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19.ランチのためなら手段は選ぶな

お久し振りでございます。

突然ですが今回は割と読まなくても大丈夫な仕上がりになっております要約すると「分割して削りまくったらただの導入部分みがすごい」←

それでも自己満足と情熱はいつものとおりにこれでもかと詰め込んでみた趣味のごった煮ですので、いろいろあって外出不可なお盆シーズンの暇潰しにでもご活用いただければ幸いです。

天気の良い日はいつだって、眩しさに目を細めたくなる。

眼球の表面を刺すような、視神経を経由して脳の一部を焼くような、そんな痛みに眉根を寄せて天頂の太陽から視線を外した。代わりに見下ろした自分の影は、今は光源が真上にあるので当然ながら酷く短い―――――ので、のんびりはしていられない。

最重要事項を確かめてからの行動は我ながら早かった。濃淡の違いがあったとしても日中の空は青いのが当たり前の“王国”で、学生ないし教員その他と大勢の人間たちが集う“学園”というこの場所で、髪も肌も白い“私”はただ居るだけで人目を引く。それに関しては最初からだし、今更気にしたことでもない。

というか、驚異的な速度を出しながら学園の敷地内を迷わず突っ切る輩を見掛けたら大抵の通行人は目で追うだろう。私もそこは否定しない。動くものを目で追ってしまうのは動物の習性と言い換えてもいいからしょうがないやつです。問題なし。

珍しいものに注がれる、好奇と興味に満ちた視線。そんなものには慣れている。とっくの昔に慣れてしまって、だから今更気にならない―――――そう、思っていたのだけれど。


「誰だテメェ」

「なんだお前」


見慣れる、を通り越してもうお馴染みともいえる三白眼に真顔で誰だと聞かれた結果、反射の域で口が滑った。けれど心情は間違っていない。

心の底からなんだお前。

興味本位な好奇心とはおよそ無縁の素の困惑を浮かべているセスが意味分からないというか信じられなくて逆にお前こそ誰だよと思う。


「どうした三白眼。眼球無事か?」

「テメェこそ胃袋無事かよ白いの」

「なんだセスお前ちゃんと目ぇ見えてんじゃねぇかよ!!!!!」

「当たり前だろがなんだテメェ急に叫ぶなやリューリ!!!!!」


がーっ! と強めに吠え立てたら同じ勢いで返してくるのがこの三白眼のすごいところ。

なんと、適当に喋ってもなんとなく程度の雑な感覚でそれなりに通じてしまうのである。理屈も理由も一切不明だがあんまり気になったことはないので今更別段気にも留めない。そんなこんなで間違いなく、目の前に居るのはセスだった。

普通に、いつもと変わらない凶悪な顔の三白眼だ。驚いて損をした気分で、けれど大声を出した件については流石に謝罪をしなければならない―――――あんまり広くないところでめちゃくちゃに声を張ってしまったせいで壁とか窓とかビリビリしたので、そこはもうナチュラルに私が悪い。


「いや、“北の民”と“王国民”の見た目の区別もつかないくらい致命的に目が悪くなっちゃったのかと思ってびっくりしたから、ごめん。つい」

「それに関しては初手でうっかり『誰だテメェ』とか口走った俺の過失が十割だから別に謝らんでいい。ただ此処では叫ぶな。反響して五月蠅ェ」


寛大な心で正論を吐いてくるセスには素直に同意するしかない。異様に目付きの鋭い顔立ちを更に険しくした彼は、しかし叫び返してすっきりしたのか次の瞬間には沈静化していた。それでもこちらを見遣る目線はいくらか訝し気なもので、まるでこの場に私がいるのが信じられないと言わんばかりの露骨さに満ち溢れていたけれど。


「で? そんなことより、なんで今テメェが、こんな場所に居やがんだ―――――昼飯時にランチガチ勢がわざわざ来るようなスポットじゃねぇだろ。剣術科生くらいしか使わねぇただの用具倉庫だぞ、此処」


用具倉庫、との言葉のとおり、セスと私が今居る場所は学園の敷地のかなり端にある小さな建物の中だった。ざっと眺めた感じ間取りは広いがあれもこれもと放り込まれたいろんな道具が目に付くせいでなんとなく体感的に狭い。初めて訪れた場所だったので、こんなところがあったんだなぁと物珍しさに視線が動く。

いつか見た長い鋼の棒に、薄く伸ばした金属を円盤のかたちにした置物。長い棒の先端に刃物を取り付けた何かが立てかけてある壁あたりには空っぽの樽が並んでいる。木製と思しき頑丈そうなつくりの棚には縄やら鎖やら謎の物体やらがみちみちと無秩序に納められ、整頓してあるのかそうでないのかよく分からない有様だった。セスはその棚の前に立って、何やら作業をしているらしい―――――彼が居る、という情報を除けばここは誰がどう見ても道具を保管する倉庫でしかない。

これが食糧の備蓄庫ならまだしもただの用具倉庫にどうして“狩猟の民”がやって来たのか本気で意味が分からない、と作業の手だけは休めることなくこちらの答えを待つセスに、疑問はもっともだと納得した上で私はさらっと言葉を投げた。


「わざわざ貴重なランチタイム削って私が用具倉庫に来るわけない、ってお前の意見はもっともだ。実際この場所に用事とかないしな―――――用があるのはお前にだよ、セス。お前に用があったから、ここまで探しに来たってだけだ」


だから、用具倉庫については本当にどうでもいいのである。探していた相手が居た場所がたまたま用具倉庫なる場所だっただけで、目的そのものは別にあるから現在地が何処であるかだなんてどうでもよかったし関係なかった。

自分に用があったのだ、という答えを引き出したからだろう。セスは片眉を跳ね上げた。ようやく作業の手を止めた彼は顔を僅かに動かして、私に視線を固定する。皆目見当がつかない展開に三白眼が鈍く光っていた。


「あァ? 昼飯そっちのけでリューリが俺を探しに来るなんざどうせ碌な話じゃねぇだろ。レオニールやフローレン絡みの案件も面倒臭ェから論外だ。一応テメェの顔を立てて話を聞くだけは聞いてやるからさっさと食堂行ってメシ食えや」

「面倒臭がっても話聞くだけならちゃんと聞くわって姿勢なあたり、セスってホント見掛けによらず面倒見のいい三白眼だよな―――――そんなお前に頼みがある。なんか浴びる程のチーズ食べたいのでちょっとそのツラ貸してください」

「なんか浴びる程のチーズって何だよ」

「それが私にもよく分かんないんだよ」

「分かんねぇモンを食うために俺を巻き込もうとしてんじゃねぇぞ」

「料理については分かんないけど食堂のメニューだぞ絶対美味しい」

「食堂と食堂スタッフに寄せる信頼と期待値がヤバい。だとしても浴びる程のチーズってなんだ。せめて料理名くらい分かれ」

「おばちゃんが言うにはチーズなんとか」

「ナン、っつぅパンの一種みてぇなモンはあるが絶対にそれじゃねぇのは分かるしそもそもチーズ以外の情報が何一つとして掴めねぇ。大体の音でいいから言え」

「音? コンブ」

「まさかの海藻」

「え、カイソウってあのなんか海の中に生える植物みたいなやつ? チーズを溶かしたでっかい海ってそういう意味だったのかおばちゃん」

「コンブじゃなくフォンデュだってオチは分かった」

「私が言うのもあれだけどなんで今ので分かるんだ」

「直感」

「鋭い」


普通にすごい。そんな感動と称賛を込めてぱちぱちと手を叩いてみる。嫌味や皮肉の類ではないとそれこそ直感で理解したのか、勘の鋭い三白眼は何とも言えない顔をした。なお舌打ちの音は聞こえなかったので機嫌はそこまで悪くない。これは私の直感である。自慢ではないがたぶん鋭い。なにせ狩猟民族なので。


「………ん? チーズフォンデュってテメェそれ、四人以上居ないと頼めねぇ食堂スタッフの茶目っ気全開団体用パーティーメニューじゃねぇかよ。どのみち俺一人が増えたところで頭数不足だから食えねぇぞ?」


面倒見が良いばかりではなく実は食堂のメニューやルールにも詳しいらしい三白眼が、手元の書類に何かを書き込みながらそんな言葉を口にした。その話についてはこちらとしても事前に情報を仕入れていたというかおばちゃんたちから聞いていたので私は事も無げに答えを返す。


「それがな、器材の都合上いくら私が“招待学生”でも流石にお一人様相手には出せないけど『チャレンジメニューでスターゲイジー・パイを攻略したセスと一緒なら特別に二人でも対応可』って食堂のおばちゃんが頑張ってくれたから私は私で頑張ってお前を引き摺って行かないといけない主にチーズフォンデュ食べ放題のために!!!」

「シンプルに譲歩の仕方がおかしい。つぅか俺の都合は無視かよチーズフォンデュ食う気分じゃねぇんだけど」

「言うと思った。そんなパイ料理以外にはドライなセスに食堂のおばちゃんから朗報です」

「食堂スタッフそこまでテメェに融通利かせるくらいならもう最初っからチーズフォンデュくらいくれてやりゃあいいじゃねぇかよ………で? 朗報ってなんだ言ってみろ」


本当に話を聞くだけ聞いてくれる姿勢を貫くあたり良いやつだよなぁ。

そんな感想を抱きつつ、私は真顔で朗報を述べた―――――無類のパイ好き三白眼が高確率で頷くであろう、食堂のおばちゃんたち必殺にして切り札というらしい一言を。


「チーズフォンデュにどぼん、ってしてもぼろぼろ崩れたりしないパイ生地を一緒に出してくれるらしいぞ。大盛の上をいく特盛で」

「それを先に言え食うわそんなん」

「食べると思って頼んでから来た」

「話が早ェのはいいとして注文が既に通ってる時点でほぼほぼ俺を呼ぶ意味がねぇな」

「セスと一緒に食べる前提で通してもらった注文なんだからお前が来なきゃ駄目だろ」

「そうかよ」

「そうだよ」


雑に転がしまくった会話をどこまでも雑に切り上げて、私とセスはどちらともなく同じタイミングで首肯した。交渉成立。秒で可決。なんとなく程度の感覚でおおまかに意思の疎通が図れているのが毎度のことながら不思議だが、こちらとしては楽の極みなのでやっぱりそこまで気にならない。

