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一話〜日情……もとい日常〜

【1】

 私、春野夕陽の起床時間はそこそこ普通だ。

 学校から徒歩十五分程度の位置に家があり、八時二十五分から学校は始まるので、七時半には起きるようにしている。

 私は基本低血圧気味なので起きる時間は日によっては若干ぶれがある。それでもそこまで遅くなることは、あまり無い。

 本当なら部活の朝錬があるからもっと早くに起きなくてはいけないのだけど、朝練に強制参加の義務は無いので、私はそれをいいことに朝練には参加していない。友人や先輩からは何故か参加を強く要求されているが、朝の貴重な睡眠時間と部活の朝錬を天秤にかけるとどうしても睡眠時間に傾いてしまう。

 で。姉である春野陽菜は何故かいつもかなり早くに起きている。具体的に何時に起きているのかは私も知らないが、私がたまに早起きした時も先に起きていて「おはよう」と紅茶を飲みながら優雅に声をかけてくる。姉に起こされた記憶は数えるのも馬鹿馬鹿しくなるくらいあるが、起こした記憶は数える必要が無い、つまりはゼロで無だ。

 そんな私たち姉妹はよほどのこと、それこそ病気や事故にでも遭わない限り遅刻などする余地が無い。

 ……無いはずなのだが、何故か私は教室でぜはーぜはーと明らかに全力疾走したように肩で思いっきり息をしている。いきなりの運動に、心臓が抗議するかのようにものすごいテンポで脈打っていることが、胸に手を当てなくても十二分にわかる。

「おはよう、ゆうちゃん」

「おっはろー夕陽」

 机に突っ伏してぜはーぜはー言ってる私に、そう元気よく声をかけてくるものが二ついた。……訂正。二人だった。

「お……おはよ」

 私は息も絶え絶えにようよう挨拶を返す。声を出すのがしんどい。

「うあー……だいじょうぶ?」

「ううむ。コレはもうダメね。買い替え時だわ」

 片方が私を本当に心配そうにいたわり、もう片方があーあ、とか言いながらなんとも友達思いな言葉を吐く。

「私は……家電か」

 なんとかそう言い返すが、もうダメだった。これ以上はもう声は出ない。朝ご飯抜きの全力疾走は思いのほか身体に負担が大きい。てか大きすぎ。うう、保健室で休みたい……。

 先ほども言ったように、私はよほどの大事が無い限り遅刻も、ついでに言うなら遅れそうになることすら無いのだ。ましてや朝ご飯を食べ損ねるなどと言う早起きの無駄は、絶対にありえないし、ありえてはいけないはずなのだ。

 なのに、なのにあんの馬鹿姉のせいで、遅刻寸前だわ朝ご飯抜きだわでもう散々。

 そりゃね。言ったよ。満足したら離してね、って。けどさ。時間が差し迫ってるって言うのにギリのギリッギリまで抱きしめたまま離さないってのはどういうことよ。

 私だってわからないでもないよ、お姉ちゃんの気持ち。父も母も居ない二人だけの家族だから、その寂しさを紛らわすために過剰かもしれないスキンシップをするのも、それがお姉ちゃんだけじゃなく私のためであるというのも……。

 けどさ、それで結果遅刻したらダメでしょう。それ以前に朝ご飯という、一日の始まりを円滑に進行させるためのエネルギー源を摂取できないなんて言う事態に陥っちゃあ、ダメのダメダメじゃないかと切実に思う。

 こんな時に顔の一部をもぎ取って提供してくれる正義の味方が居れば……。

 そんなことを真面目に考えてしまうあたり、相当ヤバイのではないだろうか?

「ああ! ゆうちゃんから生気が抜けていく!? ど、どうしようまーちゃん」

「あれま。まぁ、最近の家電は逝きやすいしらしいし。しょうがないわよ琴乃」

 真白よ、本日の私の位置付けは家電で決定ですか。

 私は相も変らずどことなく失礼な友人に内心でやれやれと溜め息を吐く。それに引き換え、琴乃。アンタはいい子だ。その優しさの一〇分の一でいいから真白に分けてあげて。

 さっきから私の周りで対照的なことを言ってる二人は私の中学からの友人で、優しい方が弦端琴乃。失礼な方が雪槻真白。

 琴乃は色白で、ボブカットの青味がかった黒い髪が特徴。感情や表情がコロコロ動くので見てて飽きない。女の子女の子していて同姓の私から見ても可愛らしいと思う。ただ、その身長が一六五もあり起伏に富んでた豊かな体型であることが、私としてはどうにも釈然としない。

 真白は日本育ちのハーフで肌が白人のように白くて記号のように金髪碧眼で、いつも眠たそうな半眼。ハーフだけど日本語以外の言語は全くダメで、日本以外を、漢字の国、カタカナの国、記号の国と三カ国に分けて表現するほど。琴乃とは性格も体型も対照的。体型だけで言うなら私の同類。本人はまったく気にしていないが。

 二人とも個性的だが、とても良い私の友人。親友と言ってもいいかもしれない。

「ねぇねぇまーちゃん。ゆうちゃんは家電で例えると何になるの?」

「そうねぇ……冷蔵庫あたりじゃない?」

「ああ、たくさん食べるもんね」

「言いえて妙でしょ」

「けどさ、それなら掃除機の方があってないかな?」

「ああ、あれは何でも飲み込むものね。じゃ夕陽は掃除機ということで」

 …………親友?

