前世の記憶。
重たい目蓋を開けると、白い天井が見えた。
視界の隅に映る壁も白いが、その距離に違和感を覚える。
部屋のベッドは壁にくっつけていたはず……。
それに、壁の向こうには人の気配がするし、特徴のある機械音はすぐ側で鳴っている。
「秋津さーん、ちょっと数値見せてくださいねー」
声とともに視界に入ってきたのは白衣を着た人だった。
「秋津さん……意識が!?」
それから慌ただしくなる。
医者と思われる男性が来て、私の顔を覗き込んだり、何かの反応を調べたりした。
「秋津さん、ご自宅で倒れていたところ、この病院に運びこまれました」
残業に続く残業で疲れた体を引きずって、家まで帰り着いたことは覚えている。
ただ、それ以降の記憶はない。倒れたことすら覚えていないんだけど……。
「秋津さん、検査の結果、あなたは肺炎と敗血症を起こしている可能性があります。何か、細菌やウイルスに感染した心当たりがあれば教えてください」
「風邪気味だったくらいしか……」
ここ数日、倦怠感と熱っぽさがあった。
とはいえ、それくらいで仕事を休むわけにもいかず、風邪だろうからと市販の薬を服用して仕事をしていた。
どうやらそれが初期症状だったらしい。
医者によれば、市販の薬の服用もまずかったようだ。
私はただ、体調不良もあって、一秒でも早く仕事を終わらせて寝たかっただけなのに……。
細菌やウイルスによる感染症の場合は、抗生物質じゃないと効かないんだって。
原因が体内にうじゃうじゃ繁殖して悪さをしているのに、それを倒そうとする免疫反応を市販薬で抑えちゃったから悪化したとかなんとか。
まさに生兵法は大怪我のもと。上司に怒られてでも病院で診てもらうべきだった。
「頑張りすぎちゃったね。ここでは我慢しないで、つらいことは僕や彼女たちに言ってね」
そうか。私は頑張りすぎていたのか。
それから医者は、今後の治療方針や検査のことを簡単に説明してくれた。
「詳しいことはご家族がお見えになってから説明します。ご両親とはご連絡がついて、朝一で来てくれるそうだから、安心してね」
あぁ、二人にも迷惑かけちゃうなぁ。
医者の言う通り、朝一で両親が来て、私の意識が戻ったことを泣いて喜んでくれた。
実家は地方なので、始発に乗り込んで来てくれたのだろう。
「警察から連絡があったときは、本当に肝が冷えたわよ」
お母さんがぎゅっと私の手を握る。
手袋がしてあって体温がわからないのが少し淋しいと思った。
何かの感染症ということで、両親は防護服のようなものを身につけていて、露出しているのは目元だけだ。
「お前は昔から無理をしすぎる。少しは自分を労われ」
「心配かけて、ごめん」
お父さんにそう言われ、私は素直に謝る。
でも、お父さんも働きすぎで体を壊したじゃない、と心の中で呟く。
お父さんは氷河期世代と呼ばれる時代に、地方でも有名な企業に就職し、病気になるまで働いていた。私が幼い頃は、家庭より仕事優先って人だった。
社会人になった今ならわかる。
子供三人を大人になるまで育てるには、とにかくお金がいる。
姉は勉強が嫌いと言って、大学進学せずに早々に働きに出たが、私と兄はしっかりと大学まで行かせてもらった。
体を壊したお父さんは企業を辞めて、社長が同級生だという地元の小さな会社に転職した。
お給料は減ったけど、そのときには上の二人が成人していたこともあって、特に問題はなかった。
それに、今の仕事の方が楽しそうにしている。
お父さんは仕事もあるので、夜の電車で帰っていった。
お母さんは私に付き添ってくれるとのことで、私が借りている部屋で暮らしてもらうことにした。
次の日、あの汚い部屋はなに!?と、軽く怒られたけど。
「女の子だからというつもりはないけど、せめて人間らしい生活をしなさい。あれなら、チビ太の運動会の方がましよ?」
実家の愛猫と比べられるとは……。
実家の愛猫チビ太は、私が大学生時代に拾ってきた子なので、もういい歳のはずなんだけど、いまだ元気すぎるくらい元気な様子。
一人運動会を開催をしては、家中を駆け回り、棚の上の物を薙ぎ散らかし、自分のトイレをひっくり返したかと思ったら、クッションの中身をばら撒いて遊ぶような、とてもパワフルな子だ。
実家で暮らしていたときの惨事を思い出し、自分の部屋と比べてみる。
確かに、散らかり具合なら私の部屋の方が酷いかも……。だが!ゴミを捨てればスッキリするはず!!
