうつもりなのか、と探るような目を向けてくる花畑五人衆に気が付いたのか、マルガレーテ嬢は上機嫌に口の端を持ち上げて見せた。


「皆様には今から順番に………そうねえ、持ち点が多い方から順に、くじ引きをしていただきます。もちろんあちらの三色の箱からそれぞれ一人一枚ずつ、合計三枚を自分で引いて、その『設定』を踏まえた上で本番審査と参りましょう―――――さあ、運も実力のうち。皆様が自身の実力を遺憾なく発揮出来る『設定』を引き当てられることをお祈りしますわ。例え意に沿わぬ結果であっても、その逆境を苦もなく跳ね除ける機転の利く殿方であったなら………『理想』にはあと一歩届かずとも、そのような優秀な人材となら是非ともお近付きになりたいものねえ。そうは思わなくて? レディ・フローレン」

「ええ、それは私もそう思いましてよ。レディ・マルガレーテ」


おほほほほ、と優雅に交わされる公爵令嬢同士の上品な遣り取りにより奮起する参加者たちが視界の端っこに見えるけれどもお前ら全員お嬢様方の掌の上だって自覚を持てよ。他の誰でもない“お前たち自身”を審査した上で今日殺す、という女性陣の真意を汲み取れない時点で彼らの未来とやらは暗い。


「ああ、そうそう。お伝えし忘れていましたけれども、エスコート対決の際には我々審査員団とは別に多角的な視点からの評価をお願いすべく特別アドバイザーをお招きしております。言わばシークレット・ゲストですわね。何処のどなたかはまだ明かせませんが、個人的にとてもとても信を置いている方なので是非ともご参加いただきたくて………少々、無茶を通しましたわ。だって我々が見極めようとしているのは『理想』とされるただ一人の殿方―――――もしかしたら、私の将来の伴侶にも関わってくるかもしれないとなれば、ええ。熱も入ろうというものでしょう?」

「そうですわねえ、レディ・マルガレーテ。かのお方のご慧眼には私とて頭が下がりますもの。殿下ともども主催として打診してみたはいいものの、実はご承諾いただけるだなんて夢にも思っていませんでしたから大変ありがたいことです………すべては西の大公孫たる貴女のご尽力の賜物と、畏敬の念に絶えませんわ」

「まあ、レディ・フローレンったら。買い被りが過ぎましてよ」


おほほほほ、とお淑やかに笑い合っているお嬢様方がしれっと重要情報を投げたがそれを拾った参加者の一部の目の色が明らかに変わった。彼女たちが話題に挙げた特別アドバイザーなる人物が誰かを大まかに推察したのだろう。


「まさか………“西の大公”閣下が直々にお出ましになるというのか………?」


呆然から一転、野心的な目をマルガレーテ嬢に向けて何事かを呟いた某参加者の一人が口にした台詞の内容については聞こえたところでノーコメントである。洞察力が鋭いのか想像力が豊かなのかの答えが分かるのはまだ先のことなのでひとまずは放置するしかない。

察しているかどうかはさておき、理想の殿方としての栄冠はたった一人しか手に出来ないけれども彼女らの出す条件の下で上手いこと高評価を叩き出したらお近付きになれる流れだコレ、と無駄なやる気が漲っている花畑思考の五人衆が、持ち点の多さで呼ばれた順に審査員のお嬢さん方が持つ箱から己の設定を選んでいくのを“王子様”は笑顔で見守っていた。

そうして全員がくじ引きを終えて各々の設定が決まったところで声高らかに彼は言う。朗々とした語り口で、この上もなく楽し気に。


「己の立ち位置、相手の立場、互いの思惑に背景事情。マニュアルのない現実において選択肢はまさに星の数。教本通りの対応が間違っているとは言わないが、臨機応変さを求められる場面では地力と機転が物を言う―――――だなんて、それらしい言葉を羅列したところで時間の無駄だし盛り上がらないから難しく考える必要はない! 細かいことはどうでもいい! 理屈の類は後回し! 『理想の殿方』としての“自分”を衆目の前で実演し、万全のエスコートを披露する! 言ってしまえばただそれだけだ! シンプル! だからこそ奥が深い! たった今引いたくじ引きの設定が参加者の明暗をどう分けるのか!? さあて諸君、自分がエスコートする相手の情報と己のバックボーンその他はきちんと頭に入っているな? 人生とは選択の連続だ! 早速だが実感してもらおう………衣装係! 持って来ちゃって―――――!!!」


ぱんぱん、とリズミカルに、踊りの最中の手拍子じみた陽気さで手を打ち鳴らした王子様の合図に応えてその場に滑り込んで来たのは衣装係を拝命したボランティアスタッフさんたちである。全員既に臨戦態勢、採寸用の道具と裁縫セットでフル武装した彼らの眼圧は参加者各位をたじろがせるのに十分だったが進行役のトップオブ馬鹿はそんなことには頓着しない。


「紹介しよう、こちらに集うは我が学園が誇る被服専攻縫製部門の精鋭たち! 衣服のお直しはお手の物、リメイクにだって即対応、サイズの合わない既製品だろうが彼らにかかればオーダーメイドもかくやの仕上がりなフィット感! 本日はこのコンテストで参加者たちが着用する貸衣装を多数引っ提げての登場だ! 格式お高めのレストランにはドレスコードが欠かせない―――――場所と状況に相応しく、何より自分に似合った衣装を選ぶセンスが試される! 彼らは参加者たちのオーダーを可能な限り叶えてくれるだろう! ただし! 用意した貸衣装にはもちろんのこと限りがあるし、デザインは気に入ってもサイズが合わなければお直しにいくらかの時間を要する! 限られた準備時間の中でどこまで身形を整えられるかは参加者諸君の判断力と各自の美的感覚次第だ!」


勢いで喋ることにかけては右に出る者はいない王子様、事態を飲み込みかねている参加者たちと観客多数を置き去りにしてトップスピードのまま言葉が走る。淀まず、どもらず、噛みもせず、完全にノリにのっていた。


「しかし衣装だけが一級品でもヘアセットがぞんざいでは意味がない。せっかく誂えた一張羅も浮かばれないというものだ―――――そこで今回は頭髪を扱うプロフェッショナルたちも呼んでおいた! 諸君らが髪型をオーダーすれば、彼らは手早く的確にその期待に応えてくれるだろう! ただし! ヘアセット隊の面々は参加者たちからの注文を無心で実行するだけなので、実現可能な範囲内でちゃんとしっかり指定しないと想像した仕上がりにはならないと思え! 当たり前だが無理なものはどう足掻いても無理だと言われて終わるので各自そのつもりでいるように」


最後突然真顔になって釘を刺すのはなんでなんだよ。温度差の激しさに慣れてきたとはいえちょっと疲れるので控えて欲しい。そのテンションに付き合って平常心を保っていられるのはフローレン嬢くらいのものだと自覚して自重しろ王子様。


「レオニールに自重とか絶対ェ無理だろ」

「だよなー。あれ? 今の口に出てた?」

「出てた」

「まじか」

「気がした」

「なんて?」


どっちなんだよ三白眼、という目で見上げた警備主任の横顔はまあ相変わらずの凶悪さだったが真っ当に職務に忠実なセスはこちらの方を見もしない。視線は正面に向けたまま、一定の速度で台車を押す私に並走しながら注意深く周囲を観察している。

そんな様子だから本気なのか冗談なのかは読み取れなかった。いやまあ冗談だろうけども―――――雑談感覚で気の抜けた遣り取りに応じる程度には余裕なんだろう。警備の要としてあちこちに指示を出し続けていたポジションからちょっと離れた関係か、先程までと比べれば若干の気楽さが窺えた。


「そして忘れてはいけないのは、何と言ってもプレゼント―――――そう! 小粋な贈り物! どのような品を、どのタイミングで、どう渡すかといったところも審査員的には気になるところ! なお、贈り物の口実やシチュエーションの設定については各々の自由にして構わない………が、実際に“プレゼント”として使用出来るアイテムは運営側が用意した品の中から選んでもらうことになるのでそこのところは注意してくれ。そして気になる“プレゼント”が―――――たった今到着したこちらァ!」


移動距離はとても短いもので、大道具班のお手伝いを終えて次の雑用をこなす私が台車と共に到着するなり王子様の説明台詞がベストなタイミングで飛んでくる。司会進行に注目していたすべての視線という視線が、瞬間的に台車を押している私の方へと向けられた。

そして上がる男の怒号。憤りが籠ったそれはもはや怨念交じりの悲鳴に近い。


「だぁぁあぁぁぁっからなんで事ある毎に視界に入るんだリューリ・ベルゥゥゥゥ!」


「まあ、なあに? 今の音。野獣でも紛れ込んでしまったかしら?」

「いいえ、レディ・マルガレーテ。今のはおそらく人の声でしてよ」

「あら、嫌だ。そうでしたのね、レディ・フローレン。私ったらとんだ勘違いを………お恥ずかしいわ。それにしても、今の、人の声ですの? 思わず品性を疑うような耳障りな吠え声でしたけれども」

「ええ、貴女がそう感じたのも無理はなくてよ、レディ・マルガレーテ。だって私も同意見ですもの………そちらの殿方? 事ある毎に場の進行を妨げるような横槍は殿下のご機嫌を損ねましてよ?」

「そうねえ、レディ・フローレン。私としても度を超すような勇ましい態度の殿方にいい印象は抱けませんもの。主催のレオニール殿下とて、お心は大体同じではなくて?」


よっぽど“私”の存在が目障りらしい参加者の一人が吠えた直後にツートップお嬢様が遠慮容赦なく速やかに迎撃してくれた。うるせぇ黙れ、をお嬢様風に包んで伝えるとこういう感じになるらしい。

思わず吠えてしまったらしい男子が即座に口を噤み、勢いに続こうとしていたらしい他の参加者連中もまた慌てた様子で押し黙る。そんな彼らに相対するマルガレーテ嬢は不愉快であるとの胸中を隠そうともしていない様子だが、フローレン嬢の方はまだ表情を取り繕っていた。

そんな高貴なお嬢様方の視線を受け止めた王子様は、やたらと真面目くさって言う。


「リューリ・ベルを『動かす』以上、話の腰を折られることはある程度想定していたが、こうも学ばず懲りない様子だと流石に興が削がれるなあ―――――すまないが真面目な話をしよう。参加者諸君、驚き過ぎだ。というか、正直に言ってしまえば君たちは『リューリ・ベル』への拒否反応が些か過剰………を、通り越してもはや異常の域だと思う。いいか? ようく考えてくれ。彼女は運営スタッフの一員として美化委員長を務めたり舞台セット設営を手伝ったりしているだけだ。今もただ、見ての通り、コンテスト本番のエスコート審査に使うアイテム一式を纏めて台車でこの場所にまで運搬しただけに過ぎない。よって当然、君たちへの害意も敵意も悪意もない。これは嘘でも誇張でもなく、純然たるただの事実だぞう? だって、極端に言ってしまえば『リューリ・ベル』は諸君らに興味が無い―――――あるわけないだろう。食べ物でもないのに」


言った。真顔で言い切った。まさに断言というやつである。

確信に満ちているからこその風格と威厳に溢れた物言いはまさに為政者に相応しく、口にした内容はともかくとして“王子様”らしい容姿と相俟って説得力が尋常ではない。

それは本当にそう、と私が心の中で肯定するのと、でしょうね、とギャラリー他この場に居たほとんどの人々の心の声が唱和するのは同じだったろう。

少なくとも目に見える範囲内で王子様の言葉を否定するような表情の者は見当たらず、私に吠えた某参加者男子でさえ「確かに」とか真顔で呟いていた。遅い。そしてあまりにも察しが悪い。

会場内の見解をさっくりとひとつにまとめたところで王子様は頷いた。ゆっくりとした動作は鷹揚だったが少し険しい眼光で、参加者たちを真っ直ぐ見据えて仰々しい面持ちで彼は告げる。


「主催として、同時に司会進行を担う責任者として言わせてもらうが………お前たち、いい加減、この『運営スタッフ』に慣れなさい。リューリ・ベルはこのコンテストにおいて一切不要な口出しをしない―――――なので、何故か必要以上に不信感を募らせているらしい参加者諸君も彼女の存在にいちいち不必要な口を挟むな話の腰をぼっきり折るな本音を言うなら事ある毎に噛み付かれてたら進行が滞ってしょうがないじゃん興醒めでしょうが仮にも『理想の殿方』ですって名乗りを上げたなら大前提としてそう見えるように振る舞いなさいよせめてその場の空気を読んでスマートに流すくらいの気概は標準装備枠で搭載しておけあんまりにもツマンナイことされちゃうと連帯責任で全員一律減点とかしたくなっちゃうだろうが―――――ッ!!!」


途中までは真面目だったのに後半はいつものテンションだった。むしろいつもよりキレてる感ある。フローレン嬢の残念なものを見る眼差しが物悲しい―――――それはさておき、“王子様”という肩書き持ちにしてはあまりにも俗っぽい心からの叫びはしかし切実だったからこそあちらこちらの胸を打つ。

打つか? 大丈夫か王国民。

王子様の主張に賛同を示して歓声と拍手で爆発しているコンテスト会場内の空気はもう完全にエンタメを愛するトップオブ馬鹿の味方である。


「妖精さんへの御託はいいから黙って聞けー! 進まないだろ!!!」

「殿下の邪魔すんなー! しつけえんだよ!!!」

「リューリ・ベル嬢にいちいち突っ掛かかるだなんて底の浅さが知れましてよ!!!」

「理想の殿方を拝見したいのに器の小さい参加者なんてお呼びじゃありませんわ!!!」

「些事にかまけずコンテストそのものに集中してくださいませんこと!?」


野次がすごい。そして参加者たちへの風当たりとアウェイ感が強い。ご立腹らしいギャラリー席に怖気付く花畑の民を庇うよう、王子様がすっと手を真上に伸ばせばあっという間に場が鎮まる―――――ってフローレン嬢みたいな芸当お前にも出来たのかよ王子様。


「失礼、主催にあるまじき暴言を他でもない“王子様”が溢したせいで不必要に場を荒らしてしまった。謝罪しよう、大変申し訳ない。このコンテストに参加してくれた者に対して言葉が過ぎた。今の流れに不快感を抱いた者もいたことだろう。何の言い訳にもならないが、熱が入り過ぎてしまったという自覚がある。重ねて述べるが申し訳ない。すべて“私”の責任だ―――――正式な謝罪その他については後日改めて行うとして、今は参加者各位への不名誉な認識を払拭すべくコンテスト本番に臨む準備を進めたいと思うのだが構わないだろうか」

「アッ、ハイ大丈夫です」

「進めてください進めてください」

「話の腰折ってすいませんでしたリューリ・ベル………嬢についてはもう大丈夫ですもう何も言いませんハイ」

「どうぞ殿下お話の方存分に続けていただいてああああああああフローレン様の視線が過去かつてなく鋭くて冷たいぃぃぃぃぃぃぃ」

「お願いします早く進めてください殿下は何も悪くありませんのでどうかご説明の続きを聞かせてくださいお願いします何でしたっけアッそうだプレゼントのお話されてましたよね!?」


滞っていたコンテスト進行をなんとかしようと口々に囀り出す参加者連中の必死さがすごい。ぶち切れした王子様の全員一律連帯責任で減点してやろうか発言に肝を冷やしたのかもしれないが、イベント大好き有能系馬鹿はイベントを全力で楽しむためなら割と何でもやってのけるので私なんぞに注意を払うよりあちらを警戒すべきだと思う。


「は。茶番」


アホくせぇ、と表情ひとつ変えないままに小さな声で吐き捨てるセスはもしかしなくても器用だが、殊勝な態度から秒どころか瞬でただの馬鹿に戻って喋り出す王子様はもっとすごい。器用を通り越して奇妙なレベルで精神が多層構造過ぎる。


「ありがとう協力的な参加者たち! 諸君らの懐深さに感謝を! それでは、そんな彼らに選んでもらうエスコート対決用プレゼントのラインアップを紹介しよう! リューリ・ベル、ボックスを開けてくれ―――――なお、観客席からだと現物は流石に見えないだろうから、ギャラリー各位は各所に設置したイラスト付きのパネルでチェック!」


司会進行の陽気な主催者に戻った彼は無敵だった。言われるがままに台車の上に載せた大きな箱の蓋を決められたとおりの手順で開けて、私は所定の位置に立つ。箱を挟んだ反対側にはさりげなくセスが進み出た。

近くに寄ってよく見るように、と促された参加者集団がおっかなびっくり寄って来た先で、ボックスの中に収納されていた“プレゼント”の数々に息を飲む。


「首飾り耳飾り髪飾り、腕輪に指輪にブローチ等………贈り物として人気が高い装飾品系統はもちろんのこと、この場には持って来てこそいないが花やお菓子やその他小物もきちんと取り揃えている。むしろ張り切って用意し過ぎちゃったからアクセサリーにしろお花にしろ種類がいっぱいあるんだよなあ選ぶ楽しみ無限大だぞうテンション上がっちゃうったらない! そして驚くことなかれ、そちらに用意した“プレゼント”だがなんと筆頭審査員であるレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーの私物も混ざっていたりする!!!」

「ハァ!?」

「こここここ、公爵令嬢の私物がこの中に!?」

「と、いうことは………ここにある品の中には最上級の宝石を一流ブランドが仕立てたような高位貴族御用達アクセサリーが………?」

「エッ………でもこれ全部似たような煌めきでバリバリ高そうなんですけど………?」

「見極めろってことかこの中からよォ………!」


興奮したあとで冷静になってドン引き気味になっている参加者たちの気持ちはちょっと分かる。宝石とかいうお高い石の価値は私にはよく分からないが、マルガレーテ嬢の私物の中では比較的リーズナブルな指輪ひとつでも食堂数日間貸し切りにしてとても素敵な食材のランチが浴びる程食べられる価格になるらしいので怖い。なんかもう純粋に怖い。何が一番怖いって―――――その良さが、価値が、まったくと言っていい程に自分には理解出来ない事実に腹の底からぞっとする。


「そう、リューリ・ベルにセスという物々しい布陣にこちらの品を運んでもらった一番の理由はそこにある。というか最早言うまでもないだろうが敢えて言おう、盗難対策だ! “北の民”に“剣術科首席”、力こそパワーを体現するフェアリーと剣術科の頂点に君臨し続ける負けず嫌いの一番絞り―――――聞くまでもないと思うけど、学園物理ツートップと名高いこの二人の目の前で盗みに手を染める輩とかいる?」

「無理です」

「ないです」

「どう見てもガチ」

「圧倒的な暴と力」

「過剰戦力では?」


そんな声が参加者各位から寄せられたけれどもマルガレーテ嬢の私物の安全確保のためなら最適解、と最終的には納得の眼差しで突っ立っているだけの私たちを見ていた。観客席も同様である。万全を期すなら学園の教師陣に頼めばいいじゃん、という正論を誰一人言い出さないのが謎だ―――――単純な腕力とネームバリューだけで抑止力足り得る私たちの方が動かしやすいしいろいろお手軽、というのが王子様の主張だったが、この様子から察するに的外れではなかったらしい。