とはいえ、向こうには向こうなりに都合というものがあるのだろう。チーズフォンデュを食べに行く、という約束そのものは速やかに成立したにもかかわらず、セスは手元の書類との睨めっこを止めたりしなかった。


「まぁメシを一緒に食うのはいいが、今すぐにってのは流石に無理だぞ。用具と備品の確認作業が終わってからでいいなら付き合ってやる―――――残り時間的にたぶん忙しねぇランチになるけどテメェはそれでいいのかよ。食い放題の恩恵薄くね?」

「良いも悪いもチーズフォンデュ食べたいのはぶっちゃけ私の都合だからな。それに付き合わせる以上はお前の用事にだって合わせるよ―――――あと食べ放題に関しては正直心配しなくていいぞ。時間がないならそれ相応の食べ方ってものがある」

「早食い大食い一気食いの新記録更新宣言は笑う」

「そんな宣言誰もしてないぞ何言ってんだ三白眼―――――ところでその確認作業とやら、喋りながらやってても効率落ちない系のやつか? 気が散るっていうなら黙るけど」

「あ? 別に大して変わりゃしねぇから黙るも喋るも好きにしろ」


本当にどちらでもいいのだろう。顔すら上げずに切り捨てて、手元の書類に書き込みを入れたセスの手が棚の上段へと伸びた。迷いなく底の浅い箱を掴んで引っ張り出したと思ったら、蓋を開けて中を確認するなり手早く元の場所へと戻す。彼の携えた書類の束に、またひとつ印が付けられた。

慣れもあるかもしれないが、あまりにも流れ作業が過ぎる。なんというか―――――雑っぽい。退屈凌ぎに呆れが混ざったよく分からない疑問調で、私は問いを投げつけた。


「その作業で何を確認するんだ?」

「在庫。剣術科が日常的に授業で使ってるモンがちゃんと所定数あるか、個別に貸し出した分がきちんと返却されてるかどうかをリストと照合してんだよ。確認ついでに破損や摩耗が酷ェモンを見付けた場合は教員に購入申請出して新品を調達してもらう。こういう道具の在庫管理や消耗品の確認なんかは授業の準備とはまた別に剣術科生が持ち回りでやってるからサボりも手抜きも出来ねぇんだわ―――――ま、自分たちが普段使ってる道具の管理もまともに出来ねぇなんざお笑い種にもなりゃしねぇからサボる気も湧かねぇんだけど」

「カッコいいこと言ってる気がするけど私のフルコース体験に巻き込まれたくない一心でティトに当番とやら押し付けて逃げ果せたやつの台詞じゃなくない?」

「準備当番をメチェナーテの野郎一人に任せたのは確かに俺で間違いないがあれはちゃんと合意の上で競って勝ち取った権利だから断じてサボってはいねぇ」

「ああ言えばこう言うなこの三白眼」

「チーズフォンデュ食う時間減るぞ」

「困るので黙る」

「分かりゃいい」


きゅ、と口を噤んだ私の判断は賢明である。この場合何より優先されるのはセスの作業効率であって他愛のない雑談などではない。どのみち暇潰し程度の会話に中身などある筈もなく、滞りなく転がりこそすれ無ければ無いで困らない。

お互いの存在を感知する距離に居ても沈黙が苦にならないくらいの関係性ではあったから、居心地が悪くなる余地さえも生まれる気配がまるでなかった。


「ああクソ、誰だ縄の結び目放置してそのまま箱にぶち込んだヤツ………暇ならちょっと手伝え白いの」

「え? 別にいいけどセスってこういうのは自分一人で完璧にやりたい派だと思ってたからなんか意外」

「時間がねぇって状況下で取り得る最善を捨てちまうようなくだらない矜持に価値はねぇ」

「気乗りしない食事のためだろうがそれはそれとしてベストを尽くすお前の姿勢割と好き」

「いや新作のパイ生地は絶対に食う」

「訂正。めちゃくちゃ気乗りしてた―――――で? 私は何を手伝ったらいいんだ? 正直に言うと縄の結び目を解く作業には向かないぞ。たぶんイラッとして引き千切る」

「知ってる。誰もテメェにそんな細かい作業頼んだりしねぇから安心しろや、絡まった縄解きは俺がやる。リューリに頼むのはもっと楽で単純極まる収納作業だ。右向け、右」

「向いた。なんか木の棒がたくさん積み重なってるのが見える」

「訓練用の木刀だ。授業の一環で手入れした後だから状態については気にしなくていい。それを壁際に並んでる空樽に片付けてくだけだから楽なモンだろ」

「なるほど。力業で纏めて叩き込むのは割と得意な部類だ、任せろ」

「片付ける、の意味合いが致命的に違う気がするから止めろ白いの。叩き込むな。絶対壊れる。ランチに行くどころの話じゃなくなる。それが嫌なら樽の中をまずは覗き込んでみろ。格子で区切ってあるだろうがよ。そこに一本一本木の棒を入れてきゃいいだけの話だ間違っても纏めてシュートはするな」

「うん? 道具類の片付け作業で蹴り繰り出すとか思われてるのは流石の私でも心外なんだが?」

「投げや撃ち込みの意味合いでもシュートを使う場合はある」

「なんで投げ込む勢いで片付ける気だって分かったんだセス」

「おいこらマジで纏めて投げ込むつもりだったのかよ白いの」

「こういう場合は束ねてぎゅっと圧縮しながら投げた方がなんか散らばらずに片付く気がする、って族長が言ってたからやってみようかと」

「どういう状況のどういう教えだか皆目見当もつかねぇんだけど此処でやるな故郷で試せ。“北の民”の馬鹿力でそれやったら木の棒が幹に戻るわ」

「一回加工しちゃったものはもう元通りにはならないぞ。焼いたお肉は生肉にはなれないし真っ黒こげにしちゃったお肉は責任取って炭として食べるしかないから木の棒も幹には戻れないだろ」

「いや焦げた肉を炭と割り切って食うんじゃねぇよそれこそ諦めろ」

「最悪炭食べても死にはしないけど糧を食べないと最悪死ぬんだよ」

「炭化した黒焦げ肉はもう完全にただの炭だ断じて糧の類じゃねぇ」

「正論は止めろ食欲が失せる」

「心の底からテメェが言うな」

「私だって普通にお肉が食べたい炭が食べたいわけじゃない!」

「忘れかけてるっぽいから言うが今日のランチの主役はチーズ」

「思い出したからお手伝い頑張る」

「助かる。俺もあと少しで終わる」


何度目かなんて数えていないが、きっと何度でも同じように「なんとなく」で会話は続くのだろう。なんとなく、そんな確信があって、そこを疑う余地はない。

適当に転がった遣り取りが自然と途切れたタイミングで、ランチを堪能したい私は大人しく木の棒を拾い上げた。木刀、とセスが呼んでいた物体はそれなりの数があったので、とりあえず持てるだけの量を貪欲に豪快に抱え込む。そうして三白眼に言われたとおり、壁際に置かれた空っぽの樽をのっそりと覗き込んでみた―――――確かにあるなぁ、格子状の区切り。

ここに入れていけばいいわけか、と思ったところでふと気付く。この木刀なる物体には、上下の概念があるのだろうかと。


「なぁ、これってどっちが下?」

「ぱっと見で持ちにくそうな方」

「なんでその説明で分かると思った? 要するに先が細い方が下だな」

「俺が言うのもまぁアレなんだがなんで今ので分かったんだリューリ」

「試しに持って振ってみたけど先が細い方は力が上手く入らなかった」

「ぱっと見で判断するどころかガッツリ振って試す精神は気に入った」

「よし片付いた!」

「ものの数秒で?」


嘘だろおい、みたいな声で胡乱な眼差しを向けて来るセスに木の棒がざくざく突き立った樽を持ち上げて見せてやれば、彼は納得の表情で事も無げにぽつりと言う。


「秒で全部片付けたわけじゃなく樽ひとつ分ならまぁ………いや、どのみち残りも瞬殺か。仕事が早いじゃねぇかよ白いの」

「決まったとこに入れるだけなんだから早いに決まってるじゃんか。そう考えると片付けも管理も楽でいいなこの仕切り」

「ああ、それな。便利だろ。区切ってあるから許容量以上に無理矢理詰め込む馬鹿はいねぇし、出し入れの度に木刀同士が擦れて傷む可能性もほとんどない。なにより木刀を端から詰めて空いたスペースを見るだけで簡単に本数が分かるのが良い―――――仕切りの数が決まってる以上、樽ひとつに片付けられる数はどうあっても固定されるからな。見た目もすっきりしてごちゃつかねぇし、廃材で格子を作った甲斐は十分過ぎる程あったってモンだ」

「その口振りだとこの区切りを作ったのはどうもセスっぽく聞こえるんだけど」

「おう、結構前に作った。つっても発案は別の剣術科生だし大工仕事なんざ碌にやったこともない俺一人で作ったわけじゃねぇ。たまたま耳に挟んだ愚痴から転がってった先の話がなんとなく便利そうだったから、実際に試してみりゃいいだろっつぅ悪ノリが教科担当にまで届いて良い感じに着地しただけだ―――――ってなんだリューリそのツラはよ」

「いや………見た目はどこまでも凶暴そうな一匹狼気質っぽいのに剣術科の中ではそれなりにちゃんと集団で活動してるんだなって………面倒見とお気遣いの三白眼なのは知ってるけど意外だったんで普通にびっくりしてる………同じ学科の人たちと共同作業とかするんだなお前……」

