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016 《邪神殺し》

「――グレイにはかつて1人の師がいた」


 わたしが剣聖と初めて学園長室で邂逅した時、彼女は少しだけ彼のことを語ってくれた。

 他人のプライバシー、無論自主規制をしてと前置きした上で。


「お師匠様ということですね……」

「申し訳ないが名前や素性までは明かせない。だが――どうせ名を聞いたところで、君はまったく分からないだろうがね」

「名も無き剣士、ということでしょうか?」

「そうだ。誰よりも人のために剣を振るい、誰よりも世界を救った。しかし富も名声も欲しなかった女だよ」


 悲愴の色を帯びて、学園長は小さく笑っていた。


「ところで、この世界における人類の敵とはなんだと思う?」

「えっと……魔族および、それを統治・統括する魔王たちです」


 今の世の中は人類と魔族の二大勢力がしのぎを削っている。

 この聖剣学園とて魔王を倒す者、つまり〝英雄〟を生み出すための機関であり、魔族と関係は深い。

 

「模範解答だな」

「模範というほどでは……これは子供でも知っている周知の事実です」


 大陸でも特に力を持つ皇国、その都が今わたしたちがいる場所。

 皇都の周りにはグルリと高壁が建設されており、日夜武装した聖剣使いなどが警備にあたっている。


「本当は私も現場に出たいのだがね。色々あって迂闊には動けない」

「学園長はもう十分働いたと思いますが……」

「ほう。私を年増(としま)と言うのか」

「そ、そんなこと言ってませんけど!?」

「ふふ、冗談だ。しかしまだまだ現役のつもりではある」


 エヴァ・エンリフィールドは『剣聖』という称号を持つが、同時に『魔王殺し』という渾名あだなも持つ。

 それは近現代において、彼女が特出して魔王たちを討伐したことに由来する。


「おっと、話が逸れたな。人類の敵はなにかという話題に戻ろう」

「だからそれは魔王――」

だけでは(、、、、)ないんだよ(、、、、、)、レイン・レイブンズ君」


 わたしの回答に被せるように。

 なら他にどんな敵がいるというのか?


「それは――神だよ」


 神。大いなる存在。聖剣を生み出す者。

 各地で数柱の実在が確認されているそうだが、実際に見たことはない。

 ロクにデータもなく、教科書に文面で記載はされているものの、一応といったレベルだ。

 

 大抵の人は、歌や噂で存在を耳にするだけ。

 その存在自体、信じていない者もいるだろう。

 そもそもとして通説として、神々は人の前に(あらわ)れないという――

 

「確かに多くの神々は人の前には顕れたがらない。しかしそのルールを無視し、極まれに世界に干渉をしてくる神――【邪神】がいる」

「邪神、ですか……?」

「読んで字の如く【邪悪なる神】だ。魔王なぞ比較にならんぐらい厄介。なにせ神だからな」


 学園長は邪神がもたらした【実例】をいくつか話してくれた。

 そのほとんどが『本当なのか?』と疑ってしまうもの。

 正直、大半はファンタジーのように思えた。


「幸か不幸か、この皇国の近隣で邪神が活動したことは一度としてない」

「仮に話が本当なら、それは幸運なことでは……」

「実害がない。噂すら滅多に流れない。ほとんどの人間が邪神の存在など微塵も気に掛けないこの状況が一概に幸運と呼べるか?」


 国を運営する貴族連中は、頭の隅にすら危機感がない。

 まるで無関心。まるで無意識。まるで無害。

 そう学園長は嘆いていた。


「みな私がここから動かないのは魔王戦における、皇都の最終防衛ラインだからと思っているようだが、私個人からしてみればそれは間違いだ」

「間違い……」

「私は――邪神戦における最終防衛ラインを担っている」


 あくまで自負だがな、と付け加える。

 

「おっと、またまた話が逸れてしまった。貴族共への愚痴の前は……」

「邪神というものは実在している、ぐらいでは?」

「そうだそうだ。で、端的に言えばグレイの師は邪神の【専門家】だ」

「……はい?」


 せ、専門家?

