資金提供者の焦り ― “慈善の需要を創出しようとする”
ひときわ高価な革椅子に座る後援者たちは、沈黙のあと一斉にざわつき始めた。
慈善会議のはずが、空気はいつの間にか舞台監督たちの作戦会議へ転じている。
「あの脅迫者は下手だった。あれでは観客が湧かない。」
「別の圧力を与えればよい。彼女が耐えられない何かを。」
「恐怖か、屈辱か……いずれにせよ“涙の導火線”が必要だ。」
語られるのは救済ではない。
悲惨をどう生み出すかという、制作工程だ。
彼らはまるで演劇の演出家――いや、見世物小屋の興行主のようだった。
一人が帳簿を指で叩く。
「寄付は同情の燃料。その燃料がなければ火は起こせない。」
別の者が頷き、さらに悪趣味な提案を重ねる。
「彼女に“傷”を作る。人は傷のある者を救いたがる。
完璧な者は救われる必要がない。」
議論は倫理の段階をとうに越えていた。
数字、効果、観客、寄付――慈善は開発すべき商品に変わり果てている。
その時、長らく黙っていた老貴族が、指先でテーブルの木目をなぞりながら呟いた。
「悲劇の無い慈善など、ただの金の移動だ……誰が財布を開く?」
広間の空気が落下した。
軽薄な提案の波は止まり、視線が一斉に老貴族へ向く。
それは非難ではなかった。
理解だった。
彼らは慈善を“正義”と呼んでいたが、心の底では知っていた。
人は“救う自分の姿”を購入する。
涙なき世界に、消費される善など存在しない。
ユーフェミアが悲劇を拒否した瞬間、
この会議の参加者たちは、慈善の供給側ではなく需要創出者に転落していた。
彼らの善は、人間ではなく悲惨という原材料を求めていたのだ。