「テメェの中の俺のイメージについて一度腹割って話すか白いの」

「いいけど話し合うまでもなく私は言ってることが全部だぞセス」

「ンなモン知ってる」

「なんだこの三白眼―――――よし、終わり!」


喋りながらも怠けることなく片付け作業に勤しんだ結果、なかなか素晴らしい手早さで完遂出来たと気分が弾んだ。朗らかな声で宣言しながら最後の一本から手を離せば、木製の樽の底板を木刀の先端が叩いて止まる。こん、と小さな音がして、静かな用具倉庫の中ではやたらと大きく耳に残った。

もう少しで終わる、と先程宣言していたとおりに確認作業を終えたらしいセスがそれを合図にこちらを振り向く。書類の束を携えて数歩分の距離を詰めてきた彼は、律儀なことに短いながらも率直な感謝の意を示した。


「こっちも終わった。想像以上にリューリの仕事が早くて普通に助かった―――――木刀戻すだけっつっても六十本分は地味に面倒だったろ。礼にデザート一品付けるわ」

「労働に見合った対価を用意することに躊躇のない三白眼ありがとう! お前の今日のオススメください!!!」

「個人的にだが出来立てアップルパイに牛乳原料の凍ったクリーム状氷菓をのせたパイアラモードは疲れに効く」

「いただこう」

「迷いがねぇ」


違うぞ三白眼。迷いがないわけではなく迷うまでもないの間違いだ。だってパイ過激派のセスが言うからには絶対美味しいやつじゃんかそれ。食べる以外の選択肢ある? ねぇよ。是が非でもいただきます。

そんな期待で高鳴る胸が鼓動を早める一方で、つい先程の彼の発言から何かが頭に引っ掛かっている。それは取るに足らないような意識の端にありながら、しかし拭いきれない違和感で私の思考を苛んだ。

なんだろう、何かが噛み合わない。なんとなくそれが気にかかる。その正体が何であるかをよせばいいのに考えて―――――割と、すぐに、気が付いた。


「ごめんセス。デザートをつけてもらうその前に、ひとつ確認してほしい」


突然真顔で神妙にそんな言葉を吐いた私の態度を不審に思ったのか、三白眼の少年は眉間に軽く皺を寄せた。無言でこちらの言葉を促す彼の目を真っ直ぐに見据えつつ、私はゆっくりとした動作で傍らの樽を指で指す。

木の棒が突き立った樽である。合計で四。収容されている木刀なる物体は樽ひとつにつき十五本だった。木刀同士が擦れないよう、ある程度のゆとりをもたせた上で収容数を統一しているのだろう。十五本入りの樽が四つあったら確かに合計は六十本だ。格子状に区切られた仕切りがすべてきちんと埋まっているならきちんと六十本揃っている―――――筈なのだけれど、現実は違った。


「たぶんこれ、二本足りない」


平坦な声で告げた私の言葉を視覚的に肯定するのは、最後の樽にぽっかりと空いた木刀二本分の仕切りスペース。そこに納まるべきものは、この倉庫内のどこにもないことはセスの眼光から知れた。

嫌な予感が脳裏を過って、それを認めたくはない気持ちで嫌々ながらに口を開く。


「もしかしてこれ、足りないと、ランチどころじゃなくなるやつか?」

「察しが良くて悪ィなリューリ―――――今日のランチは一人で食え」


冗談じゃねぇぞクソッタレ、と恐ろしく低い呪詛が聞こえた。チーズフォンデュを取り上げられた、私の怨嗟の声だった。


そして芽生えた負の感情の重過ぎる不快感を置き去りに、身体は前へと進んでいる。


「クソッ、この僕をここまで梃子摺らせるなんて………! やはり気に食わないことこの上ないな、三男坊の分際で生意気な!」


素敵なランチの時間帯。太陽光が燦々と照り付ける嘘のような青空の下、そんな芝居がかった台詞を叫ぶ男子生徒の後ろ姿に狙いを定めて私は跳んだ。

跳躍である。飛翔は出来ない。人体にそんな機能はない。あるのは手足だけであり羽の類など持っていない。だから、翼を羽搏かせる代わりに足の裏で思いっ切り地を蹴った。踏み付けた、とも言うかもしれない。

全力疾走からの跳躍は踏み切りの際に地響きのようなどん、と鈍い衝撃を生む。それに気付いた幾人かの生徒が白い軌跡を追い掛ける―――――ぽかん、と開いていた口が、更には外れるほど落っこちた。知ったことではないけれど。

浮遊感は一瞬で、あとは宙に投げ出した身体ごと姿勢を保ったままに落ちていく。視線を固定していた背中の主が仰々しく掲げた木の棒が、今まさに目前の男子生徒へと振り下ろされるという刹那に私の喉が怒りで震えた。落下しながら叫ぶ声には敵意が迸っている。


「己が分を弁えるがいいブラス・モビージャ! 君のような男は彼女に相応しくな」

「てぇぇぇぇめぇぇぇぇぇかぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」


口が悪い、などという正論がまったく出て来ないレベルの気迫で腹の底から絞った怒りがその場にあるすべてに圧勝した。しかし私本人としてはどこまでもその事実に無自覚なまま、着地のついでに勢い任せで敵だと判断した邪魔者の後頭部を全力の自己都合でぶん殴る。

蹴りではないのはせめてもの良心的な判断だったが、落下速度と拳の入射角が面白い程に噛み合ったために着地の姿勢は崩れない。ずざざざざ、と大地の表面を足の裏だけで滑りつつ、鍛え抜かれた体幹でよろめくことなく速度を殺して何事もなくその場に立った。

場合によっては命そのものを刈り取りかねない一撃だという自覚も自負もあったのだが、どうやら相手が失ったのは意識だけで済んだらしい―――――地面にうつ伏せで沈んだ男子はぴくぴくと数度手足を痙攣させたあとで完全に気絶したようだった。生命活動そのものは停止していないらしいので放っておけばそのうち起きるだろう。冷静な思考で判断し、私はごくごく自然な動きで足元に転がる木刀を拾い上げて肩に担いだ。

そして呆然としている衆目など一顧だにせず言葉を紡ぐ。怒鳴るのではなく厳かに、地底の果てから地盤を揺るがす低音にも程がある声で。


「手間かけさせてんじゃねぇぞクソが」

「わぁ、何処からどう見てもベッカロッシ候子のごきょうだい」


そっくり、との声が聞こえたのでそちらへと視線を向けてみる。たった今、駆け付けると同時に殴り倒した男子とちょうど相対していたと思しき立ち位置に居た男子生徒がどことなく遠い目で私を見ていた―――――その手に握られていた木刀の存在を視認したこちらの目に険が宿る。

即座に殴り倒そうと重心を動かしたその刹那、本能が鳴らした警鐘か動物的な直感か神の奇跡か幸運か、彼は木刀を手放して勢い良く両手を上げて叫んだ。


「会員番号三百三番ですおそれながら弁明させてくださいッ!!!!!」


それは誰の目にも明らかな「敵意はありません」の意思表明。私は飛び出すのを止めて、とりあえず相手の言葉を待たずに自分の意志だけ貫いた。


「興味ないから弁明は要らない。時間が無いから端的に言う―――――これはこっちの都合でしかないが私はさっさとランチに行きたい。そしてお前らの事情は知らん。文句なら後でセスが聞く。とにかく今すぐ木刀返せ」

「御意」


会員番号三百三番さんとやらは意外にも話が早かった。大変喜ばしい誤算だったので空腹に殺気立っていた私もちょっとだけ落ち着きを取り戻す。

即座に了承の意を示した言葉に反さず足元に落とした木刀を拾って足早に寄って来た男子生徒は、一定の距離を保った位置で立ち止まって一礼した。そして恭しく木刀を差し出しながらいくつかの言葉をきびきび添える。


「この度はリューリ・ベル嬢のお手を煩わせてしまい誠に申し訳ございません。授業時間外の学園備品の無断使用につきましてはこれより担当教員に申し出て然るべき処分を受ける所存ですので、ベッカロッシ候子にもその旨お伝えいただけますと幸いです―――――まさかこんな茶番劇が貴女のランチの妨げになるとは正直予想しておらずなんかもうすみません本当に」


想像以上にまともな感じで謝罪されたので驚いた。ぱちぱち、と目を瞬いて差し出された木刀を受け取りつつ、地面に沈めた男子を見下ろして今更ながら若干の気まずさが漂う。


「あ、こちらこそお腹空いてる八つ当たりでいきなり一人殴り倒しちゃってごめんな………これってもしかしてちゃんと起こして謝った方がいいパターン?」

「いえ謝らなくていいパターンです。ぶっちゃけソイツが諸悪の根源なのでワンパンしてくれて助かりました。おかげさまでスピード解決です。証言者になってくれそうなギャラリーもご覧の通り大勢居ますのでこちらのことはお気になさらず、どうぞランチをお楽しみいただければと………あの、そんなことよりお時間が差し迫っているのでは?」

「そうだった! チーズフォンデュが待ってる!!!」


何においても優先されるべきお昼時の主旨を思い出し、私は両手に木刀を携えてぐるんと勢い良く身体の向きを変えた。跳び越えてきた人垣の輪は心得ていますと言わんばかりに速やかな身のこなしで道を開け、どこか和やかかつ好意的な視線で私を送り出してくれる。


