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第40話 許嫁と初詣

「人、たくさんいますね」

「そりゃ多いだろうな」


 朝食を食べ終えた俺と結愛は、約束していた通りに初詣に行った。今はまだ神社へと向かっている際中なのだが、もうすでに凄い人の数が集まっていた。


 俺達が向かったのはこの辺りでも大きな神社だったので、人が集まるのも無理はない。家を出た時間はそこまで遅くないのだが、それでも中々先には進まなかった。



「もう少し早く出るべきでしたね」

「いや多分そこまで変わらないと思うけどな」


 おそらく、今よりも早く出たからといって、何かが変わるわけではないだろう。人混みを避けるのなら、朝方よりも夕方の日が暮れそうな時にでも行くべきだ。

 まあ暗すぎて何も見えないので、面白みは欠けるかもしれない。



「結愛、ちゃんと前を見とかないとはぐれるぞ?」

「…………すみません」


 行列の中を掻い潜り、少しずつ神社の方へと近づけば、結愛はすれ違って過ぎゆく人達を目で追っていた。



「結愛も着物とか着たかったのか?」

「へ?」


 周りを見渡し、楽しそうにはしゃいでいる人達を観察している結愛からは、そんな気配が感じられた。

 確かに周りを見てみれば、着物を着ている人が多く目立っている。初詣といえば、そういうのもあるのだろう。

 

