議題の崩壊 ― 善の不在は経済を止める
長机の上に積まれた資料は、雪崩の寸前の積雪のように静まり返っている。
事務官は淡々と束を分配していくが、その所作には司会進行の気配ではなく、遺品整理人の慎重さがあった。
配られた資料には、劇的な語彙が踊っていた。
「被害者の救済」「涙の灯火」「未来への寄付」
――しかし、その書き文字はすべて一人の少女が泣く未来にしか効力を持たない。
それを誰かが捲るたび、紙の擦れる音がむしろ会議の虚無を強調した。
最初の破綻は、若い伯爵家当主の疑問から始まる。
「不遇のヒロインが存在しないのに、何を救う?」
声は小さく、だがそれは会議の根幹を粉砕する音だった。
そこから堰は切れた。
「彼女が泣かないから、涙の語り部がいない!」
「寄付者は“感動”を買うのであって、“紙片の再利用”を買うわけではない!」
「舞台に悲劇がなければ、善意は観客を得られない!」
叫びは悲鳴ではなく、商品価値を失った興行主の焦燥だった。
誰もユーフェミアを救いたいとは思っていない。
彼らが欲しているのは“救う自分の姿を称賛される構図”だ。
だがユーフェミアは涙を見せない。
怯えも訴えも拒否し、“被害者の役”という入口そのものを閉ざしている。
その瞬間、資料はただの紙束へと退化した。
募金計画は“観客の感情消費”に依存した経済だったと暴かれる。
善は需要を求める。
嘆く者がいなければ、救済者は舞台に立つ理由を失う。
悪役も被害者も存在しない善など、慈善ではない。
迷子だ。
大広間では、誰も立ち上がらない。
紙は静かにそこに積まれ、劇場の幕は上がる前に自壊した。




