夏、壁越しの思い 4
香織の作った夕御飯を食べて、交互にお風呂に入ったあとにすぐに寝てしまえばよかったと強く後悔している。
まだ時間も早かったから、香織がDVDを見ようと言ってきたので、了承したら、「最近ハマってるんだよね」と並べ出したパッケージを見て、私は凍りついた。
香織が並べたDVDのジャンルが全てホラーだったからだ。
凍り付いている私を尻目に彼女はどれにしようかと悩んでいた。
この時に止めておけばよかった。
つまらない意地を張らずに、違うものにしてもらうか、ホラー以外を頼むべきであった。
端にあった洋画のものを指差してみたが、「これ見たけど、つまらなかったんだよね」と言って、片付けられてしまった。
じゃあ、一緒に並べるなよと思うと同時に、それで良かったのにと私が落ち込んでいると、香織は勝手に見るものを決めたらしい。
私の方に見せたパッケージは、去年それなりにヒットした邦画のホラー映画だった。
これを見始めてから、覚えていることは少ない。
最初は普通に見えていたのだが、序盤の幽霊が出てくるところでもう怖くて仕方なくて、香織に抱きついていた。
中盤からは画面も見ていなかった。
ただ、ずっと香織の太ももの間に顔を置き、丸くなっていた。
クライマックス近くには耳も塞いて、ひたすら終わるのを待っていただけな気がする。
見るものじゃないと言う後悔と、私は何をしていたのかという虚しさだけが残るDVD鑑賞会だった。
それから少しした後に、香織がベッドの横に布団を敷いて、私をベッドに香織は布団にという感じでそれぞれ入ることにした。
しかし、香織のベッドを使わせてもらっているが、自分のベッドじゃないからとても落ち着かない。
それに、何だかベッドはとても大きいし、布団はふわふわしていて柔らかい。
ベッドの大きさは、私がもう一人ぐらい余裕で入りそうなぐらい大きい。
これがダブルベッドと言うものだろうか。
それにしても、一人っ子にしてもここまでの物を買い与える親というのは考えられない。
いや、与えたりはしないだろう。
ベッドにしても、この布団にしても、どちらも子供に与えるものにしては過剰だ。
これはやはり香織がお金持ちのお嬢様って事なのかな。
お金持ちのお嬢様だとしたら、私が抱いていたお金持ちのお嬢様に対するイメージが変わる。
マンガとかで膨らませていたイメージではあるけど、もっと色々出来なかったりするのが、お金持ちのお嬢様って感じだ。
しかし、香織の場合は、文武両道でどちらもトップクラスだし、家事関連も行えてしまえるんだから、どれだけ恵まれた能力を持っているのか分からされる。
常識がちょっとないのは私のお嬢様イメージ通りなのだが。
さっきまでスマホを光が点いていたのだが、いつの間にか部屋は真っ暗だった。
消えているところからすると香織は寝てしまったのだろうか。
普段の授業であれだけ寝ているというのに、どれだけ眠れば気が済むのかと言いたくなる。
さっきまで香織がいるという安心感がしていたけど、今は感じられず一抹の寂しさを覚えた。
慣れない家に慣れない布団、そして、台風の雨風の音が凄くてなかなか眠気が来てくれない。
ガタっと風が窓を打つ音がする度に心臓が飛びそうなほど一瞬体が跳ねてしまう。
大丈夫、今のはただの風。
そうだ、ただの風だから何も怖くない。
自分に強く言い聞かせる。
早鐘を打つ、心臓を落ち着かせる。
パニックになってはいけない。
しかし、ミシッという家鳴りのような音が少しだけ大きく響いたところで、
「ヒッ!」
短い悲鳴を上げて、壁の方を向いて頭から布団を被った。
あれは映画だし、現実に幽霊なんているわけないし、フィクションだから、とか最もなことを言ったとしても体の震えが止まるはずがあるわけでもない。
ただただ、思考はループして、恐怖心だけが際限なく広がっているだけになってしまうことに気が付きもしない。
体を丸くし抱きかかえて、朝になるか気絶でもいいから意識を無くして欲しい。
そうじゃないと夜の間、ひたすらこの恐怖の時間を過ごさないといけない。
その時、突然背中の方の布団が捲られた。
