018 《深淵の森》
「これはちょっとした怪談、学園七不思議と呼ばれるものの1つなんですがね」
自称情報屋、リスト・フロイントは語る。
口元には薄い笑みを浮かべ、片手には真っ白な備忘録を携えて。
「普段授業を受ける本校舎を中心と考えまして、南に正門、北に森林が広がっています。これから話すのはその北側の――『深淵の森』とも呼ばれる場所の怪談です」
大陸一とも呼べる敷地面積を持つアーサーズ聖剣学園。
設備や設備が整う反面、構図は大変複雑になっている。
入学したての1年生ならば地図は常備必須であり、慣れた2~3年生ですら迷うことは多々ある。
「まず初めに言うと森にはなにもありません。ただただ深い暗闇と、自然豊かな環境が広がっている……少なくとも公式の地図ではね。寮や研究施設だって西か東に点在。言ってしまえば今なお発達発展を続ける学園に残された唯一の未開拓地が、その『深淵の森』であるわけですよ」
自然は大切にしなくちゃあいけません。
リストはウンウンと頷きながらそう言った。
「なにもないのですから、人がそこに立ち入る理由はない。試合や運動をするにしたって専用の施設がちゃんと設けられているわけですし」
ただ――
「でもそういう暗く怪しい場所に、理由もなく屯したがる輩がいるんですよ。端的に言えばアウトロー。今で言う【八席】に傅く不良なんかがまさにそれでして。どの時代にも道から外れた人間はいるものです」
ああいう乱暴な人間は不得意だと、彼は苦い笑みを浮かべた。
どうやら過去に一悶着あったそうだ。
「悶着は一つどころじゃないんですがね。っと、閑話休題。いや今から喋ろうとするものも過去の話なわけですし、あながち全てが閑話というわけでもないのかな?」
まぁいいや――と。
「そう遠くもない、だけど正確にも知らない何年か前のことです。とある不良たちが森に足を踏み込んだ。それも逢魔の刻に。なぜ踏み込んだかは……まぁ煙草を吸うなり、禁止物を売買するなり、はたまた童心に返って秘密基地を作るなり、その程度の事でしょう」
少なくとも、これから起こる事への【因果】にまではなり得ないという。
「ここの教師陣は化物が多いですから。見つからないよう結構進んだそうです。無論地図なんてものはない。てきとうに適当にテキトーに踏み込んでいった」
そこで彼らは見つけてしまった。
「家……というよりは大きい。木造二階建ての古びた建物が、ポツンと森の中にあったんです」
だがそれは可笑しいとリストはまくり立てる。
「学園長が、理事会が、事務課が、先生方が、最新の地図が、公的なもの全てが『森にはなにもない』と言っているんですよ?」
可笑しい。これは可笑しいことだ。
「未開の地は、同時に未解の地でもあったわけです。だが本当に奇妙なのはここから、不良たちは建物を発見して、案の定侵入を試みたようなんです」
人間というものは謎を嫌う、だから謎が好きなんです。
彼はそんな台詞を口にした。
「そこで彼らは【幽霊】と出遭ってしまう。しかも人形のように可愛らしい女の子だったそうです。ン、ベタな展開? ふふふ。それが見た目と反し――聖剣を振るう【幽霊】だったとしても? それが実体を持って人を斬るとしても?」
人を驚かす幽霊ならよく聞くが、本気で人を殺そうとする幽霊は滅多に聞かない。
加えて女の子の幽霊は直々に手を下すというのだ。
隠れることもなく真っ正面から。
「中に入ることなく入口付近で見張りをしていた1人を除き、中にいた他全員が【幽霊】に斬られてしまったそうです。見張りは悲鳴を聞き恐怖で逃げてしまった。置いてきた仲間たちは死体となって後日見つかる――ということはなく、無傷の状態で当日すぐ発見されました」
話を聞き、逃げ延びた1人は大急ぎで医務室へ向かったそうだ。
「でも全員記憶がなかったんですよ。森に行ったことも、建物を見つけたことも、幽霊に出遭ったことすらも。なぜ自分たちが医務室に横たわっているのかさえ分からなかった」
幽霊が【少女】だと分かったのは、逃げた1人が一度振り返ったから。
ただ追いかけてくることはなく、入口にて静止し、逃げる自分を見つめていたそうな。
話を聞いた教師陣たちは『深淵の森』の調査を開始したが、建物なんて発見できなかったという。もちろん幽霊とも遭遇しなかった。
あの学園を誰よりも知っていると言われる、エヴァ・エンリフィールドも知り得ない。
「存在したはずの建物は霧の如く消えた。そしてそこに住まう可憐な少女は、斬った相手の記憶を消す力を持つ。知る人には『記憶殺し』――だなんて名前で通ってる【幽霊】ですよ」
