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第87話 女の子は好きな人の誕生日のために頑張りたがり

「莉音くんお帰りなさい」

「ただいま」


 修馬と昼ご飯食べてから家に戻ってくれば、玄関の扉が開く音でも聞こえたのか、結愛は颯爽と駆け寄ってきた。


 昼を食べてきたとは言っても、そこから出掛けたり一応誕生日なのでプレゼントを貰ったりしたので、帰り着いたのは夕暮れ時だった。



「荷物預かります」

「自分で部屋に持っていくからいいよ」

「駄目です。莉音くんはさっさとお風呂にでも入ってきてください」

「俺今日はまだ筋トレもしてないし、汗もそんなにかいてないから大丈夫」


 結愛は俺を誕生日だからと気遣ってくれているようで、その動きからはいつも以上に必死さが感じ取れる。


 

「筋トレなんて今日くらい休んでもいいでしょう。別に1日休んだからってそう大きく変わりませんよ」

「変わる変わる。それに自分のためにやってるんだから全然苦じゃない」

「莉音くんからしたらそうなのかも知れないですが、今日は駄目です。早くお風呂入ってきてください」


 何をそんなにムキになるのか、結愛の顔はただただ真剣で、悪びれた様子も悪巧みをしている様子も微塵も見られなかった。



「…………通れないんですけど?」

「莉音くんがお風呂入るって言うまで、通しません」


 ひとまずリビングに行って気を落ち着かせようとするが、結愛は目の前に立ち塞がって両手を広げ、俺の通り道を無くした。


 通ろうと思えば通れるのだが、道の真ん中に立たれては少々強引な突破になってしまう。

 結愛は、俺ならそんな人とぶつかりそうな所を通らないと予想しているのだろうが、全くのその通りだからタチが悪い。


 体格差のある俺と結愛じゃ、多少ぶつかるだけでも向こうには衝撃が響くだろうから、俺の足は動かせない。



「はぁ…………。分かった分かった。お風呂にも入りますし、今日は筋トレもしません。それで満足か?」

「大満足です」


 半ば強制的に言わされたような感じではあるが、結果としては俺が折れた。結愛は俺にリビングに来て欲しくない理由があるようだし、そもそも善意で行動してくれているのだから嫌な気にならない。


 俺の言葉を聞いた結愛は、ホッと息を吐きながら、上げていた両手を下ろした。



「お湯を張ってあるので、ゆっくり入ってくださいね」

「そうさせてもらうわ」

「ちなみに今日の夕飯はお鍋にする予定ですが、それでいいですか?」

「俺は鍋好きだしいいぞ」


 俺がお風呂に入る準備をしようと体の向きを変えれば、結愛の声は自分の背中越しに聞こえてくる。



「私、誕生日に食べる料理とか経験がないので、2人で楽しめるのにしたんですけど、」

「結愛も楽しめるなら本望だわ」


 まあ俺と結愛は似てないようで似た境遇で育ってきたので、結愛の発言に共感できる点はある。

 なのでどちらも楽しめて幸せになれる鍋というチョイスは、今日という日にはぴったりの良い選択なのではないかと思った。



「…………もう、莉音くんはすぐそういうことを言う」

「ん?何が?」

「何でもないです。早くお風呂に入ってきてくださいっ!」

「了解」


 ほんの一瞬、ムゥと言いたげな顔をしながらも瞳を輝かした結愛だが、すぐに自分のやるべきことを思い出して、冷静さを取り戻した。


 その会話を済ませれば、俺は結愛と話した通りお風呂へと向かう。しかし、結局着替えを取りに行かないといけないので、最終的には一度自分の部屋に戻ることになった。



「良い湯だった。ありがと」

「それは良かったです」


 お風呂から上がり、荷物も片付けてしばらくしてからリビングに足を運べば、エプロンをしてキッチンに立っている結愛と目が合った。


 料理の時はいつもポニーテールにしている結愛だが、今日はツインテールになっており、あどけなさや愛嬌がより増していた。


 俺が帰ってきた時はまだ髪を下ろしたままだったので、料理を始めたのはその後のことだろう。おそらくその前にも簡単な準備だけは終わらせていたのだろうけど。

 