「今日もフェアリーはフェアリーだった………やはり妖精さんは実在する………」

「上空からのご降臨をリアルタイムで拝めるなんて今日はなんて良い日なんでしょう………日頃の行いで徳を積むってやはり大切なのですね………」

「可愛いとカッコいいと凛々しいと雄々しいが同居して喧嘩しないってそんなことある? あったわ。ありがとう世界」

「見てるこっちが元気になるというかもう同じ空気吸うだけで健康になれるなぁ」

「お兄ちゃんにモロ影響されてお言葉遣いがよろしくない末っ子ちゃんは俺に効く」

「安心しろセス様ファンクラブ会員においてはすべからく特攻が入るからよォ!」

「およそ褒められたものじゃない言葉遣いなのは間違いないのになんか末っ子ちゃんだと許せる………ご両親の苦労が忍ばれるけどそれはそれとして可愛いものは可愛い………」

「お腹空いてて気が立ってても自分が悪いことしたかもって素直に気付いて謝れるその真っ直ぐさプライスレス」

「それなりに重量がある筈の木刀二刀流を木の棒よろしく振り回すヤンチャっぷりどうしたらいいの」

「溢れる涙を拭いつつ網膜という天然のキャンバスにしっかり焼き付ければいいと思うよ」

「細かいことはまったく分かんないけどランチがまだならしょうがないよな………空腹は可憐なフェアリーを物理特化ビーストに変えるからな………」

「むしろ誰彼構わず噛み付かないだけ良識があって好印象」

「てえてえ………てえてえ………」


うん。いきなり降って湧いた瞬間人間一人を殴り倒して詳しい説明など一切しないまま自分の都合だけ押し付けて嵐のように去ろうとしている私に対するコメントとしてはどいつもこいつもおかしいんじゃないかと思わずにはいられない。けれども今は置いておこう、優先されるのは刻一刻と減っていくランチの時間なのである。

そんなこんなで無事回収した木刀を手に駆け出す私を、誰も引き留めはしなかった。こちらにとってはどこまでも、都合が良過ぎる展開だった。


―――――と、いう一連の流れを適当に回想し終わったところで私はチーズをたっぷり絡めた熱々のパンの欠片を頬張る。凝縮された乳製品の旨味にちょっとしんなりした固焼きブレッドのなんともいえない食感に惜しみない称賛を送りつつ、目の前で同じものを咀嚼している三白眼へと言葉を投げた。


「思い返しても結構自由過ぎることしたなあって自覚はあるんだけど、それを普通に和やかにお見送りしちゃう王国民のメンタルってどうなってるんだ?」

「しでかした事態を冷静に受け止めながらそれでもランチを最優先して木刀回収したからいいだろ的なノリでチーズフォンデュ食ってるテメェが言うか?」

「生き物として命を繋ぐ食事は最優先事項だろうが」

「道徳と倫理を殴り倒してでも優先される生命の圧」

「おばちゃんセス新作のパイ生地要らないってー!」

「言ってねぇ言ってねぇ嘘ぶちかますなや白いの!」


金属製の串を片手にぎゃいぎゃいと喧しく戯れる私と三白眼のテーブルに料理を運んでくれたおばちゃんは、あらあらまあまあと微笑みこそすれ追加の食材がぎっしり詰まったお皿を配る手を休めはしない。流石は学食という戦場を預かる歴戦の猛者にしてプロフェッショナル、学生共のお戯れ程度で動きが鈍る筈もなかった。

回収した二本の木刀を用具倉庫に返して鍵を閉め、事の経緯を担当教員に要点をおさえてさらっと説明。とりあえず昼食がまだであれば先に行ってきなさい、という許可をきっちりもぎ取って、私とセスはようやく食堂で本日のランチを囲んでいる。

私たちが到着するなり「準備はもう万端に整えておいたからね」と頼もしい食堂のおばちゃんに案内してもらって通された席にはチーズの海が待っていた。これが割と比喩ではない。

四人用だという金属製の底が深いタイプのお鍋にたっぷりと注がれたチーズはまさに海と形容するに相応しい威容を誇っていたのだ。

農業科生酪農専攻の生徒たちが丹精込めて作ってくれたという自家製チーズ数種を細かくすりおろしたものにミルクや果実酒等を加えて味を調えたものらしく、固形燃料に灯された火がテーブルの上で揺らめく様は見ていてなんとも心が落ち着く。狩猟民族としての本能が火力を上げたいとか叫んでいたがそんなことをしたら即焦げるだろうがとの自己ツッコミで乗り切った。危ない。固形燃料の小さな火でも早く加熱が出来るように、と金属製の鍋を採用しているであろうおばちゃんたちの心遣いを無に帰す蛮行など許してたまるか。

ランチに付き合ってくれたセスから聞いた話、これは用意されていた金属製の串で一口大に切り分けられたパンや野菜を突き刺して、チーズの海にどぼんと潜らせたっぷり絡めて美味しくいただく料理らしい。まさに浴びる程のチーズ。前評判に偽りなしのチーズ大好きさん垂涎メニュー。びろーん、と伸びるチーズが絡まるちょっと固めに焼かれたパンと新鮮なお野菜の組み合わせが憎い。あまりにも罪深い味がする。

美味しい上に空腹だったのであっという間に第一陣を食べ尽くしてしまって追加を頼んだ。食べ放題は良い文明。最初に考案した人は偉い。

新作のパイ生地に関しては焼き立てを提供してもらうために少々の時間が掛かっているが、好物を食べる際の労力は一切合切惜しまないというスタイルのセスも大人しく普通に食事をしている。余談だがソーセージが気に入ったらしい。軽く塩茹でされた皮付き芋となんか茎っぽい野菜ばかりを狙って食べている私とは好みがズレていて助かった―――――生存ではなく嗜好の観点から糧を巡る争いが起こると概ね虚しい結果に終わる、とは故郷のじいちゃんがしみじみと口にしていた格言である。詳しいことは聞きそびれていたが今後も忘れないようにしたい。


「で? そういやテメェどうやって木刀借りパクした奴ら見付けたんだよ。手分けして探した俺の方はまったく掠りもしなかったんだが」


チーズを絡めたパンの欠片を金串の先端に突き刺したまま、欲張りなことにソーセージまで追加でぶっ刺して持って行くセスが話の流れで聞いてきた。本人曰く「泣かない程度に割と辛い」という触れ込みの赤い皮が目立つソーセージを共用のフォンデュ鍋に直接突っ込んだりしないあたりは好感の持てる三白眼である。

現在絶賛焼成中の新作パイ生地を待つ暇潰しとして会話に応じるくらいの余裕は私にも持ち合わせがあったので、素直に応じて答えを返した。


「うん? ああ、めっちゃ大声で『なんか長めの木の棒かそれを持ってるヤツ見た人ー!』って繰り返しながら学園中適当に走り回ってたら『ちょっと前に黒髪の男子生徒が剣術科の使う木の棒みたいな道具を運んでいるのを見ましたよ』ってたまたますれ違った人が教えてくれた」

「運だか都合だかが良過ぎねぇかソレ。つぅかめちゃくちゃ単純もとい原始的な探し方したな」

「うん、なんやかんや大声出して情報を募ったりした方が早いなって王子様の言動見て学んだ」

「あのアルティメットクソポジティブからは何ひとつとして学ばなくていい」

「ところでカリパクって何?」

「物借りたまま返さねぇこと」

「なるほど。それじゃぁ私が殴り倒したやつ借りパクした木の棒で遊んでたのか」

「木刀二本持ち出して何してたかはまぁ想像付くけど遊んでたって何見たんだよ」

「実は木の棒っぽいものを持ってる黒髪の男子を見付けた瞬間に制圧目的で大ジャンプして上から背後強襲したから相手の顔も状況も含めて厳密には何も見てないに等しい」

「コイツとりあえず初手で殴ったってしれっと白状してて笑う。まぁでもそこは気にすんな、剣術科なのに奇襲のひとつも捌けねぇソイツの修練不足だ」

「この三白眼平然と言ってることが強者の風格。ん? おい、ちょっと待て。剣術科生って頑張れば“狩猟の民”の本気の襲撃防げる判定だったりする?」

「本気の具合にもよるがまぁやってやれないことはねぇ。極端な話にはなるが、後先考えなくていいならメチェナーテあたりや他の連中も一撃くらいなら凌げるだろ」

「言ったなおい。プライドが著しく傷付いたのでセスお前背後に気を付けろよ」

「売られた喧嘩は買うのが礼儀だ好きにしろ。捌いたら昼メシ奢れよリューリ」

「ごちそうさまです三白眼!」

「勝ち誇るのが早ェよ白いの」


があん、と衝突音がする。私とセスが向かい合わせに陣取っているテーブルの上、ぐつぐつと煮えるチーズフォンデュを湛えた金属の鍋の横、ふたり分の食材を乗せた陶器のお皿にぽつんとひとつだけ残ったソーセージを巡って争うように双方から伸ばされた煌めく細長い銀の串―――――それがお皿という戦場の上で、真正面から激突している。

セスが持って行こうとした最後のひとつを斜め上から縫い留めるように下へと叩き付けて阻んだかたちで、私は淡々と告げた。


「あんまり辛くないソーセージまで食い尽くすんじゃない三白眼」

「意識が直接こっちに向いてねぇからって油断した俺の落ち度だな………ソーセージは確かに食い過ぎたからあとで追加注文かけるわ。デザートも含め今回は全額出すから好きに食え」

「え、追加注文やデザート分はともかく全額奢り? なんでそうなった?」

「経緯はどうあれテメェの金串躱しきれなかったからには昼メシ奢るだろ」

「いやそういうつもりで最後のソーセージを防衛したわけじゃないんだけど」

「どういうつもりだろうが一撃捌けなかったのは事実だし俺に二言はねぇよ」

「負けず嫌いにも程があるだろ」

「煽っといてこの様だぞ察しろ」


「あっはっはっはっはっはっはっはセス超カッコわる痛い!!!!!」


近距離から唐突に上がったお気遣いの欠片もない笑い声の主の台詞が悲痛な絶叫で締め括られたがセスはあくまでも平然としているし私も真顔で無言を貫く。チーズフォンデュを堪能していた私たちのテーブルに、いつの間にやら接近したのか王子様が出現していた。いちはやくその存在に気付いた三白眼が光の速さで繰り出した拳が彼の横っ腹にめり込んだのも距離が近いから良く見えたが、別段同情も憐憫もかける言葉すらも浮かばない。


