第九十四話 お嬢様と休日
よくよく考えれば、ここのところ休暇をとっていない。
七日で教師役を辞めるつもりだったので、詳しい計画など立てていなかったのだ。これからは休日のことも踏まえてちゃんと考えることにしよう。
そんな覚悟を決めたところで、次の日は休暇を貰えるようにリーゼロッテに進言する。
「うむ、よいぞ!」
二つ返事でリーゼロッテは許可を出した。修練がないので、もう少し渋るものだと思っていたが、あまりの呆気なさに拍子抜けしてしまった。お嬢様もここしばらくの修練で疲れが溜まっているのだろうか。
何にせよ、了承してもらったのだ。ここのところ仲間には朝と夜しか顔を合わせていないし、たまには皆で羽根を伸ばすことにでもしよう。
「いいですね!」
俺の提案に最初に食い付いたのはマルシア。そして次いで「楽しみね」とシャンディ。言葉にはしないが、賛同を表情で表すシルヴィア。
宿に戻り、仲間たちにそのことを話したところ、反応は上々だった。
リーダーである俺が動いているのに勝手に休むのは良しとしなかったのか、三人とも修練ばかりしていた様子だ。そう考えると、少し申し訳ない気持ちになってしまった。
「今日のところは早めに休むとしよう」
久々の開放感を味わいつつ、俺たちは床へと就いていった。
「待っておったぞ!」
俺たちが宿から出たところで声高に叫んだのは……今日くらいは見ないで済むと思っていた人物――リーゼロッテだった。その隣には護衛役のユーリエが佇んでいる。こちらと会うのは初日以来だが、相変わらず澄ました表情でこちらに向かって会釈していた。
その二人の後ろには立派な馬車が一台。まさか、直接この宿にやって来るとは思ってもみなかった。完全なる油断だ。
俺たちの泊まる宿にはもちろん馬車専用のスペースが有る。そこに停める許可を得るため、ユーリエは宿の中へと入っていった。
突然の出来事に、俺以外の三人は固まっている。無理もない。いきなり宿の外に出たら、貴族が待ち受けていたのだ。こんな状況で冷静に対応出来る庶民は居ないだろう。
「……なんで俺が泊まっている宿を知っている」
「もちろん、ユーリエが調べたに決まっておろう」
俺はユーリエが入っていった宿の入口を睨む。まったく……余計なことまで報告しなくていいものを。
「しかし、今日は休日だぞ。何度も確認をとったよな?」
一度では忘れてしまう可能性も含め、帰り際にも何度も確認をとっておいた。終いには「しつこいぞ」とまで言われてしまったので、覚えていないわけがないだろう。
「それは知っておる。だからこうして此方から来たのではないか」
「……休日とは、休む日と書くんだぞ。決して修めて練り上げるなどとは書かないぞ」
「何を言っておる。当たり前であろう!」
「……では、何故ここにいる」
「だから私も休むと言っている!」
「宿の前で騒ぐのは感心しません」
扉の開く音と共にユーリエの声が飛んでくる。馬車を停める許可がおりたのか、呆れた顔をしながら戻ってきた。
「つまり、お嬢様も一緒に休暇を取りたいのです」
そして、いつもの定位置であるリーゼロッテの後方に戻り、その気持ちを代弁していった。
「あっ、こらユーリエ! ここは私が話をつけると言ったであろう!」
「……申し訳ありません。いつまで経っても進展が無さそうなので、つい口出しをしてしまいました」
「むう……まあ、そう言う訳だ。宜しく頼むぞ!」
どうしたものかと仲間たちを見る。どうやら各々、最初の衝撃から抜け出せているようだ。
「どうした、マルシア」
微妙な顔をしているマルシアを見て、俺は問いかけた。リーゼロッテの話に一番興味を持っていたのはマルシアだ。まあ、リーゼロッテ自体というよりは、貴族の屋敷とかメイドとかの方が食いつきが良かったのだが……。
「……いえ、なんだかイメージと違ったのでちょっと」
ああ、その気持ちはよく分かる。このお嬢様を貴族の基本として考えたら色々とダメな気がする。
「そうね、何て言うか……凄いわね」
俺たちに聞こえる程度の小さな声でシャンディも同意する。シルヴィアは俺の背中に隠れて顔を出している状態だ。
「お主たちがイグニスの仲間か?」
俺たちを見回し、リーゼロッテが口を開いた。
「ええ、そうですわ。私がシャンドラ・アウラ・シルフィード。シャンディとお呼びください。隣に居るのがマルシア。イグニスの後ろに隠れているのがシルヴィアと申します」
代表してシャンディが一歩踏み出し、皆の紹介をしていく。
「シャンディにマルシアとシルヴィアか、相分かった。私はリーゼロッテ・ラピス・クラインハインツ。敬称はいらんぞ」
「え、えっと。宜しくお願いします」
いきなり呼び捨てにしろと言われ、また三人は困ってしまう。助けを求めるように向けられた視線に、俺は「大丈夫だ、好きにしろ」と頷き返した。
まあ、追々慣れていくだろう。俺など既に敬意も何もあったもんじゃない。
「……しかし、イグニスよ」
「なんだ?」