「はっはっは! 公爵令嬢の私物ともなると笑い事では済まされないレベルの品が紛れている可能性があるので扱いはくれぐれも慎重にな! 盗難や紛失はもちろんのこと、小傷の一つでも付けようものなら指の一本圧し折られるくらいの気持ちでいないと後悔するぞう―――――ところで、諸君。よく見てもらえば分かることだが、今回用意したアクセサリー類にはひとつとして同じものが無い。あしらわれている石の種類は同じでもデザインが違う。サイズが違う。印象が、雰囲気が、バランスが違う。同じものが無い、ということは、つまり誰かが選んでしまえば他の者はその品を使えないということだ」


王子様は静かに言葉を紡ぐ。聞き逃すまいとしている参加者たちがその言葉の意味を理解するより早く、鋭く、容赦なく、彼は続きを流し込んだ。


「花束を贈りたいと思うなら色と種類を指定してくれれば時間までに用意しよう。菓子類を渡したい場合も同じだ、指定があればそれを用意しよう。但し! アクセサリー類と小物類は用意した数に限りがある! なので、もしも選んだ“プレゼント”が他の参加者の希望と被ったら喧嘩にならないよう譲り合って紳士的に解決してくれたまえ! そういうわけで大道具係が舞台セットの最終調整をしている間にプレゼント勝ち取って衣装選んで着替えて髪型整えるまで頑張ってタイムトライアルと洒落込んでもらおう制限時間は二十分! 何度も言うが時間は有限! 説明は以上! 準備はいいな? よーい! 始めェ!」


ぶん投げやがった、とのセスの呟きはライバルたちに先んじて良い贈り物を手に入れようとする参加者たちの雄叫びに掻き消されてしまう。高価そうな装飾品を求めて伸ばされる手は競争相手を出し抜くことしか考えていない。どいつもこいつも王子様の忠告など頭からすっぽり抜け落ちている。

いきなり争奪戦の様相を呈したこの状況で紳士的な解決など望めない―――――私は主催陣営から聞かされていた当初の予定どおり、伸ばされる手が届く前にプレゼントの入った箱の蓋を速度重視でとにかく閉めた。

ばあん! と結構な音がしたが、マルガレーテ嬢曰く特注品の箱なので多少乱暴に開け閉めしたところで本体も中身も大丈夫らしい。


「力任せの早業だったのに原型保ってんのすげえなコレ」

「スピード勝負だったからそこまでの力は込めてないぞ」

「本気出すとどうなる」

「とりあえずこうなる」


雑談のノリでセスが手渡してきた煉瓦ブロックを受け取って、蓋を閉めた際に発生した音と風圧に固まっていた集団に見えるよう突き付ける。

軽めに力を込めればめきっと罅が、次いでばきゃっと砕けて崩れ、構わず握り込むことでごりごりみしみしあっという間に掌の中で砂粒を通り越して粉状になった真新しい煉瓦の残骸からは流石にもう何の音もしない。

誰かがうわ、と慄いた。建築用の頑丈な煉瓦を素手で握り潰して粉にするなんてパフォーマンスを目にしたらまあそうなるだろう。初見はほぼ確定でビビる、と予想したセスの言葉は正しい―――――だからこそ、牽制に向いている。

しーん、といつの間にか静まり返っていた広い闘技場の真っ只中に、淡々とした警備主任の声が響いた。


「参加者各位に運営本部からの注意事項を通達する………『プレゼントこと貴重品の扱いはくれぐれも丁重にお願いしたい。再三伝えているとは思うが、なにせ公爵令嬢の私物がしれっとさりげなく混ざっているので』―――――粉砕骨折したくねえなら自重しろ、並べ、行儀良く選べ」


粉微塵にするぞ、と低く凄んだ凶悪面の三白眼に逆らえる貴族のお坊ちゃんなど数える程しかいないだろう。ちなみにただの余談だが、セスには煉瓦を粉にする程の握力がないので実際に不届き者を粉微塵にするとしたらそれは私のお役目である。

しかしセスは基本律儀で真面目で有能な三白眼なので他人に仕事を丸投げするような男ではない―――――煉瓦は無理でも人の骨なら強度的にぶち折れる、と真顔で物騒に張り合ってくるあたりが負けず嫌いの極みで大いに笑った。ただ折るだけでなく粉砕せんとする気合いの入れよう、まさにセス。


「ご安心ください我々は紳士です紳士ですとも紳士たるもの女性への贈り物はエレガントに選びます!」

「すいません僕ここにないプレゼントを考えてるんですけどそれってどちらで対応してもらえます!?」

「ああっと混み合いそうですし私は先に衣装の方を決めてまいりますねそれでは失礼ッ!」

「どうぞどうぞお先にどうぞ私は後で結構ですので」

「え? あ、ああそれじゃ遠慮なく………」


我が身可愛さにあっさり芽生える参加者同士の連帯感。いずれは蹴落とすべき相手であっても今は上手いこと協力しないと物理的に命が危うい。そう悟ったらしい連中がそれなりに理性を取り戻して慌ただしく準備を始めたので、待ってましたと言わんばかりに飲み物で喉を潤していた王子様が息を吸い込んだ。


「多少の混乱はあったようだが流石は本番戦にまで残った真の意味での勇士たち! ひとたび秩序を取り戻したら譲り合いの精神で衣装やプレゼントを手早く選び着替えのために次々とコンテスト会場を離脱していく!」

「五分と経たずに五人全員が衣装と贈り物を選び終えるとは少し予想外でしたけれども、瞬発力と決断力に長けた方々だったのでしょう。優柔不断とはおよそ無縁、という点においては同列であると見做して問題なさそうですわね………さて、闘技場内の各控室で準備を終えた参加者の皆様が次にこの場に姿を見せるのは約十五分後となりますので、お手洗いを利用される方や飲食物の補充を希望される方はこの小休止をご活用ください」

「ここまでなかなかに駆け足だったので疲労を覚えた者も居るだろう。無理はせず、体調と相談しつつ引き続きコンテストを楽しんで欲しい―――――と、ただ観客を待たせるだけ、というのも少々寂しいものがあるので参加者たちが着替えに引っ込んでいるのをいいことに内緒でエスコート審査における見所ポイントを紹介しておこう。キルヒシュラーガー公子他審査員のご令嬢方は現在本番前の最終チェック中で手が離せないので解説のフローレン、よろしく頼む」

「承りました。それでは、ご来場の皆様。現在闘技場中央舞台に設営中の大型セット、便宜名称『乙女レストラン』の玄関部分にご注目ください。リューリさんが運んでくださった重厚かつ立派な木製の扉は既に取り付けが済んでおり、ご覧のように大道具スタッフの手で開閉が可能な状態となっております。しかしポイントはその手前、わざわざ舞台上に拵えた石造りの階段の方でしょう。ほんの数段程度でも、踵が高く歩行しにくい靴を履いた女性にはあまり親切ではありません。歩幅が制限されるようなデザインのドレスを着ていたり、ヒールそのものを履き慣れていない場合は特に注意が必要です」

「審査は入り口から始まっている、というのが大変分かり易くはあるけれどもレストランの玄関前の道部分にもきっちりと石畳敷き詰めた関係で階段だけじゃなく道中の足元も罠っぽい感じがしてるぞうフローレン」

「お黙りになってレオニール。あちらは我が学園が誇る建築科生が発揮した職人気質の凝り性でしてよ罠でも何でもございません―――――続きまして、エントランス。女性を気遣いつつ階段を攻略し入口の扉を潜った先には来客を出迎えるための空間とレストランの従業員が控えております。余談ですが今回レストランのスタッフとして揃いの衣装に身を包んでいるのは教養科にて最優の成績を保持するおもてなし部門の精鋭部隊。ただし、受付係には即興劇を得手とする演劇専攻の生徒を起用しました。無論、考えあってのこと。実は彼への対応で各参加者のエスコートには複数の分岐が発生します」

「なるほど。そのあたりの手配は任せていたがわざわざ分岐点を設ける念の入れようは流石えげつないな、フローレン。特に言及していなかった『高級レストランの事前予約の有無』の小芝居を演劇専攻の生徒を使ってまでブッ込んでいくそのスタイル、キレッキレ過ぎて惚れ惚れしちゃう」

「お褒めにあずかり光栄です。分岐、と口にしただけでその選択肢をあっさりと見抜くご慧眼、臣下として大変頼もしく………ですが、脇が甘くてよ、殿下。事前予約はもちろんのこと、実はこの場で『何時に』予約したかを口にすることで裏技的に時間帯をも決めることが出来る仕様です。何も言わなければディナータイムがデフォルトで設定されますが、お相手との関係性によってはランチやアフタヌーンティーでの利用が相応しい場合もあるわけで………受付係のスタッフにはそのあたりも含めてあれこれと指示を出しておきましたので、見応えはあるかと存じます。最悪『このレストランのオーナーの息子だから予約なしでも一等席に通せ』と理不尽な圧力を掛けられようともプロフェッショナルの名に恥じない胆力で捌くことでしょう」

「あっはっはっは何それ怖い! どんなパターンを想定してどんな指示出したのフローレン。それはそれとしてその受付係面白そうだから“王子様”がやりたかったなあ今からでも配役変われない? 対応力と舞台度胸には凄まじい定評があるんだが」

「お黙りになって馬鹿王子、貴方が受付で待ち構えたら審査どころではなくなるでしょう。飲食業に従事するスタッフを下に見て『客だから』と横柄な態度を取る方かどうかのチェックも兼ねていますのに“王子様”が受付に立つなんて前提からしてありえなくてよ。お顔立ちと肩書だけは大層ご立派なんですから弁えてくださいまし、本当に」

「度し難い馬鹿でも割と褒められる顔面偏差値の高さで良かったー!」

「お黙りポジティブ一辺倒馬鹿。失礼、話を戻します………受付を済ませればその次は席へと案内されますが、ここでのポイントは単純に座る際の位置取りですね。女性のために椅子を引く、という行動に関してはお店のスタッフに任せた方が無難との意見が多数派ですが―――――こちらのセットに関して言えば、それよりも気に掛けるべきことがひとつ」

「舞台セットをよく見てもらえれば分かると思うが、テーブル席近くの壁面に『大きめの窓』が用意されているだろう? ご丁寧に夜景の絵まで嵌め込んであるあたりが凝り性だよなあ―――――レストランの座席は奥側に女性を座らせるのが一般的、という王国の通説に囚われず、窓から夜景が見える場合は男性側がそれとなく奥に座るなどの臨機応変な配慮が欲しい、というあからさま加減がいっそ親切」

「余談ですがあちらの背景、夜用だけでなく昼用もきちんと準備してあります。嵌め込み式ですので先程申し上げました入口受付での分岐によって一瞬裏方が忙しくなりますが、その旨ご了承くださいまし。そして着席の位置関係ですが、今回は敢えて分かり易さを重視し窓を臨むか背にするか、という座席配置にしてあります。男女両名とも同じ景色が見えるようなセッティングのレストランも世の中には存在する、とのことでしたので、その場合のエスコートにつきましては応用編としてまた別の機会に―――――と、ここで運営よりお知らせを一点。通常、レストランで着席したら次は料理の注文をするのが一般的な流れかと存じますが、今回は参加者の皆様を一人ずつ審査していく都合でそこまでの時間は割けません。従って、当コンテストではこちらで定めた軽食一品を提供するだけとなっておりますので何卒ご理解ご配慮の程を」

「本来であれば料理に合った飲み物も含めてのスマートなオーダー、実際に料理が提供されるまでの時間に相手を楽しませる話題の提供及び話術の巧みさ、そして相手を不快にさせないテーブルマナーやその他諸々を細かくチェックしていきたいところだが如何せんそれには時間が足りない。だがしかし! どうにもならない制限があろうがベストを尽くすのがエンターテイナー、イベントには本気を出す“王子様”! たった一皿でも当コンテストの本番戦に相応しい料理を用意させてもらったぞう! 自信を持ってご紹介しよう、当コンテストのために食堂のおばちゃんたちが作った特製! パングラタンプレート! 外はパリッと中はフワッと仕上げたパンにたっぷりのベシャメルソースとチーズをのせてこんがりと焼き色を付けた上に鮮やかな野菜とローストビーフのサラダでボリューム的にも大満足の一皿! ディナーだろうがランチだろうがアフタヌーンティーの軽食だろうが出せそうなやつお願いします、との無茶振りにも対応してくれる食のプロたちは今日も強い! 重過ぎず、されど軽過ぎず、絶妙なバランスでまとめられたバルサミコ酢がベースのソースがサラダだけでなくグラタンにも合うという新境地を力業で開拓していくフロンティア・スピリッツに溢れた品には試食中のリューリ・ベルもご覧の通りニッコニコ―――――!」


たくさん喋っていた王子様にいきなり名前を呼ばれたけれども些事だったので笑顔で無視した。いつの間にか設置されていたお一人様用試食席にて最近和解したナイフとフォークで土台のパンを切り取って、上にのったグラタンとチーズと葉物野菜を一口で飲む。飲んだ。噛んだ記憶がない。固形物なのに飲み物だった。嘘です美味しかったので高速で噛んで飲みました。

グラタンだかベシャメルソースだかよく分からない白いのの熱でふんわり食感の甘い白パンがほっこりしんなりふわふわしている。濃厚なミルクの味に負けないチーズはちょっと癖が強めなタイプ。お皿の上を飾るカラフルで瑞々しいお野菜を彩る黒めのドレッシングは主食の白さによく映えた。酸っぱいだけではない謎の旨味が野菜にもパンにもチーズにも合う。何だお前。万能選手じゃん。食堂のおばちゃんたちはまたひとつ偉大なお料理を作ってしまったと感激せずにはいられない―――――貴重品警護の労働報酬とても美味しいですおかわり希望。


「ナイフとフォーク使い熟せて偉いなー、良く出来たなリューリ・ベル。残念ながらおかわりはないので諦めてこっちにいらっしゃい。そんな顔しないの! お前に出す試食の一皿以外はもう審査用の分しかないって“王子様”ちゃんと言ったでしょ! 参加者を物理で殴り倒して棄権させておけばよかったみたいな無言の圧醸すんじゃありません! いい加減にしないと王子様じゃなくフローレンが叱りに行くからな!」

「それは嫌だ」

「素直で結構」

「結構、ではなくてよ馬鹿王子」

「痛い痛いごめんてフローレン」


観客席のほっこりした目線があっちにいったりこっちにいったりと忙しいコンテスト会場では美男美女が戯れている。王子様とフローレン嬢の仲良し加減は独特なのでちょっと理解しきれないけれどもあれはたぶん戯れている解釈で問題ないやつだ。王子様が脇腹つねられてるけどメンタルもフィジカルも無駄に丈夫だからまあ大丈夫だろたぶん。おそらく。仲良しご夫妻と末っ子ちゃんとか聞こえたところで知らんと言いたい。

ありがとうございました、とスタッフさんに一言給仕のお礼を告げて、私は渋々席を立つ。参加者たちがプレゼントを選んでしまえばお役御免の私とは違ってセスの方はあの頑丈なボックスを見張っていなければならないらしく既に別行動ではあったが、やはりあの三白眼だけやたらと仕事量が多いなと思った。


「レオニール殿下、レディ・フローレン。参加者全員の支度が無事に整いましたとの連絡が―――――ねえ、主催の御二方。特殊極まる仲の良さで観客を和ませるのは結構だけれど、そろそろ進行してよろしいかしら? タイムキーパーに確認したけれどここに至るまで少々時間を掛け過ぎているから挽回しませんと」

「おっと、そうだな。こちらの準備も整ったことだしあとは駆け抜けるとしよう―――――時間だ! 待たせたなギャラリー各位! 後半戦にして本番戦、『理想の殿方コンテスト』のエスコート対決始めるぞう! まずは装いを改めた参加者たちの再入場、何度目かももう忘れただろうが拍手の時間だ! 盛大に頼む!」


お願いすれば本当に拍手の雨が嵐になるのが王子様のすごいところ。

割れんばかりに降る音に押し出されるようなタイミングで、闘技場の通路から着飾った五人のお花畑が案内係に先導されてにこやかに手を振りつつ現れる。足を引っ張る者同士が妨害工作に走らないよう、逆に結託を防ぐ意味でも一人に対して二人の係員が両脇を固めての登場だった。護送というか完全に連行の絵面だと思うがそれを統括する筈のセスは今別件で忙しいので担当はまさかのティトである―――――いやお前居たのか馬鹿二号。


「ご報告申し上げます、殿下。異常及び問題、ありません」

「うん、ご苦労。メチェナーテ侯子。セスに代わっての全体統括、慣れないだろうが気楽に気負わず、だがしっかりと励むがいい」

「はい!」


準備時間中の不正行為その他異常も問題も何もなかった、との報告を終えたティトが持ち場に戻り、その後を係員たちが追う。おそらくは剣術科の生徒たちだろうが、揃って体格に恵まれているので多少の距離を隔てただけでも開放感が段違い。ティトを筆頭に全員が全員王子様より背が高かった。本当に学生さんなのか、と疑いたくなる圧の壁。

そんな屈強な奴らに挟まれていた参加者たちは目に見えてほっとした顔をしていた。油断している場合ではない。お前らが今から一番気合いを入れなきゃ駄目な難所はここからなんだよ、との忠告はまあ届きっこないだろうが、なるようにしかなりはしないと開き直って表情を消した。存在感も消しておこう。今はまだその時ではないっぽいので。


「うんうん、流石は我が学園が誇る縫製とヘアセットのエキスパートたち。短い時間でよくぞここまでまとめ上げたものだと賛辞を送ろう! それでは事前にくじ引きで決めた設定のおさらいは観客席各地に配置したボードを参照してもらうとして、参加者たちのパートナーを務める女性陣をお呼びしよう―――――エキストラの方、お願いしまーす!」

「いや誰ェ!?」

「エキストラってなにどういう………?」

「審査員のご令嬢方がパートナー役を務めるのでは!?」


もはや説明など不要、と言外に主張しながら元気よく新たな関係者を呼び寄せる王子様に脊髄反射で食ってかかってしまった参加者二人がしまったと口を閉ざしたところでもう遅かった。筆頭審査員であるマルガレーテ嬢は笑顔でその疑問を切り捨てる。真っ向から、もう堂々と。


「あら嫌だ、どこからそのような誤情報が参加者に伝わったのかしら? 私どもは『審査員』として参加者の方々を客観的に見極めなければいけませんもの、パートナー役は務められませんわ。当事者として舞台に上がっては見えるものも見えなくなりますでしょう? 第三者の視点から見ても素晴らしいエスコート、期待しております。お励みになって?」

「まあ、レディ・マルガレーテ。お言葉が少々足りないのでは? ご安心くださいまし、皆様。もちろん、実際にエスコートされたパートナー役であるエキストラの方からも貴重なご意見を頂戴する予定です。傍から見ているだけでは気付けない細やかな心配りというものも大切ですものね、承知していてよ―――――と言っても、減点方式なのは変わりませんので減った点数が増えることはないのですけれど。残念ながら」

