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第62話 許嫁の包容力

「おはようございます」

「おはよう」


 次の日の朝、目が覚めてリビングに向かえば、すでに朝食の準備を終えた結愛が待っていた。 


 最近ではアラームなしでも起きれると思っていたが、今日はいつもよりも1時間ほど遅くに起きた。


 だからか、結愛はソファに座り、料理雑誌をペラペラとめくっていた。



「莉音くん、なんだか顔色悪くないですか?」


 俺がリビングに来たのを確認すれば、結愛は雑誌を閉じて立ち上がる。


 ダイニングテーブルに朝食を用意しようとキッチンへと向かい出した結愛は、俺との距離が近づいた瞬間に足を止めた。



「…………絶対体調悪いですよね?」

「いや、体調はいつもと変わらないけどな」

「でも少し寝坊してましたし、自覚がないだけで体は疲れてるのかもしれませんよ?」

「大丈夫だって」


 体がだるいとか体が熱いとか、そんな症状は一切なく、体調的には昨日までと何も変わらない。

 ただ唯一違うとすれば、少々眠たいくらいか。


 何故か昨日は中々寝付けなかったので、今にまで眠気を引きずっていた。



「…………何やってんだ?」

「莉音くん熱あるかもしれないので、私が確認します」


 結愛は俺の目の前でぴょんぴょんと跳ね、腕を伸ばしておでこに触れようとしてくる。

 伸ばした手はおでこに当たりはするものの、当たっただけですぐに落下してしまうので、熱を確認することは出来なかった。


 それでも結愛は必死に飛んでいるのだから、止めてだなんて言えるわけがない。まあ思ってもいないのだが。



「届かないなら、しゃがめばいいか?」

「…………お気遣い感謝します」


 飛び疲れて一度休憩を挟んだ結愛に、俺はそう言ってしゃがみ込む。

 今までは上から見ていた結愛の顔が、正面で向き合って目と目があった。

 


「おでこは熱くないですね」

「だから言ってるだろ。何もないから」


 しゃがんだ俺の額に触れた結愛は「おかしいな」とでも言いたげな顔で不思議がっていた。



「でも熱があるかどうかは……」

「じゃあ体温計使うか」

「なっ、最初からそう言ってくださいよ」

「誰かさんが頑張って飛んでたから、言い出せなかった」


 結愛はちょっぴりと恥じらいを見せ、クローゼットの中に入れておいた医療箱から、体温計を取り出す。  


 テクテクと両手で体温計を持ちながら、再び俺の元へと戻ってきた。



「熱もないですね」

「そりゃ体調悪くないしな」

「食欲はありますか?」

「全然ある」


 熱なんてこれっぽっちもある気がしないのだが、結愛が真剣な眼差しで見てくるので、断り切れずに体温計で熱を測る。


 結果は明らかで、平熱中の平熱だった。


 食欲に関してはむしろいつもよりも増しているくらいで、お腹はぺこぺこだった。



「じゃあ、とりあえずご飯食べます?」

「そうするわ」


 何にせよ、今の現状では俺の体調の悪さを証明するのもはなく、結愛は顔に心配そうな様子を表しながらキッチンに立つ。


 早々から用意されていた朝食にはラップがされており、それを暖めてから、ダイニングテーブルに運んだ。



「どうです?食べ終わってみて、何か変化ありましたか?」


 いつもよりも遅い時間に朝食を食べ始めて、これまでと変わらないペースでご飯を口に運ぶ。

 一人前をしっかりと食べ終えているので余裕で体調は無事なのだが、結愛はそれでも不安げな顔をしていた。


 ご飯を食べ終えてからもそれは同じで、ソファに座れば、無言の眼差しを向けられた。



「莉音くん、答えてください」


 俺が口を開かずに黙秘を貫こうとしたら、結愛は強い意志を込めた瞳で言葉を発する。どうやら逃げ去ることは出来なさそうだった。



「…………何も。でも、強いていうなら眠い」

「眠い、ですか?」


 そんな事を打ち明けた所で何が変わるわけでもないのだが、それ以外に言う事もない。

 

