第八十八話 少女と剣士
【前話にキラービーにとどめを刺す描写を追加しました。申し訳ありません】
兜から流麗な琥珀色の髪が流れ出る。
それは陽の光の中、魔法銀の鎧に負けず劣らず、煌めいていた。
しかし、少女の表情は冴えない。息が上がっているのは先ほどの戦闘の所為だと思い込んでいたが、どうやらそれだけでも無さそうだ。しばらく経つというのにその症状は徐々に悪化をしているようにみえる。
どうしたのかと俺が声をかけようとすると、少女はゆっくりと前へ倒れ込む。
「おい! 大丈夫か!?」
俺は慌てて少女を受け止めた。それは思ったほどの重さではなかった。やはりこの全身鎧は魔法銀製らしい。鉄の十分の一と言われるその重さを初めて実感する。
少女の顔色は悪い。異常なほどに汗をかき、額に載せた手は平常時を超えて遥かに熱い。俺は大地に転がっているキラービーに視線を向けた。
――毒か。
身体を引き離し、少女の全身を確認する。見たところ刺された形跡はなかった。いや、刺されたのであれば直接体内に毒が侵入し、直ぐに動けなくなるだろう。
先ほどまで何とか動けていたのは、直接的に毒にやられていたわけでは無いはずだ。となると……散布されたか。キラービーの毒攻撃は二つある。直接針で体内に毒を侵入させる方法。そしてもう一つは空気中に微小の毒を撒き、徐々にその餌食にする方法だ。
キラービーと戦うときには風上から攻めるのが基本となる。少女にその知識はなかったのか、長時間風下にいたとしたら、こうなるのは自明の理だ。
急いで皮袋の中に手を突っ込み、小さな瓶を取り出す。冒険者が携帯するもののひとつ、解毒薬。さすがにそれ一つで完全に毒を中和することなどは不可能だが、症状の緩和は出来るだろう。完全な回復にはそれ相応の薬か、浄化が使える神官を呼ぶしか無い。多量に吸い込んでいなければ本人の自然回復に期待出来る場合もある。
瓶の蓋を毟り取り、少女の口へと当てる。
「解毒薬だ。飲めるか?」
少女は荒く息を吐きつつも小さく頷く。それを確認し、俺は瓶を傾けた。中に入っている暗緑色の液体が少女の口へと侵入していく。少女はそれをゆっくりと嚥下していった。
しばらく見守っていたが、徐々に息が安定してくる。後はさっさと街に運ぶところなのだが……。
他にも魔物が居ないか感覚強化で辺りを探ったところ、こちらに向かってくる人物がいることに気付く。迷いのないその動きは俺同様、感知スキル持ちだろう。
俺は少女をゆっくりと大地に寝かせる。その全身を覆う鎧。これはどう見ても普通の冒険者が所持できる物ではない。そしてキラービーの翅を斬り裂いたあの一撃は、歳の割に恐ろしいほどに洗練されていた。
そこから導き出される答えは……どう考えても面倒事でしかなかった。
木々の合間から短剣が飛び出してくる。
それを俺は同じように腰から抜いた短剣で打ち払った。
まずは挨拶か。相手の力量と出方を図る為のものだろう。
俺はその行為に若干苛立ち、それが飛来した方向を睨みつける。
ゆっくりと現れてきたのは、同じような魔法銀の装備で固めた剣士が一人。こちらもやはり兜を被っており、その表情は窺えない。警戒しながらこちらに向かってきた。
「状況確認もせずにいきなり奇襲とは些か乱暴すぎるんじゃないのか?」
そいつに向かって文句をつける。
事前に察知でき、なおかつ対処出来た俺だからよかったものの、この状況を何とかしようと頑張っている新人だったらどうするんだ。まあ、あの短剣は急所を狙っていなかったし、突き刺さっても致命傷にはならないだろう。もしかしたらキラービーが使用したような動けなくするための毒でも塗ってあるのかもしれない。
「……その少女から離れろ」
