第百四十七話 警備と援軍
「どうだ、なにか面白いものでもあったか?」
ふと、俺は隣を歩くシルヴィアに問いかけた。
「……いえ」
大柄な黒騎士の中から声が返ってくる。その声音は高くもなく、低くもなく、特に何の関心もないことが感じられた。
「そうか」
俺が一言呟くと、そこで会話が途切れる。
辺りには小雨がぱらつき、アクアリザードの外套に当たってはポツポツと小さな音を立てていた。
予想通り、シルヴィアはこの港街から見える景色に飽きたようだ。内陸に篭っていた俺たちには一日、二日は新鮮に感じるこの風景だが、人は慣れるとそれが当たり前のように感じてしまうものだ。数日が過ぎた今。ここでの生活は、最早いつもと変わらない日常へと変貌を遂げていった。
「さて、このままどちらに転ぶのやら」
立ち止まり、空を見上げた。それに気づいた黒騎士も、足を止めると兜を傾け、同じ様に天を仰いでいく。
雲が密集し、天候は不安定。降ったかと思えばやみ、やんだかと思えばたちまち豪雨となる。そんな気分屋の空が、この街の沈鬱な空気に拍車をかけていた。
「――ひゃっ」
黒騎士の中から小さな悲鳴。次いで、慌てたように頭部を振り始めた。
「大丈夫か?」
「……は、はい」
少しして落ち着きを取り戻すと、両腕で兜を直しながらシルヴィアが返答する。
どうやら鎧の隙間から雨水が侵入し、直接内部攻撃を仕掛けたようだ。普段は分厚い金属に守られている分、その驚きも大きかったと見える。
「しかし、分かってはいたことだが……いくら昇格試験だからといっても、こうも何もしないと気が抜けてしまうな」
警備の依頼だけではなく、夜番などをするたび思うことだが……一番の敵は何も起こらない時間がもたらす、このまったりとした空気だろう。
先日の襲撃から日を跨げば跨ぐほど、警備に携わる皆の緊張が弛緩していくのがよく分かる。
「しかしまあ、平和なのはいい事だな」
「そうですね」
二人揃って大きく伸びをすると、俺たちはふたたび歩き始めていった。
「異常なーし!」
皆と合流すると、マルシアが手を広げて俺たちを迎え入れる。
港の規模に比例して大きい倉庫街。その海に面しているうちの一角が、俺たちの担当警備区域だった。定期的に中心からふた手に別れ、それぞれの端まで見て回っている。
「あったら困りますけど、無くても暇ですよねー」
言うことは皆同じ。先ほどの俺のぼやきと似たようなことを口にするマルシア。
「お仕事だもの、仕方ないわよ」
隣に居たシャンディが、すかさずマルシアをたしなめる。
「私たちにとっては試験なのだからね。貴方もしっかりしないとダメよ」
続き、俺に向けて一言。確かにシャンディの言うとおり、これが試験の一部であることを忘れそうになっていた。
……ほんと、しっかりしろよ。自分。
「ああ、そうだな。気合を入れ直すとしよう」
誤魔化すように頭を掻きながら、俺は海へと視線を投げる。強く吹き始めた風に、海がだいぶ荒れてきていた。
今は魔物が活発になる時期である。俺たちにとっては危険極まりない状態だが、魔物たちからしてみれば好ましい状態と言えるのだろうか。
顎に手を当てながらブツブツと呟き、俺は思考に耽っていく。他に何もすることがないと、何やら考え込んでばかりだ。言ってしまえば、これも暇つぶしの一種みたいなものだろう。
「むー。こんな海じゃ泳ぐことなんて到底無理ですし、今の楽しみは新鮮な食事くらいですかねえ」
「またそれか……確かにその通りではあるけどな」
そんな俺とは違い、暇つぶし代わりに口が止まらないのがマルシアだった。食事の話など何度聞いたことか分からないくらいだ。
「そうね。今日は何が出るのかしら」
毎度、口火を切るのはマルシアなのだが、やはり女性陣は話すのが好きである。シャンディは元より、隣のシルヴィアさえも二人の側に向かい、新たな会話に花を咲かせていく。
そんな輪を外れた俺は、一人淋しく考え込むとしよう。
「……あれは、いつものとは少し、違いますね」
シルヴィアの声に俺は思考を中断し、小さな指が示す方向を見た。
いつの間にやら雨は上がり、雲の隙間から微かな日差しが漏れる頃。はるか遠くに船が漂っているのが見えた。それがただの船であったのなら、特に気にも留めなかっただろう。しかし、次いで視界に入ってくるのは追従する複数の船団だった。それらは綺麗な列を成し、先頭の船には大きな旗がはためいているのが眼についた。
そこに描かれている意匠には見覚えがある。
「あれは、アクアラング小国連合旗ね」
シルヴィアの隣に居るシャンディが呟いた。
「ああ、そうだったな」
その旗には、複数の島を象徴するかのように点在する丸い紋様。それらに絡みつくように、中央には海神と呼ばれる蛇にも似た龍の姿がある。
蛇と言えば、なんとなくシーサーペントを思い出してしまうが、国旗に対してそれは失礼なことだろう、多分。
「そういや、協力体制をとっているとか言ってたな」
試験をうける際に告げられた言葉を思い返し、俺は顎に手を当てる。
「少し来るのが遅い気もするのだけれど、これで多少は街も活気づくんじゃないかしら」
「そうだな。素性の知れない冒険者の群れよりは安心出来るだろう」
