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60×30  作者: クロサキ伊音
シーズン2 2016-2017

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62/66

37.2017年2月、ジョアンナ・クローンの乱【鮎川哲也の視点】


「ちょっと哲也くん! どうなってるの!」

「落ち着け、杏奈。落ち着けって」

「これが落ち着いていられる? こんなクソみたいな動画が拡散して、よくもこんなこっすいことしてくれたわね! 焼き討ちにしてやるわ!」


 途中、名古屋弁になりながら、杏奈が電話越しに吠える。

 練習を終わらせた午後9時。堤先生の家に帰り、体を休めていた時だった。杏奈から電話がきたのは。


「哲也くん、ジョアンナと仲がいいでしょ? 事情も何も聞いとらんの? 聞いとらんなら、何か聞き出しなさいよ! それで、あんたの言っとることは全部誤解だって、哲也くんからも言いなさいよ!」

「少し前にLINEを送った。……既読にはなっていないけど。あと今、堤先生がリチャードづてに話を聞いてもらってる。どう報道されているか気になるから、ジェイミーに向こうの様子を教えてくれるように頼んでる」


 ジェイミーとはジュニアの頃からの競り合ってきた仲だ。LINEのアカウントも知っている。向こうの事情を聞くには、現地の人間に尋ねるのがうってつけだ。彼がいるのはコロラドだから、多少は騒動に対する受け取り方が違うかもしれないが。


「雅はどうしてる? 練習できて、ちゃんと過ごせている?」

「練習はできている……と思う。ただ、変な一般客が増えた。動画撮影してるような人。相当辛いと思う」


 YouTuberか、と杏奈が吐き捨てる。


「なんかSNSで飛び回っとるがね。勝手なこと作ってくれちゃって。あんたらが有名になるために私たちがいるんじゃないのよ」


 三脚や自撮り棒は持っていないが、明らかに練習風景を撮影している客はいた。滑らないなら正直邪魔な存在だ。練習の合間にジュニアの子が鬱陶しそうに愚痴をこぼしていた。

 それから入り口に記者っぽい人がしょっちゅうたむろしている。練習帰りに一人の記者に捕まったが、多分その記者は俺が男子シングルの鮎川哲也だと気がついていなかった。ここの練習生? 星崎選手の噂知ってる? と聞いてきたのと、渡された名刺がスポーツと何も関係のない女性雑誌の編集者だったからだ。書かれた記事にどれだけ信憑性があるか分かったものではない。答える義務はありませんので失礼しますと言って立ち去る。どうも俺は、記者を閉口させる特技があるらしい。それはともかく。


「雅に何かあったら私にも知らせて。私には何も言わないけど、実害が出ているから心配なのよ」

「実害? どういうことだよ」

「哲也くん、雅から何も聞いてないの? アメリカから雅に届いた手紙の中に、剃刀が入ってたのよ!?」

 聞いているうちに血の気が引いてきた。……剃刀?

「知らない……」


 一瞬静まり返り、電波の向こう側の杏奈の怒気が、一気に膨れ上がった。


「この、ボケ! どれだけヌケサクなの! 豆腐の角で頭をぶつけてしまいなさい!」


 電話は乱暴に切れた。

 通話は居間で行い、さらにハンズフリーにしていたので、会話の内容は堤先生に丸わかりだった。先生も、今日は俺の練習を見たあとは特に用事がなく、居間の食卓でコーヒーを嗜んでいた。……一冊の雑誌を開きながら。


「大変なことになっちゃったねえ。そりゃ杏奈ちゃんも動揺するさ」


 豆腐の角っていうところに彼女の優しさがあるねと先生が呟く。

 俺はSNSの類は、連絡手段としてのLINE以外使用していない。どうなっているかを知る術は、テレビニュースか動画サイトしか持たないのだ。そのテレビや動画だって別に大して見ているわけじゃない。動画サイトなんて音楽を聴く時ぐらいしか使わない。