「何故、お主の周りは女性ばかりなのだ?」
若干、責めるような口調でリーゼロッテは疑問を投げかけてきた。確かに俺の周りには女性しか居ないな。ああ、紛れも無い事実だ。
「それは私も大いに疑問を持ちます。昔は……確かに女性に見境はありませんでしたが、ここまで酷くなっているとは思ってもみませんでした」
それに追従するユーリエ。こちらは声に抑揚がないが、その分冷たく聞こえてしまう。いや、きっとこれは多分、外気の所為だ。
「……俺がどう見られていたのかよくわかったよ」
ため息を付いて、頭を掻く。しかし、これは弁解のしようがない。詳しく経緯を説明出来る事でもないし、誤魔化したらボロが出る可能性もある。注がれる視線を甘んじて受け入れることしかなさそうだ。
微妙な表情で沈黙を守っている俺に、視線が更に冷たくなった気がした。
「えっと……こんな所で立っていても時間を無駄にしますよ。折角の休日ですし、楽しみましょう!」
「……そうだな、出かけるならさっさと行こうか」
マルシアの意外なところからの助け舟。俺はそれにありがたく乗り込こんだ。
女性同士は仲良くなるのが早いのか、それともリーゼロッテの生来の親しみやすさなのか、マルシアとシャンディは直ぐに打ち解けたようだ。
前方にはリーゼロッテとマルシアとシャンディの三人。その後ろを、残りの俺とシルヴィアとユーリエの三人が歩いている。
ユーリエは護衛役として来ているからなのか、無言のままじっと前方を注視している。シルヴィアも慣れていない人間がいるため俺の側から離れないし、前方の三人と比べて俺たちの周囲は空気が重かった。
「……」
「……なにか喋らないか?」
あんまりな雰囲気に、堪らず口を開く。
「……護衛中なので」
取り付く島もない。俺はシルヴィアの頭を撫でるしかやることがなかった。
それでもなんとか話題を探そうと、辺りを見回した。よく見ると、前方のリーゼロッテも物珍しそうに周囲を観察していた。
「お嬢様は普段から街を出歩かないのか?」
「いつもであれば、馬車の上から覗くだけです。抜け出した時も街中で発見したことは、私が知る限り一度もありません。しかし今回に限っては珍しく、自ら御館様に許可を求められました」
リーゼロッテの事なら口が軽くなるのか、ユーリエが会話に乗ってきた。
「で、その御館様の反応はどうだったんだ?」
「『まさか冒険の事しか頭になかった娘が他にも興味を持つとは!?』と涙を流しておられました」
「……そうか。色々と苦労しているんだな」
会ったことのないリーゼロッテの父親になんとなく同情してしまった。相手は貴族なのに、何故か親しみまで湧いてくる始末である。
女性がまず見るものといったら、服装なのだろうか。
前方を行く三人が最初に飛び込んだのはブティックだった。
「これとか良いんじゃないですか?」
飾られている服を指して、マルシアが二人に問う。
「うーむ。布の厚みが足りなくないか? それにこれほど肌が露出していては防御効果も薄いぞ」
それを触り、感触を確かめてからリーゼロッテが呟いた。
「えーと……防具を見に来たわけではないのだけれど」
色々とズレている言葉に、シャンディは苦笑いを浮かべた。
屋台が立ち並ぶ場所へと辿り着くと、直ぐ様リーゼロッテが片っ端から覗き込んでいく。
その幾つかを購入して、行儀悪く食べ歩く俺たち一行。ユーリエが止めようとしなかったので、これくらいはいいのだろう。
串焼きを手にしたリーゼロッテは、しげしげとそれを観察する。
「これはなかなかいけるな!」
そして恐る恐る口に運ぶと、食べ終わるや否や、歓声を上げた。
「お嬢様じゃ、食べる機会なんてあまり無さそうね」
「私たちにとっては食べ飽きたくらいなんですけどね」
その様子を、前方の二人は面白そうに見つめていた。
俺にも回ってきた二つの串焼きの片方をシルヴィアに渡し、俺たちもかぶりついていく。場所が変わっても、基本的な食べ物に変化はあまりない。それはテレシアでよく食べたそれの味と、ほとんど変わりはなかった。
「これならば、ちょっとした休憩時間で直ぐに食べる事が出来るな」
「……飯はちゃんと取れよ?」
こればかり食べるようになったら、メイドたちから文句が飛んできそうだ。
街をひと通り巡って宿に戻ってくる頃には、日も沈みかけていた。
しかし、なんと言うか……休暇をとったという気が全くしていない。
「街を巡るのがこれほど楽しいとは思わなかったぞ!」
お嬢様はどうやらご満悦のようだ。いつにも増して、屈託のない笑みを浮かべている。
「この度は誠にありがとうございました」
馬車の準備を終えると、ユーリエが俺たちに頭を下げて礼を言う。
「それでは皆の者。また明日にな!」
馬車に乗り込み、窓から顔を出したリーゼロッテが俺たちに声をかける。
「……ああ、また明日、な」
そう、どの道明日もまた顔を合わせる予定なのだ。俺だけではなく、後ろの三人も共に。
初顔合わせの面倒事を先に済ませたと思うことにしよう。




