第八十三話 浮遊城と光の都
魔法王国マーナディアの王都オッドレスト。
俺たちはその壮大な景色に言葉を失っていた。
まずはその規模。ベリアント王国の王都を想像していた俺は、予想以上の大きさに驚いてしまった。ただでさえ大きいと思っていたベリアント王国と比べ、更に二回りは広い印象を受ける。
次に明るさ。辺りは既に日が落ちかけていた。しかしそんなものは気にせず、まるで歓楽街のように、街の至るところから魔石の光が溢れていた。
最後にその王城。城下町を突き進んだ最奥。まるで下界を見下ろすかの如く、圧倒的存在感で聳え立っていた。
「……あれは、話に聞く通り、魔石を使っているのか?」
城の下部は、どう見ても接地しているようには見えなかった。
「そうね。あれが魔法王国最大の特徴であり、竜の魔石を使った浮遊城ね」
竜。そう聞いた時、俺の心が踊った。強さの象徴であり、冒険王が最後に戦ったとされる最強の存在。人と共存したこともあり、竜騎士とともに世界を股にかけた天空の覇者。
それは姿を変えて、今も空に手をかけていた。
「皆さん、お疲れ様でした」
恰幅のいい商人が頭を下げる。この十日間、共に過ごしてきたが、実に嫌味のない良い商人だった。昔からの経験上、商人は誰しも腹に一物抱えている印象を持っていたが、それを感じさせないというだけでも遣り手の商人だと実感する。
護衛の依頼は此処で終了だ。
結局のところ、特にこれといった事件もなく、実に平穏だった。まあ、被害があって欲しいわけではないし、何事もなかったほうが商いとしてもいいだろう。
この時間帯だ、代金は翌日以降のギルドで徴収することになるだろう。やや面倒な上、手数料は幾分か取られるが、信用度は段違いだし、貢献度も上がる。中には直接やり取りをする者もいるが、あまり賢い選択肢だとは思えない。
シャンディのお陰と言えばいいのか、あれから護衛の冒険者たちとの会話も弾んだ。向こうから積極的に話しかけてくるので、ただ対応していただけとも言うかもしれない。その話では俺たちの他、二つのパーティ以外は専属契約を結んでおり、今回の宿も既に決まっているそうだ。
「それじゃ俺たちはさっさと宿を取りに行かないとな」
既に陽は地平へと沈みかかっている。街の至る所にある魔石灯のお陰で、歩くことに不自由はしないが、心の問題としてさっさと寝床を確保したい。腹も自己主張を始めて来たが、それは後回しにしておく。
「それじゃアニキ、お疲れさんでした!」
そう言って一人の冒険者が頭を下げると、それに釣られて残りのほぼ全員が頭を下げる。
誇張された俺の話をやんわり訂正しようとしたのだが「さすが、デキる男は謙虚だ」などと取り合ってもらえなかった。寧ろ、それが好感触だったのか、最終的にはアニキ呼ばわりである。こちらについて早々、変な二つ名などつかなければいいのだが……リスタンブルグの例もあるし。
「あ、ああ、お前たちも気を付けてな」
「へいっ!」
再び頭を下げ、宿へと向けて遠ざかっていく冒険者たちを何も言えない表情で見送る。
「ふふ、大変だったわね。お兄さん」
「お疲れ様でしたね、お兄様」
「……お前らも乗ってくるな」
からかい始めた二人を睨み、その流れに乗らなかったシルヴィアの頭を撫でる。
「……えっと」
困ったようにシルヴィアは俺を見上げた。
「お前はそのままでいてくれ……頼むから」
宿泊するにあたり、事前に商人から聞いておいた宿へと向かう。
最初は他の冒険者たちと同じ宿を提案されたが、俺の微妙な表情を察したのか、他に幾つかの候補を上げてくれた。さすがである。粗野な冒険者たちと比べては失礼だが、周りがあのような人間たちで固まっていたため、相対的にドンドン評価が上がっていってしまう。
……と思っていたのもつかの間のことだった。
高い。
宿について最初に思ったのはまずそれだ。一泊銀貨12枚。フェルデンのあの宿より高いのである。
まああれは一応三人部屋という体裁だったのだから、今回の四人部屋と比べたらそこまで変わらないのだろうが、それでも十分に高いと言える。
「レベル相応だと思うのだけれど、どうしたの?」
悩んでいる俺にシャンディが声をかけて来る。
「いや……なんて言うか、こういう宿には慣れていなくてな。レベル3時代に染み付いた金銭感覚と言うか、うーむ」