 だから騒動のことも、先生から聞かされてはじめて知った。先生も血相を変えていたから珍しいな、と思っていたら、その内容を見てこめかみに青筋が走った。


 それが動画がアップロードされた次の日。連盟が抗議文を公式サイトに掲載した前の日だった。


 デトロイトのニュースはアメリカの動画サイトで炎上した後、YouTubeにも日本語字幕付きで投稿されていた。日本のSNSでもバズって、スケートファンの間で騒ぎが起こっている。バズった様子を聞きつけて、今度はテレビメディアが反応した。民放のワイドショーでも取り上げられ、星崎雅の名前はフィギュアスケートを普段見ない国民の間でも一躍有名になってしまった。


 卑劣なアスリート、という負のレッテルを貼られて。


 これが本当なら日本の恥、と非難する声と、星崎選手がそんなことをするはずがない、という擁護する声が混じっている。どちらかというと前者の方が多い、というのは先生の見解だが、俺も同じ意見だ。ジョアンナは日本のファンも多く存在する。そもそも、日本で人気がなければ、ジャパンオープンに呼ばれていない。

 話題の中心が雅になると、SNSで彼女に対するあらゆる憶測が生まれていった。


「これもひっどい記事だねえ。あ、君は読まない方がいいよ。サブイボ立っちゃうから」

「読むわけないでしょう、そんな記事」


 軽薄なのと品がないのは別なのだと、堤先生と過ごしているとわかる。この人に下世話な週刊誌を読む習慣はない。何が書かれているか心配になって買っただけだ。

 週刊誌の表紙には、品のない見出しと写真が節操なく並んでいる。興味のない芸能人の不倫の写真と、有名政治家の汚職の見出しと、『女子フィギュア星崎 勝ためならなんでもする卑怯な実態』という大きな見出し。


「リチャードはなんて言ってますか?」

「あの時階段で蹲っているジョアンナを応急処置したのが雅ちゃんだったのを、リチャードはちゃんと知ってる。ジョアンナがマスコミに乗せられて言ったんじゃないかっていうのが、リチャードの意見かな。その後その記者に、リチャードは雅ちゃんはやってないって言ってくれたけど、あっちのマスコミがどう扱うかな。その言葉自体を消すかもしれないし」


 あの子も若いからマスコミに乗せられることもある。リチャードはそうも言っているらしい。教え子がマスコミの道具として使われた。そう思いたいのかもしれない。

 噂聞きだが、雅がジョアンナを助けた話はステイシーも知っていた。騒動が起こった後、階段の件について、四大陸に出ていた選手の重だった発言はない。又聞きで、自分が見たものではないからだろう。信憑性のない言葉は他人を刺すから、慎重にならなくてはいけない。少なくとも何も言わない人は、そういうことがわかっている。


「6分間練習は……」

「そうそう、そっち。俺さあ、二つとも大会にいたし、6分練も結構見てたけど、雅ちゃん邪魔なんて全くしてないよね? 不思議なんだけど。なんでそうなるの?」


 君は、どう思う? と冷静に尋ねられたので、率直な感想を伝えた。


「ジョアンナの動きにひやっとした瞬間は、確かに何度もありましたよね。それは雅だけじゃない。杏奈もジョアンナとぶつかりそうになった時もあった。雅がどうこう、っていう問題じゃないですよ」


 そういえばジャパンオープンの時も、里村さんとジョアンナと接触事故を起こしそうになった。6分間練習だけじゃなくて、公式練習の時もだ。ジョアンナは必死になると周りが見えなくなるタイプなんだろうと思ったが、それだけだ。


「6分間練習で誰かの邪魔をしよう、なんて余裕のある選手はいませんよ。ジョアンナだってその筈です。自分だってそうなのに、どうして誰かが邪魔している、という発想が出るのかが謎です」

