23.ある少年の物語 【2016年全日本選手権 男子シングル後編】
古い本のページを捲るような湿度のある音が落とされる。
曲の始まりとともに、伏せられていたまつ毛が持ち上がる。氷面から持ち上げた出雲さんの顔は、火がついたばかりの灯籠のような不明瞭なうつくしさがあった。ターンをつなげ、少女は傘を持ったまま竹藪の中を駆けていく。わずかな動作で幽玄な物語の世界へと引き込んでいく。
神原出雲。ショートプログラムは、映画「SAYURI」から「芸者」。作曲はジョン・ウィリアムズ。
昭和初期に生きた、架空の芸者を題材にしたプログラムだ。
最初のジャンプは四回転サルコウ。無駄のない動作から、音もなく飛び上がっていった。
ゆっくりと扇を開くようなジャンプだった。ひとつ一つの回転がよく見える。反面、離氷や着氷にはナイフのような鋭さがある。フリーレッグが高く上がり、着氷した足が半円を描く。傘を持つような動作が加わり、傘が少女の伏せ目がちな微笑を隠す。
GOEを考えるのが恐ろしい。プラス3をつけたジャッジの方が多いんじゃないか。
主旋律はあくまでスローだ。それを滑る出雲さんのスケートは、誰よりも深く氷を抉り、羽毛のように軽い。そして、誰よりも速かった。恐ろしいのは、出雲さんの滑りの速さとスローな主旋律が噛み合っていることだ。
一つのジャンプを跳び終えたところで、まだ芸者になっていないただの少女は運命の人に出会う。水のような瞳で彼を見つめ、別れた後にたった一つの願い事をする。
もう一度あなたに会えますようにと。
顔を隠していた傘が、竹藪の中に落ちていくのが見えた。ここまでずっと、出雲さんの視線は下に向いていた。傘で隠れていた少女の顔の全貌が現れる。
……背筋が凍った。微笑みが、男性のそれではない。
目の前で滑っているのは、神原出雲という成人した男性のはずだ。
しかし、氷上にいる今の彼はどうだろう。ちょっとした仕草。指先。目線の使い方。ステップを踏む足。動きの全てに、少女らしい拙さと、哀切さと。年端もいかない女の子だけが持つ、生まれたての真珠のような煌めきが宿っている。
最初のスピンはフライングキャメルスピン。高く舞い、たっぷり回った後、スムーズにフリーレッグを掴む。雅が回るような高速のドーナツスピンではない。ゆったりとした単調の楽曲と、チェロ特有の温かみのある音に合わせた、ゆとりのあるスピンだ。
スピンを解くと、そこにいるのは少女ではなくなっていた。成長して美しい女性になり、芸者になった。口角を上げて、ジャッジの方向に目を向ける。ジャッジ席を軽やかにすり抜けて、その足でスリーターン。3回繋げてからの。
4回転トウループ+3回転トウループのコンビネーションジャンプ。
コマのように回転速度の速いジャンプを二つ繋げる。
芸者になった彼女は、運命の人と再会する。互いに惹かれつつ、それでも見えない隔たりが2人の邪魔をする。触れようとしても触れられない。言い表せない切なさが、トランジッションの中でもこれでもかと表現されていた。
芸者が乗り移ったようには見えなかった。それにしては、全身から溢れる感情が生々しすぎる。誰かを演じているようには見えない。
……まるで出雲さんが、自分の感情をそのまま滑っているみたいだ。
二つ目のスピンを終えると、音楽の様子が変わる。ありふれた街中の芸妓から、至高の芸者に生まれ変わっていた。チェロのベース、箏の装飾音に加えて、和太鼓が激しさを増していく。見せ場のサユリの舞。映画でのハイライトの一つを、日本舞踊の要素を入れ、リンク全体を使ったステップシークエンスで表現する。
芸者が、桜吹雪の中で激しく踊る。両手のひらを開く。見えない扇を、出雲さんは手に持っているように見えた。動きのキレとスケートの力強さが増していく。細かい箏の装飾音をトウステップで拾う。ターンを踏みながら深いエッジが加速する。複雑にステップを進めながら、瞳は常に誰かを映している。
目線の先にいる最愛の人を。
踊りきった芸者が最後に向かうジャンプはトリプルアクセルだ。リンクの中央で、イーグルで半円を描いて、直接飛び立つ。着氷し、高くあがった左足のフリーレッグを、右手で掴む。一瞬だけのアラベスク。Y字というよりも、I字に近い。どんだけ股関節が柔らかいんだ。
それを目指す理由が、たった一つの恋だって別にいい。
感情に名前をつけて、行き場を意識してあげて。
頭の中で、出雲さんの言葉がリフレインしているうちに、最後の要素になる。コンビネーションスピンだ。ベーシックなキャメルポジションから腰を落とし、体を捻ったブロークン姿勢のシットスピン。捻ったままなのに、回転が落ちない。シット姿勢のまま立ち上がる。ポジションの変化に淀みはない。
