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第18話 許嫁と勉強

「八幡さん、こんな所で何してるんですか?」


 俺が熱を出した日から月日は流れ、この日は次の試験に向けてリビングで勉強をしていた。俺が自分の部屋じゃなく、リビングで勉強をしている理由は特にない。


 もう少しで夕食を作る時間になりそうだったから、それまでリビングで時間を潰そうとしただけだった。


 これまで結愛がリビングで勉強している所は見たことないし、俺もしたことがない。だから鉢合わせることもないのかと思ったが、この日はたまたま遭遇した。



「何って勉強だけど……。もうすぐ夕食の時間だから、それまでの時間潰しに」

「なるほど。でも部屋に戻っても良さそうですけどね」

「部屋に戻ったら時間にルーズになるだろ。だから夕食前くらいはここでやろうかなと」

「そういうことですか。確かに自室だと時間にルーズになりますね」


 俺の今の状況に結愛も納得したようで、首を頷かせていた。



「来週からは期末テストだし、もう補習受けたくないからさ。今回の補習は最長で冬休みまで伸びるかもだから、避けたい」

「どうりで熱心なわけですね」

「そゆこと」


 結愛との会話を済ませれば、俺は止まっていた筆を再び動かし始める。今回の英語のテストは前回のものよりも難しい範囲なので、ここを重点的に行わなければいけない。


 冬休みに何か用事があるわけではないが、休みの日にまでわざわざ学校には行きたくない。

 2年生からは冬季補習というテストの成績に関係なく補習が始まるので、一年目くらいはゆったりと過ごしたいのだ。



「隣、失礼しますね」

「…………は?」


 引き続き教科書や問題集を読み始めれば、横からそんな声が聞こえてくる。そしてふんわりと良い匂いが鼻を掠めて、ソファに体重を乗せた。



「何してんの?」

「何って、勉強ですけど?」

「それは分かるけど」


 話し終えた後、結愛はてっきり部屋に戻ったのだと思ったが違った。いつの間に持ってきたのか、手には参考書なんかを持っていて、机の上に広げ始めている。



「…………何でここでしてんの?」

「嫌でしたか?」

「嫌ではないけど、これまでここでやったことないだろ?」

「経験がなかったらやったらダメなんですか?」

「その聞き方やめてくれ」


 ソファに姿勢良く座る結愛は、俺の方に顔を向けて不思議そうに首を傾げる。結愛がここで勉強したからといって咎めるつもりはないし、俺1人がどうこう決めれる問題ではない。

 

 しかし、まさか隣に来るとは思いもしなかった。前はノートを貸してくれただけで隣で勉強するなんてことはしなかった。もしかしたら、結愛の中で俺の認識が変わったのかもしれない。

 八幡莉音は安全な人間だと。



「…………英語、分からない所があったらいつでも聞いて良いですからね?今は隣にいるので、」


 そしてすぐに結愛が隣に来た理由も分かった。普通に考えて、何の理由もなく隣に来るはずがないのだ。本当、不器用なのに真っ直ぐな優しさだ。



「それが目的か」

「何の事ですか?」

「そこでとぼけるのか。…………でもまあ助かるわ」

「良かったです」


 そこで2人正面に体を向き直し、教材と睨めっこを開始する。学校でもトップレベルで頭の良い結愛の指導は、つい悔しさを感じてしまうほどに分かりやすいものだった。



「そろそろ夕食作るわ」


 2人がソファに座って勉強をしてから、1時間くらい経った。不思議と時間の経過は早く、勉強することを苦と感じる瞬間は来なかった。

 元々習慣化しつつあるので苦と思ったことはないが、今はむしろ楽しいと感じそうな程だった。


 それは多分、解ける問題が増えたからだろう。学校の授業なんかは板書だけで精一杯なので、先生の解説まで聞き入れる余裕がない。

 得意な教科なら解説を聞くのを優先するが、苦手な教科は復習するために板書を優先してしまう。


 そのせいでいつも分からない箇所が数個あるのだが、今回は結愛が一つ一つ丁寧に教えてくれたので、頭の中の空白が埋まった。



「いつもありがとうございます。ご飯用意してくれて」

「美味しいって言われるのは嬉しいから気にしなくていい。なんなら朝も作りたいくらい」

「朝までお願いするのはちょっと……」


 俺がキッチンに立って夕食を用意し始めれば、結愛はソファに座ったまま言葉を返してくれる。流石の結愛も1時間も集中してやれば疲労は感じるようで、今はペンを置いていた。



