NPCの絶望:誰も敵になってくれない
会議室の空気は、窒素よりも重かった。
誰も視線を合わせない。
互いの瞳の奥に映るのは、反逆者でも救世主でもない——空白だった。
学園牧師が、胸の前で指を組んだ。
祈りというより、命乞いに近い囁きだった。
「……せめて、涙でも見せてくれれば。
我々は慰めることができるのに。」
慰める——それは彼らの役割の呼吸だった。
悲劇の子供に寄り添い、痛みを抱く者を抱きしめる。
彼らの存在価値は苦しむ者の存在によって保証される。
しかしユーフェミアは泣かない。
泣く理由がない。
誰かを責めもしないし、誰かに救いを乞うこともしない。
相談室長が、椅子の背に爪を立てるような声で言った。
「彼女には悲劇がない。
そして輝きもない。
英雄でも犠牲者でもない人間に、我々は手を伸ばせない。」
それは吐き捨てというより、惨敗の宣告だった。
救済は舞台上の役割だ。
降りた者を救う術を、誰も持っていない。
学院長の眼鏡の奥で、白い光が鈍く反射した。
それは怒りではなく、理解の拒絶だった。
彼らは教育制度の部品だ。
学生の成長に寄り添うための歯車だ。
問題児が現れれば矯正する。
秀才が現れれば称賛する。
泣く子がいれば抱きしめる。
叫ぶ子がいれば抑える。
だが——静かに息をしているだけの者には何もできない。
会議室の隅で誰かが、小さく咳をした。
その音に、全員の肩が跳ねた。
沈黙を破るのは恐怖だった。
敵意ではない。
敵すら存在しない世界の恐怖だった。
NPCとは、舞台上の役割のために生かされた存在。
“問題児”がいなければ生活指導部長はただの老いぼれで、
“悩める生徒”がいなければ相談室長はただの暇人で、
“迷える魂”がいなければ牧師はただの衣装を着た人間だ。
役割を与えられなかった瞬間——彼らはただのノイズになる。
ユーフェミアは何も奪っていない。
ただ舞台に立たなかっただけだ。
しかしその“無”は、彼らの世界の基盤を侵食し続ける。
歯車は空回りし、指令は宙に浮き、
彼ら自身の存在理由が、霧のように溶けていく。
誰も敵になってくれない——
それが、NPCにとって最も残酷な地獄だった。