「あら、レディ・フローレン。私の説明不足な部分を補ってくださって感謝致します。言い訳にしかならないでしょうけれど、うっかりと言い忘れてしまっていたのよ。だって、彼らは『理想の殿方』コンテストの大一番であるエスコート審査まで辿り着いた真の勇士たち。そんな方々にはするだけ無用な説明であると、どこかで慢心していたわ………まったく、私としたことが。浮かれては駄目ね、気を引き締めませんと―――――と、いうわけで『配慮が行き届いていない』とエキストラの方々が感じた場合はそのあたりも減点対象になるのでご注意くださいましねまあ皆様には要らない心配でしょうけれど!」


二大悪役顔公爵令嬢の淑女的切れ味が絶好調。めちゃくちゃ厳しく採点するし粗探しだって辞さねえからな、とのお上品な宣言が好戦的過ぎて逆らってはいけない気配しかない。そんな彼女たちの醸す圧に観客も参加者もスタッフたちでさえも気圧されかけていた空気の中で、唯一動じない生物が場違いに陽気な声を出す。


「はっはっは、流石最終ラウンド! 寄せられる期待値が高ければハードルだって高い高い! そんなプレッシャーを跳ね除けて、参加者諸君には十全のパフォーマンスを発揮して欲しいと願わずにはいられない“王子様”だ! なお紹介が遅れてしまったが、相手役を引き受けてくれたエキストラの皆さんについては『ナンバリングさえも不要』と本人たちが希望したためにチーム・エキストラ・スタッフというふわっとした感覚で認識してくれ!」


もう意味分かんねぇ。セスが隣に立っていたならそんな台詞が聞けたと思う。私も諸々分かっていないが流れに身を任せるしかない。


「え。ちょ、まさか特別アドバイザーってこちらのエキストラの皆さんで………!?」


激流に翻弄されつつも黙って話を聞くことが未だに出来ていない参加者の一人がそんな疑問を口にしたが、大筋に沿った内容であるなら王子様は気にせずそれに乗る。それこそ違和など感じさせない軽やかさと当然さで以て。


「いや? そちらについては今から紹介するつもりだったが前のめりで聞かれてはしょうがない、引っ張ったって面白くないから早々に周知するとしよう。先程意味深に匂わせていた“特別アドバイザー”はもう既に準備を整えて審査員の席についている―――――具体的に言うとあそこに居るぞう」


主催の馬鹿はそう言って、にこやかにある一点を指した。そこにあるのは審査員のお嬢様方が並ぶ場所。審査員席に腰を落ち着けて静かに開戦を待つ彼女たちの中でも一際目を引く存在感を放つマルガレーテ嬢が優雅にティーカップを傾ける横というかすぐ隣―――――そこに座っている人物を見て、参加者の目が点になる。


端的に言えば“王子様”が“特別アドバイザー”だと指しているのは私だった。


そうです誰がどう見てもリューリ・ベルですつまり私。


「今度こそ話が違うのではぁぁぁぁぁぁああぁぁぁ!?!?」


当たり前だが抗議が飛んだ。流石の観客席からも五月蠅い黙れなどの野次はない。

今度ばかりは懲りないなお前らとはとても言えない状況だった。だって私でもそう思う。今まで散々『リューリ・ベルはただの運営スタッフですよ』でゴリ押しして来たのに突然のこれ。いい加減にしろ、という先程の言葉をそのまま棒で打ち返したくなるレベルの暴挙にも程があったが運営陣は動じない。

規約違反はしてないぞう、とか平然とした態度で宣う王子様に食い下がる花畑の民のストレス限界値はとっくにてっぺんを超えていた。


「いやいやいやいやリューリ・ベルですよねどう見てもその特別アドバイザーってあの真っ白い悪魔ですよねえどういうことですかねえ流石に!? まさか『一切不要な口出しをしない』というのは裏っ返して『必要であれば口を出す』とかそういう揚げ足取りだったりします!?」

「おっと、ようやくそこ気が付いた? 参加者諸君の成長が著しくて何よりだ、けれどもまだまだ視野が狭いし何より頭が固いったらない! 特別アドバイザーとして確かにあそこに座っているのはリューリ・ベルで間違いないが、王子様は『リューリ・ベルが特別アドバイザー』だなんて言ってないだろう早合点が過ぎるなあ勘違いさんめ!!!」

「勘違いも何もあそこに居るって示された先に堂々と居るのがリューリ・ベルなら完璧にイコールでしかねーだろ――――――ッ!!!!!」

「なぁぁぁにが特別アドバイザーだよ結局関わってくるんじゃないか、所詮この国の外からちょっと遊びに来てるだけの馬鹿力狩猟民族のクセによく知りもしないさして興味もない恋愛小説あるあるにいちいち余計な正論を真正面からぶつけやがって誰だよあんな白い悪魔をこの“学園”に放り込んだのは!!!!!」


「よく言った! そう重要なのはまさにそこ!!」

「は?」

「え?」


王子様が声高らかに賛同したのが意外だったのか、薪をくべられて燃える火のように一丸となって抗議の声を上げていた花畑の面々の気勢が削がれる。使えそうな台詞を見逃すことなく拾い上げて利用する主催兼実況のトップオブ馬鹿は、主導権を握るべきタイミングを見誤ったりしない。よく言った、とまで称えられ、花畑の民は吐き出す筈だった不服にまみれた続きの言葉を失くしてしまったらしかった。


「巷で流行りの恋愛小説にありがちな状況や人間性を冷静に、的確に切り捨てる………だからこそ『リューリ・ベル』は一部では天敵扱いだ! 作り話だと思っていたら馬鹿馬鹿しいことに現実だったと遠慮容赦なくブッ込んでくる無垢なる悪魔のような所業! “北”の大地でのびのび育って“学園”でもすこぶる逞しく過ごす手足の生えたフリーダムはよく分からないと感じたことをその場で忌憚なく質問するし、聞かれれば逆に素直に答える! 良くも悪くもとにかく純粋、悪気はないが配慮もない! それこそ創作物に散見されるような思考回路に花咲き乱れる類の人種には敵でしかない存在だろう、本当に厄介極まりない―――――が」


と、彼は声を落とした。他人の気を引くための話術。人心を掌握する類の技術。表情声色仕草その他全部を総動員した王子様は圧倒的な存在感でひたすらに人目を惹き付ける。


「思考を一段、掘り下げてほしい。今では皆も良く知る通り、あそこに居るリューリ・ベル本人は基本食べ物以外に興味を示さない“北”の狩猟民族だ………本題に入ろう。答え合わせだ。目に見えるものに気を取られ過ぎては本質そのものを見失う、という真理の一端に手をかけて、全員、今一度思い出せ」


真面目な声で、良く通る音で、まるで真偽でも問うかのように。どこか悪戯っぽい笑顔を湛えたイベントの申し子が嘯いた。それはどこまでもどこまでも、面白がっている口振りで。


「今まで彼女が口にしてきた“王国”で流行りの恋愛系創作物に対する豊かな見識は、『リューリ・ベル』が口にしてきた数々の正論や見解は、一体―――――誰の受け売りだ?」


あ、と誰かが呟いた。

ぽかんと大きく開けた口からこぼれてしまったその音は、波紋のように広がって閃きと理解の渦を呼ぶ。まさか、と引き攣る参加者及びギャラリーたちの驚愕を全身全霊で肯定すべく、王子様は拳を突き上げた。


「そうとも、言わずと知れている! 我々が本当に『お花畑特攻』と呼ぶべきはリューリ・ベルではないことを、私たちはとっくに知っていた―――――改めて紹介するとしようか理想の殿方コンテスト、特別アドバイザー『宿屋のチビちゃん』!!! “王国民”の学生たちが起こすかもしれない面倒事に“北の民”が巻き込まれぬよう言語習得のついで感覚で恋愛小説によくあるパターンと心構えを面白可笑しく叩き込んでくれた彼女のアドバイスの数々は至極真っ当、説明不要、チビちゃん以上に相応しい恋愛あるあるアドバイザーなんて思い浮かばなかったけれどもまさか本人を呼び立てて参加してもらうわけにはいかないので彼女の教えをしっかり刻んだリューリ・ベルを代理に立てて解決したぞう従って『リューリ・ベルは特別アドバイザー席に座ってはいるが実際はただのチビちゃんの代理』だこれならリューリ・ベル本人は一切不要な口出しをしないという事前規約にも違反しない! 完璧! 隙間のない理論武装! 異議があるならかかってらっしゃい“王子様”が相手になってやろう!!!」

「馬鹿なァァァァァァァァァァアアァァ!!!!!」

「西の大公様がお越しになるのかと張り切っていたのに蓋を開ければ宿屋のチビちゃんだと………!?」

「言われてみれば確かにそうだけどいまいち納得したくないいいいいいいい!!!」

「覆せない………そう言われるとその通りでしかないので覆しようがない………気がする!!!」

「アリかそれってアリなのか………!?」


参加者たちが膝を付く。勝敗は今まさに決した。王子様の勝利であるってンなわけねえだろ冷静になれ。

発案した身で言うのもあれだがもうコンテストとか全部放り投げてここで終わりでいいと思った私の心は無に等しかった。この特別アドバイザー云々についてだけは本当にどうかしていると思う―――――食べ物に釣られてうっかり引き受けた自分も大概あれだけれども馬鹿の天才にも限度があるだろどうなってんだこいつの思考回路。


「なるほど宿屋のおチビちゃん………文句などあろう筈もない的確極まる無慈悲な人選」

「信頼出来る………頼もしい………説得力の塊じゃん………」

「安心感しかありませんわね………語録の発売はまだかしら………」


あと観客席まで訳知り顔で頷いてるのはホントになんで? 誰一人として本当に異論とか唱え出す様子がない。チビちゃん本人の知らないところでチビちゃんの存在感が異常。

どうして私からの伝え聞きだけで彼女がそこまでの信頼度を勝ち取っているのかが分からないけれども王国民には王国民にしか分からない共感覚があるのかもしれない―――――ないことを祈る。切実に。語録の発売とか期待されても出ないものは出ないぞ期待するな。

というか普段は隙しかないくせにイベントの時だけ謎のテンションで馬鹿さ加減を補強しながらノリと話術と勢いだけであらゆる無理も無茶も跳ね除けてはしゃぐ“王子様”こいつまじで何。

恐怖のようなものを感じながらも今の私の存在は“宿屋のチビちゃん”の代理枠なので不要な口は挟まない。思考を放棄していたとも言う。リューリ・ベルは不要な口を一切挟まない運営スタッフであり現在は宿屋のチビちゃんの代理としてしか発言権がない設定なのでそこのところご理解いただきたい。

ただし一言だけいいですか。


「実際にチビちゃんがこの場で考えて発言するわけじゃない時点で理論武装隙間だらけじゃないか?」

「ご慧眼ですこと、リューリ・ベルさん。ですが、例えその通りでもあの状態のレオニール殿下に舌戦で勝てる人材が参加者の中には居ないんですもの。問題はないわ。そうでしょう? ねえ、レディ・フローレン」

「ええ、レディ・マルガレーテ。本当に隙があったとしても、突かせなければいいだけのこと………もっとも、それを許して差し上げるような私どもではありませんけれど」


一足先に実況解説席に戻ってきたフローレン嬢までなんか好戦的な件。どうやらエスコート対決を前に気持ちが昂っていらっしゃる―――――油断しきった獲物の群れを見付けたときの狩猟民族とまったく同じ目だわこれ。


「それでは前置きも済ませたところで審査の方を始めていこうか、最初の挑戦者とそれ以外の参加者は各自スタッフの誘導に従って所定のポイントまで速やかに移動! さあ、レストランの従業員たち! 待たせたな、開店時間だぞう!!!」


ぱぱぱぱーん! と花火が上がった。オープニングよりも控えめではあったが開幕を告げるにはちょうどよく、いつの間にか舞台端に陣取っていたボランティア楽団が軽快なメロディで華やかに場を盛り上げる―――――お遊び企画と言っておきながらあらゆるものが惜しみなく投じられている気がしてならない。王子様が主催するといちいちいろんなものが派手。


「さあ、いよいよ大一番! 理想の殿方コンテスト、最終審査はエスコート! 一番手を務めてくれるのは実は公表していないだけで既に婚約者が内定している参加者番号六番こと婿入り予定の『伯爵家次男』!!! パートナー役は婚約者ではない『幼馴染の子爵令嬢』! 楽団の奏でる緩やかな旋律に合わせるような歩調での登場だ!」


こうして、ようやく始まったエスコート対決なる茶番だが―――――私が口を挟むまでもなく審査員団のお嬢様方によって花畑が焼き払われていく様をダイジェストでお送りしていこう。野郎ども、これが現実だ。


「お一人目からとてもとても質の高いエスコートを拝見させていただきましたわ………ですけれど、幼馴染の彼女とは別に婚約者のご令嬢がいる身でありながらあの距離感はなんというか………そうね、少々親密過ぎるのではなくて?」

「観劇帰りに予約しておいた一流レストランでディナーを楽しむ、というプランニング自体は高評価ですが、お相手の方が婚約者ではなくただの幼馴染の子爵令嬢だとすると印象が変わってくるのでは?」

「せめて公演を午前の部にしてランチかお茶を楽しみながら劇の感想に興じるのであればまだ言い訳も立つでしょうが………これは婚約者を蔑ろにしていると解釈されかねなくて残念ですわね、せっかく素晴らしいエスコートでしたのに」

「もしかして、『幼馴染の子爵令嬢』が他でもない婚約者その人なのだと設定をお間違えになったのかしら?」

「あら? それはないと思いますわ。だって『伯爵家次男』様がプレゼントされたあの一輪のお花、花言葉が『友人のよしみ』ですもの。ラッピングされているとは言っても花束ではなく一輪だけで、しかも花言葉がそれなのですから―――――婚約者だと認識している方に贈るのは、ちょっと………ねえ?」


結論から言おう、これ“私”要らない。

そう断言出来る程度には初っ端からして容赦がなかった。ナンバリングで個性を消した審査員団のお嬢様方が笑顔でやんわり言葉の刃物を棒立ちの参加者へと突き立てていく。現場には狩人しか居なかったしなんならエキストラの方からも鋭利な斬撃が飛んだ。


「仮に幼馴染だとしても、距離の近さに困惑しました。相手ともっと親密な関係を築こう、という意気込みはとにかく伝わりましたが………扱いは恋人に対するそれに近いのに、プレゼントは『友人のよしみ』の花が一輪。アンバランスさが否めないかと」


本当に容赦が見当たらない。もしや貴女は本当にそいつの幼馴染さんだったりしますか。聞かない方がいい? じゃあいい聞かない。

女が喜ぶエスコートをすればいいだけだろこんなもの、と思っていたに違いない参加者番号六番の男子の心は既に折れていた。それくらいは顔を見れば分かる。しかし恋人扱いしといてプレゼントに選んだのが花一輪だった理由の方はよく分からない。教えてチビちゃん。今この件について聞かれたところで私の記憶の引き出しには生憎と何も入っていない―――――発言を求められない限り、今の私は置物なので特に問題はないけれど。


「では、筆頭審査員として只今のエスコートに関する参加者番号六番への総評、及び減点数を―――――」


一人一人にそこまでの時間を割くわけにもいかず、コンテストは粛々と進行していく。審査員の筆頭たるマルガレーテ嬢が事務的に語る総評を受けた一人目の参加者は立っているのがやっとの有様で顔色はもう土気色に近い―――――フローレン嬢曰く、これがご家庭の事情とやらで公にしていなかったらしいが婚約者の居る身でありながら幼馴染と火遊びした挙句優良物件のマルガレーテ嬢にあわよくば乗り換えようとしていたらしいクズの末路である。某剣術科の次席だった男子とやっていることは似ている気がしたがあちらには婚約者が居なかった分この花畑の方が罪が重い。

そして今更でしかないが参加者たちの人間性その他がしっかりと把握されている時点で彼らにとっては冗談抜きにデメリットしか存在しないなこのコンテスト。一番手からして同情の余地が見当たらないあたりが本当にクソ、と吐き捨てていたセスの言葉は概ね正しい。正しさしかないばっかりに、こんなことになっているのだけれど。


「最後に、これは独り言ですけれど………私個人、女性の扱いにやたらと手慣れた殿方とは距離を置きたくてよ。縁戚にちょうどそういうタイプの侯爵令息が居ましたの。今はもう、居ませんけれどもね?」


マルガレーテ嬢が言うところの某剣術科の次席男子はなんやかんやあってもう学園には在籍してない。既に駄目な前例がある以上似たり寄ったりのお花畑など論外だろうが身の程知らず、という圧もそこそこのお察し発言に締め括られて一人目が終わり、燃え盛る女性陣の情熱は参加者たちのお花畑を焼き払ってひた進む。


「婚約を打診している相手に頼り甲斐のあるところを見せたい、と意気込むのは結構ですけれど、些かやり過ぎなのではなくて? お客様だから貴族だから、と店員に横暴な態度で接する殿方はいただけませんわねえ」

「同感です。一緒に居るだけでこちら側が恥ずかしい思いをするタイプですもの。友人付き合いさえご遠慮したいわ………サービス業に従事するスタッフへ理不尽に横柄な口をきくなど、品位ある貴族として嘆かわしくてよ」

「と、言いますか、プレゼント用の小箱が拉げてしまったのは座席に案内してもらっている途中に彼の前方不注意が原因で調度品にぶつかったせいでしょう? それなのに『こんなところに物を置くなど非常識だ!』とお店の方に食って掛かって騒ぎ立てるなんて他のお客様にもご迷惑ですし………私個人としましては、受け入れられない感性でしたわ。あんな分かり易いところに置いてあった調度品に自らぶつかりに行くなんて、もしや視野が狭くてらっしゃる?」

「あら? でも、もしかして………お待ちになってくださいな。あちらの方が引き当てた『分家筋の従弟に跡目の座を奪われるかもしれないと噂の伯爵家嫡男』様の設定としてならあながち間違いとも言い切れませんわ。だって、そのような噂が聞こえてくるということは、伯爵家の次代としては不安な要素が本人にある、という解釈だって可能でしょう?」

「その発想はありませんでしたわ! ええ、なるほど、そう考えれば伯爵位を継ぐにしては器が小さいとか人間性に問題があるとかそういったマイナス面を演出しようとして匙加減を間違えてしまった可能性も捨てきれませんわね、マルガレーテ様!」

「ああ、そういうことでしたら、確かに一考の余地くらいはあるやもしれませんわねえ―――――素の状態でああいった言動ばかりだったら理想の殿方とは真逆でしかないので、きっと肩に力が入って演技過多になってしまったのでしょう! まあ減点ですわね! 熱意は買って差し上げたくてもやり過ぎはいただけませんもの!」


王子様並みにテンション高めの縦ロールが似合うお嬢様が活き活きと輝いてらっしゃる件。演技などではなくデフォルトで横柄な振る舞いばかりしている伯爵家の嫡男は実家が駄目なら公爵家に婿入りすれば勝ち組になれる、と夢見ていたらしいがそれは叶わない夢でしかねえよと袋叩きにされて終わった。

