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第92話 許嫁と新学期前

「お邪魔しまーす」

「いらっしゃい」


 昼食を食べ終えた昼過ぎのこと。約束していた時間になれば、花森さんと修馬の2人が家までやって来た。



「相変わらず綺麗な部屋なこと」

「ここに住んでるのは俺と結愛の2人だけだし、掃除もちゃんとしてるからな」

「それもそうだけど、2人とも大して物欲もなさそうだしね。八幡くんは結愛ちゃんに頼まれたら何でもやりそうだし」

「莉音くんは言わなくても色々やってくれますよ」


 リビングへとやってきた2人は、辺りを見渡しながら声を発する。

 どちらもここの家に来るのは初めてではないので、前に来た時を思い出しながら周辺の物ヘと目を向けていた。


 それが済めば、いつもは余裕のあるリビングのテーブルの周りに集まって座る。

 ソファには結愛と花森さんが座り、床のカーペットの敷いてある場所に俺と修馬が腰を下ろした。



「そんなことはどうでもいいんだよ。今日は宿題しに来たんだろ?」

「宿題も目的の一つではあるけど、莉音と白咲さんの様子を観察しにも来た」

「なら帰れ。見せ物じゃない」

「ごめんごめん。そう怒るなよ」

「怒ってない」


 修馬は今日もいつもと同じように明るい笑みを浮かべながら、テーブルの上に宿題を広げるだけ広げた。

 提出が間に合うのかと心配になるのは、白紙の宿題プリントを見れば明らかだった。

 


