城下町⑥
「お待ちどうさま! 上手すぎるからって食いすぎるなよ!」
バン!!
音をさせて大皿をテーブルに置くと、店主は風のように去っていった。
時間が経つごとに徐々に客が増え、今では空いているテーブルは無いほどだ。店主は大忙しで、実際にここの店は、少なくとも食事所としては人気のようだ。
「………。」
だが、料理を出された日本人3人は固まる。
一緒に出されたスプーンを手に取る勇気は沸いてこず、あの春歌さんですら、困りきって動けない様子で、視線は料理に釘づけだ。
一皿目は、大皿に、強烈な臭いを発するどろどろのリゾット。米の形はほぼ消えてオートミールのようであり、青カビチーズなのか納豆なのか腐った牛乳なのか、その臭いは形容しがたい。
二皿目は、中皿に、中央に型で固めたシーチキンのような、魚の解し身の寄せ集めのような何か。水気を切っていないのか、皿全体にだらりと液体が染み出していて、シーチキンのような何かも角が崩れて皿にこぼれており、半端に型の形が残っているからこその無惨さがある。
三皿目は、深皿に、薄茶色のスープ。中にはワカメのように見える野菜だろう何かが、緑素を失って茶色や黄色や黒になりつつ、ふやけて浮いたり逆に沈んだりしている。その野菜は炒めでもしたのか、表面に油のような膜が張っている上、湯気が出ていないので冷めているらしい。
「思ったほど酷くはなかったな」
正直な感想を述べると、奏多が声を上げた。
「どこが!!」
早くも涙目だ。悲しいのではなく、リゾットの臭気にやられたのだろう。
今にも鼻をつまみそうだが、さすがにこらえている。
俺はため息を付いた。
「あのな。日本は今世界で一番、美食の国だって分かってるか? 世界中のマグロは日本が高値で買い占めてるって話もあるぞ。食い物にそこまで命掛けてるのは日本人くらいだ」
「うそぉ」
「俺の偏見かもしれない。だが、留学した身として一言言わせてもらう。
日本を出たら、飯は、諦めろ」
目を見ながら告げると、奏多はしょぼんと頭を下げた。
ご飯が美味しくないなんて…と呟くが、それは日本人なら大抵思うことなんだよな。
だが、「でも!」と顔を上げてスプーンを手に取ると、
「食べてみななくちゃ分からない! 奏多、行きます!」
逝きます、と聞こえてしまった俺は耳が悪いのだろう。
とにかく奏多は叫ぶと、シーチキンらしきものをひと掬い、勢い良く口に入れた。
「………。」
そして一言も喋らずに撃沈した。
そうか…。一番まともに見えたシーチキンのようなものすら駄目か。
「……せんせい、たべてみない?」
ふらりと幽鬼のように顔をあげ、ひとすくい、俺の口元に持ってくる奏多。
無理矢理放り込まれては堪らないので、自分の口を手でガードしながら、聞く。
「どんな味だった?」
「まずい」
直球だな。
「詳細は」
「口の中に入れた瞬間広がる生臭さ。しかも鉄臭くて血腥い。それなのに周りの液は大根みたいな甘さでつらい。柔らかいのと固いのがあって噛み切れない。飲み込めないから噛むけど、噛む度に肉汁?が出てきてそれは苦い。なんかザリザリしたものか入っててぞっとした」
淡々と羅列する。
すごいな。的確に味が想像できる。
「絶対食わん」
「そう言わずに。分かち合おう?」
「尊い自己犠牲だったな」
「ひどいよ…」
悲しそうに目を伏せるが、構えたままのスプーンのせいで本心が丸出しだぞ。俺は油断しないからな。
「果敢に挑戦して散って逝ったのはお前だ。俺は説明したぞ」
「そうだけど…」
しおしおと力が抜けていき、ぱた、とテーブルに崩れ落ちる。からん。スプーンが中皿に置かれてほっと息をつく。
私、美味しければカエルも虫もオッケーなのに…と呟く野生児は置いておいて…て、食べたことあるのか? 正気か? 嘘だろ?
ふと目線を春歌さんに移すと、覚悟を決めた真剣な表情でスプーンを異臭リゾットに差し込んでいる。
何故! よりによってそれ!