リストの話によると、その日を境にすぐ森は『立ち入り禁止』となったようだ。
今では凄まじい速さでアップデートされる施設設備。
暇つぶしにしたって赴く理由はよりなくなり、ペナルティーがあるので不良ですら立ち寄らない。
「それでももし森に行こうというのなら、十分に覚悟を決めてください」
この謎の事件、いや怪談は歴史上まだ1度しか起きていない。確認されていない。
しかしあと2回3回と赴き、もし【幽霊】の逆鱗に触れてしまったのなら、
「今度は――これまでの記憶全てが消されるかもしれません」
※
お昼過ぎ。
わたし――レイン・レイブンズは1人で木々の中を歩いていた。
校舎の北側、『深淵の森』だなんて呼ばれている場所である。
校則では『立ち入り禁止区域』らしいのだが、色々と理由があっての行動だ。
「…………迷った」
そして絶賛迷子中である……。
ここに赴くと決めた前、リスト・フロイントという人物から様々な情報をもらった。
それは怪談と称した未解決事件であったり、事件に出てくる『記憶殺し』という異名を持つ少女の存在だったり。
口には出さなかったが、三信七疑であった。
しかし実際聞いてみると印象には残るもので、我ながら周囲を警戒しながらの行程だったと言える。
――が、敵影の察知に気を取られ、こうして道に足を取られてしまったわけだ。
「木を登れば、頂上から校舎ぐらいは見えるでしょうけど……」
つまり帰り道は確保できている。
もう少し木が低ければ、いま実際にトライしてみてもいいが、この高さだとやはり気後れしてしまう部分がある。
「……どうしたものか」
それなりに荷物があるので、中身的にもあまりウロウロとしたくはない。
いっそ少女の幽霊などいるのなら、目の前に現れて欲しいものだ。
記憶を殺されるというが、わたしは信じていな――
「珍しいね。こんなところに人がいるだなんて」
……。
…………え?
「もしかして迷子なのかな?」
それは若い女性、いや――少女の声だった。
ただ声音の抑揚というものが一切なく、のっぺらとした機械的な喋り。
人形が喋っているのではと疑うぐらい、滑らかな棒読み口調だった。
(ほ、本当に――)
早鐘を鳴らす心臓を押さえながら、声が聞こえて来た方にゆっくり身体を向ける。
が――
「やぁ」
「――っきゃ!?」
なんと少女は、わたしのすぐ隣にいたのだ。
視線と身体を動かした瞬間には、もうすぐ傍に彼女は立っていたのである。
ずっと警戒はしていた。
なのに足音どころか、気配が動いたことも察知できなかった。
「あれ、アナタ、どこかで見たような顔だね」
一歩退いてしまったが、改めて彼女の容姿を視界に収める。
まず一番目に付くのは白銀の髪だろう。
黒い紐でまとめツーサイドアップに仕立てている。
服装はほぼ黒一色、ロズウェルさんの友人にゴスロリ服の方がいたが、それより一段二段大人しくした感じの装いだ。
「なにジロジロ見てるのさ。セクハラで訴えるよ?」
「ご、ごめんなさい!」
自分より頭一つぶんくらい小さい女の子に怒られる。
年齢はギリギリ中等部生といった印象だ。
「えっと、あなたが仰る通り……わたしは迷子で」
「ふーん。荷物もそれなりにあるようだし、これからピクニックでもするのかい?」
「そういうわけでは……」
「あー分かったよ。もうピクニックの帰りなんだね」
「違います」
「じゃあピクニックの下見を――」
「もうピクニックから離れてください!」
どれだけわたしはピクニックをしたい人間に見られているのだろうか。
しかも執拗に言い続けた割に、この子の表情はクスリともしない。
ただただ無表情だ。
「さてと、ワタシは忙しいからもう行くね」
「え!?」
少女はこれだけボケ?をかましたのにも関わらず、身体を反転、何事もなかったように去ろうとする。
噂の幽霊かは分からないが、不思議な人であるのは間違いない。
呼び止める……のは止めておこうか。
「……後日出直しますか。せっかくお菓子とか持って――」
「お菓子って今言ったかい?」
「――きゃあ!?」
まただ。
いつの間にか少女はまたわたしの目の前にいた。
まさに瞬きひとつの合間、瞬間である。
「その中にクッキーはあるかな?」
「あ、ありますけど……」
やはり銀髪の少女は平淡に、冷淡に喋る。
感情を感じられない声音で、尋ねてくるのだ。
「やれやれ。ワタシは困っている人を見過ごせないタチだからね」
どうだろう……。
この場面だけ切り取れば、ただお菓子につられただけじゃ……。
「ところで」
「?」
「クッキーはハート型に限ると思うんだけれど――」
「アナタはどんな形が好きなのかな?」