「それはそうとしても、八幡くんと結愛ちゃんはもう宿題終わったんでしょ?」

「そうですね。私と莉音くんは一緒に勉強することもありますし、早い段階で終わらせてました。最近はお話することも多いですけど」


 花森さんも修馬と同じように宿題を広げてみせるが、シャーペンを握ることはなく隣に座る結愛と話を始める。


 その話は興味を示すものだったのか、修馬も横から入り込んだ。



「それ凄いよな」

「別に普通だろ。そもそも宿題自体は春休み前から渡されていたわけだし、俺と結愛は春休み始まる時にはほとんど終わってたぞ」

「はいはい、優秀組と一緒にすんな」


 今日は俺と結愛はすでに宿題は終わらせていたので、残り2人の手伝いをするわけだが、別に特別優秀というわけではない。


 結愛はともかく、俺は多分毎日自分で決めた量をこなしているだけだ。

 それでも春休み前には大方終わっていたが。



「私、飲み物出しますけどお茶で大丈夫ですか?」


 2人が家に来てから少し経ち、結愛がハッとした表情を浮かべた。

 俺もすっかり忘れていたが、飲み物を用意するのは人を家に招き入れる時の基本だろう。


 修馬と花森さんが差し入れでお菓子やジュースを買ってきてくれたが、一応は今は宿題をしに来ているので、それはもうしばらくしてからの方が良さそうだ。


 ソファに座っていた結愛はすぐさま立ち上がり、小走りでキッチンへと向かっていった。



「私は何でもいいよー」

「俺はお茶がいい」

「………図々しいな」

「客人だからな」

「客人だからね」


 何故か誇らしげに胸を張っている2人を見ながらも、結愛が戻ってくるのを待つ。


 いつもの癖で結愛は俺とお揃いのカップを持ってきたが、修馬と花森さんがそれを指摘しなかった。

 まるで分かっているのに敢えて口にはせずにニヤニヤと視線を送ってくるのだから、いっそ言葉で指摘して欲しかった。



「そういえば、私達ももうすぐ2年生かぁ」

「早いよなぁ」

「そうですね」


 結愛が持ってきてくれたお茶を飲み、一間置いたら、花森さんがそう切り出した。

 本当に宿題をする気があるのかとツッコみたくなったが、今は胸の奥に押さえ込む。



「入学する前は、まさか莉音くんとこんな関係になるとは思ってませんでした」

「こんな関係って……別に許嫁兼友達は変じゃないと思うが」

「変ではないけど、そんな関係の人は少ないよな」

「そりゃそうだろ」


 もうすぐ2年生になるからか、話は一年生の頃の思い出話のようになる。

 主に俺と結愛の話だ。

 修馬の言う通り、俺と結愛のような関係の人はほとんどいないだろう。そもそも許嫁という関係が珍しいのだから、そうなるのも無理はない。



「私は莉音くんだけでなく、美鈴さんや霧中さんとも話せるようになって本当に良かったと思ってます」


 俺の視界の中にいる、ソファに座っている可憐な少女は、そんなセリフを少し恥じらいを混ぜながら言った。


 そんな純粋な心情を表に出されては、意識せずとも表情が緩む。

 花森さんと修馬もそれは言うまでもなく、見たら簡単に分かるくらいには、ゆるゆるな顔付きをしていた。



「俺らも良かったよ。何より莉音が明るくなったし。白咲さんには感謝してる」

「私も結愛ちゃんと仲良くなれて嬉しかった」

「お二人とも……」


 2人の言葉を聞き、それだけで結愛が泣きそうなほど嬉しそうなのは、過去の事を思えば当然だろう。

 繊細な年頃の女の子が、今になってやっと過去の呪縛から解き放たれたのだから、自分のことを思ってくれる友達が出来て嬉しいに決まっている。



「まあ花森さんに関しては最初ストーカーっぽかったし、仲良くなれて本当に良かったと思うわ」

「八幡くん、結構引きずるね」

「一生忘れることはない」

「まあ今こうして仲良くしてくれるので、私はストーカーされても良かったです」


 今はさておき、一昔前の花森さんは俺への当たりがキツかった。

 それも結愛のためだと思えばすぐに水に流せるし、実際流したのだが、記憶から消すことは難しそうだ。


 結愛はそんなストーカー行為に等しいことをしていた花森さんにすら感謝を述べようとするのだから、少し心配になる。

 花森さんが良いストーカーだったから良かったものの、タチの悪い下心しかない人達もたくさんいるんだと。



「結愛、将来騙されるなよ?」

「な、何故ですか!」

「そうならないように莉音が見守るんだろ?」

「そうなんでしょ!許嫁くん!」


 俺が心配になって結愛に注意を促せば、またも2人がニヤニヤしていた。

 さっきは言葉で指摘して欲しいと思ったが、やはり言葉で指摘されるのも駄目だ。どちらも大した変わらない。


 でも2人の言う通り、確かに俺が側で支えるべきなのだろう。許嫁ということは将来も約束されているわけだから、近くで見守らないことには意味がない。


 意識はしているつもりだが、俺にはまだその自覚が足りなかった。

 


「…………あのな、言っとくけど、許嫁イジリをするのはお前ら2人だけだぞ」

「そりゃ俺ら2人しか知らないからな」

「ぐっ、確かに」


 嫌味で言った発言だが、俺と結愛の関係を知っているのはこの2人だけなので、向こうからすれば俺がただ事実を述べただけになる。



「私だって別にイジリたいわけじゃないよ?ただ八幡くんが結愛ちゃんのことをあんまりにも友達って認識してるから、つい」

「…………つまり性的な目で見ろと?」

「君の中には異性に対して友情と性欲しかないのかな?」

「いや、それは……」


 俺の今の発言は、結愛に対して失礼だろう。

別にそんなつもりはないのだが、こうも改めて言語化にしろと言われると、中々言葉が詰まる。



「もっと何かないの?それ以外で」

「それ以外……」


 異性に対して抱く欲求といえば、友情と性欲はもちろんのことだが、他にもあるというのか。

 相手のことを心配して気遣うのはある意味保護欲的な物なのかもしれないが、保護欲と言うには違う気がした。


 最近胸の中に良く浮かんでくる、相手のことを想い、ずっと側にいて守りたいという、独占欲的な何か……。



「もう美鈴さん!駄目ですよ、莉音くんを困らせたら!!」

「そんなつもりはないんだけどな〜」

「白咲さん、少しはこの男も悪いぞ」

「それはその通りなんですけど、、、」

「おい、味方じゃないのかよ」

「誰がですか」

「結愛が」

「味方なわけないでしょう」


 俺のこと思考を遮るように、結愛の言葉が耳に入った。相変わらず澄んでいる、綺麗な声が。

 だからてっきり俺のことを擁護してくれるのかと思ったが、残念なことにそうではないらしい。


 むしろ3人の中で1番鋭い眼光を放っているくらいなので、冗談を言っているわけでもなさそうだった。



「まあ何はともあれ、次は同じクラスになれたらいいね。4人とも」

「そうですね。そうなったら凄く嬉しいです」

「莉音もその方が嬉しいだろ。白咲さんと同じの方が」

「…………まあ」

「珍しく素直だこと」

「うっせ」


 花森さんの言葉で話題は変わり、来年のクラス替えの話になる。今同じクラスなのは俺と修馬だけで、結愛と花守さんは全然違うクラスだ。


 それでも4人で集まって遊ぶくらいなので、同じクラスになりたいとは思うはずだ。


 結愛がこの中で誰よりもそう思っていると感じたのは、花森さんの発言に何度も何度も頭を上下にしているのを見れば、誰でも分かる。

 綺麗なロングヘアー黒髪は、結愛の心情を表すように宙を舞っていた。



「てかいい加減早く宿題してくれ。そのために来たんだろ?」

「はいはい。そうしますよー」

「八幡くん優しくない〜」

「私は、少し棘のある莉音くんも良いと思います」

「…………そんな所を褒めないでくれ」


 いつもは2人しかいないリビングに4人の声を響かせながらも、もうすぐ訪れるクラス替えというものに、少なからず俺も待ち遠しく感じていた。

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