「春歌さん!」
「お母さん!!!!」
慌てて春歌さんの手を取って止めているうちに、奏多が目を背けながらリゾットを自分の方に移動させた。
「お母さん! 何考えてるの! こんなの食べたら死んじゃうよ! 不味すぎてショック死」
ぱしっ。
慌てて奏多の口を塞いだ。不満そうにもごもご言うが黙れ。
「馬っ鹿お前! 店主に聞かれて見ろ。自信作扱き下ろされたら怒り狂うぞ。それ止めるには水圧しかないぞ。人殺しになるの嫌だろ? 大人しくしてろ」
小声で説明すると、ハッと息を飲んで亀のように首をひっこめた後、左右をキョロキョロ動揺して確認している。
幸い店主は奥だ。聞こえてないはず。
「よし、逃げよう」
宣言して立ち上がる。奏多は元気に頷いて続き、春歌さんは少しだけリゾットに名残惜しそうな視線を残してから立ち上がってくれた。
「お母さん、どうしてこれが気になるの?」
「前に、お父さんが食べさせてくれたものに似ている気がするの。その時は一口で目を回してしまったのだけど、今なら…」
「お父さん何してんの!? 信じられない!」
「騒ぐな、頼むから」
そんなやり取りをしながらも足早に進む。
しかし、宿の扉をくぐろうか、という所で野太い声に止められた。
間に合わなかったようだ。
「ちょっと待ちな、兄ちゃんたち」
高圧的な声に立ち止まるしかなく、渋々振り向く。
そこには、何かをじゅうじゅうと焼いているフライパンを持ったままの店主が鬼の形相で立っている。
タイミングが最悪ながら凶器持ちか…
「おおお残しは、許しまへんで?」
怯えきった奏多が錯乱したのか何事か呟き、食べたら死ぬ食べなくても死ぬと呪文のように続ける。それで後ろにコアラのように張り付かれているものだから、正直怖い。
「何でしょう? 用事があるからもう行こうと思うのですが」
店主に対し言葉を返す。
飲食店が完食を要求する道理は無いし、この金にがめつい店主なら、もう出て行くといえば部屋が空いたことを喜ぶだろう。
その隙に逃げる。
案の定、店主はにやりと顔を緩ませた。
「そうかそうか。用事があるんじゃ仕方ねぇな。キャンセル料はサービスしてやるよ」
部屋代を払った後で返金不可ならキャンセルとは呼ばないんだが。
同じことを思ったらしい奏多が店主に喧嘩をふっかける前に俺の腕を掴んでいる手を握って注意をそらす。
「ああ、悪いな」
軽く頷いて、踵を返す。
奏多と春歌さんの背を押して一刻も早くこの場から撤退しようとしたのだが、
「待ちな」
今度は何だ。
再び振り返れば、店主はこちらに手を差し出している。握手か? 嫌だ。
「帰るのは自由だ。だが置いてくもんは置いてきな。
昼飯代、まだ払ってないだろう」
「説明したとき、ご飯付きって言ってたじゃない!!」
今度は止められなかった。
奏多はぱっと俺の後ろから出てきて、店主に叫んだ。
「宿の『食事付き』ってのは朝と夜だけに決まってんだろ」
「そんなこと言わなかった!」
「常識だろぉ? 嬢ちゃん、どんだけ田舎もんなんだ?」
店主は馬鹿にしきった声で見下すように笑うと、食事中の客を振り返り「なあ!」と同意を求めた。常連なのか、客たちは「違いねえ」と下品に笑い出す。
奏多の肩がわなわなと震えているので手を置いて、俺はため息を抑えきれずに店主に聞いた。
「いくらだ」
「一皿金一枚でいいぜ!」
にやにや笑いながら店主が告げ、後ろの客たちに大爆笑が起こった。
明らかに高い。宿代より高額だからな。
こちらが金の価値が良く分かっていないことは見抜かれているらしい。
手持ちはあるが、こんな事で消費して良いような軽い金では無い。払う必要は勿論ない。
奏多、こんな店水浸しにしてやれ。何なら水圧で天井に大穴でも空けてやれ。
投げやりになって、奏多にそう指示しようとしたのだが、俺が何か言うよりも奏多が切れる方が早かった。
「あんなのにお金払える訳ないじゃん! わざと死ぬほど不味く作ったんでしょ!!」
しん、と一瞬静寂になった。
そんなに不味かったか、奏多…。
だが店主は料理に関しては何の悪意も込めてはいなかったのだろう、奏多の言葉の意味を理解して、ゆっくりと顔が赤黒く染まっていった。
やばい。
「ああん!? もう一回言って見ろ糞餓鬼!!!」
店主の手が伸びてきて奏多の襟首を掴もうとするが、それが届く前に必死でこちらに引き込む。
間一髪で毛だらけの太い腕は奏多には届かなかった。だが、余計に怒りを買い、片手のフライパンを振り上げた。
「奏多!」
とっさに奏多の頭と顔を両腕で覆う。
あとはどうしても体が動かない。フライパンの焼け焦げた黒い底が振り下ろされる。
その瞬間、ドン、と横から突き飛ばされて、奏多もろとも尻餅をつく。
何が起きたか一瞬分からず、惚けたように見上げた先には、こちらに手を突き出した体勢の、春歌さん。
「お母さん!」
奏多の金切り声と同時、春歌さんの後頭部に勢いをのせたフライパンが振り下ろされて、
カァン!!
良い音を立ててその直前で止まった。いや、間に入った人物が剣で受け止めて、助けてくれた。
「なぁにやってんのかなあ? こんなかわいい子たち虐めちゃって。
駄目駄目!そんなんだからまだ独り身なんだよおやっさん!」
長い金髪をかきあげてにやり、と笑う。均整のとれた体躯の、滅多に見ないような美丈夫の男。
「おうじさま…」
うわごとのように奏多が呟く。
ああ、うん、そんな感じだ。