もちろん、この港街にはマーナディアの兵士も常駐している。その甲斐もあり、魔物の被害は最小限に抑えられたわけだが……やはり、海を主戦場とするアクアラング水兵の名は有名だ。その者たちがやって来たというのは心強いことだろう。
「これで俺たちにも余裕が出来るな」
「今でも十分、余裕そうに見えるんですけどね」
マルシアは額に手を当て、俺たちと同じ様に海岸沿いを警備している者たちを眺めていく。
「そうだな。お前を見ていると心底そう思う」
「イグニスさんも変わらないと思うんですけど」
うろんな表情でこっちを向くマルシア。
「相変わらず仲が良いわねえ」
そんな俺たちを見て、シャンディが一言呟いた。
「で、さー。その可愛い女性に声をかけたらさー。隣の男が怒ったのよ」
同じテーブルにつくポーロが口を開き、レイモンがうんうんと頷いた。
周りには同じように雑談に興じる者たちの姿。仕事を終えた今、やって来るところは皆同じだった。
「警備しろよ、警備」
俺は投げやり気味に突っ込むと、テーブルに並んでいる料理に手を出した。
マルシアとの話にも出た通り、眼の前の食事には新鮮な海の幸がふんだんに使われている。肉とはまた違った旨みに、思わず舌鼓をうってしまうのは仕方のない事である。
冒険者ギルド近くの食事処。警備を終えた俺たちは、ここで飯を食べるのが日課となっていた。
「うむ、美味い。これでお前たちが居なければ、静かに食事ができて最高なんだけどな」
料理をしっかりと味わい、ついでに二人に対しての文句も口にする。
「なにを言ってるんだ。女性を前にして黙り込むなんてとんでもないだろ」
しれっとこんなことを言う奴らである。願うだけ無駄というものだ。しょうがないので、俺は食事に集中するとしよう。
ポーロとレイモンの二人が話したいのは俺ではない。故に、話に参加しないのが一番だ。
隣ではシルヴィアが黙々と食事をしている。俺も見習わなければならないな。
「そうそう。そういえばさ、アクアラングの奴らがやっと来たんだよ。まあ、警備の人数が増えるのはいい事だし、こちとら大歓迎なんだけどさ」
アクアラングの援軍が乗っていた船は目立っていた。大人数を運んだそのデカさと数はもとより、それが港の中央にデンと停泊しているのだ。警備についていた者たちなら、知らない奴などほとんど居ないだろうに。
「それがさー、その兵士たちの中に素敵な女性が居たんだよ。皆みたいな、ね」
他の女性の事を話題にしつつ、しっかりと周囲の女性陣のフォローも忘れないのはさすがというべきだろうか。
「へえ、珍しいですね」
すかさず、マルシアがその話題に乗った。
女性の兵士が珍しいのは確かだろう。別に、男じゃないと駄目だと決まっているわけではないが、わざわざなろうとする女性は滅多にいない。
「うーん。物語の中とかだと、貴族のお嬢様が騎士になったりするんですけど……兵士だと地味ですし」
腕を組み、自分の言葉に何か納得したように頷くマルシア。そういや、お前の集めていた本の中には似たような話をよく見かけたな。
……まあ、冒険者に憧れていた貴族のお嬢様ならよく知っているんだが。
「そうなんだよ。兵士たちに囲まれていたから遠目からしか確認出来なかったんだけど……でも、兵士というには見た目がらしくなかったな。従軍の魔術師や神官という風にも見えなかったし。まあ、せっかくの美人だし、一人のところを狙って聞いてみるつもりさ!」
「……なんで遠目なのに美人だとわかるんだよ」
お前も感覚強化を持っているとでも言うのか。
「なんだ、やっぱりイグっちも気になるんじゃないか」
突っ込みが思わず口から漏れていたらしい。それを耳にしたポーロが、すかさず突っ込み返してくる。
「こんな近距離で話しているんだ、聞こえないほうがおかしいだろうに」
「そりゃそうだな、すまなかった。こんだけ女神を侍らしているというのに、それ以上を望むわけなんてないよな。うんうん」
よく分からん思考だが、ポーロとレイモンは納得した様子だった。これ以上触るのはよしておこう。
「リーゼロッテ様のように、またイグニスに絡んできたりしてね」
聞き役にまわっていたシャンディが、俺に視線を向けて言う。
「……やめてくれ、あの時のような面倒事は勘弁だ」
俺は手で何かを追い払うような仕草をしながら言葉を返した。
オッドレストであのお嬢様と関わってからと言うもの、あれよあれよという間にお貴族様の問題事に巻き込まれてしまった。今となってはまあ……知ってしまった以上、解決してよかったとは思うが、本来であれば俺が手を出す問題ではなかった。今は試験の事もあるし、これ以上余計な荷物を背負いたくはない。
「でも、警備のために来ているわけですから、少なからず関わることになるんじゃないですかね?」
そんな俺たちの会話にマルシアが加わってくる。
「……それくらいなら仕方ないな」
確かに同じく警備をしている以上、顔を合わせるぐらいのことはあるだろう。魔物が出れば共に戦うことになるかもしれない。
……何となく悪い予感がするのはきっと気の所為だろう。事あるごとに問題に巻き込まれる俺だか、今回くらいはきっと大丈夫なはずだ。
自分に言い聞かせるように、俺は眼の前の食事に集中していく。
なんだか先ほどよりも料理の味が落ちたような気がするのも、きっと気の所為だ。




