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第36話 許嫁と年明け

「ご飯、用意出来てますよ……?」


 俺が扉を開けて玄関に入れば、瞳を合わせた結愛はそう言う。



「あぁ知ってる。それを食べに来た」

「…………私も知ってます。なので待ってました」


 ニコッと柔らかな笑みを浮かべた結愛は、安心したような顔付きで俺を見つめる。



「…………料理、頑張ったんだな」

「そうですね。こういうのあまり自分では言いたくないですけど、結構頑張りました」



 俺が指の事を指摘すれば、結愛は絆創膏を貼った指を隠すように握って、謎の上目遣いをしてくる。「俺がいないのに指とか切ったらどうするんだ」そう注意したくなったが、辞めた。


 今はそんな空気感じゃないし、頑張った人に対して褒め言葉よりも先に注意をするなんて、気が引ける。



「よく頑張ったな……」

「…………はい」


 俺はそう言って、結愛の頭を撫でる。結愛がそうして欲しそうな顔をしていたし、今も猫のようにぐしゃりと幸せそうな顔をしている。


 結愛はこういうことをしてもらった事があまりないから、他人に褒められて撫でられるのが好きなのかもしれない。



「私、莉音くんしか友達いないのに、勝手にいなくならないでくださいよ」

「ごめん……」


 結愛は下を向いて悲しげなトーンで言葉を発し、俺の服の裾を掴む。その瞳には若干潤いがあった。



「連絡もちゃんと返してください。心配したんですよ?何かあったんじゃないかって……」

「本当にごめん。結愛のメッセージ見てから急いでてたから、連絡遅くなった」

「無断で何日も家に帰って来ないし、莉音くんも私に愛想尽かしたのかと思いました」

「そんなわけないだろ」


 結愛が俺がいなくなった事を悲しんでくれた理由の1つとして、自分はまた見捨てられたのかもしれないと、そう思ったからなのかもしれない。


 だが違う。結愛に助けられていたのは俺の方だ。大切な友達に愛想尽かしたりはしない。



「俺だって、もう挨拶のない家庭は嫌だ」


 もうあそこの家なんてうんざりだ。誰も自分のことを見てくれないし、誰も自分に興味を持ってくれない。



「莉音くん、ご飯食べましょう?時間は遅いですけど、私もまだ食べていないので」

「まだ食べてないのか?」

「友達をおいて食べれるわけないでしょう?」

「…………そうだよな」


 本当に心が温まる。ただご飯を食べるだけなのに、全然違う。



「今用意しますので、席に座っていてください」


 いつまでも玄関で立ち話なんて、普通は大晦日の日にやる事ではない。結愛は俺に背を向けて、キッチンへと向かう。



「俺も手伝う」

「駄目です。今日は私が莉音くんを見返す日なんです。そう約束したので」

「なら待っとくよ……」

「待っててください」


 どうやら結愛もその約束を覚えてくれていたらしい。当然といえば当然か。今日だって、そのために俺に連絡をしてきたのだろうから。



「まあ今日も今日とて失敗したんですけどね……」


 元々皿には盛り付けてあったので、それを軽く電子レンジで温めれば、すぐに用意は終わった。この日の夕食は、この前に結愛と一緒に作った、炒飯だった。


 写真を送られてきていたので、知ってはいたが。



(相変わらず不恰好だな……)


 この前よりかは形も色も良くなっているが、それでもまだ不恰好と言える。それなのに、何故か美味しそうに見えた。


 出来は昨日までの俺の料理の方が良いのだが、それでもとても食欲をそそられた。



「…………食べてみてください」

「いただきます」


 テーブルの上に置かれたスプーンを手に持ち、レンジで温められた炒飯をすくって口まで運ぶ。



(冷た……)