「君がそう言える子で俺は嬉しいよ」

「この件、先生はどう考えているんですか?」


 先生は、サーバーに残ったコーヒーをカップに入れる。


「俺の予想が正しければ、ジョアンナの意思は半分ってところ。後は、別の意思がある。もっとでっかいものが動いているね」

「でっかいもの?」


 検討もつかず眉を顰める。


「俺の私見だけど、それでも良ければ、興味があったらそのうち教えてあげる。でも、君の場合、自分の心配もしな。世界選手権まで、後一ヶ月しかないんだよ。君は君で練習して、事件のことは繭ちゃんや周りの大人に任せて」

「……俺は子供だから、何もできないんですか?」


 そうじゃない、と先生は俺に向き合う。


「君は君で、やれることがある。それは、周りの大人や俺には絶対にできない。星崎先生と涼子先生にもね。その時まで大人しくしていて」


 ✴︎

 

 自室に戻り、電気をつけてベッドに座る。

 机の上には、フリーの完成度を上げるために借りてきた資料がある。サン=サーンスの伝記に、音楽資料と、スコア。それら全てを開く気になれず、iPhoneを起動させる。

 LINEには友人から数件連絡が来ていた。


『雅に励ましのラインを送ったけど何も返信がないし、既読にならない。実際、大丈夫なんか?』


 晶からの雅を案じる声。


『ミヤビ、落ち込んでない? イズモも気にしてるわ』


 これはステイシーから。四大陸で知り合ってから連絡先を交換していた。


『俺の妹をちゃんと守ってよ、このバカ』


 ……いつ雅がお前の妹になったんだと突っ込みたくなった、アーサーからのメッセージ。


 それら全てに返信をしていない。四大陸から帰った後もすれ違いは続いている。秋からまともに話していない上に、避けられているなんて誰にも言えない。大変情けないことに、LINEだって送れていないのだ。


 Googleで検索をかけると、今回の騒動に対するまとめサイトが出来上がっていた。


 ジョアンナの発言。踊り場で、雅が転倒したジョアンナを見下ろす写真。ジョアンナのニュースでの告白に、YouTuberが編集したバズった動画。

 まとめサイトのコメント欄には、自覚のない悪意と、根も葉もない噂が横行している。


『うわ、マジで邪魔してる』『性格悪すぎない?』『トリプルアクセルだって八百長なんじゃないの?』『よく見りゃグリ降りじゃん』『コーチが父親なんでしょ? 本当はあのお父さんが指示したんじゃないの?』『ペアの真似事して調子に乗ってる』


 コメント欄にはSNSの個人のカウントが呟いた発言も掲載されていた。

 ジョアンナに向けての同情のコメントもある。


『3人兄弟のお姉さんで、バイトしながら競技続けてるらしいよ。美人で努力家なんだね。それなのに邪魔されたらそりゃ訴えるよ』『努力家ほど損するのってどうかと思う』『心が美しいのって演技に出るよね。妨害に負けないで!』


 あとは雅に対する断罪の言葉とか。


『最悪。ファンだったのに。応援するのやめるわ』『こいつ最低じゃん』『イケメン好きのビッチなんじゃね?』『スケートやめろよ』


 言論の自由、表現の自由というものがある。例えば俺たちの演技を見て、どう感じたか。どう感想を抱いたか。それを言葉にするのは自由だ。感想が共感を呼ぶ。そうやってフィギュアスケートは、スケーターは、ファンから助けられる部分もあるかもしれない。


 しかし、他人を断罪する言葉を、気軽に吐いて残してもいいのだろうか。ましてやファンというものは当事者ではない。ネットで一旦出回ったものを完全に消し去らせるのは難しい。だからこそ、その言葉を使っていいかどうか、一度立ち止まるべきなのではないか。ネットが動けばマスコミも動く。昔はマスコミの報道でネットが炎上していたのに、いつの間か立場が逆転している。

 もし自分がその刃を向けられていると思うとぞっとする。それを雅は、一身に浴びさせられている。

 もちろん、ネットの言葉は見なければいい話だ。それが一番の自衛になる。見たとしても、不特定多数の意見も、いちいち言ってくるなんてよっぽど暇なんだなと思えればいいだろう。炎上を楽しめるような人間だっている。