 結愛とは違って、自分はずっと過去から逃げてきたと頭の中で何度も感じてしまい、それが原因で眠れなかったというのは、墓地まで持っていく。


 俺からの言葉を聞いた結愛は、手を腿の上に添えて、そっと呟いた。



「…………それなら、どうぞ」

「は?」

  

 結愛の突然の発言に、俺の脳は正しく対処しきれなかった。

 まだ薄らと眠気も残っているのだ。きちんと頭が回っているはずがない。

 そう思わないと、あり得るはずがないだろう。


 結愛が膝枕をしようと、こちらを覗き込んでいるなんて。俺からお願いするのではなく、自分から腿を差し出すなんて。


 ほんのりと頬に熱を集めている結愛の表情からは、とてもじゃないが、嘘をついているようには見えなかった。

 


「結愛、何言って……」

「眠たいのなら、私の腿で寝ていいですよ?」


 夢だと思って再度確認すれば、結愛は腿をぽんと叩いて膝枕をアピールする。

 

 純粋で無垢な顔が俺の顔を覗き込み、唾を飲み込む。


 生足ではないにしろ、ロングスカートを履いた結愛の腿が視界に映ったので、俺は目線を逸らした。

 


「莉音くんが私に話していない事があるのは知っています。色々とあったのも分かります。でもそれを無理に聞き出すのは良くないですから、せめて少しでも力になりたいんです」


 俺が居心地を悪そうにしているのを見たら、結愛はそれを包み込むように暖かい瞳を向けた。

 その瞳には、普段の結愛から感じる子供のようなあどけなさではなく、全てを見ていてくれるような、人肌の温かさすら感じた。



「莉音くんがそうしてくれたように、私もそうします」


 くしゃりと柔らかく崩した表情に、ああ結愛は変わったんだと、そう認識させられた。


 これまでは中途半端な踏ん切りをつけていた結愛だが、ちゃんと過去と向き合って、新しい道を進み始めていた。


 そして俺はその道を見ていることしか出来ない。だから結愛にも、見ているとしか言う事が出来なかった。


 それが結愛にとって一番大きな助けになったというのは、莉音自身に自覚はない。



「…………結愛は、何で俺が隠してることあるって分かったんだ?」


 俺は結愛に自分の話をした記憶があまりない。記憶もなければ、ずっと自分の話をするのを避けてきた。


 だって怖かった。話した事で結愛からの見る目が変わるのではと、そう思ったから。



「莉音くんだって、私の本心に気付いたでしょう?私も同じです。話さなくても分かることだって、たくさんありますよ?」


 結愛と過ごす毎日で、俺が話さないでいた事は少しずつと伝わっていた。

 まあそれも当然と言えば当然と言えるか。


 俺でさえ結愛の気持ちがほんのちょっとだけ分かったのだ。優しい心を持った結愛が気付かないはずがない。



「なので莉音くんも、もっと私を頼ってくれていいんですよ?胸の中に自分の気持ちを隠していたのは、莉音くんも同じですよね?」


 認めて貰える気がした。許してもらえる気がした。


 今だけは自分の感情に素直になっても、誰も責めてこないようなそんな気が。

 むしろそうするべきだと思うほどには、俺の心は誰かからの助けを求めていたのかもしれない。



「…………少しだけ、俺も結愛に頼っていいか?」

「いいですよ。莉音くんがしてくれたように、私もそっと見守っておきます」


 結愛はゆっくりと頷き、俺の頭を腿に乗せた。柔らかくしっかりとした感触が後頭部に伝われば、すぐに俺の瞼は閉じていく。



「莉音くん、おやすみなさい」


 心地よい声色に、眠りをさそうような優しい声。それが囁くように耳を通れば、俺の意識はゆっくりと暗闇の中へと消えていった。

いやー、やっと本作のタイトルを始められそうです。



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