派閥の崩壊 ― “善を燃料にする仕組みの停止”
ユーフェミアの訪問からわずか数日後、帝都は奇妙な靴音を立てはじめた。誰も走っていないのに、通りの石畳がしきりに軋む。歯車が回る力を失い、空回りするような音だった。
まず最初に壊れたのは、数字だった。
寄付台帳は確かに埋まっていた。毛布も食料も孤児院に届いた。必要量は満たされている。ゆえに、誰も“上乗せ”という介入ができなかった。功績の可視化が不可能になると、人々は自分の名札を貼る場所を失った。
誰の功績でもない善は、誰の手柄にもならない。
続いて、社交界が崩れ始めた。
慈善パーティは、目的達成後の祝祭を前提としていた。寄付を募るためではない。寄付を“演出するため”の舞台――それが破綻した。参加者は着飾ってもよかったが、そこに展示する「役割」が抜け落ちていた。脚本のない演劇に俳優は存在できない。
招待状はまだ送られる。
だが返信は届かない。
返事がないのではなく、問いそのものが消滅したのだ。
恐怖は静かに回り始めた。
評判を獲得できなければ、貴族の家名はただの石像になる。崇拝も侮蔑も受けない存在ほど、恐ろしいものはない。
**“何もしていない”**という烙印は、人々を寝かせなかった。
深夜の応接室には火が絶えず、執事と主人が互いに責任を押し付け合った。
善を語る言葉は消え、残ったのは焦燥だけだった。
断絶は政治構造にも届いた。
後援者、媒介者、仲介者――
善意を加工し、利得に変換していたすべての人間が、一夜にして不要になった。
市場に流通するはずの善が姿を消せば、そこに従属する者たちもまた霧散する。
善意の網を張る蜘蛛たちは、突然網そのものを失って宙づりになった。
だが暴徒は現れなかった。革命の旗も掲げられなかった。
崩壊は炎ではなく、無風だった。
人々は理解した――遅すぎる形で。
ユーフェミアは悪役を拒否したのでも、英雄の座から降りたのでもない。
彼女はただ、必要な分だけの善を孤児院に投じた。
その一点が、善意を貨幣化する世界観を瓦解させたのだ。
誰も責められなかった。破壊者の姿がないからだ。
大火の後には灰がある。
だがこの崩壊には何の残骸もない。
ただ、人々が互いの顔を見失っただけだった。
最も恐ろしいのは――
ユーフェミアが何もしなかったことではない。
してはいけない余剰を、ただ行わなかった。
それだけで十分だった。