にべもない反応だった。その声から察するに、中身は女性だろう。
剣士は引き抜いた片手剣を俺に向け、警告を発した。どうやら俺の文句は華麗に無視するようだ。しかし、このまま意地を張っていても仕方がない。この人物には隙がない。実力は俺以上と判断したほうが良さそうだ。
「わかった、わかった」
俺は警告どおり、ゆっくりとその場を離れる。少女から十歩ほど下がった所で、その剣士は少女の元へとゆっくりと近づいていった。
「そこにいるキラービーから分かるように、どうやら毒にやられているらしい。さっさと連れて帰って治療してやれ。一般の解毒薬は飲ませたと言ってもこのままだと体力が持たないぞ」
未だにこちらから目線を外さない剣士にそう言うと、手にした短剣を腰に戻す。
「……そうですか。どうやらご迷惑をお掛けしたようですね。申し訳ありません」
こちらに戦意がないことをようやく悟ったのか、相手も矛を収めた。
「しかし、そちらの言うとおり、一刻も早く彼女の治療に専念したく思います。正式な謝罪とお礼は後日と言うことで宜しいでしょうか」
「ああ、その嬢ちゃんを早く街に送ってやってくれ」
俺も補佐としてついて行こうかと思ったが、感知を持っているのであれば無用な戦闘も避けられるだろう。それに今日見かけた冒険者のほとんどは、この少女を探すために動員されている者たちの可能性が高い。もしそうであれば、俺が居ることによって起こる混乱のほうが面倒だろう。
「それでは名前をお聞かせ願えますか」
「……イグニス。見ての通り冒険者だ」
一瞬、素直に答えていいものかと迷ったが、どのみち冒険者ギルドで調べられればいずれ特定されるだろう。既に利用しているし、ギルド関係者に師事までしているこの状況だ。ならば変に怪しまれるよりは素直に答えておいた方がいい。
「……イグニス、様ですね」
若干の間を置き、声が返ってくる。
……なんだ、今の間は。もしかして既に知らぬ所で変な噂にでもなっていたのか?
頭によぎったのは何故か俺を「アニキ」と慕い始めた冒険者たち。いやまさか、あれからそんなに日は経っていないし、あいつらは大半は次の行商に出ているはず。多分、そのような事は起こりえない。そうだと信じたい。
疑心が生まれ、じっとこちらを見ている剣士の視線に、何か良からぬものが混じっているように邪推してしまう。
「……俺が何か?」
そんな視線に耐えられなくなり、俺は口を開いた。
「……いえ、失礼しました。それでは何れ、また」
剣士は一礼すると、少女を抱えた。そしてそのまま来た道を戻っていく。
ようやく俺は一息ついた。あの視線の真相を掴めなかった所為か、再び心がモヤモヤしてしまう。
そこに目がついたのが、横たわるキラービーの骸。この魔石は回収してしまっていいよな……。
鬱憤を晴らすように乱暴に片手半剣を振り下ろす。乱雑に切り開いた腹から強引に魔石を取り出し、皮袋へと仕舞った。毒針も薬の材料になるので、しっかりと回収しておくことを忘れない。
なんだか物足りない……もうしばらく暴れるとするか。
今から街に戻ったとしても、シルヴィアを迎えに行く時間にはまだまだ余裕がある。ギリギリまで狩りを継続するとしよう。
俺は片手半剣を戻し、再び大地を駆け出していった。
……不完全燃焼。
結局、あれから出会えたのはゴブリン二匹とコボルト一匹だけだった。
魔石に関してはキラービーの分があるから……まあ、悪くはないだろう。
「……えっと、どうかしたのですか?」
魔石店までやって来たところ、シルヴィアが俺を見るなり怪訝な表情で聞いてきた。どうやら微妙な心境が顔にまで出ていたようだ。
俺はシルヴィアの頭に手を置く。
よくわからない顔をしながら撫でられているシルヴィアを見て、何となく和んだ。




