第七話 突破口(2)
扉の奥にあったもの――。
それは、闇。
暗黒。
なんの光もない、謎の空間。
開け放たれたままの扉から、裸電球の頼りない明かりが漏れている。タイルの密室の照明。それ以外に光源はなく、地面がうすぼんやりと照らされているだけだった。
そして、外から押し寄せてくるものは、"音"だった。扉から出た瞬間から、音が飛び込んできている。その急激な変化。僕は眉をひそめた。
それは虫の鳴き声のようだった。あるいは、鳥のさえずりだろうか? 車の排気ガスの音もする。
タイルの密室にいた時には聞こえなかったというのに……。
扉を通過した瞬間から、音が聞こえるようになった。
これは何を意味するのか。
一つだけ言えることがあるとすれば、当てが外れたということだった。
僕はここを、人里離れた山か廃工場かなんかと推定していたが、どうもそうではないらしかった。少なくとも、車が通行するくらいは人通りがあるようだ。
いっそ、大声を上げてしまおうか。
なぜか先ほどのタイル張りの部屋では、一切音が聞こえなかったのだが、この暗黒の部屋では、音を聞くことができる。その相違は気にはなるが、もはや些事だろう。とにかく、大切なことは窮状から脱するということなのだから。
しかし……仮に大声を上げて、雪村薫子に聞かれでもしたら、非常にマズイことになる。もし彼女が付近で常駐しているならば、この行為はとても危険だ。外部に呼びかけるというのは。
周囲にたくさん人がいればいいのだが、おそらくそれは難しそうだった。
車の音は聞こえるものの、肝心の人の声はほとんど聞こえない。
場末の土地なのだろうか?
どうも、大声を上げるというのは、リターンよりリスクの方がデカいようだ。
というか、自力で脱出するのが一番いいのかもしれない。
大声を上げて助けを求めるのは、最後の手段。
で。
闇雲に進んでみるのも気が乗らないが、仕方がない。事態は急を要する。失明するかどうかの瀬戸際なのだから。
彼女がやってくる前に、なんとかしなければ。
一歩一歩、確かに踏みしめて前進するんだ。かすかな灯火を頼りに、手探りで進んでいく。光は足元を照らす程度で、その先はまっ暗がりだった。
"壁"はすぐ近くにあった。五、六歩進んだだけでぶち当たった。
手で"壁"らしきものを触ってみる。その感触を確かめてみた。
さすってみると、これはどうもベニヤ板って感じだった。この滑らかな手触りは、シナ合板だろうか。目がきめ細かいぞ。
マントマイムのようにペタペタと手を這わせて、横に移動する。横にもやはり壁がつながっている。
そして、今度は"隅"にぶち当たった。壁が直角になっている。正方形で言うところの隅っこだ。
「ということは、この部屋は箱型をしているのか……?」
天井や床もあるのだから、やはり箱なのだろう。
ということはつまり、僕は二重に閉じ込められていたということになる。
タイル張りの密室と、暗黒の密室……二重の檻……。やはり、彼女も用心深い性格らしい。マトリョーシカのように、二つも部屋を用意していた。僕が容易に脱出できないように。
全容は把握してはいないものの、大体はわかった。少なくとも、部屋の性質、次いで立地している場所はおおむね理解したぞ。これは重要な情報だ。
今度は反対側に移動する。
ペタペタと壁を頼りに、カニ歩きで移動だ。
すると、今度は妙な突起に手が触れた。握れるぞ。片手で握ることができる。手触りは……金属? ひんやりとしていてメタリックな感じだ。
それは非常に懐かしいというか、よく手になじむ感覚だった。
手触りだけで判断できる。
「これは、ドアノブだ……!」
汗が一滴、床に落ちた。
これは世紀の大発見となろう。
僕は突破口を見つけたのだ。
さらに周辺に手を伸ばしてみれば、確かに扉らしき隙間があった。
確定だ。
僕は気負い込んで取っ手を握り、精一杯引こうとする。
確信していた。
脱出できると確信していた。
でも、扉は、開かない。
開かない。
何度引いても、開かない。
「押すタイプの扉なのか?」
と今度は押して見るも、うんともすんとも言わない。
「ひょっとしたら、意表をついてスライド式なのかも……」
開かない。
扉は沈黙を守っている。
真っ暗闇の中、体がガクガクと震えているのが自分でもわかる。
――開かない?
なぜ、どうして、意味がわからない。脳のキャパシティを超えた事態に、思考が混迷を極めている。おもちゃ箱をひっくり返したように脳内が紛糾していた。
突如閉ざされた、希望への道。
「なぜ、開かないんだ? この感触は紛れもなくドアノブだってのに……なぜなんだ?」
ガチャガチャとでたらめに回したり押したりしても、結果は変わらなかった。
僕は諦めきれなくて、ドアノブやその周りを再度調べようとする。手を這わせて、必死に何かを探し出そうとした。
そして、新たな事実を知ることになる。
それはくしくも、脱出の一助になるものではなかった。
むしろ逆で、これこそが脱出を阻む最大の要因となるであろうもの……。
「ド、ドアノブの下にッ……かか、鍵穴があるぞ」
なんという奇事。
なんという珍事。
よもや、ここに鍵穴があろうとは、まったくもって予想していなかった。
なぜか。
単純な話だ。
彼女はおそらく、この暗黒の密室の外から入ってきているはずだった。もし内側に鍵穴が設けているとなれば、外から進入することはできないじゃないか。
内からしか施錠・解錠できないのなら、それはひどく、奇妙なことだ。
彼女はどうやって、ここに出入りしている?
と。
「あぁぁ――!」
僕は狂人のような大声を上げた。
それは何も、気が狂ったとか、正気を失ったとか、そういうナンセンスなことじゃない。闇に気を呑まれるには、あまりに早いだろう。
気がついてしまったんだ。
この密室の真相。その本当の姿に。
僕は膝からくず折れ、額に手を当てた。
その可能性に行きあたったとき、僕の心は絶望に塗りつぶされた。
「や、やられた……クソッ、あのキチガイ女ッ、とんでもないこと考えやがる……」
ズキズキと痛む右目に、湧出する失意の情。
出口なき迷路とも言うべきものに、僕は迷い込んでしまったのか。
これは。
「これは両面シリンダーだ」