「察して場を和ませようとしたのに拳で応対は酷くない………? 王子様頑丈さには定評あるけど殴られればそれなりに痛いんだぞう」

「頑丈さに定評のある王子様って何」

「目ェ合わせんな無視しとけ白いの」

「ナチュラルに扱いが酷くて雑! まぁもう慣れっこだけれども! そんなことよりキッズたち、王子様今回はちゃんと用があって来てるからちょっと真面目に聞いてもらえる? 大事なお話があります」

「扱いの雑さと対応の酷さをそんなことよりの一言で片付けて普通に話進めようとしてくるなんだこいつ………メンタルつっよ………」

「付き合いは長ェ方なんだが昔からどうやったらガチで凹むのか全ッ然想像もつかねぇんだよなこのポジティブクソ王子究極系。それはそれとして俺もリューリもキッズじゃねぇから聞きてぇ話は自分で選ぶわ失せろレオニール」

「そうだぞ、帰れ王子様。私たちはまだランチを食べてる」

「ここで私が帰ったらあとでちょっと機嫌が宜しくないフローレンが出て来るだけだが?」


それでもいいなら好きにしなさい、みたいな強気を発揮する王子様を左右両側から座ったままでげしげし蹴り合う私とセスの心は無である。お互い死んだような目で、とりあえず無駄に顔の整った煌びやかにめんどくさい生き物の脛を重点的に蹴りまくった。


「ちょっとお前たちやめ、やめなさい王子様の足を蹴らないの! というか頑なに座ったままなのになんで私に対する攻撃性だけはいつだって天井知らずなの!?」

「こっちが嬉しい選択肢がほとんど存在しない状態で好きにしろっていう態度が腹立つ」

「フローレンの機嫌が悪ィのはだいたいテメェのせいだろうが俺らに関係ねぇだろクソ」

「有能系婚約者の存在を背後にチラつかせて強気に出るクソ王子様ホントそういうとこ」

「うーん、我が校の誇るダブルフリーダムったら息ぴったりに蹴ってくるしナチュラルかつシンプルに扱き下ろしてくるじゃん………が、一応これだけは言っておこう。最近フローレンが渋い顔してるのはリューリ・ベルがセスの真似して呼吸のような自然さで当たり前のように『クソ王子様』等々の汚い言葉をつかうようになってしまったことを大いに嘆いているからなんだが―――――こら! 目を逸らすんじゃない子供たち! だから王子様口を酸っぱくして散々やめなさいって言ったでしょうが!!! この件に関しては本当に怒られてもしょうがないやつだからな!!!」

「適当言ってんなレオニール」

「そんなわけないだろ王子様」

「ほーらー! リューリ・ベルはともかくとしてセスは普段だったら絶対『適当言うなやクソ王子』くらい脊髄反射で言い放つじゃん! 言葉にいつものキレがない! 思い当たる節があるからちょっとだけマイルドになったんでしょうが! 自覚があるならまだフローレンに直接怒られていないうちに改めた方が無難だぞう!!!」

「いやそれ堂々とお前が言う?」

「シンプルに正気を疑うなオイ」

「いや私は常日頃から何かと怒られまくっている思い当たる節有り余る系の叱られリスト上級者だから無難とかそういうレベルには今更おさまりきらなくて」

「なぁセスこいつ殴ったら直る?」

「手遅れだからやめとけリューリ」


くだらないばかりの遣り取りにやんわりと首を振ることで終止符を打ったセスの顔には諦観の念が見て取れる。トップオブ馬鹿との付き合いの長さは圧倒的にあちらが長いので素直に従うことにして、私たちは一度落ち着いて各々手持ちの飲み物で一服して心を落ち着けた。

するっと出て来た王子様のせいで状況は一時混沌としたが、しかし楽しいランチタイムはまだ終わらないし諦めもしない。チーズフォンデュで満たしている最中の腹を括って顔を上げれば、納得のいかない気配がする展開と折り合いをつけたらしいセスと正面から目が合った。

そして新作パイ生地が焼き上がって運ばれてくる前に、とりあえず話だけでも聞いてさっさと王子様を追い払おうとの心の声が一致したのでどちらともなく首肯する。もちろん他人の心の声など全然まったくこれっぽっちも聞こえないし分かる筈がない。だが本当になんとなく、その方向で合っている気がした。勘である。とにかく自分を信じろ。


「で、話ってのはなんだ。レオニール」

「よし、セスとリューリ・ベルがきちんと聞いてくれる感じになったのでこの機を逃さず前置き無視してストレートに用件から言おう。じ」


「いっ、居たァ―――――! 見付けましたよ真白き通り魔!!!」

「なにそのぞわっとするネーミング!?」


自分の発言に被せるタイミングで食堂内に響き渡った直感的に恥ずかしさを催すセンスの大音声に思わず反応してしまったらしい王子様だがこればっかりは責められないな、と私とセスの心がひとつになった。だって珍しく間違っていない。確かになんかこうぞわっとした。

面倒事の気配を察知してとりあえず私は近場の二人に思い付いた問いを即座に投げる。


「マシロキトオリマ、ってなに」

「聞くな。俺にもよく分からん―――――でもまぁたぶんテメェのことだろ。白いの」

「真っ白い通り魔という意味であるとすればリューリ・ベルのことだろうな。白いし」

「そうですそこの妖精さんことリューリ・ベル嬢のことですよ!」


三白眼と王子様の雑だが冷静な分析は、どうやら当たっているらしい。マシロキトオリマ、と叫んだその人が私の目の前までやってきて、嘆かわしいと言わんばかりの大仰さで包帯の巻かれた頭を振った。


「つい先程のことなのにもうお忘れですか、恐ろしい! 神聖なる決闘の場に空から舞い降りて割り込んだばかりか一方的に僕のことを殴り倒すなんて蛮行に及んでおきながら白々し過ぎるその態度、美しいものは残酷であるという詩人の言葉は本当ですね! 偶然居合わせた親切な人が昏倒した僕を保健室に運んでくれなかったらと思うと心底ゾッとしますよこの通り魔め!!!」


その顔にはまったく覚えがないが、声は最近どこかで聞いた。そんな気がして、思い出せずに、私はちょっぴり端っこが焦げたチーズフォンデュに芋を沈めてたっぷり絡めてから引き上げた。

びろーん、と伸びるチーズの糸を眺めて記憶を遡る。割とすぐ答えは見付かった。


「あー、分かった。こいつあれだ、たぶん木刀を借りたまま返さないルール違反したやつだ。さっき殴り倒したやつ。殴ってない方の三百三番さんが後のことはやっておきますって言ってくれたから放置した」

「分かり易いようで何一つとしてよく分からない説明なんだがどういうことなのリューリ・ベル。殴り倒したってそれもしかしてホントに通り魔的犯行?」


ほくほくの茹で芋の表面を熱々のチーズが分厚く覆った美味しさの塊をもしゃもしゃしながらセスに視線を向けてやる。王子様と違って的確に相手のことを把握したらしい三白眼は、物騒な眼光でセンスが微妙な男子生徒を睨み付けた。


「へぇ。無断で木刀を持ち出しやがったのはテメェだったか、トゥーサン・ゲッド。実践授業や時間外の演習申請でもしない限り許可なく備品を持ち出せねぇルールを知らないだなんて言わせねぇ。なによりテメェ、よりにもよって俺が当番の今日この日によくもまぁ面倒事起こしやがったな―――――とでも言うと思ったのかよ。は、冗談。誰が乗るか」

「えっ?」

「え?」


ふん、と鼻で笑ったセスに男子生徒が面食らうのは分かるが王子様のそれはなんでだよ。なんで肩透かしみたいな感じで不思議そうな顔してんだお前。あと私たちのテーブル付近に陣取っていたお食事中の腹減り学生グループ各位もなんて顔してこっち見てんの? 期待してたのに裏切られましたみたいな雰囲気醸してるのなんで?

セスが停滞させたに等しい妙な空気が満ちた場で、しかし三白眼本人は至って図太く平然としていた。私がチーズをのびのびしながら追加分をひょいぱく食べているのに負けじと自分も食べ進めつつ、しかしぽかんと立ち尽くす外野が邪魔だったのか舌打ちが飛ぶ。


「あ? いつまで時間無駄にしてんだテメェ。ああ、リューリに突っ掛かって来た時点で大体の予想は付くからいい。どうせ怪我の治療が済んで目ェ覚ますなり碌でもねぇ理屈捏ね回して突撃してきやがったクチだろうが。図星かよ。なら簡単だ。何一つ喋る必要はねぇ。俺もこいつもテメェの事情に一切合切興味はないし垂れ流すつもりの言い訳の類も聞きたくねぇから黙って失せろ」

「な、なっ、なんという、事情も経緯も知らないというのになんという言い草ですかベッカロッシ侯子! 僕はこの通り魔にな」

「聞きたくねぇから黙って消えろっつったのが聞こえなかったのかよド阿呆」


声だけで人が死に至るならたぶん今三人くらい死んだしギャラリーの女子の二割は倒れた。普段から低めの音域ではあったがそれを更新するド低音でセスが言い放った一言にひぇぇと震え上がる生徒多数、そして実際轟沈してしまった憐れな女生徒が視界の端っこで「しっかりしろぉぉぉ」と介抱されているのをなんだかなぁと見守る私に困り顔を晒した王子様。

