制度側の思考の限界
副学院長が、静かに咳払いをした。
それは議論の墓場に投げかける石のように、小さく、しかし確かに波紋を生む。
「せめて——」
慎重に言葉を選ぶ、まるで地雷原を渡るように。
「何らかの称賛を。**“匿名寄付の功績”**を公式に認定してはどうか。」
その提案は、最後の浮き輪のように見えた。
誰もがそれに縋りつき、沈みかけた制度の身体を水面に押し戻そうとした。
だが、人は浮力ではなく穴によって沈む。
「証拠がない。」
生活指導部長が目を伏せたまま言う。
机の木目がまるで裁判書類のように視界を支配していた。
「“善意の所有権”が分からない。
称賛は受け手を要求する。
誰に与えるのか分からない表彰は、制度上存在できない。」
副学院長の口が半開きのまま止まる。
反論も弁明もない。
必要なのは特定可能な主体——ただそれだけ。
しかし、ユーフェミアはそれを提示していない。
沈黙が会議室に再び落ちた。
それは不和でも怒りでもなく、思考の破綻を覆う雪だった。
この瞬間、彼らは理解する。
制度とは、善意の行為者を前提に動く機械だ。
寄付は寄付者がいて成立する。
称賛は受け手がいて成立する。
保証は依頼者がいて成立する。
行為だけが残り、行為者が消滅した場合——制度は停止する。
それは拒絶でも、脅威でも、敵対でもない。
ただ、配線がつながっていないだけだ。
スイッチを押しても、通電する回路が存在しない。
副学院長は指先を震わせた。
自らの言葉が瓦解する音を、鼓膜ではなく心臓で聞いていた。
ユーフェミアは制度を否定したのではない。
制度に挑んだのでもない。
制度と接続しなかっただけだ。
その無関心は行為の停止ではなく、制度の空転を引き起こした。
回転台の上に誰も立たなければ、舞台装置はただ吠える歯車になる。
シャンデリアの光は一点の主役を照らさず、無駄に反射を繰り返す。
NPCたちは悟った——
壊されたのではない。
置き去りにされたのだ。