満開の花が咲くかのようなレイバックスピン。頭の天辺がフリーレッグにつくんじゃないかと思われるほど背中を逸らしている。広げた手をクロスさせて、胸元に惹きつける。指の使い方が美しい。大事にしている何かを仕舞い込むようにも見えた。
……これは。このプログラムは。
もしかしたら、出雲さんの人生そのものなのではないか。
肺が弱かったのは本当だろう。雑誌のインタビューでもそう言っていた。病弱を克服するためにスケートを始め、フィギュアスケートに出会った。盛岡で練習を重ね、シニアになって数年後にカナダに渡った。その後はソチ五輪でメダルを獲り、最強の称号を欲しいままにして現在に至っている。
だけどこれらは神原出雲という人間の、ほんの一部に過ぎない。映画の芸者のように、人に言えない熱情を抱えて生きていたとしても、好きになってはいけない誰かに焦がれたとしても、何も不思議ではないのだ。
スピンを終えた出雲さんは、竹藪の中に落ちた番傘を拾う。番傘が、長いまつ毛を伏せさせた芸者の顔を隠す。芸者は全ての想いを隠したまま、流れる水のように生きていく。
それだけは映画とは違っていた。
……彼女、或いは彼の物語は、音楽の終わりとともにピタリと終了した。
*
スタンディングオベーションの中、神原出雲が四方にお辞儀をする。番傘を持つような素振りも見せながら、ぞくっとするほど艶やかな笑顔を見せる。この瞬間でも彼は芸者だった。
数えきれず、フラワーガールが持ちきれないほどの花束やぬいぐるみが投げられる。出雲さんはパンダのぬいぐるみを一つ拾って、観客に手を振った。今日一番の歓声が送られている。
この人に追いつこうとずっと思ってきた。
だけどこれを見て、近づいたと思った背中が再び遠ざかったと思わされた。
リンクサイドに足を踏み入れた瞬間、いつもの出雲さんの顔に戻った。迎えた壮年のカナダ人男性と軽く抱き合う。ダニー・リー。カナダの名指導者で、神原出雲をソチ五輪の金メダリストにした張本人。
モニターに映し出される超絶技巧と芸者の恋。キス&クライに座った出雲さんが観客に向かって手を振った。女性の黄色い声が三割ほど増された気がした。
点数が出るのは時間がかからなかった。
ーー技術点、演技構成点ともに、文句なしのトップ。100点を超え、神原出雲がショート1位で折り返すことになった。
2位の俺とは10点以上差が開いていた。
*
公式記者会見と明日の滑走順のくじ引きを終えて、ホテルへと引き揚げると10時を回っていた。ショートのおさらい。それにフリーの打ち合わせ。iPadを広げてジャッジングスコアを再度確認。フリーは出雲さんの後。最終組五番滑走。ちなみに最終滑走はショート3位の晶だ。
ショートの表現について、先生は何も言わなかった。技術面での最低限の注意にとどまり……何も言われないことに安堵する。
明日の同じ時間には全てが決まっている。
今回の全日本は、表彰台に上がり、世界選手権の代表に選出されるのが第一の目的だ。ショート2位の現在地は悪くはない。ただ、出雲さんと10点以上離されるのは、正直、痛い。目的と競技者としての性は違う。たとえ優勝に手が届かなくても、実力に差があっても、少しでも背中に近づきたいと思ってしまう。
しかし、現状でフリーは不安定すぎる。下手したら順位を落としかねない。今のところこのフリーに対して、苦手意識を持ってしまっているからだ。ジャンプの内容は変えたくない。ジャンプを全て揃えようとするとその他が散漫になる。全ての音を拾って丁寧に滑ろうとすると、今度はジャンプのミスが重なってしまう。対して出雲さんは。芸者のショートが話題に上がっているが、フリーも間違いなく傑作だ。現時点での完成度も高い。
頭を悩ませている俺に、先生が口を開いた。
「哲也。フリーのジャンプ構成なんだけど、一つ提案があるよ」
「……四回転減らすのは嫌ですよ」
「言うと思った。こうすればいいのさ」
先生は机からメモ帳を取り出した。サラサラと淀みなくボールペンを動かしていく。紙に書かれた構成は……。
堤先生はにこやかに言い切った。
「これで完璧に滑っておいで。そうすれば結果はついてくる。負けられない勝負のために構成を変えるのは逃げじゃない。他をグレードアップさせるための手段でもある。君もそれはわかっているだろう」
この人は俺を納得させるのが得意だ。納得させるだけの材料を揃えるのも。
俺は先生の提案に大きく頷いた。
……二十四時間後。
俺はめでたく2位表彰台を守り抜くことになった。




