象徴的な沈黙 ― 王子の不在が重力になる
議題は尽きた。
しかし誰も立ち上がらない。
議事録を閉じる音すら、まるで禁じられた鐘のようだった。
ふいに、誰かが呟いた。
「……王子殿下がいれば。」
わずかな希望を紡ぐ糸のようでありながら、
その言葉は聴衆の喉に引っかかってしまった小骨に過ぎなかった。
誰も続けない。
続けられない。
その名を呼ぶことは、
**“王子がすでに善を燃やす対象を失っている”**という事実に触れることだった。
若き英雄。
国が誇る救済者。
気高き心を演出し、剣より優しく人民を守る象徴――
そのすべては**「救われるべき誰か」**を中心に回る歯車だ。
被害者が存在して初めて回る歯車。
涙が燃料で、弱者が舞台装置で、観客の喝采が潤滑油。
今、その芯が消えた。
机の上には募金計画が散らばっている。
どれも「被害者の救済」を冠していたはずなのに、
紙の上の文字は意味を失った標識のように沈黙している。
寄付者の自己陶酔。
派閥の優越。
王家の広報戦略。
政治的得点。
メディア的注目。
全ては、王子の英雄譚という“太陽”の周囲を回る惑星だったのだ。
だが、太陽はもう燃えていない。
中心を失った惑星は軌道を外れ、互いに衝突しはじめる。
「善行」は自己満足を漂わせる粉塵となり、
華やかなシャンデリアの下でただ空転する。
巨大な広間に、耳鳴りのような沈黙が広がった。
それは無言ではない。
王子の不在が発する重力そのものだ。
誰ひとり声を上げないまま、
会議は終わった。
終わったのに、誰も退出しない。
彼らは理解したのだ。
慈善が舞台である限り、
被害者が舞台装置である限り、
英雄譚が崩れる瞬間に、社会は無音の奈落へ落下する。
その奈落へ落ちてゆく音――
それが、この沈黙だった。