 二人の勝手な上にあんまりな物言いに、私はほんの少し首を傾げたくなった。てかコラ琴乃。アンタなんで納得してるのさ。好き勝手言う真白はもうアウトだとしても、アンタまでそれに付き合う必要はないでしょうが。

 口に出して言ってやりたいけど、疲労度数が高すぎてその気力が無い。

 私はぐたっと机に突っ伏したまま、いまだになにやら好き勝手なことを言ってる二人の会話をBGMに窓の外にある空を見る。……あ、あの雲ドーナツみたい。

 うう、食べ物のこと考えたら余計に疲労度数が……むしろ空腹感が水沸騰時の泡沫のように湧き上がる。

「ところで……なんで夕陽はこんな状態に?」

「そう言えば。ねね、ゆうちゃん。何かあったの?」

 今ごろそれを訊くのか二人とも。

 今さらな二人にこういう奴らだと分かっていながらも脱力してしまう。まぁ、さっきから全然力が入ってないわけだけど。

 私は突っ伏したまま顔だけ上げて説明してやることにした。

「朝食を摂り損ねたのよ」

「ええ? どんな状況でも必ず三食バッチシ人並み以上に摂るゆーちゃんが!?」

「やめてほしいわね……真白は今日傘を持ってきてないんだから」

 このヤロウ……。

「しかたないでしょ。色々あったんだから」

「ふぅ〜ん。ねね、まーちゃん、今日はなんか暑いね」

「そうねぇ琴乃。いやぁ朝から暑い暑い」

「……なによ」

 途端に仲良くニヤニヤと笑い出す琴乃と真白。暑いといいながら手を団扇みたく扇いでるのがなんかむかつく。

「しょーがないでしょ。起きたらなんでか私はベビードールとスキャンティーというありえない格好になってるし、朝から姉ちゃんはベタついてくるし、そんな姉ちゃんの要望に応えてたら時間がやばくなってるし、朝から全力疾走なんて拷問以外の何モノでもないわ……って、だから何でそんなにニヤついてるのよ!」

「だって……ゆうちゃんてすごい格好で寝るのね」

「そうね、けどすごい似合ってそう。それにしても春野姉妹は朝からもうラヴラヴなのね。やっぱりアレ? 登校は二人仲良くで、夕陽が手を引いて走ったの?」

「な!? 見てたの?」

「まさか。考えるまでも無くわかるわよ」

 さらっとクールに、むしろ冷たく言う真白。思わずぐぅ、などと唸ってしまう。琴乃はくすくすと笑ってるし。

 私はともかく、姉が妹である私をとても大事にしてくれていることをこの二人は知っている。別に私がわざわざ教えたのではなく、あの馬鹿姉は誰が見ていようが関係なく素で抱きついてくるわ手を繋いでくるわ、それだけならまだしも頬にちゅってしてきたり、結構大胆なコミュニケーションをとってくる。そりゃ教えなくてもわかるというものだろう。

 まぁ、中学に上がるまでそれくらいのことは普通なのだろうと考えていた私もどうかと思うが。


「で、なんで朝から全力疾走なんて馬鹿みたいなことしたの?」


 あうっ。

 私は上げていた顔を、ゴン、と机に打ち付け再び突っ伏した。

 そう。真白の言う通り全力疾走をしたことは本当に馬鹿みたいなことなのだ。

 だって、この時間の教室は朝練を終えた生徒たちも戻ってくるので結構賑やかで、私たちみたいに皆他愛も無いお喋りを繰り広げていたりいなかったりする。つまり、時間的余裕がそれくらい十二分にあるということだ。

 今の時間は八時をちょっとすぎたくらい。走るどころかのんびり歩いても良かったくらいだ。

 ちらり、と二人を窺うと琴乃は不思議そうに首を傾げており、真白は常の通りの眠たそうな半眼で私を見ていた。たぶんだけど、真白には大体の予想はついているのだろうと思われる。それでもこうして私自身の口から言わせようというのだから、性格が悪いとしか言いようが無い。絶対サディストだよコイツ。

 時間がくるまでこうして突っ伏して黙秘を貫いていたいが、多分無理だ。いつまでも黙っていたら、痺れを切らした琴乃は無邪気に、真白は悪意たっぷりに私が口を開くまで訊ねてくるに違いない。それだけならまだいい。真白は暇つぶしにあること無いことを言いそうな気がして怖い。それ以上にそれを純粋に信じそうな琴乃が余計に怖い。

 私は答えるしかない状況に泣きたくなった。だって、これから話すことはあまりにも馬鹿すぎるんだもの……。

 はぁ、と溜め息を吐いてから、顔は上げずに説明を開始する。渋々と。

「……家の時計がね、早くなってたの。壁掛け時計から電話、目覚まし、腕時計、家にある時計全部が」

 一、二、三……

「あはは〜ゆうちゃん抜けてる〜」

「いるのね〜そんな馬鹿みたいなことをしてのけるヤツ」

 私の予想通りな反応をしてくれる友達思いな二人。もおやだ……。

 私は無駄な疲労と空腹感と笑い者にされているという羞恥から、完全に机に沈んだ。

 お姉ちゃんのばかぁ……。


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