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男に手を引かれながら入って来た姉を一瞥したカーティスは羽衣子を見て首を傾げた。
「似ていないな」
「よく言われます」
しかめっ面で男を睨みつける姉はとんでもなく汚い言葉で男を罵っている。いくら異世界でこの場にいる人たちといずれは二度と会えなくなるとしても、かなり汚い言葉の連発である。言われている男の方は気にせずどれも流しているが。
そして羽衣子と目が合った瞬間、男の手をふりはらった姉は駆けて来た勢いを殺さずに抱き付いてきて、そのまま羽衣子ごと倒れようとしたところを支えた兄にもまとめて抱擁のための腕が伸びた。
「よかった! 無事? ケガない? 体調崩してない? 酷い目にあってない?」
「お姉ちゃぁぁあんっ!」
兄の時にはなかった再会のあつい抱擁。そして泣きながらの無事の確認。こんなに心配してくれていたなんて! 姉なら大丈夫だろうとちょっと心配を怠った罪悪感を消すためにこちらからも必死で抱きしめた。
兄は姉の質問に淡々と答えている。
「やだ、あんたちょっと痩せたんじゃないの? ちゃんと食べてたの? もー! 羽衣子ちゃんは泥だらけじゃない。女の子なのに! 誰、うちの子にこんな無茶させたのは!」
ぎゅうぎゅう抱きしめて来る姉は良い匂いがしてお姫様のようなドレスを着ている。
つらい。髪の毛キシキシで男物の服を着て泥だらけの状態で姉の傍にいるのはつらい。
「ま、よかったわ。あとは英衣と合流して帰ろ。帰り方はわかんないけど、なんとかなるでしょ。来れたのに帰れないってことはないだろうし」
「言うと思った! だからまだ兄弟に会わせたくなかったんだ! 君はそんなにあっさり俺を捨てて行くのか?」
綺麗な顔をした男が無様に姉の足元に縋っている。
「……彼氏?」
「違う! 違うからね、羽衣子ちゃん。権力のあるストーカーみたいなもんだからね? 美味しいご飯を食べさせてくれて洋服用意してくれたストーカーみたいな」
兄が抱きしめてくる姉の腕をそっとはなした。
「貢がせるだけ貢がせてストーカー呼ばわりは駄目だろう。姉貴ももう子供じゃないんだ。そのあたりのけじめはつけないといけない」
「違う! 違うからね、あたし悪くないから。だってほとんど監禁生活なんだもん。呪いだか魔法だかでここから出られないんだもん! それで食事も出さない服も用意しないじゃ、お話になんないでしょうよ! 出ていけるんだったらこんなストーカー野郎とはさっさとおさらばしてるんだから!」
監禁生活……。思い出される性格に難のある二人の青年との出会い。最初は軟禁するとか言われていたなあ、と懐かしむ。実際こうして外に出られるし、ゆるゆるなので簡単に逃げられるような拘束だ。
姉が兄に気を取られている間に、カーティスに呼ばれて羽衣子は一端そちらへ向かう。
「何が、『惚れますよ』だ。激しすぎるぞ、お前の姉」
「でも綺麗でしょ」
「普通だな」
「あれ。目腐ってます?」
おそらく積極的な女性や距離感の近い人間が苦手そうなジョシュアは姉から距離をとった位置で首を縦にふる。
「城に仕える女性は大抵美しいですからね。幼い頃から周囲に美しい女性しかいなかった彼の感覚はおかしいかもしれません」
「じゃあカーティスさんに不細工と言われている私は一般的な基準としてはまあまあいけているってことですかね」
「綺麗の基準が高いだけで不細工の基準がずれているわけではありませんよ。私から見てもウイコはさほど愛らしくありません」
「よく本人に面と向かって言えますよね、そういうこと」
羽衣子の手を引っ張って姉からどんどん離れているカーティスは顔を顰める。
「ああいう声のでかい女は苦手だ」
確信した。姉とカーティスが口論になっても勝つのは確実にうちの姉。
「普通の男の人の反応としてはアレが定番なんですけどね」
姉の姿を見るなり目の色を変えたアリステアを指さす。いつの間にか兄の隣に行って自己紹介や口説きを始めたアラサーを姉は一切無視。
膝をついて姉の腰に抱き付き色々言っている黒髪の男も一切無視。兄と言い争いしている。
「ユーキッド伯爵はあの色ボケを形だけでも勘当して正解だったな。いい年をして見苦しい」
「ああいうがっついている人って案外結婚できませんよね」
ふと、周囲を見回す。
敵意や殺意をむき出しにしていた魔族たちの空気が、一気に間の抜けたものになった。光を失った目で部屋の中央にいる姉を見つめている。よくよく見てみると姉というより姉にすがりつく黒ずくめの男を見つめている。
「魔王はいつ来るんですかね」
予想していることが当たらなければいいと願いつつカーティスに訊ねる。
「もう来ている」
カーティスが指を差すのは姉の足元に座り込んでいる、外見だけなら綺麗な男。
やっぱりそうですよね、と周囲の魔族の落ち込んだ雰囲気を感じながら俯く。当たってしまった。まさかこれが魔族の王様。もともとこんな人だったのか、姉のおかげでこうなったのか。後者でないことを祈るばかりだ。
「大丈夫なんですか、王様がああいう人でも」
「最後に会った時は大丈夫そうだったんだがな」
「会ったことがあるんですね」
「一応建前として魔族と人間は不可侵条約を結んでいたからな。我が国は人間の国で最大だ。俺の父が、実質人間全体の長ということになっている。ゆくゆくは俺がその立場の予定だったからな。魔王と顔を合わせないわけにもいかない」
