第九十二話:交渉の余地
『僕はね、この世界が好きなんだ。だけど、このまま何もしなかったらいずれ人族は滅びてしまう。そんなの悲しいだろう? だからそうなる前に、正しい知識を身に着けてほしいのさ』
俺の疑問に対し、ダンジョンマスターはそう答えた。
今この現状が心地よく、それがずっと続くことを願っているからこそ、このままダンジョンマスターが殺され続けることによってダンジョンで溢れてしまうのは避けたい。だからこそ、こうしてやってきた俺達に注意喚起しているわけだ。
まあ、わからないわけではない。現状維持を望むのなら、その均衡が崩れるのはまずいことだろう。
他のダンジョンマスターがどう思っているかは知らないが、少なくともこの人はそう感じてこうして知識を教えてくれている。
そうなると、ここでダンジョンマスターを倒すことは悪手なのだろうか?
ダンジョンマスターを殺せばそれだけダンジョンが増えることになる。この人も、いずれは再びダンジョンマスターとして別のダンジョンに転生することになるだろう。
それでは結局ダンジョンの増加を止められない。となると、選択肢としてはこのままダンジョンマスターを倒さず、自然にスタンピードが収まることを考えるべきである。
一応、ダンジョンコアの暴走というのは時間経過でも収まるものらしい。
ダンジョンマスターを倒して止めた時と比べてかなり時間はかかるが、一応倒さなくても自然に治るものである。
スタンピードを止め続けるのは大変ではあるだろうが、ニクスが手を貸すならばそれも可能だろうし、そちらの手段をとってもいいだろう。
俺はちらりとニクスを見る。すると、ニクスは盛大にため息を吐くと、ダンジョンマスターの下へと近寄り……瞬時に作り出した槍でその胸を貫いた。
『かふっ……!』
まさかいきなり攻撃されるとは思っていなかったのか、ダンジョンマスターはその場に膝をつき、ニクスのことを睨みつけている。
その表情は先程までの朗らかな雰囲気とは違い、憎悪に染まっていた。
「どうして……」
「やれやれ、我が子ながらお人好しが過ぎて困る。ただの命乞いにそこまで同情できる奴はそういないだろうよ」
そう言って槍を引き抜くニクス。
ただの命乞い? 確かに、命乞いではあっただろう。でもそれは、殺されたらまずい理由があったからであって、ただの命乞いとは違うのではないだろうか。
まあ、今更ダンジョンマスター一体倒したところでダンジョンは一つしか増えないし、すぐに影響が出ることはないかもしれない。
けれど、そう考える人が何人もいればダンジョンは加速度的に増えていくだろう。
そうなったら、それこそこの人の言うようにダンジョンに世界が支配されてしまう。
そう思っていたのだけど、どうやらニクスには別の考えがあるらしい。
「よく考えてみろ。死んだら何度でも転生でき、且つその度に能力を授かることができるなんて都合のいい能力を持つ奴がいると思うか?」
「あっ……」
「確かに我のように何度でも転生できるという奴はいるだろう。しかし、それは身体的な特性であって神は関係ない。滅多に地上に干渉しない神が、ダンジョンマスターにだけは目をかけているなんてありえると思うか?」
確かに、死んだら何度でも転生できるなんて、かなり強力な能力である。それなのに、その上新たに能力を授かるなんてチートもいいところだ。
もしそんなことが許されるのなら、すでにこの世界には攻略できないダンジョンが多数存在し、それによって被害が出ていてもおかしくない。
もちろん、まだその段階ではなく、このままいけばそうなるのだとしても、すでにダンジョンが発見されてからかなりの年月が経っているのにその程度ということは放置したところでそこまで問題はないということでもある。
そう考えると、確かにただの命乞いと言えるかもしれないね。
「ダンジョンコアはただの魔物に過ぎない。こういうパターンは初めて見たが、言葉が通じるからと言って惑わされるな」
「……はい」
言葉が話せる以上、分かり合えると思ってしまうのは俺が元人間だからだろうか。
もちろん、同じ人間だったとしても話が噛み合わない人はいるし、いくら言っても説得できない人というのはいると思うけど、この人からは明確な殺意というものを感じなかった。
生きているだけで罪なんてとても悲しいことだと思うし、それに抗うために色々と策を巡らせるのは何も間違ってはいない。
仮に、この人の言うことが全くの嘘で、ただ単に助かりたい一心なんだとしても、俺はそれで殺す選択を取ることはできないだろう。
だけど、ニクスはそれでは生ぬるいと言っているのだと思う。
相手の悪意を見破り、生き残るために相手を倒す。それが魔物にとっての生きる道。俺はまだ、それをわかっていなかったらしい。
『……ふ、ふふ、人の話を安易に信じず、的確に命を奪おうとする。どうやら、君は人間ではないようだね』
「貴様はまず自らの過ちに気づけ。その言葉、魔物でなければ理解できんぞ」
『おっと、これは盲点だった。初めてのことだったから言葉を合わせることを忘れていたよ』
心臓を貫かれたにもかかわらず、ダンジョンマスターはからからと笑う。
あれくらいでは死なないのだろうか。でも、ニクスの言葉を信じるなら、きちんと倒すことはできるはずである。
見た目からはそこまで強そうには見えないけど、得体が知れないというのは少し怖いな。
『どうやらもう交渉は聞いてくれそうにないから、死に物狂いであがくとしようか』
その瞬間、ダンジョンマスターの体が膨れ上がる。
青年の姿は一瞬で掻き消え、代わりに現れたのは巨大なゴブリン。
先程戦ったキングゴブリンよりもさらに巨大なその体からは、先ほどまでは感じなかった明確な殺意がにじみ出ていた。
『さあ、始めようか。できることならルミエーリュは引いてくれるとありがたいけどね』
「小娘、出番だぞ」
「あ、はい」
このまま大人しく殺されてくれるかとも思ったけど、流石にそういうことはないらしい。
単純な大きさだけでもキングゴブリンよりも大きいし、武器の類はなくてもその一撃は相当に重いことが予想できる。
果たして、フェルはこんな相手を倒すことができるんだろうか?
「ガキどもは心配するな。思う存分やれ」
「はい!」
フェルとダンジョンマスターが向き合う。
リーチの差はさっきよりは少ないとはいえ、防御力も同じだと考えると急所である頭を狙いにくい分こちらの方が難しそうである。
引いてほしいとは言われたけど、流石にもう惑わされることはない。いざとなれば、俺も全力で手を貸すことにしよう。
両者の間に突風が走る。今、戦いの火蓋が切られた。