「なるほどね。でも、今の貴方はレベル5。当時と比べたら稼ぐ金額も相当上がったでしょう? お金を大事にするのは良いことだけど、心に余裕を持つことも大事よ。明日への活力を養うには生活面の向上を図るのが一番手っ取り早いわ。フェルデンの宿だって、結構お風呂気に入ってたみたいだし」
精神的な利益か。俺は、フェルデンの部屋風呂を思い出した。確かにあれは良かった。
「そうだな、その言葉も確かだ」
俺は頷いた。
「納得いったのなら、宿を取ってくるわね」
そう言い残し、シャンディはそのまま受付の店員に話しかけていく。
その間、俺は宿の内部を見て回った。フェルデンの奇妙な宿は部屋の内装だけが豪華な作りだったが、この宿は建物全体からしてその雰囲気を醸し出していた。
壁には様々な絵画が並んでいる。シルヴィアとマルシアはそれらを興味深そうに眺めていた。
「なにか笑えるものでもあったのか?」
そんな二人に話しかける。
「芸術作品で笑う要素ってどういう作品ですか」
俺の的外れな言葉にマルシアが笑った。
そりゃそうだな。俺は芸術方面にはとんと疎い。感想なんてものは上手いと綺麗くらいなものだ。ここのタッチがどうのとか言ってる芸術家に会ったことはあるが、まるで何か別の言葉を聞いているような気になったものだ。
「でも、この人綺麗ですよね」
「格好いいです」
二人の呟きを聞いて、俺も絵画に目を向けた。
そこには騎士の格好をした少女の絵が描かれている。額縁に刻まれているのはシャロワ・マギ・オッドレストの名。その名はどこかで聞いたことがあった。名前からして王族関係者なのは分かる。しかし何故、俺がそんな名前を知っているのか……。
そこまで考えて思い当たった。それは冒険王の話で出てきた魔法剣士の名だ。絵本だともっとコミカルに描かれていたので、その見た目とは一致しなかった。
冒険者ギルドが発足する前の話なのでレベル的なものはわからないが、冒険王と並んで戦っていたのだからその実力は勝るとも劣らないものだろう。
よくよく考えると、あの話に出てくる人物たちは雲の上の存在だ。その場所から見下ろす世界はどのようなものだったのだろうか。
「おまたせ。部屋とれたわよ」
妄想を巡らし始めた俺を、シャンディの声が現実へと引き戻した。
「おおっ」
俺は思わず唸ってしまう。だが、それも仕方のないことだ。
内装自体を比べるのであればフェルデンの部屋とそこまでは変わらない。
それ以上に目を惹いたのが――やはり風呂である。高級な宿となると各部屋にそういう施設があるものなのか。
しかも、でかい。さすがに大衆浴場ほどではないが、足をゆったりと伸ばしても、かなり余裕が持てる広さである。これは金額分の価値があったと言えそうだ。
「やっぱりそこに食い付いたわね」
シャンディはおかしそうに笑った。どうやら予想通りの反応をしてしまったようである。
「それなら、お風呂に入ってさっぱりしたらどう?」
「……しかし、それだと夕飯が遅くならないか?」
テンションが上った所為か、腹の減りは然程気にならなくなっていた。しかしそれは俺だけの話であり、他の者にとっては早く食事を取りたいのではないだろうか。
「失礼ねえ……女性は、身だしなみを整えてから外に出るものよ」
シャンディは若干呆れている。マルシアも「そうですよー」と頷いていた。
「じゃ、ひとっ風呂浴びてからにするか」
「それじゃ、リーダー。お先にどうぞ」
「いいのか? こういう場合、男は最後だと思うが」
「大丈夫よ。ねえ?」
シャンディは何か耳打ちをしたあと、俺に聞こえるように二人に問いかける。
「……そうですね」
若干挙動が怪しくなったマルシアと、その隣でコクリと頷くシルヴィア。
なんにせよ、構わないのならさっさと入ろう。細かいことより風呂への興味のほうが優っていた俺は、急ぎ早で風呂場へと向かった。
「ちょっとまて!」
突然の襲撃者に俺は声を上げる。
湯を張り終えるとそのまま湯船に入り、腰を下ろしたちょうどその時だった。突然、風呂の扉がバタンと開いたと思ったら、そこに居たのは三人の仲間たち。
「こうしたほうが合理的でしょう?」
シャンディが事も無げにそう言い放つ。その肢体を包むのは布生地一枚だ。
「お背中流しますっ!」
「……ます!」
えらく気合が入っているシルヴィアとマルシア。
「……いや、俺はゆっくりと入りたいんだが」
「皆で入れば時間はたっぷりあるじゃない」
俺の意思を無視するその言葉に、ため息で答える。
そんなこんなでゆっくりし過ぎたため、夕食はひどく遅い時間に取る羽目となってしまった。