「朝は何食べてんの?」

「私はパンと野菜ですね。当然ですけど自分で用意は出来ないです」

「栄養的には及第点といった所か」


 朝は一緒に食べていないので結愛の朝食は謎に包まれていたが、ここで明らかになる。結愛が料理が出来ないのは知っていたので、そんな所だろうと思っていた。


 まあパンとは別に野菜も食べているなら、夕食とのバランスも合わせてそれなりの食生活とは言えるだろう。



「八幡さん、自分で料理出来るの凄いですよね」


 料理が出来ない人間からすれば、料理が出来る人間は凄いという捉えられ方になるらしい。



「別にそうでもないだろ。誰も作る人がいないから自分で作っただけだし」

「そうなんですか……」


 俺が料理をするようになった理由を述べれば、キッチンに背を向けて座る結愛からは、同情するような悲しい色が浮かんできた。



「まあ料理は慣れだから、白咲さんもやれば出来ると思うよ。俺よりも器用で要領良さそうだし」

「え、器用かどうかはさておいても、私要領は結構悪いですよ」

「うそ?」

「本当ですよ」


 俺が参考にもならないアドバイスを送れば、結愛は衝撃的な発言をした。



「元々、勉強も全然出来ませんでしたし」


 突然のカミングアウトに、一瞬手の動きを止めてしまった。なんせ学年のトップを争う成績の持ち主だ。

 そんな結愛が勉強出来なかったと言えば、そりゃ驚く。



「今は出来てるじゃん」

「今はそうでも昔はダメでした。なので、身につくまでたくさんやりました……」

「そうなのか」


 今も顔は見えてないが、何となくどんな顔をしているのか分かる気がした。だってこれまでも似たような表情を見たことがあったから。

 そして同時に納得もした。結愛が勉強を教えるのが上手かった理由も。


 今の話を聞く限り、結愛は天才型ではなく努力型なのだろう。勉強は苦手でも小さい頃から基礎をしっかりと固めておけば後々役に立つ。

 基本的な思考力や読解力が身につくし、いずれは公式の応用なんかにも対処出来るから。


 人一倍量を重ねたからこそ、何をどうすればやれば理解出来るのか、それが分かるのだ。自分がどうすれば理解出来るのか、結愛はそれを感覚でなくて量で導いたからこそ、人に教えるのも上手いはずだ。



「…………そうするしかなかったというか、勉強が出来るようになったらいつかは、って思ってたので……」


 その言葉には、結愛の願望が込められているような気がした。そして必死に努力した意志も。何を望んでいたのかは知るはずもないが、その苦労は計り知れないのだろう。



「すみません。こんな話、するつもりじゃなかったんですけど、、」

「謝らなくていい。…………逃げずにやった事なんだから、誇るべきだと思う」


 俺は素直に結愛を尊敬した。だって料理とは比にならないくらいに凄いから。



(…………俺は逃げたけど、白咲さんは逃げずに戦ったのか。)


 俺は夢も決まらず、やりたいこともない。引き取り先の養親に認められようともせず、言う事を聞いてきた。


 でも結愛は自分の望みのために、必死に勉強をしたのだ。ただその場凌ぎの俺とは訳が違う。



「じゃ、じゃあ八幡さんも勉強で誇れるようになるまでは、私が見てあげますよ。…………とは言っても、八幡さん英語以外はかなり高いですけどね」


 結愛はそう言って、またペンを持ち始めた。キッチンから見える結愛のちょこんと出た耳は、赤くなっていた。



「まあ、頼むわ。ご飯食べ終わってからも、、」


 俺も少しだけ料理を作るペースを早めながら、結愛に言葉を放つ。これまで抑えてきた、少しだけ欲張った自分の欲求を。



「はいっ!」


 俺の言葉を耳に通した結愛からは、さっきまでの悲しい雰囲気は消え、声色すらも明るくなっていた。


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