一人目と同じくプライドが既に圧し折られているのが明白だった関係か、二人目の審査が終わってもアドバイザーの出番はないらしい。


「いただきます」


こっそりと、フローレン嬢を経由して王子様が回してくれた包み紙の塊を剥いたら小振りなハンバーガーが出て来たので遠慮なく大口でかぶりつく。肉厚のパテにみっしりオニオン、辛くても後味が甘めのソース。新鮮な葉野菜の軽やかな歯応えにスライスした何かの酢漬けの塩味―――――美味しさを堪能していたら三口で終わってしまった不思議。


「王子様、これおかわりある?」

「ないけどコンテストが終わったらお楽しみ企画が発動するぞう。楽しみにしてなさい」

「分かった。それじゃあ置物頑張る」

「その調子でいてくれると超助かる」


三人目である参加者番号七番こと『伯爵家から養子に出された次期男爵家当主候補』のエスコート審査中だろうが王子様と私はフリーダムだった。間に挟まれているフローレン嬢だけはしっかりと参加者の一挙手一投足を観察していたが両サイドがこんな感じで生きてて気が散ったりはしないのだろうか。


「想い人とショッピングを楽しんだ後に一流レストランでディナーの流れ………婚約者の居ないフリーの身で意中の相手を口説くにシチュエーションとしてはテンプレートじみたものがありましたわね」

「テンプレだからこそ安定して強い、という見方も可能なあたりがまた………」

「特出したところはないけれど、減点になり得るところもない………安定、と言えば聞こえは良いですが審査する側としましてはこういうのが一番やっ………難しいんですわよねええええ」

「ううん、強いて言うなら買い物先でこっそりと購入していたサプライズのプレゼントが流行りの小さなパフュームボトルだったところが意外にハイセンスで好感触………本来の用途で使うも良し、フレグランスには縁がない女性であっても飾り感覚で自室に置いておくちょっとした小物として邪魔にならず、何より相手の身分を問わず価格帯的にも心情的にも重過ぎず軽過ぎないライン………!」

「この場合一番センスが良いのは言わずもがなパフュームボトルを用意していた運営側ということになりますけれども、数ある品の中からそれ選んだのは間違いなく参加者本人………流石三人目ともなるとレベルが高くなってくる………!」

「マナー面その他に関しても、元々伯爵家の出身だったという設定だけに現状の男爵令息としては文句の付けようがない完成度としか………!!!」


申し訳ありません、マルガレーテ様ッ!!! と悔し気に唇を噛み締めている審査員のお嬢様方のパッションはどこから来るんだろう。知らない。とりあえず今回のお花畑は少々レベルがお高めらしい。実況をちょっと休憩して私に食べ物を回していた王子様がここでさくっと仕事に戻った。


「おおっと、審査三人目にしてかつてない好感触の気配! ここに来るまで二人の参加者の心をいとも容易くバッキバキに粉砕してきた審査員団のご令嬢方が初めて動揺しているぞう、参加者番号七番こと『伯爵家から養子に出された次期男爵家当主候補』がエスコート対決中盤時点で誰にも覆せない類のミラクルを決めてしまうのか―――――筆頭審査員のコメントは如何に!?」


緊迫感を煽りつつ、盛り上げる方向で声を張る王子様に水を向けられて―――――本日の主役はただ静かに、真っ向勝負で牙を剥く。


「次期男爵家の後継としてであれば、過不足のないエスコートでした。それは間違いないでしょう―――――が。参加者が任意で設定したパートナー役が『婚約者にしていただきたいレベルで密かに思いを寄せている未婚の公爵令嬢』である以上はそんな生温さでは通じなくてよ! 己が身の丈に見合った相手を選んでおけば『理想の殿方』に相応しいという栄誉も得られたでしょうに、敢えて最高難易度を自ら選ぶその意気や良し、お応えしましょう! 激辛評価で! キルヒシュラーガー公子として!!!」

「………エッ!?」


審査員団のお嬢様方にボロクソ言われなかったからこれはいける、という手応えに浮かれて弛み気味だった参加者の顔が引き攣った。現役公爵令嬢からの全身全霊の駄目出しの気配に怯んだところで走り出した彼女の言葉はもう止められない―――――あっはっは欲張ると碌なことにならない! とはクッソ楽しげに踊り出しそうな笑顔で放り投げられた王子様からのコメントである。真理。


「ところで確認したいのだけれど、貴方に割り振られたのは『次期男爵家の当主候補』として伯爵家から養子に出されたとかそういう設定の筈ではなくて? と、いうことはつまり貴方が継ぐ予定の男爵家への嫁入りを相手方にお願いするのよね? 公爵令嬢の婚約者の座を射止めたい、というのは概ねそういうことでしょう? でしたら、生半可な覚悟では無理よ。公爵家の娘に男爵家への嫁入りを希望するというならそれ相応の実績と収入と将来性が必要でしてよ。高嶺の花に思いを寄せるのは個人の勝手に違いないけれども九分九厘叶わない類の望みを叶える千載一遇にして唯一のチャンスがまさに今………『理想の殿方』として選ばれたい、と考え抜いてやり遂げた一連のエスコートなのでしょう―――――ねえ、貴方はこの程度で、自分が選ばれるとお思いでして?」


こわいこわいこわいこわいフローレン嬢がくれたチョコレート美味しい。大きめに丸いボール状で外側ぱりっと、内側ふやっと、滑らかな舌触りのペーストに練り込んであるキャラメリゼされたローストナッツに意識の十割を向けていないと隣で喋り倒すマルガレーテ嬢の圧に押されて仰け反りそう。


「テーブルマナーは及第点。フルコースメニューで見極められないのが残念でならない気分ですが、それよりも私が気になったのは歩行時におけるエスコートの方よ。パートナーの歩幅に合わせるべし、という基本は押さえていたようですけれど、言ってしまえばそれだけでしたわ。普段と違う歩幅に気を取られて姿勢が少々揺らいでいたので体幹の鍛え方が足りません。高位貴族のご令嬢をエスコートするならもっとスマートに違和感を与えぬよう歩きなさい。パートナーが歩き易いように、と必要以上に気負っていたせいか距離も詰め過ぎでしたわね。位置取りが悪いと貴方自身が邪魔になって歩き難いのです。更に追加でもう一点、女性を伴って歩く場合は速度の管理にもう少しばかり神経を使った方がよろしくてよ、欲を言うなら相手の歩幅に合わせつつ足を踏み出す速度も調整して『歩くのが遅いパートナーのために無理をして歩調を緩めているわけではない』という印象を無関係の第三者に抱かせて初めて合格だわ」

「は? 細かッ!? いくらなんでもそこまで高いレベルが要求されるんですか!?」

「当たり前でしょういくら架空の設定でしかないとは言っても『公爵令嬢』を口説き落としたいならそれくらいの覚悟はお決めになって? なお、歩き方に関しては肝心の場面だけではなく普段から、もう無意識的に常時ナチュラルにこなせるようなレベルに達していることが望ましくてよ」

「いやいやいやいやいくらなんでも無理です現実に居るわけないでしょうそんな歩き方パーフェクト人類!!!」


信じられない、この現実にそんな男が存在するわけない、と抗弁するお花畑の民に対してマルガレーテ嬢は冷静に、すっと己の真横を見遣った。隣に座っていた私を通り越したその視線は更に奥側に腰掛けているフローレン嬢と王子様に向けて真顔で注がれていたのだが、トップオブ馬鹿はその異名に相応しからぬ聡明さですべてを心得ているが如くに滑らかな動作で立ち上がる。

何も言わず彼が差し伸べた手にフローレン嬢の手が重なって、音もなくするりと立ち上がった彼女は己の婚約者に伴われながらごく自然な歩みで前へ出た。こつ、こつ、こつ、とただ歩いているだけで気品と優雅さを漂わせながら軽いウォーキングを披露した二人は会場中の視線を受けながら平然とした様子で立ち止まり、息もぴったりに一礼した後で元居た席へと戻っていく。行きより帰ってくる時の方が気持ち足音が早い気がしたが、洗練された優雅さと高貴なる雰囲気は一切損なわれず違和感もない。

フローレン嬢のために椅子を引いてたった数秒の間に完璧なエスコートを披露した王子様が着席するとほぼ同時、マルガレーテ嬢は言い放った。


「言わずと知れた『公爵令嬢』を婚約者に持つレオニール殿下、実演ありがとうございます―――――解説のレディ・フローレン。出来ればコメントを頂戴しても?」

「馬鹿殿下でも歩くだけならこの程度いくらでも可能ですので、高みを目指したい方々は訓練に励んでくださいましねと申し上げたい次第です」


トップオブ馬鹿でも練習すれば完璧なエスコート仕様で歩けるんだから無理とか何とか諦めてないで頑張る気概を見せなさい、という公爵令嬢からの圧。忘れがちだけれどそういうところはきちんと“王子様”出来る王子様、能力の配分を間違っている気がしてしょうがない本当に本気で今更だけど。


「激励のお言葉ありがとうございます、レディ・フローレン。洗練された所作の美しさとは弛まぬ努力の積み重ね、更なる高みへと至れるように私も精進致します―――――ところで皆様、せっかくお招きした特別アドバイザーのコメントもそろそろ気になる頃ではなくて?」

「気にならないです気にならないです大丈夫です分不相応でした公爵令嬢様を口説こうなんて大それた目標掲げてすいませんでしたァッ!!!」


お願いだから今すぐ退場させて、みたいな絶叫を迸らせた参加者番号七番の男子の声は会場内から寄せられた「超聞きたいです」コールに封殺された。圧し潰されたと言い換えてもいい。みんなしてチビちゃんが好き過ぎる。


「それでは観客の皆様のご要望もありましたので………さて、宿屋のおチビさんなら、この殿方にどのようなアドバイスをしてくださるのかしら?」

「うーん、キルヒシュラーガー公子。その聞き方では漠然とし過ぎていてリューリ・ベルもチビちゃんの教えを思い出し辛いと思うぞう? と、言うワケで主催者権限で王子様が勝手に聞いてしまおう―――――へい、リューリ・ベル。高位貴族のご令嬢に思いを寄せる下位貴族の令息が『自分をあなたの婚約者にしてください』って直接本人にアピールすることに関して宿屋のチビちゃんなんか言ってなかった?」

「言ってた気がするけど思い浮かばないからもうちょっとなんか条件欲しい」

「よしきた。相手とお買い物デートした帰りにディナーして別れ際に『一度きりの思い出としてでも受け取っていただければ幸いです』ってちょっとした小物渡すようなシーンに対するコメントとかない? なんでもいいぞう」


なんでもいいとか言われてもそう都合良くあるわけ―――――あったわ。


「あー。王子様が言ったやつに該当するかどうかは分かんないけど、『一回で終わりの思い出作り』みたいな感覚で格上を相手にデートしてる時点で熱意も覚悟も準備も度胸も何一つ足りてない自己陶酔しがちな劇場型ヘタレタイプの可能性大だからめんどくさく絡まれ続けないためにもその場で切り捨てる対応が最善、みたいなことは言ってたな。劇場型とか説明されてもまあよく分かんなかったけど―――――自分はあなたに相応しいとは思ってないですけどまた会いたいな、選ばれたいな、こんな魅力も地位もない自分じゃあなたには見向きもされませんよね分かってますでも諦めきれなくて未練がましいですよねすみません、みたいな感じでちらちらこっちを窺ってくる慰め待ち込みの受け身っぷりが男女問わずチビちゃんには不評らしい」

「あっはっはっは宿屋のチビちゃんそんなクリティカル出すことある? あったな!!! ありがとうございます! 好みが大変はっきりしている! もちろん当コンテストとはまったく関係ない何らかの創作物に対してのコメントだろうがそれはそれとして当たらずといえども遠からずなのがなんともミラクル!」


王子様がはしゃぎ倒している。肩書としてはアドバイザーなのにアドバイスになっていないのは大丈夫なのか、と企画の趣旨を心配する私の腕を掴んで持ち上げたマルガレーテ嬢が淑女らしからぬ声で叫んだ。


「優勝でしてよ!!!!!」

「マルガレーテさん落ち着いてくれ参加者まだ二人残ってる」

「もう! おチビさんが優勝で構わなくてよ!!! 本当に!!!!!」


本音が如実。しかしそんな勢い任せで優勝者がイマジナリーな宿屋のチビちゃんに決まってしまったら流石の私も彼女になんて言えばいいか分からん。というかそれはいくらなんでも流石に罷り通らないので思い止まって縦ロールの人。


「正直これから起こり得る展開を宿屋のおチビさんに予測してもらってそのパターンを踏んだ輩から事務的に点数を引いて行った方が早いのではなくて? 冗談抜きで」

「そう思うならどうして最初からその方式を提案しませんでしたの………と、苦言を呈する資格などこの私にもありませんわね………同感でしてよ、マルガレーテ。いっそ今から仕様変更を検討しませんかレオニール」

「わあ。マルガレーテさんだけでなくフローレンさんまで超大真面目な顔で雑なこと言い出したぞどうする王子様」

「どうするもこうするも面白そうだからで採用したい気持ちを堪えて流石に止めるしかないかなあそれは―――――二人とも、一旦落ち着きなさいよ。今この“学園”に在籍している女生徒各位とキルヒシュラーガー公子が審査員役ということを主軸にいろんな詭弁を弄しまくって調えたのがこの舞台だぞう? 流石にここへ来て宿屋のチビちゃんに審査部分の根幹を丸投げするのは違うだろう。いくら何でもルール違反だ。気持ちは分からんでもないが主催としてそれは許可出来ない。なにより、チビちゃんに迷惑だから必要以上に彼女の名前を借りようとするのは止めなさい」


そのはしゃぎ方はつまらんぞ、と王子様は観客には聞こえない平素の声の出し方で明るく、にこやかに言い添えた。表情と声音と雰囲気に対して最後の一言が冷め過ぎている。はしゃぎ方に面白いとかつまんないとかあるのかよ、と聞いてみたいような気もしたが、二人の公爵令嬢が即座に息を詰まらせて謝罪の文言を口にしたのでイベント特攻エンタメ特化の発言には一家言あるのかもしれない。


「我が婚約者と筆頭審査員、二人の公爵令嬢にコンテストの仕様変更を打診させてしまう力強さ―――――恐るべきは宿屋のチビちゃん、自分の好みの話をするだけで何故か生み出される説得力! フィジカルフェアリーのリューリ・ベルがそれを言うことで物理的な強さをも醸せるそれに審査の主軸を委ねてみたいと思う気持ちは分かるがしかし! 駄目です! それは無理な話! 何と言ってもチビちゃん本人のリアルタイムなコメントじゃないから普通に不許可!!! アドバイザーはアドバイザーでしかないのでそこはきちんと弁えつつリューリ・ベル、なんかアドバイザーっぽいチビちゃん語録を都合よく思い出してくれると助かる!」


フォローのようなものを入れつつこちらに無茶を振る王子様、観客参加者その他諸々の目を反省状態に入っているらしい自分の婚約者と知己の公爵令嬢に向けさせないためかなんか知らんが強引な手段に出やがった。ていうかアドバイザーっぽいチビちゃん語録ってなにそれ知らん。


「ええ………何言えばいいんだよ………」

「うーん、例えばなんだけど、お前がさっき教えてくれたチビちゃんの言葉に続きとかなかった?」

「それならあったな。なんだっけ………えーと、ああ、高嶺の花のご令嬢を射止めたいならここで終わるような後ろ向き加減じゃなくて次に繋げる強かさとかせめて前向きな姿勢くらいは示せ読んでて苛々する、って言いながら結局最後まで読んだらしいけど主人公のヘタレ男子のことは結局好きにはなれなかったっぽい」

「主人公が相手だろうがばっさり加減がブレないなチビちゃん! てっきりよくある当て馬周辺へのコメントかと思ってたんだけど、自分に自信がない系の後ろ向き主人公シリーズだったかそっかあ」

「でもチビちゃんの言う『次に繋げる』云々が具体的にどんなもんかまでは私には説明出来ないぞ? これアドバイザーとかして駄目なやつじゃない?」

「心配要らないぞう、リューリ・ベル。そこのところは主催として“王子様”が良い感じに補足する。今回で言うと、そうだなあ―――――参加者番号七番のきみは、本当に相手を口説きたいなら話術に磨きをかけた方がいい。次があるかも分からない格上の存在を前にして『一回限りの思い出作り』のつもりでベストを尽くすのはいいが、本心ではお近付きになりたいんだろう? であれば、今後も付き合いを継続し、かつより良い関係性を築いていく方向性の機転をみせなければ始まらない………厳しいことを言ってしまうなら『次回に繋げるための努力』が圧倒的に足りていない。ぐいぐい迫るタイプでは引かれてしまうかと押し付けがましくない男を演出するのも手だが、女性を口説く気概がないと判じられてはそれまでだろう。カフェで会って話すくらいなら、ちょっとした買い物くらいなら………程度のお誘い相手としては無難な印象を最低限はキープしておかないと次回など発生しないと思え。もっと具体的に私個人の見解を述べさせてもらえるのであれば―――――なんでプレゼントにパフュームボトル選んだのに渡すタイミングで今度一緒に香水買いに行きませんかとか誘わなかったの? 恥ずかしがり屋さん? 『せっかくですのでお好みの香りを選んでいただきたいと思いまして』とか『いい店を知っているのでよろしければ今度ご一緒に』とか口実はいくらでもあるだろう、仮にその場で断られたとしても次の機会があれば是非にと前向きな姿勢を示しておくに越したことはないんだからそれくらいの気は回してお」

「ウァァァァァァァァァァアァァァァ同性からの正論んんんんん!!!!!」


トドメはまさかの王子様だった。顔面偏差値が国宝級な同性からのアドバイス、しかも本気で理解出来ません的なニュアンス付きの火力は高い。参加者番号七番の男子はよろよろとその場に膝をつく。


「殿下にだけは………殿下にだけは言われたくなかった………中身はともかく見た目だけで人生順風に生きていけそうなリアル正統派王子様にして放っておいたってモテる男子系からのもっともらしいアドバイスなんて………ッ!!!」

「えー。私の容姿が正統派系の“王子様”なのは間違いないけどその言い方はちょっと傷付くぞう? ちなみに私とフローレンくらい付き合いが長くて気心が知れてるともう『今から観劇どう? ディナー予約済み、プレゼント付き』くらいの感覚でさらっといけるんだが」

「ハァ―――――!? 貴方そういうところでしてよレオニール殿下! 婚約者をデートに誘うのにそんな、そんっ………こ、このあんぽんたん!!!!!」

「はっはっはっはなんだこのキルヒシュラーガー公子あんぽんたんとか貴族令嬢が口にするには些かあざっとい気がする単語どこで覚えてきたんだまったくそう思わないかフローレン」