 家族でいる人も、友達といる人も、皆んなが明るい顔をして着物を着ていた。


 俺は全然羨ましいとか思ってもいないのだが、女の子からすれば話は違ってくる。

 常にオシャレをして、自分を綺麗に着飾りたいのが女の子というものだろう。


 それだけでなく、結愛は友達と一緒に行くのが初めてと言っていたので、憧れもあったのかもしれない。あんな風に可愛い着物を着て、楽しく回ってみたいと。


 結愛の今の格好も普通にお洒落で人目を集めるが、それでも着てみたいという気持ちは抑えられないはずだ。


 少し寂しげのある瞳からは、そんな雰囲気を感じさせられた。



「私は別に、そういうの興味ないですし……」


 隣を歩く結愛は、自分で言っててしょぼんと落ち込んだ様子を見せる。



「結愛は着物とか持ってないのか?」

「…………持ってないですよ。わざわざ買う機会もないですし」

「だよな」


 これまで友人と一度も初詣に行ったことのない結愛が着物なんて持っているはずもなく、ましてや家族からも買ってもらえるわけがない。

 買おうと思えば買えたのだろうが、行く人もいないのに買うだけ買うなんて、余計に虚しさを覚えるだけだ。



「だったら、今からでも借りに行くか?」

「今から、ですか?」

「うん」


 結愛は耳を疑ったかのように驚いた顔をして、俺の方を振り向く。



「最近では割と安くで借りられるみたいじゃん?これを機に買うってのもありだけど、流石に勿体ないし」


 俺は結愛が望むなら、借りに行くのもありだと思った。どうせこの人混みを抜けるなら、お互いに満足したい。


 なので待つだけ待って実はちょっと後悔していたと思うくらいなら、今からでも借りに行った方が良いと思うのだ。



「でも、莉音くんにはこれ以上わがまま言えないですよ」


 初詣に行きたいと最初に言ったのは結愛なので、またわがままを重ねるのは気が引けるらしい。

 俺が良いと言って提案しているのだから頷いても良いと思うのだが、今まで本音を隠してきていた分、素直に甘えるのが怖いのかもしれない。



「着物、本当は着たいだろ?」

「…………着たいか着たくないかで言えば、着てみたいです」


 それでもちょっとずつ感情を表に出すようになってきて、そこは素直に認めた。



「ずっと、一度でいいからそういうのを着てみたいと思ってました……」


 やはり結愛はそういうのに憧れを抱いていたようで、俺に打ち明けたのが恥ずかしかったのか、顔を背けた。



「着たいなら着るべきだと思うし、そこで自分の気持ちを抑えなくていいと思うけどな」

「…………そう言ってくれると嬉しいです」


 俺が結愛の気持ちを尊重した言葉を発すれば、背けていた顔は再び俺の方を向いて、和らげに微笑んでいる姿が映った。



「とりあえず店も見えてきたし、休憩がてらに甘酒でも買うか?」

「…………そうします」


 結愛が着物を借りるか借りないかはひとまず置いておくとして、せっかく店が見えてきたので、休憩の意味も込めて甘酒を買うことにした。

 それを飲んで落ち着けば、結愛も自分のしたいことが見えてくるだろう。



「私、甘酒を飲むの初めてです」

「結愛は初めてのことが多いな」


 甘酒を売っている所に行こうと歩き始めたら、結愛はそう言って俺のことを見上げる。

 結愛はほとんどのことが初めてだった。それもそのはずで、小さい頃に母が離れてから、父にもろくに親らしい事はされず、ずっと一人で過ごしてきたのだ。


 そのせいで、結愛は未経験のものが歳の割に多かった。



「ほとんど莉音くんのおかげですよ?そのおかげで色んなことが出来ました」

「俺はなんもしてないから」


 結愛は俺と過ごすようになってから、それなりに挑戦したと言える。数ヶ月という日に対しては少ないかもだが、それでもこれまでに比べたら凄いスピードで新たな物に触れてきた。


 なんて思うのは自意識過剰すぎるが、結愛の成長ぶりには隣で見ている俺からすれば目を疑う。



「これからも、お願いしますね」

「俺に出来る範囲ならな」


 やはり新年というのは去年のことを振り返り、それを思い出として語りたくなる。そういう雰囲気だし、それが何だか心地良かった。



「俺も結愛には色々貰ったしな」


 甘酒売り場までもう少しという所で話をしていたが、俺の発言に結愛からの返答は急に途絶えた。



「…………結愛?」


 変わらずの人混みのなかで、俺は浮かれて少し歩くのが早かったのかもしれない。隣を気にしつつも甘酒売り場まで歩いていたつもりだが、隣にいたはずの結愛の姿が消えた。



「莉音くん……!」


 すぐに後ろを振り返って探してみるが、小柄な結愛では人混みの中では目立ち難い。声だけは聞こえてくるものの、肝心の姿は見当たらなかった。


 唯一の聞こえる声の行方を頼りにしながらも、人の多い神社の中を彷徨う。

 後ろに戻る度に肩がぶつかり、その都度謝りながら結愛を探す。


 黒髪のロングヘアーが俺の視界に入るのは、そこから時間が掛かった。



「本当にすみません……」

「見つかったから良かった」


 その後、ただひたすらに後ろを追いかけていれば、結愛とは無事に遭遇することが出来た。なので最悪の事態は防げたが、場所はスタート地点に戻っていた。


 先程までは甘酒の店が見えていたが、今は人で隠れてどこにあるのかすら分からない。後ろにまだ人がいるところを見るに、最後尾まで来たわけではなさそうだが、それでもかなり後ろにまで戻っていた。



「…………じゃあ着物を借りに行くか」

「え?」


 気を取り直して結愛にそう言えば、俺の言葉に対して聞き返すような声を出す。



「だってほとんど入り口に戻ってきたし、もう借りに行けって事なんじゃないのか?」

「そうなんですかね」

「結愛は着たいんだろ?」

「…………はい」


 俺がまた確認をすれば、結愛はちょこんと縮こまって首を上下に振る。それがモジモジとした小動物みたいだと思いながらも、口に出さずに胸にしまう。



「だったら神様の気まぐれとでも思えばいい。そう思った方が楽だろ?てかそう思わないとやってられない」

「ふふ。そうですね」


 結愛も着物を借りに行く気になってくれたようで、俺と目をしっかりと合わせてから優しく微笑む。

 ただでさえ人目をひく容姿をしている結愛だが、この時の笑みはその場にいる誰よりも美しいと言えた。


 面と向き合ってその笑顔を直視してしまったので、自分自身の頬に熱が昇っているのを感じる。



「…………莉音くん」

「何だ?」


 そんな俺に追い討ちをかけるように、色付いた結愛がそっと手を伸ばす。



「またはぐれちゃうかもしれないので、服、掴んでもいいですか?」


 ほんのりと赤くなった頬に、拒否することを許さない反則級の破壊力を持った上目遣い。断られるかもしれないと緊張して自分の服をぎゅっと握る仕草。


 そんなのを見せられては、許可するほかに選択肢がない。



「…………そうだな。はぐれられたら困るし、しっかり掴んでてくれ」


 俺が許可を出すと、結愛はゆっくりと近づいてきて距離を縮める。結愛が掴んだのは服の袖の部分で、手と手が触れそうな位置である。


 意識しているからか、触れていないのに体温が伝わり、居た堪れない気持ちになる。



「今度はいなくならないでくれよ。…………探すの大変なんだから」

「はい。気を付けます」


 着物のレンタルショップに行こうと歩き出せば、袖を掴んだ結愛の手は俺の手に当たる。

 まだ年明の一月の始まりだというのに、お互いの手は温かかった。

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