無に喰われる組織
議題は散会された——はずだった。
だが、誰も椅子を離れない。
立ち上がれば、この会議が意味を持たなかったと認めることになる。
それが、彼らにとって最も耐え難い敗北だった。
副学院長は、手元の羽根ペンを何度も回しながらつぶやく。
「……結局、我々は何もしなかったのか?」
学院長は答えない。
答えれば、**“何もできなかった”**という事実に名前が与えられる。
沈黙は最後の盾だ。
ユーフェミアは英雄ではない。
称賛を拒んだ救世主でも、制度に牙を剥いた反逆者でもない。
ただ——舞台に立たない者だ。
そして、舞台に立たない主役ほど恐ろしい存在はない。
悪は制度にとって歓迎すべき異物だ。
規則を強化し、道徳を語り、秩序の正当性を演出できる。
悪は燃料であり、逸脱は歯車を加速する。
だが「無」は違う。
何も否定しない。
何も破壊しない。
制度と接続しない。
それは、制度の回路がどこにも繋がらない状態を意味する。
歯車は軸を失い、全員が自分の役割を見失う。
生活指導部長は、机に置かれた校則集をぼんやり見つめる。
そこには罰則も、救済も、称賛も書かれている。
だが——**“息をしているだけの人間”**に対して何を適用すべきかは、どこにも書かれていない。
心理相談室長は目を閉じる。
相談室は苦悩のための部屋だ。
悩まない者がそこに来る理由はない。
存在は、彼の仕事を出発点から無効にする。
牧師は十字架を握ったまま呟く。
「救いは求める者にだけ届く。
彼女はどこにも手を伸ばしていない。」
その言葉は、祈りではなく諦観だった。
NPCは“悪”に強い。
悪役がいれば、彼らは法を語り、罰を与え、秩序を演出できる。
悪こそが、彼らを機能させるための舞台装置だ。
だが「無」には立ち向かえない。
そこには対話も処置も処罰も存在しない。
ただ、制度の外側に静かに座る少女がいるだけだ。
その恐怖は共有できない。
共有した瞬間、彼らは自分自身が物語の端役であることを認めることになる。
世界の中心は別にあり、そこに立つ者は立たないことを選ぶ人間なのだと。
時計の秒針だけが会議室に響いた。
NPCたちは動かない。
誰も口を開かず、誰も退出しない。
——組織は「無」に喰われていく。
崩壊の音すら立てずに。