なんでこのタイミングでそういうことが起きるの。
香織が布団を捲って来たのかもしれない。
しかし、万が一にも幽霊だったとしたら笑えない。
安堵してから落とすなんてホラーでは定番の展開ではないか。
香織であって欲しい。あって欲しいけど、万が一を考えると絶対に振り向けないし、目も開けられない。
「――っ!」
私が悶々としていると、今度は軽く肩をトントンと叩かれた。
あまりの驚きで、心臓が飛び出るかと思った。
悲鳴が出るかと思ったが、声が出ない。
あぁもう、ほんとに嫌だ。
ホラー映画なんて見なきゃ良かった。
映画に出てきた幽霊の顔が頭にチラついてしょうがない。
逃げたい。
けど、逃げられない。
香織のバカ。
怖がってるの分かってるのに、何で映画止めて違うのにしてくれなかったんだ。そうしたら、私はこんな状況に追い込まれなかったのに。
もう何で私がこんな目に合わなきゃいけないの。
次幽霊に触られたら、泣いてしまいそうなぐらい怖い気持ちだけは大半を占めていたが、その周りで色々な気持ちが渦巻いて、自分でもわけが分からなくなっていた。
しかし、私の気持ちは通じてないようでさっきよりも強く肩を叩かれた。
思わずまた悲鳴を上げそうになったが、今度は全身に力を入れてそれだけは阻止したが、もういっぱいいっぱいだ。
唇を噛みしめて、涙を流さないようにする。
泣いちゃいけない。
弱さを見せちゃいけない。
香織の近くで──
「比紗子、比紗子?」
香織の声が背中越しに聞こえた。
「え、あ」
いけない。
今はいけない。
さっきまで心の中の大半を占めていた恐怖がなくなり、代わりに安堵が広がる。
「あ、うっ」
泣いちゃいけないのに。
こんなことで泣くなんて。
自分が情けなさ過ぎて、余計に泣けてくる。
丸まっている私を、香織が抱き上げた。
見られたくなくて、香りの腕から逃げようとしたけど、またもや逃げれないほどしっかりと掴まれている。
ぎゅっと後ろから抱きしめられた。
「泣いてる比紗子も可愛いね」
肘鉄を食らわせた。
背後から呻くような声が聞こえるが、自業自得だ。
こういう時ぐらい、気の利いたことをいう場面だろう。
ホントに、ホントに香織は気が利かない。
しかし、こうして香織に抱きしめてもらって安心している自分がいるんだ。
ちょっと悔しい。
それから香織は何も言わず、私を抱きしめていた。
そんなに時間は経っていないように感じるけど、自分の中では長く抱きしめられていたように感じた。
込み上げてくる自分の中の我慢出来ないものが時間の経過を教えてくれる。
「あ、あのさ、香織……その、トイレに行きたいんだけど、さ……」
あぁ、もうこんなこと聞きたくはなかった。
聞きたくなかったが生理現象には勝てない。
勝てそうにない。
「トイレなら、そこ曲がってすぐだけど」
「いや、あの……出来たら、その……」
分かって欲しくはないが、全部言わなくても分かって欲しい。
「付いていって欲しいんだね、いいよ、比紗子」
顔から火が出るほど熱くなってるのが分かる。
言わなくてもいいのに、こういうところはホントに気が効かない。
「ほら、行こっか」
香織に手を引かれて、ベッドから降りてトイレに向かう。
香織の部屋は二階にあるのだが、二階にもトイレがあるのは羨ましい。
私の家は一回にある洋式トイレが唯一のトイレだからだ。
私とお父さんと妹による朝のトイレ争奪戦が毎日のように起きている。
トイレのドアを開けて、中に入ると当然のように香織が入ってこようとした。
「ねぇ、何で一緒に入ってきてるの?」
「え、だって比紗子怖いから、一緒に入った方がいいんじゃない?」
「いや、いや、ここまでは良いから、ほーら! 出てってよ」
香織の背を押して、トイレから出す。
「えー、女同士だから大丈夫だよ!」
「何が大丈夫なの! そこで待ってて!」
扉を閉めて、鍵を掛ける。
便座に向かおうとしてドアに背を向けた。
すると、ドアからコツンという音がして、驚いて振り返る。
香織が扉にもたれかかってきたのだろうか。
そうに違いないと思い、便座に近づいた。
ズボンとショーツを下ろして、便座に座る。
「ねぇ、香織」
「んー?」