「お黙りになってあんぽんたん―――――どうして、やれば出来るのに、相応しい言い回しもすぐ浮かぶくせに貴方はいつもそうなんですの。そういうところでしてよ殿下」

「うん? だって今更畏まるような仲でもないだろう私たち」

「レディ・フローレン落ち着いてくださいましお願いですから堪えてくださいましリューリ・ベルさんちょっとお隣のフローレンぎゅってして止めてくださいます!?」

「え、ぎゅってなに? 手とか握るやつ?」


大慌てのマルガレーテ嬢並びに審査員団のお嬢様方にお願いされたのでとりあえず、フローレン嬢が控えめに振り上げてふるふる震えていた拳を自分の手で掴んでみる。ぎゅ、という擬音に沿うように、なるべく両手で包む感じで。

スン、とマルガレーテ嬢が真顔になった。びっくりするぐらいの真顔だった。


「想像と違いますがなにこれかわいい」

「微妙に惜しいな、リューリ・ベル………ここは横からフローレンをぎゅっと抱き締める感じで止めに入る方が美味しいやつだぞう。覚えておこうな」

「マルガレーテさんもトップオブ馬鹿も何言ってんだおい正気に戻れよ」

「リューリさんのおっしゃるとおりでしてよいい加減になさいまし馬鹿筆頭―――――ところで、殿下? 実況遊びはもうよろしいので?」

「よろしくはないな! さぁて、不意打ちの謎栄養素に意識吹っ飛ばしかけたギャラリー各位! 生きてたらちょっと返事して、死にかけててもまあ叫べ―――――!!!!!」


フローレン嬢に叱られるので口にこそは出さないけれども要約するとシンプルにクソ。たった一言に集約されたクソさ加減がこの茶番劇の集大成ともいえるコンテスト主催の号令によって息を吹き返す観客席は悪いこと言わないから全員纏めてお医者さんに診察してもらえ。


「と、いうわけで三人目の審査はこんなところで終了だな! 時間がちょっぴりおしてしまって申し訳ない、すぐ四人目の――――――ん? え、次に審査予定だった参加者番号八番こと『伯爵家三男』の彼が土壇場で棄権? やる気満々だったのにここへ来て突然どうしたどうした………いや流れ弾に当たって心が砕けてふらついたところを足首ぐきっとして割とヤバめの捻挫しちゃったからエスコート無理ですってそんなことある?」

「まあ、お怪我をなさってしまわれたの? そういうことなら仕方ありませんわね、彼は棄権ということで………大一番を不慮の事故で辞退せねばならないだなんて、さぞ口惜しい思いでしょう。なんといっても『ギリギリになって一世一代の好機を棒に振るようなドタキャンを披露してしまったドジな殿方』だなんて印象を意図せず残してしまったのですもの、お可哀想だわ。本当に」


ご覧いただこうギャラリー各位、これが内心では絶対に可哀想とか思っていないマルガレーテ嬢の演技力ですフローレン嬢も同じように沈痛な表情をつくってはいるが観客には聞こえないであろう声量の会話を拾ったのがこちら。


「小賢しいこと。逃げましたわね」

「ええ、どうやらそのようですわ。展開的には予想していましたから意外性はありませんけれども………いえ、仮病ではなく身体を張って逃げ道を確保する度胸があったとは、少々予想の埒外でしたか」

「そうねえ、レディ・フローレン。自ら傷を負うことで結果的に軽微の犠牲に留める………その度胸だけは正当に評価して差し上げなくてはね?」


これで終わりと思うなよ、みたいな副音声込みで両サイドから聞こえてくるお嬢様な会話が不穏過ぎる。王子様の実況の方が明るいだけまだましだった。というか婚約者とその好敵手のなんか含みがあるトークを無視して滞りなく司会進行してるエンタメに対する姿勢なに? 何事もありませんでしたよと言わんばかりの元気溌剌さで普通に最後のコンテスト参加者を舞台に上げてる王子様、メンタル最強コンテストとかやったら優勝間違いなしの男。


「残念ながら土壇場で一人棄権というアクシデントに見舞われてしまったがコンテストは進む! 五人も居た真の勇士たちも早いようで最後の一人、参加者番号十番こと『侯爵家縁者の子爵家次男』のエスコート審査を始めるぞう! なお、くじで引き当てたパートナー役は『婚約者』である『公爵令嬢』! 今回は参加者本人による任意設定ではなくガチでくじにそう書いてあったので強制的に最高難易度だ!」


これは私でも分かるやつ。仕込みですって分かるやつ―――――実際、他の四人はさておき今エキストラのお嬢さんを伴ってレストランに入っていった参加者番号十番の男子だけは絶対に最後に回されるように仕組んであるとのことだった。理由は単純にして明解。


「例の壁ドンやらせた馬鹿があいつなんだっけ?」

「ええ、そうです。リューリさんのアドバイスを受けてこのコンテストを開催するに至ったそもそもの元凶と言いますか………詳細はまあ伏せますけれども、一番念入りに潰しておくべきタイプだと判断されましたので敢えて最後にしておきました。場合によってはマルガレーテだけでなく私の本気もご覧に入れましょう」


お上品に食事と歓談を楽しんでいるらしいレストラン内に厳しい眼差しを向けながらも私の質問に答えてくれるフローレン嬢の横顔が整い過ぎてて超怖い。今まで拝見してきたすべては彼女の本気ではなかった模様。考えてはいけない。チビちゃん代理のアドバイザーとして私は私の思考を消した。

本当の意味で心を無にして座っているだけならそんなにお腹も空かないだろう、どのみち真面目に見ていたところでエスコートの善し悪しなんてものが狩猟民族に分かるわけない。そんな理由で大人しく目を開けたまま寝ていたらいつの間にか評価タイムに入っていたらしいのでまずは恒例、審査員のお嬢さん方のコメントを聞いていくコーナー。


「最後の最後でレストランの予約時間を正午に出来る裏技に気付いた猛者が現れるとは思いませんでしたわ。予約待ちが発生していると話題の新開店レストランで婚約者とともに評判のランチを食べにきた設定、そしてそれを踏まえた華美過ぎず気障過ぎない日中でこそ映える装い………少しでも己を良く見せようと飾り立てるより添え物として相手のご令嬢を引き立てるためのコーディネートを選択するとは………!」

「弁えてますわね………婿養子の立場を………しかも『予約さえも難しい、と言われている評判のお店に婚約者を連れて来られる日を大変楽しみにしていました。待ち時間さえも楽しみで、数週間があっという間でしたよ。本日はよろしくお願いします』と受付係に声を掛けるかたちで準備万端今日という日を待ち侘びていましたアピールも忘れない上に飲食店の従業員に対する穏やかな態度まで見せておくとはなんというか恐ろしい………今までの参加者の誰よりも、演劇向きの殿方ですわね………?」

「それを言うなら演劇専攻だという受付係の対応力もまた見事、アドリブに強いという前評判を裏切らない堂に入った接客が参加者側の風格を肩書き以上のものに見せるというなんとも素晴らしい仕事っぷりで………受付の方もそうですけれど、私としては裏方スタッフの迅速なる窓枠背景替えの妙技についつい見入ってしまいましたわ………はっ、もしや、受付係の彼があくまで自然に拾う流れで世間話を発展させてエントランスに客を留めていたのは背景替えの時間を稼ぐため………!? なんてスマートな足止めですの………!?」

「定められた将来の伴侶とはいえど、『子爵家次男』からすればかなり格上の公爵令嬢。それも婿入りの予定を踏まえてかなりお相手に気を配っていることが第三者にも伝わってくる徹底した婚約者第一の姿勢………移動中、食事中、別れ際、すべてにおいて相手を楽しませることに比重を置いた話題選びも含めて本当に潔く………清々しいくらい鼻につかない程度の割合で媚びている………!!!」

「こうも容易く媚び売りと尊重の境界ギリギリを攻めるとは………さては女性慣れしていますわね、それも年上とか格上あたりに好まれるための研鑽を積んできたタイプの殿方とみました………! 婚約者への贈り物に『ご令嬢の名前の由来となった花をモチーフにした意匠のネックレス』とか選んでくるあたりがなんとも露骨―――――何が何とは言いませんけれども狙いが! あまりにも! 分かり易いッ!!!」


パッション以下略。しかし情報量が多いけれども審査員のお嬢さんの中に一人だけ参加者本人よりも受付係さん褒めてる人居ない? 居るよな。コンテストに参加してる男子よりも現場で働くスタッフ各位の奮闘に視線が行ってるだろ絶対。


「アドリブが素晴らしい受付係の彼についてあとで詳しく。フローレン」

「言うと思ってまとめてありますから今は仕事をしなさい、レオニール」

「流石フローレン! 分かっているとも―――――さて、先程に続き今回もなかなかに好感触らしい『侯爵家縁者の子爵家次男』もとい参加者番号十番! 審査員番号一番から五番までの所感を大体のところでまとめると、『思うところはあるけれども減点とまでは至らない』というニュアンスが伝わってくるわけだが結論を下すのはまだ早い! なんと言っても審査員筆頭たるレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーはまだ一言も喋っていないのだから!!!」


そう言って、王子様は発言権をマルガレーテ嬢へとぶん投げた。いいからさっさと喋らせなさいよ、と目力だけで訴えていたマルガレーテ嬢は無表情のまま一礼してすっと滑らかに前を向く。

固唾を飲んで見守るギャラリー、沈黙を守る他審査員、傍観しているその他面々という数多の視線に晒されながら、自信ありげな表情で彼女の言葉を待っているお花畑の参加者に、縦巻き髪が勇ましいお嬢さんは顔色ひとつ変えずに言った。


「貴方、詰めが甘いというか―――――中途半端でしたわね」


突き放したような声だった。事実としてそのとおりなのだろう、拒絶の色が濃い声音は好意の欠片もない硬質さで冷たく甘い夢を切り捨てる。

え、と己を過信した顔のままで口のかたちだけを間抜けに変えた最後の一人を眺めながら、彼女は淡々と言葉を続けた。


「拝見しましたエスコート、公爵家に婿入り予定の『子爵家次男』の処世術として評価するなら間違ってはいないわ。徹底的に相手を立てて、自らは添え物に徹する。いっそ露骨であからさまな程に一貫した婚約者ファーストでしたわ。貴方の引き当てた設定上、どう考えても主導権を握っているのは『婚約者の公爵令嬢』だものね? パートナーを繋ぎ留めておくために心を砕くのはある意味当然、互いの身分の格差を思えば媚び諂うような態度に見えるのも仕方ない面はあるのでしょう―――――ただの私見ですけれど、極端なことを言ってしまえばエスコートとは『如何に相手を楽しませるか』を考えた先にある行動なのです。同じ時間を共有する誰かが快適に楽しく過ごせるように、と他人を尊重し慮る心が良い方向に働いた結果の産物。パートナーを気遣い労わる精神。あくまで個人の見解ですが、私はエスコートと呼ばれるものをそのように定義しています。自分ではなく、相手が主体………そういう意味においてなら、貴方が披露してくださったエスコートは本日目にしたものの中では一番素晴らしいものでしたわ」


称えるように、彼女は言う。述べて並べた単語のすべてに偽りなどひとつもないからこそ純粋な賛辞に聞こえるそれに、何を言われるかと身構えていた男子の顔から力が抜けた。本日一番素晴らしい、との優勝確定にも等しい言葉に彼は誇らしげな笑みを浮かべて感謝の言葉を口にして―――――持ち上げられた、その直後。


「ですが素晴らしいと思えたのは貴方がパートナー役の女性にプレゼントを渡すまででした―――――ねえ、貴方。プレゼントを渡した時の台詞を覚えていらっしゃるかしら? 忘れていなければもう一度、この場でそれをお願い出来て? ああ、ただの確認作業ですので演技の必要はございませんわ、音読してくださるだけでよくてよ。それこそ棒読みでも結構」

「え、あ、はい、それではえっと………あー。『あなたの瞳に良く似た宝石があなたと同じ花の名前のネックレスにあしらわれていたのを見付けて、運命を感じてしまったのです。受け取っていただけますでしょうか』というような言い方でプレゼントをお渡ししたかと………」

「そうね。確かにそのような言い回しでした。私の聞き間違いでも記憶違いでもなかったところが残念でならない気分です―――――というか! きっぱりと! ありえなくてよ!!!」


吠えた。突然に彼女は吠えた。まさに咆哮の勢いで語調を荒げたマルガレーテ嬢が淑女にあるまじき凶悪さで眼前を見据えて怒気を吐く。


「蜂蜜色の目をした女性に『あなたの瞳によく似た宝石』だと青い石の嵌まったネックレスをプレゼントするなんて正直なところ一般常識と判断力と視神経を疑いますわその一言だけで婚約者どころか殿方としても致命的なまでに論外でしてよ子爵家の次男坊風情がよくもまあ公爵令嬢相手にそこまで無礼を働けるものね貴方本気で何考えてますの!?」

「おおっと、ここで筆頭審査員からかなりガチめのド正論! 婚約者と同じ花の名前云々は少々込み入った演技上の設定として流せたとしても目の色については無理だったレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガー、本物の公爵令嬢相手にそんな真似などしようものなら明日があると思うなよと言わんばかりの剣幕だ―――――!!!」

「当たり前でしょう何処の世界に自分とは似ても似つかない色を『運命』だとか宣って贈ってくる殿方にときめく女性がいるものですか少なくとも私はそういうの嫌よ率直に言って大っ嫌いよ、言い回しがもう最悪なのよそれひとつだけでもう生理的に無理駄目到底受け入れられない仮に我が身に起きたことなら『貴方のおっしゃる運命とやらはどうやら別の方のようですねそれとも貴方には私の目がこの色に見えていらっしゃるのかしら?』と即座に席を立って帰りますわね!!!!!」


積極的に実況していくスタイルの王子様に乗っかって、しまったという顔を青褪めさせている参加者男子を理詰めで殴っていくマルガレーテ嬢は俗に言うところのガチギレだった。こういった興奮状態に関する私の大まかな判定は宿屋のチビちゃんを基準としているので恐らく間違ってはいないと思う。

どうもマルガレーテ嬢、設定上の公爵令嬢と立ち位置が同じなだけあって尋常でなくお怒りだった。美人が怒るととても怖い。フローレン嬢のそれが凍て付く風ならマルガレーテ嬢はさしずめ熱波、体感的な暑さを理由に座ったままそうっと距離を取った私の耳に滑り込んで来たのはなんとも無機質に冷え冷えとしたもう一人の公爵令嬢の声だった。


「本来、黄色系の髪と目を持つご令嬢に青い石を贈ること自体は何の問題もないのですが、レディ・マルガレーテが指摘したとおりこの場合は言い方が最悪でした。設定上の空白であるパートナー役の名前と同じ花、というだけで選んだことにして渡したのであれば結果は違っていたでしょうに、よりにもよって『瞳に似た色』に運命なんて底の浅い表現を使うとは………もっと無難に『青がお好きと伺っていたので』と相手の好みを尊重した姿勢を見せるか、せめて『青い石が似合うと思って』くらいに留めておけば良かったものを」

「そうだなあ、ちょっと演出が過剰だった………いや、この場合は応用力不足か? 相手の名前にちなんだものや、お互いの色を贈り合う―――――創作物にありがちな贈り物の定番ではあるが、このエスコート審査のシステムとは少々相性が悪いだろうな。だってパートナー役本人が直前まで分からない仕様なんだもの、相手の色味に合わせたプレゼントを選ぼうと試みる時点で無謀だ。花と同じ名前云々については逆に設定していないが故にどうとでも都合良く片付けられるが、髪や目の色に関しては言い訳が一切通らない………相手役の容姿を確認した上で選んだプレゼントをどんな理屈捏ねていい感じに渡すかを見せられれば栄冠に手が届いたかもしれないだけに残念だ、なんとも残念極まりない、初期設定に固執するあまりアドリブがまったくきいていないのは個人的にちょっといただけない―――――正直あのエスコート内容だとパートナーに想定していたのは何かしらの花の名を冠する青い目をした高位の貴族令嬢なんだなあ、と他の女性を匂わせてしまう時点で婚約者としては落第じゃない?」

「同意はしておきますけれども殿下にだけは言われたくないと心の底から思いましてよ」

「あっはっはっはフローレンが怖い! 大体いつも“王子様”のせい! 知ってる! それはそれとして、自分の設定を理解した上で相手のキャラクター像も練っていたなら最後までちゃんと完遂しような!!! ちなみにこれは余談だが、運命の恋だろうが真実の愛だろうがたとえ何処の誰が相手であろうがお互いの色のものをプレゼントするのは必ずしも最適解とは言えない―――――私とフローレンを見ろ。金青赤緑と全体的に派手過ぎるせいでアクセントとして取り入れるならまだしも婚約者カラーでフル装備したら視界が喧しいったらない」

「色調というかバランスというか、私と殿下は持って生まれた色味の関係で足し算より引き算が多いコーディネートになりますからね。リューリさんのように真っ白ですと盛り甲斐もあるのですけれど、あまり色を増やし過ぎると全体の印象が散らかり放題で下品に見えかねませんので高位貴族に名を連ねる身としてはあまり好ましいとも言えず………これはあくまで独り言ですが、憧れは否定いたしません。個人の趣味もあるでしょう。好きなものは好き、で構いません。言ってしまえばこのような場合は似合うかどうかすらも些事です。着たいものも、身に付けたいものも、どなたかへの贈り物ひとつとっても好きになさればよろしくてよ―――――他の女性のために誂えた品をたとえば『勿体無いから』なんて理由で下げ渡された婚約者の心境が如何なるものかを慮れないような精神性は嘆かわしくてなりませんけれども」

「アッ、ハイその節は本当に心底すみませんでした」

「どうなさいましたの馬鹿王子。二度目はなくてよ」

「二度としないです―――――まさかこんな方向から飛び火するとは思ってなかった」


実況の王子様、本当に予想外だったらしく笑顔で声のトーンが低め。自業自得でしかないと本人が一番分かっているので茶化す気配は醸していないが、初恋にはっちゃけてお花畑の女子に贈ったティアラだか何だかを勿体無い的な精神でフローレン嬢に譲渡しやがった前科があるのでまあ完全にこいつが悪い。思い返せばランチタイムを邪魔されまくる毎日はこのあたりから始まっているのであんまり思い出したくなかった。消えてください痴話喧嘩の記憶。予定調和的な仲直り展開の王道にいちいち他人を巻き込まないでほしい。


「皆様、ご覧になりまして? 今のレディ・フローレンの反応がすべてを物語っているでしょう………レオニール殿下という肩書き“王子様”でさえ他の女性を匂わせるようなプレゼントをすれば婚約者からこのように容赦なくぎっちりと絞られますのよ。入り婿予定の『子爵家次男』が『公爵令嬢』の婚約者相手にそんなふざけた真似をしたらどうなると思いまして? 言うまでもないでしょう―――――ああ、まったく『理想の殿方』が聞いて呆れるわ! なんという体たらく! ごめんなさいね、私情を多分に交えている自覚はあってもこの激情は御し難くてよ! このマルガレーテ・キルヒシュラーガー、公爵家に名を連ねる身としてたとえ寸劇だったとしても『公爵令嬢』に対する非礼を許すことなど出来ないのだもの!!!」


隣で静聴して察するに、マルガレーテ嬢はどうも本気で憤っているらしかった。花畑を叩き潰すための難癖でも揚げ足取りでもなく、心の底から受け入れ難くて許せないことがあったのだと声を大にして主張している。