 

「ヤツの師匠は通称『邪神殺し』、まぁその通り名を知っている者などほとんどいないだろうが」


 事実わたしは初耳の単語だった。

 邪神殺し……物騒な通り名であることは間違いない。

 しかし一度として聞いたことがない以上、学園長の仰る通り、名の通った方ではないのだろう。

 

「この国、この大陸だけに留まらず各地を渡り歩き、邪神から人々を守る。それがアイツの使命だった。まぁ自分で掲げた使命で、誰にやれと命じられたわけではないが」

「ちなみに、アイツ……と呼ぶからには親しい間柄だったのですか?」

「学生時代の同期だよ。当時この学園に通っていた。といってもアイツは順位なんかどうでもよくてな、ロクに通わず、2年生の時には中退してしまった」

 

 ……な、なかなかワイルドな人のようだ。


「でもなぜ邪神殺し?さんの話をわたしに? ロズウェルさんとは確かに関係ある人物なんでしょうけど……」


 学園長の口ぶりからするに、誰にでも教えるような事ではないはずだ。

 それを表面的にとはいえ、わたしに開示した意図とは――?


「君はこれからグレイにお願いをしにいくんだろう?」

「はい」


 そうだ。わたしはこれからロズウェルさんに剣を請いに行く。

 すぐには無理かもしれないけれど、正面から行けば話くらい聞いて――


「断言するが、君の【お願い】は失敗する」

「え」

「10回やっても、100回やっても、君のお願いを受け入れることはないだろうな」

「…………」

「熱い説得でなんとかするという考えも捨てたまえ。グレイは師に似ず大体の事には淡白で、無頓着なやつだぞ」


 君が今思い描いているやり方では、どれをとっても正解しない。

 ――学園長はそう言い切った。


「な、なら、わたしはどうすればいいんですか……?」

「諦めろ」

「――!」

「他にも【長剣】型の聖剣使いはいる。それこそ生徒会長にでも頼ったらどうだ? あの男なら可愛い1年生の願いをきいてくれ――」

「わたしはロズウェルさんがいいんですッ!」


 自分でも驚くぐらい反射的反応だった。

 こんな理由では誰も納得しないだろう。誰も理解してくれないだろう。


 でもわたしは――もう惚れてしまっているのだから。


 あの剣に心を奪われた。たったそれだけのことが動機だ。

 ワガママに、自分勝手に、自己中心的に。

 彼をずっと追い求め続けている。


「熱いな」

「……いけませんか?」

「いいや、かなりイケてるよ。そういうところはアイツに似ている」


 思い出したように、最後はわたしに語るというよりか独り言のように呟いた。


「グレイに正攻法は通じない。事実グレイの師も、力ずくでアイツを手に入れたようなものだし」

「力づく……?」

「君と同じで〝一目惚れ〟したんだそうだ。それで出会い頭に、柄にもなく言葉で説き伏せようとしたが失敗、すぐに剣を抜いて勝負に持ち込み――コテンパンに打ち負かしたらしい」

「…………」

「それで『お前は今日から私の弟子だ!』と命じたわけで」

「もはや隷属じゃないですか! どれだけ暴君なんですかその人!?」

 

 似ていると学園長は言ったが、流石に撤回して欲しい。

 そこまで自分の頭のネジは飛んでないと思うのだ。


「だがグレイを(なび)かせるには、これぐらい強引でないと話にならん。アイツは平気で嘘をつき、騙し、約束もよく破る男だ。日頃バチ当たりなことばかりしているんだ、不意打ちの1度や2度は構わんだろう」

「いや構うでしょう!?」

「そうか? 案外常識人なんだな君は」

「学園長が非常識なだけです!」


 しかし強引でないと話にならない。

 それはどうにも真実味を帯びているような気がした。

 あの追走劇で、正攻法は通じないと一考はしていたのだ。


「だとしたらわたしは……」

「言葉では通じない。だとすれば勝負しかあるまいよ」

「言いたいことは分かります。でも大前提として勝負を受けてくれるかどうか……」


 そもそも野良試合は校則違反であり、行えば罰則が下される。

 どれぐらいのペナルティになるかは、その規模によって違うとか。


「グレイは淡白だ。正直に決闘を申し込んだところで確実に無視される。アイツの性格上、君に親切に話をしてどうのこうのもない。金を積んでも難しい」

「なら……」

「だがアイツにも1つだけ、どうしても無視しきれない事柄がある。そこがミソだ」

「無視しきれない事柄……?」

「弱点とも呼べる。私は散々直せと言っているんだがな」


 その弱みとは『師匠に関して』だと彼女は言う。


「グレイはな、師のことを少しでも悪く言われたり、テキトーなことを言われると激怒する。顔にはあまり出ないが、中の血液はグツグツと煮立っているだろう」

「つ、つまり、お師匠様のことを大変尊敬されているということですね?」

「尊敬……まぁそんな感じかな? そこで君はグレイが逃げようとする時にこう言うわけだ『ロズウェルさんみたいな腰抜けを生むだなんて、師匠はよっぽど無能な人だったんでしょう!』と――」



