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第68話 男の体と許嫁

「…………暑い」


 あっという間に2月も終わり、早くも3月を迎えようとしていたある日、俺はそう声を出しながら風呂から上がった。


 俺は基本的に毎日お湯に浸かるものの、長湯が得意なわけではない。なのでいつもよりも長い時間湯船に浸かっていれば、僅かにのぼせた。


 自分で立って浴室から出れたので、そこまで大したことではないのだが、鏡に映る自分の顔は赤く茹でっていた。


 俺が長くお湯に浸かったのにそこまで大きな理由はなく、ただ結愛との関係性やらを考えていたら、いつの間にか長湯してしまったのだ。


 濡れた体をバスタオルで拭きながらも、用意していた着替えに手を伸ばした。



(…………服を着ないで、このままでもいいか)


 そんな結愛への気遣いに欠けた行動に出ようと思ったのは、暑さで正常な判断が出来なかったからでろう。


 下には下着とスウェットのパンツを履いているが、上半身には何も身につけていなかった。


 まあ今日は結愛が先にお風呂に入っていたので、リビングで順番を待っているわけでもない。お風呂の時は先に入った方がお湯を張り直すというルールもあるが、結愛が先に入っているのでそれも今は関係ない。


 俺が後からお風呂に入る時は、結愛はいつも先に部屋に戻っているので、リビングにもいないはずだ。


 そう思って、俺は上半身に空気を肌で感じながらも、リビングに向かった。



「り、莉音くん!?何で裸なんですか!?」


 だが、結愛はこの日は珍しくリビングに残ったままだった。上半身に衣服を一切着用していない俺と目を合わせたら、高い声を上げる。


 両目を丸くして視線の行き場を無くした結愛は、一瞬で頬を染めてから、ぷいっと横を向いた。



「いや、長湯してたら暑くて少しのぼせて……。なんで横を向いてんの」

「だ、だって、、男の人の体とかあんまり見た事ないですし……」


 結愛は話す時も横を向いたままで、背けた顔を元に戻そうとはしなかった。



「男の体なんて、見た事なくてもそこまで恥ずかしがる必要ないだろ」

「感じ方は人それぞれ違うと思います!……逆に莉音くんは何でそんなに堂々としてるんですか!?恥ずかしくないんですさ?」


 多くの男にモテる結愛の事だから、てっきりそういうのにも慣れているのかと思ったが、男の上裸に対する免疫はないらしい。


 まあ異性の上半身なんて付き合ったりしない限りは見る機会なんてないので、結愛に耐性が備わっていないのも納得がいく。

 基本的に初心で純心な結愛なので、むしろ耐性がある方がおかしい。


 暖房の効いた部屋では俺の体温が下がる事はなく、未だに暑いまま結愛の言葉に返事をした。



「結愛が俺よりも恥ずかしそうな顔をしてるから、あんまり恥ずかしいと思わない。てかそれ以上に暑い」


 俺だって、結愛に体を見られることに何の躊躇いもないわけではない。一応それなりの羞恥心はあるし、見られた時は驚いた。


 だがそれも一瞬のことで、俺よりも恥ずかしそうにしている結愛を見れば、俺から羞恥心は消えた。



「う、うぅ……」


 結愛は大きな瞳を隠し、瞼で力一杯に視界を閉ざす。余程慣れていないのか、結愛は男心をくすぐるような、甘い肉声を溢す。



「そこまて恥ずかしそうにするなら服着るけど、そんなに嫌か?」


 結愛が嫌だとか関係なく、どのみち流石にそろそろ服を着ようと思っていたので、そう言葉を発してから結愛に質問をする。


 結愛は顔を正面に向け、瞳を閉じてからコクリと数回頷く。



「嫌ですよ。目のやり場に困ります」

「目のやり場に困るようなものなんて、俺の体にはついていないけど?」

「そうかもしれないですけど、私とは違った男の人の体付きに緊張するというか、その……」


 それでも、瞳を開けて未だに服を着ていない俺の顔を見て話す結愛は、ちょっとずつ勢いを落としていく。



「も、もういい加減早く服を着てくださいよ……」


 そう限界そうに正面を向いたまま再び瞳を閉じる結愛の姿に、俺は思わずドキリとした。

 白い肌に赤い頬、繊細な顔立ちに綺麗な髪。それらが一気に俺の視界に押し寄せてきて、俺は頷くことしか出来なかった。



「分かった着る」


 きっと何か行動せずにはいられなかったのだろう。


 自分が平然とした表情を保つために、無理にでも体を動かさないと胸の高鳴りが外に聞こえてしまいそうだったから。



「…………お風呂上がりの莉音くんは露出狂なんですね。」


 服を着たら、ようやくいつもの落ち着いた表情に戻った結愛が、疲れた顔をして言葉を吐き出した。



「誤解を招くような言い方はやめてくれ。ただ暑かっただけだ」

「それはすみません。でも誤解をするような人はここにはいないので」

「そうだけどよ」


 2人きりの家では、確かに誤解する人なんていない。だが結愛のその言い回しに、妙な独占欲を抱いた。



「じゃあ俺は部屋に戻るから」


 これ以上はあらぬ感情を抱いてしまいそうなので、部屋に戻ろうと足を踏み出す。

 


「莉音くん、ちょっと待ってください」


 一歩二歩と進んだ所で、結愛の声が俺の動きを静止した。



「結愛、どうした」

「莉音くんドライヤーしないで髪を濡らしたまま寝るつもりですか?」

「そのつもり。だって暑いから」


 俺のまだ濡れた髪を見た結愛は、怪訝そうな顔をして今にも溜息をつきそうだった。



「駄目ですよ。そんな事してたら風邪引きます」

「ちゃんと拭いたからいいだろ」

「そういう気の緩みは良くないと思います」

「…………すみません」


 まあそれに関しては俺に非しかなく、結愛は純粋に心配してくれただけだった。なので自分自身の非を認めつつも謝罪を行う。



 だけども、もうドライヤーを今からやる気力はなかった。



「はぁ……。仕方ないので私がドライヤーしてあげますよ。今もまだ暑いならうちわで扇いでていいので」


 結愛は呆れたような口調でそう言って、ドライヤーをかけてあげると洗面所にドライヤーを取りに行った。


 溜息も溢していた結愛だが、その表情には柔かさがあった。俺の面倒臭がりな一面に母性でもわいたのか、別に嫌そうな雰囲気はない。


 洗面所に向かって歩き始めた結愛は、立ち止まって振り向いた。



「暖房の効いた部屋で暑いのかもしれないですけど、逃げないでちゃんとソファに座って待っててくださいね?」

「…………はい」


 それだけ言い残して穏やかに笑みを浮かべる結愛に、逆らえるはずもなかった。


〜結愛ちゃんと莉音くんの家でのルール〜


2人はお風呂の時、自分が入った後にいつもお湯を張り直しています。


まあ同棲始めた当時の2人は初対面みたいなものなので、張り直すのも当然ですね。いくら何でも知らない人の残り湯は気が引けるでしょうし。


ちなみにお湯の張り直しを始めたのは莉音くんです。そういう些細な気遣いに、結愛ちゃんも心開いたのかもですね。


莉音くんはシャワーの日もあります。


今でも張り直しているのは、その時からの習慣です。


なのでまあ、そのうちね……。

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