「自分の目の色に似た宝石の、自分の名と同じ花のネックレス………ロマンチックな演出を好む女性なら喜びそうね? 『運命』を感じたのでしたっけ? それは素敵ね! 劇的で! 実際には貴方がエスコートしていた婚約者役の彼女の色とは掠りもしていないようですけれど………仮に貴方の『運命』がエスコートの相手だったなら、栄えある称号に手が届いていたかもしれないだけに残念でしてよ―――――ええ、貴方が練り込んだ架空の設定に合致するような公爵令嬢がもしも、本当に、実在していればね」


念押しのように繰り返す縦巻き髪のお嬢様の目は色素の薄い青色だった。王子様の持つそれよりもずっとずっと明るい色だが、よくよく観察してみればそれはさっき参加者男子が婚約者役のエキストラさんにプレゼントした花のネックレスの宝石とやらに似ていないこともない気がする。

ひとつの仮説に至ったところでこっそりとフローレン嬢に聞いた。


「つかぬことを聞くけどフローレンさん、『マルガレーテ』って名前の花ある?」

「ええ、ありますよ、リューリさん。『マルゲリータ』や『マルグリット』、『マーガレット』とも呼ばれますけれど、すべて同じ花の名前です。ああ、ちょうど彼がプレゼントに選んだネックレスの花がそれですわねえ。石の色もちょうどマルガレーテの瞳に近い明度の高い水色で―――――なんて偶然なのかしら」


うふふふふ、と彼女は笑う。すべて分かっている顔だった。全部理解した上でそれでもわざとはぐらかしている姿は悪戯っぽく、フローレン嬢にしては随分と珍しい方向に遊んでいる。


「悪い顔をしてるぞう、フローレン。まあ彼の反応から察するに、エキストラではなくキルヒシュラーガー公子が相手役になると思ってたんだろうなあ………『公爵令嬢』の設定を引き当てたから勝負に出たのか、それともプレゼント群の中に彼女のためだけに用意されたような贈り物を見付けて勝利を確信したのかは分からんが―――――こうも見事に引っ掛かるとは面白いを通り越して複雑な気分」

「あら、“王子様”らしくないお顔ですこと。一緒になって仕組んだ側の吐く台詞ではなくってよ?」


どこに上機嫌になる要素があったかはまったく分からなかったけれど、悪役令嬢みたいな顔立ちの美女はお上品に微笑んだ。対する王子様は真顔に近い素面の顔でマルガレーテ嬢の独壇場を注視している。タイミングを逃すまいとしているエンターテイナーの眼差しは真摯で真剣そのものだった。

そんな彼の視線の先に、私も意識を戻してみる。縦ロールをぶわっと靡かせて、高飛車にお嬢様が喋っていた。


「少々夢見がちではあっても真の勇士には違いない貴方、いつかどこかで貴方の『運命』のお相手に出会えるとよろしいですわね。それはそれとして婚約者との逢瀬の最中に『自分の運命のお相手は別にいます』と匂わせるような贈り物と発言など言語道断、直前までが好印象だっただけに裏切られた気分が凄まじく幻滅度も失望度も倍増でしてよ! 減点します! 持ち点のすべて―――――あら? まあ、なんてことかしら。真剣に審査員を務めていたら参加者全員『理想の殿方』とはとてもとても呼べないような点数しか残っていないのだわ………百点満点から始めた筈なのに下が零点、上が十五点は流石に厳しくし過ぎたかしら? 妥協を知らなくてごめんあそばせ」


華やかに、艶やかに、毒々しい程挑発的に、まったく悪びれていない勝気さで筆頭審査員が言い放つ。本当に『理想の殿方』と呼ぶに相応しい者が居たなら冠をくれてやっても良かった、と言わんばかりの傲慢さだった。

貴族たれ、淑女たれ、尊き血の者こそ模範たれ、と己を律して高みを目指す生粋の公爵令嬢は口の端を嗜虐的に吊り上げただけで有象無象を圧倒する存在感を発揮する。それはまさしく乙女の武装、今日一番の攻撃性を持たせた彼女の最終形態だった。


「終わってみればあっという間、怒涛の時間ではあったがこれにて全行程終了! ポイント表を確認してもらえば分かることだが敢えて言おう―――――『理想の殿方』を選出するためのコンテスト記念すべき第一回目に、覇者は現れなかったことを!」


自然な流れで彼女の言葉を継いで締めに入るのは主催こと実況の役割である。王子様は滑らかに、若干置き去り気味にされている参加者と観客に向けた口上を白々しさなど感じさせない情熱で紡ぎ上げていた。

解説のフローレン嬢も続く。


「結論から申し上げますが、残念ながら今回のコンテストは『最優秀者なし』ということで決着とさせていただきます。最高得点者でも十五点………最も減点が少なかった方を優勝者とするのは簡単ですが、流石に最初の四分の一以下の持ち点で『理想の殿方』の称号を与えるのは主催側としても承服出来ず………なにより、そのように程度の低い消去法で選出されたとしても参加者方は嬉しくないでしょう? 百点満点中十五点という数字でコンテストの覇者になったとして、誰が『理想の殿方』として堂々と胸を張れるのか―――――このような結果になってしまって心苦しい限りですが、初めての試みだったが故に主催運営審査側の不手際も散見された件については今後改めてい」


「な、いっ………いい加減にしろ―――――ッ!!!!!」


誰かが叫んだ。特定するまでもないとは思うがどうせコンテストの参加者だろう。見世物にされたお花畑こと参加者番号十番の人、マルガレーテ嬢を口説くために考えていたであろうプレゼントの文言を別のエキストラスタッフさんにそのまま使った阿呆が愚かにもフローレン嬢の言葉を遮り不満を爆発させていた。

よしきた待ってた、と言わんばかりに王子様の目が一瞬光る。宿屋のチビちゃん代理でしかない私は我関せずで無言を貫きながら、心の中で命知らずだなあと他人事の茶番劇を眺めるに徹した。


「大人しく従っていればあまりにもあまり過ぎる扱い………! もう我慢なりません限界です! なんですかこのイベントは!? 馬鹿にしているにも程がある! こんなもの、主催や審査員の立場を利用して参加者の尊厳を一方的に悉く踏み躙るためだけの茶番ではないですか!!! まったく悪趣味極まりない!!!!!」


言っていることは概ね正しいというかそのとおりでしかないのだけれど、花畑思考の玉の輿狙い身の程知らずの夢見がち野郎が何を言っているのかしら、と冷めた目をするお嬢様方の視線が怖いので何も言えない。

しかし―――――仮にも“王子様”主催のイベントを悪趣味だと糾弾しているあたり、あちらは花が咲き乱れた頭にかなりの血が上っている様子。セスから業務を引き継いで会場警備を一任されているらしいティトがこのあたりで屈強なる剣術科のお仲間たちを率いて静かに移動を開始していたが、波乱の展開を期待している観客たちの熱視線は彼らの動きには無関心だった。

散々言い包められた上に見世物感覚で消費されたという負の感情が爆発している参加者番号十番は、最早人目など関係ないと言わんばかりに私の隣で平然としているマルガレーテ嬢を睨んでいる。澄ました表情がなんとも似合う生粋の高位貴族令嬢は、格下からの憎悪の視線を受け止めながら毅然とした態度で言った。


「コンテストの結果が思わしくなかったから、己が夢見ていたような結末にはならなかったからといって大声で喚き立てないでくださる? みっともない。見るに堪えない。目障りな上に耳障りでなんとも不快極まりない、そのような醜態を晒しておきながらどの口でご自身が『理想の殿方』だと声高に主張出来ますの? いいこと? よくお聞き、身の程知らず。馬鹿になどしていませんわ。私たちは真剣に、私たちが『理想』と描く殿方像を追い求めただけ。こうあって欲しい、そうあって欲しい、幻滅なんてしたくなければ失望なんてものも味わいたくない、白馬の王子様ではなくとも万人が憧れて止まないような………それこそ都合の良い創作劇か、夢物語の中にしか存在しないような高い理想を現実世界の殿方に投影したに過ぎません。噛み砕いて言えばそう、このイベント―――――無茶振りですわ、最初から」

「………なんて?」


そんなことあります? みたいなぶっちゃけがすごいところから飛び出した件。

思わず、といった様子で喚いていた男子が声を上げる。マルガレーテ嬢の唇からそんな単語が飛び出し来たのが上手く処理出来なかったのか、二の句も継げない様子だったので彼女は丁寧に言葉を続けた。かなり大真面目な口振りで。


「ですから、そもそもが『無茶振り』なのです。誰もが望む理想の殿方、誰もが認める完璧超人なんて空想上の産物は私どもとて期待していません。そんなひと、現実に居るわけない。優勝者なんてそうそう出ない。レディ・フローレンや私ども審査員その他の意見を汲み、レオニール殿下はそういった前提のもとにこのコンテストを企画されました―――――すなわち、これは一度限りで終了の企画などではなく今後も定期的に開催して『理想の殿方』なる曖昧な偶像をより正確に、精細に、現実的な解像度で目指していくことを織り込んだ成長型のイベントなのです! それでは、思わぬ横槍が入ってしまって段取りが狂ってしまいましたが詳しくは主催のレオニール殿下から!!!」


言うだけ言ってぶん投げた先には準備万端の王子様。始まる前から勝利確定、そう思わせてしまうだけの何かが醸されている不思議。

錯覚ですわ、そんなもの、と冷めた口調で吐き捨てられるのはきっとフローレン嬢くらいのもので、少なくともこの場に居合わせた観客もスタッフも参加者さえも、勢い付いたトップオブ馬鹿には誰一人として追い付けない―――――他でもない、私自身を含めて。


「当コンテストの趣旨を正しく理解し賛同し、要の審査員役を引き受けてくれたことに改めて感謝しよう、キルヒシュラーガー公子。たった今彼女が代弁してくれたとおり、我々が企画し開催したこのコンテストは前提からしてもう無茶振りだ。“王子様”として生きている“私”でさえも万人の描く『理想の殿方』足り得るかと問われれば即座に否だと返すしかない。そうして『そんな完璧超人いるわけないじゃん、現実見なって』と呆れた態度で口にするのは簡単だ、受け入れ難いものを否定するのは肯定するよりずっと楽だし現実的に賢いフリも出来る気がしてお手軽だ―――――けれども、それじゃあつまらない! 滅多にお目にかかれないからこそ希少性は跳ね上がる! 探せば居るかもしれないだろう! 居ないなら居ないでつくればいいじゃん、なんといってもそっちの方がドラマチックで面白そうだ! 夢見がちなら夢見るままに最後まで貫き通せばよろしい、演技だろうが見せ掛けだろうが信念を持ってそう在れと励み絶えるその時まで生きていくならそれは本物とさして変わらん! 『理想の殿方』が何かは知らんけど人間的な魅力を上げれば結果的にそれに近付けるんじゃない? そういうノリで、参加者たちが途方もない理不尽な壁にぶち当たって挫折しつつ次回にはそれを乗り越えて『理想の殿方』として成長していくサクセスストーリー型のイベントとかあったら楽しそうだなー、と思ってコンテストを主催するに至ったお祭り騒ぎが大好きな“王子様”ですいやあっはっはっは貴族のお遊びは趣味が悪いなあ今に始まったことじゃないけども!!!」


開き直りとぶっちゃけ具合が他の追随を許さない王子様が元気一杯はしゃぎ倒すのをフローレン嬢は止めなかった。悪趣味、とか公言しているのにそこまで不快な気分にならないのはきっと私が安全圏で見ているだけの立場だからで、当事者である参加者たちの心情はその比ではないだろうが―――――自業自得でしかないからなあ、と事情を知っているが故にそんな冷めた割り切り方で娯楽と消費の真っ只中に大人しく留まる私もまた、“王国”でいう悪趣味の一部に違いないんだろう。


「さて。そういうわけで、コンテスト初開催である今回は掴みというか実質的には実験開催だったんだけども思った以上にエキサイトしてくれて私は大変満足したぞう! 改善点は後日洗い出して今後に活かしていく予定、第二回コンテストの開催日程は未定だけれども誰であれ参加資格はあるので要準備の上で臨んでくれると主催と運営が大喜びする! 前向きな意味で驚かせてくれ、歯軋りするくらい完璧に悔しい気分で認めさせてくれ、理想が高過ぎる無茶振りの権化たちをこれはと唸らせるような………何処かの誰かが思い描いた『理想』を体現するような、気骨ある諸君らの挑戦を―――――“私たち”は、待っている」


陽気な道化の宣戦布告は、奇妙な威圧感を伴って一瞬の静寂を生んだ。惹き付ける話術、焚き付ける物言い、それっぽい単語を並べているだけの参加者に対する苦しい言い訳にも等しいそれらは、ただ堂々と臆せずはっきり口に出したというだけで大層立派な演説に聞こえる。

発破をかけられた、と認識したらしい観客席の男子を中心に野太い歓声が轟く中で、降り注ぐ拍手の雨を受けて一礼しながらも輝きを損ねない姿はまさに“王子様”だった。ギャラリーという数の暴力を自然な流れで味方に付けて、主催兼実況の美男子はポジティブに自らが企画した舞台の幕を下ろしにかかる。


「お待ちください納得いきません居直ればいいってものじゃないでしょう何を『いい感じにまとめた』みたいな顔で終わらせようとしてらっしゃるんですか貴方は!?」


そして誤魔化されてはくれないめんどくさい系花畑在住民。無言のままにそう思っている私を挟んだ両側から、フローレン嬢とマルガレーテ嬢が二人同時に鼻で笑った。


「参加者番号十番はやはり最後まで抵抗しますのね。他の者どもはある程度弁えて黙ることを覚えたというのに………愚かですこと。本当に、あれで生まれは侯爵家かしら?」

「まあ、レディ・マルガレーテったら。どなたかとプロフィールを間違えておいでよ。あちらの彼はあくまでも、どこぞの子爵家のご次男だったと記憶しておりますけれど?」

「あらいけない、最近たまたま小耳に挟んだ『実は十数年前に某侯爵閣下の火遊びの種が縁戚の子爵家に持ち込まれていた』とかいう噂にでも引っ張られてしまったかしら? 一人息子を後継として既に擁立していた子爵家に年の離れた次男坊として半ば無理矢理押し付けた、なんて醜聞もいいところだったから頭にこびりついていたのだけれど、そんな与太話を現実の方に重ね合わせてしまうようでは公女だなんて名乗れませんわね。猛省しますわ―――――それはそれとして、爵位を戴く家の者としてあの愚かさは度し難くてよ」

「同感でしてよ。それはそれとして『理想の殿方コンテスト』は既に全工程を終えましたので、リューリさんはもう宿屋のおチビさんの代理ではなくなりましたわね」

「そうですわね。晴れて観客の皆様と私どもが良く知っているリューリ・ベルさんがお戻りになると」


ちょっと止めを刺してきて、とお嬢様たちはお上品に言う。難解な言い回しであっても意味合いくらいは汲み取れた。しかしこちらのお察しスキルが働いたとしても私の本質はどう足掻いてもただの“狩猟民族”である。物理的に獲物の息の根を止める方法しか知らないってこの人たち忘れてやしないか?


「うん? 終わらせようとしているのではなく実際終わりの挨拶だったが? せっかく参加してくれた者に上手く伝わらなかったのならそれはこちらの落ち度だなあ、割と良い感じの締め口上だと思ってた“王子様”猛反省」

「うっ………いえ、いいえ、そうではなく………! 主催の殿下のお言葉に異を唱えているわけではなくてですね………ええと、その、ご提案を………そう! 記念すべき第一回『理想の殿方コンテスト』参加者として、私めから殿下方にご提案があるのです!」


王子様とお花畑の遣り取りからぐだぐだした気配を感じたところで口の挟み方が分からない。これはこのまま放っておけばトップオブ馬鹿が良い感じに馬鹿畑をなんとかするのでは? というか、それは今日の主役であるマルガレーテ嬢がやるんじゃないのか―――――と視線を彼女に向けてしまったのが何かの契機だったのか、それともただの偶然か。

お花畑の大馬鹿野郎が最悪に近い提案を吐いたのを私の聴覚は聞き逃さなかった。


「理想の殿方を選ぶためのコンテストを開催するというなら、『理想の淑女』を選ぶ舞台も設けるべきではないですか!? 貴族のご令嬢方に平民の女生徒たちだって、異性の抱く『理想』の姿を具体的に知った方がよろしいのでは!? そう、例えばお美しいキルヒシュラーガー公子はあんな悪役令嬢じみた似合わないごりごりの縦ロールではなくもっと自然にふんわりとした緩やか系の髪型になさった方が余程男子ウケがよろしいかとおも」


「女の人のヘアスタイルに野郎が注文を付けるんじゃねえぇえええええええ!!!!!」


突拍子もなく唐突に、鼓膜を怒号が劈いた。

それは王子様に匹敵するような声量であるが彼ではなく、同時に私のものでもない。腹の底から絞ったと思しき素晴らしい大音声の爆発に、油断していた生徒たちの大半は身を竦めている。びっくりして身体を硬直させて、何事かと目を見開いて―――――本日最強クラスを誇る騒音トラブルの元凶に、まじまじとした視線を向けていた。


「婚約者だろうが恋人だろうがイケメンだろうが何だろうがそれこそ例え数十年来連れ添った夫婦の間柄だろうが女の人のこだわりに男が口挟んでいいわけない、って紳士の嗜みも覚えてないヤツはもうなんも言わずに黙ァってろ公女様に失礼過ぎるだろーが!!!」


闘技場の舞台の真ん中で、ブチ切れを通り越したガチギレ具合で吠え立てている駄犬の姿に誰も彼もが唖然としている。

そんな周囲の視線などものともしないというか気付くことなく、ティト・メチェナーテは余計なことを口走ったお花畑の住人の胸倉を掴み上げていた。上背があって体格にも優れた剣術科生の現次席にそんなことをされようものなら当然掴まれている方の足は宙に浮いているのだが、ティト本人は突然の事態に奇声を発して暴れている相手をものともせず大変治安が悪い感じの言葉を大音量で吐いていたのでなんていうかこれ大丈夫かおい。


「うーん、流石はメチェナーテ侯子。市井でのびのび育ってきた分セスよりこなれた感じの口調が本場を感じさせるなあ」

「貴方という人は何を悠長な………メチェナーテ侯子の乱入は流石に予定外でしょう、感心している場合ではなくてよ。面白がっていないで止めなさい」

「そうは言ってもなあ、フローレン―――――私が止めるまでもなくない?」


イレギュラーな事態でさえも楽しむ性根の王子様が能天気にそんなことを言う。完全なる他人事感覚の言い方にフローレン嬢のこめかみに青筋が浮いたが、実際トップオブ馬鹿が止めるまでもないだろうなあとは外野の私でさえ思った。何故なら。


「うぉあぁぁぁぁちょっと待って落ち着いてくださいよこの脳筋思い切りが良過ぎて困る段取りと全ッ然違うでしょうがオイこらアンタ今警備主任代理なんだよ自覚を持て自覚をよお班長ォ!」