過程はいつもと少し違っても概ね結果はいつもと同じで、なのに周囲が醸す気配は腑に落ちないという不満感だ。

いや、それも少し違う。これはきっと落胆だ。彼らは明らかにがっかりしている。

今にも始まりそうだったお決まりの娯楽を取り上げられて、つまらないみたいな顔をして―――――ほんの少しだけ責めるような目を、何故かセスに向けている。

なんでだ、と私は思った。

聞きたくないから聞かないだけ、ただでさえスタートが遅かったランチタイムの残り時間に全力で食事を楽しみたいから邪魔をしないでほしいのだと、乱暴極まる物言いではあれただ主張しただけなのに、どうして目の前の男子生徒を殴り倒した私ではなくこの三白眼がそんな目で見られるのか率直に意味が分からない。

分からなくて気持ちが悪かったので、せっかくのチーズが美味しいままで気持ち良く食べられるように私は思ったまま口を開く。セスの発言の正当性を示そうだとかそういう殊勝な意図はなく、ただ感じたままをそうだと信じて疑わない直情的な思考で。


「なぁセス。事情説明とかする相手が違う、こんなところで私たち相手に無駄な時間なんか使ってないでさっさと教科担当のところに行って謝るのが先だろ馬鹿野郎―――――っていうお前のお約束のお気遣い、どうも伝わってないっぽいぞ」


面倒臭いのはよく分かるけどこれ言い直した方が早いんじゃない? とぱりぱりこんがり火が通ったチーズの欠片で頬を片方膨らませつつ言い放ったこちらの台詞にお馴染みとなりつつある沈黙が下りた。

お約束のお気遣いって何の話をしてんだ白いの、とテンポのいい返しが来なかったことにちょっと首を傾げた私の前で、お芋の塊が刺さった金串を握り締めた状態のセスはなんとも微妙な顔をしている。

周囲の反応も同じようにどことなく微妙なものだった。けれど、その根底にほんのちょっとだけ湧いて出たらしい好奇心に目の輝きが増している。王子様がほんのりと唇の端を持ち上げて静観態勢に入っているのがある意味その証左とも言えた。生粋のエンターテイナー気質はこういうときに限ってはタイミングをまったく外さない。水を差すべきではない場面では見た目にまったく相応しくない存在感のなさを発揮する。

それを警戒したのかあるいはまったく別の理由か、次にこちらへ放る言葉を直感ではなく理性で選ぼうとしている様子のセスの返事は私たちの今日の遣り取りの中では最長の沈黙時間を要した。

そんな状況下で真っ先に私の発言に食い付いたのは、センスの微妙な男子生徒こと木刀借りパクしたやつである。


「い、今のベッカロッシ侯子の暴悪極まる発言のどこに被害者である僕へのお気遣いなどという厚意的な要素があったというのか! 流石は真白き通り魔こと見た目に相応しき妖精嬢、我々人類では理解に苦しむ思考回路をお持ちのようだ! もっとも、真剣勝負の最中にあった者を卑怯にも背後から強襲したというのにまったく心を痛めることなく呑気にランチを堪能しているその神経の図太さの方こそ僕には理解出来ませんがね! 貴女がそんな態度で居るならこちらにも考えがあります! 今に見ていなさい、いくら“招待学生”とはいえ何の罪もない男子生徒に不当な暴力を振るっておきながらお咎め無しなどありえないのだから!!!」


「え、別になかったけど?」


しれっと正直に答えたら、目の前で自己陶酔的な何かに浸っていた誰かの耳障りな高笑いが止まった。だいぶ嵩が減ってきたもったり波打つチーズの海がぐらぐらぐつぐつ煮える音だけが妙に私の耳に残る。それくらい静まり返っていた食堂スペースの一角で、怪訝な顔でこちらを見下ろす男子生徒が呟いた。


「別になかった、とは………どういう………?」

「どういう、って聞かれてもなぁ………とりあえず事情だけは説明しとけ、ってセスが言うからお前をぶん殴ったことも含めて理由も経緯も話せることはぜーんぶ食堂に来る前に剣術科のデズモンド先生にしてきたけど、別に怒られたりしなかったし特にお咎めもなかったぞ? むしろ『以前きみが巻き込まれた決闘騒ぎの件を踏まえて更に厳しく禁止した筈の私的な決闘をまたしてもきみに収めてもらうことになるとは剣術科の筆頭教員として情けない限りだ、申し訳ない』ってすごく謝られたというか………『怪我人が出る前に鎮圧してくれて助かった。必要な武力制圧だった、との報告も既に上がっているのできみが処罰されることはない。この件については事情聴取の機会を後日改めて設けることになると思うが、今すぐにという話でもないからランチがまだなら食べてきなさい』って許可下りたからありがたくランチしに来たしチーズ食べてるってだけの話なんだけど」

「よよよよよよよりにもよってカークランド教諭直々にお咎めなし判定だと!? そんな馬鹿な、それは困る! 先程の暴力沙汰を盾にリューリ・ベル嬢に上手いこと庇ってもらって窮地を脱する僕の計画が!!!」


顔色を変えて喚いているセンスの微妙な男子の言葉に王子様がやれやれと首を振る。駄目だこれは、と言わんばかりの絶妙な倦怠感を醸していた。


「窮地を脱する一手のつもりで自ら死地に飛び込んでいくパターンはお約束ではあるんだが、今回はどうも噛み合わせがあまりよろしくないらしい―――――ああ、違うな。これは単純にいつも以上に時間がない、というのが正しい。そういうことなら巻いていこう。私も今回は珍しく、真面目に急ぎの用がある」


それは誰かに聞かせるようで、その実ただの独り言。

語り部気取りの王子様はそれまで薄めていた存在感をいきなり全面に押し出して、ついでに一歩前に出た。それだけでセスや呆ける男子や周辺一帯のギャラリーの視線を悉く掻っ攫ってしまうのは、本人の役者としての資質と持って生まれた格だろう。


「さて、トゥーサン・ゲッドだったか? 当てが外れてしまったらしく慌てる気持ちは分からなくもないが、ひとまず落ち着いて考えるといい。私はお前が何をしたのか何があったのかはよく知らないが、この場においてお前の力になれる者はおそらく誰一人として居ない。その点だけは一番最初のセスの言葉が正しいだろう。リューリ・ベル風に翻訳するなら事情を説明する相手が違う。確かにお前はこんなところで我々を相手に無駄な時間を使うべきではないだろう。一刻も早くカークランド教諭のところに向かって誠意を見せた方が良いと思うが?」

「え、でもそんな、しかし、でん」

「ああクソぐだぐだ面倒臭ェ!」


三白眼が突然吠えた。心の底から面倒臭いと主張している尖った声で、何事かを言い募ろうとした相手を凶悪な眼光で射竦めて、セスは突き放した口調で鋭くばっさり斬って捨てる。


「長引かせるだけ時間の無駄だし居座るだけ居座り損なんだよテメェいい加減とっとと気付け―――――見世物になりてぇわけじゃねぇだろ」


最後に付け足された一言は、それまでの声の強さに比べれば囁き程度の音量しかなく聞き取れた者はごく僅かだろう。それこそ私と王子様と、セスが言葉を投げ付けた男子生徒くらいにしか届かなったであろう台詞。


「あ………急用を、急用を思い出しましたのですみませんこれで失礼します!」


きょろきょろと視線を彷徨わせて自分が置かれている状況を客観的に把握した男子生徒が声を上げる。言うが早いか全速力で逃げていくその後ろ姿に迷いはなく、最後に見た顔は憐れな程に真っ青で今にも死にそうだった。欲張ってチーズをごってりたっぷり絡めた蒸し芋丸ごと頬張った私も口の中が灼熱過ぎて死にそう。嘘だ。新作パイ生地と追加のチーズ鍋がくるまでは絶対に死んでも死んでたまるか。


「チッ………どうせ尻尾巻いて逃げるなら最初から大人しくそうしとけってんだ」

「と、憎まれ口を叩いている通常運転のセスではあるが、リューリ・ベルの翻訳効果で『面倒臭い思惑で妙な絡み方をしてくる輩をも気遣って早く教員に謝りに行けと口は悪いながらも諭してくれる面倒見の良い三白眼』としてほっこりした目を向けられているので王子様ついついほんわかしちゃう。あと聞きたくないから黙って消えろ、って裏を返せば『こんな公衆の面前で余計なこと口走って要らない恥を掻くよりは黙って教員棟に直行した方がまだ傷は浅いし余罪も増えない』っていう配慮でしかなくない? やっさしーい!」

「あァ!? 気ッ色悪ィ笑い方してんじゃねぇぞレオニール! つぅかテメェまで妙な幻覚見てんじゃねぇよクソポジティブ! 止めろ! 無性に痒くなる! ただでさえ少ないメシの時間に鬱陶しいヤツの相手なんざしてられっかよ茶化してねぇで失せろ今すぐどっか行け!!!」

「あ、王子様分かったかもしんない。基本的には自他共に厳しくても身内にはそれなりに甘いセスがどうして自分たちに突撃してきた如何にも面倒臭い系の輩にそんな優しさを垣間見せたのかというその一点についてだけはちょっと引っ掛かっていたんだが………気に掛けてやった方向というか、そもそも相手が違ったのか。お前さてはリューリ・ベルのランチタイムを邪魔さ痛い痛い痛い痛い痛い待って痛いホントいったいセスやめて痛い痛いって言ってんじゃん私の腰回りの肉抉り取る気なの止めてホントまじでストップ!」

「ゆっるい生き様晒してるせいか指で抓んで引き千切れそうなくらいに贅肉増えてんぞ馬鹿王子、ダイエットに貢献してやるから黙ってグラム単位で痩せろ」

「やだセスったら照れ方が可愛いどころか普通に怖い! いくら長い付き合いの私でも痛みと恐怖で涙が出ちゃう! いくつになっても尖がってた幼馴染がお兄ちゃんになって丸くなったなあって密かに成長を喜んでいたのにこの仕打ちは酷いと思うぞう!」

「お兄ちゃんじゃねぇっつってんだろボケッ!!!!!」

「どう控えめに表現しても年子のきょうだいの世話を焼くお兄ちゃんでしかないんだけど!? ほらリューリ・ベルもベーコン巻きチーズに全力の追いチーズしてないで何か言ってやりなさい!」

