第六十三話 魚と水平線
「……こんなものか」
銀糸の入った皮袋を手に呟く。その大きな袋の中身は、半分にも満たっていない。中身の軽さもあり、手に入れたという実感さえ希薄だった。
「あまりありませんでしたね」
「……です」
隣に居るシルヴィアとマルシアも残念そうだ。
マンダリナを行動不能にさせた俺たちは、銀糸の回収に勤しんだ。しかし、その成果は上々とはいえない。思っていたより繭の数が少なかったのだ。やはり貴重なだけあり、一つの繭で手に入る銀糸の量はそう多くない。その主な原因は、成体になったマンダリナと比べ、繭が小さすぎるためにある。当然、羽化したばかりのマンダリナは小さい。成体となった時点で大量に魔力を吸収出来るようになり、そこから段々と大きくなっていくらしい。
「銀糸が手に入っただけ良かったと思いましょ」
俺たちを励ますようにシャンディが言う。
「そうだな、ここら辺はまだ手を出されていないようだ。辺りを探せばまだあるだろう」
俺は頷き、黒騎士に皮袋を渡した。
気づけば日もそろそろ落ちそうである。キリがいいので今日の探索はこれまでとなった。
縄張りからある程度離れると、俺たちは野営の準備を開始していく。
シャンディも入ってそれなりに経った。自然と分担も出来、滞り無く夕食を取っていく。番も決め終えたところで、少し暇が出来た。寝るにはやや早く、かと言って他にすることもない。
剣の手入れをするかと相棒を手にしたところで、マルシアは思い出したように黒騎士から皮袋を持ってきた。その中から出てきたのは、光魔石に反射して煌めく銀の線。
「やっぱり銀糸は綺麗ですね」
そのまま取り出し、手の中でまじまじと観察する。それに興味を示したシルヴィアが同じように触っていく。
「手触りも滑らかです」
「やっぱり良いものよねぇ」
そこにシャンディも加わっていった。
俺は手の中にある相棒を見つめる。なんだか疎外感を感じる夜だった。
次の日も繭のある縄張りを発見することが出来、さらなる銀糸の回収に成功した。
シャンディの言に寄ると、これで二人分程度はなりそうだ。出来ればシルヴィアの分も手に入れたいところではあるが、無理をすることはない。
……地理から考えるとそろそろだろうか。そう思いながら進んでいると、不意に木々の合間から水平線が広がった。
「――っ」
横でシルヴィアが驚きに満ちた表情を浮かべている。初めて海を見ればこんなものなのかもしれない。自分の場合はどうだったかと思い出そうとしたが、遥か昔のことで記憶は朧げだった。ただ何となく、その広大な景色に胸がワクワクしたことだけは覚えている。
魔力溜まりの地を突き抜けた先に待っていたのがここだ。
空を見上げると日は傾き始めている。そのうち海の向こうへと沈んでいくことだろう。
再び探索を始めるには短いが、野営の準備にはまだ時間もある。ここのところ戦闘続きだ。少しくらいはここでゆっくりしていくのもいい。
「あまり遠くにいかなければ少し遊んできていいぞ。海は冷たいから、中には入るなよ」
感覚強化に引っかかるものは特に居ない。俺が許可を出すと、シルヴィアが珍しく「はい!」と元気に頷くや否や、駆け出していった。
「シルヴィアちゃん、待って。一緒に行きましょう」
砂浜に足を取られ、転びそうになったシルヴィアにマルシアは声をかける。二人は並んで海の際へと歩いて行った。傍目には仲の良い姉妹にでも見えそうだ。海を背景に、なかなか絵になりそうな光景である。
「ふふ、可愛いわね」
横に並んでいたシャンディが微笑ましそうに言う。そして俺を促し、共にゆっくりと砂浜へと降りていった。
「つめたっ! 炎天の季節だったら最高だったんですけどね」
マルシアが水の温度を確かめようと手を入れ、慌てて離した。それを見ていた俺に気づき、恥ずかしそうに手を振る。隣ではその行動を真似するように、シルヴィアも海に手をつけようとしていた。
「……本当にしょっぱいです!」
水の味を確かめて、シルヴィアが更に驚いたように声を上げた。
「そこから塩が造られているのよ」
隣のマルシアが説明する。やはり料理のことになると興味が有るのか、シルヴィアが興味深そうに頷いていた。
「炎天の季節といえば水着よね。……どう、イグニスは見たい?」
含みのある笑みを浮かべるシャンディ。
「見せてくれるなら遠慮なく見るぞ」
「……そういうところは男らしいのだけれどね」
肩をすくめるシャンディ。何やら言いたそうだが、特に追求はしてこなかった。
俺は海辺に立ち、感覚強化を使い、海中へと意識を集中した。やはり海の深淵にいだかれ、その中の生物の気配は感じ取れない。海上で戦闘を行うことなどほとんど無いので問題はないと思うが、海に生息する魔物も存在する。普段感覚強化に頼っている分、それが使えないとなると若干の不安があった。
「あ、魚ですよ。魚」
マルシアは声を上げ、海を指す。そこには海面を跳ねる魚の姿。
「ここは私の出番ね」
シャンディが一歩前へと出る。そして懐から短剣を取り出すと、風の加護をかけ、海へと放り投げた。短剣はしばらく海上を浮遊している。そして再び魚が跳ねた瞬間、一直線に目標へと突き刺さった。そのまま反転をし、シャンディの手の中へと戻ってくる。
「どう? 中々便利でしょう」
珍しく得意そうな顔でシャンディが魚を抱える。そして近づいてきたシルヴィアに魚を渡した。釣りの道具など無いので魚は諦めていたが……なるほど、これはまた魔術の有効活用だな。
まだピチピチと跳ねる魚を恐る恐る受け取るシルヴィア。しかしその表面はヌルヌルしている。
「……ひゃう」
やはり、驚きの声と共に魚を落としてしまった。暴れる魚が砂に塗れていく。
「……ご、ごめんなさい」
シルヴィアは自分の失態にあたふたとし、再び魚を掴もうと格闘するが、なれないその感覚に苦戦を強いられる。
「気にするな、問題ない」
どの道洗うのだ。砂にまみれていようが関係ない。俺はシルヴィアの頭をポンと叩く。
「ついでに人数分頼む」
そして腰から短剣を取り出し、シャンディに渡す。
「了解。任せて頂戴」
それを受け取り、シャンディは笑顔で答えた。
さすがに海辺は冷える。完全に太陽が沈まないうちに、俺たちは再び魔力溜まりの中へと引っ込んだ。
その途中、手頃な枝を探しておくことを忘れない。はらわたを取った魚の中に枝を突き刺していく。
野営の準備が済むと、火魔石を中心として採れた魚たちを円形に配置して焼いていった。
フェルデンに着いてからは食事処のメニューにも魚料理が豊富に並んでいる。しかしそのままの姿で焼くというのに興味がそそられるのか、シルヴィアはじっと真剣に魚が焼ける姿を観察していた。
かく言う俺も、こういう食べ方は久々だ。内陸のテレシアに長いこと居ると、こういう食べ方は中々出来ない。魚自体は売られているが、その値段はべらぼうに高いからだ。そんなものを食べるくらいなら安価で美味い肉料理を食べた方が経済的に良かった。
しっかりと魚が焼きあがったところで、俺は一気に齧りついた。塩のみだが中々いける。隣でその姿を見ていたシルヴィアも、多少躊躇ったものの同じように小さな口で齧りついた。思ったよりも美味しかったのか、なんだか驚いているようである。
偶にはこういう体験もいいものだ。