「ああうんそういやそうだったなごめんあとで反省文書くわぶっちゃけ後悔も反省もねーしなんならどんと来いだけど!!!」


「何をふざけたことを言っているのよそこになおりなさいこのお馬鹿―――――ッ!!!」


近くに居た剣術科生仲間から洒落にならない制止と説教を食らいながらも堂々と開き直っていたティトが、直後に轟いた甲高い声にぴゃっと巨体を縮こまらせる。その挙動はまさに悪戯の現場をおさえられてしまった子供のそれで、胸倉を掴んでぶらーん、とさせていたお花畑の住人をぼとりとその場に落としたことなど認識してすらいない様子で姿勢を正して沙汰を待つ姿は叱られる犬を連想させた。

いつの間にか私の隣から消え去っていたお嬢様が勇ましくその前に立つ。一見して怒っていると分かる彼女の剣幕は恐ろしく、先程までの威勢の良さと怖い物知らずのアホテンションはどこに行ったよと聞きたいレベルで項垂れているティトとの対比がすごい。

駄目な飼い犬を躾けるが如く、縦巻き髪が特徴的な迫力美人が声を上げる。


「不慣れなりにちゃんとお役目を全うしているかと思えば公衆の面前でこの暴挙、しかもそれを省みるどころか開き直ってみせるだなんてお馬鹿も大概になさいまし! 感情的に動かない、行動に移す前に一呼吸挟む、現場警備の班長を任されたのなら責任者としての自覚を持って最善を尽くすよう努力する………と、単純な貴方にも分かり易いようコンテストが始まるその前に忠告はしたつもりだったのだけれどそれさえ難しかったかしら!? 上に立つ者としての心構えが全然なっていないようねメチェナーテ侯子、この私をここまで落胆させた罪は重くてよ―――――けれども、私は寛大な公女。言い訳くらいはさせてあげるから、弁明があるなら今おっしゃい」

「ごめんなさいごめんなさい公女様お言い付け破ってすいませんでしたでもこの野郎じゃなかったコイツ違うこの人なんか公女様の髪型のこと遠回しどころかダイレクトに似合ってないみたいなこと言ってたんですよ俺そういうの侯爵様から『絶対に本人に伝えては駄目だし仮に女性の髪型を貶すような輩を見掛けた場合は速やかに処しておきなさい、紳士の風上にも置けない』ってちゃんと教えてもらってたんで全力でやらせていただきました、でも処し方が暴力的かつ感情的だったのはごめんなさい!!! それに関しては俺が駄目です侯爵様無関係に俺だけ駄目です! 駄目なことした自覚はあるけどその上で反省も後悔もしてませんだってコイツすっげー腹立つ公女様が毎朝苦労して髪の毛整えてることも知らないくせに―――――!!!」

「お黙り! 愛妻家にして徳も高い御仁であると評判の養父、メチェナーテ侯のお名前を出して己の正当性を主張しながら勢いで居直ればいいってものではな………ってどうして貴方が私の毎朝の苦労を知っているのよ言った覚えはなくってよ!?」


マルガレーテ嬢が悲鳴を上げた。完全に不意打ちを食らったかたちで彼女の戦闘態勢に罅が入った瞬間である。あー、と未来の国王夫妻が珍しく揃って諦めたみたいな呟きを小さめに漏らしていた。

そんな外野の反応など知らないティトはきょとんと目を丸くして、まるで当たり前のことを語るが如くに困惑しながらも問いに答える。


「えっ、どうしてって言われても………だって公女様のそのヘアスタイル、『縦ロール』って毎日毎朝きちんと巻かなきゃ出来ないやつでしょう? 綺麗に巻いて崩れないように固めるのって大変だから朝早起きしてセット中ずっと大人しく待ってなきゃいけないし、そもそも卓越した技術を持ったスタイリストを何人も抱えていなければ絶対に出来ない選ばれし髪型、って侯爵夫人がおっしゃってましたもん。熱をあてる専用の道具とか固定用の整髪料が必要な上に髪の毛そのものが傷まないよう日々のケアだって欠かせないから綺麗な髪のままあれを続けるにはとにかく費用と手間が掛かる、とも教えてもらったんですけど、俺それ聞いて公女様はやっぱりすごいなあと思ったんですよ。毎朝早起きしてすごい努力して日々のケアだってちゃんとやって、その上で綺麗な縦ロールスタイルにこだわって貫いてるんだから―――――それを本人に『似合ってない』って言うヤツは俺、普通に嫌です。ていうか公女様にそんな失礼なこと平気で言うヤツ俺は嫌いです。個人的な感情由来で力が入り過ぎました。言い訳を聞いてくださってどうもありがとうございます………それはそれとしてどうせ怒られるならもっと早い段階で余計な事を言わせる前に黙らせておけば良かったなあ、という反省点に関しては今後に活かしたいと思います」

「んんんんんんそういう問題ではなくてよ何処から突っ込んだものかしらねこの子はとにかく反省するところが違うでしょう思考のベクトルをどう振り切ったらそんな結論になりますの!? ひとまず私というか女性の努力を慮った上での行動だったということは百歩譲って理解はしました、けれども擁護は出来なくてよ! まあ、その………貴方のお心遣いには一応感謝して差し上げますわ。余計なお世話もいいところですが。正直、私のこの髪型に対する不評の類などもうとうの昔に聞き飽きているレベルだから今更気にすることでもないのよ。似合っていない、と言われるのであれば。実際他人の目から見て私にコレは似合わないのでしょうね―――――もっとも、有象無象の囀り如きでこの私が揺らぐことなどあり得ない話なのですけれど」

「え? 公女様に似合ってますよそれ。だって見るからにすごく強そう。カッコいい公女様にお似合いなので俺は好きです、縦ロール。縦ロールの公女様大好きですよ!!!」

「ここここここんのお馬鹿さんは屈託のない笑顔で突然何を言い出すのかと思えば発言にはもっと気を付けなさいっていつも言ってるでしょうがホントに―――――ッ!!!」


罅割れていたマルガレーテ嬢の戦闘態勢が脆くも崩れ去った現場を目の当たりにしてしまった私はなんだこれ、と素直に思った。隣のフローレン嬢はやれやれといった面持ちでお手上げだと首を軽く振り、王子様に至っては「なんだあいつ素であれか凄いな逸材が過ぎるだろう磨けば光るどころじゃない」と実況も忘れてコメントしている。トップオブ馬鹿が馬鹿二号をエンタメ的な視点から称賛してんのホント何?

ちなみにこれは完全に余談になってしまうのだけれど審査員席に座ったままのお嬢さん方は一番さんから五番さんまで全員が『十点』と書かれたボードをだんだんだだだぁん! と連続で叩き付けるように立てていた。気持ちリズミカルなのなんで? あとそれどっから出してきたの?


「こういうのでいいんですよこういうので!!!!!」


こういうのってどういうのだよ。見たままですかそうですか。

審査員番号何番さんかは分からないけれどとにかく迫真の雄叫びが会場内に木霊する。うんうん、と頷いている女生徒たちがなんだかやたらといっぱい居た。あっちこっちにいっぱい居た。こういうのってどういうのですかと聞くような輩は居なかった―――――わかる、みたいな一体感が私にはどうも理解出来ない。コンテストが既に終了したなら私もう帰っていいですか。


「こっの―――――編入生、貴様! いきなり出て来た分際で私を放置していちゃいちゃするなァッ!!!!!」


うんそれはもう本当にそう、と同意するしかないド正論を吐いて立ち上がったのはティトに胸倉掴まれてがっくんがっくんされた挙句にぼとっと地面に落とされたお花畑の男子生徒だ。殴り倒されていたわけでもないので復活が早いのは道理なのだが、そこは一発ぶん殴ってでも沈めておけよメンドクセェなとこの場には居ない警備主任(真)の声なき声が聞こえた気がして思わず周囲を確認してしまう。居ない。どこでなにしてんだ三白眼。


「一体これはどういうつもりだ、説明したまえメチェナーテ侯子! コンテストの参加者でもないくせにいきなり出て来て暴力的な振る舞いで私を辱めたばかりかキルヒシュラーガー公子のご機嫌取りも甚だしい見え透いた媚の大安売りとは………はは、流石は平民上がりだ。そんな珍獣じみた言動で高位貴族のご令嬢の気を引こうとは浅ましい! 今は侯子でも元は平民、生粋の貴族生まれでないなら分からないのも無理からぬことだが領分というものを弁えたまえよ! それとも何か? 女性が聞けば喜びそうな安っぽい誉め言葉でも引っ提げて今更コンテストに飛び入り参加でもしに来たというのかこの野蛮人!!!」


「いやもう殿下が終了宣言してるコンテストに飛び入りもへったくれもあるわけないじゃん終わってるモンにどうやって参加するんだよ無理だろ普通ひょっとしてアンタ馬鹿なんです?」


「メチェナーテ侯子が普通に言った―――――! 正論と暴言を適当に混ぜて割らずにそのままお出ししました、みたいなそういうの“王子様”嫌いじゃないぞう言われた方は不意打ち食らって言葉を失くしているけれども!!!」

「お黙りになって馬鹿王子。貴方の好みなどはどうでもよくてよ………とはいえ、確かに、コンテストそのものは既に終了しておりますので、終わったものに今更参加など出来ないという彼の指摘はごもっとも。私どもとしましても、流石にここでメチェナーテ侯子の飛び入り参加を認めるだなんて特例を出すことは不可能です―――――客席の皆様のご期待に添えず心苦しくはありますが、ええ、流石に、そればかりは」


終わったものは終わっているからもうこれ以上はどうにも出来ない、とフローレン嬢は首を振る。イベント大好き王子様でもそこばかりは譲れなかったのか、無理なものは無理だぞうと肩を竦めて嘯いていた。

四方八方から降り注ぐ落胆の気配を受けながら、しかし当事者のティト本人はきょとんとした顔で主催陣を見ている。


「あれ? 殿下、フローレン様。なんでそんな残念そうなお顔してらっしゃるんですか? 公女様みたいなお叱りが飛んでくるどころかよく分かんないこの空気なんか怖い」

「あっはっはっはお前それ普通に口に出しちゃう系? 面白いからいいけれどもますます惜しい気分になるなあ、メチェナーテ侯子をコンテストに飛び入り参加で放り込んだらさぞ面白いことになっただろうにと王子様の直感が囁いているのに今更過ぎてホント残念」

「えー。別にそんな面白いことにはなんなかったと思いますけど………というか、自主的には絶対出ないしたとえ殿下に打診されたって出られないですよ、俺の場合」

「は、なんだ。及び腰だな、臆病者め」


ひょっとしてアンタ馬鹿なんです? と言い放たれたことを根に持っていたのかここぞとばかりにちくちく刺してくるお花畑の住人を主に上背的な意味で高い位置から見下ろして、ティトはさして腹を立てた様子もなくそうじゃなくて、と前置いてから自分の意見を口にした。


「公女様が審査員をお務めになるような格式の高いコンテストに、運良く侯爵家の養子になったばっかの元平民が出たって正直邪魔じゃん。今はメチェナーテ侯子って呼ばれてても俺個人はいろいろ勉強中の身だから侯爵令息っぽさ皆無だしさあ、見るに見兼ねた公女様たちがたくさん指導してくださるけど、それでもまだまだ全然なってない。分かんないことや出来ないことや足りないことの方が多い上に言葉遣いだってすぐこれだ。アンタ………じゃなかった、実際にコンテストに参加されたあなた方のような『理想の殿方』の要素どころか“紳士”にすら程遠い有様なので、参加するようにと打診されたところで畏れ多くてとても出られません。駄目だろ、こんなヤツが出ちゃ。せっかくのコンテストの品位が落ちます―――――なので、たとえ出場を主催の方々から打診されても俺、じゃなかった私は慎んでご辞退申し上げます」

「思い出したかのように要所要所で言い回しを改めたところで私は誤魔化されませんからね。メチェナーテ侯子、反省文は原稿用紙十枚を覚悟なさい」

「え、二十枚くらいは書くつもりでいたのに十枚でいいんですか公女様! 優しい!」

「喜ぶところではないでしょう不屈のポジティブ・シンキングでして!?」


不撓不屈の前向き精神にマルガレーテ嬢が目を剥いていたが私の知っている限りティトは大体あんな感じでポジティブさは王子様に次ぐ。まさしく馬鹿二号の称号に相応しい素質を持つ男子生徒である。


「え、なんだコイツ脳筋みたいな登場しといて思考は案外冷静とみせかけた挙句やたらめったら前向きでこわ………って、僕は騙されませんからね! というか隙あらばまた親密な遣り取りを平然と披露するお二人はどういう関係で!? 以前から不思議で仕方ありませんでしたがもしやキルヒシュラーガー公子はそういう馬鹿で単純な平民上がりがお好みなんですか!? あれだけ『理想の殿方』について厳しく注文を付けていたのに!? 平民だから俺分かんない、またなんかやっちゃいましたかあ? みたいな創作界隈のテンプレートにまんまと引っ掛かるようなチョロいご令嬢なんですか貴女は!?!?」

「おうテメー公女様になんっつー失礼なこと言ってんだゴラそんなワケねーだろこのひとはそういう成長しないタイプが何より一番お嫌いだろうが!!! そんくらいは付き合いの浅い俺でも二日で分かるわ観察眼ゴミか! 目ン玉飾りか!? 貴族の矜持大事にして他人より自分に厳しい公女様がそんな運良く貴族に拾われたことに胡坐掻いて何も学ぼうとしねぇ成長も進歩もまったくしねぇ人間なんざ好きになるわけねーだろこちとら馬鹿の自覚はあるけど馬鹿は馬鹿でも頭悪いなりに頑張らなきゃって必死なんだわだって絶対嫌われたくねーもんだからコンテストにも出らんねえし出れるわけねえじゃんこんなんで―――――!!!!!」


阿呆なことを口走り始めた花畑に駄犬が噛み付いた。セスは居ないのにティトの治安がセス並みに悪い不具合発生。警備主任代理の班長が大暴走とかしているせいで配下ポジションの剣術科生の皆さんはだいぶお困りの様子。

ぐだぐだが酷いというよりもきちんと終わりきれなかった何かがだらだらと続いているこの状況、責任者である筈の王子様は素敵な笑顔を浮かべるだけで全然止めないどころかいいぞうもっとやれやれとか完全に野次馬と化している。


「あ、でもよく考えたら公女様無関係にずっと“貴族”として紳士であろうと頑張ってきた人たちに対して失礼な気がするからやっぱ無理。ぽっと出の侯爵家の養子が中途半端な状態で出張っていい舞台じゃないやつじゃん。出場するならもうちょっとまともな男にならないと………なれ………なれる気がしない………またやった………これは反省文三十枚の新記録待ったなしの予感………」

「お黙り。それは貴方が決めることではなくてよ、メチェナーテ侯子。最近は随分と改善されていたのにそれを帳消しにせんばかりの褒められたものではない言動の数々―――――反省文をだらだらと書き連ねるのは資源の無駄です、今回は敢えて原稿用紙五枚以内にまとめ上げて近日中に提出なさい。異論は一切認めなくてよ」

「あれなんかノルマ減った感じ? 五枚でいいの? 違う、じゃなくてええと、よろしいのですか、公女様」

「かしこまりました、以外の返事を許可した覚えはないのだけれど?」

「かしこまりました公女様ー! 近日中にお持ちします!!!」


犬だ。でっかい犬がいる。そんな感想を抱いたところで何もコメントする気になれず、とりあえず見守る茶番劇場にあるのは飼い主と駄犬から放置されているお花畑な男子の姿。


「………私は何をしているんだ………? なにがどうなってこんな………まるで主人公の噛ませ犬みたいな状況に………? 『リューリ・ベル』は基本引っ込んでいたのに何故こんなことになっているんだ………?」


今更正気に戻ったのかよと問いたい気持ちもあったけれど、たまたま拾った彼の呟きに自分の名前が含まれていたので顔を上げる。何故、という疑問に対しての答えなど持ち合わせていなかったけれど、ふと思い至った仮説があったので発言権を求めて手を上げた。すぐに気付いた王子様が私を指して促したので、なんだか久し振りな気分で自分の声を外に出す。


「ちょっと聞きたくなったから聞くけど、マルガレーテさんってそいつのこといろいろ気に掛けてやってたよな? 言葉遣いとかテーブルマナーとか手紙の遣り取りとかそのへん」

「え? ええ、まあそうですわね。リューリ・ベルさんのおっしゃるとおりでしてよ。メチェナーテ侯子には我が西方一門の者たちが散々迷惑をおかけしてしまいましたから、そのお詫び、とでも言いますか………ささやかながら彼が“貴族”として今後を生きていく上で私が指導出来そうなことを一通りお教えしていますけれど………あの、それが何か?」

「いや別に何がどうってわけじゃないんだけど、それって公爵令嬢のマルガレーテさんから見ても『まあこれくらいなら問題ないでしょう』って認めてやってもいい程度の“貴族”にティトがなれるように面倒見てやってるって解釈で合ってる?」

「ええ、概ねそうなりますわ………もっとも、この私が指導するのですもの。これくらいなら問題ない、程度で妥協するのではなく、何処に出しても恥ずかしくない、生粋の王国貴族に比べても見劣りしないような………それこそ、所詮は養子の元平民だなどとは誰にも言わせないような、社交界でも通用する一流の立派な“紳士”として鍛え育てて差し上げる所存で―――――」


「私の気のせいかもなんだけどそれってマルガレーテさんが思い描いてる『理想の殿方』に一番近いの現状ではティトってことにならない?」


沈黙が下りた。それを無視して、私は思い付きの仮説を語る―――――言いたくなったから言うだけなので、それで何がどうなるかなんて深いことまでは考えない。


「マルガレーテさんが『どこに出しても恥ずかしくない』って送り出せるように教育してるならマルガレーテさんの理想とやらに一番近いのそいつじゃん。世の大多数の女性陣の理想とかは正直分かんないけど、少なくともマルガレーテさん本人が一流の立派な紳士云々とかそういうコンセプトで育ててるんなら最終的にティトがそうなる可能性一番高いってことになんない?」


違う? と雑に問い掛ければ、マルガレーテ嬢はまあるくした目をすっとティトに向けて小首を傾げた。それに釣られてティトも彼女に合わせた目ごと首を傾けている。三秒程の沈黙を挟み、マルガレーテ嬢はもう一度私の方に視線を向けた。


「………ええと、言われてみれば、そんな気も………?」


そしてティトを二度見して―――――そのままの勢いで三度見四度見を繰り返したところで爆発する。


「ああああああああああああなたに私自分の理想を押し付けてましたのなんてことを私ったらあなたになんてことを―――――ッ!?!?」

「落ち着いて公女様落ち着いて違います大丈夫ですよく見て俺たぶん公女様の理想とは程遠いなんかしら別もんですから―――――!!!」

「フォローしようとする気概はさておきもう少しマシな言葉選びは出来ないんですのこの単純極まるお馬鹿さんは!?」

「あ、良かったいつもの公女様だ!!!」

「それだけで済まされていいのかしらこれ!?」


パニックを起こしてがちゃがちゃしているマルガレーテ嬢とでっかい馬鹿をほっこりとした目で見守る人多数。どこからともなく聞こえてくる「ハヨクッツケ」って何の呪文?