「あれは全部ゴミ……」
「ゴミは全部捨てました!ゴミ出しが二十四時間大丈夫なところでよかったわ〜」
部屋を借りるときに、こだわった部分の一つが今活かされたようだ。
部屋を決める際にいくつか内見したけど、夜間のゴミ出し禁止とか、朝の八時までとか、朝は慌ただしいから無理だと却下したんだよね。
でも、二十四時間ゴミ出しできたとしても、面倒臭がって溜めちゃったんだが。
お母さんは、私の看病の隙間に私の部屋の大掃除もしてくれた。
そのときに、隣人さんにお礼を言いにいき、田舎のおばちゃんパワーで根掘り葉掘り聞き出してきた。
普段しない大きな音を聞いた隣人さんは訝しんで、様子を見にきてくれたそうだ。
チャイムを押しても、声をかけても反応がなく、半信半疑でドアノブを回したら玄関のドアが開き、私が倒れていたと。
たまに隣人さんとすれ違ったときにちゃんと挨拶しててよかった。あと、ドアの鍵も!
私が借りている物件は、管理会社がスペアキーを持たず、緊急時にはドアを壊す場合があり、その修理費は借主負担になることもあると契約時に言われていた。
もし、鍵をしていたら発見が遅れていただろうし、修理費の請求も発生していただろう。
玄関の鍵が開いている状態で私が倒れていたので、誰かに襲われたのかもしれないと、隣人さんは警察と消防、両方に通報してくれたそうだ。
隣人さん、緊急時に冷静に判断して動けるとは……いったい何者!?
お母さんは抜かりなく、そこら辺も聞き出していた。
隣人さん、女性警察官だったよ。そりゃあ、緊急時の対処に慣れているわけだ。
しかも、私の働きすぎまで心配してくれていたという……。
また、警察が来て事情を聞かれたが、事件性はないということであっさり帰っていった。
闘病生活が始まったが、意外と穏やかに時間は過ぎていった。
兄家族や姉夫婦がお見舞いにきてくれたり、職場の人たちも代わるがわるお見舞いにきてくれた。
お母さんには生命保険の手続きをお願いし、いつ終わるかわからない病院生活の軍資金を得る。
病気の原因を探るための、医者からの質問は多岐にわたった。
変わったもの、特に魚や昆虫などを食べたかとか、どこか水辺に遊びにいったかとか、動物に咬まれたりしたかとか。
忙しかったから一ヶ月はコンビニ弁当だったし、昆虫を食べたかって、どういう状況よ?
職場と家の往復しかしていないので、水辺にも行ってなければ、動物に咬まれたこともない。
結局、原因がわからないまま、ある日突然、発作が起きた。
息苦しくて、胸全体が痛み、死がすぐ側まで来ているようだった。
そして、その発作が引き金だったのか、容体が急激に悪化していく。
苦しいし、全身痛いし、なんで私がこんなつらい思いをしなきゃいけないんだろうって、すべてが恨めしかった。
もっと遊んでみたかったし、彼氏を作って結婚もしたいし、結婚したら犬と猫を飼ってもふもふ生活も満喫したい。
「みどり、お父さんがチビ太の写真を送ってくれたよ」
お母さんが、スマホの画面を見せてくる。
母猫に見捨てられたのか、一匹でミーミー鳴いていた子猫。
拾って世話をしたのは私なのに、私より両親に懐いた。
すくすくを通り過ぎて、かなりでっかくなったけど、可愛い我が家の愛猫の姿に涙腺が緩む。
「チビ太もみどりが帰ってくるのを待っているから、早く元気にならないと」
医者から話を聞いているだろうに、それでもお母さんは私が治ると信じてくれていた。
でもね。自分でもわかるんだ。
私は『死』にもう捕まっていると――。
「お母さん、いつもありがとう」
「なに、急に改まっちゃって。いいのよ。みどりが元気になったら、たくさん親孝行してもらうから」
あぁ……親孝行、何もできてないなぁ。
私の代わりに、お兄ちゃんとお姉ちゃんがしてくれるといいけど……。
そう思いながら、期待できそうにないとも思った。
今からでも遺言状って間に合うかな?
しばらくして私は意識を失い、最期はお母さんに看取られ、その一生を終えた。
◆◆◆
まったく身に覚えがない記憶が流れ込んできたと思ったら、カチリとはまった。
あぁ、そうだ。私の最期はこれだったと。
死因が変わったのだろう。
でも、原因不明ってありなのか?
「神様、ちゃんとお願いが聞き届けられたのは感じられたけど、結局、私の死因はなんだったの?」
『緑膿菌という細菌による感染症。掃除を怠ったことにより、お風呂場に緑膿菌が大量発生していたせい、ということになっている』
「……なんですと!?」
え……そんな、こいつやべぇみたいな、下手したらダーウィン賞を取りそうな……そんなアホな死因ある??