「王子様って前にもフローレンさんにどっかの肉ぎゅいーってされてなかった?」

「あっ、そういえばされてたかもしんないって違う違う違うそうじゃないんだわ何か言ってとは言ったけれども求めていたコメントではなかった!!! あと『ぎゅいー』って何それどんな擬音!?」

「これはどっちかっつぅと『ギギギギ』と『みしみし』の中間か足して割った感じだろ」

「中間だろうが足して割ろうが何一つとして分からないセスの感覚が分からないというかお前ホント何言ってんの!? あと抓るのマジで止めて痛い!!!」

「王子様が変なこと口走らなければセスだって抓るの止めるだろうよ」

「さもありなん私に百パーセントの非がある言い方だなリューリ・ベル! お前にとってはお気遣いの三白眼なお兄ちゃんでも王子様にとってはそうじゃないんだよ見てのとおりの風当たりだよ!!!」

「それだけ騒げる余裕があるなら案外大丈夫だろ王子様」

「みてぇだな。反省してる様子まったくねぇから捻るか」

「どこを!?」


悲鳴を上げる王子様とはまったく関わりのないところで一部のギャラリーが泣いていた。泣きながら視線を切らすことなくしっかりと目を見開いてこちらの様子を窺っていた。なにあれ異様。若干怖い。

見なかったことにして口に運んだふわふわの白パンはいつもより気持ちほんのり甘い。チーズの塩気とコクのおかげでお菓子ではなく食事として成立する不思議な甘味になっている。好き。


「いたたたた………褒めようと思っただけなのになんでこんなに抓られたの私………セスは称賛の類くらい素直に受け取れるようになろうな」

「反対側も抓っとくか? 片側だけじゃバランス悪いだろ遠慮すんなよレオニール」

「そんなバランスは重視してないから全力で遠慮しておこうかなあ! 結構です!」

「おうリューリちょっとこいつの横っ腹思いっきり抓んでぎゅいーってしてやれ」

「悪戯心全開で末っ子を焚き付けるのは止めなさいって言ってるでしょうがお兄ちゃ………え。うっわセスが『ぎゅいー』って言った。リューリ・ベルは許せてもセスが口にするとなんかキツイ」

「急に正気に戻るんじゃねぇよそれはそれとして今からテメェの記憶を物理的に消す」

「記憶だけに留まらず抹殺される予感しかしないだだだだだだだだ止めなさいリューリ・ベル王子様の腰回りのお肉をぎゅいーってするのを止めなさい!!!」

「ギギギギっと引っ張ってみしみしっと捩じってるだけだからぎゅいーっとはしてないぞ王子様。これでバランス取れただろ」

「取れてない取れてない取れてない取れそうなのは王子様のお肉ッ!!!!!」

「え、王子様のお肉は要らない。食用外だから獲れても困る」

「心の底からガチで困ってて笑っちまったじゃねぇかよオイ」

「なんだろう、解放されたはいいんだけれども心に無駄な傷を負った気分!」


食堂で騒いではいけません、などという正論がどこからも飛んでこないのが不思議なレベルでフリーダムを謳歌しているセスと私と王子様の会話は無軌道に転がるだけ転がって、転がり落ちて飽きたところでチーズの海が干上がった。いつの間にか燃え尽きていた固形燃料の残骸はすっかり沈黙していたので、鍋底に焦げて張り付いたチーズがこれ以上炭になることはない。

深追い禁止のルールもないので憚ることなく食器を駆使して焦げたチーズと格闘している三白眼を眺めつつ、フォンデュし損ねた蒸し芋に塩を振りかけて咀嚼しながら私はぽつりと呟いた。


「ただでさえ少ないランチタイムに今から本命の新作パイ生地が出て来る予定なんだから、そりゃあいちいち相手するより追い払った方が楽だよな」


極端に言ってしまうなら、そもそも相手に喋らせなければ何も始まりはしないのだ。言葉を介して話し合うことで意思の疎通を可能にしている生き物が持つ特性を、そのまま逆手に取ればいい。

言わなければ何も伝わらない。聞かなければ何も分からない。聞き返したり言い返したりしなければ何も発生せず発展せず―――――何も好転しない代わりに何ひとつ悪化したりもしない。

舞台の幕が上がらない。くだらない茶番も娯楽の喜劇も始まることなく終わっている。

まあな、と短く肯定したセスは、器用に鍋底から剝ぎ取った薄く綺麗なチーズの膜をお皿に乗せて当たり前のように私に寄越した。


「剣術科のアホがタイミング悪くやらかしたことにたまたまテメェが関わったことで妙なオチになっちまったってことは俺も否定はしねぇけどよ、それにこっちが巻き込まれてやる義理や道理なんてモンはない。性懲りもなく決闘なんて始める馬鹿は単純に馬鹿だし下手に大事になる前に収めたテメェの行動はランチ目的の自己都合でも結果としちゃあ十分だ―――――婚約者の座を勝手に賭けた決闘騒ぎで怪我人なんざ出そうモンならそれこそ諸々詰んで終わる」

「あれ? セスにはもしかしなくても詳細が分かってる感じ?」


ぱりぱり香ばしいチーズを齧る私の耳が拾い上げたのは王子様の声である。ごくごく自然に入ってくる違和感のなさに関してはもう達人の域に達していた。

さりげなく事の仔細を聞き出すチャンスは見逃さないという幼馴染に、面倒そうな視線を向けた三白眼が舌を打つ。それでも無下にしなかったのは、恐らく最低限の情報だけでもここで開示しておいた方が早く黙らせられるからと判断したに違いない。


「別にさして詳しくはねぇよ。正直そんなに興味もない。聞いた話より聞いてねぇ話の方が多いくらいなんだから知らねぇことは知らねぇに決まってんだろがボケ王子………まあ、ゲッドのやつに関して言やぁ『モビーシャの婚約者を見る目が怪しい』っつって前々から噂にはなってたが―――――個人戦、一対一の実技成績だけならゲッドの方が上だったからな。総合成績じゃ勝てやしねぇから短絡的な手段に出たんだろ、くらいの予想なら付くけどよ」

「いやセスお前それ予想を通り越してほとんど正解なんじゃないの?」


呆れた顔で指摘する王子様はそう言って、分かっていたからあそこまで頑なに相手に言わせなかったのかと一人で勝手に納得していた。新たに剥がしたこんがりチーズの膜を折り畳んで一口で食べたセスは冷めた目で幼馴染を見て、どうでもよさそうに鼻で笑う。


「知らね。“本当”のところはどうなのか、とか俺にはまるで興味がねぇ。木刀簡単に借りパクされる用具倉庫の管理体制について思うところがあるくらいで他人の色恋沙汰だとかいざこざそのものはどうでもいい―――――リューリだってそんなモンに欠片も興味はねぇだろうよ」

「ないぞ。セスを食堂まで引っ張れるかどうか、チーズフォンデュが食べられるかどうかにしか興味なかったし考えてない。今ざっと話を流し聞いた感じでも特に思うところはな………あれ? 総合成績ってなに? 錬金術科でそんなの聞いたことない」

「そっちが気になったのは笑う。面白ェから教えてやるわ。つっても特別なことじゃねぇ、剣術科じゃ個々人の対人戦闘成績とは別に統率力やら指導力やらも評価の対象になるんだよ。噛み砕いて言やぁ人の上に立てる器かどうか、後続を育てるのに向いてるかどうかって話だな。誰か一人、自分一人が突出して強かろうがほとんどが団体行動になる騎士団自警団の構成面子が個人主義の脳筋だらけじゃ回るモンも回んねぇだろ。指揮官、指導官、補佐官への適性が高けりゃ高いだけ将来有望、就職の幅も広がって進路の選択肢も増える―――――総合成績ってのは読んで字の如く、実技も座学も個人の力量も適性も全部ひっくるめた上での最終的な総合評価だな。他の学科はどうか知らんが剣術科は大体そんな感じだ」

「へえ。つまり剣術科主席ってことはお前もしかしなくてもすごくすごい三白眼か?」

「褒められてるってことは分かるがすごくすごい三白眼はダイレクト過ぎて笑えるな」

「顔色一つ変えないで何言ってんだろうなこの三白眼」

「腹筋と表情筋総動員して毎回地味に堪えてんだけど」

「なんで真顔で雑な嘘吐くんだ?」

「新作パイ生地焼き上がるまで暇」

「あー」


なるほど、それならしょうがない。そんな気分で頷いて、テーブル上の食器を片付けるセスを暇潰し感覚で手伝っていたら未だ同じ場所に立ったままでいた王子様から声が降る。


「お前たち、さりげなく雑談に興じるフリで王子様を無視するのは止めなさい」

「なんだまだ居たのか王子様」

「いつまで居座る気だテメェ」


とても似通った表情で同時にトップオブ馬鹿を見上げる私とセスに周囲のギャラリーの一部が死んだ。どこまでいってもなかよしきょうだいとか幻聴は幻聴でしかない。私にお兄ちゃんは居ない。


「はいはい、二人して尖がらないの。思い出してダブルフリーダム。途中で横槍は入ったものの、王子様お前たちに大事なお話があるから聞いて欲しいなって言ったじゃん?」

「言ってたか?」

「記憶にねぇな」

「嘘おっしゃい! 息ぴったりにしらばっくれるのも大概にしようなキッズたち! さっきは確かに聞くだけは聞くって姿勢で一度は諦めたんだから今更悪足掻きしないの!!!」

「なにこいつ」

「クソ腹立つ」

「ほらまたそういう―――――おっと、すみません。少々お待ちいただけますか。すぐに場所を空けますので」


口煩く騒がしい馬鹿から一転、王子様は王子様らしい振る舞いで速やかにその場から退いた。彼が空けたスペースへとワゴンを押して現れたのは言わずもがな食堂のおばちゃんで、お待たせしましたとの言葉とともに新しいチーズフォンデュ入りのお鍋がテーブル上にセッティングされる。