前はもっと落ち着いて威厳のある男だった、というカーティスの言葉を聞かなかったことにしたい。あの女が来てから陛下は……という魔族のヒソヒソ話しも全力で聞かなかったことにしたい。
「話ができる相手なんですか?」
「最後に会った時は話のできる人物だったんだがな」
できるかなあ。最後に会った時と変わっちゃったんじゃないかなあ。腑抜けという言葉がぴったりのザマだ。何で変わったかなんて、羽衣子は知らないし、知りたくないし、自分の身内が関わっているなんて疑いたくない。
魔王と落ち着いた対談ができる空気が出来上がるまでそれなりの時間が必要となった。
***
「随分と懐かしい顔だな」
姉の肩を抱きながらカーティスに向き直った魔王はうさんくさい威厳を放ってどすのきいた声で言った。
とりあえず姉には、大事な話があるからちょっとだけその人との傍にいてその人を落ち着かせて! とお願いをしたが、渋い顔をして魔王の手をつねっている。
「君は五年前に死んだと記憶しているが」
「魔王陛下ともあろうお方が、知らないはずはありますまい。薄々でも察していらっしゃったのではありませんか?」
ぷすすっ、と口に手をあて笑う。
この人、敬語が使えたのか。
「痛い!」
羽衣子が笑った理由がわかったかは不明だが、自分が笑われたことは察したようなカーティスはマントの片面をバサリと後ろに流しついでに羽衣子の顔に叩きつけた。
「そちらは我々魔族と争うことを望んでいるようだ。勇者まで召喚しようとは」
「魔王陛下におかれましては、失礼ながら、随分と浅はかなお方になられたものです」
違った。敬語は使えても言っている内容は変わらず上から目線の失礼なものだ。やはり他人に敬意をはらうのが苦手なんだろう。
「それが人間総体の望みとお思いか。賢しい一部の者の挑発に乗って自らが治める種族を危険にさらすおつもりならば、貴方は王にふさわしくない」
「一度しくじった者が、実に面白い」
お互いが喧嘩腰で部屋には緊張感があるはずなのに、羽衣子の目はどうしても機嫌が急降下している姉に向いてしまって一緒に緊張することができない。
ついでに、地味に打たれ弱いカーティスのしくじった過去をむしかえそうとする魔王に対して緊張よりも焦りが先行する。
「死んだ王子が俺を測ろうというのか。君の方こそ俺を挑発に乗せようとしている。ここで俺が君を殺そうとするならば、君は即座に俺への要求を諦めるつもりだろう。聞く耳を持たない脅威を傍に置くほど君は馬鹿な人間ではなかった。俺の力があった方がいいのであって、俺の力がなくてはいけないわけではない。大方、自分を殺した王家への復讐の手助けでも求めに来たか」
当たらずとも遠からずのことを言う魔王に心の中で拍手を送る。しかし王家への復讐でないことと、もう一つ肝心なことを魔王は間違えている。ここに来た一番の目的はあってもなくてもいい魔王の力だけが目当てではない。そこにいる姉の奪還が、少なくとも兄と羽衣子の一番の目的であるからさっさと返してもらいたい。
「君の言う通り、皆が戦いを望んでいるわけではないだろう。……だが、召喚された勇者に過半数の人間が期待をかけ、戦争に乗り気になっているのも事実だ」
魔王の言葉に、なんだか弟のせいだと言われている気分になって眉間に皺をよせる。うちの弟は勝手に連れて来られただけなのに。自分や姉や兄も。
「勇者がいなければ戦争に乗り気でなくなる人がいるの? 勇者がいるのが問題だって、あんたは言いたいわけ?」
黙って魔王の手をつねっていた姉が、我慢ならないと声をあげる。
「馬鹿みたい。じゃあ、あたしたちが英衣と帰れば一件落着じゃない。それで勇者はいなくなるんだから。ここにいる連中でどうにかあたしたちを返せばいいでしょ。特にあんた魔王なんだから、あたしたちを元の場所、時間に戻すくらいできるでしょ」
つねられて真っ赤になった手をさする魔王はものすごい勢いで首を横にふる。
「それは不可能だ。勇者は人間側にとって大切な切り札だ。厳重に守られているだろう。簡単には接触できない。そして俺の后になるからにはリーコも返せない」
「ならないって言ってるでしょ。返せない、じゃないの。返すの。帰らせろ」
勇者と簡単に接触できないというのは羽衣子も初耳だ。確認のためにカーティスに視線を送ると、一度合った目はすぐに逸らされた。
兄弟全員が揃えばすぐに帰れると思っていた。そんなにうまくもいかないらしい。
「聞いてないんですけど」
「悪かったとは思っている。そのうち話すつもりだった。姉の安否もわからないうちに弟のことで不安をあおればお前の精神的な疲労も増すと判断した」
申し訳なさそうにこちらに顔を向けたカーティスに、いやいやと首を横にふる。
「別に怒ってるわけじゃありませんよ。ちょっと考えればわかることですし積極的に隠されてたわけじゃないんだから。お心遣いには感謝してます。ただ魔王さんの話を咄嗟に受け入れられなくてカーティスさんに確認しようとしただけで」
接触がなかなかできなくても、勇者が大切に扱われていることに変わりはない。弟の安全は辛うじて保障されている。
「むしろ、そんな気遣いできたんですね、カーティスさん。人の脚を不快だと言うような人が精神状態の心配までしてくれていたなんて感激です」
「だからいつまで根に持って……、……失礼、話が逸れてしまった」
咳払いをして魔王の方を向きなおしたカーティスは一度深呼吸をして、本題に入る。
「王家への復讐というのは、少々違っています。魔王陛下、私が目指すのは、王政の立て直しと、魔族と人間の共存なのです」
魔王がにたりと、気味の悪い笑みを浮かべた。