「それ、似合ってる」

「あ、これですか……。なんかヘアゴムを間違えて二個取ってたみたいのでツインテールにしてみたんですけど、ちょっとあざといですかね?」

「そんなことない、、、可愛いと思う」

「な、なら……たまにはツインテールもしてみます」


 ツインテールなんてものを見せる機会はそうそうないが、やはり華のある少女がやると似合うし、可憐さがある。

 結愛は結愛でツインテールになれないのか、どこかソワソワしていて、それが一層可愛らしく見えた。



「もうご飯にしましょうか」

「お腹空いたしな」

「私もです」


 そんな結愛を見つめていれば、鍋の用意はすぐに出来た。

 結愛には鍋敷きをテーブルの上に置いてもらい、鍋自体は俺が運ぶ。2人前とはいえ、女子が持つには十分に重いはずだ。


 ましてそれを細い結愛が持つなんて黙って見過ごせるわけもなく、暑そうなものや重そうなものは俺が運んだ。



「もつ鍋か」

「はい。前に美鈴さんの家にお泊まりに行った時に食べさせてもらったんですけど、結構美味しくて」

「確かに美味いよな。あんま食べたことないけど」

「1人だとまず作る機会のないものですしね」


 運んでいる最中にも気付いてきたが、念の為にテーブルに置いてからそう言った。

 結愛とは一度だけ鍋を食べたことがあるが、その時は豆腐鍋だった。


 そして今回はもつ鍋と、何とも食欲をそそられる。



「もつだけだと途中から飽きそうなので、豚バラも入れておきました」

「聞いただけでよだれが出そう」

「ティッシュいりますか?」

「いや冗談」

「ふふ。知ってます」


 結愛はエプロンを脱ぎ、結んでいた髪を解きながらテーブルへと近づく。悪戯っぽく笑みを浮かべて、椅子に腰を下ろした。



「私も一度しか食べたことがないので味は不安ですけど、そこは大目に見てください」

「大目に見るもなにも、一生懸命作った手料理に美味しくないなんてことはないから。てか匂いだけで美味いのは分かる」


 部屋の中には鍋の匂いが広がっており、それだけですでに食欲を掻き立てられていた。

 結愛は出来を気にしているようだが、俺はそこまでそれにこだわってはいない。


 家に帰ってきた時に結愛が言ったように、2人が楽しめて幸せになれるのなら、それだけでとても美味しいと言えるはずなのだ。


 心配そうにこちらを見つめる結愛と共に「いただきます」と声に出して箸を取り、別皿に食べれるだけの量を入れてから口に運ぶ。



「やばっ!めっちゃ美味いぞ!」

「そ、そうですか……。良かったです」


 それを口にしたら、ほぼ反射的に声に出ていた。野菜やニンニクなんかの出汁が良く出たスープが口の中に広がり、そこにもつの柔らかい食感が訪れる。


 白米とお茶を流せばそれはリセットされ、何度でも口の中に至福がやってくる。



「莉音くんは相変わらず美味しそうに食べてくれますね。見てるこっちが幸せになりますよ」

「そんな魅惑的な能力はない」

「感じ方は人それぞれですので」

「その言い方はずるいな」

「莉音くん、女の子はずるい生き物なのです」


 俺が感動して荒くならない程度に勢いよく食べていれば、結愛は微笑んで、まるで自分が食べているかのような笑みでこっちを見てくる。


 それが本当に幸せそうで、俺からの指摘なんて気にしなさそうな緩み具合だから、こっちまで気分が癒される。



「結愛、何それ」

「お肉です」

「いや何故それを俺に向けている」

「これは他のお肉とは違うんです」

「もつでも豚バラでもないと?」

「はい」


 夕食を食べ始めてからほんの少しの時間が経過すれば、結愛はどこからどう見てももつであろう肉を、俺に見せてきた。


 一体何を企んでいるのか、腕を伸ばしてそのまま俺の口に入れそうな雰囲気である。もちろん俺か結愛のどちらかが前屈みにならないと届かないが。



「食べます?」

「…………食べる」

「では、あーん」

「ん」


 腰を浮かし、前屈みになったのは結愛で、優しい表情で俺の顔を見ながら、さらに腕を伸ばした。

 俺は口を開けて、ただひたすらに待つ。



「どうでしたか?」

「…………一緒じゃねぇか」

「そんなの見て分かったでしょう」

「ぐっ……」


 結愛の箸に挟まれた物を口に含んで噛めば、それはやはりもつだった。

 可笑しそうに笑う結愛は、俺を揶揄う気だったらしい。まんまと引っかかった自分が恥ずかしいが、不思議と嫌な気には一切ならなかった。



「ただあーんってしたかっただけだろ」

「そうです」

「そうなのかよ」

「どうでした?美味しかったですか?」

「そりゃ、当然」


 顔いっぱいに大きく笑顔を広げる結愛を正面から視界に入れながらも、残る夕食を2人でゆったりと食べるのだった。

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