今度の鍋は金属製ではなく分厚い陶器製のもの。中にたっぷり湛えられたチーズフォンデュもさっきまで食べていたものとは違ってほんの少しだけ黄色が濃い。

新作パイ生地に合うように少々配合を変えました、というおばちゃんの言葉にしっかり頷くセスの目は獲物を狩る捕食者のそれだった。私も似たような眼差しでおばちゃんに感謝の意を述べる。流石は食堂のおばちゃんたち―――――食材に合わせてチーズの配合を微調整する心意気、常にベストを尽くす姿勢は積極的に見習いたい。

新しいお鍋に追加の具材、そして本命の新作パイ生地をこれでもかと盛りまくった大きな器。それらすべてを並べ終え、使用済みのお皿その他を代わりに回収したおばちゃんは、必要な仕事だけを済ませてあとは多くを語らない。

ごゆっくり、との言葉を最後に去っていく背中を見送って、私とセスは待ちに待った時間を堪能しようと身を乗り出して―――――新作パイ生地がたっぷり盛られた器を全力で高い高いして私たちから取り上げているクソ野郎ことクソ馬鹿王子様に揃いも揃ってブチ切れた。


「よぉしそれじゃぁお前たち! 新作パイ生地とやらが食べたければまずは王子様の話を聞こうな!!!」

「あァ!? ふざけんなよクソが!!!」

「お前その頭ぶち割るぞクソ野郎!!!」

「黙らっしゃい暴れん坊ブラザーズ!!!!!」


ぴしゃりと力強く言い切ったクソ王子様の大音量には今までにない圧がある。そんなことは関係ない、とにかくお前それ返せ―――――と身体能力に物を言わせて両側から実力行使で新作パイ生地を取り戻そうと腰を浮かしかけた私とセスに、臆することなく王子様が吠えた。


「ここで大人しく聞かないとお前ら二人ともしばらく食堂出禁になるけどそれでもいいならかかってらっしゃい!!! フローレンはかなり本気だぞう!!!!!」


衝撃的な発言に次いでフローレン嬢の名前が飛び出したところで絶望的な不利を悟る。

王子様に食堂の利用を制限されても私の知ったことではない、と笑顔で無視するに決まっているが彼女が相手となるとそうはいかない。食堂のおばちゃんたちを説き伏せて合法的に味方につけるなどあのお嬢様には造作もないことだと己の直感が告げている。というか王子様はどうとでもなるがフローレン嬢はどうにもならない。

逆らってはいけないもの、というのはどこにだってあるものだ。私以上にそれを良く知るセスの判断は早かった。浮かせた腰を椅子に落ち着けて、射殺さんばかりの凶悪な目で幼馴染を睨め上げて、彼は地の底の更に下から煮え滾った怒りを捻りだす。


「で、話ってのは、なんだ。レオニール」


下手な怒声より怖かった。分かりやすいくらいに激怒している。うっかり聞いてしまったらしい後ろの席の男子が逃げた。思わずといった様子で距離を取ったその判断力は正常であると教えてあげたいが私も今ちょっと忙しい。主に激情との折り合い的な意味で。


「聞いてやるから早く言え」


そのあとでお前の顎を砕く、くらいの殺意を込めて淡々と言えば王子様は一瞬だけ遠い目をした。怯えた様子を一切見せずに怖いとか言われても嘘だろと思う。

パフォーマンスの類はいいからさっさと言えやクソ王子、と怒りを抑えたセスの台詞に王子様は深々と嘆息した。


「だーかーらーさあ………セスのそれがマズいんだって私は何回も言ったじゃん………」

「あ? マズいって何だ抽象的過ぎんだろ具体的に用件言えってんだよクソが」


「お前の口が悪過ぎるのが駄目だって散々言ってんでしょうが!!!」


鼓膜が破れなかったのは、たぶん奇跡だったと思う。

王子様が本気を出したら相当五月蠅い声を出せるとはついこの間学んだけれど、予備動作なしで至近距離から直撃すると結構しんどい。セスは普通にびっくりしていた。圧倒されてしまったというか、聴覚機能が正常になるまでたぶんそれなりに時間が掛かる。ちなみに聞き耳を立てていたギャラリー各位は全滅していた。無差別広域攻撃過ぎて悲惨どころの被害じゃない。

音がちょっと遠い気がする状態で話を聞けというのは無理があるだろと思ったが、平素なら五月蠅いであろう音量を出すことで聞き取りだけなら支障のない状況を力業でつくりだす王子様の前では些事だった。


「何度も何度も何度も何度もその口の悪さをなんとかしようなって散々忠告してきたでしょうが! 『リューリ・ベルが真似しちゃうから』せめて使うのは控えなさいってめちゃくちゃ言って聞かせたでしょうが! 結果どうよ!? まるで聞いてない! リューリ・ベルはリューリ・ベルで言い易いのか気に入ったのか最近ナチュラルにクソとか言っちゃうしセスみたいな口調がさらっと飛び出すしでどこまでも教育に宜しくない!!! ガラが悪いどころじゃないんだよ“王国”がお預かりしてる“北の民”の品性が疑問視されちゃうレベルなんだよフローレンの我慢にだって限界ってものがあるんだよ!!! おい分かってんのかセスお前この“私”がここまで言っちゃうくらいフローレンの機嫌ヤバいからね今!!! 相当よ! これ相当よ!? 口が悪いのも態度が悪いのもお前だけならお前の勝手だけどそれにリューリ・ベルが影響されてるのが一番マズいんだわお分かり!?」


誰も。誰にも、私たちでも、王子様を止められなかった。

新作パイ生地を高い高いする高身長の王子的美形、という間抜けな絵面にも関わらず、切羽詰まった表情かつ怒涛の勢いで淀みなく噛まずに思いの丈を叫ぶ姿はどこまでいっても真面目である。珍しいことに、真面目だった。

そして割と本当に切実に大事な話だった。


「え………私の言葉遣いそんなにも問題になってたりするの………?」

「自由にのびのび過ごさせるのがお前には一番良いだろう、と割り切っていたフローレンが問題視してしまった時点で私には諦めろとしか言えない」

「ええ………確かにクソとかつい言っちゃうけど流石にそうはならなくない………?」

「なっちゃったから今こうやって王子様が強硬策に出てるんだが?」


真顔でしれっと言い放つ王子様には迷いがなかった。幼馴染の奇行とその裏にあるご令嬢の怒りをここで把握したらしいセスもまた真顔でその視線を受け止めている。

激しい怒りを削ぎ落とされた彼はどこまでも冷静だった。もしくは現実逃避感覚でどうしようもない展開に流される覚悟を決めたのかもしれない。


「そんでアイツ俺にどうしろってんだよ」


三白眼はもう投げやりである。ヤケクソ感が凄まじい。

フローレン嬢が動き出すとセスの目は高確率で即死するな、と同じく逃避に走る私の耳が、王子様の静かな声を拾った。聴覚の復活の早さが憎い。


「リューリ・ベルの口調及び態度のセス化がこれ以上進行する前に、“王国”における言語や文化を今一度きちんと正しく学ぶという名目でお勉強の場を設けることになりました―――――具体的に分かり易く言うなら『お前らきょうだいセットにするとビックリするほど治安悪いから一回説教して再教育な』です強制イベントだ! 拒否権はないぞう!」

「セス化ってなんだ?」

「まず兄妹じゃねぇし」

「黙らっしゃいって言ってるでしょうが往生際の悪いキッズたち! ここで素直に頷いておけばとりあえずこちらの新作パイ生地とやらにはありつけるんだからフリでもいいから素直に謙虚にハイハイってしておきなさい!!!」

「はいはい」

「へいへい」

「よし言質取った!」


そうと決まれば美味しいうちに食べちゃいなさい二人とも! とか言って現物を取り上げた張本人が新作パイ生地の器をすすっと丁重に返してくるのが気に入らないが今は無視してランチを続ける。セスもセスで無言だった。言い返す元気がない、というより気力の類が湧いてこない。黙々と好物を味わう以外に回復する術などないだろう。

お説教とかお勉強とか心の底から遠慮したいけど無理なんだろうなこの流れ、と潔く諦めの境地に辿り着いた私は、用事は済んだ筈なのに未だこの場に留まり続ける王子様に不審な目を向けた。

先程までの真面目さなどはかなぐり捨てたいつもの陽気さで、トップオブ馬鹿はやたら楽しそうに何事かを言いながら浮かれている。


「男子会だ! お茶請け何にしよう」


勉強会なのか説教回なのか男子会なのかもうなにひとつとして分かんねぇよはっきりさせろや王子様。


お疲れさまでございます、ここまで読み進めてくださったあなた様の根気と優しさに喝采を! いつもいつも目が滑る文面を追ってくださってありがとう!(ホントに)


(なお、次回は本編最後で触れたとおり勉強会っぽくなる予定(予定)ですので「別にそういうのはいいや」という方はすみません、何卒ご容赦ください)

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― 新着の感想 ―
[良い点] お兄ちゃんと妹ちゃんの掛け合いが好きすぎるんですな…。尊い(ファンクラブ会員より) [一言] テンポ良すぎてするする読めました〜いつも楽しませて頂いてありがとうございます!
[良い点] セスとリューリのやり取りはそのうち癌にも効くようになる!!!(王国民並感) 二人の掛け合いが多くてなんかもうご馳走様でした!!!!おかわり!!!!!! あと垣間見えるセスの優秀さで死に…
[良い点] わあああ周りがてえてえって拝んでた、お兄ちゃんの口調に似てきてたリューリが、こんな方向で問題になるとは! でも確かに! 留学先でスラングばっか覚えてきたら、戻った時にええーってなりますもん…
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