恥ずかしいのか居た堪れないのかとにかく明らかな混乱状態にあるマルガレーテ嬢とそれをなんとか宥めようとする同じく若干混乱気味のティトが何やらぽんぽんと会話の応酬を途切れることなく続けているが、それに水を差せるであろう王子様とフローレン嬢は二人揃って主催席から微動だにせず寛いでいた。


「さて、殿下―――――『理想の殿方コンテスト』の必要性を全否定して投げっ放したようなこの混沌。如何にして収拾するおつもりで?」

「そうだなあ………よし、せっかくだからもう少しだけあのまま放置してみよう! おっと、そんな顔をする必要はないぞう、フローレン。キルヒシュラーガー公子とメチェナーテ侯子の仲がこれで進展でもしようものなら結果的に懸念事項は減るとの確信が“私”にはある―――――ふふ、ふふふふ、ああ面白い! リューリ・ベルが指摘してくれたおかげで私が暴露するよりもずっと面白いことになった! 彼女、本当に今の今までその可能性に気が付いていなかったのか。ティトの方もまあそうだけれど、案外みんなも気付いていなかったおかげでなんとも愉快愉快!」


けらけら、と屈託なく笑う王子様は道化というより得体の知れない何か別の生き物だった。どこからどこまでが折り込み済みで、どこからどこまでがアドリブなのか、そのあたりが一切分からないから余計得体が知れない気がする。

けれど、フローレン嬢はそんな婚約者を冷たく見据えて小さく息を吐くだけだった。


「悪趣味でしてよ。レオニール」

「今更じゃない? フローレン」


むしろ貴族の催す遊びが悪趣味じゃない試しがあった? と曇りのない眼で馬鹿が言う。悪趣味方向に振り切ろうと思えばどこまでもその路線で突っ走れるあたり、主催の王子様は馬鹿でも陽気な道化枠でも生粋のお貴族様だった。


「ふふ。それにしても『リューリ・ベル』だけを封じておけばどうとでもなるなんて見通しが甘いなあ、本気でキルヒシュラーガー公子を落とすつもりなら彼女が最近気に掛けているメチェナーテ侯子の存在もしっかりと把握しておかないと―――――所謂『主人公』属性を持つ者が現状リューリ・ベルひとりだなんて思っている時点で負け確だろうに」

「あら。いやだわ、レオニール。何処ぞの策略家気取りでして?」

「うん? そんなつもりはないぞう? “招待学生”と“編入生”、“国賓待遇の狩猟民族”と“侯爵家養子の元平民”、どちらも高位貴族の令嬢令息に近しく親しいポジションに居て、なおかつ見目は麗しく毛色の異なる人間性―――――参加者番号十番のアレは最後にようやく掴んだらしいが、主人公の嚙ませ犬、とは読んで字の如くその通りだなあ。これであの二人の相性が良いと学園中に周知されるなら軽々に手を出そうとする輩も減ろうというものだ!」

「まあ、楽観的ですこと。まだまだ伸びしろしかないようなメチェナーテ侯子では相応しくない、と彼を押し退けて前に出る輩が出ないとも限りませんでしょう?」

「そこを突かれると流石に痛い。とは言え、犬に嚙まれると分かっていながらちょっかいをかける類の馬鹿は今回で根絶やしたと思いたいんだが」

「貴方がそれをおっしゃいますの?」

「フローレンの目が怖いよリューリ・ベル!」

「どうでもいいけど王子様、終わったなら本気で帰っていいか? お楽しみ企画とやらはまだかなって大人しく待ってたんだけど一向にその気配がないのはどういうことか物理で聞いてもいい?」

「あーそうだったそうだった待たせてごめんな腹ぺこフェアリー頼むからおててはパーにしといて? 拳を握るのはまだ早いぞう“王子様”は馬鹿だが嘘は吐かない! 余計な横槍入れられたせいですっかりそっちのこと忘れてた、思い出したからには早速この場をおさめて次のき」


「どうしてこの私がティト・メチェナーテのようなただただ運と顔と体格と人当たりがいいだけの平民の噛ませ犬などに………それこそ泥臭い芋みたいな低俗な価値しか持ち得ないような出自の分際で生意気なげらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


がっしょぉぉぉん、と机が飛んだ。厳密に言えば私が投げた。立ち上がりながら両手で掴んで振り被るように持ち上げて力の限りにぶん投げたその瞬間を目撃していたフローレン嬢は引き攣っていたし彼女が巻き込まれないよう咄嗟に庇って身を屈めていた案外素早い王子様に至ってはもう真顔だったがそんなことはどうでも良かったので自分の座っていた金属製の折り畳み椅子を肩に担ぎつつ前に出た私を怯えた声が迎え撃つ。


「ななななななんなん本当になんなんだいきなり机を投げ飛ばして私を攻撃するなんてどういうつもりだリューリ・ベル!!!!!」

「うるせぇお前今なんつったティトのことはどうでもいいとして美味しいお芋の価値が低俗だとかお前が勝手に決めてんじゃねえぞお芋は煮て良し焼いて良し、揚げても蒸しても丸のままでも切っても潰してもスープにしても美味しい超絶素敵なお野菜だろうが! 人類の主食の一角を担うお芋に対する暴言は聞き捨てならない絶対許さん地面に額を擦り付けてお芋と農家の皆さんに誠心誠意ごめんなさいするまで基本的な人権の類は一切保障されないと思え!!!」

「キレた―――――! リューリ・ベルがお芋への低俗な当て擦りでキレた!!! 人間ではなく食べ物に対していつでも真摯なリューリ・ベル、お芋に対する失礼発言を聞き逃せずに机をぶん投げ椅子を担いでメンチを切るというチンピラみたいな凄み方だが本人の容姿はご覧の通り雪国在住の妖精さんなので絵面的な齟齬がまあ酷い! けれども我々は慣れているので条件反射で上がるテンション、食糧ガチ勢リューリ・ベルに観客席の一部から一際野太く激烈なエールが届いているが出所は絶対農業科生だと分かるあたりがお約束―――――なのだが流れがよろしくないので一計を案じてカモン! スタッフ!!!」


いつもだったら実況ついでに煽りを挟んでくる王子様だが、今回は趣向が違うらしい。

ひょい、と肩に担いでいた組み立て式の椅子が取り上げられた。振り向けばそこにセスが居る。当たり前のような顔をして、いつの間に来たんだお前はと聞くのも憚られるくらいの自然さで、三白眼はそこに立っていた。


「今ここで暴れると食いっぱぐれるぞ」

「それは嫌だけどもこいつは殴りたい」

「そこは農業科に譲ってやれや」


雑な感じでそう告げて、お気遣いの三白眼がくいっと顎で指し示した先には剣術科生の警備員さんに押し留められている農業科生と思しき皆さんの姿があった。気のせいじゃなければなんかもう軽く暴動の域である。観客席に居た人々とはまた別口のようであり、彼らの腕にはすっかりお馴染みのボランティアスタッフ腕章があった。

セスはそんな彼らに向けて、静かに淡々と言葉を紡ぐ。声を張り上げるわけでもないのに不思議と良く通る低めの声で。


「農業科生、芋系統の栽培に携わってる生徒は挙手」


しゅばばばばばばば! と全員が空に刺されと言わんばかりの鋭さで勢い良く手を上げていく。三白眼の呼び掛けが聞こえていたらしい観客席からもちらほらと同じ速度と熱意でしゅぱしゅぱと手が上がっていた。流石はお芋。主食の一角。王国各地で栽培されまくり痩せた土地でも気合いで育ちお野菜なのに寒さに強めで収穫量も素晴らしいという食文化を支えし大地の恵み。お芋によって飢餓から救われた命は数えきれないだけに関わっているプロ農民さんの桁も違うというものだ―――――そんな彼らを差し置いて、“狩猟民族”がお芋の名誉を守ろうなどとは烏滸がましかった。


「あ、これ私の出る幕ないな。出過ぎた真似しちゃってごめんなさい」

「いえいえ、そんな。滅相もないことでございます」

「栽培場所をあまり選ばず何処でも作れるのが芋類の強みではありますが、『何処でも育って手に入る』が故に軽んじられて蔑視される傾向があるのも事実ですので………」

「芋臭い、ってダサいヤツや田舎者を馬鹿にする系のニュアンスで使われちゃったりする度にイラッとしてたのがスッキリしました、ありがとうございます―――――あとはお任せを」

「お芋リスペクト助かります。いのちが」

「いのちが!?」

「声がでけぇ!」


農業科生の皆さんに思わず引っ繰り返った声で聞き返してしまった私の後頭部をすかさずセスが引っ叩く。急に大声出したのはごめんだけれども手が早い。私が言えたことではないが暴力に訴える判断が早い。

おやおやまあまあ、みたいな温かい目でそんな私たちを眺めていた農業科生の皆さんだが、集団でお芋という偉大な糧について要らんこと口走った馬鹿一名を囲んで連行していった際の目は割と据わっていらっしゃった。気のせいでなければ観客側も何人か席を立ち始めている―――――お芋の名誉は守られるだろう。そんな確信だけがあった。


「白い人ー。お芋でキレるのはまあしょうがないとしても机投げたのは良くないぞ。剣術科生だけならいいけど今回は近くに公女様もいらっしゃったんだからそこのところだけは反省し………て、欲しい、と思います」

「あ、うん。あの馬鹿以外に当てるつもりなかったけどそれは言い訳にならないもんな。そこのところはごめんなさい。マルガレーテさん大丈夫?」

「驚きはしたけれども物理的には無事よ………でも机を投げるのはメチェナーテ侯子の言う通り危ないから今後はお止めなさいね、あとフローレンやレオニール殿下や審査員席の皆様もさぞや驚いただろうからそちらにもちゃんと謝罪して―――――って、今更ですけれどこの状況、一体どうやって収拾すれば?」


ふいに我に返ったらしいマルガレーテ嬢は途方に暮れて、すっかり剥がれ落ちてしまった淑女の仮面の下の素顔は困り果てたものになっている。コンテストそのものは既に終わったし刈り取って燃やすべき花畑はすべて退場しているものの、締まりがないと言えば締まりがないどころか混沌としたまま投げっ放したこの状況を如何にすべきかと苦悩する姿に覇気はない。

そんな彼女をとりあえず座らせてやれとの意図でもあるのか、私から取り上げたパイプ椅子をティトに渡して嘆息しながらセスは投げ遣りに私見を述べた。


「まァあの馬鹿がなんとかするだろ」

「むしろあの王子様なんとかしろよ」

「止めろ白いの正論過ぎて頭痛がしてくる」

「私の方は胃袋とお腹が痛かったりするぞ」

「腹減ってるだけだろ」

「分かってるならいい」

「なにひとつとして良くはねえな―――――ああ、戻って来たな。よし」


良くはない、と言ったその口が、よし、と安堵を滲ませる。それが不思議だったからセスの視線の先を追えば、農業科生のボランティアさんがぞろぞろと戻って来たところだった。

彼ら彼女らは一様に、晴れ晴れとした顔をして何やら大掛かりなワゴンだの箱だのを危なげもなく運んでいる―――――鼻腔をくすぐる油の香りを脳が知覚したその瞬間、沈黙を保っていた王子様の声が会場中に轟いた。


「まったく次から次へと入る横槍逆に狙ってる? と作為を疑いたくなるレベルに腰を折られた気はしているが、そんなトラブルなど華麗に捌いてなかったことにしてみせるのがエンターテイナーというものだ! 中途半端にカオスと化して不完全燃焼感燻ったこの状況をどうするべきか、ぶっちゃけそんなの急場じゃ咄嗟に思い付いたりしないのであらかじめ用意していたプランをゴリ押しでお出しするとしよう! だってもう準備しちゃってたからな!!! それでは未だ会場に留まりし馬鹿騒ぎ好きな“王国民”の諸君、舞台上観客席問わず闘技場内に多数配置されたボランティアたちに注目してくれ! 彼ら彼女らが持って来たのは食堂で密かに調理していた本日のお楽しみ企画物!!! 何の因果か偶然か、それはさっきブッチギレしながらリューリ・ベルが熱く語った“お芋”を使った料理たち! 煮たり焼いたり揚げたり蒸したり食堂スタッフが知識の限りを総動員して作りまくった王国各地のお芋料理が一堂に会していたりするので好きなだけ食べて味わって食の新境地を開拓しお気に入りの一品を見付けてほしい! 好みはあれども優劣はなく、また順位付けも必要ない、美味しいものを楽しく食べて思い出を鮮やかに彩るサプライズ! 名付けて―――――お芋! 大・集・合ォ!!!!!」

「なん―――――お芋大集合!?」


食い付くしかない魅惑の響き。お芋が大集合していますよと分かり易さ重視の馬鹿さ加減。嫌いじゃないそういうの嫌いじゃない。むしろ好きな部類というかコンテストなんかよりよっぽどテンションぶち上がる企画立ててたなら言って!?


「ああ、農業科生のスタッフがあんなにも早く花畑の民を回収しに来た意味が分かりましたわ………このための準備をしていたのね………」

「あれ? 公女様はご存じなかったんですか? お芋大集合」

「コンテスト終了後にひとつサプライズで企画を催している、とは聞き及んでいたけれど、コンテストの方にかかりきりだった私はそちらにはあまり関与していなくて………まさかお芋料理をたくさん出して来るなんて思わなかったわ………洗練されし『理想の殿方』を選出するコンテストの幕引きにしては些か皮肉がきき過ぎというか………これ、一歩でも踏み間違えていたならリューリ・ベルさんに殴り倒されていたのはレオニール殿下だったのではなくて………?」


疲労がどっと押し寄せて来たらしくティトに支えられて椅子に腰掛けたマルガレーテ嬢の懸念については、そんなことにはならなかったので私からはどうとも言えないけれど。


「おああぁぁぁぁ芋バター石焼き芋揚げ芋ポテトサラダサンドその他なんか見たことないやつお芋がいっぱいセレクションンンンンン!!! 食べていいやつ!?」

「もちろんいいやつ!」

「お楽しみ企画最高じゃ―――――ん!!!」


細かいことはいいからお食べ! と快活な笑顔で陽気な馬鹿が許可を出したので身体が跳ねる。全身で喜びを表現したタイミングで観客席からもスタッフたちからも弾けたような歓声がわあわあきゃあきゃあ上がっていたが、闘技場内各地にて臨時ブースを展開し押し寄せる客を捌かんとする食堂のおばちゃん及びボランティアのスタッフさんだけは戦士の面差しで頼もしさしか見当たらない。


「調理済みのモン随時運び込んで簡易ブース数と提供側の人員全部確認して衛生チェック通して一斉に展開して追加搬入の段取り付けて会場警備見回り強化して、かつコンテスト中は怪我人急病人の対処もしながら通常業務も回しつつ参加者どもを随時隔離する―――――俺だけ、やることが、多いんだよクソが」

「恨みが深い。セスお前しばらく見ないと思ったら多忙の極みじゃん息してるか………? あ、なんかあっちのおばちゃんパイ料理っぽいものがあるってアピールしてくれてるけど食べに行く? 行ける? まだ仕事中?」

「お芋大集合が始まった時点で休憩入れた。もう知らん。無心で食う。レオニールはあとで蹴って殴る」

「真顔でお前がお芋大集合とか言うと相当笑えるんだけどあまりにもお疲れ様過ぎてなんも言えない」

「言えや調子狂う」

「実はもう言った」

「確かに。俺コレ頭動いてねぇな」

「それなりに会話は成り立つぞ?」

「惰性でなんとか」

「すごいなそれは」


いつものように。コンテスト中でも、終わった後でも、いつものように気楽な雑さで適当に言葉は転がっていく。意味も中身も特にない、雑談とともに二人足早に舞台の上を突っ切って、闘技場の中心部から観客席へと運ばれていくいろんな料理に舌鼓を打つ人々の姿をたまに横目に、賑やかな時間が満ちていく。

運営側と観客側、コンテストとお芋大集合。どちらの視点にも立った私は、今は美味しいお芋を巡っていつもと違うようでいながらさして変わらない日常を学生として謳歌していた。


「セスセスセス待ておい三白眼おま、お前それはやっちゃ駄目だろいくらお仕事お疲れ様っつってもやっていいことと悪いことがあるだろなんでパイ料理お前ひとりで全部食べちゃうんだお気遣いの三白眼どこ行った!?」

「さっき帰った」

「目の前に居る」

「帰ったっつってんだろが。あとこれ普通に激辛のパイだぞ」

「お気遣いの三白眼やっぱ帰ってないじゃんよ辛いのは無理」

「だろうな。大人しくこっちでも食っとけスイートポテト」

「甘い美味しい溶けるの早い足りないおかわりもっとくれ」

「はや」

「はよ」


似たり寄ったり、だらだらぐだぐだ、今日が終わればまた明日、その繰り返しで過ごす日々。そんな“王国”での日常は、もうすぐ終わってしまうけれど。


「文化祭前のお遊び企画、楽しまなければ損をするぞう! 英気を存分に養って、当日本番にベストを尽くす糧にしてくれ学友諸君!!!」


諦め気味に口の端を持ち上げているフローレン嬢の傍らで、王子様が輝いている。眩しい笑顔を振り撒きながら、ちゃっかり同じお芋のお菓子を口に運んで談笑していた。当たり前にそこにある光景。ひたすらに続く日々の一部。

いつまでもそこにあるようなそれを―――――いつかはここから居なくなる私も、今は彼ら彼女らに混じっておんなじように、眺めていた。



どうして辿り着いてしまわれたので?(休眠取って欲しいの意)


過去最高に嵩張り倒してしまったこんな端の端っこにまでお目通しいただきありがとうございます。尊敬の念を通り越していっそ恐怖すら感じてしまう……眼精疲労大丈夫……?

本来なら分割すべきところを無理矢理削って詰め直してソイヤッとお出ししてしまいましたが正直ここに辿り着いた方はそんなこと今更気にしないんじゃないかなと希望的観測を抱いています。楽観的過ぎて笑うところ。

「ンなワケねえだろ」だった場合はいつものことながら申し訳ない、なにはともあれ寛大な心でお付き合いいただきましたあなた様、まことにありがとうございました!

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[一言] ちょっとバタバタしてて、長くこのサイト見れず… 時間ができたので早速読みに参りました。 活字が踊るように活き活きしていて勢いがあるので、いつも楽しく拝見してます。 掛け合いのテンポの良さに…
[一言] 作者様 予告?の限界突破文字数に読み始める決心がつくのに時間がかかりました。 今回も、が、がんばりましたね!(震え声) と、恒例のいくら読んでも、右にあるページの進む具合を示しているバーが…
[良い点] 今回のお話は、色々と考えさせられる『隠されたメッセージ』がある気がする(8割読んでる途中の感想) からの 締めが『芋』に全てを持っていかれてしまいました(笑) 今日も平和です。 が…
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