 でも雅はそういう人間じゃない。騒動が起こってしまった以上、自分のことを快く思わない空気は世間に流れてしまっている。気にするし気になるもので、誰かが教えた可能性だってある。


 あなたのことをみんなこう言っていますよ、と。


 スワイプしているとLINEが連絡を知らせる。

 ジョアンナからだった。


 状況がわからないから、教えて欲しい。どこかで、これは別の誰かが仕組んだことなのではないかと俺は思っている。だけど、それならそうとちゃんと弁明してほしい。君が考えていることは何か誤解があるのでははないか。……送ったのは、そんなメッセージだ。

 俺はジョアンナとのトークルームを開かなかった。

 ジョアンナにはジョアンナなりの言い分がある。彼女を責める気持ちは起きなかったが、積極的に言葉を聞く気にもならなかった。彼女には彼女を守る人がいる。アメリカという社会が、ファンという共同体が彼女を守るだろう。

 だけど雅はどうなんだろう。加害者にされてしまった人は。そんなことはしていない、と言っても届かない場合は。信用されない、という空気を作られてしまった場合は。

 避けられているのは重々承知している。それでも。

 

 俺には、何ができる?


 ✴︎

 

 その日の深夜だった。

 布団に入って眠れずにいると、iPhoneが震えた。LINEが電話の着信を知らせている。相手を見て、すぐに応答をする。


「はい、鮎川です。涼子先生、どうかしましたか?」

『夜中にごめんなさいね。哲也くん。……そっちに雅行ってない?』

「……来てませんけど」


 耳からiPhoneを離す。時計を見ると、0時半だった。他人の来訪の是非を聴く時間ではない。


『最近夜眠れてなかったっぽいから、さっきちょっと様子を見に行ったら部屋にいなかったのよ。家中探したんだけどやっぱりいなくて。今、総ちゃんが探しに行ってるわ。入れ違いになったらいやだから、私は家にいるんだけど』

「リンクには行きましたか?」


 雅は深夜にこっそり練習することが多少ある。その度に迎えにいくことはあったから。しかし状況が状況だし、何も言わずに出かけたというなら、話は別だ。聞いた後に、うちにリンクの鍵はあるのよと涼子先生が答え、暗い手触りが走る。

 心がざわついた。


『総ちゃんもリンクは見たけどいなかったみたい。iPhoneも部屋に置いていったみたいで連絡がつかなくてね。財布もカバンもあるの。もし来たら、私でも総ちゃんでも、どっちでもいいから連絡をくれない?』


 電話が切れて、俺はすぐさま寝巻きからTシャツとジーンズに着替えた。厚手のセーターを重ねてコートを羽織る。愛用のボディバッグにiPhoneと財布だけ入れる。鞄の中に、見慣れない紙袋があったので出してみる。

 デトロイトで買ったスケート靴のペンダントだった。何となく買った後に、誰に渡せばいいかわからなくて、そのままボディバッグの中に放置していたもの。

 再びバックの中に戻して玄関に向かうと、物音を聞きつけた先生がやってくる。


「何、何どうしたの?」


 先生は流石に眠そうな顔をしていた。


「涼子先生から雅がいなくなったって連絡があったんです。俺、探しに行ってきますから、先生はここにいて下さい。入れ違いになったら嫌ですし」

「哲也、ちょっと待って。いったん冷静になって」

「待ちませんし、今の俺は冷静です。寒いし、一人でいるなら早く見つけないと」

「落ち着いて。俺の話を聞きなよ」


 せっかちだなあという先生の呑気な一言にカチンとくる。


「すみません。悪いんですが、じっとしていられないんです! 今のあいつを一人になんてさせられない。もし危ない目に遭っていたらと思うと俺は……頭がおかしくなりそうになる」