「 無 理 で す ! 」

 


「無理無理。無理に決まってるじゃないですか!」

「そうか?」

「そうでしょう! お会いしたこともない、ましてやロズウェルさんにとって大切な人と分かった上で罵るだなんて……流石に酷すぎます。とても失礼ですし、理不尽すぎるでしょう」


 学園長の提案は突拍子もないものだった。

 採用などと頷けるはずもない。


「まぁ第三者からしてみれば、自分のために他者を冒涜したレイン・レイブンズという女は最悪のヒロインに映るだろうな。人気投票をすればたぶん5位くらい。ちなみに1位はわたし――」

「人気がどうのこうのはどうでもいいです!」


 目の前にいるのは剣聖だが、聖人らしさは欠片もない。

 我ながら憤っていたと思う。

 いかに無名の剣士とはいえ、人を守るために戦ったその人を(けな)すのは悪手、そもそも騎士道精神に反している。


「騎士道精神? そんなものは早く捨て置け」

「っな」

「剣聖がそれを言うか?という顔だな。だがその騎士道とやらに意固地になって死んだヤツはごまんといる。もちろん私の友人や知人もいた。綺麗事では魔王は倒せないし、邪神も倒せない、できることと言えば人を守ることぐらいだろう」

 

 入学式で見た、純白な彼女はそこにいなかった。

 それは実際に沢山のモノを失ってきた者の台詞、喪失者の装いだった。


「君はアイツと同じように、グレイ・ロズウェルを実力で(、、、)手に入れる(、、、、、)しかない」


 言葉、熱意、情熱、金銭。

 そんなもので彼を惹けると思うな。

 

「でもやっぱり……」


 わたしは納得しきれなかった。

 自分の実力が彼に及ばないからという以前に、誰かの大切な人を侮辱する。

 これは正しくない行為だからだ。


「そうさ、正しくなどない。だからしくじった時には然るべき【罰】がくだるだろう」

「罰……?」

「ああ。君の敗北は死に直結する。つまり――グレイに殺されるというわけだ」


 流れる水の如く、スラスラと台詞を喋る。

 殺される……?

 殺されるぐらい痛めつけられるという意味だろうか?


「殺されるの度合いはその時のグレイ次第だろうさ」

「……度合い、いやでも、そもそも実力の差は明確で……」

「確かに明らかだな。だが今のグレイは手負い(、、、)でな。本調子の半分、それ以下か? 攻略の糸口はきっとあるだろう」

「手負い――誰かにやられたということですか?」

「この辺の説明は難しい。私がするべきではないし。簡単に言うなら借金を続けてきたツケが一気に回ってきたというところか」


 借金? 

 まるでナニカを借りているみたいな口ぶりだ。


「……学園長は、随分と私を助けてくれるんですね」

「学生を助けるのは長として当然だろう?」

「……ここまで訊いておいてなんですが、それにしては個人の情報を開示しすぎている。なにか【思惑】があると感じざるを得ません」

「思惑、か。私とてアイツに踊らされる気分だが……まぁ、君は特別だ。特別だから特別にグレイのことを少し喋った。深く気にしないでくれ」

 

 それでだ、と彼女は言う。

 未だ天秤のように揺れるわたしに対し、学園長は真剣な面持ちで言葉を呈した。

 

「――君の【夢】に命を懸ける覚悟があるのなら、やってみたまえ」

 

強くなるには、圧倒的な自己中心性――【ワガママ】が必要だよと最後に添えて。

 

     ※


 ――わたしは、もうすぐ死ぬ。


 首筋には折れた聖剣が向けられ、逃げることも叶わない。

 本調子でないというロズウェルさんに大敗を喫し――これから【罰】を受けるのである。


(やはり慣れないことはダメですね。といっても真正面から挑んだところで敗北は必至だったでしょうが……)


 数少ない可能性に懸けたが、こうして潰えた。

 