扉の向こうから香織の声が聞こえる。
「何であんたは私と一緒にいるの?」
「比紗子、急にどうしたの?」
出す音を紛らわすように、水を出す。
「だって、私はこんなんだし……香織は色々と凄いじゃん。何でも出来ちゃうし」
「まぁ、私が凄いのは天才だから当然だよ」
そう言うと思ったが、それが言えるぐらいのことを本当に出来ちゃうから言い返せない。
「比紗子はそのままでいいよ」
「どういうこと?」
「そのままの意味だよ。そのまま変わらずいてくれたら、私が嬉しい」
いい事を言うのかと思ったが、期待しすぎた感があった。
「私だって、変わるよ。いつまでもそのままってわけにはいかない」
精神的にはこれからも成長はきっとするだろう。
色々な人生経験を得て、子供から大人になっていくから変わらないことなんてことはありえないと思う。
「そういうのじゃなくて、比紗子らしいところがそのままでいて欲しいってことね」
私らしい、とはどういうところだろう。
自分って案外見えているようで見えていないのかもしれない。
「よく……意味が分からない……」
「それでいいよ。その方がずっといい」
香織には分かっているのに、自分自身が分からないというのはなんだか面白く無い話だ。
トイレットペーパーで拭いて、ショーツとズボンを上げる。
水を流して、扉を開けようとしたが、手が止まった。
顔が見えないから、向かい合わなくても済むこの状況だから、聞いてみよう。
「ねぇ、香織」
「なーにー?」
扉に背中を預ける。
この一枚板の向こうで、私と同じようにして香織がいるんだ。
「香織は私といて、私をどうしたいの?何をしたいの?」
噛まずに言えた。
その返答はとても短かった。
「内緒」
私も大きな息を吐いて、答える。
「そっか」
答えが来るとは思ってなかった。
ううん、違う。
香織から答えが返ってこなくて、安心しているんだ。
きっと、今の私は、それを聞いた私は意識してしまうから。
「ねぇ、香織」
次は香織の返事を待たずに言葉を続ける。
「ありがと」
自分でも思ったより小さな声になった。
「今日の比紗子は変だね」
「たまにはいいじゃん。私だって」
「そうだね。じゃあ、そんなレアな比紗子を見れた私って超ラッキー」
そう言って、ドア越しに何か身悶えているような声が聞こえる気がするけど、無視しておこう。
その間に伝えておこう。
聞こえないぐらい小さな声で。
香織にはまだ聞かれたくない本心を。
まだ、面と向かって言う勇気がないから、扉越しに。
「私は、香織のこと……」
好きなのだろうか。
認めたくないから、嫌いなのだろうか。
一瞬頭を過ぎった疑問で、言葉が凍った。
「比紗子、何か言った?」
体がビクッと震えた。
聞こえたのか。
聞こえてないと思う。
いや、けど、香織なら聞こえなかった振りをしてと頭のなかを様々な考えが嵐のように駆け巡る。
「なんで……あ、いや、うん。今日だけは、特別にお礼として一緒に寝てもいいから」
「え、ホント? マジ? ラッキー!」
香織が外からドアノブをガシガシと回してくるがやめて欲しい。
香織って分かってるけど、怖いからやめて。
「あ、開けるから、それやめて。開けるって、待って」
鍵を開けると、私がドアノブを回す前に香織が外から開けた。
満面のニヤケ面だ。
「ほら、比紗子。行こ行こ!」
「分かったから、ちょっと待ってって」
香織に手を引っ張られて、連れて行かれる。
手を引かれながら、先ほど言いかけた言葉の続きを考える。
何て言おうとしていたのだろう。
本心は、香織をどう思っているのか。
私自身気がついていないだけで、香織に対して気持ちが変わっていっているのだろうか。
嫌い、じゃないとしたら、好き、なのだろうか。
それはない。
絶対にない。
少し頼りになったりするから、私の頭が変になっていただけなんだ。
そうだ、きっとそうに違いない。
私の精神状態がまともではなかった。
そう結論付けるのがきっと妥当なところだろう。
良かった、香織に聞こえてなくて。
「どうしたの?」
「何でもない」
しかし、私は香織の顔をまともに見ることは出来なかった。