いや、確かに、掃除はしてなかったよ。仕事が忙しかったこともあって、シャワーだけだったり、お湯を張るときも浴槽は水で軽く洗っただけとか……。
でも、日本ならそんな一人暮らし女性、ごまんといるでしょ!!
汚部屋が原因でアラサー女性孤独死!って週刊誌に書かれたらどうしてくれんの!
「神様……もう一回死因の変更は……」
『気に入らなかった?あとは、野良猫に舐められたことが原因で感染症になったというのがあったが、そちらの方がよかったかな?』
野良猫……記憶にある!
近所の顔見知りのノラちゃん。会えたときはいつも撫でさせてもらってた!
人懐っこい子で、手もペロペロしてくれる超いい子!!
そんなノラちゃんから罹る感染症といえば、人獣共通感染症または動物由来感染症のことだろう。
あの有名な狂犬病とかも、これに含まれる。ペットを飼う人が気をつけなければならない事項の一つだ。
動物との接触……咬まれる引っ掻かれるはもちろん、動物に舐められたり、飼い主からのキスなど、動物と触れ合うことで発症する感染症を言う。
発症は稀だそうだが、老人や子供など免疫力が弱い人は発症リスクが高い。
前世で愛猫に引っ掻かれて体調を崩したことがあったけど、そのときは猫が原因かもねと曖昧な感じで終わった。
発熱とリンパが腫れて痛かったくらいの症状だったし、原因菌を調べようってはならなかったから。
でも、そのとき診てくれた医者から、人獣共通感染症というのがあると教えてもらい、以降は気をつけるようにしていた。
愛猫に引っ掻かれたら即洗浄!即消毒!
愛猫以外でも、友達のペットやお散歩中のわんちゃんを触らせてもらったときも、手洗いはしっかりと行うようにしていたのだ。
「あの子を死亡原因になんてできない……」
猫が原因だったってことになれば、実家で飼っている愛猫に対して、前世の両親は複雑な気持ちを抱くだろう。
愛猫のためにも、私は汚名をかぶるしかない……。でも、ちょっと泣きそう。
『一番影響が少ないものでと、あちらの神にお願いしたら、その二つを提示された。死ぬ時期は変えられないから、別の病気だったらもっとつらい思いをしたかもしれないよ?』
いやいや、あれも死ぬほどつらかったんですけど!?つか、死にましたけど!!
あれ以上の苦しみなんて想像できないし、したくない!
神様は、私の死後の様子も教えてくれた。
感染原因がわからないため、病理解剖が行われたらしい。
それで、緑膿菌感染症だったことが判明した。
緑膿菌とやらは本来、健康な人には害が少ない細菌なんだとか。
連日の激務で免疫力が低下していたのだろう。
浴室から緑膿菌が検出されたそうで、そこが感染原因だと決定づけられた。
特にお風呂の玩具がやばかったそうだ。
ここでも羞恥プレイか!
大の大人がお風呂場で玩具なんてと思われたかもしれないが……いいじゃないか!大人がお風呂場で玩具で遊んでも!!
湯船に浮かぶアヒルさんだけでなく、イルカやペンギン、クマノミなど、いろいろな動物の玩具を浮かべて、ぷかぷか浮いているのを眺めたり、泳がせたりするのが癒やしだったんだよ!!
「ネマはお風呂用の玩具で遊ぶの大好きだものね!」
神様の話を聞いて、お姉ちゃんが納得がいったというふうに告げた。
お姉ちゃん、今言わなくていいからぁぁぁ!
つか、お風呂用の玩具って全部魔道具だし、潜水できたり、水鉄砲の機能ついてたり、楽しすぎるのがいけないんだぁぁぁ!!
生温かい視線が恥ずかしく、思わずディーに駆け寄り、そのお腹に顔を埋めて隠す。
そんな、人には言えないことをあちらの世界でも暴露された結果、完全なる不慮の事故として処理された。
誰にも迷惑……いや、お隣さんや大家さんには迷惑かけたわ。
それに、病院の看護師さんたちは、原因菌がわからず、自分も感染するかもという恐怖を与えていたに違いない。
緑膿菌が健康な人には発症しにくい細菌でよかった。
私の家族は落ち込んではいるものの、普段と同じように生活しているとのこと。
両親を励ますためか、兄のところの甥っ子と姪っ子、姉夫婦が実家によく遊びにきているみたい。
親より先に死んでしまうという、最大の親不孝をして申し訳ないが、両親には孫たちと平穏に暮らして欲しいと思う。