 言い訳はしない。

 わたしは自分のために、彼の大切な人を傷つけた。

 それが事実であり、真実なのだ。

 

「――じゃあな、レイン・レイブンズ」

 

 振りかざされる銀色の刃。

 だが瞼を閉じることはしなかった、言うだけ言っておいて最後に逃げるのは――正しくない。


 学園長に『騎士道精神は捨てろ』などと言われ、つい感化されてしまったが、改めて振り返ってみると――


(やはり、騎士道精神は捨てるべきではない)


 調子が良いと言われるだろう。

 だけどそう思ったのだ。

 思って、思って、思ったのだ。

 だから最後ぐらい、正面から見届けようと思ったのだ。

 

 人は死の間際、走馬灯というものを見るらしい。

 わたしは半信半疑だったが、どうやら話は――本当だったみたいだ。


 後悔している?

 ――後悔だらけだ。

 完敗した感想は?

 ――すごく強かった。

 彼のことは嫌いになった?

 ――もっと好きになった。

 命乞いをしてでも助かるべきでは?

 ――黙れ。


 今回の事で学んだことは沢山ある。

 自分の未熟さ、愚直さ、その他いろいろ。

 

 そして、やはりわたしはわたしだったということも知った。

 同じなのだ。

 誰になんと言われようと、わたしはわたし。


 ――ノア・アークスさん。

 嘘つきなロズウェルさんが、初めてわたしに教えてくれた真実(こと)


 だがそれ以上は、もう――


 覚悟は決まっていた。

 だから首が飛ぶことも決まっていた。

 逃げるな。見据えろ。この生涯に線を引くその【一振り】を脳裏に刻め。


 刃が皮膚に触れる、加減はないが痛みはない、聖剣はそのまま……。

 



「――wait(待った)



 

 炸裂音が――した。

 光明が――差した。

 二発の【弾丸】が――放たれていた。


「――っ!」


 ロズウェルさんはわたしから即座に離れ、回避行動を取った。

 ゼロコンマ遅れて、わたしの身体の前を【弾丸】が通過していく。

 二発とも【頭部】と【心臓】を狙った弾道であったと思える。


「――久しぶりに学園に戻ってきたら、まさか殺人未遂の現場に遭遇するとはな。驚いたよ」


 ロズウェルさんはもう私を見ていなかった。

 彼の視線は鋭く、突如として現れた女性に向けられている。

 誰もいなかった屋上に、初めての来訪者――


(真紅の髪に、左目の眼帯、二丁の大型拳銃を持つ……)


 彼女の両手にはメタリックの拳銃――いいや、【拳銃】型の聖剣(、、)が握られている。

 ロズウェルさんは折れた剣先を向け、女性もまた銃口を向ける。


「アンタは……」

 

 お互い一歩も譲らない空気の中、彼女はロズウェルさんの呟きを問いかけと受けとったのだろう。

 長い髪を風に(なび)かせ、美しい顔を少しだって崩さず、厳か(クール)に名を告げる。

 

「私は円卓十二聖(アーサーズ)が1人――」


 学園最強格の人物であり、誰とも手を組まず、唯一派閥もない十二聖(アーサーズ)

 絶対孤高の二丁拳銃銃使い――

 

「【第二席】、カノン・アーカードだ」


 明かされる真名。

 選ばれし女傑がここに降臨した。



「――What's up(調子はどうだ)?」

 


 その赤眼は獲物を狙うが如くロズウェルさんを捕らえていた。

 この緊迫した空気にも簡単に斬り込んでいる。

 

「……【二席】が邪魔をするか」

「ああ。ただの剣嘩(けんか)という雰囲気ではなかったのでな」


 学園屈指の実力を持つ3年生の登場。

 この横槍には流石のロズウェルさんも黙って矛を収める――なんて、それはわたしの甘い考えだった、


()くと消えろ、二席(センパイ)」 


 ……。

 …………うそ、ですよね?


「っふ――面白いッ!」 

 

 それが開始の合図だった。

 彼女はトリガーを引き弾丸を発射、同時に相手に向かって駆けだした。

 彼もまた寸分も遅れることなく疾走、その目はどこまでも冷たい色を帯びていた。


 わたしは置き去りだった。

 死刑囚から傍観者へ一変。


 グレイ・ロズウェルと、カノン・アーカードの戦いの幕が上がってしまった――。

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