「哲也」


 パン! と先生が俺の眼前で両手を叩く。

 俺を呼ぶ声がわりかし大きかったことと、思いもよらない行動に、冷や水をかけられたように一瞬思考が止まる。目を白黒させていると、先生がふっと笑った。


「俺は行くなとは言わないよ。本当に落ち着いて欲しいだけ」


 ちょっと待ってて、いいもの渡すから、と、先生は、玄関から離れて自室に戻る。


「これを持っていきな」


 戻ってきた先生に、鍵が四つついている革製のキーホルダーを渡された。

 先生が所持している、アイスパレス横浜の鍵だ。この人は深夜に練習することがあるから、密かに作っていたのだ。……俺が知っているのは裏口の鍵だけだが、後の三つはどこの鍵なのか。


「これがリンクの裏口の鍵。こっちが給湯室で、これは事務室。最後の小さいのが非常口。一応ね。アイスパレス横浜の別の場所にいるかもしれないから。別の場所にいたとしても、屋内に入れれば安全でしょ? 雅ちゃん見つけたら、星崎先生が来るまでそこで待っていられるしね。近くにいればの話だけど」

「お借りしてもいいんですか?」

「よくなかったら貸さないさ。見つかったら俺にも連絡ちょうだい。俺も、雅ちゃんがうちに来たら君に連絡するから。俺は君の保護者で親代わりみたいなものだからさ、涼子先生たちが雅ちゃんを案じるように、俺も君を心配してるって忘れないで」

「ありがとうございます」


 普通の親なら、深夜に街中に出ようとしている子供を深い愛情を持って止めるものだ。この人はそれを俺に抱きつつも、信頼して任せてくれている。

 懐の大きさに感謝し、頭を下げて靴を履く。


「答えは出た?」


 何に対する答えなのかを瞬時で理解する。

 君の心に、誰がいる?


「……聞かれるまでもありません」


 玄関を出て、真夜中の横浜の街に飛び出した。




 冷たい空気が肌を刺す。手が悴んで、靴を履いた足先がじんじんと痛む。全身にガラスが刺さっているみたいだ。

 冷気は音を吸い取るらしい。俺が走る足音以外、音が消えている。


 アイスパレス横浜にいないのだとしたら、どこにいるか全く見当がつかない。しかし終電もとっくに終わっている以上、遠くに行く可能性もない。タクシーとかも使わないだろうし。自転車もあるみたいだから。そもそもかばんも財布もあるのなら、徒歩圏内以外考えられないのだ。


 星崎家の周りを歩いても、雅らしい人物とすれ違いはしなかった。というか、誰ともすれ違わなかった。近くのコンビニや暗くなった横浜駅まで走り、いなかったと言われたリンクに裏口から入ってみる。

 誰もいないリンクは暗く沈黙していた。非常灯以外照らすものが無いため、氷上が底なしの暗い沼のようで不気味に見えた。あの中に足を入れたら抜け出せない。巨大で真っ黒な深海魚がいて飲み込んでしまう。

 裏口に一番近いのはリンクの事務室。ロッカールームの隣は給湯室。受付やロビーも周り、iPhoneのライトをつけて、人影がないか確かめる。


「雅」


 何回も呼びかけてみるが返事はない。給湯室も事務室にも見当たらなかった。開錠して中に入ってみても、人の姿はない。

 星崎先生の言うとおり、この中にはいないのだろう。一旦外に出て、今度はアイスパレス横浜の、建物の周りをぐるりと探す。他に行く場所がわからなかったから。駐車場、リンクに至るまでの道、入り口の隅、非常階段を上り……。

 ……非常階段の横はゴミ捨て場だった。蓋のついた巨大なゴミ箱が三つ並んでいる。資源ごみ、燃えるごみ、缶ごみなどが捨てられるスペースの、ちょうど死角になって見づらいところ。この横は見落とすかもしれない。清掃の人以外、滅多に人が来ない場所だから、通り過ぎてしまうだろう。

 目の前に来て、声をかける。


「雅」


 いつものポニーテールではなく髪を下ろしている。部屋着っぽい服。上着は着ていないからか、肩が震えていた。

 右手の人差し指に絆創膏が巻かれている。

 探していた人が、膝の中に顔を埋めた状態で座り込んでいた。



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