 多分俺が帰ってくるまでの間は冷蔵庫で保存していたのだろう。二つ同時にレンジ入れては、まだ完全に温まりきっておらず、所々に冷たさが残っていた。


 それなのに、温かかった。暖かくないのに、温かい。それでいて、とても美味しかった。



「美味い……、、美味いなぁ」


 味付けも見た目も何もかも、養親の元で作った俺の料理の方が優れている。でもこっちの方が美味しかった。


 決して経験や技術では身に付かない調味料(感情)があるからこそ、どんな料理よりも美味しく感じた。



「莉音くん!?」

「なんだよ」

「いえ、その、、泣くほど美味しかったですか?」


 気がつけば俺の瞳からは雫が溢れており、対面で見つめる結愛は戸惑いを露わにした。



「…………塩加減が足りないから、足しただけだ。別に泣いたわけじゃない。まあ美味しいは美味しいけどな」

「良かったです……」


 息を吐いて安堵して見せる結愛は、俺がガツガツと貪るように食べているのをみれば、自分自身もスプーンを持つ。



「…………冷たいんですけど」

「確かにちょっと冷たかったな」

「莉音くん、私に気遣ってまた嘘ついたんですか?」

「嘘をついたつもりはないし、またと言われても心当たりはない」


 前にも見た光景もまた繰り返し、その平和さに心落ち着く。



「もしかして、今涙を流したのも不味かったからですか?」

「そんなわけないだろ。冷たいと言えば冷たいけど、味も何もかも前よりは悪くない」


 たった数日なのに、結愛の料理スキルは見事に上達していた。結愛は努力型なので、成長するまでに時間は掛かるものの、そこからの成長の伸びが凄まじい。


 今回は一つの料理に絞っていたのか上達も早く、料理越しにも努力の形跡が伝わってきた。



「それなら良いんですけど……」

「頑張ったの伝わったぞ」

「…………はい」


 結愛は褒められるのに弱いようで、俺が少し褒めれば、分かりやすく表情をとろりと崩した。



「莉音くんはご飯食べ終わったらお風呂入ってくださいね」

「そうさせてもらうわ」

「私はその後に入りますので」


 温かな雰囲気で迎えた食事も終わり、年明けまでの時間も残り僅かとなった。結愛も俺をずっと待っていたようで、まだお風呂には入っていないらしい。


 2人がお風呂に入り、どちらも上がった頃には年明け少し前のちょうど良い時間になっているだろう。もうそんな時間だ。結愛はそんな時間までご飯を食べずに待っていてくれたのだから、本当に感謝しかない。


 申し訳なさを感じる半分、嬉しさも感じた。



「なあ結愛、」

「何ですか?」

「…………嫌なら断ってくれていいんだが、風呂から上がったら年明けまでダラダラと話さないか?」


 別にこれに深い意味はない。ただ感謝を述べたいだけし、数日ぶりとなれば積もる話もあるだろう。年明けにはそんな会話がピッタリだ。



「良いですよ。私も、年明けくらいは誰かと過ごしたいですし」

「じゃあ決まりだな」

「はい」


 結愛は俺の提案を静かに頷いて受け入れて、そして少し微笑む。

 こういう何気ないやり取りが出来るのを、ここ数日の俺はずっと望んでいた。



「今上がりました……」


 そうして俺、結愛の順でお風呂に入り、それなりの時間が経った頃に、結愛が上がってきた。お風呂上がりの妙な色香に、ほんのりと上気した頬が、何とも言えない気まずさを演出する。



「結愛、そういう服持ってたんだな」

「えぇ、むしろ前まではこういうのを好んで着ていました」


 お風呂上がりの結愛の服装は、世に言うネグリジェというもので、フリフリとした白のロングワンピースが、結愛の魅力を底上げしていた。


 人形のように繊細で整った顔立ちをしている結愛がそんな格好をして、似合わないはずがない。可愛いお嬢様という印象が、俺の腑を駆け回るようにしてダメージを与えてきた。


 ここに来てからあまり着なくなったというのは、おそらく俺がいたからだろう。基本的に肌の露出を抑える服装をしている結愛は、そういう面での防御もしっかりしていた。


 だからこそゆったりとした女の子らしい格好は避けてきたのだろう。


 しかし、こうして可愛らしい寝巻きを着て姿を現したということは、俺のことを信用してくれたと捉えても良いのかもしれない。


 男としては、少し複雑な気分になるのだが。



「その、似合ってると思うぞ」

「あ、ありがとうございます」


 ただでさえ清楚感のある結愛のオーラが、今は倍になって伝わってくる。それでいてお風呂上がりの赤く染まった表情が、あどけなさと共に攻撃力を増す。



「今年は莉音くんにたくさんお世話になりました」

「俺だって、結愛には結構お世話になったよ」


 結愛がソファ付近にやって来れば、俺は何を気にする事もなく結愛の話に耳を貸す。



「初めてのことも、懐かしいことも、嬉しいことも、たくさんありました」


 これまで通り、ソファに腰掛けた俺の横に結愛も座り、特に変わった様子もない顔色で俺の事を見てくる。


 お風呂上がりのふんわりと纏う良い匂いが、隣に座る俺の鼻を掠める。



「全部莉音くんがくれたんです。感謝してもしきれません」

「それは俺もだよ」

「莉音くんも、ですか?」


 やけに色っぽさのある結愛の表情を視界に入れつつも、きちんと感謝は述べるべきだ。1人浮かれている頭を落ち着かせながらも、深呼吸して口を開く。



「結愛から温かい環境や生活、それらを貰った。俺はそれが何よりも嬉しかった」


 今この時は、俺は素直に感謝を口にした。目の前に魅惑的な女の子がいる事なんて忘れて、自分の思っている事を正直に伝えた。



「そんなのあげたつもりないんですけど」

「ふーん。目的もなくプレゼントをあげたら駄目なんじゃないのか?」

「…………同時に莉音くんに性格悪い一面がある事も知れました」

「そりゃ良かった」


 結愛に前に言われた言葉を、今度は俺が使って返す。やっぱり物体じゃない気持ちのプレゼントは、送った本人は気づかないらしい。


 俺も結愛から言われて自覚はなかったが、結愛も俺から言われて自覚はないようだった。



「来年は私が恩を返す番です」

「俺だってきちんと返すぞ」

「私はその分も返します」


 そんな終わりのないやり取りを繰り返しながらも、一緒に年明けまでのカウントダウンを過ごす。


  

「莉音くん、今年もお疲れ様でした。来年もよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく頼む」


 スマホの画面には3つの0の文字が並び、日付の変更を知らしてくる。年明け直前にそう言葉を交わしたら、お互いに窓の外を見る。


 結愛から貰ったもの、結愛の出会った当初からの変わり具合。それら全てを胸の中に押し込んで、年明けを迎えるのだった。

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