ユーフェミア ― “息をするだけの人間”
昼下がりの庭園。
王都学園の広大な芝は、まだ冬の匂いをかすかに抱えていた。
陽だまりの端には、ひとりの少女が腰を下ろしている。
ユーフェミア。
寄付の犯人である可能性が最も高い人物。
ただし、誰もそれを証明できない人物。
彼女は本を読んでいるわけでもなく、瞑想をしているわけでもない。
ただ、背筋を伸ばし、呼吸を整えていた。
胸が上下し、空気が肺に入り、また出ていく。
その反復だけが、庭園の風景の一部に溶け込んでいた。
――英雄譚の主役が、何もしない。
校舎の窓からは、視線がいくつも突き刺さる。
「告白は?」「弁明は?」「動機は?」
言葉にならない問いが、遠巻きの沈黙として彼女の周囲を囲む。
しかしユーフェミアは気付かない。
あるいは、気付いたうえで無視しているのかもしれない。
だがその態度には拒絶も挑発もない。
ただ、世界の重さを測らない人間の静けさがある。
「…何を考えているのだろう。」
木陰で立ち尽くす教師が呟く。
政治倫理を教えるその男でさえ、言語化の術を失っていた。
彼の教科書は、功績と報酬、悪行と罰という二項で世界を語る。
だがユーフェミアは、そのどちらにも該当しない。
善を生産しない。悪を否定しない。
ただ必要なことを終えて、生活している。
行為に解釈が付与されないまま完了しているという事実は、
教育者の神経を焼く毒のようだった。
学生たちは石畳の道に群れを作り、息を潜めて彼女を観察する。
英雄の孤独でもなく、殉教者の静寂でもない。
それは“舞台装置ではない人間”という異質な風景だった。
人は物語を必要とする。
目的、評価、称賛、失敗、成長。
そのいずれかを軸に、他者を理解したいのだ。
しかしユーフェミアにはそのどれもが欠けている。
彼女の存在は事件ではなく、生態だった。
振り返れば、孤児院に現れたときと同じだ。
毛布の話をし、説明を拒み、帰った。
それ以上の意味は、発酵しなかった。
「…怖いな。」
声にならない言葉を漏らしたのは、通りすぎた貴族の生徒だった。
彼は自分の発言を理解できていない。
ただ、背筋に走った寒気だけを頼りにそう言った。
物語から降りた者は恐ろしい。
なぜなら、舞台の外の人間は責任を持たないからだ。
そして、観客に視線を返さない。
観客は自分の拍手と涙が意味を持たない世界を想像し、震える。
舞台を成立させるのは演者ではなく、観客の期待だ。
ユーフェミアはその期待を丸ごと踏みつぶしているのではない。
ただ視界に入れなかっただけだ。
構造を揺らす者は、まず自分の役割を捨てる。
ユーフェミアは英雄である必要も、悪役である必要も放棄した。
“登場人物”である義務そのものを投げ捨て、
物語の外側で呼吸を続けている。
その瞬間、残された全員の台本が腐り始めた。
王子の演説も、新聞の記事も、慰めのイベントも、
評価も嫉妬も、喝采も同情も、
すべてが彼女に届く前に朽ちて落ちていく。
誰も声を上げられない。
観客席で喉を震わせた瞬間、彼らは悟ってしまうのだ。
自分のセリフは、物語の外では意味を持たない。
だから沈黙だけが、ユーフェミアの周囲に積もっていく。
雪のように、音もなく。
そして彼女はただ、それを踏まないように歩く。




